コラバ地区のヘリテージな建物

ムンバイのコラバ地区。このあたりにある建物の多くは19世紀後半から20世紀はじめあたりに建てられているが、取り壊されるよりも修復して使われているのが嬉しい。
建物には、おそらく当初のオーナーの名前を冠したままと思われるものもあれば、そうでないものもある。
また、現在は居宅として使用されているものの他に、まるごとホテルとして転用されているものや、中をいくつかに分けて店舗として、あるいはアパートとして転用されているのもある。

宿泊先内部の階段まわり

こちらは宿泊先のエレベーター

宿泊先エレベーター内の表示

「修復」で面白いのは、オリジナルの形に新しく直すことに限らず、まったく違う側面を加えるやりかたも実施されていることだ。下の写真を見てもらえばわかるのだが、ひとつの建物なのだが、右と左がまるで別々の建築物のようになっている。もちろん手前右側が新しくリフォームされた部分だ。こうした技を披露できるのは、やはり植民地建築の豊かな遺産に富んだインドの都市部ならではのことだろう。

手前と向こうで別の建物のように見える。

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ムンバイのユダヤレストラン

コラバにあるユダヤ教施設ナリーマンハウスの中にはコーシャル・ムンバイというレストランがあることを知った。だだしその日は土曜日、つまりサバース(ユダヤ教の安息日)であるため、どうかと思い電話してみたが誰も出ない。まあ近いので行ってみることにした。

ムスリム地区にあるこのユダヤ教施設。昔からユダヤ人が多かったコラバだが同じくユダヤ人コミュニティの存在で知られたフォート地区、バイクラー地区と異なり、ここにシナゴーグが建てられたことはない。別名チャダードハウスとしても知られるこの施設には、世界各地から来るユダヤ系の人たちのための宿泊施設も有している。

だいぶ前に前を通りかかったときの記憶とは、佇まいがずいぶん違っているのは、2011年のムンバイ同時多発テロが背景にある。VT駅、レオポルドカフェ、トライデントホテル、タージマハルホテルなどとともに、あの事件の舞台となったひとつの施設だ。テロリストたちがナリーマンハウスに立てこもり、ここを取り仕切るユダヤ教司祭家族、宿泊者等多数が殺害されている。タージマハルホテル同様、ナリーマンハウスにも、デリーから出動した特殊部隊が突入し、事件発生50数時間後に制圧された。

そんないわくつきの施設となってしまったが上に、今も非常に厳しいセキュリティ体制が敷かれている。ここに入っている「コーシャル・ムンバイ」は、日曜から金曜までの午前9時半から午後9時まで(金曜日のみ午後1時半まで)の営業であることはわかった。

Kosher Mumbai (CHADAD OF INDIA)

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コラバのゴア料理店

New Martin Hotel

ムンバイのコラバ地区の一角。壁に書かれたメニューの品目はあまり数多くはないが、とりあえずポークウィンダールー、ソーセージ・エッグ&チップス、フィッシュカツレツを注文。やはり豚肉の旨味を知るゴア人の料理には格別なものがある。やはり豚肉が私には必要なのだ。ゴアで食べるものに比べて、やや酸味が薄いような気がしたが、これは店の個性かもしれないし、あるいはボンベイでの顧客の好みに合わせたものかもしれない。

ポークヴィンダルー

ソーセージ・エッグ&チップス

フィッシュカツレツ

ついでにビーフステーキとフィッシュカレーも注文してみる。画像のタマネギ炒めとポテトの盛り合わせのように見えるのがステーキ。タマネギの下はすべて牛肉で、かなりのボリュームがある。ゴアでもこういう出しかたをするのか知らないが、もしかしたら、どんな人が入ってくるかわからないため、お店としての配慮なのかもしれない。

