インド国鉄が二層式コンテナ長距離輸送を開始とのこと。間近に見たら迫力満点なことだろう。動力、制動力を確保するため、先頭の機関車は2両の重連、中間に補機としてもう一台入っている。
この動画に出ているのは物流の動脈、グジャラート州とムンバイ間を結ぶルートとのこと。
Indian Railways rolls out first double-stack long-haul container train (Youtube)
インド国鉄が二層式コンテナ長距離輸送を開始とのこと。間近に見たら迫力満点なことだろう。動力、制動力を確保するため、先頭の機関車は2両の重連、中間に補機としてもう一台入っている。
この動画に出ているのは物流の動脈、グジャラート州とムンバイ間を結ぶルートとのこと。
Indian Railways rolls out first double-stack long-haul container train (Youtube)

鉄道駅はどこも佇まいにそれぞれに風格や味わいがある。とりわけインドにおいては歴史的な駅がたくさんあるのため、それを楽しみたくてわざわざ出発の2時間くらい前に足を運んで、構内あちこち見学したりもするのは私だけではないだろう。とりわけ大きな駅となると、その見どころも多いものだ。
ところがバスターミナルについてはこれまでそうした魅力を感じたことがない。場所によっては近代的であったりきれいに整備されていたりもするのだが、必要以上の早く着いて施設内を歩き回ってみようという気にはならない。

