オートでムルシダーバードへ出発!

ベルハムプルは、ローマ字ではBerhamporeと綴る。ベンガルやオリッサなど、インド東部の地名には、このBerhampore(ベルハムプル)、Jeypore(ジャイプル)などのように、表記を現地化せず英領期からそのままのもの、そしてFraserganj(フレイザーガンジ)、English Bazar(イングリッシュバーザール)などのように、なぜか改名されることなくそのまま使われている地名がけっこうある。

朝食を済ませてすぐにチェックアウト。もうここには戻らないため荷物すべてを背負ってムルシダーバード見学に出かける。やはり旅行荷物は極力軽くするに限る。

ベベラームプルでは、流しのオートがけっこうあり、ほぼ決まったルートで乗り合いの形で走っているのだが、誰も乗客がいないオートの運転手に「6時間程度かけて、どこそこをこういう具合に回りたい」と話すと、運転手たちはいずれも料金を吹っかけるでもなく、「お断りします」と言うのには困った。高いことを言われるのではなく、断られ続けるとは想定していなかったので、ちょっと驚いた。

沿道でクルマの部品屋を営む人が「何かお困りか?」と声をかけてきてくれたので、電話でオートの運転手を呼び出してくれた。しばらくしてから若い運転手がやってきたが、この人もチャーターについては、しばらく渋っていた。ずいぶん欲のない運転手たちだ。

※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

ベヘラームプル到着

ベヘラームプル駅到着は午後7時50分くらい。駅舎を出るところでホテルに電話をかけるつもりだった。迎えの人を寄越すと聞いていたからだ。

実は予約サイトでブッキングすると、直後にこのホテルのレセプションから電話がかかってきて驚いたのだが、その後質問したいことがありSNSでこのホテルのページを探してコンタクトするとすぐに回答が届くとともに「駅へ迎えを寄越す」という連絡。

駅出口はかなり人々でワサワサしていて、とても見つけようがないのではないかと思ったが、こちらがスマホからコンタクトしようとしているまさにそのときに迎えの人が現れた。その男性は私のほうへ真っすぐ歩いてきて「お待たせしました」などと言うので、最初は何か怪しい奴かと思ったりしたのだが、スマホに私の写真を持っていた。やはりSNSかコピーしたのだろう。もっとも駅出口で東アジア系の顔をした人は私だけだったので、写真がなくてもそうと見当を付けて声をかけてきたことだろう。

エアコン付きのホテルの名前が入ったクルマだったので、日ごろからお客のピックアップサービスを実施しているようだ。たいへん繁盛している宿らしく、しじゅう人々が出入りしている。やはりこうした営業努力の成果なのだろう。

予約サイト経由ではなく、直接電話で予約したほうがかなり安いことがわかったが、特に良い宿だと思うので、ウェブサイトを以下に記しておく。

HOTEL SAMRAT

※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

ラール・チャー

西ベンガル州内で鉄道車内によく売りに来るラール・チャー(文字通り紅茶)。ジンジャーティーである場合が多いが、汗を思わせるような匂いのマサーラーを入れたものもある。その場合、生姜は使用されない。いずれも美味で、ときにはチャーイでなく、こういうお茶も良いと思う。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

コールカーター駅

ハウラー駅、スィアルダー駅に並ぶ第3の鉄道ターミナル、コールカーター駅(旧チトプル駅)は、もともと貨物用の鉄道施設だったが、今世紀に入ってから旅客ターミナルとして整備されたため駅全体が新しく、ムードはまったくない。

ベルガチア(Belgachia)地区南側にあり市内中心部に近いのに周囲は広大な空き地となっており、よくもまあこんなスペースが残っていたものだと感心する。やはり鉄道施設周囲にはかなりゆとりを持って用地を確保してあることが多い。

出発まで1時間近くあるが、本日利用の列車が入線してきた。AC車両は1両のみ。予約取ってあるので、涼んで行ける。

バスはただの移動手段だが、鉄道は乗ること自体が体感するエンターテイメントでもある。英国では鉄道趣味は紳士的な趣味という認識が行き渡っているように聞く(聞き違いかもしれないし、英国の鉄道オタクが勝手に紳士を名乗っているのかもしれない)が、日本ではかなり異なる理解がされているように思う。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