ステーキ

ステーキに乗っているタマネギを外すとこのような具合になる。

フィッシュカレー

パン

注文して出てくるのを待っているとき、面白いことがひとつあった。
額にビンディーを付けた、品の良い中年女性が入ってきて、「持ち帰りでステーキを」と注文していた。今はどうか知らないが、昔はヒンドゥーでなくても若い女の子がビンディーを付けて外出するということはあった。
この人は、すっかり落ち着いた中年女性であるため、本当にヒンドゥーであると考えたほうが良いだろう。あくまで個人的なことであり、とやかく言うものではないが、こうして下町の食堂でヒンドゥーの主婦がビーフステーキをテイクアウトで注文するほど、ボンベイはリベラルなのだと感心する。私がゆっくりとステーキ等を食べている間にアルミホイルに包まれたステーキ二人前が主婦に渡されていた。
ぼーっと人々をウォッチングしているのもなかなか楽しいものだ。

もちろんインドでは牛を食べられる機会はあまり多くないのだが、地域によっては毎日食べられる。食肉としてはインドでまったく一般的ではない豚肉も同様だ。

ゴアで豚国が多く使用されるのは、言うまでもなく旧宗主国ポルトガルの影響だ。
地元社会の宗教や社会的慣習にはあまり介入しなかった英国(それでも寡夫のサティーの習慣等、彼らの目に人道的な問題と映る事柄については積極的に介入した)と違い、ポルトガルは自らの支配地域内でのヒンドゥー教の信仰を禁じてカトリックへの改宗を強く推し進めるなど、現地社会のポルトガル化を図った面がずいぶん異なる。

そんなわけで、旧英領地域に比べてライフスタイルや食事の面で、英国よりもずいぶん大きく深い影響を残したのがポルトガルのゴアといえる。

・・・とはいうものの、インド復帰以降はゴアとその他の土地とで移住等は当然自由であるため、現在カトリック人口は半数にも満たず、ゴア州は現在BJP政権下にある。

今後、時代が下るにつれてポルトガル色は薄くなっていき、同時にヒンドゥーやムスリムの人々の人口流入により、ゴアらしい地域色が薄まっていくであろうことは間違いないだろう。

食後はアプリコットカスタード

店名:New Martin Hotel
所在地:21, Glamour House, Strand Road, Near Strand Cinema, Colaba, Mumbai
電話:022 22029606

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旧ワトソンホテル

旧ワトソンホテル (現エスプラネードマンション)

外観からして尋常ではない荒れ具合

マーク・トウェインが逗留したことでも知られる旧ワトソンホテルに入ってみた。植民地期のボンベイを代表するホテルであった歴史があるが、1960年代に廃業し、エスプラネードマンションというオフィスビルに変わっている。

2018年後半、行政当局から入居者たちに対して退去命令が出ている物件だ。理由は危険なまでに老朽化していることだが、まだ退去していない者がたくさんいるようだ。ここに入居しているのは、法律事務所が多い。裁判所が近いという立地が好まれてのことらしい。

入居しているのは法律事務所が多い。

非常に幅広な階段が、なんとなく「ムンバイを代表する元高級ホテル」の面影を感じさせる唯一の部分だ。予備知識なしに踏み込んだとすれば、フロアーが非常に細かく壁で細分化されているため、「ホテルであった」と言われても、そうとはまったくわからないだろう。

唯一、往時は高級ホテルであったことを感じさせる幅広の階段。

本来ならば、1869年に完成したインド最古の鋳鉄構造の「ヘリテージビルディング」として保護されるべき対象らしいのだが、そこは民間資産のためオーナーにその意志がなければ、どうにもならないようだ。

2018年7月の報道によると、ベランダの一部が崩壊して落下し、下に停めていたタクシーが壊れたとのこと。幸いなことに運転手はこのときクルマから離れており、事なきを得たとのこと。

Mumbai: Part of 19th Century Esplanade Mansion collapses, crushes a taxi (scroll.in)

この旧ワトソンホテル華やかなりしころ、パールスィー実業家ジャムセートジー・ターターがタージマハルホテルを創業するきっかけになったという逸話がある。
当時のボンベイ随一の高級ホテルは「ホワイトオンリー」のポリシーをもって運営されており、数々の有名人が宿泊したことでも知られる。
その逸話とは、ジャムセートジーが入館を断られたため、インド人のためのこうした立派なホテルを建てようと決意したというもの。今ではもっともらしく語られるが、これが実話であるかについてはなんとも言えない。

当時、ムンバイのパールスィーやユダヤ人上層部は白人社会に軸足を置いていたし、当時の彼は白人社会において有力者でありVIPでもあった。ホテルにそんな実力者の入館を拒む勇気があっただろうか?