もちろん、多くの人々が行き来するので、バスターミナルにも旅情のようなものはあるのだが、やはり鉄道のような深みはない。同じ移動のための乗降や乗り換えの施設なのに、なぜこうも違うのだろうか。鉄道駅はたとえ各駅停車しか止まらない寂れた駅であっても、どこか心打つものがある。
旅情の有無を生み出す主な要因は、以下の4点に集約されるようだ。
①存在する場所に対する固定性と仮設性
鉄道駅は、鉄路という固定されたインフラの上に成り立っている。バスで言えば道路に当たる線路、駅、運行関係システムや保線作業、その他諸々の事柄が単一の鉄道会社という企業体のもとで専用施設として構成されている。そのため一度作られた駅や鉄路は簡単に移設できない。駅や鉄路その他の鉄道施設すべてが「それぞれの土地に深く根を降ろしている」事実が、時間の蓄積や風格といったものを生み出す。
いっぽうで、バスターミナルはどうかと言えば、社会全体で共有するアスファルトの道路網さえあれば、発着場はいつでも移転・改変が可能であり、鉄道のような単一の企業体により構成されるものとは対極にある。いつでもどこでも車両自体が異なる事業者によって所有されており、いってみれば公道を往来する自家用車と大きく変わるところはないともいえる。バスターミナルも鉄路のようにルートが固定される制約がないため、必要に応じて用地さえ取得できれば移転は容易。こうした「仮設的」「機能優先」な性質が、旅情や風格よりも効率性を前面に出させてしまうのだ。
➁建築の歴史と玄関口としての伝統
鉄道駅については、19世紀の産業革命期、鉄道駅は国家や都市の威信をかけた「都市の玄関口」として作られた。無人駅のような小さな駅であっても、かつてそこにあった生活や歴史の記憶がプラットホームや駅舎に継承されている。
バスターミナルは、モータリゼーションが進んだ20世紀半ば以降、主に効率的な乗車処理を目的に作られた。機能美やコストカットが優先され、無機質な空間になりがちとなる。
③移動のドラマ性と境界線
鉄道駅は、改札を抜けてホームに立ち、ベルや発車メロディが鳴り、重厚な鉄の箱が滑り出すという一連の動作に明確な儀式性がある。線路がどこまでも伸びている視覚的効果も、「遠くへ行く旅」という非日常的な情感を高めてくれるのだ。
いっぽうでバスターミナルについては、道路という日常の延長線上に位置し、排気音とアスファルトの匂いが漂う空間。日常と非日常の境界線が曖昧であるためドラマ性が生まれにくくなる。
④利用する側の心理
鉄道駅は(国、地域や季節等によるが)定時性が高く、旅の余韻を楽しんだり旅情に浸ったりする精神的ゆとりが生じやすいなどにより物語性が高い。
しかしバスターミナルについては、 渋滞による遅延や、夜行バスなどの格安移動、慌ただしい乗車手続きなど、移動の手段としての実用面が強調されやすい。
①から④までを通して、鉄道駅が「ドラマが始まり、そして終わる場所」として設計されてきたのに対し、バスターミナルは「人を移動体へ乗り換えさせる機械」として機能してきた点が、決定的な味わいの差を生んでいるように思われる。
下記リンク先に掲載されているのは1980年撮影の写真とのこと。もともとは客車以外に貨物輸送も盛んだったが1980年代以降は道路輸送に押されて姿を消す。逆に言えば、それ以前はシリグリーからダージリンへの道路は貧弱であまりアテにならなかったということにもなる。
ニールギリーの山岳鉄道においても同様で、その時代に道路輸送に押されて、路線廃止の論が出ていた。
対照的だったのはシムラーの山岳鉄道。こちらも1980年代に貨物輸送は廃止されたものの、廃止の危機はなかった。
ハリヤーナー州の交通の要衝カルカーとーヒマーチャルの州都を結ぶインターステートの交通機関としての役割があったこと、早くから観光路線として注目されたことなどが背景にあったようだ。
A freight train (Darjeeling Himalayan Railways) on the line in 1980.
4月16日と言えば印鉄の記念すべき日。インドにおける植民地期の鉄道は、現在のような「国鉄によるネットワーク」ではなく、各地で操業する鉄道会社によるもので、藩王国による藩営鉄道会社もあった。
シャクンタラ鉄道のように、ごく近年まで英国の会社が所有していた路線もあったものの、その他はすべて独立後のインドにおける「国有鉄道」として統合されて現在に至る。
鉄道大国インドにおける「最初の列車」が走行したのは、173年前の1853年4月16日、400名の乗客を乗せてボンベイからターネー間を結んだ。
その4年後には「インド大反乱」が発生し、北インドでは各地で開始されていた鉄道敷設工事が停止してしまうが、大反乱で戦地となった北インド以外ではどんどん進んでいたらしい。
反乱平定後には、当初想定されていた各地の産物から成る物資の運搬や旅客の輸送だけでなく、軍事的にも「大量輸送」は極めて有効であると認識され、鉄道建設は更にアクセルを踏んで押し進められていく。道路網の整備は鉄道よりもかなり遅れて20世紀に入り、自動車が各地に登場するようになってから。
これらの交通インフラの発展により、それまで大きな街が形成されるのは水際(海岸や河岸)に限られていたのだが、内陸の大きな川のない土地にも、水道の普及もあり、人口や産業が集積することが可能になった。
また既存の内陸都市がハブとして物流拠点化するようになったのも革命的だ。それまでインドで商工業のハブであったのは港湾都市に限られていたのが大きく変わったのは、国道網に先んじて国内をネットワーク化した鉄道による効果。
英国が当時のインド国家予算と別建ての鉄道予算を計上し(ほぼ同額の時期も長かった)、たいへん力を注いだ鉄道建設により、各地が結ばれて大いに交流が深まることにより、「我らインド人」というナショナリズムの高揚にもつながったとも言われる。ガーンディーその他の独立の志士たちが活躍するための下地でもあり、インフラともなったわけだ。鉄道は人々の心やスピリットすら変えた。
インドだけでなく、鉄道の普及により大きく変貌を遂げた国は数え切れないほど多いはず。

「印鉄聖地 レーワーリー」から各駅停車でニューデリーに戻った。
こちらは駅前の食堂。魚アイテムがいろいろあり、店内にはベンガル語、オリヤー語なども書かれているので、東部のお客さんをメインのターゲットとしているのだろう。
インドのそうした地方の魚料理もまた美味しいものだ。とても食欲がわいてくる。







開館時間を8時からと思い違いして7時50分くらいに着いたのだが、開館は9時からであると知った。ここで1時間ほど待つことになるかと思ったら、出勤してきた職員の人が「どうぞ」と入れてくれた。

