インドは国名変更へ?

9月9日から10日にかけて、インドのデリーで開催されるG20での夕食会への招待状が同国大統領の名前で送られたが、その書面に「The President of India」ではなく、「The President of Bharat」とあることが明らかとなり、一気にメディアや野党が大騒ぎする事態に。

これまでもBJP議員やその周辺から英語名の「India(インディア)」を廃して「Bharat(バーラト)」にという提案がなされていたこともあり、近々英語国名をそのように変更するのではないかという観測が一気に広まった。

これについては賛否両論ある。大切な国名の変更について正式な動議も議論もなされず、手続きもなしでこのようなことを行うことについて、反対の声が上がるのは当然のことだ。そのいっぽうで、日本が英語で「Japan」であるように、国外からの他称がそのまま英語による国名になっているのと同じように、「India」も欧州からの他称であり、何千年も前からこの地域は「Bharat」であり、ヒンディー語等による国名も昔から「Bharat」だ。英語名が同じ「Bharat」になること自体について反対する理由はないだろう。

奇しくも来年4月~5月に予定されている総選挙で、BJP陣営に対抗する野党連合が「India Gathbandhan〈India連合〉」という名乗りを上げたのに対して、BJPは「Bharat」で対抗する形になる。India vs Bharat。BJP言うところの「イギリスに隷属したIndia」と「威厳と誇りを取り戻したBharat」の戦いとなり、選挙キャンペーンにおいてもわかりやすく、明快な対立軸の構築となる。

街の名前はよく変わるインドだが、さすがに国名を変えるとなると、その限りではないはずだが、案外「選挙キャンペーンも兼ねて」ということでトントン拍子に進んでいくのかもしれない。国名変更には国会で2/3以上の賛成が必要だが、これはほぼ間違いなく確保できることだろう。ちなみにインドはこれまでに幾度も「憲法改正」を重ねている。

ちなみに「Hindustan(ヒンドゥスターン)」もインドという国を表す言葉としてあるではないかと思われるかもしれない。「Hindistan Motors」「Hindustan Times」等々、ヒンドゥスターンを冠した社名、メディア名等もあるが、「Hindustan」はペルシャ方面からのインドに対する他称で、それがインド国内でも定着したもの。よってBharatのような由緒あるものではないということ。

‘President of Bharat’ on G20 invite triggers row; govt. sources dismiss talk of name change in upcoming Parl. session as ‘rubbish’ (The Hindu)

恋の珍事か、はてまたISIが送り込んだスパイか?スィーマー・ハイダルの謎

パキスタンのスィンド州生まれのスィーマー・ハイダル(28)はバローチ族の出。10年前に親族が決めた結婚に反対して当時の恋人グラーム・ハイダルと駆け落ちして夫婦となる。

そのグラームとの間に4人の子供に恵まれた。現在、グラームはサウジアラビアに出稼ぎに行っているのだが2019年以降にハマッているオンラインゲームでインドのデリー近隣で行政区分はUP州のグレーター・ノイダの住民であるサチン・ミーナーと知り合い、オンライン上で恋に落ちる。

そのスィーマーという人物が現在そのサチンとグレーター・ノイダで暮らしていることが問題になっている。何が問題かと言えば、ヴィザを取得することなくインドに入国。パキスタンからドバイに移動、そこからネパールに飛んだ後、陸路でインドに入ったとみられる。しかも4人の子連れで。

グレーター・ノイダのサチンの家に落ち着いてから2カ月後逮捕されることになったのだが、近隣からの通報がきっかけであったらしい。スィーマーは不法入国、サチンは父親とともに不法入国の幇助と不法入国者の隠匿のかどで逮捕された。

不法入国、不法滞在のケースは星の数ほどあるものだが、ここまで大きく報道されるようになった背景には以下の3点がある。

1.オンラインでムスリム(スィーマー)とサチン(ヒンドゥー)がインター・レリジャス(ムスリムとヒンドゥー)、インター・コミュニティー(インドのミーナー族とパキスタンのバローチ族)、インターナショナル(パキスタンとインド)でしかも4人の「コブ付き」の恋愛という点からの下世話な興味

