TRAIN IMPOSSIBLE

インドの隣国バーングラーデーシュの首都ダーカー近郊のトンギにて、毎年1月あるいは2月に、3日間に渡って行われるビシュワ・イステマーは、ムスリムの人々が一堂に集まる催しとしては、サウジアラビアのメッカにおけるハッジに次ぐ規模の人々がやってくるという。

北インドのデオバンド学派の流れを汲むタブリーギー・ジャマアトの呼びかけにより、1946年に始まったものであるというから、まだ歴史は浅いものの、近年ではそこに集う人々の数は400万人とも500万人とも言われるようになっている。タブリーギー・ジャマアトの影響力の大きさを感じずにはいられない。

一国の首都に匹敵する規模の人数がその祝祭のために各地からはるばるやってくるということになるから大変だ。そんなわけで、交通機関も大変混み合うことになるようだが、その典型的(?)なラッシュぶりや祝祭の様子を伝える写真を掲載したウェブサイトへのリンクが、Facebookでシェアされていた。

こちらがその驚異的な混雑ぶりだ。機関車の形や客車の色合いさえもよくわからないほどで仰天してしまう。

願わくば、トンギに集うすべての善男善女たちに幸多からんことを。

ジュガール

今年11月にこういう書籍が出版された。

書名:大富豪インド人のビリオネア思考

著者:サチン・チョードリー

出版社:フォレスト出版

ISBN: 9784894515390

大富豪インド人のビリオネア思考

サブタイトルに『富と幸福を約束する「ジュガール」』とあるように、この本では「ジュガール」による無限の可能性とイノベーション、個々に隠された能力の開発と幸運の呼び込み等を説いている。

だが、そもそも「ジュガール(जुगाड़)」という言葉に、そんな深淵なエッセンスが含まれているのかといえば、なんとも言えない。工面するとか、手立てする、準備する、用意するといった意味があるが、「手に入る限りでなんとか都合する」「利用可能な範囲でなんとかやりくりする」といった具合で、要は得られるリソースの範囲内で、機転と創意工夫によりなんとかするといったことだ。

そんなわけで、インドに限らず多くの途上国では、都市部・農村部を問わず、いろいろとジュガールを効かせた乗り物や作業機器を目にすることになる。バイクを改造したテンポーなどはその典型と言えるし、違法ではあるが送電線から盗電した電気を自宅に引き込んでいるのもまた同様だ。

日々を生き抜くため、そしてよりベターな暮らしをするために、多くの人々がジュガールを効かせた日々を送っているのだが、その即興性とは裏腹に、物事の根本まで突き詰めて考えず、とりあえず目的が達せられれば良しとする、その場限りのやっつけ的な要素もあるので、必ずしもこれが手放しで賞賛できるものではないようにも思うが、この本の中で説かれている「ジュガール」とは、より広義の解釈による発想の転換とポジティブな思考の提案ということになるのだろう。

この本で、「ジュガール」は「日本と日本人を蘇らせるソリューション」であると書かれているが、同書を読んだ私も確かにそうかもしれないと思っている。だが、それ以上にこの「ジュガール」をインド古来の問題解決ソリューションであるとして本を著し、セミナーを開いたりする機転と着想、行動力とバイタリティこそが見習うべきものではないかと思う。まさにそういうマインド、思考、行動こそが、著者が主張するところの「ジュガール」ということになるのであろう。

インド北東部専門ニュース雑誌 Northeast Today

インド国内にありながらも、周縁地域といった位置づけで、アッサム州以外は人口が少なく、経済面でも他地域に比して相対的に重要度が高くないこと、地域全体で政情不安が長く続いてきたこと、民族的にもこの国の主流とは異なるモンゴロイド系の人々が多く暮らす北東部がインドの主要メディアに取り上げられる機会はあまり多くない。

そんなわけで、インド国内にあっても往々にして何が起きているのか、何が問題なのかが広く知られることのあまりない北東地域。もちろん他地域の人々からの関心が高くないということもあるが、北東地域のメディアの情報発信力の貧弱さもまたひとつの要因ではないかと思う。

各州都にそれなりにポピュラーなメディアが存在しているとはいえ、往々にして影響力は州内に限られているようだ。また紙媒体の新聞・ニュース雑誌の流通範囲の関係もあり、地域外からコンスタントに北東部の時事ニュースをコンスタントに入手したくても、なかなか容易ではなかったりする。

そうした現況下、比較的役に立つと思われるのが、ニュース雑誌Northeast Todayのウェブサイトだ。

このNortheast Todayについては、嬉しいことにiPadやアンドロイド等のタブレットPCなどを通じてインドの雑誌を購入できるmagzterにて、紙媒体で流通しているものと同一の誌面の電子版を購入することができる。残念ながら週刊ではなく、月刊なので情報量や鮮度はいまひとつということになるが、インド北東部の動向に触れるためのひとつの有力なオプションといえる。

