フライトの振替 250km先から出発

グジャラート州カッチ地方の中心地ブジの町に滞在していると、夕方以降の遅い時間によく飛行機の爆音が聞こえてくる。民間機が発着する時間ではないため、おそらく軍の飛行機なのだろう・・・などと思いながら、ウトウトしているうちに眠ってしまった昨夜。

今朝は早起きして出発準備。本日この朝7時半にチェックインとのことなので、6時50分に階下でチェックアウト。このホテルは空港までの送りをクルマでしてくれるとのことでタクシーを呼ぶ必要はない。午前7時でもまだまだ暗いのは、広大なインドの西端にいるがゆえのこと。

空港にはまだ人影は少ないが、早く到着する分には損はない。警備の人たちの立ち話から、昨日夕方のエアインディアの便がキャンセルとなったことが判り、何故かちょっと気になる。私が利用するのはジェットエアウェイズのムンバイー行きのフライトであるが。

預け荷物のXレイ検査機械の前で一番で待っていると次第に私の後に列が出来てくる。ジェットエアウェイズの人たちが次々に入ってきて、ようやくチェックインの始まりとなるようだ。

・・・と思っていたら「ロンドン行きの人は来てください」という案内があった。てっきりムンバイーからロンドンに向かう乗り継ぎ便がキャンセルとなった人たちがあるのかと思いきや、実は私が搭乗するはずのフライトがキャンセルになったとのこと。「ロンドン行きの人たち」を呼んだのは、国際線の乗る人たちを優先して振り分けようということだったようだ。

振り分け作業も遅々たるもので、ようやく私の番となり、どうなるのかと思えば、アーメダーバードからムンバイー行きのフライトに振り替えるとのこと。クルマで空港まで送るとは言うものの、7~8時間の道のりだ。本日午後のブジからムンバイーへのフライトについて聞くと、満席のためチャンスはないとのこと。他の乗客についてもブジからの午後便に振り替えられた者はないようで、カウンターでの喧々諤々のやりとりを耳にする限りでは、誰もが他の空港からのフライトをあてがわれているようだ。

「とにかく急ぐので」と頼むとラージコート行きのフライトとなった。これとて、ここから5~6時間くらいはかかるだろう。正午過ぎのフライトに間に合えばそれに乗れるし、それがダメだったら午後5時のものになるという。こればかりは仕方ない。ラージコート便への振替の他の乗客たちとともに、航空会社差し回しのクルマで出発する。

つい先日、ラージコートからブジに移動したが、まさかこうして再び同じ道をたどるとは想像もしなかった。ムンバイーからのフライトを予約したとき、カッチ地方のみを見て回るつもりであったのでブジ往復で予約したのだが、ブジに到着してから思いついて、サーサンやラージコート周辺も訪れることにした私である。ラージコートに着いた時点で、ブジからムンバイーに戻るフライトをキャンセルして、ラージコートからムンバイー行きを確保すれば良かったではないか、などとも思うが、今さら仕方のないことだ。

それにしても、フライトがキャンセルとなって、乗客全員を250km先の(ラージコート)、や400km先の(アーメダーバード)まで振替を実施したジェットエアウェイズだが、これが国営のエアインディアであれば、そのような措置はおそらくなかったことと思われるので、やはりジェットエアウェイズにしておいて良かったと思った。

ブジを出てからしばらく経つと、クルマは大きな幹線道路に出た。カッチ地方とサウラーシュトラの境のあたりの広大な塩田と発電の巨大な風車がたくさんならんでいる景色を眺めつつ、クルマは進んでいく。ちょうどリトル・ラン・オブ・カッチのあたりである。

カッチ地方とサウラーシュトラでは少し景色が異なるようだ。後者のほうが緑がかなり多くて畑も多いように思われる。さきほどの風力発電や塩田のあたりを境に、どちらも平坦ながらも急に風景のイメージが変わるのが面白い。ブジからラージコートに行くときにそう感じて、ラージコートからブジに帰る際にその印象を再確認した。またこうしてふたたびラージコートに向かっていてもそうなので、やはりこれでまちがいないのだろう。

