
ニューデリー駅前の宿。booking.com経由で名称変更の連絡が3回も届いて、「泥棒宿かよ」とのけぞったが、至って普通というか、部屋はとても良かった。ニューデリー駅前なのに、これで1500Rs台というのはお得だ。

駅まで徒歩2、3分(路地から出て道を渡るだけ)というのは、朝とても早い出発のため、とてもありがたい。しかも場所柄、早朝から人の往来が多く、乗降客が多数なので、朝5時台でも腹ごしらえが可能なのである。
経営は違うのに、同じものを出す食堂ばかりが並んでいるのは、いかにな駅前風景だ。



ニューデリー駅前の宿。booking.com経由で名称変更の連絡が3回も届いて、「泥棒宿かよ」とのけぞったが、至って普通というか、部屋はとても良かった。ニューデリー駅前なのに、これで1500Rs台というのはお得だ。

駅まで徒歩2、3分(路地から出て道を渡るだけ)というのは、朝とても早い出発のため、とてもありがたい。しかも場所柄、早朝から人の往来が多く、乗降客が多数なので、朝5時台でも腹ごしらえが可能なのである。
経営は違うのに、同じものを出す食堂ばかりが並んでいるのは、いかにな駅前風景だ。

鉄道大臣によりヴァンデー・バーラトの寝台車の発表がなされた。
全国各地で運行区間が追加されているヴァンデー・バーラト。インドが誇る国産の非常に快適な準高速列車だが、現時点までは全席チェアカーの昼行列車。今後夜行寝台のものも始まるのだからありがたい。
中距離の昼行列車としても、夜行の長距離列車としても、それぞれ従前からあるシャターブディー、ラージダーニーと存在意義は被るがいずれもヴァンデー・バーラトが上位の位置付けとなる。
シャターブディー・エクスプレス(Century Express)、ラージダーニー・エクスプレス(Capital Express)と、ニュートラルだがロマンチックな語感のある名前が好きだが、ヴァンデー・バーラトというこれとは毛色の違う翼賛的なネーミングは、いかにも右翼政権らしいなぁとも思う。国策として各地にサービスを展開して好評を得て、さらには寝台列車も導入してインド万歳の福音を届けようということだろうか。
それはともかく、ラージダーニーは文字通り、首都と各地の州都(国のラージダーニー、州のラージダーニー)を繋ぐ列車として全国各地で展開してきた。シャターブディーと合わせて中長期的には今後ますます増便されて運行区間も広がったヴァンデー・バーラトに置き換わるのだろうか。これらとは別にヴァンデー・メトロというサービスも今後展開していく予定。メガ級の大都市と周辺の街を高速で繋ぐというもの。
インド国鉄は、モーディー政権2期合計10年で大きく変わった。3期目の現在もその変化は休む間なく進行中だ。
インドにおける鉄道は英領期には複数の鉄道会社が各地で運行しており、中には「藩営鉄道」もあった。独立後はそれらが「インド国鉄」として統合されて現在に至る。唯一例外的に存在していた「英国資本の私鉄区間」はマハーラーシュトラ州のヤワトマルとアチャルプル間の189kmの路線のシャクンタラ・エクスプレス。こちらを所有していたのがKillick, Nixon and Companという民間企業であった。2020年を最後にこれは廃線となっている。
そのインド国鉄だが、実はインドでも国鉄民営化の話はときおり出てきた。その結果として近年は「民営列車」が登場している。
日本でかつての国鉄が民営化されたり、民営化後のJRの不採算路線の一部が廃止ではなく、自治体や民間企業との協力による第三セクターへと移管されたのとは異なる手法によるものとなっている。
現時点で「民営化列車」の数は多くないが、インド国鉄の子会社による運行となっていることだ。その子会社とはIRCTC。つまりインド国鉄のネット予約とケータリングサービスを全面的に取り扱っているあの会社だ。同社はBSE及びNSE上場の株式会社だが、株式の67%をインド政府が保有している。そういう特殊な背景のある企業で、外国人の目から見ると、インド国鉄におけるそうした事業が入札等の手続きなしでIRCTCに丸投げされているのは奇妙であるが、このIRCTCの存在そのものも「民営家圧力」の中から生まれたものであった。IRCTCの設立は1999年。
ネット予約についてはインドの複数の旅行ネット予約会社も取り扱っているが、IRCTCのシステムに乗り入れての実施であり、ユーザーはIRCTCのアカウント保有が利用条件となる。また国鉄のケータリングサービスはホテル運営会社などが受託しており、現場でサービスをしているのはそうした企業だが、IRCTCが入札を実施して委託しているものだ。(ラージダーニー、シャターブディー、ヴァンデーバーラト等々の特別エクスプレス及び一般エクスプレスの上級クラス車両において実施しているものであり、勝手に乗り込んできて商う物売りはこれに含まれない)
そうした状況ではあるものの、今後は外資を含めた様々な企業が参入する方向らしい。
ちょうどデリーその他の大都市における市バスの運行と似た展開かもしれない。例えばデリーにおいては、デリー交通公社(DTC)が市バスろ選を管理して運行させているが、この中には民間資本のバスも多く混じっている。バスのカラーリングや仕様は同一なのだが、そうした車両には受託した企業ないしは個人の名前が記されており、運転手と車掌も公社職員ではない民間人である。これらはデリー交通公社と契約して、同社のサービスとして、定められた路線を運行する事業受託業者の人々なのだ。
あるいは日本の自治体が所有する保育園、図書館、スポーツ施設等などで、事業を受託した民間企業により運営される「公設民営施設」が多いが、それらとも近いやりかたであると言える。
そんな具合なので、今後のインド国鉄では「民営列車」の運行は増えていくのだろうし、これに加えて、たとえば鉄道駅業務や保守関係業務等々の民間委託、不採算路線の民間委託等々といった方向にも展開することがあるのかも?と個人的には予想している。
Private Train in India: All That You Need to Know (RAI.MITRA)