コールカーターの通りの名前

ベトナムを訪問した際、とうの昔に「ホーチミン市」と改名したにも関わらず、誰もが「サイゴン」と呼び、文字でもそう書かれていた。ベトナムの独立の父として尊敬されている「ホーチミン」だが、政府がそれを市の名前にしようとしても、公式文書以外ではなかなか定着しないのだ。

同様のことがインドでもある。ストリートの名前、地名が政府によって改称されても、それが本当に市民の間で定着するかどうかは別の話。

たとえばコールカーターを例に挙げてみても、今でも英語で言及する際には「カルカッタ」と呼ぶ人は少なくないが、混乱するのはストリートの名前だ。

コールカーターでは、ストリートの名前は同じ通りについてふたつあることが多いと思って良いだろう。なぜならば英国人に因んで付けられた名前はインドの偉人の名前に置き換えられて現地化が図られているし、そうでない場合でも変更されていることが多い。

訪問者にとって面倒なのは、政府関係機関が印刷した地図(観光局でくれる地図を含む)に記されたストリートの名前がまったく世の中に浸透しておらず、植民地時代の名前で広く知られていることが多いことだ。また新聞等メディアや出版社から出た刊行物でさえも市民が普段使っている通称(=植民地時代の名称)で記すことが多いからだ。

代表的な通りの名前でもChowringhee StreetをJawaharlal Nehru Roadなどと言ったら、「ん?」という顔をされるし、Park StreetのことをMother Teresa Saraniと言えば、一瞬間をおいて「もしかしてPark Streetのことかね」と言われるかもしれない。あるいは理解してくれない人もいるだろう。

「Ballygunge Road」をタクシー運転手にAshutosh Chowdhury Avenueと告げたら、彼は「どこだそりゃ?」となるだろう。サダルストリート界隈ではFree School StreetをMirza Galib Streetと呼べば、首をかしげて「Free Shool Streetと言う」と訂正されるだろう。KYD STREETに至ってはDr. M. Ishaque Steetなんて呼んだら完全にアウトだ。おそらく誰も理解してくれない。政府が勝手に変えた名称ではなく、「元々こういう名前なのだ」として人々が知っている名前が堂々とまかり通るのだ。これは企業や商店などの所在地の表記においても同様で、普段市民の皆さんがなれ親しんでいるほうの表記で書いてある。

そんな状況なので、政府の命名による不人気なほうの名称はいつまでたっても浸透しない。

政府関係の機関ならば、政府の命名したもので表記しているかと言えば、そうではないのは、たとえば地下鉄の駅出口の表記を見ればわかるだろう。「なんとかストリートはこちら」というような案内版は市民の間で通用しているほうで表記されている。そうでないと表示する意味がないからであろう。もちろん駅名も同様で、先述の「Park Street」の名前の付いたメトロの駅がある。コールカーターでは政府による改名を拒絶するかのように、古い名前が多く現役として使われているのだが、インド全土でそうというわけではなく、むしろ改名されたら、そちらのほうが次第に優勢となるケースが多いだろう。

だが不思議なのは、市民が「何が何でも昔ながらの名称」にこだわっているわけではなく、新しい名称のほうが通りが良いものもある。例えばBBD Bagh (旧称Dalhousie Squair) やChittaranjan Avenue (旧称Central Avenue)のような例もあるからだ。

旧名が英国の特定の人物の名前が冠されている場合、対抗するようにインドの偉人、とりわけ地域ゆかりの人物の名前を付ける場合が多いが、デリーのQueens WayがJan Path(人民路)となったように、独立後の民主主義インドを象徴するような改名もあった。

傑作はベトナム戦争時期に、当時ソビエトブロックにいたインドが示した北ベトナムへの連帯感だろう。コールカーターでは、アメリカ領事館が位置するHarrington StreetをHo Chi Minh Saraniに変更して、アメリカを激怒させた。当然、アメリカは強硬に抗議したようだが、「偶然による一致である」と涼しい顔であったと聞く。