インド国鉄が二層式コンテナ長距離輸送を開始とのこと。間近に見たら迫力満点なことだろう。動力、制動力を確保するため、先頭の機関車は2両の重連、中間に補機としてもう一台入っている。
この動画に出ているのは物流の動脈、グジャラート州とムンバイ間を結ぶルートとのこと。
Indian Railways rolls out first double-stack long-haul container train (Youtube)
インド国鉄が二層式コンテナ長距離輸送を開始とのこと。間近に見たら迫力満点なことだろう。動力、制動力を確保するため、先頭の機関車は2両の重連、中間に補機としてもう一台入っている。
この動画に出ているのは物流の動脈、グジャラート州とムンバイ間を結ぶルートとのこと。
Indian Railways rolls out first double-stack long-haul container train (Youtube)
インドの10Rs、20Rs紙幣が紙からプラスチック(ポリマー)へ転換するようだ。ボロボロなし紙幣の流通が多いし、気が付かずに切れた紙幣を受け取ってしまうとなかなか手放せなくなるので、これは良いことだろう。
地域により、崩れかけた少額紙幣を小さな平たいビニールに入れて授受できるローカルルールのある場合もあるが、そもそも少し切れたくらいで受け取らない習慣はなんとかしてもらいたい。
パキスタンではそんなことはないため、分離独立後のどこかで始まった習慣なのだろう。
Government approves introduction of one billion polymer banknotes of ₹10 and ₹20 (THE HINDU)
ボンベイ市政公社(BMCいわゆるムンバイ市役所)の建物内はこうなっているのか。外から眺めるばかりで入ったことはなかった。見事なヴィクトリアン・ゴシック建築なので、当然内側も壮麗である。
向かいにある同じ様式のヴィクトリア・ターミナス駅(ムンバイCST駅)を思わせるものがあるが、実はどちらも同じ建築家、フレデリック・ウィリアム・スティーヴンス(F.W. Stevens)による設計。
ここまでは広く知られているけど、他にも市内に彼による建築物がないかAIに聞いてみると、いやーこれまたすごい!
建物:Chhatrapati Shivaji Maharaj Terminus
年代:1878–1888
※世界遺産
建物:Municipal Corporation Building
年代:1884–1893
建物:BMC本庁舎
建物:Maharashtra Police Headquarters
1872–1876
建物:旧Royal Alfred Sailors’ Home
建物:Army and Navy Building
年代:1890年代
建物:BB&CI Railway本社(現Western Railway HQ)
年代:1890年代
建物:Oriental Life Assurance Building(現Oriental Building)
年代:1893–1896
建物:Post Office Mews
年代:1890年代
建物:Mulji Jetha Fountain
年代:1894頃
建物:Standard Chartered Bank旧館
年代:1902年
また、これらの建築の周辺にある同じような時期の建物の多くが、やはりスティーヴンスの影響を受けた建築家たちによるものらしい。
「ヴィクトリアン・ゴシックの鬼才スティーヴンスの作品群と影響を受けた建築家たちのボンベイ」を見るだけでもムンバイを訪れる価値があるわけだ。
ちなみにスティーヴンスはこういう人物。ご参照いただきたい。
Frederick William Stevens(ウィキペディア記事)

NHKの比ではない。ドゥールダルシャンは正真正銘の国営放送なので、政権の意向が働くというよりも、政権の宣伝機関。
選挙の際の野党へのネガティブキャンペーンは凄まじいし、そのときどきで政権が喧伝したいことを忠実に電波に乗せる。モーディー首相が第一次政権時代から続けている彼自身の講話「Mann ki Baat」もそのひとつだ。
こちらは7/3の放送分だが高市首相の訪印に合わせてインド・日本の関係について視聴者である国民向けにいろいろアピールしていた。
人口構成が圧倒的に若年層に厚い国であるがゆえ、アナウンサーが「日本との関係で1980年代にあったことを知っている世代の方々でなければご存知ないかもしれませんが」と前置きしたうえで、スズキ自動車とインド政府の合弁で始まった自家用車生産事業のことに始まり、その後続いた日印の経済交流についてのおさらい等々をしていた。
このアナウンサー、スディール・チョウドリーがドゥールダルシャンに出演していることについて、アッと驚く方も少なくないかもしれない。インディアトゥデイ系の民間ニュースチャンネルAajtakの看板アンカーのひとりだったが、昨年同チャンネルを辞めて、国営放送局に移籍している。インドでは「ニュースの顔」の転籍は頻繁にあるのだ。
PM Modi-Sanae Takaichi की ‘भाई-बहन’ वाली Diplomacy | Sudhir Chaudhary | India-Japan | News (DD News)

