ルンビニーの華人宿

ルンビニーの華人宿「Sunflower Travellers Lodge」


ルンビニーでの滞在先は、Sunflower Travelers Lodge。安徽省出身のご主人と台湾出身の奥さんと娘、そしてその下で働く中国人の青年が切り盛りする宿である。

海水至るとこに華僑ありと言うが、海の無いネパールにもこうして華人がいる。開業してから5年とのこと。カトマンズにはすでにかなりの華僑が商売しているが、ルンビニーでもこうやって稼いでいる人たちがいるというのは大したものだ。

しかしながら、これがインド側であったとすると、中国の人がこうやって仕事することができるかどうかはともかく、中国に対する感情が悪いので、時に危険でもあるだろう。中国と関係が良好なネパールならではのことと言える。

宿の中には中国語による表示や飾りなどがいろいろあるが、門の外にも中文による看板がいくつかある。簡体字と繁体字が混じっているのはご愛敬だ。また手書きの看板なので、なんだか不格好であったりするが、ここの人が手作りしたものなのだろう。今後、他の華人たちもここに進出するのかどうかは知らないが、推移を見守りたい。

宿泊客は私とアメリカか来た日系人の年配女性のみであった。今のネパールの問題(昨年の大地震と現在も続く憲法問題)が発生するまでは、大勢の中国人客が出入りしていたとのことだ。早く平常に戻るといいのだが。

宿に到着して、荷物を部屋に置いてから、まずは腹ごしらえと、昼食を注文したのだが、これが大変美味であった。写真は「牛肉麺」で、肉は水牛肉だが、麺もスープも本場そのものの味わいでおいしい。さすが本場の中国人が調理しているだけに、インドやネパールの人たちが作るものとはまったく別物だ。

大変美味しい牛肉麺

夕飯は「宮保鶏丁」を注文した。カシューナッツではなくピーナツを使っているけれども、山椒が効いていて、これまたとても旨かった。「料理がとびきり美味しいね。」と褒めると、宿の人は「本当はもっと大きなメニューを用意していて、他にもいろいろあるのですが、インドによる封鎖が始まってからは、満足に物が入らなくなったので、やむなくこの簡略版にしているのですよ。」とのこと。

宮保鶏丁も大変旨い。

ここでかいがいしく働き、ネパール語も流暢、お客の世話から調理や雑用までなんでもこなす中国人の青年と話していて判ったのだが、彼は経営者家族の身内ではないが、ご主人の郷里である安徽省から働きに来ているそうだ。両親は農民で、「若いうちに海外で頑張ってみろ」と送り出してくれたとのこと。

宿のオーナーは、経営者である安徽省出身の男性と台湾人の奥さんとはまた別人であるとのことで、台湾人でここに在住しているわけではないが、年に数回様子を見に来るのだそうだ。経営者家族の身内で赤ん坊のいる女性もいて、お客はほとんどいなくても、なかなか賑やかな様子。ロビーはそのまま彼らの団欒の場となっており、アットホームな感じもなかなかいい。

どういう経緯があって、ここで商売を始めることになったのか気になるところだが、「ホテル運営とボランティアをしているのです。」と言う。彼らはキリスト教系の団体に所属しており、早朝からロビー経営者家族とスタッフが集まって、中国語で何か暗誦しては、「アーメーン」「アーメーン」と呟いている。

そして中国語による讃美歌が始まるのだが、手や顔をリズミカルに動かしながら歌っている。ここにしじゅう出入りしているネパール人も1名いるのだが、中国語も出来るようで、彼らとの会話は中国語であったりするし、中国語の讃美歌も歌う。同様に宿側の人たちがネパール語で讃美歌を歌ったりもしていた。

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ターンセーンからルンビニーへ

ターンセーンのバススタンド

朝8時発にターンセーンを出発するバスを利用する。来るときと違って、バイラワーに直行するバスを利用するため、ブトワルで乗り換える必要がない。部屋の鍵をオーナーのシュレスタさんに渡して外に出る。朝起きたあたりから外では箒で路上を清掃する音がしていたが、町中のどこでも同様のようだ。この町は本当にゴミが少なく、とりわけ朝の時間帯にはゴミひとつないという印象。

バンクロードに出てから、斜面の長い坂道を下ったところがバススタンド。8時出発のバスはすでに来ていた。出発時間までしばらくあるので、ヒマそうにしていた運転手にバイラワー到着のおおよその時刻を尋ねると、午前10時半くらいとのこと。到着時間を本日宿泊予定のホテルにスマホで伝える。タクシーを差し回してくれることになっている。

