クラーンティ(革命)!

 かつては地域によりブロードゲージ、メーターゲージ、ナローゲージと軌道の幅が異なる路線が混在していたインド国鉄だが、着々と進められてきたゲージ幅の統一(ブロードゲージ化)が進んだことにより、ずいぶん使い勝手がよくなったと思う。昔はいちいち乗り換える必要があったルートでも、今では直通列車が走るようになってきている。たとえばデリー発ジャイサルメール行きの急行などもその一例だ。
 近年着々と進化を遂げているインド国鉄。2002年から新しい特別急行路線を導入している。それは長距離を走るサンパルク・クラーンティと短い距離をカバーするジャン・シャターブディーだ。サンパルク(接続、連絡)のクラーンティ(革命、前進)とは、なんとも大げさなネーミングだが、日本の新幹線やフランスのTGVのような超特急が導入されたわけではもちろんない。
 従来から少ない停車駅とスムースな走行で国内各地を結んできた長距離特別急行ラージダーニーや短距離のシャターブディーのルートと一部重なる部分があるのだが、これらとは少々性格が異なるようである。新しい特別急行にはエアコン無しの二等車も連結しており、鉄道による高速移動の大衆化がはかられている。
 またこの新しい特別急行の路線の一部には、以前メーターゲージ区間であった部分も含まれているようで、前述のブロードゲージ化を進めてきた恩恵のひとつともいえるだろう。

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ラージャスターンからスィンドへ

 インド・パキスタン両政府が、ラージャスターン州のムナーバーウ駅からスィンド州のコークラーパール間の列車運行を再開することで合意した。
 もともとはインドのジョードプルからバールメールを経て越境、パキスタンに入ってからはミールプル・カースを経てハイデラーバードへと続いていたこの砂漠越えルートは、英領時代の地図を開けば明らかなとおり、かつては首都デリーと貿易港カラチを結ぶ幹線ルートの一部であった。
 ちなみに現在ラージャスターン州とスィンド州を分けるインド・パキスタン国境は、植民地時代にはいくつもの藩王国による自治領ラージプータナと植民地政府が直接支配するボンベイ管区北西部との境界でもあった。イギリスからの分離独立後も1965年までこの路線が存続していたものの、両国間の関係悪化により廃線となっている。
 突如注目を浴びることになったムナーバーウ駅だが、現在ここへはバールメール駅から鈍行列車が毎日一往復するのみだ。
 カシミールからグジャラートまで、ずいぶん長い国境線を共有していながら、今のところ陸路ではパンジャーブ州のアタリー・ワガー国境しか開いていないことを思えば、新たにこのルートが開かれることの意味は大きい。
 ただこの鉄道再開が話題になったのはこれが初めてではない。80年代後半もまさにこの路線についての検討が進められていたようだが、やはり浮き沈みの多い両国関係の中で立ち消えになったという経緯があるのだから今回もどうなるかわからない。

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コロニアル鉄道

 イギリス時代の面影を残すクラシックな鉄道は、ダージリンやシムラーのトイトレインくらいかと思ったら、マハーラーシュトラにもあった。綿花を栽培する地方のルートであるムルティジャープルからヤヴァタマール間を毎日一往復するシャクンタラ・エクスプレスがそれだ。
 どんなものかと簡略版時刻表「TRAINS AT A GLANCE」をめくってみたが、「エクスプレス」なのに出ていない。小さな支線や各駅停車まで詳しく記載されている「INDIAN BRADSHAW」を開いてみると、全行程112キロ(下記リンク先の記事中には189キロとあるが)の狭軌を走る二等客車のみの鈍行列車であることがわかった。
 インドの鉄道草創期には「藩有」も含めた私鉄路線は少なくなかったが、ここは現在もなお民間の所有であるだけではなく、オーナーは植民地時代から引き続いてイギリスの会社だというのは驚きだ。実際の運行はインド国鉄が請け負っている。
 1994年にディーゼル機関車と交代するまでの1923年から70年ほどの間、マンチェスター製の蒸気機関車が列車を引っ張っていたのだという。
 特に鉄道に興味があるわけではないが、建物や街並み同様、英領時代の面影を今に伝えるものに大いに関心がある。近々廃線となる可能性もあるらしいので、今のうちにぜひ利用してみたい。
 コロニアル風といえば、インド国鉄そのものがそうした雰囲気に満ちていると言えなくもない。今でも各地の主要駅で、英領時代に建てられた立派な駅舎が利用されているが、客車もエアコンクラス導入以前からある従来型ものは、我々の目から見るとデリーの鉄道博物館に保存されている大昔のものと、車内の基本的な造りはあまり変わらないように見える。
 だがどこもかしこも着実に近代化が進む中、インドの鉄道も急速にアップデートされているため、そうした面影を感じることのできる時間はそう長く残されていないようだ。
A railway ride into history (BBC NEWS)

