タイといえばコンビニ犬。番犬として構えているのではなく、人々が出入りする自動ドアから流れる冷気が気持ち良いので居つく。店の中にさえ入ってこなければ追い払わないタイの人たちは優しい。犬自身もそれを理解しているので、その「結界」を越えないし、お客に吠えたりなどもしない。
コンビニ犬はたいてい図体がでかい奴が多い。これは「一等地」なので、ケンカすれば強い犬が場所を占めるからだと思われる。
こいつもかなり大柄だった。


タイといえばコンビニ犬。番犬として構えているのではなく、人々が出入りする自動ドアから流れる冷気が気持ち良いので居つく。店の中にさえ入ってこなければ追い払わないタイの人たちは優しい。犬自身もそれを理解しているので、その「結界」を越えないし、お客に吠えたりなどもしない。
コンビニ犬はたいてい図体がでかい奴が多い。これは「一等地」なので、ケンカすれば強い犬が場所を占めるからだと思われる。
こいつもかなり大柄だった。

DICE+にお試し加入。「ガザの美容室」と「ラッカは静かに虐殺されていく」を観たかったため。無料期間の2週間のみ利用する予定。入会金はなく、月額費用だけなので、今後も興味を引かれる作品があれば、ひと月だけ入るかもしれない。
「ガザの美容室」は、パレスチナ人との結婚によりガザに移住し、アラビア語に堪能なロシア人女性が経営する店とそこに集う女性顧客たちの間でストーリーが展開していく。始めから終わりまで、店内(及び店の前の道路)のみで完結する話なのだが、店内で繰り広げられる女性たちの確執と外で始まる戦闘がシンクロしていき、緊張感とスピード感に溢れる力作。
キリスト教徒の店主、店内の10人の顧客たちのひとり、敬虔な女性を除けば、誰もヒジャーブを着用せずタンクトップやブラウスなどラフな洋装の女性のみの空間。ただ画面の姿のみ眺めていると、スペインやポルトガルなど、南欧のひとコマのようにも見える。パレスチナを含むレバント地方はかつてローマ帝国の領域。後にアラブ世界に飲み込まれたとはいえ、DNA的には南ヨーロッパとあまり変わらないため、造作の似た人たちがいるのは当然のこと。人種よりも文化や言語が世界を区分するのである。
「ラッカは静かに虐殺されていく」は、ISISの「イスラーム国」首都となってしまった故郷ラッカで抑圧される同胞を救おうと国外で反ISIS活動を進めるジャーナリストたちのグループを題材にした作品。重たいテーマだが、事実をベースにしているだけに大変見応えのある作品であった。
両方ともアラビア語による作品だが、mumkin(可能)、umr(年齢)、qabzaa(占有)、maut(死)、mushkil(困難)、bilkul(まったくもって)、galat(過ち)、kharaab(悪い)、jawaab(返事)、tasveer(写真)、hamla(攻撃)、aazaadee(自由)、khauf(恐怖)、qatl(殺人)、yaani(つまるところ)等々、ごく日常的な馴染み深い語彙がたくさん出てくる。ヒンディー語にはアラビア語から入った語が多いからだ。
これがアラビア語ではなく、アフガニスタンを舞台裏にしたダリー語(ペルシャ語)映画だったりすると、ペルシャ語起源のヒンディー語彙もまた膨大なのので、耳で音を追いながら字幕を見ていると、インドにおける西方からの影響はいかに巨大かつ圧倒的なものであったかをヒシヒシと感じる。
もちろん言葉だけではなく、ヒーナー(日本語ではよく「ヘンナ」と表記される)、パルダー(男女隔離)、履物を手にして相手を叩く(最大級の侮辱表現)等々の日常的な習慣などにもごく当たり前に西方から入ったものが生きており、それは食事や建築手法などでも同様。
またアラビア語ではなく、ペルシャ式の表現として、インドのニュースで凶悪犯に対する「Saza-e- Maut(死刑)」判決の報道、道を歩けばダーバーやレストランの名前で「Sher-e-Punjb」をよく目にする。
パキスタンからの越境テロが起きると、その背後に「Jaish-e-Mohammad」や「Lashkar-e-Toiba」といった原理主義武装組織の名前が挙がる。ペルシャ語式に接尾辞「e」を所有決定子として前後の語を繋ぐことは日常ないのだが、「e」で繋いだひとまとまりの語が外来語として用いられているのだろう。
