マハーラーシュトラ州で「寺院の再開」をめぐり火花

同州でコロナ対策が順次緩和されている中で、「すでにモールやバーは開けているのに、なぜ寺は閉めているのか?」と、州与党のシヴセーナーを同州野党BJPが攻撃。

寺院の参拝者締め出しは、春先の祝祭ごとが重なった時期により感染爆発となったことを踏まえてのことだろう。ふだんの参拝ですら、モールや商店街よりも、さらに密だし、神像や建物の一部に口づけしたり、素手で配られるプラサードを素手で受けて口にすることなど、感染の機会の濃密さはショッピングの場の比ではない。

マラーター民族主義を標榜する極右政党のシヴセーナーは先の同州議会選挙まではBJPの友党であったが、選挙戦勝利後の組閣のポスト割当で紛糾して瓦解。前者が国民会議派及びその協力関係にある政党と連立するというまさかの展開で、偏狭な地域民族主義極幹政党と中道左派という、いずれの支持者をも裏切る不思議な政権が樹立したのは2019年11月だったが、コロナ禍という試練の中で持ちこたえている。

シヴセーナーは野党のときには不条理かつ暴力的なバンド(ゼネスト)を敢行して、建物を破壊したり、人々に大怪我を負わせたりもする。地元マハーラーシュトラ州で、シヴセーナーが号令をかけてのバンドを実行する際、大勢の活動家や動員した暴徒がバール、鎌に斧、三叉の槍、手製の刀などの凶器まで手にして、バンドの呼びかけに従わず開けている店、運転しているクルマやオート、事務所や会社などを襲撃する。あまりの乱暴狼藉ぶりが恐ろしいため、役所や公共機関まで業務を放棄してしまうのだ。もちろん市バスや鉄道すら例外ではない。

ところが、政権党となると、まるでウソのように極めてまともな施政を敷くことが出来るのが不思議だ。党首のウッダヴ・タークレーは、たぶんジキルとハイドみたいな人なんだと思う。政権にあるとジキル博士なのだが、下野すると、とたんにハイド氏になる不思議な人物だ。

Amid Covid curbs, BJP begins its temple run in Maharashtra (Hindustan Times)

デリー・ワーラーナスィー新幹線

デリー・ムンバイだけではなく、新たに浮上してきた新幹線路線案。経済的には重要度が高くないワーラーナスィー終点という不思議なもの。アーヨーディヤーも経由するなど、「政治のための路線」という感じがする。

グジャラート州出身のモーディーだが、現在の選挙区はまさにU.P.州ワーラーナスィーとなっており、我田引水といった感じだ。おそらくさらなるフェーズではコールカーター延伸をチラつかせ、次の西ベンガル州議会選挙でこれで票を釣ろうという思惑か。

それにしてもデリーからアーヨーディヤーまでわずか2時間、デリーからワーラーナスィーまでたったの4時間とは恐れ入る。

本当に実現するのか、実現したら本当に完成するのはいつになるのだろうか。

Bullet train from Delhi fast-tracked as Ayodhya aims spot on world tourism map (INDIA TODAY)

インドの駅舎

インド鉄道旅行の楽しみのひとつには、植民地時代から存在している歴史的な鉄道駅舎を楽しむこともある。

ムンバイCST、ハウラー、オールドデリー駅のような壮大な英国植民地鉄道建築は言うまでもなく、ハリヤーナー州の旧パティヤーラー藩王国には当時の藩営路線部分であっただけに、駅舎は個性的なデザインが施されたものであるし、同様にラージャスターン州、グジャラート州にも藩営路線があったため、かつての藩王家専用のプラットフォームであったところが残っていたり、バス路線による輸送に押されて、独立後にあまり発展を見せなかった路線では、「ガーンディーの塩の行進の時代もかくや?」と思われるような非常に古めかしい駅舎のままで残っていたりもする。同様に、地元の建築様式を反映させた駅舎も南インドなどで多く、長い汽車旅でプラットフォームに降りたそのときから「異国感」を感じることも少なくない。

