THE LINE

サウジアラビアが推進する国家プロジェクトとしてのスマートシティ「THE LINE」の建設。

埋蔵量世界一の豊かな石油資源と石油後を見据えた展望のもと、外国からの技術と投資を呼び込んで、まったく新しいコンセプトの街が生まれようとしている。

幅200mで長さが170km、三層構造で居住、インフラ、交通とそれぞれの役割が分かれているとともに、自動車のないどこにでも歩いて行ける街らしい。地域間の往来はどのような具合の「交通機関」が用意されるのだろうか。

もしかしたら将来、地球外の惑星に都市が建設される際に利用するであろう技術やアイデアも投入されるのか、あるいはそれを見込んでのテストケースでもあるのか。

建築家にも建設会社にとったも、まったく新しいコンセプトや技術で取り組むことのできる非常に楽しみなプロジェクトなのかもしれない。

フェーズ1部分は2030年までに完成予定なのだと。そのあたりでどのようになっているのか報じられるのが楽しみだ。

このプロジェクトに参画するインド人技術者や労働者も多数あることだろう。地理的に近いだけでなく、経済的な繋がりも強いサウジアラビアとインドなので、このプロジェクトの進展も詳しく伝えられるはずだ。

THE LINE (NEOM)

デリーの洪水

ここ数日の間、ヤムナ河の水量が危険レベルを超えているというアラートが流れていたが、ついにデリー市街地内の低地で本格的な洪水に見舞われる地域が出てきている。

これはデリーに大雨が降ったためというものではなく、前述のとおり数日間に渡り警報が出されていたことが現実となったものである。つまり上流地域における豪雨により予見されていたものであるとも言える。

デリーは雨期でも極端な影響を受けにくい都市なのだが、市内の局地的な豪雨による冠水であったり、ニューデリー駅からの鉄路が橋梁を超えるミントー・ロードに架かる「ミントー・ブリッジ」をくぐる道路が少し低くなっているため、まとまった雨が降ると、その部分は車両が水没する「洪水的な絵」が撮影できることから、豪雨を象徴するシーンとして、その様子が各メディアに掲載されることはしばしばある。いわば「フェイクなデリー洪水画像」である。

ところが今は、そうした「フェイクの洪水」ではない、「リアルな洪水」がデリー市内で起きているとのことで、当該地域に住んでいる人たちはたいへんだろう。

ヤムナ河沿い地域からは、マトゥラーやアーグラーからも同様の報道があり、今後しばらくは続くことになりそうだ。

Delhi Floods: Parts Of Delhi Submerged As Yamuna Overflows; Drone Footage Reveals Predicament (The Indian Express)

 

インドの慧眼と叡智

インドで洋式便器の便座がしばしば壊れている理由。タイでもその行為を禁じる表示があるからには、そういうことをする人があり、破損する便座があるのだろう。

なぜこういう無理な座り方をするのかといえば、便座が汚れたままであったり、あるいは人の尻が触れたところに直接腰を下ろすのを潔しとしない人がいたりするため。前者については清掃環境上の理由であるが、後者についてはトイレ文化の違いからくるもの。トイレ空間で「文明の衝突」が発生したことによる悲劇と言える。

インド世界には、しばしば「ジュガール」と表現される柔軟思考法がある。日本でもう何年も前に「ジュガード」という少々誤った呼び名で紹介されたこともあったので記憶されている方もあるかもしれない。

そのジュガールとは、「間に合わせ」「やっつけ」と言われることもあるが、何かと物が足りない、本来あるべきものが手に入らないといった第三世界によくある状況下で、「それでも可能な範囲で必要な効果を出す」ポジティブシンキングによるダイナミックかつ生産的な試みだ。

これはバイクを改造してテンポーにしたりとか、農村で食い詰めてやむなく都会に出てきてスラムに廃材やビニールシートなどを使って居住空間を作ったりしたりといった「やっつけ」もあるが、バングラデシュのグラミーンバンクに代表されるようなマイクロクレジットのような素晴らしいをも創出している。

さて、このジュガールだが、実は先述のトイレ空間における文明の衝突という惨事に対しても画期的かつ合理的な解決方法をずいぶん昔に提案している。それが以下の「印欧折衷型便器」の発明だ。

印欧折衷型便器

これは洋式トイレとしても、はてまたインド式トイレとしても利用できるようにデザインされており、本来の洋式トイレを無理してインド式に利用するという「禁じ手」の際に問題となる両足の置き場をギザギザの刻まれた幅広のステップで対応し、背丈を下げることにより高さからくる不安定さをも解決している。たいへん人に優しい「人間本位」の発想だ。

このタイプの便器は、インド世界ではかなり高い普及を達成している。いわゆるミドルクラス以上の場所ではほとんど見られないが、それ以下の場所では相応の広がりを見せ、利用者の意図せぬ便座の破損というある種の文化紛争の防止に高い効果を示すとともに、折衷式の利用をきっかけに、本格的な洋式の利用にも慣れるための一助となってきた。

日本においては、洋式トイレはすっかり定着したかのように見えるが、今なお熱心な和式信奉者は年配者を中心に15%程度存在していると分析されるし、広範囲な世代にわたる「朝は和式でしっかりと気張りたい」という潜在的和式支持層も含めると、総人口の3割近くに及ぶであろうという指摘すらある。