中東方面の映画やドキュメンタリーなどを見ると、様々なものを西から東へと運んだ「偏西風」のようなものを強く感じる。



中東趣味のムンバイ空港。総体的にやはりアラビア方面への玄関口でもあるわけだが、どこの建築家が受注したものなのだろうか・・・と思いきや、インドを本拠地とする多国籍企業Larsen & Toubroという会社だが、1934年にインドにやってきたデンマーク人による事業が前身となっており、現在の名前の企業として発足したのは1946年というユニークな歴史を持っている。
ユニークと言えば、それだけではない。デヴィッド・リーン監督の映画「戦場にかける橋」の撮影に使うため、スリランカでこの橋を建設したのもLarsen & Tourbroであったとのことだ。

The Story of Larsen & Toubro Construction Company (Linkedin)


オートでエリス・ブリッジを渡る。左右から新しい橋が挟み込み、オリジナルは普段は通行禁止になっている。
これはアムダーバードを象徴する橋で、ちょうどコールカーターのハウラー・ブリッジに相当するようなものであり、幾度も映画のロケにも使われている。
英領時代の19世紀後半に木造の橋が築かれ、その後鋼鉄製のものに架け替えられた。それが現在目にすることのできるエリス・ブリッジのオリジナル部分だ。
橋の名前は、英国植民地当局の幹部であったSir Barrow Helbert Ellisに因むものである。ユダヤ系英国人の彼は英領インド政府の要職を歴任し、最後は総督のEXECUTIVE COUNCILのメンバーにまで上り詰めた。現在の内閣に相当する機関であり、閣僚級のポストにあったと言える。
メジャーなランドマーク的な橋でありながらも、独立後にインドやグジャラート州の偉人の名前に置き換えられることなく、往時と同じ名前で知られていることは特筆すべきことかもしれない。
NETFLIXオリジナル作品として、ごく最近制作されたもので、テーマは1997年6月に起きたウパハール・シネマの火災事件とその後の遺族たちの闘争。実話に基づいたシリアスな内容。
南デリーのグリーンパーク地区にある昔ながらの単館映画館(事件当時はシネプレックスなど存在しなかった)で、ミドルクラスの商圏にあるシネマホールであったため、上映作品も悪くなかった。
火災事故は、映画館内で保管していたジェネレーターの燃料に電気のスパークが飛び引火というもので、あまりに杜撰な危険物の管理体制が問われるとともに、上映開始後にホールの外側から鍵をかけて出入りできないようにしてあったとのことでもあった。火災発生当時には誰も施設内を監視していなかったため、観客たちが炎に包まれるまでになってから映画館側は火災発生を認識といった信じられない状況について当時のメデイアで報じられていた。
この映画館のオーナーはスシール・アンサルとゴーパール・アンサル(兄弟)が運営する「アンサル・グループ」の所有であることも伝えられていた。不動産業等を始めとするビジネスを展開している資金力に富む企業体であり、政界にも顔が利くアンサル兄弟である。
やはり当初のおおかたの予想どおり、事件の調査とその後の遺族たちの起訴による裁判は難航。そのいっぽうでこのアンサル・グループはちょうどそのあたり(1999年)に南デリーに「アンサル・プラザ」というインドにおけるモダンなショッピングモールのハシリといえる施設をオープンして大変な人気を博すところでもあった。その後、同グループはデリー首都圏を中心にいくつもの「アンサル・プラザ」をオープンしていく。
そんな財力も政治力もあるアンサル・グループを相手に遺族たちが闘う様子をドラマ化したもので、インドでもかなり話題になっている作品らしい。


ヒンディー語映画好きな私ではあるが、そのいっぽうで南インド映画もオーバーアクションな作品もほとんど観ないのだが、ヒューマントラスト渋谷で鑑賞したテルグ語作品「RRR」の重厚感ある造りとともに、作品中で幾度も展開されるどんでん返しにすっかり圧倒された。
息つく暇もないパワフルなストーリーがどんどん進んでいき、派手なアクションシーンとともに体力も消耗した気がする。面白い作品であった。
しかし不思議に思われるのは、なぜ今の時代になって反英ストーリーなのか?
