食後の口直しのアレ

インドは食事がおいしいが、レストランで伝票が出てくるあたりで一緒に出される食後の口直しのアレもなかなか良いものがある。もともとはウイキョウのみであったり、角砂糖やザラメを混ぜて出していたりしたものだが、近年は香りや味を付けた個性的なものがよく見られるようになった。

糖衣処理されたウイキョウに八角が混じったものが出てきたりすると、もうたまらない。出てきた伝票をチェックしながら、「あぁ、これは夢見心地の素晴らしさ・・・」と、ひと匙、ふた匙では飽き足らず、次々に口に運んでいるうちに、「ハッ」と気がつくと器に入っていた3/4ほど食べてしまったりする。下手すると「完食」「お替り」しかねないので、注意が必要だ。

以前、グジャラート州でこのウイキョウの加工品の専門店がいくつも集合した一角があり、どの店もこれ専業で儲けているだけあり、試食させてもらったすべてが驚くほど美味だった。小さい容器に入れてもらって購入し、宿に戻ってからツマんでみると、もう止まらなくなり、部屋で完食してしまう。糖分が多いので要注意だが、ウイキョウの香りの良さとあいまって、クセになる。

子供の頃から仁丹の類が大好きだった私にはもってこいの逸品。同じような嗜好の方があれば、きっとズブズブ深く深くハマってしまうことだろう。

今度、良い店を見つけたら大きな瓶を丸ごと買って帰ろうと思う。

マニプリー・ターリー

ダールやジャガイモなど、インド各地で見られる食材も多様されること、ターメリックも使用されるので、視覚的にはインド料理のように見える。

特徴的なのは、竹葉を折って作った風雅な皿、料理に使われている油の量が少ないこと、味付けに豆や魚を発酵させたものが使われていることなどだ。乳製品はほとんど、あるいはあんまり使用されていないのではないかと思われる。

食してみると、インドらしからぬ味覚で、東南アジア的、あるいは東アジア的ともいえる臭みのある食事は、日本人の私にとっては親しみをおぼえる味だが、地域外からやってきたインド人や西洋人は苦手かもしれない。

インドのように見える部分があるが、味わいはずいぶん異なるというのは、まさにマニプルという土地を象徴しているかのようでもある。

インド式行列

感染予防のため、「social distancing」「do gaj ki duri」等々、人と人との取るべき距離について言われているのはインドも同じだが、コロナ後のインドで「インド式行列」が改まる未来はあるのだろうか。

ご存知のとおり、列に並ぶ人たちが身体前部と後部を密接させる、極めてコンパクトな並びかたのことである。列の長さがさほどではなきように見えても油断してはいけない。密度がたいへん高いため、なかなか先頭に出ることができないのだ。

なぜこういう暑苦しいことにになるのかといえば、理由は明快で、「割り込みを防ぐ」ためである。それでもわずかな隙間からねじ込もうとしたり、列の人に話しかけてドサクサで入り込もうとか、「☓☓で超急いでいる」などとウソをついて入り込もうとする輩もいれば、こともあろうに行列全体を無視して、「先頭に割り込もう」とする厚顔無恥な者も少なくないからだ。

このあたりの突破力というのは、明らかに人口過多な超競争社会で揉まれてきたインド人の中でも選りすぐりの猛者はめげることすらない。それらに対して「あんまり猛者ではないタイプ」の普通の人たちが対抗するには、人の鎖を形成して、つけいる隙を与えないに限るのだ。かくして「インド式行列」が形成される。列に並ぶ人たちの「割込みは許さない」という決意と覚悟に満ちた表情をご覧いただきたい。

これが解消されるには、人口過多が解消されたり、人々のマナーが向上したりしていかないと、なかなかむずかしいことかと思う。同様にバスや通勤電車などの激混み状態も器のキャパの問題があるため、こういうところはコロナ禍にあって、さらにはコロナ後になっても、あまり変わりがないことだろうと思ったりする。

当たりはずれ

南インドを離れると、マサラドーサは当たりハズレが大きい。こちらはデリーのサライロヒラー駅前で列車待ちの時間潰しのために入った店での「ハズレ」のドーサ。

やはりこれを日常的に食べる食文化圏ではなく、厨房の料理人も北インドやネパールの人で「あまり食べた記憶はないし、この店で働くまでドーサを作ったことさえなかった」となると、インドにおける多くの「中華料理」のごとく、キビシイものがある。。

それはともかく、ドーサは「小腹が空いたときにちょうど良い」「おやつにぴったり」と思う方は多いようだが、実はヘビー級カロリーのひと皿。「ふたつで1日分のカロリーが補給できる」とのことだ。栄養補給には、たいへん効率が良過ぎる。

イスラーム世界とユダヤ社会

リンク先の記事だが、書いてあることは驚くべきことでも何でもなく、ごく当然のことだろう。イスラーム教徒とユダヤ教徒の対立の歴史は浅い・・・と書くと、いろいろ反論されるかもしれないが、イスラエル建国運動が現実の動きとなり、イスラエルが建国される前は、そんな「対立」はなかったわけで、イスラーム教とユダヤ教の長い長い共存共栄の歴史の中では、「ごく最近の現象」であると言える。

アラビア世界各地にユダヤ人地区があり、彼らはイスラーム教徒たちと共存していた・・・というよりも、それぞれの現地で、ユダヤ教徒たちは「ユダヤ教を信仰するアラビア人」であった。

インドにおける、いわゆる「バグダディー・ジュー」と呼ばれるアラビア方面から渡ってきたユダヤ教徒たちもそうで、当初は自らも「アラビア人」として、アラビア式の生活様式、アラビア式の装いをして、インドで商業活動を広げた。やがて彼らの上層部を形成する層は、英国植民地当局の買弁としての活動が広がり、急速に植民地支配者側の体制の人たちとなっていく中で「欧風化」していった。商業活動、とりわけ貿易業に携わるバグダディーが住み着いた地域は、ムンバイ、カルカッタ、ラングーン(現ヤンゴン)などの港町が多かったが、いずれもムスリム地区にある。それほどイスラーム教徒の取引のネットワークとユダヤ教徒のそれは、深い繋がりがあったのだ。

独立後、ユダヤ教徒は海外流出により、ごくわずかなものとなっているが、どこの街でもシナゴーグなどの保守に当たるのは、現地のユダヤ教徒世話人から託されたイスラーム教徒たちである。イスラエル建国により、国レベルでは、イスラーム教の国々や様々な国々に暮らすイスラーム教徒との間で感情の軋轢が新しく生まれてしまったが、もともとはイスラーム世界の一部を成すユダヤ社会であったわけだし、今に至るもそれは継続している。

UAEとイスラエル国交樹立により、前者の経済活動にイスラエルから多数参画するようになったのは、今の時代にあっては新しい現象ではあるものの、実は「大昔からそうであった、あるべき姿に戻った」といえるのだ。リンク先記事で、このあたりを押さえておかないと、あたかもイスラーム教徒とユダヤ教徒が何百年も千年も長きに渡って対立してきたかのような誤解を読者に与えてしまいかねないと気になるのだが、これが杞憂であれば幸いである。

(世界発2021)かつての敵国、急接近 イスラエル・UAE、国交樹立半年 (asahi.com)