排泄と食事

21世紀に入るあたりから、インド各地でモールが普及するとともに、そうした施設には必須の「フードコート」がインドの外食文化を大きく変えたと言える。フードコートが屋台文化の延長であるとするならば、露店はあっても屋台文化は無かったインドでは画期的なことであったからだ。そのような場所が増えるとともに、カジュアルで照明の明るいレストランが増えることとなった。

インドにおいて、フードコートがなぜ画期的であったか。それは昔々のインド人家庭に食事に招待されて、家人は食べていないのに自分だけ、どんどんサーブされて食べさせられることを経験したことがある人は多いだろう。そしてグルドワラーでランガルが行われること、ある程度以上の高級レストランでは、メニューの文字が読めないほど照明が暗かったこと、インドでは安ホテルでもルームサービスはごく当たり前にあること等々と、深く繋がる食における文化背景がある。

インドにおける食事は伝統的には「個食」だ。古い時代のインド映画で、夫に金属皿を渡した妻が、次々におかず、ローティーやご飯をサービスしていく。夫はそそくさとそれらを食べてサッサと立ち上がって去っていくような描写がなされていた。画面には出て来ないのだが、奥さんはその前か後に、やはりそそくさと食事は済ませているはずなのだ。

会食は儀礼的な意味合いを持ち、婚礼その他の社会的通過儀礼の際以外にも、たとえば何かあって所属するコミュニティー(カースト)から追放された個人が復帰する場合には、コミュニティの仲間が集まって彼の復帰を認める印として会食がなされていた。

グルドワラーでのランガルは、食べ物に事欠く人への慈善行為や食いしん坊へのサービスなどではない。カースト、コミュニティが異なる人と食事を共にしないというタブーを破る行為であり、そういうタブーをタブーとしない「我ら同じ人間」というコミュニティーの一員であることを確認する儀式的な行為なのだ。

とても暗かった高級レストランは、様々な出身の人たちが同じフロアーで食事をすることに対して、「闇」というパルダー(カーテン)を用意して個々の客それぞれに「専用空間」を演出していた。同じ場所で食事をしているように見えても、闇で仕切られている個の空間であったのだ。

エコノミーな食堂でも、保守的な地方では席ごとにキャビン状に仕切ってあったり、布のカーテンで個室的な空間を用意するところがよく見られたことも、同じ理由による。

こうした背景から、インドの宿泊施設では料金帯を問わずルームサービスが普及している。保守的な価値観ではやはり食事の基本は個食であるからだ。

90年代半ば、時の若手人気俳優、今でも盛んに活躍している人気スターだが、「レストランで食事している様子を写真に撮られた」とのことで、カメラマンを小突いた(実際には激しく殴ったらしい)ことで問題になりました。そのとき彼のメディアに対しての釈明はインド人ならば「なるほど」と理解できたものであっても、おおかたの外国人からするとその範囲ではないだろう。

「セックスや排泄と同じく、極めてプライベートな行為をしている最中を撮られた。こんなことが許せるのか?」というものであったからだ。この俳優の表現には、極端な誇張があるとはいえ、インドに屋台文化が無かったことには、このような文化背景がある。

そんなあり得なかったことが今は当然のものになってしまっている裏には、90年代後半以降の急激な経済成長とライフスタイルの変化がある。今のインドの中年期以降の人たちにとって、食事のありかたひとつ取っても、「僕らの子供の頃からは考えられない」今の時代だ。

そうそう、「家族連れの外食」についても、90年代後半のインド市民の間での「旅行ブーム」勃興以前には、大都市圏や当時のメジャー観光地を除けば例外的な行為であった。そのため80年代以前のインドには「フォーマルだが薄暗いアップマーケットなレストラン」や「とにかく減り腹を満たす安食堂」「通な旦那衆のための硬派なグルメの店」はあっても、「ファミレス的な明るいレストラン」は不在で、「家族連れも仲間同士も仲良くガヤガヤ」の屋台文化にも無縁であった。

ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り⑨

ヴィラーサト・トラストでは、村々で民俗画保存の活動を進めるとともに、インド各地や欧州を含む海外でも展覧会やワークショップを開催するなどして、ハザーリーバーグ周辺の村々の民俗画への認知を高める取り組みを実施している。

また、アーティストたちによる作品を空港、鉄道駅などに展示するたともに、バザーリーバーグの公共施設の塀などにも描かせることにより民俗画への認知度を高める試みを実施している。