かつても植民地時代を描いた作品はいくつもあったが、民族自立への大義、志士への共感であったり、独立指導者たちと英国当局トップとの駆け引きであったりというものが多かったように思う。
植民地時代を経験した世代には、英国統治への畏敬の念の記憶とともに、分離独立後前後の混乱、独立後長く続いた低成長時代への不満等もあったためか、インドを統治した英国人たちを、とんでもない人でなしと描写するものはあまりなかったように記憶している。
北米内のように英国をはじめとする欧州から入植者たちがどんどん押し寄せて開墾しながら現地の人々を外へ外へと追い出していくような具合ではなく、数少ない英国人たちが多くの現地の人々を雇用したり登用したりして築いていったのが英領インド。この映画で描写されるように現地の人たちをすぐに殴ったり足げにしたり、上層部はすべて英国人でインド人たちはみんな下働きという社会でもなかった。
反対に、舞台として設定されている1920年代には、それまでに英国がインドでの人材育成に力を入れてきた甲斐もあって、多くのインド人たちが高級官僚、裁判官、文化人、起業家などとして社会に台頭していた。
これとは逆に鉄道技師、クルマのエンジニアといった現業部門に従事していた英国人たちが、インド人上司の指示のもとでせっせと働くという場面はごく当たり前のものであったし、英国が間接統治していた藩王国で雇用されていた英国人等の欧州系の人々もあった。安定した生活を送ることが出来るとも限らず、両親がともに病や事故で倒れて孤児となる英国人、欧州人の子供たちも少なくなかった時代でもある。
つまり英国人の圧政に汲々とするインド人というような単純な構図ではなかったのである。英国人だからということだけで社会上層部にいられるはずもなく、インド人であるからといって下働きに甘んじなければならない社会でもなかった。世の中というのはそういうものだ。
あくまでもフィクションの娯楽映画ではあるものの、このような調子で英領時代を描く作品が続くと、総体的に人口構成が若いインド人たちの間で、自分たちの知らない往時のことが、ずいぶん捻じ曲げて解釈・理解されてしまうような気がする。たぶんこのような形でも「歴史の書き換え」がなされてしまうのだと思う。
ワールドカップの決勝戦、試合そのものの話ではないのだが、あのシーンを目にして「誰だ?あの神々しいまでの美女は?」「美し過ぎる、この世のものとは思えん!」と思った方はさぞ多かったはず。
トロフィーを披露する役回りで、映画女優のディーピカー・パードゥコーンが出ていたのだ。美貌と見事な8頭身は言うまでもないが、背丈が175cmくらいあるので、このような場で大変見栄えがする。
どういう経緯でここに出ていたのか知らないのだが、本大会に出場していないインドが決勝戦でこのような存在感を示したことに、侮れないものを感じた。
昨夜の決勝戦の場に姿を現したディーピカーという名の「勝利の女神」は、120分に及ぶ両者の激しい戦いを目にして迷いつつも、最後の最後で青と水色のユニフォームの側に微笑んだ。
だからアルゼンチンはPK戦を制することができたのだ。そして私たちはいつもなんとなく口にしていた「勝利の女神」は、実はインドからやってくることを知るに及んだ次第。
開催地、開催時期、全日晴天、サウジアラビアの大金星、日本の躍進、モロッコの大躍進等々、異例なことが多かった今大会は、やはり歴史的な大会であったことが、最後の舞台で大きく印象付けられた。
FIFA World Cup: Deepika Padukone unveils trophy in final – WATCH (THE BRIDGE)

挿入歌の歌詞はまさにそれを象徴している。この曲は耳にするのも小恥ずかしいような感じで好きではなかったが、今になって振り返ると公開された1988年はまさにそういう時代。
息子は親の言うとおりに勉強して、幸いドロップアウトしなかったら親の進める道をいくか、家業を継ぐのが当たりまえ。そして結婚相手は親が決めて自然と決まっていくものでもあったけど、それに対するささやかな反抗の歌。ジューヒー・チャーウラーとアーミル・カーンがともに初主演で大ヒットした作品「Qayamat Se Qayamat Tak」の挿入歌のひとつである。
