「華人とムスリムは繋がりが深い」という常識

前回取り上げた「欧州飯店」はちょっと特殊な営業形態ではあるが、一般的には華人オーナーが複数のインド人たちを料理人として雇用しているケースが多いようだ。

インド中華の面白いところは、華人経営の店であっても入手の可否だけでなく、顧客や店のスタッフへの配慮などから肉については当然のごとく鶏肉が主流(華人経営で牛肉、豚肉を出す店もあるが少数派)だ。そしてパニールのようなインド食材もこれまた当然のごとく取り入れられたりしている。誰もが馴染み深い食材であり、お客も働く人も困ることはないのはもちろんのこと、メニューのレパートリーも広がる。

さて、カルカッタのこうした料理屋で働くインド人たち(厨房&給仕)はムスリムが多い。同じく華人たちの主要産業である革なめし業と同様にムスリムの雇用が多く、華人たちが居住して仕事を営む地域は、往々にしてムスリム地区内あるいは隣接するエリアにある。

ここでは、まさに「ムスリムあるところ華人あり」という状況で、「ムスリムと華人は親和性が高い」という、世界的にもあまり例を見ない様相が展開しているのは、華人による雇用の提供とムスリムによる労働力の提供という互恵的関係が背景にある。

ヒンドゥー社会において動物の屍体や肉の処理等に関わることはタブーであるがゆえ、これを厭わないムスリムコミュニティは、華人コミュニティにとって無くてはならない働き手の供給源となるのだ。

本来は縁もゆかりもないふたつのコミュニティが、周囲の大きな社会(ヒンドゥー社会)との関係性により、密に繋がることが可能となることの好例である。世界広しといえども、「華人とムスリムであるがゆえに緊密に結ばれるという常識」がまかりとおる国は、ほとんどないように思う。

EAU CHEW Restaurant (欧州飯店)

夕食は、カルカッタに現存する最古の中華料理屋「欧州飯店」にて。今年で90年を越える。もっと古くからのものもありそうなものだが廃業したのだろう。

家族主義の経営、レシピは門外不出を堅持。厨房に入ることが出来るのは経営者家族のみ。華人経営でもインド人料理人を雇って育てる店は多いが、この店はその点が異なる。

「欧州」の名前は創業時、場所柄から欧州人顧客が多かったことに由来するようだ。

場所は地下鉄チャーンドニー・チョウク駅6番出口から徒歩2分。ガソリンスタンド裏手にある。

 

英領期の名称復活の不思議

英領時代の「Sir Stuart Hogg Market」が独立後に名前が改められて「New Market」となり、そして今はまた「S.S. Hogg Market」になっている。
独立後、インド各地で街の名前、通りや施設の名称などを現地化していく流れがあったが、さすがにここまで時代が進むと、逆に戻すケースも出てくるのだとすれば興味深い。

 

 

大都会の放牧

大都会コールカーターを特徴付ける眺めのひとつとして「牧畜」がある。広大なマイダーン(広場)が存在するおかげで、「牧童」がヤギやヒツジを行進させている姿をよく見かける。
帰り着く先は、そのマイダーンから徒歩圏にある古い家屋や雑居ビルの地上階なのだ。
ゴミゴミした一角で散策していたら、いきなり扉が開いて、こうした動物たちが次から次へと出てきて面食らうことがある。
こうした懐の深さは、さすが英領時代の「旧帝都カルカッタ」である。

150年の重み

サダルストリート界隈で、150年の重みといえば、YMCAはさておき、このWESLEYAN CHURCHもそうだ。
出来たころはバリバリの白人地区だったので、やんごとなき人たちが多く出入りしていたのかもしれない。礼拝堂にはパイプオルガンがあり素晴らしい音色を奏でる。
今は併設する学校で、あまり恵まれない家庭の子供たちに教えている。
1930年前後からアルメニア人、ユダヤ人が増えて、エリアの性格が少し変わったという。
決定的に変化したのは、ベトナム戦争のころで、帰休中の米兵の多くはタイに行ったが、カルカッタに向かう者も少なくなかったらしい。そういう人たち相手の赤線の類いが出来たのが、サダルストリート界隈であったと聞く。
そうした変遷や住民の入れ替わりなどをつぶさに見つめてきたのがこの教会である。