サンガムへ

宿での朝食

宿での朝食後にオートでサンガムへ向かう。

ここにクンブメーラーの開催時にはボートの客引きがたくさんいるのだが、いずれも大変吹っかけてくるため、乗る気を失う。単に観光だけでなく散骨のために来て入る遺族たちもある。

とにかく汚い河岸だが、ここでクンブメーラーの大きな祭礼が行われ、たくさんの行者たちと無数の信者たちが押し寄せるわけだ。

ここにはムガルの巨大な城もある。アクバル・キラーだ。ムガル時代の城塞で、現在はインド軍駐屯地になっている。ちょうど廃藩置県の後の日本で、お城を警察や軍隊が使用したように、インドでもかつての王宮や城が軍施設となった例は多い。まとまった広さがあること、城壁内なので秘密とセキュリティーが守れること、そして権力の象徴を継承するという意義もあったことなど、その理由はだいたい同じだろう。

アクバル・キラー

ごく一部だけ、お寺が入居していて、参拝することができる。お寺と言っても建物らしい建物があるわけではなく、地下に掘った細くて狭い構内に数々の神々が鎮座しており、それぞれに専属のプージャーリーが付いている。みんなものすごい売り込みようで際限なく賽銭を巻き上げるシステム。

城塞の中には、このお寺以外は特に見るべきものはない。大半が軍施設となっており、立ち入り禁止であるからだ。

サナータン・ダルム

近年は、「サナータン・ダルム」(永遠不朽の教え)という言葉をしつこいほど耳にするようになっている。

昔からヒンドゥー教のことを、そう表現することはあったが、最近はイスラー厶教、キリスト教などと対比させての「真理」というような具合での言質であったり、インド固有の文化背景をも含めたそういう物言いであったりする。

とりわけBJPのリーダー、活動家などが口にしてきたが、今や市井の人たちもよくそういう言い方をするようになった気がする。テレビなどで幾度も幾度も耳にすると刷り込まれてしまうものらしい。

私ですらインドの人と話していて、ついつい「サナータン・ダルム」などと言ってしまうほどだ。影響されやすいのは誰もが同じ。

The Science Behind Sanatan Dharma (Sadhguru)

素性の良さそうなお寺

マニカルニカーガートからしばらく上がると、素性の良さそうな洒落たお寺があった。

ビハールの人が寄進した寺とのことで、建てたのはまだ100年ほど前とのこと。お寺と植民地建築が合体したかのようで、背丈の高さの部分はいかにもお寺だが、上階は往時に流行った印洋折衷のハヴェーリーにしか見えない。

不思議なお寺があるものだ。ここでは祭司としての若い見習いの者たちもいたが、お坊さんになるにも、小洒落たところに住むことが出来るのは、なかなかいいなぁと思う。

カーシー・ヴィシュワナート・コリドール

バナーラス訪問の目的のひとつは、「カーシー・ヴィシュワナート・コリドール」を訪れること。かつてゴチャゴチャした迷路のような路地にあった通称「ゴールデン・テンプル」ことカーシー・ヴィシュワナート寺院のために周辺地域の建物をことごとく壊して更地にしたうえで、大きなゲートと壁に囲まれた聖域を「ゴールデン・テンプル」を中心に構成し、ガンガーのガートからこの寺の本殿まで直進できるようにするという壮大なものだ。

ガンジス河岸から直接ヴィシュワナート寺院に入れるようにしてある。

これは選挙区をお膝元のグジャラートから、地縁のないバナーラスに移したナレーンドラ・モーディーが公約として掲げたプロジェクトのひとつで、コロナ禍の時期に一気呵成で進めて完成している。もちろん2017年に成立して現在2期目のヨーギー・アディティヤナート率いるBJPによる州政権あってのことでもあるが、よく言われるところのダバルインジャン・サルカール(double engine goverments=中央のBJP政権+州のBJP政権)により、たったの3年間あまりで仕上げたものである。

政治と鉄道を中心としたインドウォッチングを趣味とする身としては、ここの見学はマストであるため、早朝の比較的空いている時期に向かうことにした。この「コリドール効果」はてきめんなようで、4割近く訪問者が増えているのではないか?という街の声もある。(途中、コロナ禍の時期を挟んでいるため、真相は定かではない)

身分証とお金以外、あらゆるモノの持ち込みが禁止(腕時計すらダメ)されているため、宿にすべてを残して早い時間帯に出かけてみたが、入場に何時間もかかると思われる行列にたじろぐ。

しかし事前にここ「ゲートNo.4」にはVIP用出入口と有料出入口が設けてあり、インド人は祭司にプージャーをしてもらうという名目と権利(300Rs)を買い、外国人はプージャーの権利なしで外国人料金(600Rs)を払って、行列することなく入場することができるようになっている。いかにもインドらしく、お金がなくてもその目的を果たせるエコノミーなルートとお金を払って面倒を回避するシステムが用意されている。

結局のところ、衣食住すべてが同様で、限りなく安く済ませることは当然可能で、そこからくるしんどさ、不衛生さ、面倒くささをそれなりの対価を支払って避けることができるようになっているのだ。