2.スィーマー自身のダイナミックな行動、4人の子連れで逃避行を敢行し、見事に恋の相手の家に着地したという映画のようなドラマチックさ

3.スィーマーはISI(パキスタンの三軍統合情報部)のエージェント、つまりスパイではないかという嫌疑がかけられている。つまり互いにとって何の利益もない(第三者の視点では)恋があり得るのか、インドでうまく身元を隠して居住するための方策ではないのかというもの。

スパイであれば、このように大きく報じられてしまった時点で「完全に終わっている」のだが、以前もこのような不可思議な形でインドで家庭を持っていたパキスタン人が逮捕されたニュースがあった。ハイデラーバードが舞台の案件で、夫はパキスタンのパンジャーブ州のスィヤールコート出身で湾岸に出稼ぎに行っていた。その後インドに渡り、ハイデラーバードではインドのパンジャーブ出身を自称して現地ムスリム女性を家庭を持っていたが、何かのきっかけでパキスタン人であることが判明し、やはり逮捕されたというものであった。

今回のスィーマーについては、何が本当で何が嘘なのかはわからないのだが、「オンラインゲームで知り合って・・・」というのは今の時代らしい面かもしれない。

インドで突然、大きく報じられて話題になっているが、サウジアラビアで働いているスィーマーの夫、グラームという男性はこのニュースを耳にしているのかどうか知らないが、一連の報道に触れたときには、さぞ腰を抜かして驚くことだろう。この世の中、いつなんどきどんなことが起きるかわかったものではない。

‘No longer a Muslim’: Seema Haider’s family in Pakistan doesn’t want her back (Hindustan Times)

デリーの洪水

ここ数日の間、ヤムナ河の水量が危険レベルを超えているというアラートが流れていたが、ついにデリー市街地内の低地で本格的な洪水に見舞われる地域が出てきている。

これはデリーに大雨が降ったためというものではなく、前述のとおり数日間に渡り警報が出されていたことが現実となったものである。つまり上流地域における豪雨により予見されていたものであるとも言える。

デリーは雨期でも極端な影響を受けにくい都市なのだが、市内の局地的な豪雨による冠水であったり、ニューデリー駅からの鉄路が橋梁を超えるミントー・ロードに架かる「ミントー・ブリッジ」をくぐる道路が少し低くなっているため、まとまった雨が降ると、その部分は車両が水没する「洪水的な絵」が撮影できることから、豪雨を象徴するシーンとして、その様子が各メディアに掲載されることはしばしばある。いわば「フェイクなデリー洪水画像」である。

ところが今は、そうした「フェイクの洪水」ではない、「リアルな洪水」がデリー市内で起きているとのことで、当該地域に住んでいる人たちはたいへんだろう。

ヤムナ河沿い地域からは、マトゥラーやアーグラーからも同様の報道があり、今後しばらくは続くことになりそうだ。

Delhi Floods: Parts Of Delhi Submerged As Yamuna Overflows; Drone Footage Reveals Predicament (The Indian Express)

 

マニプルの暴動とその後

先月上旬にマニプル州で起きた暴動の収拾には、地元州政府はかなり手こずっており、中央政府も内務大臣のアミット・シャーが現地入りして現地の対立するグループとの対話を模索するなど、これまた大がかりな展開となっている。

今回だけのことではなく、マニプルで長く繰り返されてきた主要民族メイテイ族とこれに次ぐ規模のクキ族の対立。ともにチベット・ビルマ語族系の言葉を話す民族集団だが、メイテイ族は主にヒンドゥー教徒で長きに渡りインド文化を継承するとともに隣接するビルマからも影響を受けてきた。

そのいっぽうでクキ族は19世紀後半から20世紀前半にかけて、英米人宣教師の布教の結果、マジョリティーはクリスチャンとなっているが、それ以前は独自のアニミズムを信仰。クキはビルマのチン族と近縁の関係でもある。

