BAI HARIR VAV

グジャラートにはVAV(ワウ)と呼ばれる階段井戸が多い。当然大きな街、アーメダバードの旧市街周辺には、ググッてみると山ほどある。中にはゴミで埋まってしまっているものもある。建て込んだ住宅密集地にあると、そうなるのだろう。

言うまでもなく、世界遺産指定されているADALAJ VAはその対極で非常に壮麗かつ見事なものだが、それ以外にも行きたくなるようなVAVが見つかるのがgoogle mapのありがたいところだ。

そんな中、BAI HARIR VAVというのが市内東部のアサルワという地域にあることがわかり、オートで出かけてみた。着いてみると、外からでも豪華さがわかる佇まいだ。引返すはずのオートの運転手すら「おお、これは!私も見てみたい」と一緒に付いてきたほどだ。(入場料無料)

そうした中で、私は彼と話をするようなったのだが、このジュナイド(29歳2児の父)は、「こんなところにきれいなワウがあるとは!」「今日は来てよかった!」などと盛んに喜んでいた。オートワーラーでも若いと、好奇心旺盛な者がたまにいる。

「今度家族と来ればいいじゃん。奥さんも子供も喜ぶぞ」と言うと、「そうします」とニコニコしている。まあ、こんなことがあると私もうれしい。

背後にあるのはお寺かと思いきや、モスクであった。礼拝自国の表示もあり、今も礼拝施設として機能している。ワウは沐浴池としての機能もあるためお寺とセットであることが多いが、こちらはムスリムの建築。グジャラート・スルターン朝時代にメヘムード・シャー1世時代、1485年に造られている。

階段井戸はどこもそうだが、雨が降るとそれらの水を効率よく溜め込む機能もある。雨が強くなってくると、どこからともなく集まった雨水が階段をたどって下へ下へと流れ落ちてくる。インド西部の地下水位は年々低下しているため、建築当時は水はもっと満々とたたえていたのかもしれない。

ここは先述のとおりモスクの境内の一部になっていることから、イスラームとヒンドゥー文化の共存ということも感じられるし、さすがに境内でゴミを捨てる日とはいないのか、それとも日々清掃がなされているためか、階段井戸もきれいに保たれているのも良かった。

個人的には世界遺産クラスの大きな遺跡よりも、中堅どころの秀作みたいなものを見て歩くのが好きなので、このBAI HARIR VAVくらいのものに出会えると、とても嬉しい。

見て触って感じることができるインドの伝統建築

インドのモスクはどこも程度の差こそあれ、どこのものも地域独自のカラーがあるものだ。

アムダーバードのイスラーム建築は、持ち送りといい庇といい、柱といい壁面の紋様といい、はてまた相輪(のようなもの)等々、土着文化(ヒンドゥー文化)の影響を凄まじいまでに反映させていることに改めて驚かされる。これらのパーツを単体でみると、とてもモスクであるとは感じられなかったりするほどの強烈な個性とインパクトだ。

例えば、この「Ahmed Shah’s Mosque (Shahi Jam-e-Masjid)」。1414年創建のこのモスクは、イスラーム建築特有の大きなグンバド(大ドーム)とイーワーンの組み合わせから来る内部に柱のない広大な空間を持たず、まるでヒンドゥー寺院のような柱の多い内部空間を構成していることから、同じくヒンドゥー建築の影響が顕著なカシミールの木造モスクを彷彿させるものがある。このようなタイプのモスクはアムダーバード市内に多い。インドはイスラーム建築も多様性に富むため、地域が違うととても同じ国内に居るとは思えない。

同様に、ヒンドゥーの人たちの寺院建築、伝統文化、風俗習慣や日常生活もイスラーム文化による強い影響を受けていたり、スィク教においても同じくイスラームから取り入れられた特徴も多く、インドひいては南アジアという地域の重層性をひしひしと感じさせられるものである。

こうした建築物の傑作の数々を直に観て触れて、その紋様を指でなぞったりしながら体感できるのはとても嬉しい。博物館でガラスのショーケースに収まっている構造物の一部を眺めるのではなく、その建物に入って細部を撫でながらダイレクトに体感できるのだから。

