アップグレードされる「駅」

 この数年でインドの街の姿はどんどん変化していったが、駅というものはなかなか変わらない。蒸気機関車が姿を消したこと、禁煙になりタバコ売りがいなくなったことを除けば、駅構内には数十年来の風景がそのまま保存されているようにも見える。
 駅は立派な外観に比べ中身が貧弱だ。客車はいくつものクラス分けがなされているのに、下町の小さなダーバー並みの衛生度とメニューしかない食堂、陰気な待合室にはクラス別や女性専用室があっても、結局どの乗客にも同じ程度のアメニティしか準備されていない。
 社会全体が貧しかった頃と違い、今ではアメリカのそれに匹敵する規模の「中産階級」を抱える国である。そうした購買力豊かな人びともまたインド国鉄を利用して移動しているのだ。
 少々高くても清潔でおいしいレストラン、有料でも小ぎれいで快適な待合室ができたら流行るだろうと常々思っていたが、少なくとも前者については今後改善されていくようだ。
 バンガロール・シティ駅構内にはまさにそんなカフェテリアができている。全国チェーンのカフェみたいに小ざっぱりしており、インド料理や洋食の各種スナック等に加え、ちょっとした食事もできるようになっている。ラージダーニーやシャターブディーといった特別急行車内のケータリングサービス同様、民間委託による事業らしい。
 日々多くの人びとが乗り降りする主要駅では、今後そうしたビジネスチャンスが開拓され、インドの鉄道旅行のクオリティも着実に向上していくことになるのだろう。

素焼きのチャーイカップ

 一昔前のインド旅行記を読むと「鉄道では素焼きのカップにチャーイが注がれ…」なんていうくだりが、でてきたりする。こうした器は使用後、そのまま放り投げて、文字通り土に還る。なかなか哲学的だったが、今では軽くて扱いやすいプラスチックの使い捨てカップの普及もあって、ほとんど見かけなくなってきた。
 だが、ラールー・プラサード・ヤーダブ鉄道大臣の肝いりで、素焼きチャーイカップ「クルハル」が再び日の目を見ようとしている。
 鉄道車内のベッドシーツ、毛布、カーテン等も、それまで納入させていたリライアンス社をやめて、カーディー(伝統的な荒い手織り綿布)の採用を検討中。今後ずいぶん趣のあるアメニティが利用されることになりそうだ。
 ラールー大臣は、今年五月に初めて中央政府内閣入りしてからは、所管の鉄道省に定時に出勤してこない役人を締め出し、「今後、遅刻常習犯に対して厳罰で臨む」とハッパをかけて、意外な(?)辣腕ぶりを見せる話題の人だ。
 ビハール州出身。元同州首相にして現職のラーブリー女史の夫。後進階級のヒーローとして一部では人気だが、汚職や出所不明の財産といったスキャンダルも絶えず、公私ともにメディアに取り沙汰されることが多い政治家でもある。
 もちろん利権が絡んでくることなので、公に喧伝されている環境問題や農村部の活性化などといった建前の背後には政治的要素と打算がチラついている。策士ラールー氏自身ならではの目論見があるのだろう。「果たして全国規模でちゃんと供給できるのか?」という疑問も出ているようだ。実現したとしても、ひとたび鉄道大臣が交代すれば元の木阿弥という「朝令暮改」的なものなるのかも?
 どうやら素焼きのチャーイカップの復活劇は、風情やロマンをあまり感じさせるものではないようである。
▼ラールー鉄道相とチャーイのカップ
http://timesofindia.indiatimes.com/articleshow/823496.cms

