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カテゴリー: society

  • アラビア式の「マンディー」

    アラビア式の「マンディー」

    インドのカルナータカ州のビーダルにあるRoyal Amolへ。ここにはアラビア式の「マンディー」を注文。しばらく待つとかなり凄い量のものが来た。


    コツは時間をかけずにモリモリ食べることだろう。満腹中枢から「もうダメ!」の指令が来る前に、とにかくムシャムシャと咀嚼して呑み込むのがよい。

    かなり一気に突っ走ったつもりが、それでもあと1/4程度を残して断念。やはりこのアイテムは2〜4人くらいで分けて楽しむのが良いようで、1人ではとても無理であった。

    シメは階下の喫茶フロアーで「イラーニー・チャーエ」。何がイラーニーかよくわからないけど、やたらとマラーイーが入った濃厚なチャーエ。向かいにはまた別のアラビア料理を出す店があり、ビーダル訪問の際にはたいへんオススメ。ぜひ数人で「マンディー」をお楽しみください。

  • ハイデラーバードから列車でビーダルに到着

    ハイデラーバードから列車でビーダルに到着

    宿に荷物を置いてから、オートでビーダル・フォートに行く。バフマニー朝が建てたものだ。ビーダルの街は14世紀には同王朝の首都だったこともある。

    街からしばらく走ると城壁が見えてくるのだが、規模の大きさに感心させられる。インドでは田舎でもたいへん立派なスケールのものがいろいろある。

    この町では外国人はそんなに多くないため、幾度も いろんな人たちに声をかけられて 一緒に写真を撮ってくれと頼まれた。

    広大な敷地であるが建物の状態はあまり良くなく、全盛期を彷彿させるものはなかったと言える。中では水牛が放牧されていた。

    その後、グルドワラー・スリ・ナーナク・ジラー・サーヒブへ。田舎町には似つかわしくないほど大きなグルドワラーである。ランガルもやっている。しばらくここで流れるキルターンを耳にしつつ、夕暮れ時を楽しむ。

  • インドの言語環境はありがたい

    インドの列車内で楽しいのは乗り合わせた人たちのとの会話。この日は向かい合わせに座ったのは盲学校の校長夫妻。

    二人ともクリスチャンでセブンスデイアドベンチストの信者。教団が運営する盲学校がその職場とのこと。全国各地から来た生徒たちが、1年生から12年生までがそこで学び、高等教育機関に進学する者も多いとのこと。IT関係に進む生徒も少なくないそうだ。卒業ないしは進学後の進路は主に政府系の職場とのこと。

    いわゆる「クオータ」での採用が多いのだとか。つまり障害者のための留保。カーストや民族をベースにした留保制度についてはいろいろ問題がある(家庭の経済水準によるものではなく、出自により与えられるため)ものの、こういう制度は大切だ。

    言葉があまり通じない国だと「お仕事は?」「学校長です」「はぁそうですか」で終わってしまうため、やはりいろいろ話を伺うことができるインドにおける言語環境というものはありがたい。もちろんヒンディー語、ウルドゥー語等の現地語を知っているかどうかに限ったことではなく、英語を話す人たちがとても多いということは大変大きなアドバンテージ。

    ベトナムやタイ、イランやシリアなどではこうはいかない。

    インドという国は本当にありがたい。単に国として興味深いだけではなく、知るための扉が大きく放たれているからだ。言葉が広く通じるし、人々は大変おしゃべりであることが多い。各方面に関する英語などによる書籍も星の数ほど出ている。興味さえあれば、いくらでもいろんなことについて知ることが出来るわけだ。こういう国はそう多くはない。

  • ホメオパシー

    ホメオパシー

    インドでは今もホメオパシーのクリニックや薬局などが数多く見られる。

    日本においては公的医療としての位置づけがなされておらず、いわゆる民間療法という形だが、インドでは正式に制度化された医療の枠組みの中にあるなど、公的に位置づけられている。

    科学的評価、エビデンス等とは縁のない「医療」と呼べるのか怪しいものだが、「信じるものは救われる」のだろう。

  • まさにこの日!!!

