インド版文革進行中

イスラーム支配やムスリムの歴史や文化に因んだ歴史的な地名がどんどん変えられていく。

「アリーガル(アリーの砦)」が「ハリガル(聖なる砦)」へ。イスラーム教徒による影響はなかったことにしようと、どんどん進んでいくのは地名改名に限らない。

学校のテキストからはムガル朝に関する記述は消え、マイノリティー(ムスリム)を擁護する政治は「トゥシティーカラン(甘やかし)」と非難。イスラーム教徒がヒゲを伸ばせば「カッタルパンティー(原理主義過激派)」呼ばわりされたり、凶悪事件でムスリムが犯人だと「イスラーム教徒が」という部分か強調されて報道されたりする。社会総がかりのムスリム叩きにも見える。ある意味、「インド版文化大革命」が進行中とも言えそうだ。かつて中国で旧体制関係者や地主階級など旧支配層が吊し上げられたように、インドではイスラーム的なもの、それに連なるものが叩かれる。世界最大級のムスリム人口(2億人超のインドネシア、1.7億人のパキスタンに次ぐ3位で1.7億人前後のインド)を抱える国であるだけに、今後の成り行きも気にかかる。

しかしムスリムやクリスチャンなど外来の信仰に対して非寛容であるのとは裏腹に、スィク教、仏教、ジャイナ教等のインド起源の信仰コミュニティーとは非常に親和性が高いこと、北東州のアッサムやマニプルなど、マジョリティーとはかなりカラーの違うヒンドゥー文化とも何ら問題なく融合していく「ヒンドゥー至上主義」のありかたには「寛容の国」らしい懐の広さも感じられるが、これはセクト主義とも教条主義とも異なる幅広い「インド的なるもの」の再構築を目指す政治運動であるからなのだろう。

その「インド的なるもの」のタテヨコの幅があまりに広いため、他所の国での「国粋主義」「右翼思想」とは比較にならないほど、緩やかかつ寛やかなものであるとも言える。それがゆえに、その「ヒンドゥー至上主義」の網の中に収まる多くの人たちにとっては、何ら窮屈さも不快さも感じることがない。イスラーム教やキリスト教の原理主義と異なり、人々の生活を縛るものがなければ、西欧化されたライフスタイルを否定するわけでもないし、お寺参りを強要することもない。ただサフラン色の旗印を笑顔で眺めながら、「ジェイ・シュリー・ラーム(ラーマ神の栄光を)」などと唱えていれば、それで良し。

それでいて汚職が比較的少なく、経済に明るく、為すべき施策をどんどん進めてくれる実務に優れた政権(BJP政権)が支持されるのは無理もない。

だがそれでも懸念されるのが政権のムスリム(及びクリスチャン)に対する冷酷な扱いである。

From ‘Aligarh’ to ‘Harigarh’: Uttar Pradesh Continues Its Name Changing Spree (THE WIRE)

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