行政もこうした活動については前向きのようで、活動のために資金その他の支援に乗り出しているとのこと。ジャールカンド州ではまだ存在しているとは言い難い観光業の振興への貢献も期待される。

しかしながらスポンサー側にも都合や思惑があり、本当は鉱物由来の染料で描くところ、ペンキを使うように言われたり、ジャールカンドのアーディワースィー(先住民)のヒーロー、ビスラ・ムンダーを描くよう頼まれたりしたりと、当惑するようなことがいろいろあるようだ。

しかしながらこれまでの取り組みが功を奏して、ハザーリーバーグ周辺の民俗画がGIタグ(Geographical indication Tag)取得することとなり、この地域固有の文化としてさらなる認知が高まることが期待される。

GI tag for Jharkhand’s Sohrai Khovar painting, Telangana’s Telia Rumal (The Hindu)

ハザーリーバーグのソハラーイー・ペインティング、コーワル・ペインティングについては、これに関する研究を長年続けてきたブル・イマーム氏による以下の文章をご参照願いたい。

Comparative traditions in village painting and prehistoric rock art of Jharkhand (XXIV Valcamonica Symposium 2011)

コロナ禍のため、しばらくの間はインドと諸外国との間の往来が困難な状況が続いているが、長期的にはインドの新たな魅力として広くアピールするポテンシャルに満ちているはずだ。

絵が商業化されて、男性の描き手が続々参入してくるという、ミティラー画等と同じ轍を踏むことになるのかもしれないが、これらの伝統を維持してきたアーディワースィー(先住民)の人々の暮らしぶりや村でのライフスタイルなどといった生活文化も合わせてトータルにアピールできるようになると良いと思う。

得てして、商業化、観光化というものは、外部からの資本とマンパワーの進出を招き、もともと現地に暮らしてきた人たちのメリットが顧みられないようなケースが少なくないのだが、そのあたりのバランスをどう保っていくのか、今後の進展に注視していきたい。

既出だが、ドウジーナガル村すぐ外の民家。訪問当時、ホームステイ受け入れを打診中とのことであった。まさにそれが描かれている家に滞在しながら民俗画を鑑賞できる機会が出てくると面白いかもしれない。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り⑧

イスコの村の近くには、大地に横たわる大きな岩の割れ目に描かれた絵が残されている。10,000年以上も前に描かれたものであるとのこと。この時代にどういう人たちが暮らしていたのか、これを描いたのはどういう民族なのかなど。まだよくわかっていないらしい。ここに描かれている絵と現在の民俗画との関連性が指摘されているとも言う。もしかすると、ザーリーバーグ周辺の民俗画は、インドの古代史におけるヴェーダやインダス文明よりもはるか昔にまで遡るものなのかもしれない。

 

イスコの村から壁画がある岩までは徒歩圏内

この斜面の下が岩になっている。

1万年以上も前に描かれたとされる壁画

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り⑦

午後はムンダーの人たちが暮らすイスコーの村、そしてジョラーカートの村へ。やはり土造りの家は手入れがなかなか大変なようで、しばらく放置されていると、このようになってしまう。背後にはレンガ積みの建物があり、やはりこちらのほうがはるかに耐久性は高そうだ。

民俗画を描く習慣は、農作物の収穫が終わる時期に、土壁の補強、補修を施したうえで、のものであるだけに、レンガ積みの家屋、あるいはそれよりも費用がかかるコンクリートの家が建つようになると居場所を失ってしまう。

イスコー村

今のように現金収入に乏しい生活を続けて土造りの家に暮らすという前提あってこそ続けていくことができる伝統であるゆえ、村人たちの生活向上という、あるべき未来がやってくる前に、なんとかこれを紙などに描くアートとして定着、振興させて現金収入の有効な手段となるところまで持って行く必要がある。時代が移り変わるとともに廃れてしまうことになるからだ。

また、家々に描かれた民俗画というものによる観光の振興というのも、そうたやすいものではないものがある。なぜならば彼らの生活の場に踏み入ることによって鑑賞することが可能になるわけであり、今回訪れた私のように彼らの民俗画を振興させようという活動をしている人に連れてきてもらう分には、彼らにとってもまだ珍しい訪問者は歓迎されるのだ。しかし、そうした立場の人による案内なしに、彼らの村に観光客が次々に訪問するようなことになったり、さらにはプライベートな空間に押し入ったりということは、まったく好ましいものではない。

