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投稿者: ogata

  • バーダーミーへの移動

    バーダーミーの宿に着いた。ビーダルからたいした距離ではないので4時間程度かと思ったら、途中ビージャープル、バガルコートと2回乗り換えなくてはならなかったので宿を出てから8時間半くらいかかった。

    ビージャープルからはマハーラーシュトラからバーダーミーの医科大に学びに来ている学生と乗り合わせていろいろ話を聞けて楽しかった。彼はすでに3年生だが、各地から学生が集まるキャンパスと寮での生活ということから、現地のカナダー(カンナダ)語は読み書きできないどころか会話もほとんどダメという。

    それでも事足りてしまう、やはり大学キャンパスでの学園生活という特殊性はあるにしても、なんとかなるのはインドらしいところである。ヒンディーで事足りるからだ。

    マハーラーシュトラはカルナータカと隣接しているが、言語の系統も文字も違うため、カルナータカに縁がある人でなければマハーラーシュトラではカナダー語は理解されず、カルナータカでマラーティー住民を除けば通常マラーティーは理解されないとのこと。

    インドそして亜大陸の複雑な多言語環境を繋ぐのがヒンディー・ウルドゥーであり、その恩恵は限りなく大きいのだなあと思う。

    系統の異なる南インドでも政治的な理由からヒンディーをボイコットしているタミルナードゥ州を除けばとても便利だし、同じく言語としての系統がまったく異なる北東州、ナガランドであろうがマニプルであろうがメガーラヤであろうが使えるのだ。その通用度は英語の比ではない。ほぼ誰でもOKだからだ。

    旅行においてもヒンディー語はとてもありがたいなあと感じている。英語に較べると非ヒンディー語圏でもヒンディーを理解する人の割合ははるかに高いし、英語だと拙くて人間的な会話が成り立たない相手でもヒンディーだとその限りではない。

    これが広大かつ膨大な人口を抱えるヒンディー語の州となると、「言葉が通じない人は皆無」という日本国内旅行同様の状態になるし、いつでもどこでもヒンディー語で書かれた新聞、雑誌が見当たらないことはないため、日々現地で起きていることを肌感覚で知ることもできるし、そんな出来事を話題に人々と話もできるわけである。

  • ケーキでひと休み

    「バンガロール・ベーカリー」なる人気店があり、ここのナッツを練り込んだ生地のケーキが素晴らしかった。ほど良い甘みに疲れがゆっくりと解消されていくようだ。

    普段の生活では、毎日ケーキを食べたり、ミターイーを口にすることはないのだが、やはり甘党天国のインドに来ると、とても我慢できなくなる。宿から近いので夕方にも来てみようと思う。

  • SNS

    バンコクでお世話になったマッサージ師さんとときどきFBやラインでやりとりしている。年に数回程度、イサーンの故郷に里帰りして家族やお子さんに会っているようなので、なかなかそうあるものでもないらしい。

    サービス業の人たちは往々にして人がヒマで遊んでいるときに忙しいもの。若いのに2児を抱えるシングルマザー・単身バンコクで仕事となると距離もあるし大変だなあと思う。田舎では母さんが彼女の子供たち、つまり孫の面倒を見ているそうだ。

    彼女自身は、都会的で普通におしゃれな感じの人だけど、FBで見かける本人の実家での投稿には飼っている水牛でお子さんたちが遊んでいたりするので、バンコクでの姿との落差に最初は驚いた。

    旅行者等相手の仕事の人たちで、旅行代理店の人であれ、宿の人であれ、街なかで知り合った人であれ、昔であれば「いろいろありがとう!コプクーン!」で終わりだったが、「ああ、この人は面白いなぁ!また次もぜひお会いしましょう!」とSNS等の連絡先を交換すると、その後の日常をお互い垣間見ることもあったりして、なかなか楽しい。

    仕事場の人たちとの食事会もときどきあるようで、私たちのそれに似ている。私たちの世界は繋がっているようでいながらも実は分断されているのだが、それでもなおかつ気持ちや想いは繋がっているものと信じたい。

    私もときどきバンコクには立ち寄るので、訪タイの前には「今度お店にいきますね」と連絡している。たまたまお休みだったり、それこそ帰省しているタイミングだったら残念なので。やはりこんな形で繋がっていると、いろいろ助かるなぁとも思う。

