バンスベーリヤーとその周辺

バンスベーリヤーの鉄道駅

ハウラー駅から鉄道で、コールカーターの北60キロ余りのところにあるバンスベーリヤーへ。通常はバンデールで乗り換えるケースが多いらしいが、乗った電車は幸いなことにバンスベーリヤーまで直通であった。乗車時間は1時間半ほど。駅からサイクルリクシャーで寺院へ向かう。

ハンセースワーリー寺院

アナンタ・ワスデーヴ寺院

アナンタ・ワスデーヴ寺院

寺院手前で販売される供え物

13本の塔を持つハンセースワーリー寺院とテラコッタの装飾が見事なアナンタ・ワスデーヴ寺院を見学。すぐ隣にはラージバーリーがあり、なかなか絵になるセッティングだ。絵といえば、境内で水彩画を描いている女性がいたので、いろいろ質問しながらしばらく見物。とかくベンガルでは、若い人から年配者まで、絵画、音楽、写真、演劇その他の趣味に熱烈に傾倒する人が多く、文化的な感じがする。

絵を描く女性

たまたま参拝に来ていた地元の親切な20代くらいの男性が、これらふたつの寺院の由来や背景、ラージバーリー(旧領主の館)や旧領主にまつわる、詳しい話を聞かせてくれたのもよかった。言葉が通じる国のありがたいところだ。

ラージバーリーのゲート

ラージバーリー

同じベンガルでも、お隣りのバングラデシュだと、ヒンディーはもちろん、英語を話す人も極端に減るので、たいていの人たちと普通に話が出来る環境から、ほとんどの人とかんたんなやり取りさえも容易ではないという、正反対の状態になってしまうのだ。田舎の眺めはインドの西ベンガル州もバングラデシュも変わらないのだけれども。

バンデールのカトリック聖堂

バンデールのカトリック聖堂

バンデールのカトリック聖堂

近年の電動オートリクシャーの普及ぶりには目を見張るものがある。

そこからオートリクシャーでバンデールまで移動。16世紀にここに地歩を築いていたポルトガルが建てたローマンカトリックの教会に関心があったのだが、今の建物は近年になってからのものであり期待外れであった。ここからほど近いフーグリーには、なかなか風格のあるイマームバーラーがあり、バンスベーリヤーのついでに訪れた甲斐があった。

イマームバーラー

イマームバーラー

イマームバーラー

フーグリー河の眺め

イマームバーラー

イマームバーラー内で保管されているモハッラムの祝祭時のターズィヤー(山車)

帰りは再びフーグリーの駅に出て、ハウラー行き電車をつかまえる。バンデールからは80分くらいかかるのだが、スマホをいじっていると、あっという間にハウラーに到着していた。暇な時間には日記などを書くこともできていいのだが、その反面、車窓の景色はあまり見なくなるように思う。

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コールカーターのG.P.O

1868年に完成した優美な建築物。現在これが立地する場所のすぐ脇が、1765年に起きた悪名高い「ブラックホール事件」の舞台となった場所だそうだ。

The Black Hole of Calcutta (History Today)

それはともかく、ここは旅行者たちにとって、少し前までのネットカフェ、今のスマホのような役割を果たしていたことがある。インターネットの利用が一般化する前の頃の話である。

Mr. ×××
Poste Restante
General Post Office, Calcutta,
India

・・・というような宛名で書かれたハガキ、封書、場合によっては荷物などが、G.P.O. (General Post Office = 中央郵便局)に局留郵便として届き、受取人は本人の証明としてパスボートを持参して、これらを受け取っていた。

一般的には、局留として到着した郵便がG.P.Oに保管されるのは3カ月とされるが、それよりも多少長い期間が経過しても、届いた郵便を見つけることが出来る場合もあった。

こうしたサービスは、コールカーターの郵便局に限ったことではなく、インドの他の大きな街はもちろんのこと、世界中どこに行っても郵便局はこうした便宜を図ってくれていた。現在もそれは変わらないだろう。だいぶ前に、「POSTE RESTANTE 局留郵便(1)」と題して書いたことがある。

さすがに今の時代には、局留で手紙を送ることはないが、荷物の受け取りなどで利用する人はかなりあることと思う。

そんな時代、G.P.O入口の階段では、家族や友人から受け取った手紙の文面を嬉しそうに見つめている旅行者たちの姿があり、持参した絵葉書を手に、その場で返事をしたためていたり、郵便窓口でエアログラムを購入して返信を書き始めたりする者の姿をよく目にした。

今の旅行者たちの場合は、ポケットの中のスマホに、両親からメールや友達のFBでの動向がリアルタイムに入ったり、自らも彼らに頻繁に発信したりしているのだが、当時のこうしたシーンでは、メッセージの往復に最低で数週間、多くは数カ月くらいかかっていた。

そもそも局留で手紙を受け取るには、「次には××に行くから手紙をくれ」というように、今後確実に向かうであろう都市のG.P.O(自分がそこを立ち去った後に手紙が到着しないよう、多めに時間の余裕を見込んで)を伝えておかなくてはならなかったので、こうした便りを受け取る際の感激はひとしおであった。

