鉄道車内の検察

昔の鉄道の検札といえば、長い紙を折り畳んだ予約リストを手にした車掌のオジサンが、チケットと手元のリストにチェックを付けていくものだった。とりあえず乗車券のみで乗り込んで席を確保してもらうのにも時間がかかった。

でも今はタブレットで処理するようになっていて、空席状況も一目瞭然。こうなったのはそんなに前のことではなかったはずだけど、インドではある時を境にガラリと変わるものだ。

検察用タブレットを手にした車掌さん

インドで最も遅いクラスのエクスプレス

インドでは客車そのものだけでなく、列車自体にも階級がある。最上位のヴァンデー・バーラトに乗車していると、停車駅での短い時間以外はほぼフルスピードで疾走。路線上に他の列車など存在しないかのような気がする。これに次ぐ最上級列車のラージダーニーやシャターブディーも同様に無駄な時間はほとんどない。

これに次ぐのがデカンクイーン、アムリトサル・メイルその他の「スーパーファスト」と称される快速特急。これらにはACクラスも当然連結されており、上のクラスの客車を予約すれば快適な移動を楽しめる。

プラヤーグラージからチトラクートに行くために利用したローカルな急行は、大半が予約なしのジェネラルコーチ、2両のみ2等寝台。一番格下のエクスプレスのため、途中駅での待ち合わせ停車が頻繁で時間も長い。

おそらく運転士にも階級があって、昇格しないと上のクラスのエクスプレスを運転するのは叶わないのではなかろうか。ヴァンデー・バーラトの運転室は空調付き。短・中距離の運行で夜行運転はない。これと本日の下級エクスプレスを運転する人が同格のはずはない。

それにしても運転士は過酷な職業。運転室にトイレはないので我慢するしかない。当然、水分の摂取も極力控えての乗車だろう。膀胱を悪くする人たちも少なくないだろう。

私のような下痢がちの者には、とても務まらない職務だ。

それにしてもこの日利用の「プラヤーグラージ/ヴィーランガーナー・ラクシュミーバーイー・ジャーンスィー・エクスプレス」はまるで各駅停車みたいだ。プラヤーグラージを出発してから2駅目のイラーダトガンジで1時間停車。上下線ともいくつもの通過車両を見送る、さらには貨物列車までも。単線の支線なので、行き違いのためこんなことになるのだろう。相当優先度の低い「エクスプレス」のようで。

何本もの通過列車を見送る。

本日乗車の列車は他の乗客によると常時数時間遅れる「名ばかりエクスプレス」とのことだが、検察にやってきた車掌さんによると、本来ローカルトレインだったものだが、ジェネラルコーチ以外に寝台車両を2両連結させて「エクスプレス」に改称したとのこと。コロナ後からなのだそうだ。やはり最下級のエクスプレスだ。

バスで移動していれば2時間半もあれば着く(105km)。時刻表ではチトラクートまで4時間弱ということになっているが、このペースだと6時間はかかりそう。

こらちはお客が少ない車内でヒマ過ぎて昼寝を決め込んだスナック売り。天下泰平なり。

バナーラスを出発

ワーラーナスィー・ジャンクション駅をヴァンデー・バーラト号で出発。

80年代そして90年代前半には、駅構内に灯油のコンロを持ち込んで調理している家族連れ乗客が普通にいたし、走行中の車内でもそんなことしている人たちがいて、「なんか危ないなぁ!」と思ったが、あれは夢か幻だったのか?当時はインド国鉄のこんな姿なんて想像すら出来なかった。

短い滞在でもいろいろ面白かったが、BHUのキャンパスがとても気にいった。規則正しく区画された広大なキャンパスだが、緑豊かで鬱蒼と茂った樹木もいい感じ。

もしかしたらバナーラスのまたの名前、アーナンド・ヴァン(平安の森)を体現しているのがあのキャンパスなのかもしれない。

また通りやガートの喧騒や客引きの煩さとは裏腹に、路地裏歩きで出会う人々は慎み深くておっとりした印象で感じが良かった。物言いや言葉遣いも優しい。住んでみたらとても良さそうに思う。

東京でもそうだ。大久保や歌舞伎町界隈に外国のツーリスト用宿泊施設がたくさんあるけど、あのあたりに滞在して「東京の人たちはガサついて、ワサワサしているね」と思われてしまうと、私たちは「いやー私たちを一緒にしないでー」と言いたくなるだろう。

インド最長の汽車旅

全行程4,188km、59駅を巡る80時間近い「DBRG VIVEK EXP」による汽車旅。これがインド最長らしい。最南端のカニャクマリから東海岸部を経て、ベンガルからアッサムのディブルーガルまで。