Papa Kehte Hain Bada Naam Karega (Youtube)
………………………………………………………………………
パパは言う。僕がどんな立派なことをするかと
息子がどんな仕事をするのかを
だけどそんなことは誰にもわからない
この僕がどこに向かうのかなんて。
………………………………………………………………………
その後、1990年代に入ると衛星放送が解禁されて海外の映画やドラマなどが雪崩を打ってインドに入ってくるようになり、民間のテレビチャンネルも雨後の筍のように一気に広がったインドで、1980年代のスタイルの映画が生き延びる術はなかった。
経済開放へと舵を切ったインドで、外資が各産業にどんどん食い込んでいったのは、映画界も例外ではなく、「お金になる」ヒンディー語映画界にはハリウッドからの資金がじゃぶじゃぶ投入されるようになった。それまでマフィアが資金調達の相当部分を仕切っていた映画界がある意味健全化していく側面もあった。
金を出して口も出すのがハリウッドなので、インド国外での上映も視野に入れて、上映時間が長大なものはこの影響により減っていった。今も「インド映画はとにかく長い」と思いこんでいる人はなぜか少なくないように聞くが、現在のヒンディー語娯楽映画の尺の長さは一般的な洋画や邦画と同じになっている。
そんなことからも、往時のヒンディー語映画と今のそれとでは、作風も傾向もまったく別物となっている。インドは広いので、あまりそうはなっていない地方語映画もあるかもしれないし、ヒンディー語映画でもボージプリー映画、チャッティースガリー映画といった方言映画には、古い古い時代の個性が強く残る作品も少なくないようではあるものの。
そんな具合からも映画というのは、まさに時代や世相を写す鏡であると言える。


ナガランド出身でムンバイで活動するモデル、アンドレア・ケヴィチュサー。15歳の頃から時折モデルの仕事などもしていたとのことだが、メガーラヤ州都シローンで高校を卒業した2019年、ムンバイに拠点を移して本格的にモデルの仕事に従事するようになった。そしてこのほど封切となった作品「ANEK」で映画デビューを果たした21歳。
私たちと同じモンゴロイドでボリウッド映画に出演する人は皆無ではないものの、ハードルの高い世界。今後も役柄に恵まれて活躍する場を持てるとよいと思う。北東部出身の人たちへの差別感情の解消にも繋がることを期待したい。
こちらは映画デビューに際しての本人、アンドレア・ケヴィチュサーさんへのインタビュー動画。日本でJRに乗っていたら誰も「インド人」とは思うはずもない「和風顔」である。
NAGALAND MODEL ANDREA KEVICHUSA’S FEATURE MOVIE ‘ANEK’ RECEIVES POSITIVE RESPONSE (Youtube)

インドでは3/11に公開されたとのことで日本のNETFLIXでも早く取り扱って欲しい。
インド国内でカシミールからの避難民がいることはご存知だろう。1990年代、カシミール渓谷の混乱期に故郷を追われた「カシミーリー・パンディット」つまりカシミーリー・ブラーフマンたちだ。この時期のカシミールでは、1987年の州議会選挙における不正疑惑を期に騒乱が始まり、西隣国による工作もあり、インドからの分離を求める武装闘争に発展していく。その中でカシミーリー・パンディットたちは親インド的であるとされて誘拐されたり、武装組織に殺害されたり、家屋を焼かれたりと激しい攻撃の対象となった。
カシミールでの騒乱をイスラーム主義過激派による活動と勘違いしている人たちも少なくないが、カシミール民族による民族主義運動で、そこに西の隣国、その庇護下にあるイスラーム主義武装組織がテコ入れして煽るという構図であった。