アップグレードされる「駅」

 この数年でインドの街の姿はどんどん変化していったが、駅というものはなかなか変わらない。蒸気機関車が姿を消したこと、禁煙になりタバコ売りがいなくなったことを除けば、駅構内には数十年来の風景がそのまま保存されているようにも見える。
 駅は立派な外観に比べ中身が貧弱だ。客車はいくつものクラス分けがなされているのに、下町の小さなダーバー並みの衛生度とメニューしかない食堂、陰気な待合室にはクラス別や女性専用室があっても、結局どの乗客にも同じ程度のアメニティしか準備されていない。
 社会全体が貧しかった頃と違い、今ではアメリカのそれに匹敵する規模の「中産階級」を抱える国である。そうした購買力豊かな人びともまたインド国鉄を利用して移動しているのだ。
 少々高くても清潔でおいしいレストラン、有料でも小ぎれいで快適な待合室ができたら流行るだろうと常々思っていたが、少なくとも前者については今後改善されていくようだ。
 バンガロール・シティ駅構内にはまさにそんなカフェテリアができている。全国チェーンのカフェみたいに小ざっぱりしており、インド料理や洋食の各種スナック等に加え、ちょっとした食事もできるようになっている。ラージダーニーやシャターブディーといった特別急行車内のケータリングサービス同様、民間委託による事業らしい。
 日々多くの人びとが乗り降りする主要駅では、今後そうしたビジネスチャンスが開拓され、インドの鉄道旅行のクオリティも着実に向上していくことになるのだろう。

素焼きのチャーイカップ

 一昔前のインド旅行記を読むと「鉄道では素焼きのカップにチャーイが注がれ…」なんていうくだりが、でてきたりする。こうした器は使用後、そのまま放り投げて、文字通り土に還る。なかなか哲学的だったが、今では軽くて扱いやすいプラスチックの使い捨てカップの普及もあって、ほとんど見かけなくなってきた。
 だが、ラールー・プラサード・ヤーダブ鉄道大臣の肝いりで、素焼きチャーイカップ「クルハル」が再び日の目を見ようとしている。
 鉄道車内のベッドシーツ、毛布、カーテン等も、それまで納入させていたリライアンス社をやめて、カーディー(伝統的な荒い手織り綿布)の採用を検討中。今後ずいぶん趣のあるアメニティが利用されることになりそうだ。
 ラールー大臣は、今年五月に初めて中央政府内閣入りしてからは、所管の鉄道省に定時に出勤してこない役人を締め出し、「今後、遅刻常習犯に対して厳罰で臨む」とハッパをかけて、意外な(?)辣腕ぶりを見せる話題の人だ。
 ビハール州出身。元同州首相にして現職のラーブリー女史の夫。後進階級のヒーローとして一部では人気だが、汚職や出所不明の財産といったスキャンダルも絶えず、公私ともにメディアに取り沙汰されることが多い政治家でもある。
 もちろん利権が絡んでくることなので、公に喧伝されている環境問題や農村部の活性化などといった建前の背後には政治的要素と打算がチラついている。策士ラールー氏自身ならではの目論見があるのだろう。「果たして全国規模でちゃんと供給できるのか?」という疑問も出ているようだ。実現したとしても、ひとたび鉄道大臣が交代すれば元の木阿弥という「朝令暮改」的なものなるのかも?
 どうやら素焼きのチャーイカップの復活劇は、風情やロマンをあまり感じさせるものではないようである。
▼ラールー鉄道相とチャーイのカップ
http://timesofindia.indiatimes.com/articleshow/823496.cms