ムンバイCST駅へ。どこもかしこも素晴らしい意匠と規模感。おそらく世界で最も美しく優雅な鉄道駅だろう。
かつては鉄道や駅撮影にはうるさかったインドだが、かなり柔軟化されたのか?ほぼ自由に撮影することができた。
スマホだからという点もあるかもしれないが、こういう眺めをどんどん撮影できるのは楽しい。























ハリヤーナー州のレーワーリーには、インド国鉄好きにはたまらない蒸気機関車整備場がある。ここにはたくさんのSLが集結しているが、博物館のように展示されているわけではなく、すべてが現役の蒸気機関車。それらの車両の整備場なのだ。もちろん入場料を払って見学することができるのだが、場内では整備士さんたちが忙しく働いている。

「忙しく」とは言っても、傍目にはのんびりしているように見えるのだが、インドにおけるSL修理のための「最終兵器」みたいな整備場で、貴重な蒸気機関車を日々整備するとともに、他の整備場ではどうにもならないポンコツをも受け入れて、手間暇かけてレストアしていく、そんな凄腕の整備士さんたちが揃っているそうだ。
入場すると、出勤してきたばかりの蒸気機関車の運転士さんが構内を案内してくれた。現在この人は蒸気機関車専門の運転士とのことで、冬季にデリー・アルワル間で運行される小ぶりで緑色のメーターゲージ機関車、フェアリー・クイーン号の走行も担当しているとのことで、他にも何かのイベント等での運行があれば、呼ばれて行くそうだ。実際に走行する際には4時間ほど前から機関車のウォーミングアップが必要とのこと。

フェアリー・クイーン号は、優美な外見とは裏腹に、気難しくて扱いにくい機関車であるとのこと。容易にオーバーヒートするし、気を抜くと瞬時に蒸気圧が下がってエンコするなどとても厄介であるとのこと。大昔の機関車なので動かすだけでもちょっとやそっとではいかない相手のようだ。


普段はあまりそういうのがないので暇かと言えばそうでもないようで、機関車の入れ替え作業はもちろんのこと、整備の途中で蒸気機関を回しての動作確認作業などもあるそうだ。
大きなブロードゲージの貨物用機関車の顔が外れた間抜けな姿を見るのは初めてだったけど、蒸気機関の構造について運転士さんから説明を聞くことができて良かった。すこぶる燃料効率の悪い、そして水も大量消費する機関車だったこともよくわかった。







どの機関車もバリバリの現役であるため、駅前などに展示されている機関車と異なり、生気に満ちている。また蒸気機関による機関車以外の車両の整備も実施されており、蒸気機関によるロードローラーというのは初めて目にした。


整備場構内では植民地時代の貴賓用客車の展示もあった。こちらは1921年の車両でこの年に訪印したプリンス・オブ・ウェールズのインド滞在のために造られたた特別車両。後に英国国王(=インド皇帝)エドワード8世となる彼の皇太子時代だが、インドに4ヶ月滞在している。要人の長期滞在には批判も多かったようだ。
The Prince of Wales’ 1921 Trip to India Was a Royal Disaster (JSTOR DAILY)





