見て触って感じることができるインドの伝統建築

インドのモスクはどこも程度の差こそあれ、どこのものも地域独自のカラーがあるものだ。

アムダーバードのイスラーム建築は、持ち送りといい庇といい、柱といい壁面の紋様といい、はてまた相輪(のようなもの)等々、土着文化(ヒンドゥー文化)の影響を凄まじいまでに反映させていることに改めて驚かされる。これらのパーツを単体でみると、とてもモスクであるとは感じられなかったりするほどの強烈な個性とインパクトだ。

例えば、この「Ahmed Shah’s Mosque (Shahi Jam-e-Masjid)」。1414年創建のこのモスクは、イスラーム建築特有の大きなグンバド(大ドーム)とイーワーンの組み合わせから来る内部に柱のない広大な空間を持たず、まるでヒンドゥー寺院のような柱の多い内部空間を構成していることから、同じくヒンドゥー建築の影響が顕著なカシミールの木造モスクを彷彿させるものがある。このようなタイプのモスクはアムダーバード市内に多い。インドはイスラーム建築も多様性に富むため、地域が違うととても同じ国内に居るとは思えない。

同様に、ヒンドゥーの人たちの寺院建築、伝統文化、風俗習慣や日常生活もイスラーム文化による強い影響を受けていたり、スィク教においても同じくイスラームから取り入れられた特徴も多く、インドひいては南アジアという地域の重層性をひしひしと感じさせられるものである。

こうした建築物の傑作の数々を直に観て触れて、その紋様を指でなぞったりしながら体感できるのはとても嬉しい。博物館でガラスのショーケースに収まっている構造物の一部を眺めるのではなく、その建物に入って細部を撫でながらダイレクトに体感できるのだから。

アーメダバード旧市街

ユネスコ世界遺産の登録されているアーメダーバード旧市街では、古いハヴェリー(屋敷、邸宅)が多く残っており見応えがあるが、宿に転用してあるものがいくつかある。このハヴェリーはそんな中のひとつ。グジャラート州は今後も来たいし、アーメダバードに滞在することもあるだろうからいくつかチェックしておいた。こちらは「FRENCH HAVELI」という名前で宿泊施設として運営されている。オーナー家族はヒンドゥーの商業コミュニティの人たちだが、米国に移住しており、ホテル運営会社が借り受けて運営しているとのこと。部屋ごとにサイズや雰囲気は異なり、実際に泊まる場合には部屋を見て決めたい。

近ごろ思うのは、ガイドブックなるものをほとんど使わなくなったことだ。スマホには一応キン版のロンプラのガイドブック「INDIA」は入っているものの、ほとんど開いてすらいない。スマホ+グーグルの時代になってからは様々な面からも実に旅行しやすくなった。

良くできたガイドブック、便利なガイドブックは多いのだが、今は観光地情報、宿情報、移動手段情報は書籍からは要らなくなったため、ネットからは入手しにくい何か特別なことに特化あるいは深化した部分がないと、なかなか購入する動機がない、という具合になっているのが昨今のガイドブック事情ではないかと思う。

こちらも宿に転用されている「MANGALDAS NI HAVELI」。先程のFRENCH HAVELIよりも少しアップマーケットになるが見ておきたい・・・のだが、訪れたときには誰もいなかった。外から南京錠が下りていたので、おそらく宿泊者も本日はいないのだろう。外から見る限りでは、とてもきれいに修復してあるようだった。

宿ではないのだが、本日見かけたハヴェリーの中では、これが最も重厚感があった。20年前、30年前であれば、こういうのがけっこう健在だったのかもしれない。こうした柱といい、持ち送りといい、なんかシビレる。家屋の中もさぞかし素晴らしいことだろう。

このハヴェリーにグジャラート語で書かれた碑文みたいなのがあったので、近くにいたおじさんにヒンディー語に口訳してもらった。それを聞いて「ほう、そうなのか」と思ったが、歩いていると次から次へと興味深い建物があり、ちょっと「公式外」の変わったジャイナ教寺院と図書館が一体となった木造建築の中を見学したりと興奮したためか、先ほどの口訳してもらった内容をすっかり失念してしまった。やはりその場でメモするか、おじさんの喋りを録音しておかないとダメだと痛感。

往時を偲ばせるハヴェリー等が散在するアーメダバード。こうした伝統的な建物の集合具合の密度がもっと高いとなお良かった。そういう意味ではカトマンズの旧市街はもちろんのこと、ネパールのバクタプルのような伝統家屋がほぼまるごと残っている街並みというのが、いかに価値のあるものかということをひしひし感じる。一度失われると二度と取り戻すことができないだけに。

