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カテゴリー: travel

  • ゲート

    ゲート

    ビーダル街歩きで気になったゲートがあった。上階には居心地良さそうな部屋がある。どんな風に使われていたのだろうか?
    ビーダルの街は城壁が囲まれていた過去があるが、こうしたゲートは今なおいくつも残されているのがうれしい。もちろんここに限ったことではなく、インド中あちこちにあるのだが。

  • 旅情 駅とバスターミナルの違い

    旅情 駅とバスターミナルの違い

    鉄道駅はどこも佇まいにそれぞれに風格や味わいがある。とりわけインドにおいては歴史的な駅がたくさんあるのため、それを楽しみたくてわざわざ出発の2時間くらい前に足を運んで、構内あちこち見学したりもするのは私だけではないだろう。とりわけ大きな駅となると、その見どころも多いものだ。

    ところがバスターミナルについてはこれまでそうした魅力を感じたことがない。場所によっては近代的であったりきれいに整備されていたりもするのだが、必要以上の早く着いて施設内を歩き回ってみようという気にはならない。

    もちろん、多くの人々が行き来するので、バスターミナルにも旅情のようなものはあるのだが、やはり鉄道のような深みはない。同じ移動のための乗降や乗り換えの施設なのに、なぜこうも違うのだろうか。鉄道駅はたとえ各駅停車しか止まらない寂れた駅であっても、どこか心打つものがある。

    旅情の有無を生み出す主な要因は、以下の4点に集約されるようだ。

    ①存在する場所に対する固定性と仮設性

    鉄道駅は、鉄路という固定されたインフラの上に成り立っている。バスで言えば道路に当たる線路、駅、運行関係システムや保線作業、その他諸々の事柄が単一の鉄道会社という企業体のもとで専用施設として構成されている。そのため一度作られた駅や鉄路は簡単に移設できない。駅や鉄路その他の鉄道施設すべてが「それぞれの土地に深く根を降ろしている」事実が、時間の蓄積や風格といったものを生み出す。

    いっぽうで、バスターミナルはどうかと言えば、社会全体で共有するアスファルトの道路網さえあれば、発着場はいつでも移転・改変が可能であり、鉄道のような単一の企業体により構成されるものとは対極にある。いつでもどこでも車両自体が異なる事業者によって所有されており、いってみれば公道を往来する自家用車と大きく変わるところはないともいえる。バスターミナルも鉄路のようにルートが固定される制約がないため、必要に応じて用地さえ取得できれば移転は容易。こうした「仮設的」「機能優先」な性質が、旅情や風格よりも効率性を前面に出させてしまうのだ。

    ➁建築の歴史と玄関口としての伝統

    鉄道駅については、19世紀の産業革命期、鉄道駅は国家や都市の威信をかけた「都市の玄関口」として作られた。無人駅のような小さな駅であっても、かつてそこにあった生活や歴史の記憶がプラットホームや駅舎に継承されている。

    バスターミナルは、モータリゼーションが進んだ20世紀半ば以降、主に効率的な乗車処理を目的に作られた。機能美やコストカットが優先され、無機質な空間になりがちとなる。

    ③移動のドラマ性と境界線

    鉄道駅は、改札を抜けてホームに立ち、ベルや発車メロディが鳴り、重厚な鉄の箱が滑り出すという一連の動作に明確な儀式性がある。線路がどこまでも伸びている視覚的効果も、「遠くへ行く旅」という非日常的な情感を高めてくれるのだ。

    いっぽうでバスターミナルについては、道路という日常の延長線上に位置し、排気音とアスファルトの匂いが漂う空間。日常と非日常の境界線が曖昧であるためドラマ性が生まれにくくなる。

    ④利用する側の心理

    鉄道駅は(国、地域や季節等によるが)定時性が高く、旅の余韻を楽しんだり旅情に浸ったりする精神的ゆとりが生じやすいなどにより物語性が高い。

    しかしバスターミナルについては、 渋滞による遅延や、夜行バスなどの格安移動、慌ただしい乗車手続きなど、移動の手段としての実用面が強調されやすい。

    ①から④までを通して、鉄道駅が「ドラマが始まり、そして終わる場所」として設計されてきたのに対し、バスターミナルは「人を移動体へ乗り換えさせる機械」として機能してきた点が、決定的な味わいの差を生んでいるように思われる。

  • イスラームの衝撃

    イスラームの衝撃

    死者は焼いて遺灰を流してしまうため故人の墓はないヒンドゥー教徒と異なり、ムスリム社会における偉人や聖者の亡骸と墓への執着ぶりは物凄い。その故人の威光にあやかって、他の人たちもその廟や墓石の横や敷地内に墓を建てるというのもその執着ぶりに由来する。
    そんな側面だけを取ってもイスラーム教浸透時にインドが受けた「イスラームの衝撃」はどんなに凄まじいものであったのだろうか。

