スーラト4 パールスィーの病院その他の施設

先日取り上げたモーディー・アーターシュ・ベヘラーム界隈は、パールスィー地区となっている。

社会事業、慈善事業が盛んなパールスィーのコミュニティー。このエリアには彼らが建てた病院もあるのだ。古ぼけているが建物を見れば開業した150年前には当時としては高い水準の立派なものであったことが容易に想像できる。街で最初の西洋式総合病院であったのではなかろうか。

幸い、ここで事務職として働いている人と知り合い、中を簡単に案内してもらうことができた。立派な建物とはいえ、すっかり古ぼけており、今では地域の先進的な病院というわけではないことは一見してわかる。敷地内には職員や医師のための居住施設もある。

病院から見て道路を挟んで向かい側のブロックは、まるごとパールスィーコミュニティーの施設。ゾロアスター教寺院(先日取り上げたモーディー・アーターシュ・ベヘラーム)、パールスィーのパンチャーヤト(顔役たちの寄り合いというか理事会というか)、パールスィー学校、そして孤児院が入っている。

パールスィーのパンチャーヤトの建物

パールスィーの学校

こちらの建物には孤児院が入っている。

学校については今やスーラトのパールスィー人口はとても少ないので大半が英語での教育を求めるヒンドゥーその他のコミュニティーの子供たちだそうだ。孤児院については完全にコミュニティー外の地域社会への奉仕事業。

インドで他に栄えた外来コミュニティー、ユダヤ人、アルメニア人も植民地体制下では支配する側との太いパイプを築き、白人側に深くコミットする人材を輩出した。その中でパールスィーに特徴的だったのは、地元社会へも富を厚く還元することにより、白人の支配層と親密な関係を築きつつも、インド人たちをも敵に回さなかったことだ。

インド独立ともに立場の悪くなったユダヤ人、後ろ盾を失ったアルメニア人たちの多くはインドを去るが、パールスィー資本は、インド独立をバックアップし続けてくれた愛国資本として、新生インドの体制下で引き続き発展を続けていく。

実は植民地体制で英国を始めとする支配層の買弁として暗躍したことには変わりはないのだが、世の中か大転換する前から、ちゃんと「保険をかけてあった」とも言える。

また、ムスリム勢力に追われたパールスィーの先祖たちが現在グジャラート州となっている地域に定住するにあたり、当時の地元の王にパールスィーの統率者が交わした誓い(布教せず、そして新たな母国に尽くす)を守り続けているとも言えるかもしれない。

パールスィー所有の古い家屋。趣のある建物であることが多い。

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スーラト3 墓場も面白いインド

これらの風景を目にして、何の遺跡と思われるだろうか。
実は、「英国人墓地」なのだ。

場所はスーラト。東インド会社が拠点とした港町のひとつ。私が確認できた、この墓地で最も新しい墓標が1850年のものであったので、まさに英国政府による統治に移行する前、東インド会社が支配した、いわゆる「カンパニー時代」の英国人墓地。墓標を見たところでは、大半は東イン会社軍の軍人とその家族たち。

そのあたりまでは、英国人でも改宗してヒンドゥーになって、毎朝沐浴したり、プージャーをしたりする後の時代のヒッピー的な英国人も少なからずいたと聞く。
もちろん、高級官僚やエリートコースに乗っている英国人は、その限りではなかったとはいえ、それ以外で何かしら縁あってインドに渡ることになった、あんまり堅苦しくなくてカジュアルな英国人たちの中には、自国と違う気候、文化、食事の中で戸惑いつつも、「インドってすげー!」と、すっかり感化されてしまう人たちが後を絶たなかったらしい。

それはそうだろう。今の私たちでも「インドってすごい!」と感嘆しているのだから。当時、「ツイッター」「Facebook」等があったら、彼らのオドロキやインドへの憧憬が多々綴られていたはずだ。
だが当時の人々は、相当な知識人でもない限り、いわゆる日記のようなものをしたためる習慣もなかったので、現代に生きる私たちが、当時のインドの市井の人たちの日常の喜怒哀楽を知るのは容易なことではない。

「インドかぶれ」については、1857年の大反乱以降の英国当局による綱紀粛正により、いわゆる当時でいうところの「ネイティヴ(インド人)」と英国人の間の「けじめ」のようなものが徹底されることになった。そのため、墓地についても、その後のものは、このような墓地ではなく、英国人らしいものとなっている。19世紀と20世紀を境にして、「アングロ・インディアン」を示す意味が、「インドで生まれた英国人」から「英印混血の人」と変化していったのには、こうした背景もあるに違いない。