旧市街は、それぞれ固有の名前のついた「ポール(POL)」が構成されており、それぞれにこうした門が付いている。「ポール」とは、宗教、カースト、氏族、職業などの共通項を持つ家族たちで構成させている街区のようなものだが、これについても説明してくれるであろう旧市街ツアーに申し込んでいたのだが、私が訪れた時期には申込みが少ないとのことで、開催されなかったのは残念。またグジャラートは来るし、必然的にアーメダバードにも泊まるので、次回の楽しみとしよう。

 

ディレーンドラ・シャストリーという「バーバー」

INDIA TVの人気プログラム「アープ・キー・アダーラト(あなたの法廷)」。そのときどきの注目されている人たち、俳優、政治家、財界人その他をスタジオに呼び、裁判の尋問と答弁の形で、様々な質問から本人の回答を引き出すというもの。

このところ話題のバゲーシュワル・ダームのディレーンドラ・シャストリーが出演することが予告されていたが、うっかり見逃した。しかしYouTubeで見ることができた。今という時代に感謝である。

Dhirendra Shastri In Aap Ki Adalat: बागेश्वर धाम सरकार ने कटघरे में किए बड़े खुलासे | Rajat Sharma (INDIA TV)

まだ26歳の「バーバー」。装いもチェック柄の衣装であったり、このところ気に入っているらしい帽子をよく被って現れるなど、世俗的で、とてもヒンドゥーの「聖者」には見えない。相手を手玉に取るセリフ回し(インド人はこういうのが好きだ)や話もうまい。まだ自分を「大人に見せよう」と苦心している様子もうかがえるが、年齢を重ねるにつれて、それらしくなっていくことだろう。

これまでは田舎で周辺地域から信者を集める新興の「バーバー」だったが、このところメディアで日々取り上げられるようになったため、全国の田舎の人たちから注目する存在になるかもしれない。彼は教えが素晴らしいとか、人格が高潔であるなどといったものではなく、まったく反対に「怪しげな奇跡を演出する」「資金の出処や流れが不明」他、インチキくさいバーバーとして耳目を集めている。

マッディヤ・プラデーシュでとても貧しいブラーフマンの家に生まれ、学校はドロップアウト。リクシャーを引いていた時期もあったとされる。そんな若者が数年間で父母や祖父母世代をも含めた信者層を集める存在となり、一気に有名になったため、彼のアーシュラムにはBJPの代議士たちも信者に顔を売るために表敬訪問するようにさえなってきた。頭のキレは良くて話も上手い彼をプロデュースした黒幕がいるのかどうかは知らないが、少なくともどこかから資金やノウハウの援助は受けてきたはず。

スタートアップ企業の将来性を見込んで投資する人たちがいるように「将来のバーバー」に対して先行投資をする人たちがいるはずなのだ。日本でもそうだが、こうした宗教関係団体というものは、会社組織と同じ。販売しているモノが「信仰」という目に見えないものであることを除けば。

この若い「バーバー」の組織は、田舎からそのまま展開して全国を商圏とするテレビショッピングの「ジャパネットたかた」みたいな感じで将来インド全国へと展開していくことになるのだろうか。若年層人口が分厚いインドでは、彼の若さもプラスに作用し得る。若い人たちにとって同世代で勢いがあり、見た目も悪くない「バーバー」が人気を集めることになっても不思議ではないように思われる。

アウランガーバード改名、チャトラパティ・サンバージーナガルに

シヴセーナー(エークナート・シンデー派)+BJP政権下のマハーラーシュトラ州で、「アウランガーバード」を「チャトラパティ・サンバージーナガル」に、「ウスマーナーバード」を「ダラーシヴ」に変更するようだ。

ムガルの皇帝アウラングゼーブが愛した街、晩年を過ごしたアウランガーバードの街の名からマラーターの英雄のひとり、サンバージーにちなんだ名前に変えようというわけである。「チャトラパティ」はサンバージーへの尊称で、改名後は街なかでおそらく「サンバージーナガル」と呼ぶのだろう。サフラン右翼による近年の改名の流れは、ムスリム支配を英国支配と同じ外来勢力による祖国の侵略と捉える思想が背景にある。

そうした認識により、ムスリムのコミュニティーは侵略者の末裔という認識、排除へのさらなる機運醸成へと向かうことは当然の帰結となるのが恐ろしい。もちろんそれが右翼勢力の狙いでもある。

New names for Aurangabad city, dist & taluka (THE TIMES OF INDIA)