     

  • ナーナー・パーテーカルの逝去

    ナーナー・パーテーカルの逝去

    Ankush(1986年)、Pratighaat』(1987年)、Parinda(1989年)、Krantiveer(1994年)、Agnisakshi(1996年)Khamoshi: The Musical(1996年)Ab Tak Chhappan(2004年)、Apaharan(2005年)、Welcome(2007年)、『Raajneeti』(2010年)等々の出演作で高い評価を得てきたインドの名優、ナーナー・パーテーカルが滞在先のゴアで急性心不全により亡くなったとのこと。

    私にとって国や地域を超えて、世界で最も好きな俳優さんのひとりだった。

    ご冥福をお祈りします。

    Outspoken Indian actor Nana Patekar suddenly dies at 75 (BBC)

     

  • キリスト教徒となった死後もカーストが・・・

    インドのクリスチャン人口約2,800万人のおよそ7割をダリットの人たちが占めるというのもすごいが、総人口に対して、それほど小さなコミュニティーであっても、「自国内に2,800万人のクリスチャン」ということは、世界でもそこそこの「クリスチャン大国」でもある。

    しかしそんな具合でも、ダリットであることが、ダリット以外のクリスチャンと一緒の墓地に葬られることについて、大きなハードルがあるのだという。

    単に差別であるということだけでなく、社会的、経済的地位に相当な格差があるということでもあるのだろう。

     

    Even in Many Churches, India’s Caste System Lasts Into the Grave (CHRISTIANITY TODAY)

    Even in Many Churches, India’s Caste System Lasts Into the Grave

  • マンディーに再挑戦

    マンディーに再挑戦

    カルナータカ州ビーダルの店で出てきた「マンディー」があまりの巨大さにかなり多くを残して食べきれず、敗北感とともにトラウマになりそうだった。

    そして本日、同じカルナータカ州のグルバルガでリターンマッチに臨んだ。本日の店では「1人分」というポーションもあるのに勇気付けられた。

    マンディーの店

    やはりここでも「マンディー」には専用の座敷が用意されている。

    突き出しで出てきたスープを味わっていると、ほどなく「マンディー」が運ばれてきた。やはりここでも「1人分」とは信じ難いボリューム感に圧倒されるが、ここで怯んでいるわけにはいかない。

    前回は「もう少し汁気があればいけたかもしれない」という反省から、付け合せのチキンは揚げたものではなく煮込みを選択。これで最後には水分で流し込めるのではないかという、いわば戦略である。

    今回もやはり満腹中枢から「ストップ」がかかる前には相当量を片付けてしまおうと、スタートからダッシュする。付け合せあわせの汁類に油分が少なかったこと、そしてライスに混ぜ合わせて炊いたナッツ類が少なめであったことも幸いし、なんとか完食に持ち込むことができた。

    盛大に食べ残す人たちが多いインドなので、これで「完食」と言っても差し支えないはず・・・。

    しかしながら味わいそのものが美味なごちそうのマンディー。無理に完食目指して格闘するよりも複数人数で訪れてゆったりと楽しみたいものだと思った。

    そもそもの「マンディー」だが、インドにおける新しいトレンドだ。アラビア料理で、特にサウジアラビアなどでこういう食べ方をするのだという。インドで最初に「マンディー」を導入したのはハイデラバードの店とのこと。その後歯内の他の店や他の街にも波及している。

    繰り返しになるが、ぜひ多人数での利用をオススメしたい。

  • グルバルガのシャーヒー・マスジド界隈

    グルバルガのシャーヒー・マスジド界隈

    フォート近くにあるシャーヒー・バーザールにあるシャーヒー・マスジド。その名からして支配者勅命の聖職者がつかさどるモスクだったのだろう。立派な作りの施設だ。現在もジュマー(金曜日)の礼拝では使用されているとのことで、歴史の彼方の遺跡ではなく、現役の宗教施設だ。

    ムスリムの支配者のお膝元にして、格式高いモスクもある割には、周囲はヒンドゥー地域のため、家の前にランゴーリーが描かれていたり、お寺や祠がいくつもあったりする。

    何かをきっかけに街の人口が入れ替わることは決して珍しくはないため、今と往時は大きく異なるのかもしれないし、ムスリムの支配者のもとでヒンドゥーの商人層が活躍していたのかもしれない。カルナータカのこのあたりの地域の歴史について詳しく知らないが、こんな眺めを目にすると興味がわいてくる。