    4月16日と言えば印鉄の記念すべき日。インドにおける植民地期の鉄道は、現在のような「国鉄によるネットワーク」ではなく、各地で操業する鉄道会社によるもので、藩王国による藩営鉄道会社もあった。

    シャクンタラ鉄道のように、ごく近年まで英国の会社が所有していた路線もあったものの、その他はすべて独立後のインドにおける「国有鉄道」として統合されて現在に至る。

    鉄道大国インドにおける「最初の列車」が走行したのは、173年前の1853年4月16日、400名の乗客を乗せてボンベイからターネー間を結んだ。

    その4年後には「インド大反乱」が発生し、北インドでは各地で開始されていた鉄道敷設工事が停止してしまうが、大反乱で戦地となった北インド以外ではどんどん進んでいたらしい。

    反乱平定後には、当初想定されていた各地の産物から成る物資の運搬や旅客の輸送だけでなく、軍事的にも「大量輸送」は極めて有効であると認識され、鉄道建設は更にアクセルを踏んで押し進められていく。道路網の整備は鉄道よりもかなり遅れて20世紀に入り、自動車が各地に登場するようになってから。

    これらの交通インフラの発展により、それまで大きな街が形成されるのは水際(海岸や河岸)に限られていたのだが、内陸の大きな川のない土地にも、水道の普及もあり、人口や産業が集積することが可能になった。

    また既存の内陸都市がハブとして物流拠点化するようになったのも革命的だ。それまでインドで商工業のハブであったのは港湾都市に限られていたのが大きく変わったのは、国道網に先んじて国内をネットワーク化した鉄道による効果。

    英国が当時のインド国家予算と別建ての鉄道予算を計上し(ほぼ同額の時期も長かった)、たいへん力を注いだ鉄道建設により、各地が結ばれて大いに交流が深まることにより、「我らインド人」というナショナリズムの高揚にもつながったとも言われる。ガーンディーその他の独立の志士たちが活躍するための下地でもあり、インフラともなったわけだ。鉄道は人々の心やスピリットすら変えた。

    インドだけでなく、鉄道の普及により大きく変貌を遂げた国は数え切れないほど多いはず。

    First Train in India: 173 साल पहले आज ही चली थी देश की पहली रेलगाड़ी, 400 यात्रियों के साथ शुरू हुआ था सफर (Nav Bharat Times)

  • サンスクリット語とドイツ語

    同じアーリア祖語から分かれていったインド・ヨーロッパ語族の言語なので、遠く離れた地域で話される言語同士であっても、起源が古い語ほど発音が似たものがあることになる。名詞のジェンダーも対応するものがけっこうあるのかどうかは知らないけど。

    このグループ(インド・ヨーロッパ語族)のいずれの言語にも完了形があり、名詞のジェンダーがあり(英語ではジェンダーがかすれてしまっているけど、船や土地などジェンダーが残る語彙も少なくない。また名詞の格変化、動詞の活用体系、音韻変化など、相互に通じないのに、同じような特徴があるのは、やはりアーリア祖語からそれぞれの言語に引き継がれたレガシーらしい。

    それとこのグループの言語の中の親族名称で似たものが共有されているのは当然、人の言葉でとりわけ古くからの語彙であるからなのだろう。偶然や他人の空似ではないはずだ。

    言葉というものは実に面白いと思う。

    Sanskrit and German (facebook)

  • エアインディア客室乗務員は肥満で受難

    これは本当だろうか?

    たしかに肥満が多いインドで、ふくよかな体型のアテンダントが少なくないエアインディア。国営時代のベテランを排除して、他社同様に若いスタッフで揃えようという人員整理の目的もあるのでは?