こちらはブトワルまでしか行かないバス

こちらがバイラワーまで直行するバス

バスの表示には、国境のスナウリーまで行くように書かれているが、このバスの終点はバイラワーのバススタンドであるそうだ。出発時刻直前くらいになって、乗客がどかどかと集まり、定刻にバスは発車した。

マハーバーラタ山脈の山あいの景色を目にしながら、バスはスィッダールタ・ハイウェイを南下して、平地に向けて走って行く。途中で朝食休憩の時間があった。沿道でダーバーがいくつか軒を連ねている場所で、いくつものバスが停車している。

朝食休憩地

朝食休憩

可愛い同乗者たち

やがて山地から平地に出ると、すぐにブトワルに出た。目抜き通りが国道であるためもあり、ずいぶん立派な街に見える。建物も大きく、新しくて見事な家屋も多いようだ。総体的に裕福なところであるようにも思える。交通の要衝である以外に、何で栄えている街なのかよく知らないが、固有の産業でもあるのだろうか。

ブトワルの町

ブトワルの街を出たあたりで沿道にはバイクの長い列が連なっている。ガソリンスタンドの給油待ちの行列だ。インドによる封鎖の影響だが、こんな具合だと、給油するだけで1日がかりになってしまいそうだ。

給油待ちの非常に長い行列

たいていの乗客はブトワルで下車。バイラワーまでは閑散とした車内であった。

ここまで下ってくると、もうネパールにいるという気はあまりしない。入国したときに感じた、「インドでは見かけない企業の広告がある」ということを除けば、インドに戻ってきたかのようだ。

あと異なるのは、当然ここはインドではないため、地元の人とヒンディーで話すことについて、何がしかのうしろめたさを感じることである。相手もネパール語ならともかく、見るからにインド人ではない第三国の人がヒンディーで話しかけてくる、ということついては、ちょっとした意外感があるようだ。あまり胸を張って話しかけられるという具合ではない。かといって遠慮しなくてはというほどでもないようにも感じられる。

ネパールの人で、ヒンディーについてはふだんからごく近しい関係であり、日常的に露出が多いため、理解する人、たいへん流暢な人が多いが、そのいっぽう、理解するけれども話すとかなり妙な間違いがあるという人も少なくない。だが、そういうベースがあるので、インドにしばらく暮らすと、インド人と対等に話すことができるようになる。やはり近い関係にある言語というものは有利だ。

ブトワルを出てから40分ほどでバイラワーに到着した。バススタンド(ここでは「バスパーク」と呼ぶ)に近づいたあたりで、宿から差し回しのタクシーの運転手から電話が入った。もうじきに着くと返事して、少しバススタンドで待ってもらうことにした。

バスパークに到着。降車口にタクシー運転手が来てくれた。ここまで来ると、あたりの人々の顔立ちはすっかりインド人だし、景色もインドと同じだ。バイラワーの北郊外にあるバスパークから少し南に下ると市街地に入る。このあたりまでは、かなり交通量が多いのだが、右折してルンビニー方面に向かうタウリハワー・ロードに入ると、片側二車線の立派な道路であるにも関わらず、バイクと自転車しか走っていない異様な光景となる。地元政党によるバンドのためで、四輪車は緊急車両、スクールバス等を除き、通行することが許されない。公共バスの往来は、もう4カ月以上も止まっているとのことだ。

そうしたバスも収益あってのことなので、オーナーや運転手、車掌のようにそれで収入を得ている人たちもそうだが、地元の住民たちも大変である。早くこうした状況が終わるといいのだが、これもやはり9月に制定された憲法問題の決着を見るまでは、そのまま続いてしまうのだろう。この10日間だけ、ルンビニーで開かれる仏教関係の祝祭のため、「外国人ツーリストのみ」を乗せたタクシーは、通行できるようになっているとのこと。

交通の遮断はさておき、インドによる封鎖については、これによって燃料代が2倍、3倍にもなっていると運転手の話。

空っぽになっているルンビニーのバススタンドのところで左に折れて、ルンビニーの集落までしばらく走る。遺跡地域はレンガ積みの壁で囲われている。道路右手が遺跡地域だが、左手には宿、食堂や店などが並んでいる。今シーズンは大変なスランプで、どこも困っていることだろう。

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ターンセーン滞在2

ネパールで販売されているタバコのパッケージが大変なことになっている。癌になった肺の解剖写真が表裏両面に大きく印刷されているのだ。インド、タイその他でも、パッケージにこのような写真が印刷されるようになっているが、タバコを締め出すのは世界的な流れであり、ブータンのように10年以上も前から国内でタバコの売買自体を非合法とする「禁煙国」さえある。日本のように「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。」と書く程度では甘すぎるといったところだろう。