    美しく描かれた乱ゴーリー

    近くにあるヒンドゥー地区で家の前のランゴーリー。いろいろあるけど、これはとりわけ美しく躍動感も良い。絵心豊かな人によるものなのだろう。この地域には北からの人たちも少なくないようで、ティワーリー、ダットといった北インドの苗字の表札もある。

    北インドが出自の人たちの名前が掲げられた家

    前日訪れたPrakash Asian Mallというデイズニー風ながらも寂れたモールの近くにマールワーリーのお寺とラージャスターニー互助会の看板を掲げるクリニックがあった。

    マールワーリーの組織のお寺
    ージャスターニー互助会の看板を掲げるクリニック
  • Dil ki Pasand

    Dil ki Pasand

    昨夜の夕飯後に気になるお菓子を見つけた。薄いパイ地の中にドライフルーツがたくさん詰めてある。名前を尋ねると「ディル・キー・パサンド(心底大好きなもの)」とのこと。甘党天国インド、これもまた美味しかった!

  • グルバルガのイードガー

    グルバルガのイードガー

    グルバルガには大きなイードガーがある。イスラーム教の礼拝施設だが、大祭であるイード・アル・フィトルとイード・アル・アダーの朝の礼拝専用の施設。つまり大祭で普段と異なる規模で集まる信者たちを収容できる非常にスケールの大きなものとなっている。

    ここではミンバル(説教壇)もこうした形で露天の「屋外集団礼拝施設」である。
    広大な敷地の中で大勢集まった信者たちの姿を想像すると、さぞ壮観であったかと思うとともに、イスラームの暦は毎年ずれていくため、モンスーンの大雨のときにはどうしたのだろうか、それでも決まった日時のものなので驟雨に打たれて礼拝を行っていたのかと、いろいろな有様が脳裏に浮かぶ。当時はゴアテックスみたいな悪天候時に都合の良い生地はなかったからして。

    キブラに向かって左右に配置された巨大なミナレットは遠くからでも見つけやすい目印。グルバルガ訪問の際のオススメスポットの筆頭格である。

    亜大陸なおいて、イスラーム勢力は軍事的な征服者としてだけではなく、圧倒的な先進文化を携えて登場し、人々を感化し啓蒙した、まさに「イスラームの衝撃的」である。その衝撃の一端を今の時代においても体感できるのがインドでありパーキスターンでもある。

    ビーダルにおいてもグルバルガにおいても旧市街はまさに「イスラームの国」なので、インドにありながらもまた別の国を訪問しているような気分になる。インドという国の奥行きの深みと多層性は他に類を見ないものであり、常々尊敬の念を禁じ得ない。

  • ハイアール

    ハイアール

    宿の部屋には中国メーカー「ハイアール」のエアコン。レスポンスは早いし、静かでガンガン冷えるし、温度調節も的確だし、設定温度が本体の目立つところに大きく表示されるのも良い。設定温度は躯体に大きく表示されるのも良い。良品を造ってますね。

  • インド初の二段貨物列車

    インド国鉄が二層式コンテナ長距離輸送を開始とのこと。間近に見たら迫力満点なことだろう。動力、制動力を確保するため、先頭の機関車は2両の重連、中間に補機としてもう一台入っている。
    この動画に出ているのは物流の動脈、グジャラート州とムンバイ間を結ぶルートとのこと。

    Indian Railways rolls out first double-stack long-haul container train (Youtube) 

  • インドもプラスチック紙幣導入へ

    インドの10Rs、20Rs紙幣が紙からプラスチック(ポリマー)へ転換するようだ。ボロボロなし紙幣の流通が多いし、気が付かずに切れた紙幣を受け取ってしまうとなかなか手放せなくなるので、これは良いことだろう。
    地域により、崩れかけた少額紙幣を小さな平たいビニールに入れて授受できるローカルルールのある場合もあるが、そもそも少し切れたくらいで受け取らない習慣はなんとかしてもらいたい。
    パキスタンではそんなことはないため、分離独立後のどこかで始まった習慣なのだろう。

    Government approves introduction of one billion polymer banknotes of ₹10 and ₹20 (THE HINDU)