    インドのこうした体重制限は以前から民間航空会社では実施されていたようだ。髪型にも一定のルールがあるため、機内にはだいたい同じような背格好のアテンダントが乗務しており、工場から出てきた規格製品かと思うほど。なんでもてんでバラバラの国にあっては珍しい眺めだ。

    しかし個人的には顎が二重でお腹がプルンとふくよかでこそインド人らしいインド人だと思うので、こういう制限は極めて好ましくないと思う。

    「肥満の客室乗務員、即時に乗무排除・給与削減」…エア・インディアの新規定に波紋(朝鮮日報)

     

  • 政治の季節

    インドは目下、「政治の季節」を迎えている。今月から6月にかけて、西ベンガル、アッサム、ケーララム、タミルナードゥの各州及び連邦直轄地(UT)のプドゥチェリーでヴィダーン・サバー(州議会)選挙が行われる。

    とりわけ注目されているのが西ベンガル州。インド東部でも攻勢を強めているこの地で、長く与党を務めてきたマムター・バナルジー率いるトリナムール・コングレスの追い落としを図るBJPが果たしてこれを成し遂げるのか、あるいはベンガルの民族主義派のトリナムールが再び勝利を重ねるのか。

    もともと共産党が1977年から2011年まで与党に君臨してきた「赤い州」であったが、これを追い落としたのがベンガル民族主義政党のトリナムール。極めて鮮やかな「サッター・パリワルタン(政権交代)」で、州政治の潮流が一気に変わった。

    ここに来て浸透を図るBJPとは激しく対立しており、ときおり両者の活動家たち同士の暴力的な衝突が起きている。

    興味深いのは、もし今回政権交代が実現すると、西ベンガルにおける民族主義的な主張が影をひそめて、中央政権に融和的なマジョリティーに取り込まれる形になることだ。

    実は隣接するアッサム州でそのようなことが起きている。

    独立以来70年代までは国民会議派が与党にあったが、80年代以降はアッサムの民族主義勢力が台頭。マジョリティーのアッサミーズ以外のボードー族その他も政治勢力を立ち上げ、非常に不安定になった。その後、州議会が機能不全となり、中央による大統領統治が実施されるも、武装勢力化した各民族主義組織による内戦状態と言ってもよい混迷の時代となったのが80年代から90年代初頭。この時期には外国人旅行は入ることが出来なかった。

    そして90年代に情勢は落ち着き、国民会議派政権、そして新興の民族主義政党による政権を経て、政権の座は再度国民会議派の手に。それでもやはりアッサムはインドの辺境地域として独自性を持ちながら、やもすればいつ反中央の火の手が上がりかねない不安定な状況が続いていた。

    それに終止符を打ったのが、2016年ヴィダーン・サバー選挙で起きた「サッター・パリワルタン(政権交代)」。以来、BJPが政権を担っている。

    もちろんBJPの議員たちはすべてアッサムの地元の人たちなのだが、言葉はアッサム語を喋っていても、話す内容はモーディー首相やアミット・シャー内相などと同じ。中央政府のモーディー政権にもアッサム出身の閣僚が複数登用されており、いつの間にかアッサム州が「辺境州のひとつ」から「マジョリティーのひとつ」へとステップアップした感がある。それ以前の「反逆的な地域」としての印象はすっかり影を潜めた。

     

    またBJP言うところの「ダバル・インジャン・サルカール(Double Engine Governance)」により、中央とアッサムの意思決定が一本になるため、様々な開発プログラムやパッケージがどんどん通りやすくなり、地域の発展が加速されているとされる。実は連邦直轄地(UT)のラダックでも同じことが起きている。(ラダックでは昨夏以来、BJPとの関係には複雑なものを含むようになっているけれども)

    アッサムと違い、西ベンガルは中央に対して反逆的な風土ではもともとなく、文化的にも政治的にも「マジョリティーの中の核心部のひとつ」といった位置にあるため、BJPが政権与党となれば、ますますのこと、中央との統合、融合が進んでいくのかもしれない。

    もうひとつ、規模は小さいが注目されるのは、連邦直轄地(UT)のプドゥチェリー。こちらは投票日が今月9日と早いのだが、地域的にはタミルナードゥの中からえぐり取られた旧仏領地域ではあるものの、与党はDMKやAIADMKではなく、現地政党とBJPによる連立。

    ずいぶん長いこと、州への昇格(「昇格」とするのが適当かどうかはわからない。統治の仕方の違いであり、州が上、連邦直轄地が下と単純化できないためだ。)を望む声が強いのだが、まだ実現していない。人口100万人にも及ばない地域ではあるものの、現にスィッキム州は60万人強、ミゾラムは110万人というあたりを見れば、歴史的経緯と人口規模においては相応であるようにも思える。