ブジを出てから4時間ほどでラージコートに到着。途中幾度も停車していくバスではなく乗用車なので、その分早かった。市街地の混雑した中をクルマが進んでいくと唐突に空港が現れた。人口規模130万人ほどの街だが、これほど中心部に近いところに滑走路があるというのは、他にあまり例がないことだろう。この時点で12時半。すでにフライトはドアを閉めたとのことで搭乗できなかった。よって午後5時のフライトとなった。

それまでしばらくの間、他の振替え客たちとの雑談や日記書きの時間となったのだが、時間というものはいつもあれよあれよという間に過ぎてしまうものだ。やがてチェックインの時間となった。

フライトは1時間ほどでムンバイーへ至る。広大なダーラーヴィーのスラムを眼下に見ながら着陸。こういうロケーションにあるスラムは、中国ならばとうの昔に取り壊していることだろうが、そうはならないのはインドらしいところである。

着いて荷物を待っていると、同じジェットエアウェイズの午後便は、こちらよりも少し早く到着していたようで、乗客たちは荷物をピックアップしている。どうせならこちらにしておけば良かったのだが、こればかりはその時にならないと分からない巡り合わせなので仕方ない。キャンセルとなるとわかっていて、そのフライトを予約するわけではないのだから。

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ゴーンダル3

ナウラーカー・パレスの入口

オートでナウラーカー・パレスに移動。こちらは前述のふたつのパレスに比べるとかなり古いが実に豪奢な造りである。オーチャード・パレスでもそうだったが、ここでも自由に歩きまわることはできず係員がついて周り、いちいちカギを開けて室内の電気を付けて、という具合になる。やはり管理上の理由からであろう。ここでのコレクションは主に古い文物であったりして、あまり印象に残らなかったが、それらとはかなり異なる展示物もあった。王家の子どもたち、おそらく女の子たちのための人形がたくさんあり、これらは欧米からのものだろう。いかにも俗っぽいところが、ちょっと微笑ましくもあった。

王女たちの人形コレクション

「藩王の執務室」であったのだとか。

また子どもたちのものが中心と思われるが、膨大なミニカーのコレクションもある。現在の当主はロンドン在住だが、若いころはヨーロッパでレースに出場するなど、やはりクルマ好きであったそうだまた、ここの宮殿には馬車のコレクションがあるが、これまた大変な数である。これらの車両は英国からの輸入らしい。自動車出現前からこの一族はやはりクルマ狂であったらしく、やはり血のなせる業なのだろうか。

オーチャード・パレスの自動車コレクション同様、ナウラーカー・パレスの馬車コレクションも秀逸

パレスの塀には無数の割れガラスが刺してある。こうした「防犯装置」は庶民のそれと特に変わるところはない。

過去の王家の人々のポートレート

王家の子供たちの遊戯室

朝、宿を出る前にトーストとチャーイしか腹に入れていないので、非常に空腹である。しばらく付近を散策してからマーケットで見つけたレストランで軽食。まったくもってひどい「ピザ」だが、まあ味は悪くない。

食事を終えて、オートでゴーンダル駅に向かう。この駅からラージコートまでは10Rsと、バス代の四分の一くらいである。本数が少ないので日々の行き来に利用するのはたいていバスだろう。だがここからラージコートに向かう列車に乗る人たちはけっこうあった。ここには一日に数本の急行も停車する。

バクティナガル以降はガラガラの車内

ラージコートまでの間にひとつだけバクティナガルという停車駅がある。駅だ。さきほどまでは車内はいっぱいだったが、ここで大半の乗客が降りてガラガラになった。ラージコート郊外の住宅地である。スマホの地図を表示すると、Bhaktinagar Stations Slumというのが駅の西側に表示されたが、そちらに目をやると、周囲の落ち着いた住宅地とはずいぶん環境の異なるひどい状態のスラムが広がっていた。