そんなことから日本においても、インド発の折衷便器の潜在的需要は相当見込めるという状況がある。インドのジュガール思考法と多様多層な文化背景から生まれる発明には、文化や伝統の違いから生じる軋轢や摩擦をうまく回避し、一挙両得な解決へと導く深淵な知恵と発想に満ちている。

トイレひとつ取ってみても、私たちが真摯に学ぶべき慧眼と叡智の片鱗が容易に汲み取ることができるのが、インドという国の偉大さであり、間違ってもインドに足を向けて寝るわけにはいかない。

もはや今となっては印欧折衷式便器の発明者が誰であったのかすら記憶されないほど普及しているが、本来であればノーベル賞が授与されて然るべき、偉大な発明であった。「紛争回避」という意味から、もちろん「平和賞」が相応だ。

戦争、紛争、テロ等は必ずしも武器を取っての軍事衝突に限らず、どこにおいても発生し得るのだ。たとえトイレという密室空間においても然り。文明の衝突による甚大な被害を未然に防いできたのが印欧折衷便器であった。

ラダックの願い

社会/環境活動家、教育者として有名なラダックのソーナム・ワンチュク氏。彼がモーディー首相が国民に語るプログラム「MANN KI BAAT」にかけて、ソーナム・ワンチュク氏自身がモーディー首相に語りかける「MANN KI BAAT FROM REMOTE LADAKH」を公開したのは今から3年前のこと。

2019年10月に突然、ラダック地域を含むJ&K州がUT(Union Territory=連邦直轄地)化されるとともに、カシミール地域から分割された。ラダックにおいては長年の悲願であったカシミールとの分離は好評であったものの、その後の行方は大いに不透明なものがあった。州としての自治、その中でのラダック自治山岳開発評議会としての自治権で保護されてきたラダックのステイタスは、中央政府による直轄統治によりどのようになっていくのかはまったく示されていなかったためだ。

この部分についての不安の声は分離当初からあったのだが、こうした思いを代弁する形で分離から3カ月後に発表したのが、前述のワンチュク氏による「MANN KI BAAT FROM REMOTE LADAKH」であった。

モーディー首相への支持の表明、カシミールからの分離についての感謝の意を示すとともに、ラダック地域の人々はインド平地に出ると差別的な扱いを受けることが少なくないながら熱烈な愛国者であることなどを語るとともに、ラダックが部族地域であり保護されるべき対象地域であることを説いている。

また環境的にも繊細な地域あること、文化的にも大きな岐路にあることを挙げた上で、ラダックの保護のために新たな法律の制定を求めているわけではなく、インド国憲法付則第6の対象地域にラダックも含めてくれるようにと求めているだけなのだと訴えている。そして「インド政府は私たちに翼を与えてくれた。私たちに飛翔する自由を与えて欲しい」と詩を引用してその想いを説くワンチュク氏。

ラダックが現在置かれている状況について、「人々のインドへの愛情が失われる前に・・・」「(インドからの)分離要求が持ち上がる前に・・・」という思いは、果たしてモーディー首相に、そして中央政府にしっかりと届いているのか、それともこのまま黙殺してしまうつもりなのか、と気になっているところだ。

「インド憲法付則第6」にいても少々説明しておこう。

インド憲法における12の付則(Schedule)の中にある付則第6とは、以下のリンク先のある内容である。

Sixth Schedule(BYJU’S EXAM PREP)

この対象地域にラダックも含めてもらいたいというのが、ソーナム・ワンチュク氏を始めとするラダックのおおかたの人々の願いである。インドの他の地域と同じように人々の移住や投資が自由なものとなり、地域外から大勢の「インド人たち」が押し寄せてくるようになると、たちまち土地は彼らに買い上げられてしまい、長年ここで暮らしてきたラダック人たちがインド人の大海の中のマイノリティーになってしまう。また大規模な投資を背景に大きな産業が興ったり、資源開発など乗り出すことになってしまうと、自然環境も大きくバランスを崩し、これまで大切に育まれてきたラダックの大自然の上に成り立ってきたラダックの人々の生活も成り立たなくなってしまうであろうからだ。

What’s driving the protests against the Centre in Ladakh? (Scroll.in)

ディバイダー(中央分離帯)

信号機はほとんどないため、気を付けて横断することになるが、道路の上下線の境にディバイダーがあるかないかでずいぶん渡りやすさというか、安心感が違ってくる。

どちらからもクルマやバイクが途切れなく走っていて、バスやトラックなどの往来も多いと、ディバイダーのない中央部分で途切れるのを待つのは不安だ。両側から大型車がやってきて、自分のところで上下行き違ったりすると、それこそ全身が縮み上がる思いがする。中央をはみ出して走行してくるクルマもあるし、よく見えなくなる日没後は恐怖である。

そんなわけでディバイダーがある道路だと安心して渡ることができる。だが幅員の大きな道路ではディバイダーが超えられないくらい高かったり、フェンスが張ってあって渡ることができなかったりする場合もあるので、なかなか油断がならない。

ディバイダーがないため渡りにくい道路
ディバイダーがあるため渡りやすい道路