タバコの過激なパッケージ

ポーカラーからインド国境に至る途中にあり、長いバス旅を途中でブレークするのにちょうどいいロケーションのターンセーン、地元の人は往々にしてパルパーと呼ぶが、カトマンズ等から来たネパール人観光客の姿が多い。同様に、本日からの自転車のレースに参加するというネパール人サイクリストたちの姿もある。最近はそういう若者もいるようで頼もしい。だが外国人の姿は想像していたよりもかなり少ない。

今年5月の大地震、9月から施行となった新憲法の内容に異議を唱えるタライ地域の政治問題、インドによるブロッケード等の問題がその理由なのだろう。地震については、このあたりは影響なかったのだが。空路の出入り口はカトマンズとなるし、やはり敬遠されてしまうこと、カトマンズ盆地その他のメジャーなスポットを訪問したついでにターンセーンを訪れることはあっても、この町が単体で集客できるんけではないので、やはりこういうことになるのだろう。

近年、日本に留学するネパールの若者が急増しているが、ここもまたそれを斡旋する業者のようだ。

「安く酔える酒」として人気があるのかどうかは知らないが・・・。

トラック野郎

観光業というのは実に水物だ。日本で、今年5月以降の箱根が火山活動の活発化により閑散としていたが、こうした仕事に従事している人たちにとってはとんだ災難だろう。火山活動の鎮静化しているようなので、今ごろは客足が回復していることであろうが。

昼食は昨夜夕食同様にNanglo Westに行った。

チキンシズラーを注文

町を歩いていると、近年の背の高い建築については、壁をチョンと押すと、ただちに崩壊するのではないかという気がする脆弱そうな建物をよく見かける。壁に漆喰が塗られていたり、その上からペンキで処理してあると、まるでしっかりしたコンクリの壁のように見えるが、実際はごくわずかに鉄筋入った柱で組んだフレームと、壁はすべてレンガ積み。重量はあるし、フレキシブルさもないため、地震が発生したならば非常に危険だ。

少し揺れたら崩壊しそう・・・。

だが、ターンセーンはいい町だ。ネワール建築が数多く残る落ち着いた町並み、斜面からの眺め、背後の山に囲まれた景色等々、ゆったりとした気分にさせてくれる。町の一角では、真鍮細工を生業にする人たちが集住している地域があり、彼らの仕事ぶりを拝見することができる。

ターンセーンのカレッジ。立派な建物だ。

山の斜面に位置するターンセーンは坂の町

町から南側を見下ろすとこんな具合

町の北側には山の景色が広がる。

伝統的な真鍮加工を生業とする人たちのエリア

真鍮加工の職人さんの手仕事

ターンセーンにやってくる際、先に訪れるつもりであったルンビニーに行くことが出来なかったので、スマホからルンビニーの宿2、3件に交通について質問メールしてみた。すると直後にひとつの宿から返信があったので電話してみた。ルンビニーからクルマをアレンジするとのことだ。現在、タライ地域の政治問題により、バイラワーからルンビニーへ公共バスは運行していない。地元の人々は日々大変困るだろうが、どうしているのだろうか。

夕食もNanglo Westに行ってしまった。

チキンのソテーと水牛肉の炒め物

キッチンを「魅せる場」として演出しているのもさすがだ。

満腹になって宿に戻る。

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RAGS TO RICHES

グジャラート州のマンジューラー・ヴァゲーラーという60歳の女性は、今から35年前には1日の稼ぎがわずか5 ルピーのゴミ拾いで糊口をしのいでいたという。

その彼女は現在、400名のスタッフを雇用して、年商1,000万ルピー(1,755万円を稼ぎ出すShri Saundarya Safai Utkarsh Mahila Sewa Sahkari Mandali Ltd (SSSUMSSML)という清掃会社の経営者となっている。インドのニュース雑誌でもこの関係の記事を見かけたが、彼女の息子は現在、医師として活躍しているそうだ。

底辺の仕事に就いて、やっとのことで日々生き延びているというのが、ごく当たり前の世の中であるし、そうした厳しい境遇ではなく、もっと恵まれた環境にある私たちでも、日々のルーティーンで手一杯で、大きく飛躍することはなかなか出来ないものだ。

こうした「デキる人」の日常というのは、やはりどこか違うのだろう。本人の才覚や努力はもちろんのこと、常に上昇していく強い意志を持ち、日々改良と工夫を重ねているのだろう。