ラージコートに到着。駅に表示されている主な列車の中にラメースワラム行きのものが週に2、3本あることに気が付いた。ここからだとかなり時間がかかることと思うが、かつてはメーターゲージだったはずのこちら(ラージコート)とあちら(ラメースワラム)が直接繋がったのは、インド国鉄が全国的に進められている線路幅の共通化、つまりブロードケージ化への努力のおかげである。

インド亜大陸の鉄道は、他ならぬ大英帝国の偉大なる遺産だが、かつては幹線鉄路はブロードゲージ、支線は往々にしてメーターゲージであったことから、旅客や貨物の輸送に支障をきたすという「負の遺産」も抱えていた。大量輸送と高速化に有利なブロードゲージで統一するという、大きなコストや手間と時間のかかる作業にインド国鉄は取り組んでいる。

ちなみに、異なるゲージ幅の鉄路への対応として、隣国バングラデシュは、これとは異なる「デュアルゲージ化」という手法で対応している。つまりひとつの軌道に三本目のレールを敷設することにより、どちらの車両も走行できるようにするというものだ。

線路は続くよ、どこまでも 3 (indo.to)

鉄道輸送に依存する度合が相対的に低く、低予算という面からは効率の良い手法だろう。

〈完〉

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ゴーンダル2

ゴーンダルのもうひとつの宮殿はオーチャード・パレス。これは比較的新しい洋館である。入場料は中のいくつかの展示と写真代を含めて120Rs。王家のクルマのコレクションが大変なものであった。とにかく大きくて豪華なクルマが好きであったようで、多くはアメリカ車だ。

職員の説明によると、どれもが今でも走ることができるコンディションに保たれているとのこと。1950年代の黄金期のアメリカ車を中心にその前後の時代のクルマやその後のものもあった。こんなにたくさんのクルマを購入して、それらすべてを頻繁に乗り回すことはなかったのではないかと思う。収集癖というものだろう。

こうした高価なクルマをしかもこんなところまで運ばせるには相当なコストがかかったことと思う。すでに藩王国が廃止されている時代以降のものでもあるわけで、インド独立により共和国に編入されてからしばらくは政府からの年金が補償的な意味合いで支給されていたにしても、それだけ多くの蓄えがあったわけである。独立前、1930年代に王は自分の体重と同じだけの金を貧窮のために寄付したこともあるとのことだが、それにしてもそれ以上に人々から収奪していたということになる。

宮殿中は大半が洋風である。だがラウンジ(Baithak)のみは、室内は洋風であるものの、フロアーにマットレスを敷いて、枕状のものが置かれており、いかにもインド式だ。宮殿内は、豪華絢爛というほどではないが、美しくまとめられている。ゴーンダルの宮殿は、政府に接収されていないので、また王家が今でもメンテに費用をかける余裕があるということもあるのだろうが、実に美しく保っている。これが政府のものになっているところだと、かなり悲惨というか、過去の栄華をあまり感じさせない苔むした感じであったり、すっかり日焼けしてしまったりするものだ。ふと思い出したが、2008年にネパールの王室が廃止されてから1年余り過ぎたあたりの頃、博物館として市民に開放されるようになった王宮を訪れたことがある。当時、まだ王室が放棄してから日が浅かったため、とてもいいコンディションであったが、今はどんな具合だろうか。

ゴーンダルの旧王家の人々は、現在ロンドンでビジネスを展開していているとのことだ。その中にはホテル業もあるという。時折、ゴーンダルに戻ってくることはあるとのことで、その際には本日見学した宮殿の少し裏手にあるもう屋敷に滞在するのだそうだ。

ここで働くスタッフについて興味深いことに気が付いた。ここで働いている人たちの多くは、藩王国時代から世襲で雇われている人たちであることだ。王家の人たちとの長年の信頼関係ということのようだ。彼らは、ここの敷地内に住居が与えられている。

