遠いところ

パータンの王宮広場で休憩していると話しかけてきた女の子。ヒンディーで返すと、けっこう上手いヒンディーでいろいろ話してくる。なかなかおしゃべりだ。

「テレビ番組で覚えた」と言うが、まだ小学校低学年くらいだろう。

家族のことを尋ねると、「毎日お母さんは夜8時くらいにならないと帰ってこない」のだとか。家にはお姉さんがいて、食事その他しろいろやってくれているそうだが、「お父さんは?」と質問すると、「他の女の人と出て行ってしまい、帰ってこない」そうで、悪いことを聞いてしまった。

どこに住んでいるのかと問うと、「とっても遠いところ」と言うが、どこかと思えばここから少し進んだ先にあるバススタンドやラリトプル・モールのあたりらしい。

そんな「距離感」が子供らしくて笑いを誘う。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

パータンの宿

 

ネワール式建築の家屋を宿泊施設に転用した「Newa Chen」に投宿。もともと裕福な一族の屋敷であったものなので、窓枠の彫刻飾りや建物内外の意匠など、眺めていて楽しい。

ただし天井がとても低く、中肉中背の私でも天井の高さは頭頂部ギリギリで、欄干をくぐる際には少ししゃがみこまないと、頭をぶつけることになるのが、伝統的なネワール家屋のサイズ感。背丈190cm近い大男たちがゴロゴロいるスカンジナビア半島の人たちが訪問したら、天井の低さに音を上げそうだ。

前日には、このような建物が食堂に転用されたところで夕食を摂ったが、上階から階段を降りきったところで、額をしたたか打ちつけてしまい、一瞬意識が飛んだ。一般的に小柄な人たちが多いネパールだが、これらの建物が出来た頃には、おそらく男性でも背丈は概ね160cm前後だったと思われる。

近年の建物はこうした規模感で造られることはないようだし、若者たちも私たちからみて、そんなに小柄なということもない。おそらく食生活や生活スタイルの変化により、体格が飛躍的に向上したということなのだろう。言うまでもなく、日本でも私たちの祖父祖母世代では、かなり小柄な人たちが多かった。

また、日本よりもずいぶん早くから豊かだったアメリカでも、第二次大戦あたりまでは、それほど長身の人たちがたくさんいたというわけではなかった(当時の日本人はとても小さかったので、この頃のアメリカ人たちは相対的に大柄ということにはなるが)ようだ。たぶん、幼い頃から毎日、肉など高タンパク質な食材を充分摂取できるようになっていることが寄与する部分は多いにあるのだろう。

つまり食肉生産の「工業化」により、ブロイラーのごとく、まるで工業製品であるかのように大量発生生産できるようになったこと、同様にそうした生産物の大量輸送量と長期にわたる大量保管が可能となったため、いつ何時でもこれらが入手出来て、家庭においても保管できるようになったことだ。もちろん肉類だけでなく、農業生産の分野でも品種改良や栽培技術が進んだため、大量生産によりふんだんに市場に配給されるようになっている。

日本の私たちの世代は、生まれた頃にはすでにこのプロセスが完了していたので実感することはないのだが、国によってはある時期を境に人々の体格が著しく向上している地域がある。

ネパールの都市部もたぶんそうなのだろうけれども、インドのパンジャーブ州などは、その典型だろう。もともとアーリア系の形質を濃く受け継いだ人たちが多いことも関係している (大きく逞しくなる潜在力が大きい) かと思うが、今の30代前半くらいまでの若い人たちの中には、とても長身な人たちが多い。彼らの親世代も体格に恵まれた人たちは少なくないとはいえ、それほどデカい人たちは多くはないのに。

おまけにマッチョな地域柄、尚武の民スィク教徒が多いという背景もあり、格闘技は盛んだし、お手軽に強そうに見せるためのボディービルも盛んなお土地柄。そのためちょっと暮らし向きに余裕のあるエリアでは、どちらに目をやってもデカくてムキムキのバカマッチョたちがふらふら出歩いている。

伝統家屋の天井の低さから話は飛んでしまったが、そこからいろいろ思いが及ぶところがあるものだ。

「Newa Chen」ウェブサイト

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

ネパール語の風景

カトマンズのタメルで見かけた看板。混雑回避のための措置について書かれている。

ネパーリーで「खाली ट्याक्सी प्रवेश निषेध Khali tyaksi pravesh nishedh」と書いてあれば、ヒンデイーを理解する者であれば誰であろうと、ネパール語を学んだことがまったくなくても「空車のタクシーは進入禁止なのだな」とわかる。