地名変更と国名変更

来年5月に総選挙を迎えるインドでは、BJPが再び地名変更の動きを見せている。UP州のLUCKNOW(ラクナウ)をLAKHANPUR(ラカンプル)またはLAKSHMANPUR(ラクシュマンプル)にという案が浮上。いずれにしても取って付けたような名称ではなく、それなりにきちんとその土地に由緒あるものであるとはいえ、長らく「LUCKNOW」として知られてきた州都、旧アワド王国の都の名前をそのような形に変更してしまうというのは、ヒンドゥー至上主義右派によるイスラーム文化やイスラーム支配の歴史のあからさまな否定でもある。

Rename Lucknow as Lakshmanpur or Lakhanpur’: BJP MP urges Amit Shah(INDIA TV)

独立以来、インド各地で地名等の変更が行われてきたが、その目的は主に以下のようなものであった。

  1. 植民地時代式の綴りを現地の発音に即したものに改める。 (CAWNPORE→KANPUR、JEYPORE→JAIPUR、JUBBULPORE→JABALPUR等)2.
  2. 英語名称を現地語名称に揃える。  (BOMBAY→MUMBAI、CALCUTTA→KOLKATA、MADRAS→CHENNAI等)

同様に、各地のストリート名などが、植民地時代の行政官等に因んだ名前からインドの偉人や独立の志士などの名前に変更されている。インドに限らず植民地支配から脱した国々の多くでこのような名称変更は実施されていることはご存知のとおり。

しかしBJPが政権を握るようになってからは、それ以前は見られなかった新たな形での名称変更が続いている。

3.ムスリムの支配や影響を色濃く残す地名を「ヒンドゥー化」する。(ALLAHABAD→PRAYAGRAJ、OSMANABAD→DARASHIV、HOSHANGABAD→NARMADAPURAM等)

この③のタイプの改名については、コミュナルな背景の意思が働いているため①及び②とは異なり、注意が必要となる。

先述のとおり、2024年5月に総選挙が実施されることに先立ち、今後もこのような地名変更の提案が続くものと予想される。州都ラクナウのような伝統ある地名が③の形で改名されてしまうようなことが本当に起きるとは信じ難いものがあるが、グジャラートのAHMEDABAD(アーメダバード)についても、KARNAWATI(カルナワティ)に変更しようという動きもある。ひょっとすると首都DELHI(デリー)についても、INDRAPRASTHA(インドラプラスタ)に改称される未来が来るのではないかと冗談半分に言われているが、数年後にそういう日がやってきたとしても、あまり驚くに値しないのかもしれない。

頻繁に地名変更を提案したり、それを実施したりしているBJP政権だが、報道を注意深く見ていると、そのような方向に本格的に動き出したことが大きく報じられる前に、国会議員なり地方議会議員なりの「個人的な意見」という形で、しばしば観測気球のようなものが上がっていることに気が付く。

以下の記事は昨年末の報道だが、BJPの議員により「インドの国名を改めよう」という意見。

BJP MP who wants to rename India: ‘PM Modi trying to restore nation’s pride … I thought my question in Parliament will expedite his work’ (The Indian EXPRESS)

「INDIA」を「BHARAT(バーラト=ヒンドゥーの地)」あるいは「BHARATVARSH(バーラトワルシュ=バーラトの大地)」に変更しよういうものだ。

これについては、例えば英語で「JAPAN」と呼ばれてきたのを「NIHON」あるいは「NIPPON」に変えようというようなもの。外からの呼称を内での呼び方に揃えようというもの違和感は薄い。(インド国外でBHARATという名称をご存知ない方も少なくないかと思うので、もしかすると耳慣れない奇妙な呼称に感じるかもしれないが・・・。)

いっぽうでインド、INDIAの別称として「HINDUSTAN(ヒンドゥスターン)」もある。企業名でも「HINDUSTAN MOTORS」「HINDUSTAN PETROLEUM」等々、「HINDUSTAN」を冠したものは多く、日常会話でも自国のことを「ヒンドゥスターン」と普通に呼ぶので、なぜ「HINDUSTAN」にしないのか?と思う方もあるかもしれないが、BJPのようなサフラン右翼(サフラン色はヒンドゥーの神聖な色)にとって、やはり「BHARAT」あるいは「BHARATVARSH」こそが、あるべき母国の名称ということになる。

なぜならば「HINDUSTAN」という名前は、元々はペルシャ(及びペルシャ語圏)の人々から見たインドに対する呼称であって、インドの人々が自国をそう呼ぶようになったのは、ペルシャ語圏から入ってきたその名称が定着したからに他ならないからということが背景にある。