サダルストリートの詐欺師たち

サダルストリート

サダルストリートで、一時期ネットでも話題になった「ラージ」を名乗る男以外にも、同じようなことをしている詐欺師たちが複数いるのだという。被害にあった日本人についても、ネットその他でいろいろ情報を目にしたことがある。
犯人たちは、いずれもこの界隈に住んでいる者たちらしい。田舎からの出稼ぎの人たちの子としてこのあたりで育った者たちとのこと。経済的に苦しくても、普通はちゃんとまっとうな人間になるのだが、中にはグレてそうなってしまう者たちがいる。
そんな彼らの写真を目にする機会があったのだが、その中にひとりに、ついさきほど見かけた顔があった。パークストリートから戻ってくるときに話しかけてきた男で、すぐに離れていったのだが。
こういう奴らは、普通にそのあたりを徘徊していて、外国人にちょっと声をかけたりしてみて探りを入れているらしい。よって声をかけられただけの者にとっては、その辺にいるホテルや両替の客引きと同じで空気のようなものなので、記憶にほとんど残らない。
よって、そういう奴がいたら「インド初めてきました!」「タージマハル行きます。楽しみです!」「お茶に誘ってくれてありがとう!」などと答えておいて、そいつと一緒にセルフィー撮影しておき、あとで「こいつがその悪い奴だ」と、SNSで拡散してやればいいのだろうが、肝心の「詐欺師たち」が誰なのかはわからない。

※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

インドの現状

甚だ残念なことであるが、インドを含めた全世界が大変な状況にある。もちろん日本も大変危険な具合になっていて、今後がまったく予測すらできなくなっている。

ここひと月半くらいに起きたことについて、旅行に関連する事柄を中心に簡単にまとめみると、以下のような具合になる。

2月5日以前に中国で発行されたヴィザは無効となり、1月15日以降に中国への渡航歴がある人の入国が禁止されることになったのは2月20日過ぎ。

2月26日になると、インド保健・家庭福祉省は,韓国,イラン,イタリアからのインドへの渡航者及び2月10日以降に韓国,イラン,イタリアへの渡航歴がある人は,インド到着後に14日間にわたり停留措置の対象となる可能性があることが伝えられた。

2月27日には、日本国籍者による新規のe-Visaの申請受付が停止された。3月3日,インド国外にいるイタリア,イラン,韓国,日本の国籍者に対して3月3日以前に発給された全てのヴィザは無効となった。

3月5日になると、スィッキム州が外国人の入域許可発行を停止した。同州住民を除き、インド人さえも入ることができなくなり、その後アルナーチャル・プラデーシュ州、連邦直轄地ラダックもこれに続いた。

そして3月9日前後になると、デリーやバンガロールなどを始めとして、学校が休校となるところが出てきて、他地域もこれに追従する。

3月10日にマニプルとミャンマーの国境が閉鎖となった。

3月11日には、インド国外にいるフランス,ドイツ,スペイン国籍者に対して,3月11日以前に発給した全てのヴィザが無効となった。すでにこの時点でインドと世界各地を結ぶ国際線は大幅に減便となっている。

3月12日には、外交,公用,国際連合及び国際機関,就労,プロジェクト査証を除く全ての査証の効力を4月15日まで停止との発表。ヴィザの種類を問わず、新規の発行は史実上停止されているため、新たに入国することは大変困難なものとなった

インドに在住・滞在中の者については、引き続きヴィザは有効で、出国した時点で無効となる。そのため在住者たちは、急な用事があってもインドを出ることができない状態にある。新たなヴィザ取得も現在のところ望み薄なので、インドに進出している企業は、大きな人事異動の時期なのに、交代が実施できない状態に。

3月19日,国際民間旅客航空便のインドへの着陸を3月22日から一週間停止すると発表した。(その後4月15日まで延長することが決定) 同日、モーディー首相は新型コロナウイルスに関して国民向けの演説を行い,その中で今後数週間の決意と自制を呼びかけるとともに,3月22日の午前7時から午後9時まで外出を禁止するJanata curfewを発表。

3月22日のJanata curfewの解除に引き続き、23日に日付が切り替わる深夜から、インドにおける主要な商業地域を含む各地で3月末までのロックダウンを発表。

3月24日,モーディー首相は新型コロナウイルスに関する演説を行い,25日0時から21日間,インド全土においてロックダウンを行うことを発表し,インドに居る全ての人々に対し,自宅又は滞在先に留まるよう呼びかけた。

国鉄は貨物列車を除く全ての列車の運行を停止。長距離バスも同様。市内交通もバス、メトロ等も操業を停止。

そうした状況下で、地方から都市部に出てきた出稼ぎの人たちは仕事がなくなり、かといって故郷に帰る手段もなくなった。住処を追い出された人もあり、食事を手に入れる現金もない人たちも。

そんな状況下で、都市部の行政、NGO、宗教団体による炊き出し等が実施されるとともに、閉鎖中の学校施設をナイトシェルターとして彼らを収容する動きも。難民化した労働者たちの扱いに手を焼いたデリー政府は、特別バスを仕立てて、彼らをUP州やビハール州などの故郷に送還しようとするが、そうした動きの中でのクラスター発生と自州での感染拡大を恐れる地元政府の反発も。

