歴史の書き換え

アウランガーバードのバススタンドからプネー行きバスに乗車。途中にあるアハマドナガルが本日の目的地。昨年2月下旬にアウランガーバードが「チャトラパティ・サンバージーナガル」に改称されることが決まった。

アウラングゼーブ帝の時代にムガル帝国の領域は最大となる(以降は衰退期に入った)とともに、デリーからこちらに居を移し、当地ゆかりの歴史的人物となった「アウラングゼーブ」の名前が消されて、この街で活躍したわけではないサンバージーが街の名前となった。

この改称には単に中央政府の反ムスリム志向だけでなく、まさにこの地域のマラーター民族主義がある。90年代、州のシヴセーナー政権時代に空港、鉄道駅、博物館などに「シヴァージー」の名前を冠せられ、街の名前もマラーティーでの「ムンバイー」と改称された。

実は、それまでヒンディーでは当時の「ボンベイ」を「バンバイー」と表記していた。「ムンバイー」への改称を機に、ヒンディーでの表記も次第にマラーティーでの表記に寄せて同じく「ムンバイー」となっていき、現在では「バンバイー」という表記は見かけなくないし、耳にもしなくなっており、「死語」と言って差し支えないだろう。

「バンバイー」から「ムンバイー」への変更は呼び方の地域性をシフトするのみで、鉄道駅の「VT(ヴィクトリア・ターミナス)」から「CST(チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス)」は象徴的なシンボルの植民地時代のからの現状変更だったため抵抗感はほとんどなかったものと思われる。

しかし「アウランガーバード」から「チャトラパティ・サンバージーナガル」については、先述のアンチムスリムの意図あってのことであることは誰もが知っているため、嫌悪感を抱く層はかなり多いかと思う。

歴史の書き換え現場のひとつを目にした気がする。

Karim’s (Aurangabad)

ムガルの旧都デリーからムガル第6代皇帝アウラングゼーブが愛し、ここで没したアウランガーバードへ飛んだ。宿泊先のすぐ隣になんと、あの「Karim’s 」の支店が!・・・と思ったら「デリーのとは関係ありません」とメニュー冒頭に書いてあった。

デリーの「Karim’s Hotel」の支店かと思った。
デリーのジャマーマスジッド近くの「Karim’s」とは無関係である旨明記してある。

チキンビリヤーニーを注文したが期待を超える美味しさが嬉しい。 量が多く、ケバーブも注文しようかと思ったが、もう入らなそうなのでやめておく。デザートはシャーヒー・トゥクラー。甘い物は別腹なのできちんと収まる。これもまたたいへん心地よく堪能てきた。

チキンビリヤーニー
シャーヒー・トゥクラー

ご存知の方も多いかと思うが、インドの学校の歴史の教科書中から「ムガル帝国」についての記述が消えている。理由は「インドが侵略・蹂躙された歴史」であるからとのこと。つまりイギリスがインドを侵略したようにムガルも外界からインドを侵略した勢力であったというスタンス。

そういう論理でいくと、ムグライ料理も侵略者たちが食べていたとされる料理であり、イギリス料理がインド料理ではないように、ムグライもインドの料理ではないというような言質が出てくるかもしれない。

一昨年(2022年)の8月15日のインドの独立75周年を軸に、2021年3月から2023年8月15日にかけて、「Azadi ka Amrit Mahotsav(自由の甘美な大祝祭)」というインド政府による官製キャンペーンが展開されていたが、その期間には様々なプログラムなどが期間中いろいろと実施された。

「インドがAzadi(アーザーディー)を達成した」と言う場合、これまではイギリスから独立して自由な立場になったことを指していたはすなのだが、いまや「歴代の様々なイスラーム勢力とその後にやってきたイギリスを合わせた外来勢力から解放された」という解釈に置き換わってしまっている、あるいは置き換えられようとしているような気がしてならない。

しかしサンスクリット起源の言葉「Amrit Mahotsav」と並ぶところの冒頭でペルシャ語から入った「アーザーディーآزادی」が付いているのはちぐはぐではあるが、もともとイギリスから独立した状態のことを「アーザーディー」といい習わしてきたためだろう。