昔々にトリバンドラムからデリーのニザームッディーンまでの汽車に乗ったことがあったが、あれとて50時間くらいだった。

冬季に乗るととりわけ楽しそうだ。常夏の南インドから涼しい中部インド、さらに北上すると霧の出る冬らしい寒さとなり、街なかにバーザールとともに存在する茶園という稀有な眺めのディブルーガルで終点。気候や風景の変化が感じられて面白いだろう。

しかしあまりに長過ぎる。足掛け4日間の列車内で過ごすというのはちょっと大変。この列車の起点から乗車して終点まで行くという乗客はどれほどいるのだろうか。

景色を楽しむにはノンACのスリーパーが良いが、暑さ寒さからは逃れられない。また混雑区間では予約はあったもないような具合に。さりとてこうしたエクスプレスのAC車両はたいていスモークガラスになり、ガラス自体も汚れてよく見えないため景色はあまり楽しめない。悩ましいところである。

ひとつ良いことを思いついた。毎日運航している列車なので、降りた場所から再開できる。列車の行程表をみると、路線上に面白そうなところがたくさんある。この列車が通るルートそのものを旅程として、同じ列車の途中下車を繰り返して移動する「22503 DBRG VIVEK EXP沿線旅行」というのはどうだろうか。

ヴァンデー・バーラト・エクスプレス(2)

車両出入口ドア上には現在の時速が常に表示されている。

この日乗車したのは、ニューデリーから。2019年2月に始まったヴァンデー・バーラト・エクスプレスの一番最初の路線である。終点のワーラーナスィーまで乗車。ちょうど8時間の行程。ワーラーナスィーまでわずか4駅。速度を下げることなく、ほぼ時速120km台で粛々と進んでいく。路線上のあらゆる列車に対して最優先のプライオリティを与えられて運行しているため大変スムースな運行。窓は遮光ガラスにはなっておらず、必要があれシェードを下ろすようになっているのかありがたい。

大きな窓からの眺めが心地よい。

途中駅のカーンプル・セントラルに到着。鉄道用地は大きな余白をもって確保してあるため、インドに限らず主要駅周辺では不法に住み着いている人たちが多く、スラムを形成している。

鉄道用地内スラム
カーンプル・セントラル駅

当然、電気や水も必要となるため、鉄道施設内の水道施設から汲んできたり、関連施設から電気を勝手に引っ張り込んだりしている。

インドでは今も給電状況が逼迫している地域やよく停電する地域もあるが、官庁街、軍施設などと並んで鉄道施設は最優先で電気が確保されているため、安定的な給電が期待できる・・・というより、停電はまずありえない。

そんなこともあり、そうしたスラムでは仮の掘っ立て小屋状態から粗末なレンガ積み、そしてしっかりとしたレンガ造家屋へと移行していく例が多い。そのため、ときには不法占拠された地域とは思えないほどの発展ぶりを見せることも珍しくない。

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ヴァンデー・バーラトのデリー→ワーラーナスィーの車両編成。14両がCCクラス(Chair Car)で、2両はEC(Executive Chair Car)クラス。私が利用しているのは前者で運賃は1840RS。後者は倍近い3500Rsくらい。

CCで充分以上に快適だし、ECだとちょうど飛行機の料金くらいになるので、それなら飛んでしまったほうが良いくらい。ヴァンデー・バーラトに限らず、客席の等級がたくさんあるインドでは、クラスがひとつ違うごとに料金は倍になる。快適さの違いもあるが、同乗者自身の階層(経済水準)の選択という部分もある。

通常のエクスプレスのように機関車に牽引されるのではなく全車両駆動で、車体もアルミ合金主体で軽量であるため、加速も迅速なヴァンデー・バーラト・エクスプレスだ。

車内では、チケット代金に込みの軽食や食事が提供されるが、それ以外に車内販売もある。時折車内を巡回販売する係の人に「アイスクリームを」と言ったら出てきたのがこれ。大手会社が「マトカー・クルフィー」として製造販売している製品。

マトカー・クルフィー

近年は「マトカー・ビリヤーニー」「マトカー・ラッスィー」などよく見かけるが、この手のものが大変流行している。マトカーと言っても素焼きではなく釉薬をかけて焼いてあるので、そのまま持ち帰っても使えそう・・・というか、捨てるのはもったいない気がしてならない。

このヴァンデー・バーラト・エクスプレスは、来年1月には初の寝台サービスも開始される。その最初の路線となるのがデリー・スリナガル間だ。デリーを午後7時に出発してスリナガルには翌朝午前8時に到着するというもの。800kmを13時間で結ぶサービスとなる。