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カテゴリー: travel

  • ああ腹いっぱい!

    ああ腹いっぱい!

     

    宿はビーダル随一の繁華街にあるため、さきほどの「マンディ」の店、洋菓子とミターイー両方売る店、カフェその他がいろいろある。

     

    だが、とにかく満腹過ぎでスイーツ用の別腹すら動員してしまったようで「1ミリの隙間もない」感じなのでデザートはやめておく。超の付く満腹感のうえに、「飲むケーキ」とでも呼ぶべき濃厚な「イラーニー・チャーエ」を2杯飲んだこともあり、快楽を通り越して胸焼け状態になっている。

     

    激しいスポーツをした後に適度なクールダウン、昔で言うところの整理体操をせずに済ませてしまうような、どうもスッキリしないものがある。

     

    そのため整腸効果のありそうな飲み物類をあれこれ思い浮かべてみると、ちょうど曲がり角のすぐ向こうに正解が用意されていた。

    「百薬の長(今ではそう呼ばないらしいが・・・)」を商うナチュラル志向の店(酒屋)で、消化を助ける麦飲料を購入。

     

    インド産スコッチなので、香りとか味わいとか言うよりもピリリと舌を刺すような感じではあるものの、それもまた旅情のひとつである。

     

    このインドウイスキーには、最近は50mmだか100mmだか知らないが、ちいさなメダル紙パックも用意されている。昔ながらのポリのパックに入った安い「ダールー」と同様に地元の若い奴がコーラなどで割って路上であおっている。

     

    そんな彼らのために店主は薄いペラペラのプラスチックカップを渡しているのだから、路上飲酒を奨励しているようなものだ。

    店の主人は何を思ったのか、クオーターボトルを買った私にも「これでどうぞ」と、そのプラコップを手渡してくれた。私も路上飲酒するように見えたのかどうかはよくわからない。

  • アラビア式の「マンディー」

    アラビア式の「マンディー」

    インドのカルナータカ州のビーダルにあるRoyal Amolへ。ここにはアラビア式の「マンディー」を注文。しばらく待つとかなり凄い量のものが来た。


    コツは時間をかけずにモリモリ食べることだろう。満腹中枢から「もうダメ!」の指令が来る前に、とにかくムシャムシャと咀嚼して呑み込むのがよい。

    かなり一気に突っ走ったつもりが、それでもあと1/4程度を残して断念。やはりこのアイテムは2〜4人くらいで分けて楽しむのが良いようで、1人ではとても無理であった。

    シメは階下の喫茶フロアーで「イラーニー・チャーエ」。何がイラーニーかよくわからないけど、やたらとマラーイーが入った濃厚なチャーエ。向かいにはまた別のアラビア料理を出す店があり、ビーダル訪問の際にはたいへんオススメ。ぜひ数人で「マンディー」をお楽しみください。

  • ハイデラーバードから列車でビーダルに到着

    ハイデラーバードから列車でビーダルに到着

    宿に荷物を置いてから、オートでビーダル・フォートに行く。バフマニー朝が建てたものだ。ビーダルの街は14世紀には同王朝の首都だったこともある。

    街からしばらく走ると城壁が見えてくるのだが、規模の大きさに感心させられる。インドでは田舎でもたいへん立派なスケールのものがいろいろある。

    この町では外国人はそんなに多くないため、幾度も いろんな人たちに声をかけられて 一緒に写真を撮ってくれと頼まれた。

    広大な敷地であるが建物の状態はあまり良くなく、全盛期を彷彿させるものはなかったと言える。中では水牛が放牧されていた。

    その後、グルドワラー・スリ・ナーナク・ジラー・サーヒブへ。田舎町には似つかわしくないほど大きなグルドワラーである。ランガルもやっている。しばらくここで流れるキルターンを耳にしつつ、夕暮れ時を楽しむ。

