
インドでは今もホメオパシーのクリニックや薬局などが数多く見られる。
日本においては公的医療としての位置づけがなされておらず、いわゆる民間療法という形だが、インドでは正式に制度化された医療の枠組みの中にあるなど、公的に位置づけられている。
科学的評価、エビデンス等とは縁のない「医療」と呼べるのか怪しいものだが、「信じるものは救われる」のだろう。


インドでは今もホメオパシーのクリニックや薬局などが数多く見られる。
日本においては公的医療としての位置づけがなされておらず、いわゆる民間療法という形だが、インドでは正式に制度化された医療の枠組みの中にあるなど、公的に位置づけられている。
科学的評価、エビデンス等とは縁のない「医療」と呼べるのか怪しいものだが、「信じるものは救われる」のだろう。
4月16日と言えば印鉄の記念すべき日。インドにおける植民地期の鉄道は、現在のような「国鉄によるネットワーク」ではなく、各地で操業する鉄道会社によるもので、藩王国による藩営鉄道会社もあった。
シャクンタラ鉄道のように、ごく近年まで英国の会社が所有していた路線もあったものの、その他はすべて独立後のインドにおける「国有鉄道」として統合されて現在に至る。
鉄道大国インドにおける「最初の列車」が走行したのは、173年前の1853年4月16日、400名の乗客を乗せてボンベイからターネー間を結んだ。
その4年後には「インド大反乱」が発生し、北インドでは各地で開始されていた鉄道敷設工事が停止してしまうが、大反乱で戦地となった北インド以外ではどんどん進んでいたらしい。
反乱平定後には、当初想定されていた各地の産物から成る物資の運搬や旅客の輸送だけでなく、軍事的にも「大量輸送」は極めて有効であると認識され、鉄道建設は更にアクセルを踏んで押し進められていく。道路網の整備は鉄道よりもかなり遅れて20世紀に入り、自動車が各地に登場するようになってから。
これらの交通インフラの発展により、それまで大きな街が形成されるのは水際(海岸や河岸)に限られていたのだが、内陸の大きな川のない土地にも、水道の普及もあり、人口や産業が集積することが可能になった。
また既存の内陸都市がハブとして物流拠点化するようになったのも革命的だ。それまでインドで商工業のハブであったのは港湾都市に限られていたのが大きく変わったのは、国道網に先んじて国内をネットワーク化した鉄道による効果。
英国が当時のインド国家予算と別建ての鉄道予算を計上し(ほぼ同額の時期も長かった)、たいへん力を注いだ鉄道建設により、各地が結ばれて大いに交流が深まることにより、「我らインド人」というナショナリズムの高揚にもつながったとも言われる。ガーンディーその他の独立の志士たちが活躍するための下地でもあり、インフラともなったわけだ。鉄道は人々の心やスピリットすら変えた。
インドだけでなく、鉄道の普及により大きく変貌を遂げた国は数え切れないほど多いはず。


昔のいわゆる「デザート・クーラー」は(簡易クーラー)は無骨な金属製ボディーに麦わらが入っていたけど、今はこんなにスマートになり、中には樹脂繊維みたいなのが入っている。いろいろ進化するものだ。
金属ボディーのものは運転させると轟音がしたけれども、最近のものは静音化も図られており、なかなか静かになっている。
ファン形状、モーターの改良、防振マウントを付けたり、インバーター制御を導入するなど、要は技術が進んだというわけだ。