サンスクリット等からの借用語については、古典に忠実であることからヒンディーとのブレはないように見えるのだが、英語からの借用語については、その限りではないため、オリジナルなカラーが出るのが興味深い。ヒンディーでは「टैक्सी taeksi」と綴るが、ネパーリーでは「ट्याक्सी tyaksi」と綴ることが見てとれる。たぶんネパールの人々の耳にはそう聞こえるからなのだろう。

ネパールにおけるこうした外来語の表記で気になるのは、「v」が「bh」に置き換えられることが多いことだ。例えば旅行代理店やバス会社などで「なんとかトラベル」というのがあると、「travel」が「ट्रेवल treval」ではなく「ट्राभल trabhal」となるのはなぜだろうか?ネパール語にはちゃんと「v」があるのに「bh」で置き換える理由がよくわからないのは、私はネパール語を学んだことがないからだ。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

増殖するOYO

カトマンズでもOYOが増殖しており、例の赤いロゴ入り看板が目立つ。このチェーンに加盟する宿はロクなものではないのだが、やはりこの国でも当然のごとく勢力を伸ばしている。

話はネパールから逸れるが、インドのデリー訪問時の常宿としているところは、エコノミーな宿の割には、午前2時とかに着いてもちゃんと対応してくれるし、メールで予約しても、ちゃんと部屋は取れているし、前金も要求されない。

なんだ、そんなの当たり前じゃないかと思うかもしれないが、実はそうではないのだ。このあたりがちゃんと対応しているエコノミーな宿というのはあまりない。

深夜過ぎに着くと、玄関が閉まっていて、背後でワアワア吠える野犬にビビって冷汗かきながら扉をガンガン叩いて大声を上げると、ようやく眠い目をこすりながら使用人のお兄ちゃんが開けてくれるとか、予約のメールをしても、催促のメール出してもなしのつぶてで、遅い時間帯に到着してみると、満室とのことで断られるというようなところは、エコノミーな宿では多いのだ。そうした宿は、カイシャ的な経営ではなく、家族経営あるいは雇い入れたマネージャーに任せっぱなしのところが多いため、自然と容易なほうに流れてしまい、ルーズになっているケースが多い。

エコノミーな宿からロイヤリティをせしめて、包括的なノウハウとマーケティングを提供するOYOのようなビジネスが急伸した背景には、そうしたエコノミーな宿泊施設におけるマネジメント能力の欠如がある。うまいところに目を付けたものだと思う。

booking.comなど予約サイトを利使って予約してもいいのだが、クレジットカード情報を入れたり、前払いする必要があったりするため、メール予約で現地決済のほうが気楽に決まっている。そうでなければ、前金やクレジット情報を入れずに予約できるところがあると気が楽だ。OYOはちょうどそんな感じ。前払いにすると、少し宿泊費が安くなったり、朝食が付いたりといった具合で、前払いもしくはクレジット情報入力へ誘導しようとするが、それらなしでも予約はできる。

また加盟施設が急伸しているためか、ネパールではどうだか知らないが、インドにおいては大手予約サイトではカバーしていないような田舎町にもOYOの施設があったりもする。

勝手のよくわからない小さな町に夜遅く到着するような場合、OYOのサイトにアクセスして予約しておくと安心かもしれない。もっともそんなケース以外では、決して利用したくないのだが。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

ネパールのサッカー代表チームゲームシャツ

KELMEカトマンズ店

カトマンズのダルバール・マールグとティーンダーラー・マールグが交わるところの商業ビルに入っているKELMEのショップを訪問。

現在、サッカーのネパール代表のウェアの公式サプライヤーとなっているため、本物のレプリカユニフォームが陳列されていた。

パッと見た感じ、あんまりカッコ良いとは言えないのだが、ネパールサッカー協会のエンブレム、ゲームシャツの胸部ともに、エベレストが描かれている個性的なデザイン。

私が知る範囲では、サッカーのユニフォーム生地に山岳等の自然物が描写されているものは他に存在しないレアなものだ。しかもゲームシャツと短パンのセットで2700NRs(ほぼ2700JPYというのも、欧米のメーカーによる代表チームの公式レプリカシャツとしては、耳にしたことのない価格だ。紺色のホーム用と同じデザインで赤色のアウェイ用を合わせて購入した。