ここは見学できるが、そもそも修理工場なので、実際に整備士さんたちが忙しく作業している。



「忙しく」といっても傍目にはのんびりしているように見えるのだが、インドにおける蒸気機関車修理の最終兵器みたいなところなので、貴重な蒸気機関車を日々修理するとともに、他の工場でどうにもならない機関車をも受け入れて直しているらしいから、凄腕の職人さんたちが揃っているのだろう。

ここでしばらくの間、蒸気機関車の運転士さんが構内を案内してくれた。なんでも現在この人は蒸気機関車専門の運転士とのことで、冬季にデリー・アルワル間で運行されるフェアリー・クイーンの走行もしているとのことで、他にも何かのイベント等での運行があれば、呼ばれて行くそうだ。実際に走行する際には4時間前から機関車のウォーミングアップが必要とのこと。
普段はあまりそういうのがないので暇かと言えばそうでもないようで、整備の途中で蒸気機関を動かしての確認作業もあるそうだ。

どの機関車も走行できる状態にあり、展示されているわけではなく、整備のために置かれているため、駅前などに置かれている機関車と異なり、生気に満ちている。



大きなブロードゲージの貨物用機関車「ヴィラート」の顔が外れた間抜けな姿を見るのは初めてだったけど、蒸気機関の構造について運転士さんから説明を聞くことができて良かった。燃料効率の悪い、そして水も大量消費するのが蒸気機関車であったこともよくわかった。




また、小ぶりで緑色のメーターゲージ機関車、「フェアリー・クイーン」は、優美な外見とは裏腹に気難しくてたいへん扱いにくい機関車であるとも。容易にオーバーヒートするし、気を抜くと瞬時に蒸気圧が下がる厄介者だとのこと。


珍しい車両もある。蒸気機関によるロードローラーというのは、ここで初めて目にした。

また貴賓用客車もあるが、こちらは昔々の車両を現在の要請に応じてカスタマイズしたもの。エアコンも付いている


こちらは1921年の車両でこの年に訪印したプリンス・オブ・ウェールズのインド滞在のために造られたた特別車両。後に英国国王(=インド皇帝)エドワード8世となる彼の皇太子時代だが、インドに4ヶ月滞在している。大変な時代だったので、いろいろ批判は多かったようだ。




ロコ・シェッド内の壁にあったものだが、2000年以降にここで撮影された映画のリストも掲げられている。

レーワーリー・ロコ・シェッド見学終了。印鉄ファンの方には心からお勧めしたい。とても楽しかったが入場料はわずか10Rs。外国人料金の設定はない。


レーワーリーはロコ・シェッド(機関車整備場)を訪れたのみだが、駅の東西がまったく違う街になっているのが興味深かった。
インドに限らず日本その他でも鉄道駅のこちらと向こうで雰囲気がずいぶん異なることはあるが、レーワーリーほどの極端な例はそう多くない。
鉄道駅の東側には駅前スペースはほとんど無く、いきなり密度の高い商業地になっている。主要駅のひとつであるこの駅を乗り降りする人たちは24時間絶えないため、駅前ではデリーやカーンプルなどと同様に終夜営業をしている店もかなりある。オートはリザーブ(貸し切り)と乗り合いのいずれも客の取り合いだ。とにかく賑わっている。

一方で西口に出ると、商店は一軒もないし、客待ちのオートもゼロ。とても静かなのだ。これには驚いた。よく見るまでもなく、建物は古ぼけているものの、鉄道病院があったり、鉄道関係者の住宅が立ち並んでいたり、簡素だが趣のある教会があったりする。ここはいわゆる「レイルウェイ・コロニー」なのであった。

つまり鉄道関係用地という、きちんと管理された政府所有地が西口側に広がっているため、民間企業等が開発したり、一般の商店や住宅が建てられたりすることもなければ、スクウォッターたちが勝手に住み着くことも出来ないわけである。