この地を愛して居を定めたムガルの皇帝アウラングゼーブに因んで長らく「アウランガーバード」と呼ばれてきたこの街が、昨年から「チャトラパティ・サンバージーナガル」に改称された。改称されたと聞いて「あぁそうか」と思うわけにはいかない理由がある。

ムガルに対抗するヒンドゥーのマラーター勢力の王たちの中で、「チャトラパティ」つまり従者に指掛けられる傘の相手(つまり主(あるじ))という意味で、この称号が付けられた偉大な王たちが何人かいた中のひとりがサンバージーであった。

つまりムガルにゆかりの深い歴史的な経緯とともに様々な史跡旧跡が残り、コミュニティーも形成・継続してきたこの地の過去を否定する形で、「チャトラパティ・サンバージーナガル」と改称するのは、まさに歴史の舞台をちゃぶ台返しで破壊してしまうようなやりかただと思うのだが、これが単発的な事象ではなく、与党勢力を軸に計画的かつ組織的に着々と各地で進められていることは懸念される。

いつか「デリー改めインドラプラスタ」などということをやってしまいそうな気がしてならないのだが、10年後くらいにそうなっていないことを願うしかない。

「たかが名前」かもしれないが、「されど名前」である。そういうことが平気でなされるようになると、長い歴史の中で脈々と受け継がれてきた文化のうち「ヒンドゥー的でないもの」あるいは「インド起源でないもの」の文化伝統やコミュニティーが否定されることにもなるわけで、それを看過できないとする人たちも当然少なくないわけである。

まさにこのような背景もまた、先の総選挙で与党連合が大幅に議席を減らした原因かもしれない。2月にウッタルプラデーシュ州のアーヨーディヤーで「ラーマ寺院」の落成式を大々的に行い、多大な得点を稼いだように見えていたが、まさに同州における総選挙結果は与党にとって惨憺たるもの、野党連合にとっては大躍進であった。

美味しいムグライ料理は、紛れもなくインドの料理であり、ムガル朝はインド最後の王朝だ。そしてインドのイスラーム文化はまさにインドの歴史の中の重要な役割を果たしてきたものであり、ムスリムの人々はインドの大切な国民である。

ビリヤーニーの親戚

ペルシャ料理のプラオからインドで派生したビリヤーニーが美味しいデリーで、そのペルシャのプラオから派生したウズベキスタンのプラオ、つまり「いとこ」に当たるものを食べる。

やはりマトンは美味しい。脂身の芳醇な香りが好きだ。この店の肉はちょい痩せているけど。肉質や香りは牛肉のそれとベクトルが似ていると思う。

これを臭いという人もいるが、あくまで慣れと馴染みの問題だろう。私たちは牛肉には慣れているものの、あれだってそうとう強い匂いがするものだから。匂いと感じると美味しく食べられるのだが、臭いと感じるとそうではなくなってしまう。

Sita Ram Diwan Chand

デリーのパハールガンジの常宿近くのチョーレー・バトゥーレー専門店シーター・ラーム・ディワーン・チャンド

Try Sita Ram Diwan Chand Chole Bhature. Serving since 1950

でテイクアウトの朝食。

大変美味しいのだが、食べ終わると沢山のゴミが出るのが玉にキズ。しっかりした不織布の袋など、実にもったいない思いがする。

ずいぶんしっかりした不織布の袋に入れてくれる。下がテイクアウトのパッケージ。
パッケージを開けたところ

三又ソケット

三叉ソケットを買い足した。宿で利用できるコンセントが足りなかったり、接触が悪くなっていて、何かひとつ噛ませないとうまく通電しないコンセントがあったりするため、とても重宝する。

感心するのは、近年は3つ4つに分岐させるだけではなく、平型タップにも対応する形状になっていることが少なくないことだ。

とりわけ外国人客の多い地域では、そうした需要は少なくないのだろう。つまり2穴式でも丸型だけでなく平型にも使えるということ。もちろん私たち日本も平型だが、アメリカの家電製品に配慮したものと思われる。

安いものだし、何かと置き忘れたり、紛失しがちなグッズでもあるため、見かけたらその都度購入して補充しておきたい。