2000年以降にここで撮影された映画のリスト。最近はアクシャイ・クマールの主演映画の撮影があったとのこと。10月公開予定とか。ロコ・シェッドの壁にあったリストはこちら。

入場料はわずか10Rs。嬉しいことに外国人料金の設定はない。イン鉄ファンの方にはとてもオススメ。
レーワーリー駅の周囲にも興味深いものがある。インドに限らず日本その他でも鉄道駅のこちらと向こうで雰囲気がずいぶん異なることはあるが、レーワーリーほどの極端な例はそう多くないと思う。
鉄道駅の東側は駅前スペースはほとんど無く、いきなり密度の高い商業地になっており、主要駅のひとつであるこの駅を乗り降りする人たちは24時間絶えないため、駅前ではデリーやカーンプルなどと同様に終夜営業をしている店は少なくないようだ。オートはリザーブと乗り合いベースでいつも客の取り合いだ。とにかく賑わっている。

一方で西口に出ると、商店は一軒もないし、客待ちのオートもゼロ。とても静かなのだ。これには驚いた。よく見るまでもなく、建物は古ぼけているものの、鉄道病院があったり、鉄道関係者の住宅が立ち並んでいたり、立派ではない簡素な教会があったりする。ここはいわゆる「レイルウェイ・コロニー」なのであった。

つまり鉄道関係用地という、きちんと管理された政府所有地が西口側に広がっているため、民間企業等が開発したり、一般の商店や住宅が建てられることもなければ、スクウォッターたちが勝手に住み着くことも出来ないわけである。
本日はずいぶん早くに整備場のゲートに到着して9時の開場を待っていたのだが、出勤してくる人たちはみんな同じ方向から歩いて来ていたので、おそらく整備士という業種で同一の宿舎に住んでいるのではないかと推測できる。
英領時代、整備場が造られた頃は当時のハイテクの粋を集めた先進的な機関。英国人のメカニックがネイティブ(当時はそう呼んでいた)に技を伝えるべく頑張っていた場所だ。
在インドの英国人にも当然、階級というものはあり、鉄道、自動車、電信電話その他のいわゆる現業部門の英国人たちは、社会の指導的立場にはなく、彼らがフィールドとする仕事場における「親方」に過ぎなかった。
そんなわけで、現在のレーワーリーのレイルウェイ・コロニーの古ぼけた庭付き戸建ての官舎には、比較的よさげな給与待遇に惹かれて渡印したものの、配属先で大きなタスクを負わされつつも、ホワイトカラーの同国の上役からはやいやいのと言われつつ、部下のインド人たちへのリーダーシップがうまく取れなかったりと、かなり追込まれて気の毒千万な英国人も多かったはずだ。
植民地時代の研究や考察などで、そうした現業部門に従事した英国人の日常生活に関するものは例外的と思われるが、何かうまくまとめられたものがあれば、是非読んでみたいと思う。

踏切や鉄道駅などで通過する貨物列車があると、何となくその車両数を数える人は少なくないだろう。私もそうである。
「機関車6両、貨物車両295両」というのは見たことがない。通常は機関車1両で30〜50両程度の貨物車両を牽引。(運搬する物資にもよるかと思う)
中途に連結してある機関車は加速、減速、制動など、先頭車両での操作にシンクロするような機構があるのだろうか?

駅弁ならぬ社内販売飯。各地でゲリラ的に車両に乗り込んできて食事やスナックを売る「物販ゲリラ」も多いが、こちらはインド国鉄関連会社のIRCTCによる車内販売品。
IRCTCはネットによる乗車券販売及び予約管理、各種パッケージ旅行の販売、鉄道車両での飲食物販売等を包括して引き受ける。こういう組織は汚職や不正の温床になったりしやすいものだが、やはりいろいろ黒い噂は少なくない。
こんな巨大利権が入札手続きなどを経ることなく、長年ずっとIRCTCが丸ごと引き受けていること、国鉄の業務とは関係のないパッケージ旅行(タイ、ドバイ、ネパール、ブータン等の海外旅行など)も販売していること、パントリー車での調理環境に非常に問題があることをメディアが取り上げ、保健省の調査が入ったりするなど話題に事欠かない。たぶん現場の業務なども孫請け会社に丸投げしたりもしているのだろう。


車内ケータリングサービスで面白いと思うのは、ラージダーニーやジャダーブディーなど特別急行で、ひところまではIRCTCではなく、ホテルチェーンに委託していたケースもあった。だが今ではIRCTCによる取り扱いに戻っている。
車内で2回目のチキンビリヤーニー。他になかったので仕方ない。時間的にこれが本日の夕食、目的地着いたらチェックインしてそのまま寝る時間。

