デリーの暴動

新型コロナ騒動に影に隠れて、あまり国際的に報じられていないが、1985年以来、デリーにおける最大規模と言われる暴動が起きた。先月下旬のことである。

1985年の暴動とは、言うまでもないが当時のインディラー・ガーンディーが自宅でスィク教徒の護衛に射殺された事件への反応として発生した大規模な反スィク教徒暴動のこと。犠牲者を沢山出したスィクコミュニティの中で、この事件をきっかけとして「信仰はスィクだが散髪し、ひげも剃る」という人たちが増えたとも言う。

デリー北東部、主にヤムナー河の東側にあるカジューリー・カース、ゴーグルプリー、マウジプル、ジョーティ・ナガル、カルダムプリーといったあたりが、その暴力の吹きすさぶ地となった。暴徒により、居住しているムスリムの人々への大がかりな攻撃が行われた。
CAA(改定市民法)、NRC(国民登録簿)の問題と反対運動は、当初ヒンドゥー至上主義的な政策vs世俗主義の対立であったが、いつの間にかヒンドゥーvsムスリムというコミュナルな対立にすり替えられてしまったかのようだ。

この暴動の際、先のデリー準州議会選挙勝利により、2期続いて政権を担うことになった庶民党(AAP)のイスラーム教徒の活動家が、ムスリム側の暴徒の一味として、自宅にたくさんの武器を隠匿していたとして逮捕された。

これに対して党主のアルヴィンド・ケージリーワル他の指導部は関与を否定するとともに対応に追われたが、この「活動家」とは、比較的最近になってから庶民党に加わったらしく、対立する陣営から送り込まれた工作活動家では?という疑惑がある。

こうした暴動の際、「事前にターゲットとなるムスリム所有の建物に目印が記されていた」とか「暴徒を率いるリーダーらしき者に地元の協力者が『この店はムスリム』、『こちらの店はヒンドゥー』」と案内していたとかいう話がまことしやかに流れるが、真偽のほどはよくわからない。

個々の民家の場合は掲げられている標札の名前で居住者の信仰は判るし、地域的な属性さえも明らか(主にUPからパンジャーブにかけてのジャート、ベンガーリーのムスリム、ヒマーチャルのブラーフマン等々)なことが少なくないが、ビルや商店となると必ずしもそうではない。

そのため、明らかに特定のコミュニティがターゲットとするため事前工作や協力者による誘導があったとすれば、そうした選別は可能となるだろう。

リンク先記事中の一番下に掲載されている写真を見ていただきたい。
卍の印がついたヒンドゥーの家は無事であるらしいことを示しているのは、報道者の意図だろう。おそらくこの現場では、明白な選別が行われていたことを伝えたいのだと推測できる。

こうした暴動の最中にも、襲撃されそうになっていたムスリムの人たちを大勢、安全なエリアに避難させたというスィクの若者、近隣のムスリム家族を自宅にかくまったというヒンドゥー紳士などの話もテレビニュースで伝えられていたのは幸いではあった。

今回の暴動について、政治の関与についても言われているが、思い出すのはちょうど18年前の同じ時期に起きたグジャラート州での暴動。当時、同州のトップとその右腕は今の中央政府のそれとまったく同じコンビであった。これは単なる偶然か、それとも・・・。

Delhi’s shame (INDIA TODAY)

大王の叛乱

インディア・トゥディ(ヒンディー語版)の3月25日号がタブレットに配信された。今号の目玉特集は、表紙にもなっているが新型コロナウイルスの感染症蔓延が与える経済への打撃。これは誰もが気になるところだ。

表紙にもなっている「コロナによる深刻な影響」

そしてもうひとつは、「大王の叛乱」と題して、グワリヤル(日本のガイドブックなどでは「グワリオール」と表記する例が多い)王国の「世が世なら」の「王子」いや父君はすでに他界しているため「王」として君臨していたはずのジョーティラーディティャ・スィンディヤーが長年所属してきた国民会議派を脱退、翌日にBJPに入党したニュースが流れたのは先日のこと。

