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カテゴリー: society

  • サンスクリット語とドイツ語

    同じアーリア祖語から分かれていったインド・ヨーロッパ語族の言語なので、遠く離れた地域で話される言語同士であっても、起源が古い語ほど発音が似たものがあることになる。名詞のジェンダーも対応するものがけっこうあるのかどうかは知らないけど。

    このグループ(インド・ヨーロッパ語族)のいずれの言語にも完了形があり、名詞のジェンダーがあり(英語ではジェンダーがかすれてしまっているけど、船や土地などジェンダーが残る語彙も少なくない。また名詞の格変化、動詞の活用体系、音韻変化など、相互に通じないのに、同じような特徴があるのは、やはりアーリア祖語からそれぞれの言語に引き継がれたレガシーらしい。

    それとこのグループの言語の中の親族名称で似たものが共有されているのは当然、人の言葉でとりわけ古くからの語彙であるからなのだろう。偶然や他人の空似ではないはずだ。

    言葉というものは実に面白いと思う。

    Sanskrit and German (facebook)

  • エアインディア客室乗務員は肥満で受難

    これは本当だろうか?

    たしかに肥満が多いインドで、ふくよかな体型のアテンダントが少なくないエアインディア。国営時代のベテランを排除して、他社同様に若いスタッフで揃えようという人員整理の目的もあるのでは?

    インドのこうした体重制限は以前から民間航空会社では実施されていたようだ。髪型にも一定のルールがあるため、機内にはだいたい同じような背格好のアテンダントが乗務しており、工場から出てきた規格製品かと思うほど。なんでもてんでバラバラの国にあっては珍しい眺めだ。

    しかし個人的には顎が二重でお腹がプルンとふくよかでこそインド人らしいインド人だと思うので、こういう制限は極めて好ましくないと思う。

    「肥満の客室乗務員、即時に乗무排除・給与削減」…エア・インディアの新規定に波紋(朝鮮日報)

     

  • 政治の季節

    インドは目下、「政治の季節」を迎えている。今月から6月にかけて、西ベンガル、アッサム、ケーララム、タミルナードゥの各州及び連邦直轄地(UT)のプドゥチェリーでヴィダーン・サバー(州議会)選挙が行われる。

    とりわけ注目されているのが西ベンガル州。インド東部でも攻勢を強めているこの地で、長く与党を務めてきたマムター・バナルジー率いるトリナムール・コングレスの追い落としを図るBJPが果たしてこれを成し遂げるのか、あるいはベンガルの民族主義派のトリナムールが再び勝利を重ねるのか。

    もともと共産党が1977年から2011年まで与党に君臨してきた「赤い州」であったが、これを追い落としたのがベンガル民族主義政党のトリナムール。極めて鮮やかな「サッター・パリワルタン(政権交代)」で、州政治の潮流が一気に変わった。

    ここに来て浸透を図るBJPとは激しく対立しており、ときおり両者の活動家たち同士の暴力的な衝突が起きている。

    興味深いのは、もし今回政権交代が実現すると、西ベンガルにおける民族主義的な主張が影をひそめて、中央政権に融和的なマジョリティーに取り込まれる形になることだ。

    実は隣接するアッサム州でそのようなことが起きている。

    独立以来70年代までは国民会議派が与党にあったが、80年代以降はアッサムの民族主義勢力が台頭。マジョリティーのアッサミーズ以外のボードー族その他も政治勢力を立ち上げ、非常に不安定になった。その後、州議会が機能不全となり、中央による大統領統治が実施されるも、武装勢力化した各民族主義組織による内戦状態と言ってもよい混迷の時代となったのが80年代から90年代初頭。この時期には外国人旅行は入ることが出来なかった。

    そして90年代に情勢は落ち着き、国民会議派政権、そして新興の民族主義政党による政権を経て、政権の座は再度国民会議派の手に。それでもやはりアッサムはインドの辺境地域として独自性を持ちながら、やもすればいつ反中央の火の手が上がりかねない不安定な状況が続いていた。

    それに終止符を打ったのが、2016年ヴィダーン・サバー選挙で起きた「サッター・パリワルタン(政権交代)」。以来、BJPが政権を担っている。

    もちろんBJPの議員たちはすべてアッサムの地元の人たちなのだが、言葉はアッサム語を喋っていても、話す内容はモーディー首相やアミット・シャー内相などと同じ。中央政府のモーディー政権にもアッサム出身の閣僚が複数登用されており、いつの間にかアッサム州が「辺境州のひとつ」から「マジョリティーのひとつ」へとステップアップした感がある。それ以前の「反逆的な地域」としての印象はすっかり影を潜めた。

