OMAXE CHOWK in Chandni Chowk

OMAXE CHOWKという豪奢なモールがデリーのチャーンドニー・チョウクにできるらしい。あんなカオスな場所に?と思うかもしれないが、もともとチャーンドニー・チョウクはムガル皇帝一族や宮中の貴人たちを相手にするマーケットがあったところ。噴水と水路が流れる(イスファハーンのそれを想像するとよい)を持つ目抜き通り。1857年のインド大反乱後にムガル朝が終焉を迎えてからも引き続き大きな屋敷が立ち並ぶ瀟洒なエリアであった。

それが今のような人口密度の稠密な商店街となったのは、印パ分離の際、ここに多く住んでいたムスリムの上流層が大挙してパキスタンに移住したため。それと入れ替わるように、地元の庶民たちやパキスタンから流入したヒンドゥー教徒たちが空き家となった屋敷や敷地を占拠、そして又貸しするなどして、それぞれの物件が細分化されていくとともに、オリジナルな構造にさまざまな改造が重ねられるとともに、メンテナンスの欠如から崩壊していくこととなった。

そんなわけで、元々あったような形に一部が戻る?というような具合であるかもしれないのだが、現在あの状態にあるエリアでこのようなモールが出来上がってちゃんと意図したような形で繁盛するのだろうか。あるいは建物は立派でも、やっぱりチャーンドニー・チョウクがそのまま入居したような具合になるのか。

オープンしてから、近くにあるムグライやカシミーリーの旨い店を訪れるついでに立ち寄ってみるのが楽しみである。

OMAXE CHOWK (OMAXE)

真冬のコールカーターで30度超え

コールカーター在住の方から送られてきたヒンディー語のニュースクリップで、「カルカッタ及び周辺で30℃超え」を報じる動画があった。

ググッてみると、やはり本日1月10日(日)のカルカッタの気温がこんなことになっている。

比較的海に近いためパンジャーブ、デリーやガンジス平原部ほど厳しい寒さにはならない(東京の冬と同じくらい寒い。期間は東京ほど長くはない)とはいえ、今ごろの時期はセーターや上着を着て、ほおっかむりまでして「寒い、寒い」と言っているはずの時期なのに。

いったいどうしたのだろう?

寒すぎる真冬の東京も30℃とはいわずとも20℃くらいになってくれるといいんだが。

寒すぎて外に出るのに勇気が要る。

昔々の習慣

さすがに今はドミトリーに泊まることはないのだが、最近ムンバイ利用した宿は、金額(2,135Rs/泊)の割にはバストイレが共同であった。

昔からムンバイは宿泊費が高いことで知られている。かつてバックパッカーをしていたころは、コラバ地区、フォート地区で可能なオプションは、コラバにあるサルベーションアーミーのドミトリーであった。それでも当時の私がデリーやカルカッタなど、他の大きな街でのシングルルームに払う宿泊費(安宿)よりも高かった気がする。それは当時の貧しかったインドにおいて、ムンバイが突出した商都であったこと、周囲に郊外地域が広がる余地のない半島の形状などが背景にあった。

現在では、デリー周辺には隣接するUP州西部やハリヤーナー州なども含めて、工業団地が発展しており国外からの投資も佐官になっている。またアーメダーバード、バンガロール、ハイデラーバードなども同様で、宿泊費がどんどん高くなっている地域が多い。そのため今ではムンバイだけが非常に高いという具合ではなくなりつつある。

話は戻る。その共同バストイレで思い出したのは、カイロのバックパッカーの常宿だったオックスフォードホテルのドミトリーでのこと。当時はアジア人バックパッカーといえば、ほぼ日本人しかいなかった(ときどき香港人はいた。海外旅行が自由化された直後の韓国からは中高年の団体旅行者はときおり見かけたが若者のバックパッカーはほとんどいなかった)ためもあってか、ここの宿のドミトリーは「西洋人部屋」と「日本人部屋」に分けられていた。なぜそうだったのか、管理上そうすると楽なのかは知らないが、いつ利用してもそんな具合であった。

大きくヘリテージな感じの見事な石造りの 建物上階にあり、清潔で広々としている割には宿泊費は安く人気の宿だった。確かギリシャ系のエジプト人による経営である。ときどき映画やCM出演者を求めるブローカーがやってきて、そうした機会と小遣い程度野お金を得る人もいた。

ドミトリーの日本人部屋では、夕方に連れ立って食事に出た後はトランプに興じるのが常となっていた。そんなあるとき、「大富豪」をやっている輪の中のAくんが突然、「やべー!」と叫んで脱兎のごとく廊下へ駆け出して行った。

