中華料理屋「中華」

暑い中を歩いていると、汚い酒場みたいなところで、デーシー・シャラーブではなく、ビールを出しているという店があった。渇きについつい引き込まれそうになるが、ここで飲んだらもう1日が終わってしまいそうなので我慢する。

ビアバー

さらに進んでいくと、どう見ても本当のインド華人が経営していそうな中華屋があったので入ってみる。出てきた年配男性に尋ねてみると、数年前までは華人が切り盛りしていたが外国移住のためインド人に売却したのだという。その男性を含むスタッフたちは華人時代から働いており、今年でなんと43年目なのだとか。

中華料理屋「中華」
店内も本格的
メニュー

移住先はインド華人定番のカナダとのこと。彼らの大半がカナダ行きであり、そのマジョリティーはケベック州、その中でもモントリオールとその周辺が多い。先行した移住者たちのツテや縁があるからのようだ。

カーンプルのこの中華レストラン「中華」でチャプスィを注文。ひとりでは持て余す分量ながらも優しい繊細な味付けと野菜にコシがのこしてあるのは、さすがインド華人直伝。長崎皿うどんさながらの味わいだ。

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カーンプルのパールスィー寺院

カーンプルでの宿泊先の隣はパールスィー寺院であった。今はもう4、5家族くらいしか当地には残っていないという。

カーンプルは軍の駐屯地で英国人人口も多かったため、植民地時代に買弁として活躍したパールスィーたちの中には軍に納める武器弾薬その他の軍需品調達業者が多かったため、彼らにとっては稼ぎやすい街だったのだろう。

宿近くにパールスィー寺院があったが、そのまた近くにパールスィーの会社がある。あぁ、本当にここにいるのだね、と実感。

パールスィー寺院
パールスィーの会社(名前からしていかにもという具合)

ヴァンデー・バーラトでカーンプルへ

プラヤーグラージ駅停車中のヴァンデー・バーラト
ヴァンデー・バーラトの背後の列車車両の壁が大きく破損している。何が起きたのか?
疾走するヴァンデー・バーラト
プラヤーグラージからわずか2時間ほどでカーンプルに到着

プラヤーグラージを出てから2時間ほどでカーンプルに着いた。ここに滞在してから出発の日は朝の大変早い時間帯に出るため、駅舎の目の前の宿を予約していた。

しかし宿のフロントでは、「予約は入っていない。そもそもオンライン予約は受け付けていないと言われる。大手宿泊予約サイトで予約を入れているし、ホテル名と住所は間違いないのだが。

このホテルはWBという安宿を展開するグループのもので、ちょうどOYOのようなものらしい。つまりグループが所有しているのではなく、既存のホテルが加入するような具合。料金は現地支払いとしておいたのだが、不泊として予約サイトから課金されてはかなわないので、アプリで苦情申し立てるとともにWBにも電話をするが、営業時間外で出ない。

あたりはホテルがたくさんあるのだが、どこも外国人ということで断られた。「うちはC-Formの扱いをしないので」とか「C-Formの紙を持ってないので」とか。いずれも「空室はたくさんある」とのことなのだが。

宿泊には、インドの運転免許とかアーダールカード等の身分証明書が必要なため、遺跡に入るときのように「オレはインド人だ」は通用しない。

最後に入ってみたホテルで、「外国人が泊まれるホテルを知っている」とのことで、教えられた名前をググって電話すると、あっさり「外国人OKです」とのこと。しかもこのホテルの人がバイクでそこまで送ってくれた。どうもありがとう。

グワーハーテイーの駅前通りもそうなのだが、インドではときどき「外国人が泊まりにくい街」がある。手当たり次第当たっても見事に「外国人は宿泊不可」と断られるのだ。

さて、そのC-Formだが、ここの宿ではスタッフが私の旅券の写しを見ながらウェブでカタカタ入力していた。そう、今の時代、オンラインで申請できるのだから駅前のホテルもチャチャっとやってくれればいいのに。

以前、ラージャスターンのシェカワティーで自分でウェブ版C-Formを入力したことがある。宿の人が「今日はウチの若いモンがいないからやり方わからん。悪いが他の宿に行ってくれ!」と投げ出してしまったので、やむなく私がやることになった。ちょうどインドビザのウェブ申請をとても簡略化したような内容だった。

そんなわけで本日はカーンプルのモール・ロードにあるホテル・ガガーン・パレスに投宿。

Civil Lines, Allahabad

プラヤーグラージことアラーハーバードのシヴィル・ラインスの凄さを再び体感できるかな?と訪れた今回。

ニューデリー建設以前の英国統治下インドにおける最大の「人工都市」であったのがアラーハーバードのこの地区。

建設されたのが19世紀半ばだったので、20世紀に建設されたニューデリー地域よりも格段に古い。それでも広々とした道路ときっちり整備された区画、そして端正な植民地建築で知られていた。

実は、1989年に少し訪問して、この地域で物凄く立派なコロニアル建築がたくさん残っていて、街区もきれいに整っていた(建物は相当くたびれていたが)ことに、大いに感激。

あれから長い年月を経ているし、インドも経済成長を経て、古い建物はどんどん取り壊して別の眺めになっているかも?と予想しつつも、やはりどこかで「アラーハーバードの衝撃」を彷彿させる感動があるかも?と期待して来てみた。

結果として、やはりコロニアル建築の大半は姿を消しており、現存するものの多くは残念な状態。それでも来て見てよかったと思ったのは、朽ち果てていても見事な英領時代の建物は今もあること、この地区には英国人とアングロインディアンのみの「ブリティッシュ地区」で、彼らの信仰を支えた大聖堂が今も取り壊されずに残っていたこと。

いまさらながら仕方ないけど、英領期の面影がふんだんにあった前回訪問時、じっくり滞在して、このシヴィル・ラインス地区をしっかり観察しておけば良かったと思う。まだクルマも少なくて、自転車であちこち往来できた当時のアラーハーバードであった。