インドの国歌、国民歌、愛国歌

Vande Mataramを巡るインド政界の動きを見ていると、おそらく「インド国歌」は遠からずジャナガナマナからヴァンデー・マータラムに変更されるのではないかと思う。おそらく中央政権もそのつもりで動いているのではなかろうか。

インドにおいて前者はNational Anthem(国歌)として、後者はNational Song(国民歌)として認識されている。学校で朝歌うのもスポーツの試合の前で歌うのも、映画館で上映前に流れるのも前者だ。

JANA GANA MANA (Youtube)

ジャナガナマナは政治色はない。ご存知のとおりラビンドラナート・タゴールの1911年の作品。また世界にあまたある多民族国家において、マジョリティーのものではない言葉で歌われる国歌というのはかなり珍しいだろう。ベンガル語の歌詞である。Sanskritized Bengaliと呼ばれるサンスクリット語彙を多用したもの。
しかしインド国歌として制定されるのに先んじて、独立前にチャンドラ・ボース率いるインド国民軍(INA)が「国歌」として定めている。
こちらの歌詞はヒンディー語で、「シュブ・スク・チェーン(Shubh Sukh Chain) 」として知られる。マレー半島からタイ、そしてミャンマーを経てインパールへと至る従軍の中で歌われていたのだろう。

Shubh Sukh Chain (Youtube)

1870年代にバンキム・チャンドラ・チャタルジーが創ったヴァンデー・マータラムも同じくSanskritized Bengaliで歌われる。ただこちらには宗教色があるため、敬遠するムスリムその他の人たちは少なくない。こちらが国歌になるとすると、インドの国是のはずの世俗性が大きく後退する感じだ。

Vande Mataram (Youtube)

またインドには「愛国歌」として知られる歌もある。
1904年にムハンマド・イクバルが発表したウルドゥー語のサーレー・ジャハーン・セー・アッチャーだ。

Sare Jahan Se Acchha (Youtube)

独立記念日の式典や軍関係のイベントなどでもよく演奏されるお馴染みの曲。愛国軍事ものの映画でも挿入歌として出てくる。
国歌、国民歌、愛国歌といろいろあるのがインドである。いずれも素敵な曲だ。

プノムバケン

1992年、私がこのアンコール遺跡を訪れていた時期にフランス人の女の子が地雷を踏んで亡くなっていた。急遽ご両親が駆けつけてきていてニュースになっていた。

彼女が不運にも落命してしまうことになってしまったのが、このプノムバケン。

クメール語で「中央の山」を意味するというプノムバケンだが、ここから広大なアンコール遺跡が広がるエリアを見下ろすことができる。ここから眺めるアンコールワットやアンコールトムの景観を期待して登ったと聞いていた。

今でも本来の参道は埋設された地雷の危険から立ち入り禁止となっている。道路からすぐ見えるここから登ろうとしたのではないかと私は思う。見るからに登りやすそうな、駆け上がってみたくなる斜面だ。

立ち入り禁止となっている本来の参道。

当時は今よりもはるかに埋設された地雷がたくさん残っており、「舗装路以外は歩くな」「小便、糞垂れるのに茂みに行くな」などと言われていたが、静まり返った木立の中の平和な眺めの中、どうしても小山の上からの景色を一目見たくて歩いて行ったのだろう。

危険と言われつつも、プノムバケンに登る人たちはいたようなので、「私も大丈夫だろう」という思いがあったのかもしれない。実際に登った人から「いい眺めだったよ」と話を聞いていたかもしれない。

小山の上の寺院からの景色はとても良かった。彼女はこの景色を目にした下りで亡くなってしまったのか、それとも下から登る最中で不幸にも地雷を踏んでしまったのかはわからない。

当時、彼女と同世代だった私は、そんなことを考えながらプノムバケンのてっぺんからのアンコールワットの遠景を眺めつつ、静かに手を合わせた。

眼下のジャングルの中に見えるアンコールワットの遺跡

印・バ関係の今後

当分の間はインドとの良い関係は期待できないバングラデシュ。前政権下でシェイク・ハスィーナーの存在はインドにとってとても好都合なものであったが、亡命を受け入れたことでこれが大きな重荷に。