そんなわけで、まるで国内線飛行機に乗るがごとく、出発の2時間くらい前には到着して、駅舎内を眺めて回ったり、用事もないのに列車のタイミングを尋ねるふりをしながら、駅長室その他を「ああ、ちょっとすみません」と覗いてみたりするのである。古くからある駅では乗客の待合室天井にパンカー(ファン。電化される前の植民地インドでは、天井から吊るされた板状のファンをサーバントが紐で振って風を送っていた。王家などでの様子として、時代ものの映画などで見られるシーン)があるなど、古い時代の痕跡がいろいろ見られるものだ。

もちろんインドの人たちは、そんなものに興味関心があるわけではなく、古色蒼然とした鉄道駅が好きなわけでもなく、今どきのインドで改築されたり新築されたりする駅は、そのような感じの建物ではなく、レンガとコンクリの無味乾燥な建物となるわけだが、このところはかなり豪華なものも造られるようだ。

ロークサバー(下院)での選挙区はバナーラスに移したものの、やはりモーディー首相お膝元のグジャラート州。州都ガーンディーナガルの新駅舎は、一昨日モーディー自身により開業式が行われたところなのだが、駅の上に300室を持つ五つ星ホテルが入るなど、複合施設を持つ大きな駅。プラットフォームを覆うドーム状の屋根は「コラムレス」つまり柱を持たず屋根そのものが支える構造だとか。

このような豪華な駅は例外的であるにしても、各地で駅舎がどんどん建て替わっているこの時代、「インド魅惑の鉄道駅~英領のヘリテージ~」みたいな写真集がどこかから出ないと、個人所蔵の写真以外にその姿を残すとなく、この世から消え去ってしまうことだろう。

タイの「サンドボックス」のスキームとインドの50万人分の無料ヴィザ

今月1日から開始され、観光業復活のための試運転みたいな感じで、タイ国内だけではなく、各国からも注目されているトライアル。入国後の隔離なしで滞在を楽しむことを可能とする取り組みだ。

概要は以下のとおり。

・事前に入国許可証を取得済であること。

・到着の72時間以内に発行された新型コロナウイルス検査陰性証明書を所持していること。

・最低で10万ドル以上を補償する保険に加入していること。

・タイ国保険省が、新型コロナウイルス感染に係る低・中リスク国・地域からの旅客であり、入国までの21日間以上、これらの国・地域に滞在していること。※現在、日本はこの対象となっていない。

・プーケットへは直行便で到着すること。

・到着の14日前までにワクチン接種を完了し、ワクチン接種証明書の発行を所持していること。(タイ保健省あるいはWHOが承認したワクチンのみ)

・到着時に「タイランドプラス」や「モーチャナ」などの指定アプリをインストールする。

・到着時にPCR検査を受ける。

・政府の安全・健康管理(SHAプラス)認証を取得したプーケット県内の宿泊施設に滞在する。(到着時のPCR検査結果が陰性であればプーケット県内での旅行可能)

・プーケット県内で14泊すること(14泊未満の滞在の場合は、プーケットから直行便で出国)

このところ、タイでも感染者が増えてきているし、変異株の関係もあるため、強く反対する声もある

とりあえずはうまくいくのかどうか、感染拡大が起きることはないのか、その他の問題は起きないのか(プーケット滞在中に所定の回数の検査を受けるかどうか、プーケット内に留まることが義務付けられている間に、勝手に域外に行ってしまわないかどうかなど)、お手並み拝見といったところだ。観光客といっても、実にいろんな人たちがいるので、様々な珍事も伝えられてきそうな気がしている。

ポイントは、リスクの低い層の人たちのみを、政府の目が行き届く施設に囲い込み、本来の隔離期間を観光地で過ごしてもらうというもの。よって、指定された期間が経過すれば、タイ国内の他地域への旅行は解禁となる。プーケット県内の指定施設に滞在中の期間には、政府の指定する頻度でPCR検査を受けることも義務付けられているようだ。

インド、ネパールなどへの観光目的での訪問が可能となるのは、まだまだ先のようだが、インド発の以下のような報道もある。

‘5 lakh free visas will boost tourist footfalls to India’(Sunday Guardian)