     

    またBJP言うところの「ダバル・インジャン・サルカール(Double Engine Governance)」により、中央とアッサムの意思決定が一本になるため、様々な開発プログラムやパッケージがどんどん通りやすくなり、地域の発展が加速されているとされる。実は連邦直轄地(UT)のラダックでも同じことが起きている。(ラダックでは昨夏以来、BJPとの関係には複雑なものを含むようになっているけれども)

    アッサムと違い、西ベンガルは中央に対して反逆的な風土ではもともとなく、文化的にも政治的にも「マジョリティーの中の核心部のひとつ」といった位置にあるため、BJPが政権与党となれば、ますますのこと、中央との統合、融合が進んでいくのかもしれない。

    もうひとつ、規模は小さいが注目されるのは、連邦直轄地(UT)のプドゥチェリー。こちらは投票日が今月9日と早いのだが、地域的にはタミルナードゥの中からえぐり取られた旧仏領地域ではあるものの、与党はDMKやAIADMKではなく、現地政党とBJPによる連立。

    ずいぶん長いこと、州への昇格(「昇格」とするのが適当かどうかはわからない。統治の仕方の違いであり、州が上、連邦直轄地が下と単純化できないためだ。)を望む声が強いのだが、まだ実現していない。人口100万人にも及ばない地域ではあるものの、現にスィッキム州は60万人強、ミゾラムは110万人というあたりを見れば、歴史的経緯と人口規模においては相応であるようにも思える。

    州への移行に理解を示しているのが、NDA(という政治アライアンス)と対立する国民会議派側の勢力UPA。今回の選挙で、「州への移行」も焦点のひとつとなっているため、プドゥチェリーで「サッター・パリワルタン」が起きる可能性が充分にあるのだ。ただし中央の政権はBJPであるため、「プドゥチェリー州成立」には至らないようにも思える。

    それにしても同じタミル系の人々が暮らすプドゥチェリー、旧仏領であったとはいえ、世代は変わるし、プドゥチェリーをインドが実効支配するようになったのは1954年。つまり72年も前のこと。(法的にインドの一部としての統合は1962年)

    現在までの間に住民の移動も盛んであり、プドゥチェリーに住んでいるからといって、旧仏領地域の人々の子孫とは限らない。これはゴアでも同様で、今やカトリックは州人口の中ではマイノリティーとなっている。

    そんな具合であっても「土地柄」「風土」というものは外部からの移民をも交えて継承されていくものなのだなぁと興味深く思う。

    インドという国は何かにつけて実に面白く、好奇心を刺激してくれるため、そこから流れてくるニュースには耳を傾けずにはいられないのである。

    Upcoming Elections in India (The Indian EXPRESS)

  • 世俗的な国イラン

    イランを「狂信的なイスラーム教の国」とか、1979年のイスラーム革命を「国王に対して熱心なムスリムの国民が立ち上がって打倒し、イスラーム共和国を創った」と誤解している人があまりに多いことはいつもながら残念。

    伝統的に世俗的なのがイランであり、今のような聖職者たちが頂点に立つようになったのは初めてのこと。

    そしてイランの革命自体についても、「篤信なイスラーム教徒たちがシャーを追放した」のではなく、右派勢力(民族主義派)、インテリ層、左派勢力等々が王政の転覆を目指してそれぞれ活動していたものの、思想や価値観が異なるため、ひとつの大きな流れにはなれなかった。そこで「ムスリムという共通項」を繋いだのが、少数派の宗教勢力。そこで見事に異なる人々が手を結んで革命を成就させたという形。

    数は少なくても組織力に長けていた。シャーを追い出した後、革命評議会、革命防衛隊、革命裁判所を組織し、軍、警察、司法等を宗教勢力が握った。

    これによりシャーを追い出すために共闘していた民族主義勢力、インテリ層、左派勢力を排除し、有力者たちを前述の革命裁判所で次々に処刑。これにより本来ならば多数派であったはずの世俗勢力を支配層から排除し、大衆が望まない社会のイスラーム化を進めることになったわけだ。

    つまり様々な異なる意見を持つ世俗勢力がひとつにまとまるための旗印として利用したつもりが、逆に宗教勢力に利用するだけ利用され、革命が成就して体制が流動的な時期に、烏合の衆の多数派である世俗勢力が互いに反目したり、新たな体制造りにモタモタしているうちに、少数派の宗教勢力による策略にハマり、排除されてしまったのだ。

