難攻不落、最強の城塞島

スクールトリップや休暇のの時期に来ると大混雑で大変!

ある意味、インド随一の名城、亜大陸最強の城塞、ジャンジーラー島。ここ十数年ほど「ムンバイに行ったらついでに訪問」と思いつつも、伸び伸びになっていたのだが、ついに訪問できた昨日以来興奮が収まらない。

何がインド有数の名城であるかといえば、その難攻不落ぶりである。1100年の築城以来、インド独立に至るまで 847年間もただの一度も陥落することなく幾多の攻撃を跳ね返してきた「必勝不敗の城」なのだ。たぶんこういう例は世界的にも稀だろう。

攻略してきた相手も在地勢力の豪族に毛の生えたようなのばかりではなく、強大なマラーター王国、この地域で力を伸ばして現在のゴア、ボンベイ周辺(カタリナ王女の英国王室輿入れ時に英国に譲渡)、ダマン&ディーウを領有したポルトガル、史上初めてインドを統一した英国をもってしてもジャンジーラーだけは落とせなかったのだ。

スィッディーの王国の領土が大きく簒奪されて対岸にも外敵の力が及ぶようになっても、このフル武装した島は屈することはなかった。

おそらくカギは包囲網をかいくぐって、他勢力との外交関係で武器弾薬類の補給を得たりする外交力もあったはずだが、決して大きくない島にふたつの大きな淡水池があったこともあるのだろう。まさにこれぞジャンジーラーの名前の由来、ジャル・ジャズィーラー(水の島)たるゆえんだ。

決して大きな島ではないが水には恵まれている

飲水はいうまでもなく、野菜や家禽類などの食肉も自給できていたはず。

こういう「必勝不敗伝説」の島は、日本だったら神社が出来て、受験生用たちが大挙してお参りに来ることになりそうだ。

モダンなマンガロール空港とCISF

近年のインドは今風な空港がとても増えたが、マンガロールの空港もこんなに立派だ。しかもここは国際空港でもあり、サウジアラビア、UAE、バーレーン等へのフライトが発着している。

インドでは公共の主要施設(空港、海港、発電所、宇宙関連施設、原子力関連施設)等のセキュリティ維持のため働く専門集団がいる。私たちにとって馴染みがあるのは、空港のセキュリティ要員だろう。警官のような格好をした彼らだ。

定期的に国内各地で異動を繰り返していく彼らだが、雇用は中央政府傘下の警察組織であるCISFで、人事もそこから発令される。他の中央政府関係の雇用の中でこうした現業職はあまり多くないであろうこと、当然待遇も大したことはないのかもしれないが、インド各地で転任できるなど、かなり人気の職場なのではないかと思う。

職員の層は人口規模の大きな北インド出身者が多いようだ。ケーララ、カルナータカ、タミルナードゥなどの南インド地域にあっても、彼らの仕事場はヒンディー語環境にある。

「オール・インディア」での業務。アンダマンに配置されたり、カシミールでの勤務を経験したり、アルナーチャルに転勤になったりと、得難い経験を積んでいる人たちも多いことだろう。

謎の公務員

前回に引き続き、今回も話はコーチンに戻る。

コーチンには大小のいくつものギャラリーがあるとともに、これまた大きなものから小さなものまでアートの展覧会が開かれている。こちらの絵はコッラム(クイロン)在住の女性アーティストによるもの。マハーバーラタをテーマに描いている。

ご本人はかなり高齢で、定年退職するまでケーララ政府のお役人さんだったそうだ。もともと描くことは趣味だったが、仕事を引退してから絵を本格的にのめり込み、ご主人や息子さんのサポートを得て、かなり離れたところで開催される展覧会にも精力的に出展するようになったそうだ。

ご本人は「老後の趣味ですよ」と謙遜するが、まったくもって趣味のレベルをはるかに超えている。在職時から長く絵に打ち込み、超絶絵の上手い謎の公務員だったに違いない。

鉄道車両の眺め

鉄道事故の際の救援列車
鉄道事故の際の救援列車
脱線車両等を路線から取り除くためのクレーン車両

過日、エルナクラムJN駅で見かけた救援車両といい、この日トリスール駅に停車していた脱線処理車両といい、近くで大きな事故でもあったのだろうか?と思ってしまう。

コロナのデルタ株で多くの死者が出ていた時期には、マレーシア、シンガポール方面並びにガルフ方面からそれぞれの政府の協力により医療酸素ボンベを大量に調達したインドは、ムンバイ及びチェンナイから大量の貨物列車を動員して全土に輸送している様子がニュースになっていた。

私が直に目にしたものでも2005年12月にインドネシアを震源とする津波被害がインド東海岸に及んだ際、緊急に仕立てたと思われる援助物資を届ける貨物車がしじゅう走っていた。

また80年代後半にインドがスリランカ内戦に介入した際、南インドで鉄道に乗っていると無蓋車両の延々と続く車列に、戦車等の軍用車両を運搬する貨物車が多く、ギョっとしたことを覚えている。このときの介入が原因で当時のLTTEから恨みを買い、同じくLTTEにシンパシーを抱く一部のタミル人からの協力を得た手路グループにより、1991年5月に総選挙のためタミルナードゥで遊説中だったラジーヴ・ガーンディーが暗殺されてしまったのであるが。

鉄道車両の眺めには、そのときどきの大きな出来事や世相が大きく反映されることがある。

行く手に野犬

ご覧のとおり、こちらは昼間のヤギの写真だが、もしこれが夜間で行く手に4頭くらいの野犬と思しきグループがいるとかなり緊張感がある。これがヤギだとわかったときには安堵するものだ。

ヤギはもちろん牛や水牛だって通行人に頓着しないものだが、犬だけはその限りではない。その犬にしてみたところで、通りかかるのがヤギ、牛、水牛であれば、普通は騒ぎ立てたりしないのに、相手が人間だと騒ぎ立てるのが腹立たしい。しかも土地に不慣れなヨソ者と見ると、カサにかかってワァワァと大騒ぎし、その声を耳にしてさらに他の犬たちの加勢がやってくる。野犬というのはホント厄介な存在だ。