Paytm

Paytmでの支払いが出来ることを明示した露店

こんな露店でも電子決済(携帯電話による決済)を扱っているのだから恐れ入る。
かなり評判の高かった電子決済サービスだが、昨年11月9日の高額紙幣(旧1,000Rsおよび旧500Rs)廃止にともなう紙幣不足で脚光を浴びるとともに、さらに大勢の新規ユーザーを獲得したようだ。
店頭での支払い以外に、個人間での送金も可能だ。
電子決済の分野では、日本よりもずいぶん先を行く部分も少なくないインドである。

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インディアン・コーヒーハウス

コールカーターのカレッジストリートで書籍漁りをした帰りに、インディアン・コーヒーハウスに立ち寄ってひと休み。数々の文化人たちや一般社会の人々たちはもちろん、幾多の革命家たちからも世代を継いで愛されてきた、アジアきっての名門カフェだ。
コーヒーやお茶はもちろんのこと、けっこうちゃんとした食事も楽しむことができる。
常に多くの人々が出入りし、賑やかな会話が各テーブルから聞こえてきて、どこからかタバコの煙がゆっくりと流れてくる。
近ごろ流行りの洒落たカフェにはない重厚さがなんとも素晴らしい。

Indian Coffee House (zomato.com)

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コールカーターの街

英領期の壮麗な建築物が今もふんだんに残るコールカーター

文化人類学者の中根千枝氏が、戦後間もない頃に自身のコールカーター等に滞在している。彼女が何かで書いていたが、当時目にしたコールカーターの印象は、今の時代の私たちが感じるものとは相当異なるものであったようだ。

壮麗な建築物が整然と建ち並び、当時としては非常に良く整備された都市インフラと行き届いた給電があり、中には空調設備が整った施設もあったという。色濃く残っていた英国式マナーと文化的なたたずまい等々に感銘したらしい。インド独立直後のカルカッタは、まだ『先進的な欧州の街』であったのだ。

分離独立時の東パーキスターンからの難民流入に加えて、その東パーキスターンが西パーキスターンが相手の独立戦争を経て、バーングラーデーシュとして再度独立を果たすに至っては、さらに大きな規模の難民が雪崩を打って流れ込む中で、街中の様子が大きく変わったとも聞く。

その少し前から始まった基幹産業や銀行などの国有化政策により、大きく左寄りとなった中央政府のスタンスにより、90年代に入るまでは長く停滞が続いたインド経済だが、とりわけ西ベンガル州においては、70年代に共産党が政権に就いてから(2011年の州議会選挙で負けて野党に転じる)は、カルカッタの街は右肩下がりの低迷を続けた。

知の都コールカーターを擁する西ベンガルは、インドを代表する『革命の都』であったことから、様々な左翼活動家を輩出し、今も労働組合活動が大変盛んな土地柄だが、暴力的な極左勢力マオイスト(西ベンガルのナクサルバーリーで決起したことから、ナクサライトとも呼ばれる)が活動を始めたのも西ベンガル。

当時のカルカッタ大学にも、これに共鳴するシンパは多かったとのことで、英領期から続く名門大学の学生がかなりの規模で行方不明(警察による検挙)となった過去がある。初期のナクサライトを指揮したマーズムダールはベンガルひとながらもカルカッタ大学出身ではなく、デリー大学の卒業生だが。

カレッジストリートにあるインディアン・コーヒーハウスも、そうした若き革命家たちも出入りして、闊達に議論を戦わせる場所でもあった。
コールカーターでは、現在もユニオンや左翼政党による戦闘的なラリーが開かれたりポスターが貼られたりしており、今も革命の都の面影が感じられたりする。

インディアン・コーヒーハウス

インド共産党(マルクス主義派)の街角集会

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元人民解放軍兵士54年振りの里帰り

ラージ・ババードゥル、本名王琪(Wang Qi)という在印華人のことがメディアで取り上げられている。

在印華人たちが1962年に起きた中印紛争をきっかけに、「敵性国人」の扱いを受けることとなり、カルカッタその他に暮らしていた彼らが次々に拘束されて、ラージャスターンのデーウリーにある収容所に送られたこと、その後も常に公安関係とのトラブルや差別的な扱いが続いたことから、大勢の華人たちの脱出が続いたことが知られている。

もともとインドに在住していた人たちとは異なり、国境地帯に勤務する人民解放軍の測量兵だったので、紛争の当事者のひとりであったとも言えるのだが、紛争数週間後に国境のインド側で迷い、インド赤十字に助けを求めたところ、インド軍に引き渡されている。

その後、スパイ容疑で7年間服役したが、出国許可を得ることが出来ず、M.P.州のナーグプル近郊の村に定住することとなり、現地女性と結婚して家庭を持ち、今では3人の孫もいるそうだ。

The Chinese man trapped in India for half a century (BBC NEWS)

駐インドの中国大使館の力添えと旅費の工面により、彼が今月11日に故郷の山西省に里帰りして、親族たちとの再会が実現している。

Chinese soldier returns home after 54 years in India (CGTN AMERICA)

元兵士とはいえ、インドに対する工作活動は、軍人であるがゆえに上官の命令に従ったがゆえのものであり、半世紀以上もの長きに渡り、故郷の地を踏むことさえ出来なかった彼もまた、戦争の犠牲者のひとりであったと言えるだろう。

報道されている内容から察する範囲では、王琪さんはインドで円満な家庭を築くとともに、地域で良好な人間関係にも恵まれているらしいことは幸いなことである。

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NAHOUM & SONSのケーキとビスケット

以前、コールカーターの老舗洋菓子店と題して取り上げたNAHOUM & SONS。カルカッタに現存する最古の洋菓子屋。『ナフーム』という名の示すとおり、ユダヤ人家族による経営で、創業1902年の老舗。

先日、欧州飯店再考で取り上げた「コールカーターに現存する最古の中華料理屋」のごとく、植民地期には洋菓子店はいくつもあったはずなのだが、この土地を離れたり、廃業したりしている中で、店を続けていくと最も古くなってしまう。冷蔵庫の無いころのケーキはこんな感じだったのだろう。ユダヤ人店主はもう高齢なので、店には出てこないようだ。

植民地期の欧州人地区に隣接していたニューマーケットにあるが、サダルストリートからは目と鼻の先なので、すぐに買いに行けて便利だ。

Nahoum店内

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