宮殿のすぐ横にはロイヤルサルーンと書かれた、王家が鉄道で移動する際に使用した専用車両が置かれている。嬉しいのは、その車内に入って見学できることだ。キッチン、シャワー室、トイレ、リビングが装備されている。これまた豪華である。こうした車両で移動したならば非常に快適で疲れることはないだろう。こういう車両は、単独で機関車に接続して独自の時間で走ったのか、既存のエクスプレスに連結したのか、質問するのをつい忘れていた。

王室専用車のキッチン

王室専用車のシャワー室

王室専用車のトイレは意外なほど普通な印象

〈続く〉

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ゴーンダル1

朝8時ごろ、ラージコートのバススタンドにから乗車する。本日の訪問先はここから頻繁にバスが通じているところなので楽だ。1時間もせずにゴーンダルに到着、スワーミー・ナーラーヤン寺院の前で下車した。

ずいぶん新しくてキレイでお金がかかっていると思いきや、デリーやアーメダーバードのアクシャルダム寺院で知られる天下のBAPS (Bochasanwasi Shri Akshar Purushottam Swaminarayan Sanstha)の寺院であった。

具体的にどうやって大口の集金をしているのか知らないが、詳細は知らないがインドでも宗教法人への寄付は税制上の優遇措置がなされているはずとはいえ、宗教団体がやたらと多くてライバルがとの競争も盛んな中、しかも人々の収入がほぼおしなべて低い中、確実にサクセスを重ねてどんどん立派なお寺を建てていくには、大変優秀な凄腕の敬遠手腕を持つマネジメントが必要なはずだ。そうでなければ、場末の小さなお寺で終わってしまうからだ。もっともそういうケースのほうがはるかに多いのだが。

寺院内を見学してから鉄道駅に向かう途中、ロワーミドルクラスくらいの住宅地が続いている。道はきれいにしているし、家々も豪華ではなくどちらかといえば簡素ではあるものの、規模はそれなりで清潔そうにしている。多くの家に屋号が付いている。たいていはマートリ・クリパーとかシュリーラーム・クリパーとかいう名前。こうした屋号がつけられているのは、ここに限ったことではなく、西ベンガルでも盛んだし、インドで広くそういうものはある。しかしながら、ここのようにどこの家もがそうしたタイトルを付けている家並みというのはあまり記憶がない。

すぐに鉄道駅に付いた。小さな駅だが、それでもプラットフォームがとても長く、駅舎も日本のそれに比べるとずいぶんと立派なのがインドの鉄道駅である。一日にそうたくさんの停車する列車はないし、貨物列車もそんなに多いようではないにもかかわらず。現在のように道路交通網が発達してくると、こうしたローカル線の存在意義はかなり薄れているかもしれない。とりあえずここに来てみた理由は、ラージコートへの帰りは鉄道にしたいと考えているので、発車時刻を確認しておきたかったからだ。16時16分出発の各駅停車があるので、それを利用することにした。

ゴーンダル駅時刻表

その後、歩いてリバーサイド・パレスに行く。ここはホテルにもなっているそうだが、今はちょっとした改修中であるとのことで、入ることはできなかった。今も王家の所有だという。

リバーサイド・パレス

その隣にある非常に見事なコロニアル建築の巨大な学校は、藩王国時代に開かれたもの。若い頃にイギリスに留学した藩王が、ロンドンのテムズ河沿いのある学校を模して建てさせたとのこと。

〈続く〉

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モールビーへ

先日、ブジからラージコートに向かう途中で見かけたマニ・マンディルが気になって、モールビーの町に来た。ラージプート建築と西洋建築の混交だが、キリッと端正な佇まいが印象的だ。

宿近くのバススタンドからモールビー行きのバスに乗り、1時間半程度の道のり。モールビーにはバススタンドがふたつある。新バススタンドはラージコートに近い側にあり、古いほうはもっと奥にある。古いほうのバススタンドで降りて、町中を回る。