ともあれ、カシミーリー・パンディットたちは故郷を離れてジャンムー側に逃れた人たちが多く、さらにはパンジャーブ、デリー、UPその他各地に定着している。彼らはブラーフマンということで、その他のヒンドゥーたちはどうなったのか?と思う方もあるかもしれない。カシミールはイスラーム教徒からしてみると、平和にそして広範囲に深く信仰が浸透できた土地で、13世紀以降に広まったイスラームに大半の人たちが改宗しており、ヒンドゥーのコミュニティーはほぼブラーフマン、現在「カシミーリー・パンディット」と呼ばれる人たちしか残っていないのだ。もちろんそのパンディットのコミュニティーからも少なからず親族まるごとイスラームに改宗したという例は少なくないのだろう。
初代インド首相のジャワハールラール・ネヘルーは、親しみを込めて「パンディット・ジー(学者様)」と呼ばれていたが、単に彼がブラーフマンの知識人であるからというわけではなく、彼自身がそのカシミーリー・パンディットの家の出であったからだ。
出演している名優アヌパム・ケール自身もカシミーリー・パンディットだが、彼はもともとJ&K州の外で過ごしてきた人なので、迫害を自身で経験したわけではない。もうひとつ、作品の背景として興味深いのは、上映される環境が政治的にバイアスがかかっていることが想定されることだ。BJPお勧めの映画でもあるようで、同党の治世下にある州では「免税上映」となっているらしい。
The Kashmir Files now tax-free in Uttar Pradesh, announces Yogi Adityanath (Hindustan Times)
上に引用したリンクはUP州における免税上映のことを報じているが、ウッタラーカンド州、ゴア州、その他のBJPが与党の州では同様の措置を講じているそうだ。「ぜひとも我が州民の皆様に観て考えていただきたい」ということなのだろう。
実は、まさにこのカシミールの騒乱とカシミールの分離主義勢力によるカシミーリー・パンディットへの迫害は、BJPが急成長する原点であったとも言え、同党にとっては忘れることのできない原風景なのだ。ムスリムの人たちに関する悪宣伝と対立を煽る言質、少数派擁護の姿勢の国民会議派のスタンスを「トゥシティーカラン(甘やかし)」とこき下ろし、「ヒンドゥー・ラーシュトラ(ヒンドゥー国家)」を唱えて、支持を広げていった。
国民会議派政権下で、独立以来ずっと「ダルム・ニルペークシ(世俗主義)」が国是であると教えられてきて、それでいて英国植民地時代の手法「Devide and Rule(分割統治)」を地でいくような統治手法に矛盾を感じてもいた当時の人たち。そんな中で「ヒンドゥーこそ至上」「多数派こそ正義」などと胸を張ってはいけないものと教育されてきた世代の人たちにとって、エポックメイキングな出来事であったのが、BJPが広めるまったく新しい「ヒンドゥー至上主義」。
その至上主義というのは、驚くべきことに古典や経典に縛られた教条主義、復古主義とは無縁で、しかもカーストや階層にもこだわらず誰もが等しく参加できる。加えてインド起源の信仰であればスィクでも仏教徒でもジャイナ教徒でもなんでもOK。それまでは蚊帳の外だった低いカースト、さらには少数民族であっても歓迎されるという、極めて緩くて懐の広いものでもあったため、あれよあれよと言う間にこれが時流となり、支持を急拡大させていった。それまでメインストリームの外にいた人たちやそうした層をも取り込んで、これまでの「主流派」に合流させて、「拡大主流派」を誕生させることとなった。これが現在のBJPの支持基盤だ。メインストリームの外の人たちも合流したがゆえに、インド北東部のような「蚊帳の外」であった地域でも続々BJP政権が成立するようになった。
もちろんそうなっていく過程で幾度も軌道修正がなされているわけだが、80年代まで弱小政党だったBJPが大きく飛躍するきっかけとなった背景がRam Janambhumi(ラーマ生誕地)問題であり、統一民法問題(インドの民法は宗教別)であり、カシミール問題でもあった。それまで少数派に譲歩ばかり強いられてきたと感じていた人たちによる「多数派の逆襲」がBJPの急伸。
ここに描かれている当時のカシミールの世相は、後のBJPを育むこととなったサフラン精力的台頭の原点のひとつと言える。BJPにとってもそれを支持するひとたちにとっても、まさに「その時、時代が動いた」と言える思い出のひとつが、この時期のカシミールの世情である。