ハイデラバードでの宿泊先に着いたとき、グーグルマップを見て「ここかな?」と思いつつも、パッと見た感じで「New Hotel Suhail 」とは読めず、前を2度素通りしてしまった。「Suhail」に変な赤が入っているため、視覚を邪魔するのだろう。個人的に「バッドデザイン賞」を贈りたい。
それにしてもSuhailはオーナーの名前かもしれないけど、なぜわざわざムスリムとわかる名称にするのだろうか。ニュートラルな名前、英語でも一般名詞にでもすれば、顧客をある程度絞ることはないのに。マーケットは間口が広ければ広いほど良さそうに思うが。
昨日朝食の席で見渡したところ、いかにもムスリムという宿泊者が多かったが、敢えてムスリム客を集客したいという狙いがあるのだろうか。こういう宿はインドでよくあるため、やはりムスリム客に商圏を絞ったマーケティングなのかもしれない。
もちろんこれとは真逆に今どきの風情とシンクロしたサフラン的な名前のヒンドゥーのホテルも多い。その一方で、どちらにも組みしない感じのニュートラルなホテルも数多くある。そうしたバリエーションもインドらしくて面白いところだ。
ホテルといえば、宿泊するホテルではなく、インドでいう食事処としての「ホテル」つまりレストラン、食堂、安食堂で、ヴェジの店であればヒンドゥー教徒による経営と普通は思うし、そういう店が大半であるとは思うが、必ずしもその限りでもないようだ。
ハリドワールでの話となるが、ヒンドゥー暦のサーワン月(7月前後)に毎年行われるサーワン・カーンワル・メーラーで巡礼たちが通るルート上にある菜食の食堂では、案外ムスリムのオーナーがヒンドゥーの店員を雇って営業しているところがあるようだ。
資本がムスリムでも、ヒンドゥーの人たちを雇い、きちんとルールに従って営業していれば、それで良いではないかと思うのだが、右翼のBJPが与党となっている州の中でも「最右翼」に位置づけられるヨーギー・アーディティヤナート(自身が長らく右翼活動を続けてきたとともに、ゴーラクプルのゴーラクナート寺院の高僧でもある。)政権下で、「オーナーの名前をきちんと表示するように」というお達しが出るなどしていた。名前で信仰が判ってしまうため、ムスリムがオーナーの店は大いに困ったそうだ。
これがメディアに取り上げられたため、大いに議論の的となったが、実はそれほど「ムスリムオーナーによるヒンドゥー向けの菜食主義の店」は珍しくはないらしい。それはそれで前述のとおり、きちんと運営していれば大いに結構ではないかと思うのだが、そのような形で炙り出して排除してしまおうとするのは残念な限りである。

フルーツの露店が並ぶ橋の上にて。スイカとチックー、ザクロとパパイヤが同時に出回るという奇妙な季節感。インドの南北からいろいろ入ってくるからこうなるのである。
あと面白いのは博物館の休館日。世界の多くで(日本でも)月曜日は休みということが多く、インドでもそうなのだが、ハイデラーバードは例外的に金曜日休館というところがマジョリティ。

評判の良いグランドホテル(というレストラン)はやはり混んでいた。ビリヤーニーは「ミニサイズ」を勧められたが、やはりそれでも1人でなんとか食べ切れるサイズであった。

グランドホテルでビリヤーニーの後、シメは甘いものを。「Double Mithai」とメニューにあり、「ミターイーの2種盛り」かと思って頼んでみると、まったく違った。「Double」ではなく「Dabal」つまり「Dabal Roti」つまり食パンを用いたミターイーであった。これはこれで美味しい。