インドという国は、ごく平凡に観光していても、実に興味深い事柄に満ちているのだ。こんな国は広い世界を見渡しても、他に無いだろう。各地の英国人墓地を巡るだけでも、実は大変面白いインドなのだ。

〈続く〉

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ノックエア バンコクからグワーハーティーに就航

日本から北東インドを目指す際の有力なオプションになりそうだ。
9月22日からノックエアが週2便就航するとのこと。バンコクから水曜日と土曜日、グワーハーティーからの折り返しは木曜日と日曜日とのことなので、おそらく深夜近くにバンコクを出発し、グワーハーティーからは未明くらいの時間帯に出ることになるのだろう。
後にチェンマイ、チェンラーイ、プーケット、ハジャイなどからもバンコクのドンムアン空港経由で接続することになるとも書かれているので、バンコクから利用できるグワーハーティー行きのフライトは、「ほぼ毎日」となることを期待したい。

Nok Air to start Guwahati to Bangkok flight service (Northeast Today)

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FRANKEN WATCH

「フランケン・ウォッチ」なる聞き慣れない言葉を耳にしたのは、先日デリーの時計店でのことである。その数日前に私が他の店で購入した時計を見た時計店主が言う。
「面白いデザインだが、フランケン・ウオッチだね。」

彼が言うにはこういうことだった。
「HMTはかつてインドのマーケットシェアの大半を占めていたので、あちこちにパーツの在庫がたくさんあった。出回っているモデルの大半が共通の規格で造られていたので、これらをアセンブルしたうえで、オリジナルとは異なる文字盤を作成して売ることは容易だ。時計メーカーHMTがなくなった今でもそういう在庫はあるところにはある。もちろん、中古時計、破損した時計から利用できるパーツを取り出すこともある。」

もともと高価な時計ではないため、ボディーやムーブメントもHMT社製であることがほとんどだが、出荷されたときと同じ状態ではない、オリジナルのラインナップにはなかった変造版がけっこう出回っており、外観は新しくても中身はポンコツのムーブメントということもあるとのこと。

ちなみに「フランケン・ウオッチ」という言葉は、腕時計コレクターの間では、ごく普通に使われているもので、クラシック時計の変造品や偽物のことを指すそうだ。
先日、HMTマニア(インドにはそういう人たちがいるのだ)たちのフォーラムに、この写真を上げてみたら、やはり「これはフランケンである」という回答が出てきた。
残念な回答ではあったが、コレクターではない私自身は、オリジナルにこだわる必要はなく、デザインさえ気に入ればオリジナルだろうが、フランケンだろうがどちらでも良いのだ、と思い直すことにした。

・・・とはいえ、自宅に十数個あるHMT時計を改めてみると、もう30年前に購入したもの、20年くらいになるものなどは、今でも正確に時を刻む。1週間、半月経ってもズレはなかったりする。設計は古くてもさすが日本のシチズンのインドにおけるライセンス生産品だ。

それに較べると5月にいくつか購入した「HMT Pilotブランドの」「フランケン・ウォッチ」らしきものは、精度がいまひとつだ。やはりアセンブルや調整いかんで、こういうものはズレが生じるのかもしれない。
リンク先の動画の内容に従えばオリジナルと判断できる30年来の時計は大変正確なので、やはり往年のHMTというのは、なかなか偉大な時計メーカーであったようだ。

Original vs Franken HMT Pilot watch(Youtube)

※「スーラト3」は後日掲載します。

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スーラト2 ダルガー・ハズラト・クワジャー・ダーナー




ダルガー・ハズラト・クワジャー・ダーナー(Dargah Hazrat Khwaja Dana)に参拝。あまり建物としては取り立てて素晴らしいということもないのだが、やはり佇まいであったり、隣に広い墓地があったりするのがダルガーらしいところだ。
不思議だったのはその墓地だが、もっと沢山ぎっしりと墓があってもおかしくないのだが、かなりまばらなことだ。こういうところに埋葬できる期限でもあるのだろうか。またここに埋葬した場合、定期的に徴収されるお金はあるかと思うが、どういう名目でいくらくらい支払うのだろうか。

〈続く〉

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