大王の叛乱

インドのテレビ番組「Aajtak」で、そのニュースを見てひっくり返りそうになった。
現執行部と折り合いがよくないことは聞いてはいたものの、こういう人が脱退するようでは、国民会議派はもう終わりという気がする。

さて、王家は王家でも、なぜこの人が「大王」と表現されるのかという部分には、若干の説明が必要かもしれない。

英領インド時代、儀礼の号砲数が厳格に定められており、たとえばインド皇帝、つまり英国国王に対する号砲は101発と定められていた。
101というのは、さすがに別格で、王妃やらその他の王族はガクッと減ってインド総督と同じ31発。そして他国の王、インド国政府の中枢の役職にある者たちなどが、その格に応じての21発、19、17、15、13、11・・・と奇数が続く。

グワリヤル王国を率いたマラーターの系譜のスィンディヤー家は、まさにその21発待遇で、同格の王家は他にハイデラバードのニザーム、マイソール王国など、他に四つしかなかった。英領インドの藩王国で最も高い格付けが21発なのだ。
ラージプートのジャイプルやウダイプルなどの王家は19発、ジャイサルメールは17発なので、グワリヤルのスィンディヤー家には及ばない。まさにそうした格付けでもインドのラージャーの中でも最高レベル、正真正銘の「マハーラージ」(大王)なのだ。ただのラージャー(王)ではない。

王家の出自で政界に出た人、どこかの王家の血を引く人は、ままあるのだが、この人は何しろ英領期に21発号砲待遇の王家で、しかも嫡男でスィンディヤー家の当主。後述するが「マハーラージャー」のタイトルを持っている。他の「王家出身者たち」とは、出自の面で役者が違う。
元国会議員で、昨年の総選挙で落選したため、現在は公職にはないが、今年予定されているMP州議会選挙に出馬予定だ。

先に「王として君臨していたはず」と書いたが、彼はスィンディヤー家の当主であるため、今のインドの社会において公式なものではなくプライベートなタイトルということにはなるが、父君の死(父も国民会議派の議員。交通事故で亡くなった)の後にこれを継いで、もう20年近く前に「戴冠式」を済ませた「現役のマハーラージャー(大王)」でもある。
それはそうと、「大王」がBJPに入党して「駅のチャーイ売りのせがれ」であったモーディーの「足塵を拝する」(目上の人に対するインド式の挨拶)のだから、今のインドというのは実に民主的である。

この関係でインディア・トゥデイの英語版ウェブ上での記事はこちら。
Scindia’s Saffron Gamble (INDIA TODAY)

IndiGoが中国便就航へ

ついに中国へのフライトを就航させるとのことだが、その記念すべき最初の乗り入れ先は、意外にも成都。加えて年内には広州にも飛ばすようになるらしい。

IndiGo to start flights to China from September 15 (THE TIMES OF INDIA)

2006年に最初のフライトを飛ばして以来、着実に成長を続けて大きくなったIndiGoだが、
Jet Airways破綻後は、国内線では最大のキャリアとなった。同社については、こんな本が出ている。

利用者側からすると、地味な航空会社だ。ウェブサイトも機体もスタッフも何もかもが同業他社のGo Airと区別がつかない(笑)し、自分が予約したのはIndiGoだったか、Go Airであったか?とチケットと取り出して見直さないと、わからなくなるくらいだ。破綻したJet AirwaysやKingfisher Airlinesのように、カリスマ経営者が、「経営の神様」よろしくメディアにもてはやされるわけでもない。

後者については、ヴィジャイ・マッリャという酒造業から航空業界に進出した派手好きな経営者で、フライトアテンダントを目の醒めるような長身色白な超絶美女で揃え、セクシーな制服を着せて話題を呼んだ。彼女たちが空港通路を颯爽と歩く姿をジロジロと目で追うインドのオジサンたちはとても多かった。