グルバルガの城からディズニーランド風の建物が見えた。
尋ねてみると「モールだ」というので、カフェでもあろうかと入ってみた。
外観は立派なのだが、とても寂れていて何もない。



ちょっとしたサイズの街であればいくつかモールがあるのが近年のインドではあるものの、どれでも繁盛しているわけではなく、立地が問題だったり、現地の所得水準とのミスマッチがあったりする。つまり地方の街では中間層以上の人口が十分に育っていないことがある。
それに加えて従来の市場がまだまだ強かったり、映画館やフードコートへの依存の度合いが高く、これらを欠くと集客が難しかったりなどということもある。
またすでに人気のモールがあると競合して負けてしまうことも。
グルバルガは50数万人規模の街ではあるものの、すでにモールが10軒近くあり、このモールには映画館が入っていない。隣接する文字通り衣料品を中心とするカプラー・バーザールが大変賑わっていることが集客に有利な立地と考えられたのかもしれないが、不振に苦しんでいるようだ。
1994年に50ドルだったというワールドカップのチケット。現在の貨幣価値に換算すると110ドルとのこと。つまり2.2倍。ところが今回のワールドカップでは400ドルとのことなので、貨幣価値の変化を考慮に入れれば、4倍近く上がったことになる。(50ドル→400ドルで8倍ということではない。)
当時の円相場は1ドル110円。これをそのまま2.2で割るのではなく、日本の1994年から2026年までの物価上昇率1.17倍を勘案すると、1ドルが53円程度だと当時と同等の水準ということになる。
つまり円相場が1994年の水準(1ドル=100円)と同等であれば、現在は1ドル=53円であったはず。これが実際には160円になっているため、円の価値が1994年と比較して実質1/3にまで落ち込んでしまったということ。凄まじい凋落ぶりだ。
現在の円の価値が3倍であれば、米国でも欧州が驚くほど高いということはない。近年は全然安くない国になってしまったタイやマレーシアなどが「とても安い国」になる。
90年代以降の世界は東西対立が終わり平和を享受するとともに「グローバル化」が各地で同時進行していった。当時の途上国は伸びしろが大きかったこともあるし、欧州を含めた旧東ブロックの国々も混乱しながらも経済成長を路線に乗せた。世界の多くの国々が未曾有の成長を見せた時期。
いわゆる「先進国」は、中国、東欧、ASEAN等ほどの大きな成長の余地はなかったかもしれないが、新興分野だったIT産業の爆発的な発展はもとより、それをインフラに取り入れた社会では様々な新しい産業が勃興するとともに、旧来の産業や働き方、そして暮らしを大きく変えた。G7は言うに及ばず、OECD加盟諸国の大半の国々も一人当たりのGDPを伸長させている。ごく一部の例外を除けば。
日本が凋落したといっても大恐慌に見舞われて惨憺たる状態になったわけではないし、戦火により灰燼に帰したわけでもない。落ちぶれたといっても国内が荒れたのではなく、周囲が大きく成長して追い抜かれた、追いつかれたという具合なので、日常に悲壮感はない。並べて較べたりしなければ、90年代からずっと平穏無事なのだから。
しかしながらこれでまだ「ニッポンすごい」とか言って自画自賛しているのはおかしいと思うし、「コスパ高い」と言うのも変な話だ。より豊かになった国々から来れば高コスパかもしれないが、ここで働く自分たちは懐具合が爆上がりしているわけではないので、決して安くはないのだ。
それにしても円相場が1994年と比較して、実質1/3という事実は大変重い。
これを円高のピークだった1995年4月19日の1ドル=79円75銭に当てはめて当時から現在までの米国の物価上昇率、日本の物価上昇率を勘案すると、1ドル=48.93円になる。
昨日は1ドル=160円50銭あたりだった。そのため現在の円の価値はピーク時の0.3倍ということになる。もちろん言うまでもないが、為替というものは連動しているため、国それぞれ物価上昇率の異なる他の通貨に対しても実質同様ということだ。
2000年代以降、かなり長く1ドル=110円台前後の時期が続いていたので、円は長らく安定していたようなことを言う人がいるがこれは誤りで、数字の上では同じに見えても米国の物価上昇率は日本よりはるかに高いので、実質は円の価値が年々漸減していたことになる。
ロシアによるウクライナ侵攻あたりで円が暴落したが、すでにその前から長い時間をかけてジリ貧になっていたことを忘れてはいけない。円安は突然やってきたわけてはないのだ。
ちょっといい食事、そして宿なども日本からインドに行って、決して「おぉ、安い」という具合ではすでにない。そういう時代になっているのだ。
ワールドカップのチケット、なぜ高騰? 米国の識者が語る理由と懸念 (asahi.com)
社会にはいろんな人がいるものだ。博士号を持ちバリバリと働いてきたIT企業の元管理職の女性が仕事を辞めてオートリクシャーの運転手に。
IT関係の仕事はストレスに満ちた仕事であろうけれども、オートリクシャーの運転手はタフな仕事だし、とりわけ女性とあってはハンデも大きい。それでも月に60,000Rs稼ぐというのは、この仕事ではなかなか難しいことでもあるはず。
世の中には様々な人たちがいるが、ときにこうした定石どおりではない人もいるのが社会の興味深いところであり、奥深い部分でもある。


