コロナで出版不況のダリヤガンジ

オールドデリーのダリヤガンジにある出版社「マノーハル」のショールームを訪問して何冊か購入。

経営者氏は父親から会社を継いでかなり経つのだが、コロナの間はとても大変だったようだ。アカデミックな書籍を扱う出版社の場合は、パンデミックの影響はあまりないのか思ったら、決してそんなことはないらしい。

向かいにあったオックスフォード大学出版会はちょうど1年くらい前にインドから撤退したとか、付近にあったショールームがあったケンブリッジ出版会も近々引き払うことになりそうとか、地場資本でもダリヤガンジ地域で彼のこの出版社と同じくらい有名な出版社も歴史の幕を閉じたという暗い話を聞いた。

ここでは在外インド人や外国の研究者による本も多く出しているが、そうした人たちがコロナ禍でなかなか来ることができなかったため、新規に出す本も減っているそうだ。

本日購入した中の一冊「Darjeeling」は、先週リリースされたばかり。西ベンガル州のダージリン地区に暮らす様々なコミュニティー(民族)について、いろいろな研究者たちが著したもので、なかなか面白そうだ。さすがにこういう書籍はamazon.inのキンドル書籍では手に入らないため、こうして紙媒体の本として購入している。

映画は時代を写す鏡

挿入歌の歌詞はまさにそれを象徴している。この曲は耳にするのも小恥ずかしいような感じで好きではなかったが、今になって振り返ると公開された1988年はまさにそういう時代。

息子は親の言うとおりに勉強して、幸いドロップアウトしなかったら親の進める道をいくか、家業を継ぐのが当たりまえ。そして結婚相手は親が決めて自然と決まっていくものでもあったけど、それに対するささやかな反抗の歌。ジューヒー・チャーウラーとアーミル・カーンがともに初主演で大ヒットした作品「Qayamat Se Qayamat Tak」の挿入歌のひとつである。

Papa Kehte Hain Bada Naam Karega (Youtube)

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パパは言う。僕がどんな立派なことをするかと

息子がどんな仕事をするのかを

だけどそんなことは誰にもわからない

この僕がどこに向かうのかなんて。

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その後、1990年代に入ると衛星放送が解禁されて海外の映画やドラマなどが雪崩を打ってインドに入ってくるようになり、民間のテレビチャンネルも雨後の筍のように一気に広がったインドで、1980年代のスタイルの映画が生き延びる術はなかった。

経済開放へと舵を切ったインドで、外資が各産業にどんどん食い込んでいったのは、映画界も例外ではなく、「お金になる」ヒンディー語映画界にはハリウッドからの資金がじゃぶじゃぶ投入されるようになった。それまでマフィアが資金調達の相当部分を仕切っていた映画界がある意味健全化していく側面もあった。

金を出して口も出すのがハリウッドなので、インド国外での上映も視野に入れて、上映時間が長大なものはこの影響により減っていった。今も「インド映画はとにかく長い」と思いこんでいる人はなぜか少なくないように聞くが、現在のヒンディー語娯楽映画の尺の長さは一般的な洋画や邦画と同じになっている。

そんなことからも、往時のヒンディー語映画と今のそれとでは、作風も傾向もまったく別物となっている。インドは広いので、あまりそうはなっていない地方語映画もあるかもしれないし、ヒンディー語映画でもボージプリー映画、チャッティースガリー映画といった方言映画には、古い古い時代の個性が強く残る作品も少なくないようではあるものの。

そんな具合からも映画というのは、まさに時代や世相を写す鏡であると言える。

Velbonの一脚 M52

Velbonの手軽な小型一脚はおすすめ。カメラを持たない場合もなかなか重宝する。夕方以降の街歩きに便利。野犬を追い払うのに良いし、棒状のものを持っていると、あまり寄ってこないものだ。ちょっとした抑止力になる。

私にとっては、撮影用ではなく野犬対策用なので、あまり大きくて重いと邪魔だが、M52(という型番)ならば携帯性と実用性のバランス(軽いけど殴ることができて、突くこともできる)が良い。

持っていると、使ってみたくなるもので、気持ちよく寝ている野犬の頭上に勢いよく撃ち下ろしたくなる衝動にかられる。(笑)

ラーティーを手にしたインドの警官の心情がわかるような気がする。

武器の所持はいけない。銃の所持が容易なアメリカで銃犯罪があとをたたないのは、まさにそれが根本的な原因だろう。道具には使用目的がある。手にすると、使いたくなるのは当たり前のことなのだ。

そして核兵器など絶対持ってはいけないのも同様だ。ウクライナに自国軍を侵攻させた国の大統領が核のボタンを押したくてうずうずしているのは、まさにその証拠だろう。道具というものは、あれば使いたくなるというのが道理だ。危ない、危ない。

インドのSUBWAY

インド独自の具材のこともあるが、やはり特徴的なのはヴェジタリアン専用カウンター、ノンヴエジ専用カウンターに分かれていること。スタッフもそのようにヴェジ専門とノンヴエジ専門となっているようだ。社会規範としてそうなっているだけに、きちんと対応している。