アーメダバード旧市街

ユネスコ世界遺産の登録されているアーメダーバード旧市街では、古いハヴェリー(屋敷、邸宅)が多く残っており見応えがあるが、宿に転用してあるものがいくつかある。このハヴェリーはそんな中のひとつ。グジャラート州は今後も来たいし、アーメダバードに滞在することもあるだろうからいくつかチェックしておいた。こちらは「FRENCH HAVELI」という名前で宿泊施設として運営されている。オーナー家族はヒンドゥーの商業コミュニティの人たちだが、米国に移住しており、ホテル運営会社が借り受けて運営しているとのこと。部屋ごとにサイズや雰囲気は異なり、実際に泊まる場合には部屋を見て決めたい。

近ごろ思うのは、ガイドブックなるものをほとんど使わなくなったことだ。スマホには一応キン版のロンプラのガイドブック「INDIA」は入っているものの、ほとんど開いてすらいない。スマホ+グーグルの時代になってからは様々な面からも実に旅行しやすくなった。

良くできたガイドブック、便利なガイドブックは多いのだが、今は観光地情報、宿情報、移動手段情報は書籍からは要らなくなったため、ネットからは入手しにくい何か特別なことに特化あるいは深化した部分がないと、なかなか購入する動機がない、という具合になっているのが昨今のガイドブック事情ではないかと思う。

こちらも宿に転用されている「MANGALDAS NI HAVELI」。先程のFRENCH HAVELIよりも少しアップマーケットになるが見ておきたい・・・のだが、訪れたときには誰もいなかった。外から南京錠が下りていたので、おそらく宿泊者も本日はいないのだろう。外から見る限りでは、とてもきれいに修復してあるようだった。

宿ではないのだが、本日見かけたハヴェリーの中では、これが最も重厚感があった。20年前、30年前であれば、こういうのがけっこう健在だったのかもしれない。こうした柱といい、持ち送りといい、なんかシビレる。家屋の中もさぞかし素晴らしいことだろう。

このハヴェリーにグジャラート語で書かれた碑文みたいなのがあったので、近くにいたおじさんにヒンディー語に口訳してもらった。それを聞いて「ほう、そうなのか」と思ったが、歩いていると次から次へと興味深い建物があり、ちょっと「公式外」の変わったジャイナ教寺院と図書館が一体となった木造建築の中を見学したりと興奮したためか、先ほどの口訳してもらった内容をすっかり失念してしまった。やはりその場でメモするか、おじさんの喋りを録音しておかないとダメだと痛感。

往時を偲ばせるハヴェリー等が散在するアーメダバード。こうした伝統的な建物の集合具合の密度がもっと高いとなお良かった。そういう意味ではカトマンズの旧市街はもちろんのこと、ネパールのバクタプルのような伝統家屋がほぼまるごと残っている街並みというのが、いかに価値のあるものかということをひしひし感じる。一度失われると二度と取り戻すことができないだけに。

旧市街は、それぞれ固有の名前のついた「ポール(POL)」が構成されており、それぞれにこうした門が付いている。「ポール」とは、宗教、カースト、氏族、職業などの共通項を持つ家族たちで構成させている街区のようなものだが、これについても説明してくれるであろう旧市街ツアーに申し込んでいたのだが、私が訪れた時期には申込みが少ないとのことで、開催されなかったのは残念。またグジャラートは来るし、必然的にアーメダバードにも泊まるので、次回の楽しみとしよう。

 

KANGRA VALLEY RAILWAY

昨年7月、モンスーンの大雨により起点のパンジャーブ州パターンコート駅からしばらく進んだ先の橋梁が落ちて以来、運行が休止されていたカーングラー渓谷鉄道だが、「そろそろ復旧」との報道。

パターンコート駅から終点のヒマーチャルプラデーシュ州のジョーギンダルナガル駅までを1日2往復、ジョーギンダルナガル駅のひとつ手前のバイジナート・パプローラー駅までを4往復する山岳鉄道だ。山岳といっても緩やかな丘陵地が多いのがこの地域だ。

インド国内の他のトイトレインと異なり、沿線に大きな観光地は存在しない(それでも文化の宝庫インドなのでマイナーな名所旧跡はある)こともあり、地元民たちの生活の足として機能しているため本数は比較的多いため利用しやすい。それがゆえに地元の人々からは運休が続いていることについて苦情が多いというのは、無理もない話だ。

Train service to be resumed on Kangra valley line soon: MP Krishan Kapoor (The Tribune)