  • クバーニー・カー・ミーター

    クバーニー・カー・ミーター

    グルバルガのレストランにて夕食後にデザートを頼んでみた。

    期待していたのとはちょっと違うが、これはこれで美味だった。アプリコットベースのスイート。ハイデラバードのが超ウマらしい。ここはグルバルガだけれども。

    甘党天国インド。食事同様に、おやつやデザートのスイーツがインドの食の大きな楽しみのひとつだ。

  • チャーエ・ブレイク

    チャーエ・ブレイク

    この日もよく歩き回ったので心地よく疲れまた。しばしチャーエで披露回復。いつもの如くお代わり入れて2杯飲む。

    向かいの席の家族連れの奥さんが若い頃のシャーバナー・アーズミーみたいな美人さん。

    こんな休憩時間は良いなぁと思います。

  • おやつの時間

    おやつの時間

     

    バタースコッチケーキとオレンジジュース。アルコールは含まないのに酒っぽい味わいがうれしい。今世紀に入ってからインドの町ケーキのクオリティーは急激に向上している。

     

    90年代までのインドの町ケーキは植民地期から続いたパサパサ、ゴリゴリのスポンジに糖の固まりのような疑似クリームで、フォークを刺すと割れるやつ。クリームというより糖衣。冷蔵庫の無かった時代に英国人等欧州人向けの店で作られていたものだ。

     

    その中にもなかなか美味しいものは存在しており、カルカッタで「現存する最古の洋菓子屋兼ベーカリー」として知られるユダヤ人の店「ナフーム」で、そうした中の良質なものが今でも見られる。

     

    しかし多くは前述のとおり、ケーキとは名ばかりのひどいシロモノであった。当時のインドのケーキを知る人はなかなか関心が向かないかもしれないが、そんな今こそインドの「町ケーキ」を味わってもらいたい。素晴らしい進化の度合いに驚愕すること間違いなし!である。甘党天国インド。

  • オールドモンクの伝統

    オールドモンクの伝統

     

    インドで酒といえばまずはラム。インドのラムといえばオールドモンク。長年人々に愛されてきた庶民的IMFL。安酒だし、そんな良いモノではないかもしれないけれども、昔から変わらないという安定感がオールドモンクの良さ。

     

    それでも近年、フルボトルは「懐かしのインド土産」として空港などで化粧箱入りの顔の形のボトルで販売されたりもする一方、ハーフボトル、クォーターボトルはペットボトル化したり、マンゴージュースみたいな紙パックになったりもしている。

     

    こちらはハーフサイズのペットボトル。リュックに入れて次の街の宿での晩酌のため持ち歩くのにいいかな?と思ったらさにあらず。キャップの作りの悪さはガラス瓶のものとおんなじ。開栓しようとすると空回りして明かず、なんとか開けるとこんどはきっちり閉まらず。

     

    他のラムやウイスキーだとまずそんなことはないのに、オールドモンクだけはキャップの不良もまた愛すべき伝統のようだ。時代は移ろえども、インド国内ならば禁酒州を除けば間違いなく手に入るのも嬉しいところだ。

  • ローズとサフラン

    ローズとサフラン

     

    こちらはインドのAmulの乳飲料「Kool」シリーズ。いくつかの風味が用意されているが、私はこのローズとケーサル(サフラン)が一番の好み。日本ではあまり関心を呼ばない香り、味のようではあるのだが。

     

    しかしながら、どちらもインドの甘味類では非常にポビュラー。両者ともに西アジア起源の風味で、ペルシャ方面からインドにもたらされたとされるが、インドでの認識としては、前者はイスラーム的な味覚、後者はヒンドゥー的かつ高級感のある味わいという具合に対照的になっているのも興味深いところだ。

     

    サフラン色はヒンドゥー教を象徴する色であるとともに清浄さを表す色でもあること、高価であることだけでなく、サフランそのものが浄性が高いとされる点で他のスパイス類とは一線を画す。

     

    加えて食生活でローズよりも利用される場面が多いこと、サフランは一般的にはイラン原産とされるものの、現在大産地であるカシミールこそが原生地と考えるインドの人たちも多いこともあるのかもしれない。

     

    それはともかく、濃厚でリッチな味わいのKoolはとてもおすすめ。ローズとケーサル以外にもエライチ(カルダモン)、バーダム(アーモンド)その他いろいろあり、いずれも非常に美味しい。

