天国か地獄か、インド列車のしくみ(1)

Photo By Mamoru Miura / www.shumpu.com
 駅に着いたが出発まで時間がある。新聞を買って待合室で読むことにした。採光の悪い室内は陰気だが、腰を下ろせるベンチや体を伸ばせる長椅子などが置かれている。トイレとシャワーだってあるからそれなりに便利だ。古い駅ともなると、天井から大きな金具が突き出ている。まだ電気が通じていなかった時代、専属の使用人がここから吊るした板状のファンを動かしたのだろう。
 列車と同様、待合室もセカンドクラス(二等)とアッパークラス(一等やACクラス)が別室になっている。にもかかわらず、室内の様子は変わらないことが多い。アッパークラス用であっても特に快適なわけではないし、下のクラスと比べて清潔でもない。利用者の客層を分けること自体に意義があるのだ。
 「貧富の差が大きい」ということは、人びとの経済的な立場が違うということにとどまらない。教育水準、価値観や立ち居振る舞いだってずいぶん違ってくる。カーストとは異なる次元で人びとを律する生活水準の差。だれもかれも同じように扱うことは、少なくともいまのインドでは現実的ではない。
 列車内と待合室に共通点があるすれば、「上のクラスほど乗客の人口密度が低くなる」ということだろう。列車の客室では、高級なクラスほど客一人あたりのスペースが広い。暑さ寒さの厳しい折には、ACのありがたさが身にしみる。夜行では寝具が提供される。ラージダーニーやシャターブディーなど特別急行では食事や飲み物のサービスという嬉しい+αもある。


ニザムディーン・エクスプレスのご飯 / Photo By Tamon Yahagi
 一方、予約無しの飛び入りもどんどん乗ってくるのが二等車。混雑する時期ともなれば、まさにこの世の地獄としか思えない状況になる。
 三人用座席にみっちり七人座り、上の荷台には乗客たちがスズメのように肩を並べて見下ろしていている。東京の通勤電車さながら押し合いへし合い、通路をかきわけ、ようやく自分の座席にたどりついてみると、本来私が座るべきスペースに陣取っている男たちがいる。
 そのなかの一人が隙間を空けて「まぁ、座れや」とアゴをしゃくって私を促す。「座れや」といっても、空けられたのはハガキ一枚ほどのスペース。ここで負けてはいけない。尻を強引に「グイグイ」突っ込むときの頑張りが、その後、私の支配スペースにつながる。まさに個々の力量が試される瞬間なのだ。
 停車駅から出発する直前、狭い通路を人々が怒鳴りあいながら行き来する。旅行者にとって、この時間帯は要注意。ほんの一瞬の目を離したスキに荷物を持ち去られてしまったという話はよく耳にする。私自身も「どうも怪しい」と思いつつも、ひどい混雑の中で身動きとれないうちに、カバンをザックリ切られてしまった経験がある。
 もちろん、いつもトラブルばかりじゃない。二等車には二等車の良さがある。沿線の商売人、ときには大道芸人までもが入れ替わり立ちかわり入ってくる車内は活気に満ちている。乗客たちは、自分の座る場所を確保さえすれば、話し好き世話好きで憎めない人たちばかり。楽しい会話や出会いに満ちた鉄道の旅を満喫できる。(…とは言え、やはり防犯のため気をつけることが多いのはご存知のとおり)
 目的地に着くまで同じ時間を過ごしていても、クラスによって疲労の度合いがずいぶん違ってくるものだ。
<つづく>

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