IndiGoは、といえば、それとは180度異なる地味さで、制服姿はIndiGoなのかGo Airなのか判別しがたく、ジェットエアウェイズのそれにも何となく似ている紺色ベース。チェンナイに本社を置く航空会社だが、北インド路線のフライトに搭乗するスタッフの中に占めるマニプルなど北東州の人たちが占める割合が高いため、日本人みたいな見た目の乗務員が少なくない。北東州のモンゴロイド系の女性たちは、男性たちに較べて目鼻立ちがちょっと違うかのように見えることは少なくないが、これは彼女たちのメイクの方向性がインド人のそれがベースになっているからだろう。眉の描き方、アイシャドウの入れ方を取っても、モンゴロイドの私たちからするとオーバーな感じになるからだ。

本題に戻る。
サービスの評判が良いわけではないし、何が良いのかといえば、やはりネットワークの広さから、行きたいところに、悪くない時間帯で飛ばしているという利便性の良さがある。
またデータを調べてみたわけではないが、定時運行率も高いのだろう。保有する機材数にややゆとりがある?ことも背景にあるのかもしれない。経営陣内部でのちょっとしたゴタゴタが伝えられた時期もあった(最近のこと)が、とりあえず現在までのところまでは堅実にやっているようだ。

個人的にも重宝しているキャリアなので、今後とも堅実にやってくれることを期待している。けっこう先のフライトの予定も入れているので、Jet AirwaysやKingfisherのように「いきなり明らかになって一気に破綻」なんてことがあったら大変困るということもある。

“Chinatown Days” by Rita Choudhury

アッサムの女性作家、リーター・チョードリーによる大作。
清朝支配下の19世紀、南中国の寒村から奴隷として町の商人のところに売られていき、そこで奴隷ながらも主の信用を得て、それなりの金銭的充足と自由を得ることとなった少年。だが、彼はさらにここから別の人身売買シンジケートにより、カルカッタへ運ばれ、そこから開業間もないアッサムの茶園に行くこととなる。

時代は下り、その茶園近くのマークームの町や周辺で事業を起こした中国移民の子孫たち。
アッサムのすっかり根付き、「中国系アッサム人」として地域社会の中の一部として定着していた。

中印戦争開戦。最初は特に影響を受けることのなかった華人コミュニティだが、インドの敗色濃くなっていくにつれて、反中国感情の高まりとともに、中国系住民への感情も急速に悪化していく。

中国との敵対関係がエスカレートしていくとともに、国内政治でも共産主義勢力を「親中かつ反インド」であるとして攻撃するだけではなく、民族的なルーツを中国に持つ人々への風当たりも強くなってくる。

やがて中国系市民の拘束の命令が中央政府から発せられ、華人が集住していたカルカッタはもちろんのこと、ところどころに華人コミュニティが散在していたアッサム(当時は現在のメガーラヤもアッサムの一部)においても一斉に彼らを逮捕して地域内の刑務所へ収容してしまう。驚いたことに、チベットからダライラマとともに亡命してきたチベット難民の中にも、このあおりで逮捕・拘束された人たちが少なくなかったらしい。

その後、華人たちは、まとめてラージャスターン州のデーオーリーキャンプへと列車で移送される。(デーオーリーキャンプは、奇しくも第二次大戦期にマラヤ半島などに住んでいた日本人たちが敵性外国人として植民地当局に検挙されて移送された先でもある。)

インド政府は、世代を継いでアッサムに暮らし、インドを祖国とする中国系市民を敵視するいっぽう、引き揚げ船を仕立てて彼らを迎えるというオファーをする中国に対して、これ幸いと彼らの身柄を引き渡してしまう。インド生まれの華人たちにとって中国は未知の国。おりしも時は文革の渦中で、引き揚げてきた彼らはインドによるスパイという嫌疑もかけられて大変な苦難を重ねることとなる。

中国に送られることなく、アッサムに帰還することができた華人たちにとっても、日々は決して楽なものではなかった。苦労して得た工場、店、家屋などは、「敵性資産」として、競売にかけられており、彼らの父祖がそうであったように、再び裸一貫でスタートしなくてはならなかったからだ。

文革の嵐が収まりかけたあたりから、中国に送られたアッサム華人たちの中で、当時英領だった香港を目指すのがひとつの流れとなっていった。

そして現在、結婚したばかりの華人妻と生き別れになったアッサム人男性が、かつてマークームに暮らした華人住民たちの小さな集まりが開かれる香港を訪問して49年振りに再開。

