同じくデーヴァナガリー文字を使うヒンディーベルトでは通常दवा(ダワー=薬) あるいは複数形でदवाइयां と書いてあるが、マハーラーシュトラでは薬局にऔषधी(アウシディー=薬)と書かれている。マラーティーではऔषधि は「औषधी 」と語尾が長くなるらしい。
दवा (ダワー)もऔषधि (アウシディ)も意味するものは同じく「薬」なのだが、前者はアラビア語からの借用語、後者はサンスクリット語から入ってきたもの。
ヒンディー語その他のインドの言葉は様々な言語からの混成であることが多いことから、同じ物を示す名詞にも元々の地場の言語起源のものとアラビア語、ペルシャ語などからきたものと、複数の語彙が控えていることが多い。
人物の名前や装いのみならず、そうした語彙の使い分けなどからも聞き手は話者の教育や経済の水準、リベラルあるいは保守、ヒンドゥーかムスリムか、などといったあたりについても見当が付くという言語環境がある。
その一方で、同じ意味あいの語でも、しばしば語彙の起源によりニュアンスが大きく異なることにもなる。たとえば「音楽」でもम्यूजिक (ミューズィック=音楽)といえば、映画ポップスやラップであったりするが、संगीत (サンギート=音楽)となると、古典や伝統音楽だろう。あるいは映画音楽でも「キショール・クマール」や「ラーフィー」などといったおじいちゃん、おばあちゃん世代が馴染んだものは、今の人々からするとこの「サンギート」の範疇にもなるかもしれない。
そんな具合に、ヒンディー語では一般的に「दवा ダワー=薬」と言えば西洋医学の薬を指す。そして「औषधि アウシディー」と言えば、アーユルヴェーダの薬のことを思い浮かべることが多いだろう。
テレビで盛んに宣伝しているスワーミー・ラームデーヴのパタンジャリブランドの製品群。この中で医薬品類も販売しているが、CMで幾度も「アーユルヴェーダによるアウシディー」「生薬のアウシディ」と強調しているのは、まさにこれが生薬を配合した伝統的なものであり、混じりけのないシュッド(ピュア)なアーユルヴェーダ薬であると視聴者に訴求しているわけである。
しかし同じ語彙も言語圏つまり言語文化圏が変わるとニュアンスに違いが生じてくるわけで、西洋医学の医薬品であってもためらいなく「アウシディ」を名乗るようになるのが面白い。
インドは文字の宝庫でもあり、全国各地で様々な異なるアルファベットが用いられている。これほど文字の種類が多い地域は世界にもないし、しかも単一の国内でこれほどのバリエーションを持つ国は世界広しと言えどもインド以外には存在しない。
他の言語にもインドの古語起源の語彙はたいへん豊富なので、それらの多くを読み分けることができたら、街なかで看板を眺めているだけで、ずいぶん楽しい発見がありそうに思う。
インドという国はのほほんと散歩しているだけでもなかなか面白いものだ。