バンディプルの町並み

カトマンズからドゥムレーに到着した。バンディプル行きのバスはしばらくなかったので、タクシーで移動することにした。斜面を上っていくとともに、目の前に開けてくる緑豊かな山並みの様子が素晴らしい。

町はずれのバスストップに到着し、宿に荷物を置いてから散歩に出る。伝統的なネワール建築のバクタプルとはまた違った良さの洋館風の町並み。ネパールと西洋の折衷建築の数々が面白い。こうした建物の多くが食堂や宿泊施設などとして現在は使用されている。

もともと交易の中継地として栄えた町だが、プリトヴィー・ハイウェイ建設時にルートから外れてしまったため、寂れてしまい現在に至っているパンディプル。商取引で大いに栄えた時代の建物や屋敷などが多く残っており、この景観こそがこの町最大の宝である。

こうした建物の保存と修復のための寄付の貢献をした人々を記念する塔や石碑の類いがいくつも見られる。洒落た館を多数残してくれた先人たちの功績もさることながら、こうした文化遺産の維持のために貴重な財源を寄附してくれている人々の意識の高さに負う部分もとても大きいことは言うまでもない。

寄附等の貢献をした人々の名前を記した記念碑

靴屋の軒先にて
マオイストのプロパガンダ
バンディプルの町からの眺望も素晴らしい。
レストランが多いため、いろんな食事を楽しむことができる。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

バンディプルへ

空調の効いた車内

ポカラ方面行きの「マイクロ」に乗り、ドゥムレーで降りてバンディプルを訪問したのだが、こうしたバス移動がずいぶん快適になっていることに感心する。クッションは効いているし、リクライニングはないものの、背もたれに多少の傾斜は付いているし。昔々のオンボロバスと違って、これなら子連れ旅行も楽勝だ。

2019年のネパールの定番ルートはずいぶん良くなっている。道路もとても良くなっていて・・・といっても、比較対象が1980年代後半の話なので、進化していて当然のことではあるのだが。

当時、ポカラとカトマンズを結んでいた「ラグジャリーなバス」とやらがあった。たしか「スイスバス」と呼ばれていたもので、とても窓が大きくて眺望の良い車両だった。ただし道路が悪かったので、ポカラを早朝に出てカトマンズの夕方遅くに到着するような感じだったように記憶している。

もっとも今は、この幹線道路が渋滞したりするので、複数車線化しなければ、移動速度は頭打ちかと思うが。この日も事故による渋滞がひどかった。

マナカマナーのケーブルカー乗り場の前にニセ日本企業のMINISOが出店しているのでビックリした。中国企業だが、名目上の登記を東京で行っており、「日本企業」を名乗っているとはいえ、置いてあるモノは良い品が多いため、個人的にはかなり好感と信頼感を抱いている。

MINISOの店舗

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

カトマンズ・バクタプル間を結ぶトロリーバス

カトマンズからバクタプルまで中国の援助で建設されたトロリーバスが運行されていたことを思い出した。

カトマンズのカンティ・パトを南下してトリプラー・マールグと交差するあたりから出て、バクタプルの南側、道幅が拡張される前で細い道に過ぎなかったアルニコー・ハイウェイ沿いのスーリヤー・ビナクまでを結んでいた。都市化が進んだ現在と違い、カトマンズとバクタプル間の道路の左右に田園風景が広がっていたことを記憶している。

2001年末にカトマンズからバクタプルまでを結ぶ運行は終了。2003年からは、カトマンズからバクタプル行きの通過点となるコテーシュワルまでの運行となり、2009年にはトロリーバスの営業自体が終了となっている。

トロリーバスなるものに乗車したのは、カトマンズが初めてだったので、その後中国を訪問した際、上海や北京などで利用して、そのネットワークの広さと、スケジュールの過密さには大変驚いたものだ。当時の中国はずいぶん貧しかったとはいえ、大都市における公共交通機関ネットワークの充実ぶりは見事なものであった。

KATHMANDU TROLLEY BUSES IN 1979 (Youtube)

NEPAL KATHMANDU TROLLEYBUSES 1998

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

パータンの宿

 