本日、ロコ・シェッドに出勤してくる人たちはみんな同じ方向から歩いて来ていたので、おそらく整備士たちの宿舎に住んでいるのではないかと推測できる。
英領時代、ロコ・シェッド自体が造られた頃は当時のハイテクの粋を集めた先進的な機関であったはずなので、英国人のメカニックがネイティブ(当時は「インド人」をそう呼んでいた)に技を伝えるべく頑張っていたはず。
在インドの英国人にも当然、階級というものはあり、鉄道、自動車、電信電話その他のいわゆる現業部門の英国人たちは、社会の指導的立場にはなく、彼らがフィールドとする仕事場における「親方」に過ぎなかった。
そんなわけで、現在のレーワーリーのレイルウェイ・コロニーの古ぼけた庭付き戸建ての官舎には、比較的良さげな給与待遇に惹かれて渡印したものの、配属先で大きなタスクを負わされつつも、ホワイトカラーの同国の上役からはやいやいのと言われたり、部下のインド人たちへのリーダーシップがうまく取れなかったりと、追込まれて気の毒千万な英国人も多かったはず。
植民地時代の研究や考察などで、そうした現業部門に従事した英国人に関するものは例外的と思われるが、何かカチッとまとめられたものがあれば、是非読んでみたい。

それはそうと、オープンと同時に入場しようとゲートには早めに着いてみたが、見学時間は午前9時からとのことであった。(8時からと思い込んでいた)
ちゃんとゲートに掲げられた案内板に書いてある。ちなみに月曜日と国の祝日は休館とのこと。



ラージプート建築を模したアジメール・ジャンクション駅。インドの古い駅舎は趣きがある。
本日はシャターブディー・エクスプレスに乗車。始発駅なので出発よりかなり早く前から乗り込んでゆったり出来るのが良い。エアコンが始動したので、まもなく冷え冷えになりそうだ。


インドの鉄道(植民地時代は国鉄はなく、いくつもの鉄道会社が管轄地域で運行)で最初の空調車両導入は、なんと1930年代。ボンベイのバラード埠頭駅からペーシャーワルを結んだ当時の「フロンティア・メイル」(現在はアムリトサル駅が終着となっている「ゴールデンテンプル・メイル」)の一等車両でのこと。当時は大量の氷で車内空気を冷やしたとのこと。どの程度の効きだったのかは知りませんが、ずいぶん贅沢な話だ。
当時、この列車の発車は英国からやってくる定期船の到着とリンクしており、バラード埠頭で下船した人たちがそのまま隣接する駅から乗車できるようになっていたとのこと。このフロンティア・メイルは当時のエクスプレスのなかでも走行優先度が最上位クラスのものであったため、よほどの悪天候や事故でもない限り、終点のアムリトサルまでほぼ遅れなしで走行したと聞く。
アジメールに来るときに利用したのはシャターブディーと同じく走行優先順位最上位クラスのジャン(大衆)・シャターブディーだった。比較的新しく設定されたエクスプレスで、全車両空調クラスのシャターブディーと異なり、夜行の「ガリーブ・ラト」と同様に、このジャン(大衆)・シャターブディーは基本ノンACで1両のみ例外的にエアコンクラスが連結している。先日私が乗車したのはそのエアコンクラス。「大衆」のほうではエアコンクラスであっても通常のエクスプレス同様、食事の提供はない。
近年のインド国鉄の新設エクスプレスの特徴として、「ヴァンデー・バーラト」のような専用車両による高速列車の導入と区間拡大に先行して、大衆クラス主体ながらも優先順位の高いエクスプレスが増えたことも挙げられる。ひもころに較べると、かなり目配りの効いた旅客運輸サービスを提供していると言えるだろう。
汽車旅は日没後は車窓の景色が見えないので、退屈極まりなくなる。そうこうしているうちに先ほどはアルワルに停車。本日の目的地レーワーリーまでは、あとひと駅。