Darbar Baghの入口

まず向かったのはダルバール・バグ。この中には入ることはできなかった。このモールビー自体が小さな藩王国の王都であったのだが、旧王家の人たちはムンバイーに住んでいて、ときどきモールビーを訪れることがあるという。また旧王族の人たちの中には現在ロンドンに住んでいる人もあるのだとか。

すぐ左手には現在ホテルに改修されている宮殿がある。料金は7000Rsが5室、9000Rsが2室である。それぞれの部屋にVijayaba Mahal, Kesarba Mahalといった名前がついている。

7000Rsの部屋でもさらに税金が追加されるため、 今のレートで一泊15,000円くらいになるので高いのだが、部屋の内部はいかにもパレスという、なかなかいい感じだ。こうした見事なヘリテージホテルがあるのもインドのこの地域の観光の魅力だろう。ただし、このホテルに宿泊する客がそれほど多いとは思えない。町の見どころは限られているし、宿泊するならばもっと便利な場所が選択されることだろう。

ホテルはオープンしてから7年目とのこと。宮殿自体は築150年とのことである。今も旧王家所有だが、ホテルのマネジメントはState Hospitality Servicesという企業に委託している。館内にはHaveli Reataurantというレストランもある。

Darbargarh Palace
State Hospitality Services

この宮殿ホテルの脇には、背後を流れるマッチュー河に架かる吊り橋への入口がある。元々は木でできたものであったそうだが、現在は鋼鉄のロープで吊られており、鉄製の床板が敷いてある。付近には、これまたモールビーの王家所有の宮殿のひとつであったというカレッジがある。

それからマニ・マンディルに向かう。2001年の地震でひどく損傷したとのことで、2年前から修復中とか。外装は完了したものの、内部はあと2ヶ月かかるとのことで入場することは出来なかった。よって外からの見学のみ。2001年のカッチの大地震の際にはこのあたりでもかなり被害が出たということは聞いている。

さて、このマニ・マンディルが落成したのは1930年年代とか。隣のラージャスターン州とともに、グジャラートでも様々な藩王国が割拠して、イギリスはそれらを通じて間接統治していたのだが、各地の藩王が競って西洋文化を吸収していた時期には、新しい建築技術やスタイルを導入して、ユニークな建物があちこちで造られている。それぞれ趣のある旧王都を訪れるのは楽しい。

建物だけではなく、イギリス当局との協力で鉄道を敷設したところもある。もっとも自らの積極的な意思というよりも、イギリス当局による強力な要請によりということもあったのかもしれないが。イギリスが去り、インド共和国成立後には、藩王国は共和国に吸収され、藩王国が敷設した鉄道もインド国鉄に統合された。

マニ・マンディルの敷地内に食い込む形で立地するダルガー(聖者廟)がある。これを多様性の中の調和と見るか、ムスリムによる侵食と見るかは人それぞれだろうが、少なくとも近年までは無かったはずところに新たにダルガーが出現する過程を調べてみると大変興味深い事象があるはずだ。また、こうしてマニ・マンディルの修復に多大な資金を投入して作業が進行中である中、ダルガーの存続についても様々な議論、ローカルな政治的な駆け引きなども行われていることだろう。

マニ・マンディルの手前に立地するダルガー

その後、ネールー・ゲートに行く。インド独立前にはLloyd’s Gateと呼ばれていた門である。本日、こうしてマニ・マンディル以外のところも見たのには、昨日ラージコートで、モールビーに住んでいるというエンジニアの人と話す機会があったからである。いくつかの見どころを彼に聞いておくことができた。モールビーは小さな町なので、かつてラージコートで多く目にすることが出来たような古い建物や町並みがけっこう残っている。

非常に大きな鍋でチャーイを淹れている露店があった。立ち上るチャーイの芳香が鼻をくすぐり、それだけでいい気分にしてもらえる。

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