コールカーターの大時代的な建物の郵便局は、ふとそんなことを想起させてくれる。これが開業した当時の郵便事情はどんな具合であったのだろうと思いを馳せたりもするが、こうした郵便や通信の変遷の歴史をつぶさに見つめてきたのが、この歴史的な郵便局である。

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近ごろのロイヤル・エンフィールド

現存するモーターサイクルのブランドとしては世界最古で、発祥の地イギリスでの生産が終わってからも、インドで製造が続けられているロイヤル・エンフィールド

クラシックなブリティッシュバイクということで、欧州などからインドを訪れてバイクによるツーリングを楽しむ人たちの間で昔から人気が高く、そうしたモデルを新車・中古車等で購入してインドを駆け巡る旅行者もあれば、このバイクでのツーリングを売りにするツアー企画会社もある。

そうしたクラシックバイクが今なお生産されているいっぽう、近年は若者ウケするモデルも次々に世に送り出しており、かつての「オジサンのバイク」のイメージを一新し、以前とは違った境地に踏み出している現状だ。

「ロイヤル・エンフィールド」の名前を冠したグッズの販売店もあり、これまたなかなか好評のようだ。

ミリタリー使用のロイヤル・エンフィールド

これまたカッコいい。

オーソドックスなモデルはこんな感じ。

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Marble Palace

Rabindra Bharati Museumから徒歩圏にあるMarble Palaceも訪れてみた。Palaceと呼ばれているが、貴人の宮殿ではなく19世紀の豪商の館。興味深い欧州趣味の建物と所蔵品の数々なのだが、ゲートにいるチョーキーダールも中で警備している者たちも、本来無料であるはずのところが、どこぞで許可を取らないと入れないと、いったん追い返すフリをしつつも、「でも見たければ・・・」と、訪問者たちから50Rsなり100Rsなりといった金額を取って見せている。こんなことをするくらいなら、ちゃんとチケットを売って見せればいいのにと思う。ちなみに、見学前日前に西ベンガル州観光局から許可証を取得すれば、無料で見学できるらしい。かといって、ここが政府所有となっているわけではなく、今も当時建てた人物の子孫の私有財産。外観よりも中のほうがはるかに良かったのだが、あいにく館内は撮影禁止。

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Rabindra Bharati Museum

市内中心地にあるRabindra Barati Museumを訪れた。Rabindra Bharati Universityの付属施設で、この大学のすぐ隣にある。

カルカッタやその近郊には見事なラージバーリー(領主の館)があるが、こうしたかつての大土地所有者(ザミーンダール)のラージバーリーないしはタークルバーリーの大半は、もう顧みられることなく荒れ放題であったり、中を細分化して賃貸に出していたりする。
博物館内ではタゴールの詩以外にも絵画その他の創作活動、日本や中国との親交や欧米の知識人たちとの往来等に関する展示もあり、見応えがあった。

それぞれの生年・没年を記した家系図の大きなパネルもあった。一族の中では、幼くして亡くなったり、30代、40代で早世してしまった人が多いことに気が付くが、タゴール家が短命なわけではなく、そういう時代だったのだろう。

ちなみに19世紀までは、英国から渡ってきた人たちの平均寿命がわずか7〜8年だかなんだか(数字はうろ覚えなので誤りがあるかもしれない)と書かれたものを目にした記憶がある。まだ病理学が充分に発達する前で、はるばる英国から渡ってきた人たちは、往々にして赤痢、マラリア、コレラなどに倒れたらしい。

カルカッタのサウスパークストリート墓地(植民地期の英国人墓地)の墓標を眺めてみると、最高裁判所の裁判官、行政官といった支配層の人たちが、30代後半や40歳を少し越えたあたりでなくなっていたり、高級官僚一家が半月ほどで、次々に亡くなっていたりすることがわかったりする。後者は明らかに何かしらの伝染病によるものだろう。

植民地支配層の英国人の墓石には、出生地、生前の肩書、没した年月日などが記されていることが多く、死の背景をある程度推測することが可能な場合もある。英国から渡ってきた特権階級の富裕層でさえこうした具合なのだから、インドの庶民の場合はどんな風だったのだろうか。

そんなわけで、なかなか往時さながらの姿を目にする機会はなかったりするのだが、ここはそうした生まれ育ちの詩聖ラビンドラナート・タゴールを記念する博物館として公開されており、展示物もさることながら、見事な屋敷を堪能出来るのもありがたい。

言うまでもなく、ラビンドラナートは、アジア人で最初のノーベル賞受賞者だが、詩だけではなく、絵画や音楽等々、多岐に渡る才能を発揮した人物だが、シャンティニケタンにあるヴィシュワバーラティー大学を創設したことでも広く知られる。

現在の西ベンガル州だけではなくバングラデシュでも土地を初有していたため、タゴール家ゆかりの館は国境の両側を跨いでいくつもある。この屋敷以外にも、実は旅行者ゾーンのサダルストリートにもタゴール家の屋敷が存在していたことがある。ラビンドラナートがそこに起居して詩作にいそしんだ時期があったそうだ。もう今は残っていないが、10, Sudder Streetがその場所。現在は安宿、旅行代理店、両替屋が入る汚い建物がある。

ラビンドラナート・タゴールの詩は、ギクシャクした訳文で読んだことはあるが、その良さはよくわからなかった。原語のベンガル語が判れば、きっとその素晴らしさが堪能出来るのだろうと思う。

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