鉄道駅の有料待合室

有料待合室内

近年のインドの主要駅では、従前の待合室以外にホテル運営会社などが委託を受けて切り盛りする有料待合室も用意されていることが多い。こうしたものが導入される前も上級クラスの乗客用とそれ以外の乗客用で分かれていたのと同じように、上のクラスを利用する乗客たちが阿鼻叫喚の環境を避けようとする、いわば選別・差別化の意味合いが強い。

選別・差別化というと、何かネガティブな印象を与えるかもしれないが、90年代以降のインドのおいては、まさにこの選別/差別化が広範囲に可能となったことから旅行をはじめとするレジャー産業が急成長することとなった。

例えば宿ひとつとってもお金さえ払えば快適かつ清潔で、ミドルクラスの人たちが家族を同伴しても安心できる宿泊施設は、ちょっとマイナーなところになると、とても少なかったし、移動手段としても長距離を安全かつ快適に移動できる自家用車の普及はまだ先の話だった。道路にしてみても、狭かった国道でトラックやバスなどがチキンレースを展開している状態で、あまり家族で遠出をしようという気にはなりにくかった。

1980年代、「一億総中流」などと言われた日本で、幸か不幸か、一家の稼ぎ手がインド転勤となり何年間か過ごすことになったとしても、たまの長期休暇で一時帰国するとか、シンガポールやバンコクに保養に行くことはあっても、インド国内をせっせと旅行する気にはなれなかったのと同じだ。

90年代に入るとインド人による自国内での旅行がブームとなり、その後マーケットは急拡大を続けて現在の状態となった。1990年代に入るあたりまでは、インド各地の観光地等で目立つのは外国人であって、インド人観光客というのはわずかなものであった。それが今では各地の観光客の主体はインド人であって、外国人はその中に細々と存在するに過ぎない。外国人訪問客が減ったわけではなく、インドの人々がこぞって旅行するようになったからだ。

その背景には宿泊施設が広範囲で多様化していき、それまではあまり脚光を浴びなかった小さな観光地にも利用しやすく安心なホテルが増えるとともに、インドのマーケットに多数乗り込んできた外国の自動車メーカーによる様々なモデルが選択できるようになった。次第に道路事情も改善していき、人々が家族や仲間を連れて休暇時期に各地を訪問してみたくなる環境が揃ってきたのだ。

こうした有料待合室もそうしたインフラ的なもののひとつ。本日利用してみた待合室はあんまりパッとしないが、他ではちょっとしたホテルのロビーみたいになっているところもある。利用料金は1時間あたり30Rs。

たとえば午前3時半に到着して、そのまま夜明かししたいような場合、深いソファでしばらくグ〜ッとひと寝入りするのもいいかもしれないし、深夜あたりに出発する列車を利用するのだが、それまで身の置き場がないということでも、夕方以降、こんなところで仮眠しながら時間まで待つのもいいかもしれない。

赤い格子

こちらはアレッピー・ダンバード・エクスプレス。AC車両も連結しているが、南インド地域を走る間は冷房を効かせて、北インドに入ると暖房を入れるのだろう。真夏みたいに暑いケーララ州から東京の冬みたいに寒いジャールカンド州へ向かうこの列車である。

この列車にはミティラー画風のかわいい絵をほどこした車両(この列車はビハール州のミティラー地方を経由しないが・・・)やパントリーカーも連結している。すぐに降りる私はセカンド・スリーパー車両に乗っている。窓に色ガラスが入っているAC車両ではよく見えない景色と感じることのできない風と匂いがうれしい。

窓左側の赤い格子は、2001年にグジャラート州で起きたゴードラー事件を受けて導入されたもの。事件では複数の車両に放火がなされるとともに、車両前後の出入口が武装した犯人たちに塞がれたため、鉄格子のはまった窓から人々は脱出することが出来ず、多数が亡くなった。その反省から車両の複数の窓に、内側から外すことのできる格子を導入した次第。

事件はアヨーディヤーへの巡礼帰りのヒンドゥーの人たちの集団を、グジャラート州現地のガーンチーというコミュニティに属するムスリムたちが襲撃したとされるもの。これをきっかけにグジャラート州ほぼ全域を巻きこむ未曾有の規模のアンチムスリムの大暴動が発生した。

当時のグジャラート州は、同州のチーフミニスターとして第1期目をスタートして間もなかったナレーンドラ・モーディー政権下であった。

レザベーション・チャート

インドの鉄道駅での19世紀的な眺め。

Reservation Chart。今はウェイティングリストやRAC(Reservation against cancelltion)もネットでPNRを入れればステイタスがわかるのに、まだこうしたものが駅や客車の扉に貼りだされる。

インドの鉄道草創期から発車前に張り出されるもので、英国でもおそらく戦後しばらくまではこのようにしていたのではなかろうか。そしてインドではいつまで続けるのだろうか。

カヤンクラム駅へ

 

午前5時起床。準備をして6時過ぎに宿を出る。まだ外は暗いが少し明るくなりつつある。駅まで5分程度だが宿を出てからの暗い坂道で野犬がいなかったのは良かった。
駅でパンとチャーイで軽く食事。州都の駅であり、ここから各地への長距離列車も発着するため、なかなか立派な感じのトリバンドラム・セントラル駅。

トリバンドラム・セントラル駅
駅構内の寺院

始発であるためすでに列車はホームに来ていた。とりあえず乗り込んでしばらく日記を書く。定刻の6:45に出発。Sabari Express乗車。始発なので空いている。スィカンダラーバード行きだが私はずっと手前でケーララ州内のカヤンクラムで下車する。短い時間の昼移動であればSLクラスが良い。窓の外がよく見えること、風を浴びて駅や沿線の匂いが感じられるからだ。

グーグルマップであらかじめ確認してから乗車したが、この地域では鉄道から見えるバックウォーターの眺めも多い。とても美しい眺めだ。どのあたりでバックウォーターのどんな眺めがあるのか予想できて便利。

グーグル・マップでバックウォーターの景色が予想できる。
バックウォーターの眺め

下車駅のカヤンクラムに到着。田舎駅ながらもエスカレーターがあり、しかもちゃんと動いていた。