記事で取り上げられている「有効期間1か月の無料ヴィザ」の発行は、「2022年3月末または50万人分発行完了するまで」とある。

インドで最初に発見された「デルタ株」「デルタ・プラス株」といった、極めて感染力の強い変異種が世界中で警戒されている中、そんな近い将来に外国人相手の観光業がインドで復活するのかどうか疑問ではあるものの、「コロナ後」を描いて、いろいろな取り組みが始まっていることについては心強く思う。

ALLWYN

インドのHMTという、かつて存在した国営時計メーカーの製品が好きなのだが、1990年代末までは、同じく機械式時計を得意とする「HYDERABAD ALLWYN」という公営企業もあり、「ALLWYN」というブランド名にて、なかなか個性的なモデルを作っていた。こちらの時計は購入したことはないのだが、今となれば1個くらい入手しておけば良かったと思う。ボディーが厚めでがっちりしたタイプのモデルが多く、個人的にも好みであった。国営ではなく「公営」なのは、アーンドラ・プラデーシュ州営企業であったからだ。本拠地はハイデラーバード。

国営のHMTがトラクターを造っていた(現在時計部門はないが、トラクター製造事業は健在)ように、ALLWYNも多角的に展開する経営する会社だった。時計以外にトラック、バス、スクーター、冷蔵庫まで製造していたのだ。「政治は民主主義、経済は社会主義」で、混合経済とか揶揄されていた時代を象徴するかのような存在であった。今となると、「政府が時計やら冷蔵庫やら作るなんて?」ということになるが、1980年代後半までのインドでは、政府系企業がそうしたものを作るのは、ごく当たり前のことであった。なぜなら経済面で、インドがお手本としていた計画経済体制のソヴィエトで、そうやっていたからだ。

だがインドで特徴的であったのは、計画経済体制でありながらも、「財閥」が存在していたことだ。それら財閥は政府からライセンス交付されたうえで、割り当てられた製品、産品を国の計画の一環として生産していた。当然、政府によって割当られる以上、基本的に財閥企業間の競争はなく、のんびりした時代であったといえる。まさに政・官・民が一体となっての巨大談合体制が、「混合経済」の正体。

当然、そんなシステムが永劫に続くはずもなく、これが80年代末から90年代はじめにかけて破綻してしまう。ピンチをチャンスに変えるべく、一気に改革開放に舵を切って、うまく成長の波に乗せた凄腕設計者は、当時の財務大臣だったマンモーハン・スィン。高名な経済学者で、デリー大学教授、財務省顧問、中央銀行総裁、国家計画委員会副議長などを歴任するなど、元々は政治家ではなかったのだが、時の首相であったナラシマ・ラーオに抜擢され、1991年6月から1996年6月までの間、財務大臣として「経済危機のどん底のインド」から「高度経済成長を続けるインド」へと大きく変貌させた。

マハートマー・ガーンディーが「インド独立の父」ならば、マンモーハン・スィンは「現代インド繁栄の父」なのだが、後に首相(2004年5月から2014年5月)となってからは「会議派総裁ソーニアーとガーンディー家の忠実な番頭さん」を演じるハメになったためか、今ではあんまり賛える人がいないのは寂しい限り。

首相に就任した2004年5月だが、イタリア出身のソニアー・ガーンディー総裁率いる国民会議派が総選挙でBJPを破り、政権に返り咲いたが、ソーニアーの首相就任については、野党のみならず国民会議派党内からも異論が噴出し、「真の実力者(ソーニアー)の操り人形として首相の座に据えられることとなった。マンモーハン・スィンの傍らに常にしかめっ面で、影のように付き添うソーニアーの姿は、「首相に仕える秘書役」ではなく、「僕に代弁させる影の首相」であった。大きな手腕を奮った財務大臣時代と異なり、本来ならば内閣のトップであるはずの首相在任時のマンモーハン・スインは、2期合計10年務めたのであったが、結局最後まで自分のカラーを出すことはなく、主であるガーンディー家の忠実な番頭に徹していた。

HYDERABAD ALLWYN社は、財務大臣時代のマンモーハン・スィンが造り上げた「成長軌道に乗ったインド」の時代の中で、分割したり、部門を民間に売却するなどして、生き残りを図るが、いずれも芳しくなく、21世紀を迎える前に消滅している。