     

    Flavoured Milk  (Amul)

     

  • 実はそんなに甘くないインド菓子

    実はそんなに甘くないインド菓子

    コルカタの老舗K.Cダースでいくつかのミターイーをテイクアウト。旅行中はほぼ毎日、ミターイー屋さんで楽しむかテイクアウトしている。洋菓子でもインド菓子でも乳成分が多いものが好きなのだ。

    インドの菓子について「甘過ぎる」とか「砂糖のかたまりみたい」という声を耳にするが、尋ねてみるとジャレービー、グラーブジャムーンとかラスグッラーのような糖蜜漬けになっている菓子のことを言っているようだ。

    糖蜜漬けだと甘いのは当然。それを以って「インド菓子はめちゃくちゃ甘い」と言うのは、サバランをもって「洋菓子は甘過ぎるから無理!」と断言してしまうのと同じようなものだ。

    実は糖蜜漬けの類を除けば、一般的にそれ以外のインド菓子はそんなに甘くない。とりわけ都会の店、広く展開しているチェーン店などではなおさらのこと。

    K.C.ダースは昔ながらの店とはいえ、こちらもそんなに甘くはない。日本の洋菓子屋さんでケーキやタルトを食べるのと甘さ加減は同様。

    ちなみに私は洋菓子では、先述のサバランはもちろん、ブラウニーやモンブランは、ちょっと甘過ぎて食べられないし、ファンタやミリンダの類の甘い飲料も苦手である。

    実は決して甘過ぎないインド菓子。

  • バラカスポット

    バラカスポット

    ダルガー・ハズラト・クワジャ・バンダナワーズに参拝。デリーのニザームッディーンにあるダルガー、アジメールのダルガーと同じくスーフィーのチシュティー派の聖者廟(ダルガー)であるため馴染み深い。

    ここに来るのは初めてだが、Googleマップで見る限りでは、そのバンダナワーズ様がある場所の界隈に他のダルガーが点在している様子を想像していたが、そうではなくバンダナワーズの敷地にこれらのダルガーも存在しているのであった。なんという強力なバラカ(ご利益)スポットだろうか!

    きれいさっぱりとホワイトウォッシュされたダルガーの外観とは裏腹に聖者自身が葬られた墓のある建物内部の美しいミラー細工や彩色が素晴らしかった。中は撮影禁止となっており、いつの時代か目にした眺めがそのまま画像としてスマホに出力されるような、そんな日が来ないものだろうか。

    イスラーム教といえば厳格な一神教で私たちのような多神教世界とは相容れないと思っている人は少なくないが、このような聖者信仰は信者たちの動態としては日本のお不動様信仰に近いものがあるとともに、インド亜大陸のような多神教の土壌の中では、ムスリム以外からも受け容れ易く、事実非ムスリムによる参拝も少なくない。

    このような形態を許容しないのはワッハーブ派の影響下にある原理主義勢力で、このような信仰は異端ということになる。

    イスラーム教といっても様々な形態があり、自身に多様性、多重性を持つ奥行きの広い世界であり、先述のワッハーブ派、その影響をインドのタブリーギー・ジャマアト経由で受けたターリバーン、そしてISその他の原理主義過激思想は、イスラーム世界の大半とかけ離れた異質なもの、ということになる。

  • ムスリム墓地

    ムスリム墓地

    佇まいはクリスチャンのそれと似ている。やはり同じ源からきた「同じ啓典の民」であることを感じる。ユダヤ教、キリスト教もイスラーム教も「実は同じ神を信仰」しながらも作法とアイデンティティが異なる人たち。

    神は人々の間に違いは作らなかったが、人々が自らの間に違いを作ったというわけだろうか。

  • ダージリン山岳鉄道の貨物列車

    下記リンク先に掲載されているのは1980年撮影の写真とのこと。もともとは客車以外に貨物輸送も盛んだったが1980年代以降は道路輸送に押されて姿を消す。逆に言えば、それ以前はシリグリーからダージリンへの道路は貧弱であまりアテにならなかったということにもなる。

    ニールギリーの山岳鉄道においても同様で、その時代に道路輸送に押されて、路線廃止の論が出ていた。

    対照的だったのはシムラーの山岳鉄道。こちらも1980年代に貨物輸送は廃止されたものの、廃止の危機はなかった。

    ハリヤーナー州の交通の要衝カルカーとーヒマーチャルの州都を結ぶインターステートの交通機関としての役割があったこと、早くから観光路線として注目されたことなどが背景にあったようだ。

    A freight train (Darjeeling Himalayan Railways) on the line in 1980.