ハイデラーバードは不思議な街だ。デカンの街なのに、道端や店で人々か話す言葉がわかることが多い。街の外はテルグ語の世界なのに、ここはウルドゥー語圏の飛び地である。


話は前後するのだが、ハイデラバードへはシンガポール航空でやってきた。当然、乗り換え地はシンガポール空港なのだが、しばらく待ち時間があった。夕方だったので腹も減る。
自宅の片隅に長年眠っていたシンガポールドルが32ドルを持ち出してきたのだが、空港内のホーカーズの券売機で使えなかったため、銀行の両替所で現行の札に替えてもらった。ずいぶん昔の紙幣であるため、現在のそれとはデザインは異なるし素材も違う。今のみたいなブラスチック紙幣ではなく、紙のお札だったのだ。(替える前に写真撮っておけば良かった。)
両替所の若い女性は「これはどこの国の通貨ですか?」などとすっとぼけたことを言っていた。そんな大昔のお金ではないのだが、記憶の糸をたどると最後にシンガポールを訪問したのは、少なくとも四半世紀以上前であった。ある意味、「古銭」である。どの時点で今のデザインに変更されたのかは知らないのだが、20代前半くらいの人が「どこの国の通貨?」と言うのは無理もないかもしれない。
古いお金を新札と替えるわけなので、もちろん手数料などはかからない。空港内のホーカーズで海南鶏飯。空港とはいえ、本場の味は良い。






ハイデラバードで利用した宿は、1500Rsでずいぶん広くて清潔だった。かなり人気で予約も立て込んでいるらしい。
翌朝は、階下のレストランで朝食。宿代には含まれておらず別途250Rs。朝食はバイキング形式。なかなか良かった。
幾度か来たことがあるハイデラバードだが、ここから入国するのは初めて。日曜日に利用できる両替屋やら買えるSIMカード屋などを知らないため、探すのになかなか手間取る。
両替屋はほとんど閉まっているし、テーランガーナーでは、SIMカードは日曜日はアーダールカード(日本でのマイナンバーカードに当たるもの)を持っていないと日曜日は不可と言われる。
明日はハイデラバードにいないし、田舎に行くとSIMカードの購入は期待できないため、ここで済ませておきたい。万一のためデータのみ8日間使えるSIMはアマゾンで買って持っているのだが、電話やSNSが出来ないため不便。それに8日間ではとうてい足りない。
もちろん両替屋は日曜日開いているところはどこかにあるし、SIMカードも原則を曲げて融通利かせてくれるところはあるはずだが、初めてだとゼロから探さなくてはならない。そんなわけでちょっと面倒だったがなんとか両方片付いて何より。


空港から市内中心地までは、ちょうど「首都高」みたいな高架の自動車専用道路が縦断しているハイデラバード。とても未来的な光景に思える。
そして驚くのはその「首都高」沿いにあるいくつもの高いビルになぜかジムが入っていて、もう深夜近いのに黙々と機械でトレーニングしている人たちがいることだ。これまたインドの未来的な眺めに思える。
深夜になっても繁華街では開いている飲食店はとても多く、なんとも賑やかである。

エカマイバスターミナルからロットゥーでメークロンに向かう。エカマイもさびれているようで、かつては盛んにバスが発着していたのがパタヤその他以外にはロットゥーが主な出入り車両のようだ。当初は11:00のロットゥーのはずだったのだが、乗客が少なくて間引きされたようで12:00過ぎの出発となった。メークロンに着いてからバスを乗り換えてアムパワーに到着。



移動中に一緒だった台湾の女性たちと散歩。金曜日のアムパワーはとても空いていて、扉を閉じたままの店も多い。いつもこんな具合なのかと言えば、土日は宿代が倍になるそうなので、週末に大変混雑するらしい。




彼女たちとは夕方の蛍ツアーにも一緒に参加することにした。ボートはアムパワーの運河からメークロン河に出る。河沿いの木には蛍の光がたくさん。見事なものだ。


船が通ることができるようにと高くした橋が特徴的。古い時代のバンコクはこんな具合だったのかなと思わせるレトロ感がとても趣がある。ここに数泊してみたいくらいだ。

マーケットで面白いものを見つけた。魚の干物かと思ったら、魚の干物のぬいぐるみ?という捻りが効いたもの。残念ながら臭いはしない。

その後、他の台湾の女性たちが合流して、夕飯は皆でいろいろ買って持ち寄りで、宿泊先の共用スペースでの宴会となった。大勢の女性たちと一緒に食事という機会はあまり無いので、なかなか気が引けつつも楽しいひとときとなった。