    当然、少数派の宗教勢力にとっては彼ら自身への支持はまったく厚くないことを知っているため、徹底した監視体制を敷いて「イラン・イスラーム共和国」の歴史を紡いでいくことになった。

    簡単に言えば、このような具合なので、イランは「狂信的なイスラーム教徒の国」などでは決してなく、極めて世俗的な人々の国である。そのため欧米などに移住しても、他国からきたムスリムの人々と違い、モスクなどの礼拝施設すら建てないことが多いほどなのだ。

    端的に言えば、「ムスリムではあるけど、見た目も気質も欧州人みたいな人たち」でもある。

    「イラン人は狂信的」は誤解、個人主義的傾向も 藤元優子・大阪大名誉教授(日本経済新聞)

     

     

  • 進化

    進化

    昔のいわゆる「デザート・クーラー」は(簡易クーラー)は無骨な金属製ボディーに麦わらが入っていたけど、今はこんなにスマートになり、中には樹脂繊維みたいなのが入っている。いろいろ進化するものだ。

    金属ボディーのものは運転させると轟音がしたけれども、最近のものは静音化も図られており、なかなか静かになっている。

    ファン形状、モーターの改良、防振マウントを付けたり、インバーター制御を導入するなど、要は技術が進んだというわけだ。

  • バッドデザイン賞

    バッドデザイン賞

    ハイデラバードでの宿泊先に着いたとき、グーグルマップを見て「ここかな?」と思いつつも、パッと見た感じで「New Hotel Suhail 」とは読めず、前を2度素通りしてしまった。「Suhail」に変な赤が入っているため、視覚を邪魔するのだろう。個人的に「バッドデザイン賞」を贈りたい。

    それにしてもSuhailはオーナーの名前かもしれないけど、なぜわざわざムスリムとわかる名称にするのだろうか。ニュートラルな名前、英語でも一般名詞にでもすれば、顧客をある程度絞ることはないのに。マーケットは間口が広ければ広いほど良さそうに思うが。

    昨日朝食の席で見渡したところ、いかにもムスリムという宿泊者が多かったが、敢えてムスリム客を集客したいという狙いがあるのだろうか。こういう宿はインドでよくあるため、やはりムスリム客に商圏を絞ったマーケティングなのかもしれない。

    もちろんこれとは真逆に今どきの風情とシンクロしたサフラン的な名前のヒンドゥーのホテルも多い。その一方で、どちらにも組みしない感じのニュートラルなホテルも数多くある。そうしたバリエーションもインドらしくて面白いところだ。

    ホテルといえば、宿泊するホテルではなく、インドでいう食事処としての「ホテル」つまりレストラン、食堂、安食堂で、ヴェジの店であればヒンドゥー教徒による経営と普通は思うし、そういう店が大半であるとは思うが、必ずしもその限りでもないようだ。

    ハリドワールでの話となるが、ヒンドゥー暦のサーワン月(7月前後)に毎年行われるサーワン・カーンワル・メーラーで巡礼たちが通るルート上にある菜食の食堂では、案外ムスリムのオーナーがヒンドゥーの店員を雇って営業しているところがあるようだ。

    資本がムスリムでも、ヒンドゥーの人たちを雇い、きちんとルールに従って営業していれば、それで良いではないかと思うのだが、右翼のBJPが与党となっている州の中でも「最右翼」に位置づけられるヨーギー・アーディティヤナート(自身が長らく右翼活動を続けてきたとともに、ゴーラクプルのゴーラクナート寺院の高僧でもある。)政権下で、「オーナーの名前をきちんと表示するように」というお達しが出るなどしていた。名前で信仰が判ってしまうため、ムスリムがオーナーの店は大いに困ったそうだ。

    これがメディアに取り上げられたため、大いに議論の的となったが、実はそれほど「ムスリムオーナーによるヒンドゥー向けの菜食主義の店」は珍しくはないらしい。それはそれで前述のとおり、きちんと運営していれば大いに結構ではないかと思うのだが、そのような形で炙り出して排除してしまおうとするのは残念な限りである。

  • ハイデラーバード

    ハイデラーバード

    フルーツの露店が並ぶ橋の上にて。スイカとチックー、ザクロとパパイヤが同時に出回るという奇妙な季節感。インドの南北からいろいろ入ってくるからこうなるのである。

    あと面白いのは博物館の休館日。世界の多くで(日本でも)月曜日は休みということが多く、インドでもそうなのだが、ハイデラーバードは例外的に金曜日休館というところがマジョリティ。

