ご神木③「お寺になった」

ご神木がここまで来ると、もはやお寺である。

屋根が作られてプージャーリー(司祭)まで鎮座している。

たいした出世ぶりだ。

だがこのあたりがご神木の限界でもある。

道路脇のこうした小さなお寺の類が、門や敷地を構えた寺院にまで発展した例は知らない。

このあたりまでは、地域の人たちの思い入れや成行きなどで実現するのだが、寺院となると時の有力者がカネ、コネとパワーでドカン!と建立するものだからだ。

そうは言っても、これはこれで神々しい。

豪華絢爛な寺院であれ、こうした街路樹上がりのご神木であれ、そこに投影されてきるのは

同じ神である。そうした目に見える象徴を通して、人々ははるか彼方にある神を拝しているのである。

〈続く〉

ご神木②「魂が宿った」

木のたもとに基壇が作られ、人々が集って魂が宿った。

その結果、像が置かれて神性を帯び、やがて祭壇となった好例。

ここまでくると、もはやただのご神木や祭壇ではなく、ちょっとした規模の寺院に相当しそうなパワースポット。

それだけに鎮座する神々もシヴァ神ご一家という豪華さで、大変美しく仕上げてある。

私もお賽銭を差し上げて、お参りすることにした。

〈続く〉

ご神木①「出世する樹木」

道端の木がこうなると、しめたものだ。

根元にコンクリートの基壇がしつらえてある。広告が描かれているのは少々気になるが、まあ良しとしておこう。何がしめたものかと言えば、この木の今後の「出世」だ。

人々がここに座ってくつろぐ。昼寝する人も出てくるだろう。

人々が集うようになり、魂みたいなものがこもってくると、小さな神像を置いたり、赤いティーカーをほどこしたりして、少し神性を帯びてくる。神像の足元にお布施の硬貨やわずかばかりの献花を見かけるようにもなるはずだ。

やがて屋根の付いた祠を誰がしが寄進し、少額紙幣が複数置いてあったり、きれいなマーラー(数珠繋ぎにしたキク科の花)のを目にするようになる。もはやここまでくると、立派にご神木に化けたと言える。

ご神木化した。

この先になると、いつしかちゃんとした小さな建物が出来上がるかもしれない。どこからやってきたのかプージャーリー(祭司)が常駐するようになり、祠の祭儀の一切を取り仕切るようになる。今の忙しい時代とはいえ、まだまだそういう発展を見せることは少なくない。

〈続く〉

スーフィヤー・レストラン

ナコーダー・マスジッドの向かいにある。
こじんまりとした規模の店

カルカッタの朝で外せないのは、やはりラールバーザール地区の中華朝市もそうだが、そこから歩いて5分程度のところにあるナコーダー・マスジッド向かいのスーフィヤー・レストラン。
ここはビーフアイテムが充実しているため、ランチあるいはディナータイムにも来てみたいのだが、これまで早朝の散歩のときにしか立ち寄ったことがない。

店のメニュー
ここのネハーリーは実に美味

これらは客から依頼されているテイクアウトの準備中。

 

デリーの暴動

新型コロナ騒動に影に隠れて、あまり国際的に報じられていないが、1985年以来、デリーにおける最大規模と言われる暴動が起きた。先月下旬のことである。

1985年の暴動とは、言うまでもないが当時のインディラー・ガーンディーが自宅でスィク教徒の護衛に射殺された事件への反応として発生した大規模な反スィク教徒暴動のこと。犠牲者を沢山出したスィクコミュニティの中で、この事件をきっかけとして「信仰はスィクだが散髪し、ひげも剃る」という人たちが増えたとも言う。

デリー北東部、主にヤムナー河の東側にあるカジューリー・カース、ゴーグルプリー、マウジプル、ジョーティ・ナガル、カルダムプリーといったあたりが、その暴力の吹きすさぶ地となった。暴徒により、居住しているムスリムの人々への大がかりな攻撃が行われた。
CAA(改定市民法)、NRC(国民登録簿)の問題と反対運動は、当初ヒンドゥー至上主義的な政策vs世俗主義の対立であったが、いつの間にかヒンドゥーvsムスリムというコミュナルな対立にすり替えられてしまったかのようだ。

この暴動の際、先のデリー準州議会選挙勝利により、2期続いて政権を担うことになった庶民党(AAP)のイスラーム教徒の活動家が、ムスリム側の暴徒の一味として、自宅にたくさんの武器を隠匿していたとして逮捕された。

これに対して党主のアルヴィンド・ケージリーワル他の指導部は関与を否定するとともに対応に追われたが、この「活動家」とは、比較的最近になってから庶民党に加わったらしく、対立する陣営から送り込まれた工作活動家では?という疑惑がある。

こうした暴動の際、「事前にターゲットとなるムスリム所有の建物に目印が記されていた」とか「暴徒を率いるリーダーらしき者に地元の協力者が『この店はムスリム』、『こちらの店はヒンドゥー』」と案内していたとかいう話がまことしやかに流れるが、真偽のほどはよくわからない。

個々の民家の場合は掲げられている標札の名前で居住者の信仰は判るし、地域的な属性さえも明らか(主にUPからパンジャーブにかけてのジャート、ベンガーリーのムスリム、ヒマーチャルのブラーフマン等々)なことが少なくないが、ビルや商店となると必ずしもそうではない。

そのため、明らかに特定のコミュニティがターゲットとするため事前工作や協力者による誘導があったとすれば、そうした選別は可能となるだろう。

リンク先記事中の一番下に掲載されている写真を見ていただきたい。
卍の印がついたヒンドゥーの家は無事であるらしいことを示しているのは、報道者の意図だろう。おそらくこの現場では、明白な選別が行われていたことを伝えたいのだと推測できる。

こうした暴動の最中にも、襲撃されそうになっていたムスリムの人たちを大勢、安全なエリアに避難させたというスィクの若者、近隣のムスリム家族を自宅にかくまったというヒンドゥー紳士などの話もテレビニュースで伝えられていたのは幸いではあった。

今回の暴動について、政治の関与についても言われているが、思い出すのはちょうど18年前の同じ時期に起きたグジャラート州での暴動。当時、同州のトップとその右腕は今の中央政府のそれとまったく同じコンビであった。これは単なる偶然か、それとも・・・。

Delhi’s shame (INDIA TODAY)