  • インドの言語環境はありがたい

    インドの列車内で楽しいのは乗り合わせた人たちのとの会話。この日は向かい合わせに座ったのは盲学校の校長夫妻。

    二人ともクリスチャンでセブンスデイアドベンチストの信者。教団が運営する盲学校がその職場とのこと。全国各地から来た生徒たちが、1年生から12年生までがそこで学び、高等教育機関に進学する者も多いとのこと。IT関係に進む生徒も少なくないそうだ。卒業ないしは進学後の進路は主に政府系の職場とのこと。

    いわゆる「クオータ」での採用が多いのだとか。つまり障害者のための留保。カーストや民族をベースにした留保制度についてはいろいろ問題がある(家庭の経済水準によるものではなく、出自により与えられるため)ものの、こういう制度は大切だ。

    言葉があまり通じない国だと「お仕事は?」「学校長です」「はぁそうですか」で終わってしまうため、やはりいろいろ話を伺うことができるインドにおける言語環境というものはありがたい。もちろんヒンディー語、ウルドゥー語等の現地語を知っているかどうかに限ったことではなく、英語を話す人たちがとても多いということは大変大きなアドバンテージ。

    ベトナムやタイ、イランやシリアなどではこうはいかない。

    インドという国は本当にありがたい。単に国として興味深いだけではなく、知るための扉が大きく放たれているからだ。言葉が広く通じるし、人々は大変おしゃべりであることが多い。各方面に関する英語などによる書籍も星の数ほど出ている。興味さえあれば、いくらでもいろんなことについて知ることが出来るわけだ。こういう国はそう多くはない。

  • 旅情と風情

    旅情と風情

    インドの鉄道駅というものは実に絵になる。

    行き交う人々、汽笛とともに入構してくる各駅停車に急行列車、大きな荷物、赤シャツのポーター。まるで良く出きたステージのセット上のように旅情が演出されていく。もちろん作為的なものではなく、人生というリアルな舞台の上で、それぞれの役割を担うひとりひとり。

    客室の鉄格子越しに語り合う乗客と見送りの人。車両がガタンと動き出すと、それに合わせホームで見送る人は歩き出し、長い長いプラットフォームの上で、やがて列車が歩いて追っていくことのできない速度に達するまで語らいは続く。昔から映画にも出てくる定番の眺め。

    大きな駅も小さな駅も、鉄道駅はどこも旅情と風情に満ちている。

  • ホメオパシー

    ホメオパシー

    インドでは今もホメオパシーのクリニックや薬局などが数多く見られる。

    日本においては公的医療としての位置づけがなされておらず、いわゆる民間療法という形だが、インドでは正式に制度化された医療の枠組みの中にあるなど、公的に位置づけられている。

    科学的評価、エビデンス等とは縁のない「医療」と呼べるのか怪しいものだが、「信じるものは救われる」のだろう。

  • まさにこの日!!!

    4月16日と言えば印鉄の記念すべき日。インドにおける植民地期の鉄道は、現在のような「国鉄によるネットワーク」ではなく、各地で操業する鉄道会社によるもので、藩王国による藩営鉄道会社もあった。

    シャクンタラ鉄道のように、ごく近年まで英国の会社が所有していた路線もあったものの、その他はすべて独立後のインドにおける「国有鉄道」として統合されて現在に至る。

    鉄道大国インドにおける「最初の列車」が走行したのは、173年前の1853年4月16日、400名の乗客を乗せてボンベイからターネー間を結んだ。

    その4年後には「インド大反乱」が発生し、北インドでは各地で開始されていた鉄道敷設工事が停止してしまうが、大反乱で戦地となった北インド以外ではどんどん進んでいたらしい。

    反乱平定後には、当初想定されていた各地の産物から成る物資の運搬や旅客の輸送だけでなく、軍事的にも「大量輸送」は極めて有効であると認識され、鉄道建設は更にアクセルを踏んで押し進められていく。道路網の整備は鉄道よりもかなり遅れて20世紀に入り、自動車が各地に登場するようになってから。

    これらの交通インフラの発展により、それまで大きな街が形成されるのは水際(海岸や河岸)に限られていたのだが、内陸の大きな川のない土地にも、水道の普及もあり、人口や産業が集積することが可能になった。