    評判の良いグランドホテル(というレストラン)はやはり混んでいた。ビリヤーニーは「ミニサイズ」を勧められたが、やはりそれでも1人でなんとか食べ切れるサイズであった。

    グランドホテルでビリヤーニーの後、シメは甘いものを。「Double Mithai」とメニューにあり、「ミターイーの2種盛り」かと思って頼んでみると、まったく違った。「Double」ではなく「Dabal」つまり「Dabal Roti」つまり食パンを用いたミターイーであった。これはこれで美味しい。

    ハイデラーバードは不思議な街だ。デカンの街なのに、道端や店で人々か話す言葉がわかることが多い。街の外はテルグ語の世界なのに、ここはウルドゥー語圏の飛び地である。

  • トランプ、宣教師と原理主義過激派

    トランプ氏に関するこの報道を見て思い出した人物かある。アメリカのある「キリスト者」のことだ。

    この人は米国の福音派の若い宣教師で、インドのアンダマン諸島の中にある北センティネル島で布教しようと上陸を試み、島民たちに弓矢で殺害された。この島に住んでいるのは、世界で最も孤立した民族とされるセンティネル族で、外界との接触一切を拒んでいる。

    この宣教師は北センティネル島を「サタンの最後の砦」と認識し、ひとたび踏み込めば島民たちに殺害される可能性が高いことも理解していたという。一度上陸に失敗したが再度試みて成功。まもなく島民たちに殺害された。

    宣教師を殺害したインド孤立部族、侵入者拒む歴史(NATIONAL GEOGRAPHIC)

    それでも「未開の野蛮部族に神の言葉を伝えること」を崇高な使命であると考え、「殉教者となる」ことを厭わず、信じる「キリスト者として正しい行為」のために喜んで自らの命を差し出す、そんな青年であったのだという。

    福音派であること、キリスト教宣教師であることはさておき、自身の価値観がユニバーサルな真実であると考え、相手や第三者にはそれぞれ異なる信条、倫理観、行動原理があることを受け入れず「俺は正しいことをしている。これに同調しないヤツが悪い」とする点で、トランプそっくりであり、周囲から反対されたり妨害を受けたりしつつも邁進していく「ハリウッド映画に描かれる孤高のアメリカンヒーロー」のイメージそのものである。そしてトランプの理想とは彼自身が唱える「MAGA」の実現、その「偉大な米国を頂点とする平和秩序」なのだ。

    ゆえに自身が勝手に戦争を始めてしまったにもかかわらず、予想外にイランが強く、そして戦略的も巧みなことから手詰まりになってくると、「正義を実現しようとしているアメリカに協力するのは当然。知らん顔するNATO加盟諸国はけしからん。それにホルムズ海峡を通過する原油にべったり依存している日本、韓国その他はアメリカが守ってきた平和にタダ乗りしてやがる!」とくるわけだ。

    日本など同盟国の「支援は不要」、ホルムズ対応でトランプ氏不満あらわ(Bloomberg)

    こういう姿勢は、イスラーム原理主義過激派も同様で、各地でのテロ行為、そのための組織造りとリクルートなども、たとえそれにより多数の死者が出たり、多くの人々が不孝になっても崇高な理想を実現するためには少なからず犠牲が出るのは当然のこととし、神の理想を実現する正しい行為であると考えており、同調しないイスラーム教徒は不信心者だとする。つまりイデオロギーこそ違えども、思考の根本の部分からしてトランプや件の宣教師と同類なのだ。

    蛇足となるが、イランはトランプの言うようなテロ国家ではない。シーア派の聖職者たちが政府の上に立つ形にはなっているものの、体制としては社会主義的な運営がなされており、シリア、イラクに権力の真空ができていた時期に勢力を拡大した「イスラーム国」のような暴力集団などではない。

    米国の言う「テロの輸出」とは、イランによるパレスチナのハマス、レバノンのヒズボラといった「イスラエルなる国」と敵対する組織、イエメンのフーシ、アサド政権時代のシリア政府などで、反サウジアラビアの組織と連携のことだ。

    欧米その他で何か事件を起こしたわけではないし、そうする動機すらない。政権上部が奇妙ではあるものの、親日的で、自由と平和を愛する世俗な人々が暮らす普通の国である。

  • シンガポールの古銭

    シンガポールの古銭

    話は前後するのだが、ハイデラバードへはシンガポール航空でやってきた。当然、乗り換え地はシンガポール空港なのだが、しばらく待ち時間があった。夕方だったので腹も減る。