Northeast Today 12月号

富士通 Scan Snap iX500購入

先月、富士通 Scan Snap iX500と題して取り上げてみた新型のドキュメント・スキャナーを購入した。

スキャナー単独で、Wi-Fi接続によりスマートフォンやタブレットへのデータ転送が可能となるという新機能が追加されているが、やはりスキャナーとしての基本性能の向上ぶりには目を見張るものがある。

他メーカーからもいろいろ出ているドキュメント・スキャナーだが、読み取り画質や速度はともかく、メーカーやモデルにより大きく異なるのは、給紙性能のようだ。

具体的には、用紙の重なりの検出であったり、読み込みトレイに積んである用紙の山の中から、1枚ごとに正確に引き離して読み込んでいく性能であったりする。

Scan Snapの前モデルS1500は、その点で評判が良かったのだが、それでも紙質により重なりが続出して大変なことが少なくなかった。とりわけ、黄色がかるくらい古くなった紙、薄手の光沢紙は苦手のようで、数枚読み込むごとにエラーが発生するなど、まだ発展途上の製品という思いがしたものだ。とりわけインドの書籍の場合、やはりこれも紙質の問題なのか、古くなくても、光沢紙でなくてもトラブルが頻発する傾向が高かった。

そんなわけで、11月末の発売間もなく購入したiX500。使用感は上々だ。読み込み速度は25%向上したとのことだが、体感では倍くらい速くなったかのように感じる。

理由は、用紙読み込み時のエラーの発生がほとんど起きなくなったことにもよるだろう。前モデルでは不具合が頻発した古くなった紙、薄い光沢紙でも難なく、ただ黙々と読み込んでいく。もちろんインドの書籍も同様で、Scan Snapもようやく「インド対応」になったようだ。

自宅の書籍をどんどん電子化していく、いわゆる「自炊」作業がどんどんはかどりそうで、大変期待している。

Scan Snap iX500

ボリウッドの大スターたちとペーシャーワル

数々の有名な俳優、女優を輩出してきたカプール一族のルーツは、現在パーキスターンのペーシャーワルにあることは広く知られている。偶然にしてはあまりに偶然すぎることに、ペーシャーワルの街のキッサー・クワーニー地区の半径200mほどのエリアに、ディリープ・クマール、そしてシャー・ルク・カーンの父親の生家があったというから驚く。

Bollywood’s Shah Rukh Khan, Dilip Kumar and the Peshawar club (BBC NEWS ASIA)

もともと北西地域の商業・経済の中心地としてだけではなく、文化と芸術の核として栄えてきたペーシャーワルではあるが、やはりそういう土壌があってこそ、映画人の揺籃の地となったのではないだろうか。いまやイスラーム原理主義過激派が跋扈する街というネガティヴなイメージが定着してしまっているが、非常に保守的な地域にありながら、とりわけリベラルな気風で知られた土地であることを忘れてはならない。

上記リンク先記事にあるように、カプール一族の先祖や伝説的な俳優ディリープ・クマールはともかく、シャー・ルク・カーンは今をときめくボリウッドを代表する映画人だ。彼が10代の頃に幾度か父の故郷を訪れていたこと、いとこのヌール・ジャハーンと息子で同名のシャー・ルク・カーンに関する逸話等々、非常に興味深いものがある。

シャー・ルク・カーン自身も、やはり父方の親戚はすべて向こうに在住ということもあり、ペーシャーワルについては格別な思い入れがあるのではないかと思われる。それはともかく、言うまでもないがインド北部と現在のパーキスターンは、まさに血の繋がった身内であり、たとえ国が分かれても、その縁はどうにも否定できない。

マドゥバラー、アムジャド・カーン、ヴィノード・カンナー、そしてアニル・カプールの父親で映画プロデューサーとして活躍したスリンダル・カプールもまた、ペーシャーワルの出身であるとは、この記事を目にするまで知らなかった。

よく知られた映画スターでさえ、このようにペーシャーワルをルーツとする人たちが多いくらいだから、映画関係の技術職やその他周辺産業に関わる人々の中で、父祖が同地を故郷とする人は相当あるのではなかろうか、と私は想像している。

記事内にあるように、インドを代表する映画人たちのルーツでありながらも、シャー・ルク・カーンの父親の実家近くにある映画館が二度ほど爆弾テロに遭ったことに象徴されるように、これを非イスラーム的であるとして敵視する過激派の活動により、映画という文化の存在さえ危うくなっている状況について胸が痛む。

インドとパーキスターンというふたつの国に分かれて65年が経過しているが、その時間の経過とともに、その記憶と伝統は次第に風化していく。それがゆえに、私たちよりももっと前の世代のボリウッド映画ファンにとっては周知の事実であったことが、こうして改めてメディアで取り上げられると「そうだったのか!」とあちこちでツイートされ、Facebookでシェアされ、ブログ等で話題になる。

1947年、イギリスからの独立の際にインドと分離したパーキスターン。元々は同じインドという地域でありながら、別々の国家として成立した両国は、今後永遠に「ひとつ屋根の下」で暮らす日は来ないだろう。それでも、水よりも濃い血の繋がりを否定することは誰にもできはしない。