シャターブディーエクスプレスでは車内食の時間だったが、周囲には必ず食事を断る人たちがいる。それでいて、お湯を注ぐだけで出来上がるカップラーメン的なカップ入りウプマを別途お金払って注文していたりする。それならばチケットに込みの食事を食べればいいのに、なんかもったいない話だ。
まあ、今は豊かな時代になったし、シャターブディーに乗る人たちは裕福なので、要らないものは要らないのだろう。確かにシャターブディーの車内食はおいしくはないのだけれども。
そしてレーワーリー到着。

本日、ハリヤーナー州のレーワーリー東口駅前宿泊中。駅出口から徒歩1分という大変便利な場所にある。


デリーのサライ・ローヒラー駅から乗車したJAN SHATABDIは、シャターブディを廉価版の低いクラスにしたもの。エアコンクラスは私が予約した1両のみで、あとはすべてノンACクラス。
デリーから乗車したときには立ち席の人たちもいる状態だったが、サワーイー・マードープルで大半が下車したため、車内はガラガラに。JAN SHATABDIはSHATABDIと違って軽食や食事のサービスはない。
列車はほぼ定刻に終点のアジメールに到着。駅前にフライオーバーができていたこと、道幅が広くなったことに驚いた。いや道幅は変わらないかもしれない。だがフライオーバーには驚く。
本日の滞在はKEMことKing Edward Memorial。以前利用したときには驚くほどボロポロだったし、建物内でケロシンストーブで調理する人もいたが、今はそんな具合ではない。明るくて清潔な部屋。それでいて1200Rsくらい。これは素晴らしい。
城門のような立派なゲートを持ち、イベント等を開催できる広い敷地もあり、建物内にも中庭があり、様々なプログラムを催すことができる贅沢な造りになっている。駅前という便利なロケーションもあり、ここはオススメである。
KEMのゲート










こちらはデリーのサライ・ローヒラー駅構内にあるTTE(Train Ticket Examiner=車掌さん)のレストハウス。
彼らは乗務している時間の以外は特にすることはないのか、それとも乗務前後で雑務に追われるのかはよくわからない。もはや紙に印刷された「リジャルウェーシャン・チャールト」を持ち歩いたりしないので、少しは楽になったのかもしれない。
専用のタブレットを持って乗務している。乗客の検札等についてはこれを用いているが、ときにエラーが発生したり、故障したりというトラブルはあるのかもしれない。

この日はカーンプルからニューデリーまで出て、昼ご飯を挟んでサライ・ローヒラー駅に移動し、ここからはジャン・シャターブディー・エクスプレスでアジメールへと向かう丸一日鉄道移動の日。昔は移動中の待ち時間というものが退屈で仕方なかった。

今は鉄道に限っては構内に出入りする列車や乗り降りするお客たち、待合室で人々を観察したり、隣に座った家族連れと話をしたりと飽きない。せせこましいバススタンドではこうはいかないし、飛行機だと空港は快適だが面白みはない。
やはり鉄道は、その鉄道自体がひとつのエンターテイメント。インド国鉄の駅は造りが大ぶりで「余白部分」がとても広いのも良い。




この日に乗車するのは午前6時発のニューデリー行きのシャターブディー・エクスプレス。夜から早朝にかけてはホテル周辺は人通りはほとんどなくなる。駅まで遠いのでオートが必要だが見つかるかどうか?と思ったが、ホテル前のフライオーバーを通るオートに大声をかけて呼ぶという「システム」。ほどなくオートがつかまり駅へ向かう。
鉄道の往来の要衝のひとつであるカーンプル駅は、早朝でも昼間のような賑わいである。駅前に並ぶ商店や食堂の多くが日の出前から店をオープンしている。古色蒼然としたカーンプル駅の建物が目に前に見える。




列車はちょうど定刻に発車した。私はもらえるものはありがたくいただくほうなのだが、チケット代金に込みのスナックや食事といった車内食を「要りません」と断ってしまうインド人客は決して少なくない。なんだかもっていない。そんな人たちでも水のボトルだけは受け取ってるのだが。


ニューデリー駅前のバーザール、パハールガンジで昼食を取る。本日はデリー宿泊ではなく、これからサラーイ・ローヒラー駅から出る列車でアジメールへ向かう。