インド北東部が植民地体制下に入ってから統治機構と近い関係にあったのはメイテイ族で、その周縁部にクキ族その他の民族集団(マニプルにもナガ族が住んでいる)がいたという構図になるようだ。利害関係が相反し、異なるアイデンティティーを持つ民族集団が同じ地域に存在する場合、往々にして主導権を巡っての摩擦が生じるのはどこの国でも同じ。

クキ族はマニプル州南部を「クキランド」として、インド共和国内のひとつの州としての分離を要求している。歴史的にはもっと広くアッサム、アルナーチャル、ナガランドなど近隣諸州の一部をも含む「広義のクキランド」を提唱する声もある。

しかしこれについては北東部の他の民族も同様で、たとえばナガ族の中にもナガ族が広く分布してきたアッサム東部、マニプルなども含めた広大な「グレーター・ナガランド」の主張もあるが、それらの地域を支配するナガ族の政権が存在したこともなければ、人口がマジョリティーを占めたこともないので、民族主義が誇大妄想化した夢物語だろう。

クキ族の抵抗はときに激しく(今回は多数の死者が出た)、そしてときに辛抱強い。何年か前には州の首都インパールを封鎖したことがあり、長期間のゼネストを敢行したこともあった。たしかひと月を超える規模であったように思う。

北東地域への浸透を図るBJPだが、マニプル州でも2017年に初めて政権獲得に成功し、2022年の選挙でも勝利したことから現在2期目にある。もしかすると、BJP政権下で今後新州設立(クキランド州ないしはクキ州)へと動くことがあるのかもしれないが、その場合は州都インパールを含むインパール盆地の扱いが難しい。クキ側にとっては譲れない地域であるし、メイテイ族にとってもそんな譲歩はあり得ない。また農業とミャンマーとの交易以外で、それらしい産業や雇用機会があるのもインパールであるため、たいへん悩ましい問題になる。もっとも現時点で新州へという話があるわけではないので、単に私の想像ではある。

こうした分離要求はインド各地にあるが、とりわけ北東部では他にもアッサムのボードー族が要求する「ボードーランド」、西ベンガル州からの北東インドへの入口にあたる、いわゆる「チキンネック」(ブータンとバングラデシュの狭間の細い回廊状の地域)すぐ手前のダージリンにおける「ゴールカーランド」などは、日本でも耳にされたことのある方は少なくないはず。「民族対立」「分離要求」は、「民族の坩堝」たるインドにおける永遠の悩みである。

In Manipur, shadow of an earlier ethnic clash (The Indian EXPRESS)

コロナの影響で閑散としたホアヒン

ホアヒンのビーチ界隈は閑散としているというよりも空っぽな感じで、締めたきりになっていたり、中が何も無くなっている店もかなりあった。

良い立地の大きな商業施設が廃墟になっているのも哀しい眺め。いかにも「コロナ禍でやられた」という印象を受ける。

観光業はこんなとき一番影響を受けやすいが、それがまた大都市圏ではなく行楽地にあればなおさらのことだろう。

ここはカシミーリーの店だったらしい。インド・ネパールそして東南アジアにもよくあるあの手の店だ。

1980年代終わりに始まったカシミールの動乱時期、カシミールから手工芸製品等を商う人たちのエクソダスはインド全土、ネパール、そしてタイその他の東南アジアの国々にも広がった。

自身や親族、ひいては同門の人々や手工芸製品を生産する人たちまで、郷里の期待を背負って各地に手を広げていったのが彼ら。

比較的大きな店舗であったようで、割とうまくいっていたがゆえのことではないかと想像するが、コロナ禍でお客の行き来が絶えるとアウト、だったのだろう。

こうしたカシミーリーの中には90年代のネパールの内戦で商いがダメになり、インドの他の地域、タイなどに渡った人たちもあった。

観光業というのは、様々な時流に影響されやすく、そしてパンデミックのような災厄に対しては脆弱だ。