このような具合であるため、私自身は現在インドに滞在しているわけではないし、旅行しているわけでもない。目下、インドは旅行できる環境にはなく、「ロックダウンがどんな具合か」と興味本位で訪問するべきではないし、インドに居住してなすべき業務、そこで守るべき家庭があるのでなければ、逗留すべきでもない。

よって、今後しばらくは、私がこのindo.toで取り上げるインドは、新型コロナウイルス感染症が広まる前のものであり、今の状況のインドへの訪問や滞在を勧めるものではない。

あくまでも平常時のインドの魅力、興味深さ、楽しさなどを伝えたいがゆえの内容である。

インドの人たちにとっても、私たちインドの外の人たちも、今は未知の新型ウイルスという共通の相手と闘っている。

しばらく時間がかかるだろう。どのくらいの期間が必要とされるのか、想像もつかない。だがみんなが心を合わせて感染拡大に努めていれば、きっと私たち人間がウイルスを克服することができるだろう。そう信じたい。

そしてすっかり事態が終息して、世界中で人々の往来がまた自由になったとき、まず最初にインドを訪問して旧交を温め、美味しいものをたくさん食べて、存分にインドを愉しみたいものだと思う。その時は必ずやってくる。夜の闇がどんなに暗くとも、朝は必ずやってくるのだから。

デリーの暴動

新型コロナ騒動に影に隠れて、あまり国際的に報じられていないが、1985年以来、デリーにおける最大規模と言われる暴動が起きた。先月下旬のことである。

1985年の暴動とは、言うまでもないが当時のインディラー・ガーンディーが自宅でスィク教徒の護衛に射殺された事件への反応として発生した大規模な反スィク教徒暴動のこと。犠牲者を沢山出したスィクコミュニティの中で、この事件をきっかけとして「信仰はスィクだが散髪し、ひげも剃る」という人たちが増えたとも言う。

デリー北東部、主にヤムナー河の東側にあるカジューリー・カース、ゴーグルプリー、マウジプル、ジョーティ・ナガル、カルダムプリーといったあたりが、その暴力の吹きすさぶ地となった。暴徒により、居住しているムスリムの人々への大がかりな攻撃が行われた。
CAA(改定市民法)、NRC(国民登録簿)の問題と反対運動は、当初ヒンドゥー至上主義的な政策vs世俗主義の対立であったが、いつの間にかヒンドゥーvsムスリムというコミュナルな対立にすり替えられてしまったかのようだ。

この暴動の際、先のデリー準州議会選挙勝利により、2期続いて政権を担うことになった庶民党(AAP)のイスラーム教徒の活動家が、ムスリム側の暴徒の一味として、自宅にたくさんの武器を隠匿していたとして逮捕された。

これに対して党主のアルヴィンド・ケージリーワル他の指導部は関与を否定するとともに対応に追われたが、この「活動家」とは、比較的最近になってから庶民党に加わったらしく、対立する陣営から送り込まれた工作活動家では?という疑惑がある。

こうした暴動の際、「事前にターゲットとなるムスリム所有の建物に目印が記されていた」とか「暴徒を率いるリーダーらしき者に地元の協力者が『この店はムスリム』、『こちらの店はヒンドゥー』」と案内していたとかいう話がまことしやかに流れるが、真偽のほどはよくわからない。

個々の民家の場合は掲げられている標札の名前で居住者の信仰は判るし、地域的な属性さえも明らか(主にUPからパンジャーブにかけてのジャート、ベンガーリーのムスリム、ヒマーチャルのブラーフマン等々)なことが少なくないが、ビルや商店となると必ずしもそうではない。

そのため、明らかに特定のコミュニティがターゲットとするため事前工作や協力者による誘導があったとすれば、そうした選別は可能となるだろう。

リンク先記事中の一番下に掲載されている写真を見ていただきたい。
卍の印がついたヒンドゥーの家は無事であるらしいことを示しているのは、報道者の意図だろう。おそらくこの現場では、明白な選別が行われていたことを伝えたいのだと推測できる。

こうした暴動の最中にも、襲撃されそうになっていたムスリムの人たちを大勢、安全なエリアに避難させたというスィクの若者、近隣のムスリム家族を自宅にかくまったというヒンドゥー紳士などの話もテレビニュースで伝えられていたのは幸いではあった。

今回の暴動について、政治の関与についても言われているが、思い出すのはちょうど18年前の同じ時期に起きたグジャラート州での暴動。当時、同州のトップとその右腕は今の中央政府のそれとまったく同じコンビであった。これは単なる偶然か、それとも・・・。

Delhi’s shame (INDIA TODAY)

Nizam’s

創業1932年の老舗レストラン
チキン・チャープ
フィッシュ・ティッカー・マサーラー

フィルニー

コールカーター中心部、ニューマーケットのすぐ北側にあるNizam’sで夕食。フイッシュティッカマサラー、チキンチャープ、ライス。そしてデザートにフィルニーで腹いっぱい。良質で美味な食事というものは、味わいに満足して腹が満ちるだけではなく、心地よい高揚感と陶酔をも与えてくれる。1932年創業。そしてコールカーターのストリートフードの代名詞のようにもなっているカティー・ロールは、この店が起源であるという。Nizam’sの美味しいケバーブが具材として作られて評判を呼び、市内各地でこれを真似たものが見られるようになった。