    また既存の内陸都市がハブとして物流拠点化するようになったのも革命的だ。それまでインドで商工業のハブであったのは港湾都市に限られていたのが大きく変わったのは、国道網に先んじて国内をネットワーク化した鉄道による効果。

    英国が当時のインド国家予算と別建ての鉄道予算を計上し(ほぼ同額の時期も長かった)、たいへん力を注いだ鉄道建設により、各地が結ばれて大いに交流が深まることにより、「我らインド人」というナショナリズムの高揚にもつながったとも言われる。ガーンディーその他の独立の志士たちが活躍するための下地でもあり、インフラともなったわけだ。鉄道は人々の心やスピリットすら変えた。

    インドだけでなく、鉄道の普及により大きく変貌を遂げた国は数え切れないほど多いはず。

    First Train in India: 173 साल पहले आज ही चली थी देश की पहली रेलगाड़ी, 400 यात्रियों के साथ शुरू हुआ था सफर (Nav Bharat Times)

  • 進化

    進化

    昔のいわゆる「デザート・クーラー」は(簡易クーラー)は無骨な金属製ボディーに麦わらが入っていたけど、今はこんなにスマートになり、中には樹脂繊維みたいなのが入っている。いろいろ進化するものだ。

    金属ボディーのものは運転させると轟音がしたけれども、最近のものは静音化も図られており、なかなか静かになっている。

    ファン形状、モーターの改良、防振マウントを付けたり、インバーター制御を導入するなど、要は技術が進んだというわけだ。

  • バッドデザイン賞

    バッドデザイン賞

    ハイデラバードでの宿泊先に着いたとき、グーグルマップを見て「ここかな?」と思いつつも、パッと見た感じで「New Hotel Suhail 」とは読めず、前を2度素通りしてしまった。「Suhail」に変な赤が入っているため、視覚を邪魔するのだろう。個人的に「バッドデザイン賞」を贈りたい。

    それにしてもSuhailはオーナーの名前かもしれないけど、なぜわざわざムスリムとわかる名称にするのだろうか。ニュートラルな名前、英語でも一般名詞にでもすれば、顧客をある程度絞ることはないのに。マーケットは間口が広ければ広いほど良さそうに思うが。

    昨日朝食の席で見渡したところ、いかにもムスリムという宿泊者が多かったが、敢えてムスリム客を集客したいという狙いがあるのだろうか。こういう宿はインドでよくあるため、やはりムスリム客に商圏を絞ったマーケティングなのかもしれない。

    もちろんこれとは真逆に今どきの風情とシンクロしたサフラン的な名前のヒンドゥーのホテルも多い。その一方で、どちらにも組みしない感じのニュートラルなホテルも数多くある。そうしたバリエーションもインドらしくて面白いところだ。

    ホテルといえば、宿泊するホテルではなく、インドでいう食事処としての「ホテル」つまりレストラン、食堂、安食堂で、ヴェジの店であればヒンドゥー教徒による経営と普通は思うし、そういう店が大半であるとは思うが、必ずしもその限りでもないようだ。

    ハリドワールでの話となるが、ヒンドゥー暦のサーワン月(7月前後)に毎年行われるサーワン・カーンワル・メーラーで巡礼たちが通るルート上にある菜食の食堂では、案外ムスリムのオーナーがヒンドゥーの店員を雇って営業しているところがあるようだ。

    資本がムスリムでも、ヒンドゥーの人たちを雇い、きちんとルールに従って営業していれば、それで良いではないかと思うのだが、右翼のBJPが与党となっている州の中でも「最右翼」に位置づけられるヨーギー・アーディティヤナート(自身が長らく右翼活動を続けてきたとともに、ゴーラクプルのゴーラクナート寺院の高僧でもある。)政権下で、「オーナーの名前をきちんと表示するように」というお達しが出るなどしていた。名前で信仰が判ってしまうため、ムスリムがオーナーの店は大いに困ったそうだ。