    自宅の片隅に長年眠っていたシンガポールドルが32ドルを持ち出してきたのだが、空港内のホーカーズの券売機で使えなかったため、銀行の両替所で現行の札に替えてもらった。ずいぶん昔の紙幣であるため、現在のそれとはデザインは異なるし素材も違う。今のみたいなブラスチック紙幣ではなく、紙のお札だったのだ。(替える前に写真撮っておけば良かった。)

    両替所の若い女性は「これはどこの国の通貨ですか?」などとすっとぼけたことを言っていた。そんな大昔のお金ではないのだが、記憶の糸をたどると最後にシンガポールを訪問したのは、少なくとも四半世紀以上前であった。ある意味、「古銭」である。どの時点で今のデザインに変更されたのかは知らないのだが、20代前半くらいの人が「どこの国の通貨?」と言うのは無理もないかもしれない。

    古いお金を新札と替えるわけなので、もちろん手数料などはかからない。空港内のホーカーズで海南鶏飯。空港とはいえ、本場の味は良い。

  • ハイデラバードの日曜日

    ハイデラバードの日曜日

    ハイデラバードで利用した宿は、1500Rsでずいぶん広くて清潔だった。かなり人気で予約も立て込んでいるらしい。
    翌朝は、階下のレストランで朝食。宿代には含まれておらず別途250Rs。朝食はバイキング形式。なかなか良かった。

    幾度か来たことがあるハイデラバードだが、ここから入国するのは初めて。日曜日に利用できる両替屋やら買えるSIMカード屋などを知らないため、探すのになかなか手間取る。

    両替屋はほとんど閉まっているし、テーランガーナーでは、SIMカードは日曜日はアーダールカード(日本でのマイナンバーカードに当たるもの)を持っていないと日曜日は不可と言われる。

    明日はハイデラバードにいないし、田舎に行くとSIMカードの購入は期待できないため、ここで済ませておきたい。万一のためデータのみ8日間使えるSIMはアマゾンで買って持っているのだが、電話やSNSが出来ないため不便。それに8日間ではとうてい足りない。

    もちろん両替屋は日曜日開いているところはどこかにあるし、SIMカードも原則を曲げて融通利かせてくれるところはあるはずだが、初めてだとゼロから探さなくてはならない。そんなわけでちょっと面倒だったがなんとか両方片付いて何より。

  • ハイデラバード到着

    ハイデラバード到着

    空港から市内中心地までは、ちょうど「首都高」みたいな高架の自動車専用道路が縦断しているハイデラバード。とても未来的な光景に思える。

    そして驚くのはその「首都高」沿いにあるいくつもの高いビルになぜかジムが入っていて、もう深夜近いのに黙々と機械でトレーニングしている人たちがいることだ。これまたインドの未来的な眺めに思える。

    深夜になっても繁華街では開いている飲食店はとても多く、なんとも賑やかである。

  • アムパワー

    アムパワー

    エカマイバスターミナルからロットゥーでメークロンに向かう。エカマイもさびれているようで、かつては盛んにバスが発着していたのがパタヤその他以外にはロットゥーが主な出入り車両のようだ。当初は11:00のロットゥーのはずだったのだが、乗客が少なくて間引きされたようで12:00過ぎの出発となった。メークロンに着いてからバスを乗り換えてアムパワーに到着。

    移動中に一緒だった台湾の女性たちと散歩。金曜日のアムパワーはとても空いていて、扉を閉じたままの店も多い。いつもこんな具合なのかと言えば、土日は宿代が倍になるそうなので、週末に大変混雑するらしい。

    rpt

    彼女たちとは夕方の蛍ツアーにも一緒に参加することにした。ボートはアムパワーの運河からメークロン河に出る。河沿いの木には蛍の光がたくさん。見事なものだ。

    蛍ツアーのボート

    船が通ることができるようにと高くした橋が特徴的。古い時代のバンコクはこんな具合だったのかなと思わせるレトロ感がとても趣がある。ここに数泊してみたいくらいだ。

    マーケットで面白いものを見つけた。魚の干物かと思ったら、魚の干物のぬいぐるみ?という捻りが効いたもの。残念ながら臭いはしない。

    干物のぬいぐるみとは!

    その後、他の台湾の女性たちが合流して、夕飯は皆でいろいろ買って持ち寄りで、宿泊先の共用スペースでの宴会となった。大勢の女性たちと一緒に食事という機会はあまり無いので、なかなか気が引けつつも楽しいひとときとなった。