列車の中からインターネット

列車の中からインターネット
 
 かねてより話題になっていたインド国鉄のインターネット列車がついに実現。まずは6月末から、デリー・アムリトサル間、デリー・ボパール間路線のアッパークラス車両内でサービスを開始するとのことだ。 
 ここ数年、インドの通信環境の急発展には目を見張るばかりだ。国内の都市どこへいっても、インターネットにアクセスするのに不自由を感じることは無くなりつつある。ネットカフェ普及の背景には人びとの購買力不足がある。自前のPCや携帯電話を使ってインターネットに自由にアクセスできる人は、インドの膨大な人口を思えば、ほんの一部にすぎないことは間違いない。 
 たとえ携帯電話の普及率がウナギ昇りでも、いまだ街角には電話屋の姿がある。「仕事の必需品だからね」とタクシー運転手たちが携帯を持つことさえ珍しくない。しかし、それはあくまでも都市部に限ってのことだ。
 日本の場合、ケータイの普及とともに、街角の公衆電話はその存在意義を危うくし、次第に撤去されていった。昔は台風や事故で電車が止まると、公衆電話の前に人びとが長蛇の列を作ったが、そんなもの今では過去の記憶の中の風景となってしまった。
 インドでは携帯の普及が、そのまま電話屋存続の危機につながっているわけではないようだ。高価な機器、割高な通話料金を負担できる消費者はごく一部にすぎず、大多数の人たちはいままでのように電話屋を利用するしかない。
 もともと自宅に固定電話を持つ経済力さえなかった層の人びとが、携帯電話という金食い虫に飛びつくとは考えにくい。現在、携帯電話を利用している人たちの多くは、以前から形は違えど、様ざまな消費生活を楽しんできた層である。 
 そう考えてみると、インドにおいてハイテクの象徴にも見えるネットカフェの普及や列車内のインターネット接続は、まだまだ多くの人びとが自前で通信端末を持てない不便さの裏返しではないかとも思えてくる。
 PCの購入やインターネット接続にかかる費用は、先進国でも途上国でも、他の生活物価ほどの大きな差はないという。つまり、後者の負担はより割高であるということ。先進国とそれ以外の国、また途上国の社会で暮らす人びとの間に立ちふさがるデジタル・デバイドは、まさしく大きな壁なのだ。 
無線ホットスポットで快適 列車でネット (BBC)

天国か地獄か、インド列車のしくみ(2)

Photo by Mamoru Miura / www.shumpu.com
 はたして客車料金の違いは、そのクオリティに見合ったものだろうか?例えば急行列車で1000キロ移動した場合の運賃は、以下のとおりである。
●二等座席…………188Rs
●二等寝台…………301Rs
●AC座席…………657Rs
●AC三段寝台…………845Rs
●一等…………986Rs
●AC二段寝台…………1,352Rs
●AC一等…………2,628Rs
 同じ列車に乗っても(通常、ひとつの列車に全クラスが連結されているとは限らないが)最上クラスに乗るには、最下クラスのなんと14倍もの運賃を支払わなくてならない。
 さらに、この同距離をラージダーニー急行のAC一等で行こうとすると、3150ルピーもかかってしまう。これは国内線の飛行機運賃並みである。その一方、1000キロという距離を急行ではなく、運賃の安い鈍行列車を乗り継いで行くと、たったの103ルピーで済んでしまうから驚きだ。このふたつの運賃を比較すると、その差は30倍以上になる。

続きを読む 天国か地獄か、インド列車のしくみ(2)

天国か地獄か、インド列車のしくみ(1)

Photo By Mamoru Miura / www.shumpu.com
 駅に着いたが出発まで時間がある。新聞を買って待合室で読むことにした。採光の悪い室内は陰気だが、腰を下ろせるベンチや体を伸ばせる長椅子などが置かれている。トイレとシャワーだってあるからそれなりに便利だ。古い駅ともなると、天井から大きな金具が突き出ている。まだ電気が通じていなかった時代、専属の使用人がここから吊るした板状のファンを動かしたのだろう。
 列車と同様、待合室もセカンドクラス(二等)とアッパークラス(一等やACクラス)が別室になっている。にもかかわらず、室内の様子は変わらないことが多い。アッパークラス用であっても特に快適なわけではないし、下のクラスと比べて清潔でもない。利用者の客層を分けること自体に意義があるのだ。
 「貧富の差が大きい」ということは、人びとの経済的な立場が違うということにとどまらない。教育水準、価値観や立ち居振る舞いだってずいぶん違ってくる。カーストとは異なる次元で人びとを律する生活水準の差。だれもかれも同じように扱うことは、少なくともいまのインドでは現実的ではない。
 列車内と待合室に共通点があるすれば、「上のクラスほど乗客の人口密度が低くなる」ということだろう。列車の客室では、高級なクラスほど客一人あたりのスペースが広い。暑さ寒さの厳しい折には、ACのありがたさが身にしみる。夜行では寝具が提供される。ラージダーニーやシャターブディーなど特別急行では食事や飲み物のサービスという嬉しい+αもある。

続きを読む 天国か地獄か、インド列車のしくみ(1)