ネワール式建築の家屋を宿泊施設に転用した「Newa Chen」に投宿。もともと裕福な一族の屋敷であったものなので、窓枠の彫刻飾りや建物内外の意匠など、眺めていて楽しい。

ただし天井がとても低く、中肉中背の私でも天井の高さは頭頂部ギリギリで、欄干をくぐる際には少ししゃがみこまないと、頭をぶつけることになるのが、伝統的なネワール家屋のサイズ感。背丈190cm近い大男たちがゴロゴロいるスカンジナビア半島の人たちが訪問したら、天井の低さに音を上げそうだ。

前日には、このような建物が食堂に転用されたところで夕食を摂ったが、上階から階段を降りきったところで、額をしたたか打ちつけてしまい、一瞬意識が飛んだ。一般的に小柄な人たちが多いネパールだが、これらの建物が出来た頃には、おそらく男性でも背丈は概ね160cm前後だったと思われる。

近年の建物はこうした規模感で造られることはないようだし、若者たちも私たちからみて、そんなに小柄なということもない。おそらく食生活や生活スタイルの変化により、体格が飛躍的に向上したということなのだろう。言うまでもなく、日本でも私たちの祖父祖母世代では、かなり小柄な人たちが多かった。

また、日本よりもずいぶん早くから豊かだったアメリカでも、第二次大戦あたりまでは、それほど長身の人たちがたくさんいたというわけではなかった(当時の日本人はとても小さかったので、この頃のアメリカ人たちは相対的に大柄ということにはなるが)ようだ。たぶん、幼い頃から毎日、肉など高タンパク質な食材を充分摂取できるようになっていることが寄与する部分は多いにあるのだろう。

つまり食肉生産の「工業化」により、ブロイラーのごとく、まるで工業製品であるかのように大量発生生産できるようになったこと、同様にそうした生産物の大量輸送量と長期にわたる大量保管が可能となったため、いつ何時でもこれらが入手出来て、家庭においても保管できるようになったことだ。もちろん肉類だけでなく、農業生産の分野でも品種改良や栽培技術が進んだため、大量生産によりふんだんに市場に配給されるようになっている。

日本の私たちの世代は、生まれた頃にはすでにこのプロセスが完了していたので実感することはないのだが、国によってはある時期を境に人々の体格が著しく向上している地域がある。

ネパールの都市部もたぶんそうなのだろうけれども、インドのパンジャーブ州などは、その典型だろう。もともとアーリア系の形質を濃く受け継いだ人たちが多いことも関係している (大きく逞しくなる潜在力が大きい) かと思うが、今の30代前半くらいまでの若い人たちの中には、とても長身な人たちが多い。彼らの親世代も体格に恵まれた人たちは少なくないとはいえ、それほどデカい人たちは多くはないのに。

おまけにマッチョな地域柄、尚武の民スィク教徒が多いという背景もあり、格闘技は盛んだし、お手軽に強そうに見せるためのボディービルも盛んなお土地柄。そのためちょっと暮らし向きに余裕のあるエリアでは、どちらに目をやってもデカくてムキムキのバカマッチョたちがふらふら出歩いている。

伝統家屋の天井の低さから話は飛んでしまったが、そこからいろいろ思いが及ぶところがあるものだ。

「Newa Chen」ウェブサイト

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

ビシャール・バーザール

ニューロードのビシャール・パーザール (Bishal Bazar)。かつてはネパールの首都随一の高級マーケットでインド人たちがよく買いに来ていた。インドが「マッチから人工衛星まで」と言われるほどの「自力更生型」経済の国であったころ、国内マーケットに溢れる粗悪な国産品と対照的な位置にあったのが貴重な舶来製品。洋酒、時計、カメラ、テレビその他、ありとあらゆる外国から輸入された品物がここで売られており、インドの都市部から大勢の人たちが買い出しに来ていた。

こうした物を求めてインドからわざわざカトマンズまで人々がやってくるというのは、今では考えられないことではあるが。

当時は高級感溢れる商業ビルに感じられたが、今はそのようなムードはない。別に建物が老朽化したとかいうわけではないようだが、周囲のレベルがそれなりに向上すると、相対的にそういうことになる。

Bishal Bazar in Kathmandu, Nepal (Youtube)

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。