    これがメディアに取り上げられたため、大いに議論の的となったが、実はそれほど「ムスリムオーナーによるヒンドゥー向けの菜食主義の店」は珍しくはないらしい。それはそれで前述のとおり、きちんと運営していれば大いに結構ではないかと思うのだが、そのような形で炙り出して排除してしまおうとするのは残念な限りである。

  • ハイデラーバード

    ハイデラーバード

    フルーツの露店が並ぶ橋の上にて。スイカとチックー、ザクロとパパイヤが同時に出回るという奇妙な季節感。インドの南北からいろいろ入ってくるからこうなるのである。

    あと面白いのは博物館の休館日。世界の多くで(日本でも)月曜日は休みということが多く、インドでもそうなのだが、ハイデラーバードは例外的に金曜日休館というところがマジョリティ。

    評判の良いグランドホテル(というレストラン)はやはり混んでいた。ビリヤーニーは「ミニサイズ」を勧められたが、やはりそれでも1人でなんとか食べ切れるサイズであった。

    グランドホテルでビリヤーニーの後、シメは甘いものを。「Double Mithai」とメニューにあり、「ミターイーの2種盛り」かと思って頼んでみると、まったく違った。「Double」ではなく「Dabal」つまり「Dabal Roti」つまり食パンを用いたミターイーであった。これはこれで美味しい。

    ハイデラーバードは不思議な街だ。デカンの街なのに、道端や店で人々か話す言葉がわかることが多い。街の外はテルグ語の世界なのに、ここはウルドゥー語圏の飛び地である。

  • シンガポールの古銭

    シンガポールの古銭

    話は前後するのだが、ハイデラバードへはシンガポール航空でやってきた。当然、乗り換え地はシンガポール空港なのだが、しばらく待ち時間があった。夕方だったので腹も減る。

    自宅の片隅に長年眠っていたシンガポールドルが32ドルを持ち出してきたのだが、空港内のホーカーズの券売機で使えなかったため、銀行の両替所で現行の札に替えてもらった。ずいぶん昔の紙幣であるため、現在のそれとはデザインは異なるし素材も違う。今のみたいなブラスチック紙幣ではなく、紙のお札だったのだ。(替える前に写真撮っておけば良かった。)

    両替所の若い女性は「これはどこの国の通貨ですか?」などとすっとぼけたことを言っていた。そんな大昔のお金ではないのだが、記憶の糸をたどると最後にシンガポールを訪問したのは、少なくとも四半世紀以上前であった。ある意味、「古銭」である。どの時点で今のデザインに変更されたのかは知らないのだが、20代前半くらいの人が「どこの国の通貨?」と言うのは無理もないかもしれない。

    古いお金を新札と替えるわけなので、もちろん手数料などはかからない。空港内のホーカーズで海南鶏飯。空港とはいえ、本場の味は良い。

  • ハイデラバードの日曜日

    ハイデラバードの日曜日

    ハイデラバードで利用した宿は、1500Rsでずいぶん広くて清潔だった。かなり人気で予約も立て込んでいるらしい。
    翌朝は、階下のレストランで朝食。宿代には含まれておらず別途250Rs。朝食はバイキング形式。なかなか良かった。

    幾度か来たことがあるハイデラバードだが、ここから入国するのは初めて。日曜日に利用できる両替屋やら買えるSIMカード屋などを知らないため、探すのになかなか手間取る。

    両替屋はほとんど閉まっているし、テーランガーナーでは、SIMカードは日曜日はアーダールカード(日本でのマイナンバーカードに当たるもの)を持っていないと日曜日は不可と言われる。

    明日はハイデラバードにいないし、田舎に行くとSIMカードの購入は期待できないため、ここで済ませておきたい。万一のためデータのみ8日間使えるSIMはアマゾンで買って持っているのだが、電話やSNSが出来ないため不便。それに8日間ではとうてい足りない。

    もちろん両替屋は日曜日開いているところはどこかにあるし、SIMカードも原則を曲げて融通利かせてくれるところはあるはずだが、初めてだとゼロから探さなくてはならない。そんなわけでちょっと面倒だったがなんとか両方片付いて何より。