プノムバケン

1992年、私がこのアンコール遺跡を訪れていた時期にフランス人の女の子が地雷を踏んで亡くなっていた。急遽ご両親が駆けつけてきていてニュースになっていた。

彼女が不運にも落命してしまうことになってしまったのが、このプノムバケン。

クメール語で「中央の山」を意味するというプノムバケンだが、ここから広大なアンコール遺跡が広がるエリアを見下ろすことができる。ここから眺めるアンコールワットやアンコールトムの景観を期待して登ったと聞いていた。

今でも本来の参道は埋設された地雷の危険から立ち入り禁止となっている。道路からすぐ見えるここから登ろうとしたのではないかと私は思う。見るからに登りやすそうな、駆け上がってみたくなる斜面だ。

立ち入り禁止となっている本来の参道。

当時は今よりもはるかに埋設された地雷がたくさん残っており、「舗装路以外は歩くな」「小便、糞垂れるのに茂みに行くな」などと言われていたが、静まり返った木立の中の平和な眺めの中、どうしても小山の上からの景色を一目見たくて歩いて行ったのだろう。

危険と言われつつも、プノムバケンに登る人たちはいたようなので、「私も大丈夫だろう」という思いがあったのかもしれない。実際に登った人から「いい眺めだったよ」と話を聞いていたかもしれない。

小山の上の寺院からの景色はとても良かった。彼女はこの景色を目にした下りで亡くなってしまったのか、それとも下から登る最中で不幸にも地雷を踏んでしまったのかはわからない。

当時、彼女と同世代だった私は、そんなことを考えながらプノムバケンのてっぺんからのアンコールワットの遠景を眺めつつ、静かに手を合わせた。

眼下のジャングルの中に見えるアンコールワットの遺跡

印・バ関係の今後

当分の間はインドとの良い関係は期待できないバングラデシュ。前政権下でシェイク・ハスィーナーの存在はインドにとってとても好都合なものであったが、亡命を受け入れたことでこれが大きな重荷に。

またバングラデシュにおけるヒンドゥー教徒への攻撃が大きく報道されるなど、インド側にとっても国民感情的な側面からもバングラデシュに厳しく対応せずにはいられない。

先日はデリーでバングラデシュの高等弁務官がインド政府に呼び出されて同国内における治安悪化等に関する懸念について懸念を伝えられていたが、まさにこうなることへの心配があったのだろう。

 

ちなみにインドとバングラデシュが相互に置いているのは大使館ではなく高等弁務官事務所。ともに英連邦の加盟国であるためだ。そのため大使に相当するのが高等弁務官となる。

来年2月に総選挙が予定されているが、こうした騒擾はしばらく続くのだろうか。無事に国民の審判を得て、安定した政権が樹立することを願いたいが、今回の選挙には、BNP(バングラデシュ民族主義党)と並ぶ2大政党のひとつ、アワミリーグは暫定政権から政治活動を禁止されているため参加できない。

そのため同国内では新政権樹立後もいろいろ起きそうだが、親インドのアワミリーグを追い出してのBNP政権スタートとなると、インドにとって扱いにくい隣国政権となることは必至だ。

Overnight unrest in Bangladesh : Anti India protests erupt how events unfolded after Sharit Osman Hadi’s death (Time of India)

危険なお寺や祠

今の時代になってもインドにはあらゆるところに違法建築は多い。とりわけ危ないなぁと思うのは、道の真ん中にあるお寺や祠。

インド各地でしばしば行政当局が違法建築の取り壊しに乗り出すが、まとまった地域ではなく、このような形でちょこんとひとつだけ出現している場合、なかなか撤去の対象にはなりにくい。

道路の真ん中にあるお寺

信仰、しかもマジョリティーのヒンドゥーの人たち、とりわけ地域住民のそれに関わるものであるため、面倒事が起きる可能性が高いがゆえ見て見ぬふりという部分が大きいのではないかと思う。まさに「触らぬ神に・・・」である。

この小さなお寺の場合、道路真ん中に生えていた木がだんだん神性を帯びて、根本に基壇、そして簡易の祠、一回り大きな祠ときて、屋根のついた祭司が常駐できる小さな寺へと発達したことがわかる。構造物の存在としては違法建築物であることは認識されていても、すでに神性を持っているがゆえに信仰の対象となり、近隣の人たちによる日々のお参りや喜捨の対象となる。

ガンガーの水が物理的にはとても汚染された水であっても、神性があるがゆえに「聖水」となり、息子がとても悪質な犯罪に手を染めても親の義務としてその息子をかばい続けるのが当然といった、私たち日本人とは異なる「ダルマ」が課す「カルマ」から来るメンタリティと同根のものかもしれない。

しかし道路にこうした障害物が存在するということは、とりわけ地元ではない人たちにとって危険極まりないないもの。早急に撤去すべきなのだが、こうしたものが永劫に存在してしまうところには、やはり私たちとは異なる物事の優先順位があるからにほかならない。

虐殺ガート

ここは1857年の大反乱の有名な舞台のひとつであるサッティー・チャウラー・ガート(通称「虐殺ガート」)。

1857年6月27日、ここで女性や子供たちを含む300人もの英国人たちが凶暴な反乱軍兵士やそれに乗じて暴れたゴロツキたちに殺害されている。

現在はほとりに寺院が建ち、静かな沐浴場所となっている。

中華料理屋「中華」

暑い中を歩いていると、汚い酒場みたいなところで、デーシー・シャラーブではなく、ビールを出しているという店があった。渇きについつい引き込まれそうになるが、ここで飲んだらもう1日が終わってしまいそうなので我慢する。

ビアバー

さらに進んでいくと、どう見ても本当のインド華人が経営していそうな中華屋があったので入ってみる。出てきた年配男性に尋ねてみると、数年前までは華人が切り盛りしていたが外国移住のためインド人に売却したのだという。その男性を含むスタッフたちは華人時代から働いており、今年でなんと43年目なのだとか。

中華料理屋「中華」
店内も本格的
メニュー

移住先はインド華人定番のカナダとのこと。彼らの大半がカナダ行きであり、そのマジョリティーはケベック州、その中でもモントリオールとその周辺が多い。先行した移住者たちのツテや縁があるからのようだ。

カーンプルのこの中華レストラン「中華」でチャプスィを注文。ひとりでは持て余す分量ながらも優しい繊細な味付けと野菜にコシがのこしてあるのは、さすがインド華人直伝。長崎皿うどんさながらの味わいだ。

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