みんなビックリして、しばらく固まっていたが、しばらくすると青ざめた表情の彼がドミトリーに戻ってきた。

「やられたー!」

なんでもシャワーを浴びる際、所持金やパスポートなどの入った貴重品袋をビニール袋に入れて、シャワー室内の壁に掛けておいたのだそうだが、ついそれを忘れてドミトリーに戻り、トランプに興じていたというのだ。

ドミトリーにいた旅行者たちは、手分けしてフロントに聞いたり、他のドミトリーや浴室に出入りする人たちに尋ねまくったが、出てくることはなかった。A君自身は気の毒であったし、持ち去った者は、その晩に宿の中に居た者であることか確実なので、とても気分の悪いことでもあった。

彼は翌朝、警察に出向いて盗難の証明書を発行してもらい、アメックスに出向いてトラベラーズチェック(当時の旅行者はこの形で大部分の旅費を所持していた)の再発行を申請してきた。

そんな一件があってから「毎日のことだから共同シャワーへの置き忘れって、いつかやりそうだよな。」という会話がドミトリーの中で広まり、しばらくの間は新しく入ってきた宿泊者たちにもAその「レガシー」が引き継がれていたようだ。ネット出現前の時代であったため、情報交換の意味もあり、同宿になった者たちは互いにいろんな話をしたものだ。A君自身は大変だったが、同じ旅行者仲間たちに身を以って注意喚起してくれたことになる。

実はそのしばらく後にも同じようなことがあった。日本人宿泊者のひとりがシャワー室に入ったら誰かの貴重品袋がドア内側にぶら下がっていたというのだ。そのときはすぐにフロントに知らせて、中に入っていた旅券で所持者がわかり、シャワーから上がってきたばかりの本人にマネージャーから引き渡せたので事なきを得た。貴重品袋に変なことがないようにと、僕らははしばらくそこで立会っていたのだが、持ち主は西洋人だった。知らされるまで本人は置き忘れに気付いてさえいなかったのだが、事情を呑み込むと、言いようもないほど狼狽していた。

そんなこんなこともあり、先述のムンバイのコラバのホテルの共同シャワーを出るとき、かつて安宿を泊まり歩いていたときの如く、「貴重品袋よーし!」「確認完了!」と小さく発声しながら指差し確認をしていたのであった。昔々の古い習慣が、ひょんなことから自然と蘇ってくることはあるものだ。それまですっかり記憶の彼方にあったA君の青ざめた表情が脳裏に浮かんだ。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

ENGAGED

こちらはトイレ のドアの表示。「occupied」とあるよりも、少し厳粛な感じがする。中の人が真剣に取り組んでいるような印象を受けるではないか。

少なくとも便座に腰掛けてスマホでもいじっているような、待たされている側にとっては腹の立つイメージは浮かばない。

電話にしても、そうだ。話中で「busy」と考えると、無駄話のせいで繋がらないような気もするが、「engaged 」であれば、何か真面目な会話が進行中であるようなシーンが目に浮かんでこなくもない。

なぜこのように違ってくるのかといえば、occupied、busyは、いずれも単一の人物Aさんの行動を反映したものであるのに対して、engagedであれば、Aさんの意思にかかわらず、自然現象や第三者との関係により、その状態にあることを余儀なくされているというイメージをも想起され、「それならば仕方ない」というムードを醸成するのだ。

仕方ないは仕方ないのだが、トイレを待つというのは、まさに一日千秋の想いである。実に切ない・・・。

※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

夜遅く着いたときの宿

こんな思いをしたことのある人は少なくないだろう。

路地裏にあるホテル、夜遅い時間帯に戻ろうとすると、行く手を阻む野犬集団。通りかかる人があれば、テキトーにくっついてやり過ごしたいところだが、あいにく誰もやってくることなく時間が過ぎていく。

そんなこともあるので、あまり路地裏深くにある宿はなるべく利用しないようにしている。できれば表通りにあればなお良い。クルマの騒音だの街のざわめきなどというのはまったく気にならないほうだ。普段生活している環境がいつも騒々しいからということもある。

遅い時間帯に鉄道やバスで到着した場合、駅やバススタンドすぐ近くのエリアの宿が取れるといいのだが、これらがひどく街外れに立地していることだってあるので、いつもそうとは限らない。

ちょっとした大きさの鉄道駅の場合、「リタイアリングルーム」が利用できるとたいへんラッキー。今は空きがあればネット予約することも出来るため、鉄道に乗って目的地の宿をまだ決めていなかったら、ウェブで確認してみると良いかもしれない。最大48時間しか滞在できないとはいえ、鉄道好きな人にとっては「駅に宿泊」というのもなかなか良いものだし、深夜あたりになって到着してクタクタの身にはとても助かる。

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