もしかすると、インド人の部下たちを引き連れて会合を持とうとしたり、インド人実業家を連れての予約を打診したら「お連れの方々が・・・」と、色よい回答が得られなかったということはあったかもしれない。
あるいは、こういうことかもしれない。イギリス統治下で地場資本が成長し、インド人有力資本家が次々に育つ中、またインド高等文官試験の受験が「ネィティブ」つまりインド人たちにも開放され、白人役人をアゴで使う「インド人高級官僚」がこれまた次々と出てくるといった世相の当時だ。
「白人社会の顧客のみを相手にしていてはもったいない」と、インド人上層部が広がる世相を高級ホテル業参入への好機と捉えたのではないだろうか。

パールスィーという人口規模が極めて少ないマイノリティーが率いるターター財閥だが、まさにそれがゆえに「愛国的資本」というイメージを創出することに代々努めている。ジャムセートジーが入館を断れて・・・という、もはや史実のようになってしまっているが、私はこれについてはかなり懐疑的だ。あくまでも私の個人的な意見ではあるのだが。

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プリヤンカー・ガーンディーの政界デビュー

昨日、インドから凄いニュースが飛び込んできた。国民会議派総裁ラーフル・ガーンディーの妹、プリヤンカーの政界デビュー。

これまで選挙戦で応援演説に立つことはあったが、政治活動とは極力関わらずにいた彼女だが、会議派幹部(UP州東部担当)として正式に活動開始となった。 UP州東部といえば前回選挙でモーディーの出馬した選挙区バナーラス、UP州首相アーディティャナートの本拠地ゴーラクプルを含む。おそらく彼女はこのUP州東部から総選挙に出馬するのだろう。ガーンディー家の伝統的な地盤があるUP州西部のラーイバレリー地区からではなく。

前回国民会議派総裁、ソーニアー・ガーンディーの娘だが、90年代にソーニアーが政治に担ぎ出された頃、彼女の息子ラーフル、娘プリヤンカーが成長するまでのつなぎという役回りだったが、その息子、娘で大きく期待されていたほうは、このプリヤンカーであった。

知的かつ自信に満ちたスピーチはもとより、「ガーンディー王朝」と揶揄された国民会議派のネルー家嫡流にふさわしいノーブルさ、気高さ、品格を持つのがこのプリヤンカーであった。 加えて祖母インディラーの面影を濃く感じさせる物腰、仕草、スピーチなどからも、「まったくもって凡庸」な兄ラーフルより、はるかに人気がある。輝き具合がまったく違う。
インディラーの面影といえば、ソーニアーは努めて義母のなりふりを模倣していたものだが、プリヤンカーに備わるそれは、やはり生来のもの、DNAに刻まれたものなのだろう。

先の複数の州議会選挙を潮目に、流れが変わったように見えるインド政界。「インディラーの再来」としてのプリヤンカーのデビューで、一気に上げ潮の勢いとなるのではないかと思われる。まさに「真打ち登場!」といったムードのマスコミの扱いである。

しかしながら不安要素もある。

プリヤンカー人気、プリヤンカーの幹部入りは会議派の大きな強みであり、同時に大きな画像弱みでもある。その「弱み」は何かと言えば、プリヤンカーの夫、実業家ロバート・ワドラーの存在。
プリヤンカーの人気と影響力を背景に、彼自身は党の人間ではないのに、会議派内のことに口出しをする、また彼のビジネスには、いろいろと黒い噂が付きまとう非常に濃いグレーな人物だ。
これまでもソニアーとラーフルが、ロバートの怪しげなビジネスの関係で追求されたことが幾度かある。

今後、インド総選挙が近づく(今年4月終わりから5月あたりになる見込み)につれて、日本の新聞にも「話題のプリヤンカー氏とは」というような記事が掲載されることもあるだろう。彼女の影には、ロバート・ワドラーという、すべてを台無しにしかねないとんでもない奴がいるということは覚えておいたほうがいいだろう。

Priyanka Gandhi Vadra Joins Politics, Gets Key UP Post Ahead Of Polls (NDTV)

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