空調の効いたラウンジのような専用のチケット売り場でパスポートを提示して支払いを済ませると、作成した係の人がプージャーの権利を買ったインド人家族とともに特別入場口へと杏奈してくれる。そういう待遇を受ける身であることがひと目でわかるように、肩から大きな目印がかけられる。

ひとつ残念なのは中は撮影禁止であるどころか、携帯も持ち込めないため、写真が1枚も手元に残らないことだが、こればかりは仕方ない。

大きな門や境内の各種建物を抜けた先に、あの「ゴールデン・テンプル」が姿を現している。「コリドール」が出来る前は、ヒンドゥー郷土以外は入ることが出来なかった(ときどきチョロっと潜り込んで、ちゃっかり写真を撮って出てくる旅行者はいた)はずなのだが、今は万人に開かれた寺となっている。そういう「Inclusive」な姿勢が今のインドの右翼政権の特徴で、一般的な意味での保守ではないし、復古主義でももちろんない。昔はなかった新しいヒンドゥー思想を軸にした動きと言える。

昔々、このお寺のすぐ隣にあった宿に泊まったことがある。その建物のすぐ下にこの金色のシカラーを持つお寺を目にしていたが、いまや周辺すべてが取り壊されて、大きな境内となっているのが何とも不思議な気がする。

この寺を中心とした「コリドール」とセットで見学したかった「ギャーンヴァーピー・マスジッド」だが、このコリドールとぴったり隣り合っていることがわかった。ゲートナンバー4から入り、まず目にするのが金属フェンスで囲まれたそのモスクであるからだ。

ここはかつてヴィシュウェーシュワル寺院であったとされ、ムガル帝国のアウラングゼーブ帝の次期に取り壊されてモスクになったとされる。「地元のヒンドゥー教徒の主婦たち」が裁判所に訴えをおこし、「ヒンドゥー教徒たちがここでプージャーを行う権利」のためという訳のわからない裁判が進行中。もちろん主婦たちというのは表の顔で、背後で操作しているのは右翼団体であるようだ。

提訴当時はただの話題作りや反ムスリムの機運醸成ともみられ、早々に棄却されるとの観測もあったが、裁判の中で原告側の巧みな策略のため、「それでは本当にそのような過去があったのか長座せよ」とインド考古学局(ASI)に命令が下り、昨日から調査団がモスク内に立ち入って調べを開始している。現在もここでムスリムの人たちの礼拝は実施されているが、トラブルを避けるため、ムスリム以外の入場は禁止されているとのこと。

それにしてもモスクなどイスラーム教徒の礼拝施設で、ペルシャ語やアラビア語から来た名前ではなく、「ギャーンヴァーピー(知識の泉、知識の井戸)」というサンスクリット語の名前が付いているモスクなど他にあるのだろうか?単に「カーシー・ヴィシュワナート寺院」というバナーラスを代表する名刹の隣にあるだけでなく、このような名前であるがゆえに、象徴的なものとして攻撃の対象になるのではないだろうか。

この「ゴールデン・テンプル」訪問後、さきはどのラウンジみたいなチケット販売所でプラサード(神様からのお下がり)をいただき宿に戻る。

「チョウク」のある家

ワーラーナスィーでの宿は昔ながらのお宅という感じの建物。おそらくもともとそうだったのだろう。子沢山世帯とか、複数世帯で暮らせるようになっているのは、昔の「ジョイントファミリー」という生活形態が普通であった頃のもの。

時期が下ってからは、下宿人を住まわせていた時期もあったはず。建物の形はいびつだが、中央には大空に通じる吹き抜けがあり、それを囲む形でたくさんの部屋が配置されている。ちょうど家族用の「広場」という感じだ。これは団欒の場としてのリビングと庭をも兼ねている。

とてもざっくりとした言い方をすれば、欧州の地中海沿岸も北アフリカ、そしてアラビアやイランを経て中央アジアやアフガニスタン、パキスタンやインドなどの南アジアでも普遍的な家屋のありかた。おそらくイスラーム教の伝播やその文化的な影響とともに広まったのだろう。

家屋は四方を壁で囲まれているため、外からは中を窺うことはできないが、大きな家の中がひとつの小さな世界として機能する。吹き抜けの広間は家族の段落の場であったり、外からのお客さんをもてなす場であったり、商取引の場でもあったりする。

ここワーラーナスィーの話ではないが、ラージャスターンのシェカワティ地方のハヴェーリーでは、こうした空間を「チョウク」と称するが、市内のチョウクつまり2つ以上の通りが交わり賑わう地域のことだが、家屋の中のそうした場所なのだ。

大きな邸宅になると、出入口近くの来客用のチョウク、そして奥のほうにある女性を含めた家族だけのためのチョウク、ときにはさらに多くのチョウクを持つ、もはや宮殿に近いような特大邸宅もある。

それはさておき生活空間の中にこうした「広場」があるような家屋は、日本でも応用できたら評判になるかもしれない。雨の多い日本では合わないということもあるかもしれないが、こうした家屋が普遍的にある国々にも多雨の地域はある。

ただし時代に合わないということはありそうだ。何しろ頭上は大空なので、冬は暖房は効かないし、夏は冷房など利用できるはずもない、

やはりちょっと無理だなぁと思わざるを得ない。

客室内