昔のいわゆる「デザート・クーラー」は(簡易クーラー)は無骨な金属製ボディーに麦わらが入っていたけど、今はこんなにスマートになり、中には樹脂繊維みたいなのが入っている。いろいろ進化するものだ。
金属ボディーのものは運転させると轟音がしたけれども、最近のものは静音化も図られており、なかなか静かになっている。
ファン形状、モーターの改良、防振マウントを付けたり、インバーター制御を導入するなど、要は技術が進んだというわけだ。


話は前後するのだが、ハイデラバードへはシンガポール航空でやってきた。当然、乗り換え地はシンガポール空港なのだが、しばらく待ち時間があった。夕方だったので腹も減る。
自宅の片隅に長年眠っていたシンガポールドルが32ドルを持ち出してきたのだが、空港内のホーカーズの券売機で使えなかったため、銀行の両替所で現行の札に替えてもらった。ずいぶん昔の紙幣であるため、現在のそれとはデザインは異なるし素材も違う。今のみたいなブラスチック紙幣ではなく、紙のお札だったのだ。(替える前に写真撮っておけば良かった。)
両替所の若い女性は「これはどこの国の通貨ですか?」などとすっとぼけたことを言っていた。そんな大昔のお金ではないのだが、記憶の糸をたどると最後にシンガポールを訪問したのは、少なくとも四半世紀以上前であった。ある意味、「古銭」である。どの時点で今のデザインに変更されたのかは知らないのだが、20代前半くらいの人が「どこの国の通貨?」と言うのは無理もないかもしれない。
古いお金を新札と替えるわけなので、もちろん手数料などはかからない。空港内のホーカーズで海南鶏飯。空港とはいえ、本場の味は良い。


カンボジアで一般的なレンガがある。四角柱の形で4本の穴が空いている。建築現場で見かけるのはこればかりだ。中空になっているため軽いのがメリットか。強度についてもあまり変わらないのではなかろうか。


東京ディズニーシーの入口あたりにあるような建物。立派なショップハウスである。東南アジア各地にあるような作りをもっと欧風にして、日本の商店街のアーケードのように通路に天井をかけてある。おそらく上階は住居スペースあるいは事務所か倉庫スペースなのだろう。
だが店の入居がほとんどないようで、借り手だか買い手だかを求める貼り紙?だらけなのはどういうことだろうか。景気は良いようでいて、なかなかうまくいかないこともあるようだ。