おやつに食べたものとは味付けも何もずいぶん違った。異なる業者が異なる駅でIRCTCに納めているので当然だが、ケーララ州からカルナータカ州に入っているからということもあるかもしれない。私がトリスールから乗り込んだ列車はマンガロール駅に着くところ。急行停車駅で一つ先のウドゥピまで行く。

かつてインド国鉄は、予約してある車両がどこにあるのかわからないと、車両が長大で編成数も多いため、停車わずか1〜3分程度だとたいへん焦ったものだ。今では各種インド国鉄関連アプリやウェブサイトなどで該当列車の「Rake Information」を調べると、ちゃんとこんな具合に出てくるので助かる。

また「Running Status」で、今どこを走っていて、どのくらい遅れているのか、遅れていないのかもわかるので、とても便利になった。駅で列車を待っていても、乗車して到着を待つ場合でも、大変ありがたい。

こうしたものがなかった時代、駅に着くとまずは駅員かポーターに列車名を伝えて、私の車両がどのあたりに停車するのか質問、答えを聞いてからも念のため別の駅員かポーターにも同様の質問をしてクロスチェツク。
そして乗り込んでからは、他の乗客との会話の中で、列車がほぼ定刻で進んでいるのか、遅れているのかを知っていた。夜行列車で深夜過ぎとか未明とか、多くの乗客が就寝しており、車内の照明も消してあるような時間帯に到着予定であると、ホームでの駅名表示は多くないため、「この駅は私の降りる駅なのか?」と気が気ではなかったりもした。
今やこうした心配がまったくなくなっているため、インドの汽車旅の利便性は格段に向上していると言える。


鉄道駅で車両の入れ替えなどで大活躍するディーゼル機関車。1980年代後半ごろは、そうした役目を蒸気機関車が担うことも多かった。
スタンバイしてから動けるようになるまでのウォーミングアップ時間はとても長く、機関士だけでは動かせず機関助手と常にコンビでないと使えない。また機関車自体がやたらと重厚長大で、いろいろ面倒なことが多かったのだろう。だがその頃は駅のホームでそれが動くのを目にすること自体がたいへんなエンターテイメントでもあった。少なくともすでにSLを見かける機会がまず無い国からやってきた者にとっては。
鉄道駅というものは、大きな駅だと全国各地から数々の列車の往来が旅情溢れる眺めだが、日に数回しか停車のない小さなローカル駅だと、これまた鄙びた感じとか郷愁とか、異なる味わいがあって良い。
バススタンドだと、大きくても小さくても、ワサワサしているだけで、何の味わいもない。空港だとそういうせせこましい感じはない(そうでない空港もあるけど)ものの、乗り物自体が待合室から離れているためもあってか、鉄道のようなヒューマンなムードはあまりない。
そう、鉄道駅の良さは、そういう人間らしい情感に満ちた空間であること。
汽笛が鳴り、ガタンという音とともに少しずつ動き始める車両。窓越しにホームと車内で指を絡ませあっている男女の瞳に諦めの色が灯り、それでもホームにいる女性はゆっくりと歩きながら窓の中からじっと見つめている男性に何事か言葉を継いでいる。
列車が速度を徐々に上げていと、互いの手を離しながらも、まだ何か伝えたいことがあるかのように歩みを早めながら、ふたりの会話はしばらく続いていく、鉄道駅でそういう光景が展開していると、それを間近に目にするこちらもジ〜ンとくる。鉄道駅には劇場空間的な趣があるのだ。




過日、エルナクラムJN駅で見かけた救援車両といい、この日トリスール駅に停車していた脱線処理車両といい、近くで大きな事故でもあったのだろうか?と思ってしまう。
コロナのデルタ株で多くの死者が出ていた時期には、マレーシア、シンガポール方面並びにガルフ方面からそれぞれの政府の協力により医療酸素ボンベを大量に調達したインドは、ムンバイ及びチェンナイから大量の貨物列車を動員して全土に輸送している様子がニュースになっていた。
私が直に目にしたものでも2005年12月にインドネシアを震源とする津波被害がインド東海岸に及んだ際、緊急に仕立てたと思われる援助物資を届ける貨物車がしじゅう走っていた。
また80年代後半にインドがスリランカ内戦に介入した際、南インドで鉄道に乗っていると無蓋車両の延々と続く車列に、戦車等の軍用車両を運搬する貨物車が多く、ギョっとしたことを覚えている。このときの介入が原因で当時のLTTEから恨みを買い、同じくLTTEにシンパシーを抱く一部のタミル人からの協力を得た手路グループにより、1991年5月に総選挙のためタミルナードゥで遊説中だったラジーヴ・ガーンディーが暗殺されてしまったのであるが。
鉄道車両の眺めには、そのときどきの大きな出来事や世相が大きく反映されることがある。