    州への移行に理解を示しているのが、NDA(という政治アライアンス)と対立する国民会議派側の勢力UPA。今回の選挙で、「州への移行」も焦点のひとつとなっているため、プドゥチェリーで「サッター・パリワルタン」が起きる可能性が充分にあるのだ。ただし中央の政権はBJPであるため、「プドゥチェリー州成立」には至らないようにも思える。

    それにしても同じタミル系の人々が暮らすプドゥチェリー、旧仏領であったとはいえ、世代は変わるし、プドゥチェリーをインドが実効支配するようになったのは1954年。つまり72年も前のこと。(法的にインドの一部としての統合は1962年)

    現在までの間に住民の移動も盛んであり、プドゥチェリーに住んでいるからといって、旧仏領地域の人々の子孫とは限らない。これはゴアでも同様で、今やカトリックは州人口の中ではマイノリティーとなっている。

    そんな具合であっても「土地柄」「風土」というものは外部からの移民をも交えて継承されていくものなのだなぁと興味深く思う。

    インドという国は何かにつけて実に面白く、好奇心を刺激してくれるため、そこから流れてくるニュースには耳を傾けずにはいられないのである。

    Upcoming Elections in India (The Indian EXPRESS)

  • 世俗的な国イラン

    イランを「狂信的なイスラーム教の国」とか、1979年のイスラーム革命を「国王に対して熱心なムスリムの国民が立ち上がって打倒し、イスラーム共和国を創った」と誤解している人があまりに多いことはいつもながら残念。

    伝統的に世俗的なのがイランであり、今のような聖職者たちが頂点に立つようになったのは初めてのこと。

    そしてイランの革命自体についても、「篤信なイスラーム教徒たちがシャーを追放した」のではなく、右派勢力(民族主義派)、インテリ層、左派勢力等々が王政の転覆を目指してそれぞれ活動していたものの、思想や価値観が異なるため、ひとつの大きな流れにはなれなかった。そこで「ムスリムという共通項」を繋いだのが、少数派の宗教勢力。そこで見事に異なる人々が手を結んで革命を成就させたという形。

    数は少なくても組織力に長けていた。シャーを追い出した後、革命評議会、革命防衛隊、革命裁判所を組織し、軍、警察、司法等を宗教勢力が握った。

    これによりシャーを追い出すために共闘していた民族主義勢力、インテリ層、左派勢力を排除し、有力者たちを前述の革命裁判所で次々に処刑。これにより本来ならば多数派であったはずの世俗勢力を支配層から排除し、大衆が望まない社会のイスラーム化を進めることになったわけだ。

    つまり様々な異なる意見を持つ世俗勢力がひとつにまとまるための旗印として利用したつもりが、逆に宗教勢力に利用するだけ利用され、革命が成就して体制が流動的な時期に、烏合の衆の多数派である世俗勢力が互いに反目したり、新たな体制造りにモタモタしているうちに、少数派の宗教勢力による策略にハマり、排除されてしまったのだ。

    当然、少数派の宗教勢力にとっては彼ら自身への支持はまったく厚くないことを知っているため、徹底した監視体制を敷いて「イラン・イスラーム共和国」の歴史を紡いでいくことになった。

    簡単に言えば、このような具合なので、イランは「狂信的なイスラーム教徒の国」などでは決してなく、極めて世俗的な人々の国である。そのため欧米などに移住しても、他国からきたムスリムの人々と違い、モスクなどの礼拝施設すら建てないことが多いほどなのだ。

    端的に言えば、「ムスリムではあるけど、見た目も気質も欧州人みたいな人たち」でもある。

    「イラン人は狂信的」は誤解、個人主義的傾向も 藤元優子・大阪大名誉教授(日本経済新聞)

     

     

  • 進化

    進化

    昔のいわゆる「デザート・クーラー」は(簡易クーラー)は無骨な金属製ボディーに麦わらが入っていたけど、今はこんなにスマートになり、中には樹脂繊維みたいなのが入っている。いろいろ進化するものだ。