This Woman was Once a Ragpicker, Today She Heads a Firm (iDIVA)

上記の記事によると、彼女がこうしたインフォーマルセクターで働く人たちを組織するアイデアを得たのはSEWA(Self Employed Women’s Association)というNGOとの出会いがきっかけであったとのこと。

SEWA (Self Employed Women’s Association)

様々な分野で数多くのNGOが活動するインドだが、そうした民間による自助努力を促す働きかけが盛んであることは、世界第2位の人口大国インドの強みである。

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ターンセーン滞在1

こちらは、ターンセーンでの滞在先、マンモーハン・シュレスタ氏のCity View Homestay。外が明るくなってきたので、さっそく町歩きに出ることにする。

ターンセーンでの滞在先

昨日夕飯を食べた人気レストラン「Nanglo West」併設のベーカリーで買ったココナツたっぷりのビスケットとマフィンをかじりながら坂道を歩く。

左手の建物がNanglo West


Nanglo West併設のベーカリーで買ったココナツクッキー

ネパールに長くお住まいの日本の方によると、この町の出身で繊維業で財を成した一族の御曹司がアメリカ留学を経て、カトマンズ中心部にレストランとベーカリーをオープンさせたのが、このNangloというチェーン店の始まりであったとのこと。スマートで洗練されたサービス、豊富なメニューと上手な味付け等々、とにかく素晴らしい。飲食業以外にもリゾートも展開しているようだが、このターンセーンには、「Nanglo West」以外にも、「Palpali Chhen」という、このグループが経営するホテルとカフェがある。

Palpa Chhenのカフェ

ここで朝食を済ませて外に出ると、上階からカッコいいマウンテンバイクを下ろして来る若者たちのグループがあった。彼らに尋ねてみると、首都カトマンズからやってきたそうだが、本日この町からスタートするレースに参加するのだとのこと。ネパールでも中産階級のこうした年代の人たちは、様々なアクティヴィティーに活発なようである。その他、ネパールの首都圏から普通に観光旅行で来ている人たちも少なくない。

私が訪れるよりも前に開催されたものだが、こちらもマウンテンバイクによるレースだ。




どういう料理に使うのは知らないが、ずいぶんカラフルな麺が売られている。


こんな色合いの麺もあった。

インド国境からそれほど遠くはないとはいえ、山地に入ってしばらく進んだところにある斜面の町ターンセーンには、中世を思わせる沢山のネワール建築が良い状態で維持されている。町中がきれいに清掃されているのも良い。インド世界の延長線上にあるタライ地域とは別世界である。16世紀にはカトマンズ盆地を窺うほどの勢いの在地勢力の中心地であったというだけに、なかなか見どころは多そうである。だが、もしここがインドの一部になっていたならば、このあたりにもUPやビハールからの人々が多数移住して、すっかりインドになっていたのだろうか、などということも思ってしまう。



価格の割に高性能な中華スマホHuaweiはネパールでも人気が高いのだろう。

宿近くのお寺、ビームセン・マンディルはこじんまりしているが優美な姿。いかにもネパールらしい寺院だ。境内では女性たちが鳩に餌を与えていた。

ビームセン・マンディル



坂道を下ったところにあるやや大きな寺院、木造で三層になっているアマルナラヤン・マンディルも見応えがある。

アマルナラヤン・マンディル





パールパー・ダルバールはマオイストに破壊されたものを修復したとのことだが、この中には入ることはできない。全国各地で内戦を繰り広げたマオイストとの和解と政府への取り込みについては、人類のひとつの快挙と言ってもよいのではなかろうか。もっとも、その後のネパール政局の迷走ぶりは、広く知られているところではあるのだが。

パールパー・ダルバール敷地への入口


パールパー・ダルバール

パルパー・ダルバールの脇に警察署があり、門の前で歩哨に出ている女性警官が可愛らしかったので声をかけてみた。ヒンディーで話すと、にこやかな表情で、すべてネパール語で返事が返ってくる。こちらが尋ねていないことまでいろいろしゃべるので、なかなかおしゃべりらしい。ネパール語なので、ちょこっとだけわかるような、あまりわからないような・・・。

羽根飾りが素敵な女性警官

山あいに広がる斜面の町、暖かい陽射しを浴びながら、今日はのんびりと散歩を楽しむことにする。伝統的で落ち着いた佇まいの町並みが素晴らしい。





「ターンセーン・ダーント・ウプチャール・ケーンドル」という歯医者さん

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