鉄道駅の別れ

インド列車はゆっくり、ゆっくりと動き出す。

それまでプラットフォームで食べ物を買ったり、チャーイを啜ったりしていた人たちは、ゆったりと車両のほうへ向かい、常に開け放たれているドアから悠々と乗り込んでいく。

見送りに駅まで来た人が、車内にいる恋人や家族と会話を続けながら、長い長いホームをゆっくり歩いているが、やがて人の歩みよりも車両の速度が上がると、本当の別れとなる。

インドの鉄道駅でのサヨナラには長い余韻と大きな余白がある。映画でもそうした最中の心の中の機敏がしばしば濃厚に描き出されていく。インドの鉄道駅では、日々そんな想いがあちこちで交錯しているのだろう。

これがバススタンドではそのような具合にはいかないわけで、鉄道駅というものは旅情に溢れている。

アジメールの「ケー・イー・エム」

ラージャスターン州のアジメール駅前にある宿泊施設「KEM」と言えば、地元で知らない人はまずいないだろう。「ケー・イー・エムに行きたい」と口にすれば、「ホテルか病院か?」と聞き返されるはず。以下は2019年時点での記事。

Ajmer KEM hotel to be restored (sawdust.online)

1901年にエドワード7世が新たな英国国王とし戴冠し、すなわち当時のインド皇帝となったが、これを祝うために翌々年の1903年に「デリー・ダルバール」に出席するためボンベイに上陸し、鉄路で各地に立ち寄りながらデリーへの移動途中でアジメールに来訪することも決まっており、どちらもこれを記念して建てられたもの。ゆえに「K.E.M.(King Edward Memorial)」なのである。宿泊施設のほうの「KEM」は、後にホテルに転用された。

「ダルバール」とは、ウルドゥー語から英語に取り入れられた語彙で、英領インドの英語辞書「HOBSON JOBSON」にも出てくる汎用度の高い語彙だが、「王宮」「謁見の間」などの意味がある。「デリー・ダルバール」は広大な土地に沢山の大きなテントをしつらえて開催され、内外から数多くの賓客が招待されたうえで、イギリス国王を皇帝として戴く「インド帝国」において、その皇帝自身にお披露目の舞台であった。

「デリー・ダルバール」は3回開催されており、最初は1877年のヴィクトリア女王、続いて1903年のエドワード7世、最後が1911年のジョージ5世。そして1936年エドワード8世が英国国王を継いだ際には、インドでの情勢の変化により、ダルバールは延期や再検討を重ねて、結局開催されることはなかった。

「デリー・ダルバール」が開催されていた場所は、北デリーで「CORONATION PARK」として整備された公園になっており、往時の遺物がいろいろ展示されているため、英領期のインドについて興味のある方は訪れてみると面白いかもしれない。

Delhi’s Coronation Park a neglected site of India’s colonial past (Al Jazeera)

話は逸れたが、冒頭の「KEM」については、1990年代後半に宿泊してみたことがあるのだが、荒れ果てた安宿になっていて、廊下では宿泊客たちが持ち込んだコンロで調理などをしているような状態だった。立派な歴史的背景がありながらも、あまりにひどい状態であることに唖然とするしかなかった。

しかしながら、「KEM」で、先述の大改修は完了し、今はきれいなホテルとして生まれ変わっているらしいので、いつか再訪してみたいと思っている。

そのとき歴史は動いた

インド鉄道史の中で有名な苦情の手紙。お腹の不調で駅に置き去りになったオキル・チャンドラー・セーン氏が1902年に鉄道当局宛で書いた内容。当時の列車にはトイレは付いていなかったとのことだ。

この訴えが鉄道関係各署で共有されることとなり、客車にトイレが設置されるようになったという有名なレターである。もちろん彼以外の多くの人々も動揺の意見を持っていたのではないかと想像されるが、当時は列車にトイレがないというのが常識であったため、「まぁ、そういうもの」と我慢して、行き違い等で長時間停車する駅、何かの理由で駅間で停車した際に手早く済ませていたのかもしれない。

それにしても「大」のほうであったら、なかなかそうもいかないし、知らない駅でトイレを探したところで先客がいるかもしれない。とてもスリリングであったに違いない。それに女性だとなおさらのこと大変で、列車の移動の際には極力水分を控えたり、乗車する時期についても考慮したりなど、涙ぐましい努力があったのではないかと思う。

鉄道駅員や列車内の車掌等に文句を言ってもどこかに反映されることはないが、しかるべきところに文書で送ると、きちんとした対応がなされるかもしれないというのは今も昔も同じ。

Indian Railways History – Interesting Story about Okhil Chandra Sen letter (changestarted.com)

