街角のよろず屋の風景

極小の間口、中で店主が椅子にでも座るとそれでいっぱい。

そんな小さな店ながらも、なかなかの品揃えの雑貨屋さん。限られたスペースを「店舗兼倉庫」としてフル活用。先入れ先出しで品物を効率よく回転させていくこうした店はカッコよくはないかもしれないけど、ある種の機能美を感じる。店頭で何かを頼むと、迷うことなく数秒後にはカウンターの上に「ほらよ!」と出てくるものだ。

もちろん店主の人柄、性格にもよるので、狭くてかつ埃だらけだったりするところもなくはないものの、たいていは上手に切り盛りしている。

おそらく父親から教え込まれたこと、自ら経験して得てきたことなどが、店内に反映されているのだろう。

長年立ち寄ることが多い街角では、そんな店の中にいる人が年配男性からいつの間にか若者になっていて「代替わりかな?」と思ったり、まったく別の店に入れ替わっていることに気が付くこともある。

いつも同じに見える一角も、実は日々少しずつ変化している。ちょうど店の中の品物がお客に売れて新しい商品が入荷したり、製品が廃版となり、後継商品が発売されたりという具合に、街角の中身も入れ替わっていくものだ。

いろいろな人やモノがぎっしり詰まっているのもまた、街角のよろず屋さんのたたずまいに似ているように感じる。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

真冬のコールカーターで30度超え

コールカーター在住の方から送られてきたヒンディー語のニュースクリップで、「カルカッタ及び周辺で30℃超え」を報じる動画があった。

ググッてみると、やはり本日1月10日(日)のカルカッタの気温がこんなことになっている。

比較的海に近いためパンジャーブ、デリーやガンジス平原部ほど厳しい寒さにはならない(東京の冬と同じくらい寒い。期間は東京ほど長くはない)とはいえ、今ごろの時期はセーターや上着を着て、ほおっかむりまでして「寒い、寒い」と言っているはずの時期なのに。

いったいどうしたのだろう?

寒すぎる真冬の東京も30℃とはいわずとも20℃くらいになってくれるといいんだが。

寒すぎて外に出るのに勇気が要る。

夜遅く着いたときの宿

こんな思いをしたことのある人は少なくないだろう。

路地裏にあるホテル、夜遅い時間帯に戻ろうとすると、行く手を阻む野犬集団。通りかかる人があれば、テキトーにくっついてやり過ごしたいところだが、あいにく誰もやってくることなく時間が過ぎていく。

そんなこともあるので、あまり路地裏深くにある宿はなるべく利用しないようにしている。できれば表通りにあればなお良い。クルマの騒音だの街のざわめきなどというのはまったく気にならないほうだ。普段生活している環境がいつも騒々しいからということもある。

遅い時間帯に鉄道やバスで到着した場合、駅やバススタンドすぐ近くのエリアの宿が取れるといいのだが、これらがひどく街外れに立地していることだってあるので、いつもそうとは限らない。

ちょっとした大きさの鉄道駅の場合、「リタイアリングルーム」が利用できるとたいへんラッキー。今は空きがあればネット予約することも出来るため、鉄道に乗って目的地の宿をまだ決めていなかったら、ウェブで確認してみると良いかもしれない。最大48時間しか滞在できないとはいえ、鉄道好きな人にとっては「駅に宿泊」というのもなかなか良いものだし、深夜あたりになって到着してクタクタの身にはとても助かる。

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「ヒルステーション」としてのラーンチー①

ラーンチーと言えば、2000年にビハールから分離して成立したジャールカンド州の州都となる前まで、「ヒルステーション」として知られていたが、ロンプラには「特に観るべきものものはなし」という風に書かれていたように記憶している。よく出来たガイドブックではあるが、そこに「見るべきものはない」と書かれていても、実際に何もないわけではないことが多いように個人的には思う。

たしかここは、暑季の保養地というよりも軍の駐屯地としての性格のほうが強かったように思う。ヒマーチャルプラデーシュ州にあるシムラーに対して、そこからさほど遠くない場所、つまりチャンディーガル方面に少し下ったところにあるカサウリーもそうだ。「夏の首都」として行政の中心地としての前者に対して、後者は軍のために用意されたヒルステーションであった。

現在もカサウリーにはインド軍が駐屯している。アングロ・インディアン作家のラスキン・ボンドがカサウリーの生まれということだけで、何かロマンチックな場所のように思われている面もあるが、シムラーのような華麗な場所ではない。それでも「アジア最古のビール」で知られるゴールデン・イーグルの醸造所が最初に開かれたのもカサウリーであった。

ウッタラーカンド州のマスーリーでは、軍の傷病者の治療施設が多く作られるとともに、結核患者用のサナトリウムも多かったなど、「ヒルステーション」とひとことでは括ることのできない、それぞれの特徴があった。

それはともかく、ゴチャゴチャと混雑している街、ラーンチーが、かつて「ヒルステーション」「保養地」として知られていたのは信じられない向きも少なくないかと思う。土地もほとんど平坦で、山の斜面に位置しているわけではなければ、丘さえも見当たらない。

ただ、ここは標高のある高原のため、気温は周辺地域よりもかなり低いため、夏季は比較的過ごしやすく、冬季はかなり冷え込む。

昔、ラーンチー出身の英国人に会ったことがある。1980年代終わりくらいの時期だったが、イギリスで仕事を引退して故郷を訪問していたとのこと。ラーンチーについてはとりわけ思い入れが深いようで、いろいろ話をしてくれた。前述のとおり、当時のロンリープラネットのガイドブックには「これといって観るべきものなし」みたいなことが書かれていたが、案外そうでもないのかも?と彼の話を聞いて思った。

英領時代は今のビハール地域で暑い季節だけパトナーに替わる夏の都として機能しており、英領期の建物などはけっこう残されている。独立運動に関わった政治犯を処刑した絞首台なども現存していると聞く。ラーンチーが今のような大都会になったのは、2000年にビハールから分離してジャールカンド州都となったからのことらしい。

州都だけに良質で美味しいものを食べられる場所には事欠かない。

〈続く〉

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

おじいちゃん 、おばあちゃんの公園

ボンベイの湾岸風景の美しさをアピールするためにチョウパッティービーチから撮影した写真をよく見かけたことがある。本当に良い眺めだ。ブラジルのリオデジャネイロの海岸風景に匹敵するだろう。いや、それを凌駕すると言いたいところだ。

さて、そのチョウパッティービーチの背後に静かで素敵な公園がある。界隈に住んでいるらしい年配者たちが静かに歓談しているが、よく整備されているのにとても空いている。

入口のゲートに回ると「ナーナー・ナーニー・ウデャーン」と書いてある。おじいちゃん、おばあちゃん公園とは変な名前だが、園内はきれいでとても静かだ。

ここに足を踏み入れてみると、ちょうどここから帰ろうとしているおじいさんに注意された。「ここはシニアシチズン専用なのです。申し訳ないけれどもね。そういう年代になってから来てください。」

ゲート付近に注意書きらしきものが出ているが、マラーティー語のみで書かれているのでよくわからない。同じデーヴァナーグリー文字を使う言葉でもネパール語はヒンディーの知識である程度の見当がつくが、マラーティーだともう少し距離があるようだ。看板に出てくる「クリパヤー」「ナーナー」「ナーニー」とか「スーチナー」あたりは共通なので拾えるのだが。

ここは、還暦を迎えないと入ってはいけないとのこと。そういう公園があるとは思わなかった。

「NANA NANI UDYAN (おじいちゃん、おばあちゃん公園」と書かれている。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。