カンボジアのシェムレアプからタイのバンコクまでは1時間のフライト。ドンムアン空港に着いてから市内のスリクルンホテルへ向かう。



スリクルンホテルはカフェに入ったことしかなかったが、今回初めて宿泊。ロビー周りはきれいだし、目の前がホアランポーン駅前の運河というのも良い。駅はほとんどの発着がクルンテープ・アピワット駅に移転しており、ごく一部のローカル線の発着のみとなり、鉄道駅としての機能はほぼ終えている。このあたりの寂れようは昔日の賑わいからは考えられない。
かつては飲食店が多数入居していたホアランポーン駅構内だが、店のほとんどが撤退していた。ブラットフォームには蒸気機関等の歴史的な車両が展示されている。運河寄りのホームからは、ごく一部の各駅停車が発着。かつてのバンコクのターミナス駅は建物はそのままながらも、現在は小さなローカル駅になっている。




今後大規模な再開発などはあるのだろうか。それでも界隈でちょこちょこと起きている古い建物のヘリテージホテル化、ヘリテージレストラン化で、観光地中華街としてのヤワラー人気の高まりとともに、建物そのままでオーナーや運営者が交代して変化していくのか。
年配のタイ人の方によると、1980年代あたりまでのヤワラーは中国系の幇同士の抗争が激しく、何かと危険だったらしい。そんなところが観光地として人気が出たり、よそから事業者が入ってきて、小洒落たブティックホテルを始めたりというような環境ではなかったようだ。時代とともにいろいろ変わっていくものだ。

ジュライ・ロータリーに足を向けてみると、かつての「ジュライホテル」の建物は今も残っていた。かつては近くの楽宮ホテルと合わせて、宿泊する日本人バックパッカーは多かった。

スリクルンホテルの朝食バイキングは昼ご飯であってもおかしくないくらい充実している。そしてお粥が素晴らしくおいしい。この日早く出発するつもりだったのが、少し遅くなった原因がこのお粥。あまりに美味しいので、何度もおかわりを繰り返し、トッピングの量を加減して変化を楽しんだりしたため、朝食にずいぶん時間がかかってしまったのだ。そのくらい美味しかった。


ホテルの朝食なんてトーストとコーヒー目玉焼きくらいでも食べさせておけばよいのに、まったく手を抜かないところに良心を感じる。あるいはそれほど競争が激しい、あるいはこのエリアが寂れてしまいなかなか集客が大変なのだろうか。

カンボジア第2の都市だけあって、何かと便利な街であった。そして華やかでもあり、夕方以降も楽しい。





大きなスーパーマーケットがいくつもあり、在住中国人、韓国人向けの食材店ではそれぞれ中華料理、韓国料理の材料等も大量に売られている。

それでいて、シェムレアプの街はクルマが多くないため自転車であちこち行ったり、夕暮れ時にゆったりと流したりできるのも気持ちがよかった。滞在中は同じ自転車を借りっ放しで、「我が愛車」という感じにもなった。
最終日、午前中は国立アンコール博物館を見学し、宿に戻ってチェックアウト。

そして宿の隣の食堂で今回のカンボジアにて最後の昼ごはん。滞在先の部屋から「徒歩2分で着く」という便利さもさることながら、なかなか美味しいので繰り返し利用した。

食後はオートリクシャーで空港へ。



シェムレアップで、この日の夕飯、「カリーワーラー」は、ちゃんとしたガチインド料理であった。前日のパンジャービーのおじさんの店のクメール化した大甘カレーには仰天したが、こちらはオーセンティックで安心。

メニューはすべてリエルで書かれているのは、この手の店としては珍しいのだが、客層はインド人を含めたほぼ外国人に尽きるとのこと。ローカル客はいなくもないが、「100人来て2人くらい」とのこと。
どのあたりを客層と想定するかによって、味付けやサービスの仕方が異なるのは当然で、同じパンジャービーでもそれぞれ大きく異なるわけだ。