インド国鉄の予約システム

今さらながらではあるが、IRCTCの予約システムは大きく進化していて、簡単に予約できるようになっている。もはや他の旅行予約サイトを通じてブッキングする必要はないと言える。検索の際にいちいち予約クラスを指定せず、「すべてのクラス」で検索し、出てきた結果からそれぞれのクラスの空き状況を確認できるようになっている。

またそのものズバリの駅名を入れなくても近隣の駅を含めた検索をしてくれるし、選択した×××ジャンクション、×××カーント、×××シティーといった同じ街の名前が入っている異なる駅がひっかかってきた場合、「あなたの指定したのは×××シティー駅ですが、これは×××カーント駅です。それでもよいですか?」といった表示が出る。またこちらの指定した区間を直行する列車がない場合、いくつかの乗り継ぎを含めた提案をしてくれるのだ。以前はこんなことはまったくなかった。

当時のシステムでは、なんとか進んでいっても支払いのところまでたどり着いても、そこでエラーになり、ガックリさせられたものだが、操作の安定性の面からも信頼できるものとなった。

コロナ禍前の話になるが、鉄道予約の際には、IRCTCのサイトから直接購入するのではなく、Cleartripというインドの旅行予約サイトの鉄道予約システムが秀逸だったので、そちらを利用していた。Cleartripが独自の鉄道予約システムを持っているわけではなく、同社のシステムがIRCTCのシステムと連携して予約できるようになっていたのだが、そちらのほうが、おおもとのシステムから直接購入するよりも安定的かつスムースというのはおかしなものだと思っていた。また、PCサイトからだとインドの携帯電話番号の入力、インドの携帯に送られてくるOTPの入力といった、日本在住者にとっては困ったハードルがあったが、なぜかスマホアプリではそれが求められないので手軽に使えるという利点もあった。

・・・と過去形になるのは、Cleartripでは現在鉄道予約の扱いはなくなっており、一時期は取り扱いのあったバス予約もなくなり、そしてホテル予約システム自体は以前から貧弱であったため、後発のmake my tripその他、新興の予約サイトに押されて、もはやオススメできる予約サイトではなくなっているからだ。敢えて民間の旅行予約サイトでインド国鉄をブッキングしたいというのであれば、ixigoの評判が良いようだが、今やIRCTCのシステムがしっかりしているので、その必要はないだろう。

あと、進化といえば助かるのは、何かあった場合に問い合わせ先のメルアドに質問等を送ると、数時間から半日程度できちんと回答がきたり、ちゃんとした対応をしてもらえることだ。こんなことは当たり前のように思うかもしれないが、以前はメールしてもなしのつぶてということが多く、Skypeでインドのコールセンターにかけないといけなかったからだ。

ただいくばくかの不満もある。PCで閲覧するウェブサイトもスマホのアプリも、幾度からログインに失敗(なぜか続くことがある)すると、「アクセスが禁じられています」と表示されてしまい、しばらくしてほとぼりが冷めてからでないと、システムが不通になってしまうことだ。どうしてそうなるのか?

急いでいる場合は困るし、車内で検札がきた際にスマホアプリで見せるつもりがこうなったりするのも困るので、念のためeチケットは印刷しておいたほうが良いかもしれない。

ホアヒンへ出発!

鉄道を楽しむには、空調のない窓を開け放った車両で音や匂いも感じながら移動するのが最良だが、ちょうど良い時間帯でネット予約できるのは「エアコン2等」の一択のみだった。連結している3車両すべてが同じクラスであるためだ。

まあ、それでも良い。車窓の風景を眺めつつ、通過したり停車したりする駅の佇まいや人々の様子を目にしながら進んで行くのは楽しい。バス移動では鉄道移動のような趣はない。やはり鉄道はそれ自体にエンターテイメントな要素がある。世の中に鉄ちゃんなる人たちがいる理由がちょっぴりわかる気がしないでもない。

ホアランポーン駅で買った弁当

ホアランポーン駅で買ったおばちゃんの店の弁当を食べて満足していたら、車内でこういうものを配られた。タイのエアコンクラスは食事付きとは知らなかった。加熱済みの真空パックのご飯、レトルトカレー2種、クリームサンドにバナナチップス・・・。

車内で配られた弁当!

定刻より30分遅れで着いたフアヒンの鉄道駅は見事であった。駅舎自体がそうだが、王室専用待合室も素敵だ。王室の御用車両だったものらしい。今は使われていないもののようだが、チットラーダー宮殿からホアヒンに直行していたという車両がピカピカに磨き上げた状態で駅前に展示されている。

遠からず駅舎が右向こうの建物に移転するとのこと。

王族のチトラダー宮殿からホアヒンへの移動に利用された車両