そうした面からも、この民俗画を「アート」として広く認識させて、これを描いたものが家の壁であれ紙であれキャンバスであれ、正当に評価されるというインフラが必要となってくる。私がここを訪問した後、ヴィラーサト・トラストによる長年の働きかけが功を奏して、2020年5月にハザーリーバーグの民俗画に対してGI (Geographical Indication) Tagが認められたのは、大変喜ばしいことだ。

GI tag for Jharkhand’s Sohrai Khovar painting, Telangana’s Telia Rumal (THE HINDU)

イスコーは小さな村だが、次に訪れたジョラーカートは村落の規模としてはかなり大きく、その画風も他の村とは異なる大変ダイナミックなものであり、見応えがあった。この村の絵はカラフルなものではなく黒の単色なのだが、描いた後で櫛状のもので表面を削ることにより、立体感、躍動感を表現している。

ジョラーカート村

村の家の姿見。家の入り口のところに、割れた鏡が壁にはめ込んであるのをよく目にする。なぜ割れているのか、敢えて割って何人かで分けたのか、それとも割れたので捨てるよりはと、そうしたのかわからないが、確かに外出する際にササッと整えるため、こうしてはめておくのは理にかなっている。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り⑥

本日午前中に向かうのはカランティーという村で、クムハール(陶工)のプラジャーパティと呼ばれる人たちが暮らしている。村によってずいぶん柄が異なるのは大変興味深い。そのいっぽうで前日のドウジーナガルのようなやたらと背が低い家が特徴のところもあるが、建物自体の様式については村や民族が違っても、見た目は変わらないようだ。華やかな絵のすぐそばに洗濯物や農具がたくさんあったりするが、これが正しいありかたなのだ。生活空間なのであるのだから当然のことである。

カランティーの村

こういうのを目にすると、この地にはなかった観光業という新しい産業が出現した場合の村の未来が見えるような気がする。小さい中庭にイスがいくつかあって、旅行者たちが腰掛けておしゃべりしたり、日記を書いたり。お茶をお願いすると、おばちゃんが土のカマドで沸かして淹れてくれる。土造りの家屋の中で開業したゲストハウスや食堂の様子が。

生活の利便性は格段に上がるので村の人々がレンガやコンクリ造の家に住み替えるのは、自然な流れであるとしても。茶屋や宿屋として昔ながらの家屋を残すことが出来たらいいかもしれない。現金収入の手段として既存の家屋を使えるし、そこから上がる収入の何割かを保守に使えるだろう。宿泊客に食事を出せば、そこからもいくばくかの収入が上がるし、雇用機会も増えるだろう。おかげで村人たちの食生活も向上が期待できるし、子供たちの学費に回す余裕も出てくるとうれしい。

素敵な絵を描く女性たちの中に、普段はご主人とムンバイに住んでいるという人がいた。ディワーリーの前あたりからこちらに戻ってきて描いたのだそうだ。ムンバイで何しているかは不躾に聞けないが、彼女と交わした話の内容から察するにマズドゥーリー、つまり日雇い仕事を夫婦でやっているようだ。この家を宿にしたり、カフェにしたりして夫婦で切り盛り出来るようになれば、故郷から離れてそんなキツい仕事しなくていいし、安全に暮らせるようになる。そんな将来がすぐそこまで来ているといい、と私は思う。

言葉がわからなければ気がつかないこと思うが、村の人たちはヴィラーサト・トラストの夫妻には、お金のことでかなり生々しいことを言っている。ちょうど観光客ズレした地域で旅行者たちが言われるようなことと同じような内容である。そんなこんなで、けっこう心労も多いのではないかと思うが、ふたりともそういうあしらいには慣れているようで上手にやり過ごしている。このあたりはインドでどこに行っても同じようなものだ。ここが観光化されたら、なかなか手強い土地になるかもしれない。それでも村の人々の生活向上と民俗画の認知の向上に繋がるのであれば、大いに振興されると良いと私は思う。

だが、あくまでもこうしたアーディワースィー(先住民)の人々自身が主体である場合であって、外からやってきた商売人たちがお金で支配されて、本来主人公でるべき彼らがそれらの下働きをするようになるようでは本末転倒である。しかし資金やノウハウは先住民の人たちの手中にはないはずなので、なんとももどかしいところである。

そして次の村へ移動する。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。