トリスール駅構内で、いつまで稼働していたのか知らないが、STD/ISDのブースだけが残っていた。かつては、こうしたブースはどこに行っても普遍的に見られ、人々の生活インフラであったものだが、携帯電話の普及と比例して姿を消していった。今はプリペイド契約でもインド国内どこにかけても通話無料だし、WhatsAppその他の通話アプリで国際通話も無料の時代となっては信じ難いような思いがするが、通話時間とともに料金が上がっていくメーターを目にしながら相手と話をしていたものだ。
その頃はインターネットも草創期であったため、ネット屋もあちこちに出現していた。当時はそれで「便利になったものだ」と感心していたものだが、地域や店によっては通信速度があまりに遅すぎて、メールのチェックをするだけでもひと苦労だったりもした。
宿泊先のすぐ近くにあるとも限らず、電気事情の良くない地域では、せっかく出向いても停電で利用できないということもしばしばあった。
今ではそれらのことが、夕飯後に宿のベッドの上に寝ころんだままで、それ以上の事柄がいろいろ出来てしまうのだから、ありがたいものだ。飛行機、鉄道やバスの予約にしてもそうだし、次の宿泊地のホテル予約も同様。日記類もGoogle Documentなどを利用するようになったので、前夜に宿の部屋でノートPCで書き綴った内容の続きを昼間の列車内でスマホで打ち込んだりもできる。
今後10年後、15年後は更に大きく発展して、どんな環境になっているのか、今からはとても想像がつかない。



近年のインドの主要駅では、従前の待合室以外にホテル運営会社などが委託を受けて切り盛りする有料待合室も用意されていることが多い。こうしたものが導入される前も上級クラスの乗客用とそれ以外の乗客用で分かれていたのと同じように、上のクラスを利用する乗客たちが阿鼻叫喚の環境を避けようとする、いわば選別・差別化の意味合いが強い。
選別・差別化というと、何かネガティブな印象を与えるかもしれないが、90年代以降のインドのおいては、まさにこの選別/差別化が広範囲に可能となったことから旅行をはじめとするレジャー産業が急成長することとなった。
例えば宿ひとつとってもお金さえ払えば快適かつ清潔で、ミドルクラスの人たちが家族を同伴しても安心できる宿泊施設は、ちょっとマイナーなところになると、とても少なかったし、移動手段としても長距離を安全かつ快適に移動できる自家用車の普及はまだ先の話だった。道路にしてみても、狭かった国道でトラックやバスなどがチキンレースを展開している状態で、あまり家族で遠出をしようという気にはなりにくかった。
1980年代、「一億総中流」などと言われた日本で、幸か不幸か、一家の稼ぎ手がインド転勤となり何年間か過ごすことになったとしても、たまの長期休暇で一時帰国するとか、シンガポールやバンコクに保養に行くことはあっても、インド国内をせっせと旅行する気にはなれなかったのと同じだ。
90年代に入るとインド人による自国内での旅行がブームとなり、その後マーケットは急拡大を続けて現在の状態となった。1990年代に入るあたりまでは、インド各地の観光地等で目立つのは外国人であって、インド人観光客というのはわずかなものであった。それが今では各地の観光客の主体はインド人であって、外国人はその中に細々と存在するに過ぎない。外国人訪問客が減ったわけではなく、インドの人々がこぞって旅行するようになったからだ。
その背景には宿泊施設が広範囲で多様化していき、それまではあまり脚光を浴びなかった小さな観光地にも利用しやすく安心なホテルが増えるとともに、インドのマーケットに多数乗り込んできた外国の自動車メーカーによる様々なモデルが選択できるようになった。次第に道路事情も改善していき、人々が家族や仲間を連れて休暇時期に各地を訪問してみたくなる環境が揃ってきたのだ。
こうした有料待合室もそうしたインフラ的なもののひとつ。本日利用してみた待合室はあんまりパッとしないが、他ではちょっとしたホテルのロビーみたいになっているところもある。利用料金は1時間あたり30Rs。
たとえば午前3時半に到着して、そのまま夜明かししたいような場合、深いソファでしばらくグ〜ッとひと寝入りするのもいいかもしれないし、深夜あたりに出発する列車を利用するのだが、それまで身の置き場がないということでも、夕方以降、こんなところで仮眠しながら時間まで待つのもいいかもしれない。