    金属ボディーのものは運転させると轟音がしたけれども、最近のものは静音化も図られており、なかなか静かになっている。

    ファン形状、モーターの改良、防振マウントを付けたり、インバーター制御を導入するなど、要は技術が進んだというわけだ。

  • バッドデザイン賞

    バッドデザイン賞

    ハイデラバードでの宿泊先に着いたとき、グーグルマップを見て「ここかな?」と思いつつも、パッと見た感じで「New Hotel Suhail 」とは読めず、前を2度素通りしてしまった。「Suhail」に変な赤が入っているため、視覚を邪魔するのだろう。個人的に「バッドデザイン賞」を贈りたい。

    それにしてもSuhailはオーナーの名前かもしれないけど、なぜわざわざムスリムとわかる名称にするのだろうか。ニュートラルな名前、英語でも一般名詞にでもすれば、顧客をある程度絞ることはないのに。マーケットは間口が広ければ広いほど良さそうに思うが。

    昨日朝食の席で見渡したところ、いかにもムスリムという宿泊者が多かったが、敢えてムスリム客を集客したいという狙いがあるのだろうか。こういう宿はインドでよくあるため、やはりムスリム客に商圏を絞ったマーケティングなのかもしれない。

    もちろんこれとは真逆に今どきの風情とシンクロしたサフラン的な名前のヒンドゥーのホテルも多い。その一方で、どちらにも組みしない感じのニュートラルなホテルも数多くある。そうしたバリエーションもインドらしくて面白いところだ。

    ホテルといえば、宿泊するホテルではなく、インドでいう食事処としての「ホテル」つまりレストラン、食堂、安食堂で、ヴェジの店であればヒンドゥー教徒による経営と普通は思うし、そういう店が大半であるとは思うが、必ずしもその限りでもないようだ。

    ハリドワールでの話となるが、ヒンドゥー暦のサーワン月(7月前後)に毎年行われるサーワン・カーンワル・メーラーで巡礼たちが通るルート上にある菜食の食堂では、案外ムスリムのオーナーがヒンドゥーの店員を雇って営業しているところがあるようだ。

    資本がムスリムでも、ヒンドゥーの人たちを雇い、きちんとルールに従って営業していれば、それで良いではないかと思うのだが、右翼のBJPが与党となっている州の中でも「最右翼」に位置づけられるヨーギー・アーディティヤナート(自身が長らく右翼活動を続けてきたとともに、ゴーラクプルのゴーラクナート寺院の高僧でもある。)政権下で、「オーナーの名前をきちんと表示するように」というお達しが出るなどしていた。名前で信仰が判ってしまうため、ムスリムがオーナーの店は大いに困ったそうだ。

    これがメディアに取り上げられたため、大いに議論の的となったが、実はそれほど「ムスリムオーナーによるヒンドゥー向けの菜食主義の店」は珍しくはないらしい。それはそれで前述のとおり、きちんと運営していれば大いに結構ではないかと思うのだが、そのような形で炙り出して排除してしまおうとするのは残念な限りである。

  • ハイデラーバード

    ハイデラーバード

    フルーツの露店が並ぶ橋の上にて。スイカとチックー、ザクロとパパイヤが同時に出回るという奇妙な季節感。インドの南北からいろいろ入ってくるからこうなるのである。

    あと面白いのは博物館の休館日。世界の多くで(日本でも)月曜日は休みということが多く、インドでもそうなのだが、ハイデラーバードは例外的に金曜日休館というところがマジョリティ。

    評判の良いグランドホテル(というレストラン)はやはり混んでいた。ビリヤーニーは「ミニサイズ」を勧められたが、やはりそれでも1人でなんとか食べ切れるサイズであった。

    グランドホテルでビリヤーニーの後、シメは甘いものを。「Double Mithai」とメニューにあり、「ミターイーの2種盛り」かと思って頼んでみると、まったく違った。「Double」ではなく「Dabal」つまり「Dabal Roti」つまり食パンを用いたミターイーであった。これはこれで美味しい。

    ハイデラーバードは不思議な街だ。デカンの街なのに、道端や店で人々か話す言葉がわかることが多い。街の外はテルグ語の世界なのに、ここはウルドゥー語圏の飛び地である。