雄大な時間軸の中で展開していくスケールの大きなドラマ。こうしたインド系の人々の歴史を交えた長編作品を得意とする大作家アミターブ・ゴーシュの作品を彷彿させる。

もともとマークーム(মাকুম)と題して2010年にアッサム語で発表された当作品だが、好評を得て英語版も出版されることとなったが、翻訳版という形ではなく、新たな記述等を加えて最初から書き下ろすことになったため、英語版の出版まで何年もかかったと聞いている。

タイトル:Chinatown Days
著者:Rita Choudhury
出版社:Amazon Services International, Inc.
ASIN: B0786T8XKX
※紙媒体ではなく、アマゾンのKindle版を入手。

コラバのゴア料理店

New Martin Hotel

ムンバイのコラバ地区の一角。壁に書かれたメニューの品目はあまり数多くはないが、とりあえずポークウィンダールー、ソーセージ・エッグ&チップス、フィッシュカツレツを注文。やはり豚肉の旨味を知るゴア人の料理には格別なものがある。やはり豚肉が私には必要なのだ。ゴアで食べるものに比べて、やや酸味が薄いような気がしたが、これは店の個性かもしれないし、あるいはボンベイでの顧客の好みに合わせたものかもしれない。

ポークヴィンダルー
ソーセージ・エッグ&チップス
フィッシュカツレツ

ついでにビーフステーキとフィッシュカレーも注文してみる。画像のタマネギ炒めとポテトの盛り合わせのように見えるのがステーキ。タマネギの下はすべて牛肉で、かなりのボリュームがある。ゴアでもこういう出しかたをするのか知らないが、もしかしたら、どんな人が入ってくるかわからないため、お店としての配慮なのかもしれない。

ステーキ
ステーキに乗っているタマネギを外すとこのような具合になる。
フィッシュカレー
パン

注文して出てくるのを待っているとき、面白いことがひとつあった。
額にビンディーを付けた、品の良い中年女性が入ってきて、「持ち帰りでステーキを」と注文していた。今はどうか知らないが、昔はヒンドゥーでなくても若い女の子がビンディーを付けて外出するということはあった。
この人は、すっかり落ち着いた中年女性であるため、本当にヒンドゥーであると考えたほうが良いだろう。あくまで個人的なことであり、とやかく言うものではないが、こうして下町の食堂でヒンドゥーの主婦がビーフステーキをテイクアウトで注文するほど、ボンベイはリベラルなのだと感心する。私がゆっくりとステーキ等を食べている間にアルミホイルに包まれたステーキ二人前が主婦に渡されていた。
ぼーっと人々をウォッチングしているのもなかなか楽しいものだ。

もちろんインドでは牛を食べられる機会はあまり多くないのだが、地域によっては毎日食べられる。食肉としてはインドでまったく一般的ではない豚肉も同様だ。

ゴアで豚国が多く使用されるのは、言うまでもなく旧宗主国ポルトガルの影響だ。
地元社会の宗教や社会的慣習にはあまり介入しなかった英国(それでも寡夫のサティーの習慣等、彼らの目に人道的な問題と映る事柄については積極的に介入した)と違い、ポルトガルは自らの支配地域内でのヒンドゥー教の信仰を禁じてカトリックへの改宗を強く推し進めるなど、現地社会のポルトガル化を図った面がずいぶん異なる。

そんなわけで、旧英領地域に比べてライフスタイルや食事の面で、英国よりもずいぶん大きく深い影響を残したのがポルトガルのゴアといえる。

・・・とはいうものの、インド復帰以降はゴアとその他の土地とで移住等は当然自由であるため、現在カトリック人口は半数にも満たず、ゴア州は現在BJP政権下にある。

今後、時代が下るにつれてポルトガル色は薄くなっていき、同時にヒンドゥーやムスリムの人々の人口流入により、ゴアらしい地域色が薄まっていくであろうことは間違いないだろう。

食後はアプリコットカスタード

店名:New Martin Hotel
所在地:21, Glamour House, Strand Road, Near Strand Cinema, Colaba, Mumbai
電話:022 22029606