またバングラデシュにおけるヒンドゥー教徒への攻撃が大きく報道されるなど、インド側にとっても国民感情的な側面からもバングラデシュに厳しく対応せずにはいられない。

先日はデリーでバングラデシュの高等弁務官がインド政府に呼び出されて同国内における治安悪化等に関する懸念について懸念を伝えられていたが、まさにこうなることへの心配があったのだろう。

 

ちなみにインドとバングラデシュが相互に置いているのは大使館ではなく高等弁務官事務所。ともに英連邦の加盟国であるためだ。そのため大使に相当するのが高等弁務官となる。

来年2月に総選挙が予定されているが、こうした騒擾はしばらく続くのだろうか。無事に国民の審判を得て、安定した政権が樹立することを願いたいが、今回の選挙には、BNP(バングラデシュ民族主義党)と並ぶ2大政党のひとつ、アワミリーグは暫定政権から政治活動を禁止されているため参加できない。

そのため同国内では新政権樹立後もいろいろ起きそうだが、親インドのアワミリーグを追い出してのBNP政権スタートとなると、インドにとって扱いにくい隣国政権となることは必至だ。

Overnight unrest in Bangladesh : Anti India protests erupt how events unfolded after Sharit Osman Hadi’s death (Time of India)

虐殺ガート

ここは1857年の大反乱の有名な舞台のひとつであるサッティー・チャウラー・ガート(通称「虐殺ガート」)。

1857年6月27日、ここで女性や子供たちを含む300人もの英国人たちが凶暴な反乱軍兵士やそれに乗じて暴れたゴロツキたちに殺害されている。

現在はほとりに寺院が建ち、静かな沐浴場所となっている。

ラールー・ヤーダヴが長男を勘当 

RJDのラールー・ヤーダヴが長男のテージ・プラタープを勘当という驚きのニュース。

ビハール州で長くチーフミニスターを務め、国政でも鉄道大臣の要職を担ったことがある大物政治家ラールー・ヤーダヴが長男を不倫のかどで勘当、党からも追放とのことで大きなニュースになっている。不倫相手とは12年間に渡る交際を続けているという。

テージ・プラタープは8年ほどまでにアイシュワリヤ・ラーイ(たまたま有名女優と同じ名前)と結婚している。父親ラールーによる政略結婚であったようだ。

早くから不仲が伝えられており、夫婦間のギクシャクした様子は、遠く離れた日本でも知られていたほど(少なくとも私はメディアで目にしていた)なのだが、このたびテージ・プラタープ自身のSNSに不倫相手とのラブラブな様子が投稿され広く話題になったところで、ついに父親ラールーの堪忍袋の緒が切れたという具合らしい。

しかしインド政界で不倫等の話はいくらでもあり、それが原因で身内から関係を切られるという例は聞いたことがないため、真相を巡り話題になっているようだ。

RJDに限らず、政党そのものが党首と一族の家業のようになっているものはたくさんある。身内で対立するケースやそれが原因で党が分裂するようなことはしばしばあるのだが、いずれも党のリーダーシップを巡る権力闘争の結果だ。私生活上の倫理を原因とするものは私も記憶にない。

ラールーには9人の子(2男7女)があり、このうち長男のテージ・プラタープ、弟で末っ子の元プロクリケット選手のテージスウィー、娘のミーサーが国会議員、テージ・プラタープとテージスウィーはビハール州のヴィダーンサバー(州議会)議員を務めている。
父親ラールーのもとで仲の良い大家族というイメージがあっただけに、今回の勘当騒動にはとても驚いた次第。

ラールーは若いころの学生運動から政界入りした叩き上げの人物。汚職で有名な政治家だが、JDのニーティーシュと肩を並べるビハール州の大ボスの中の大ボスで、個人的にはとても興味のある人物。

Lalu expels son Tej Pratap from party, family: ‘His conduct not in accordance with our family values, traditions’ (The Indian EXPRESS)