各界で「レジェンド」と呼ばれる人たちがいるが、彼女はまさにその「レジェンドの中の超スーパーレジェンド」だった。1940年代末から1990年代にかけて、ヒンディー語映画をはじめとするインドの様々な言語の映画のプレイバック・シンガーとして数々の曲を「天使の歌声」とともに世に送り出してきた。映画館ではもちろんのことだが、「街角で流れている歌」「バスの中でも流れている曲」を代表する存在であり、まさに「インドの主要な音源」であった。
これほど広くの人々、すべての世代、すべての階層の人たちに愛された商業音楽の歌い手は、彼女を置いて他にはいなかったし、今後も現れないことは間違いない。「間違いない」というのは、現在のインドの映画は昔と違って挿入される音楽や歌にほとんど依存しない作品が多くなっていること、映画館のマルチプレックス化とともに、マーケティング戦略も年代、階層、地域などを絞って行うため、「全インド全世代」のヒットは生まれにくくなっていることもある。つまりラターの時代と今とでは、土俵そのものが違っているからだ。
そんな彼女は92歳でこの世を去ったわけだが、とても気の毒なことに大往生というわけてはなかったらしい。1月に新型コロナに感染して入院した後、容体が悪化を続けて、本日2月6日に多臓器不全で亡くなってしまったからだ。あれほどのレジェンドですら、コロナと無縁ではいられないこと、まだ若い世代にとってはちょっとした風邪のようなものであってもこれほどの高齢ともなると、コロナ感染は非常に危険であることも改めて思い知らされる。
マラーバル・ヒルのシュリー・ラクシュミー寺院やハジ・アリー・ダルガーなどがある海岸線近くのペッダル・ロード沿いの「プラブー・クンジ」という素敵なコンドミニアムにラター・マンゲーシュカルは暮らしていた。ムンバイ訪問時にそのあたりを通過するたびに「ああ、ここにお住まいなのだなぁ」と思ったりした。2,000年以降も幾度か新曲やアルパムを発表していたが、ほぼご隠居状態で悠々自適の日々を過ごされていたようだ。
さきほどニュースメディアを通じて哀悼の意を表明していたモーディー首相だが、本日午後6時半から行われる「アンティム・サンスカール(人生最後の儀式=火葬)」にデリーから駆け付けるとのことだ。
長年、「ラター・ディーディー(ラターお姉さん)」として人々に親しまれてきた彼女のご冥福をお祈りします。
Lata Mangeshkar passes away: The day music died (Hindustan Times)
ボリウッド俳優シャールクの息子、アリアンといえば、まさに父親シャールクと瓜二つで、ひと世代離れた双子というか、シャールクがそのまんま大きく若返ったような具合。母親ガウリーの面影はどこへやら、ほとんどシャールクの若いコピーとしか思えない
現在24歳、そんな彼がドラッグ関係で逮捕された。
テレビのニュース番組Aajtakで見たのだが、出来心によるドラッグ所持ではなく、かなり長い期間に渡り密売組織と繋がりがあったらしいとのことで、かなり深刻な話のようだ。
何ひとつ不自由ない環境というよりも、手に入らないものは何もない、使い切れないほど無尽蔵の富に囲まれて、国民的な大スターの息子として甘やかされて育ったからだ、などと言う人もいるかもしれないが、そういう境遇でもきちんと育って立派になる人は多いし、普通の庶民の出なのに、手のつけようもないほど悪くなる者もいる。親からしてみると、風貌も気質もどこか自分に似ている子といっても、親とはまったく異なる独立した人格なので、親への依存が薄れていく年代へと成長していくにつれて、親の思ったようにはならなくなっていくのは世の常だ。
それにしても、ちょっとしたケンカやいざこざを起こしたのとは事情が違うので、父親シャールクも気が気ではないだろうし、逮捕した警察も「さぁて、いくら巻き上げられるだろうか?」などと署内で悪徳幹部たちが額を寄せ合って相談しているかもしれない。
「バードシャー(皇帝)」と呼ばれるアミターブ・バッチャンに対して、「キング」と称されるシャールク。あれほどのセレブならば、各所に持つ人脈をフルに活用することもできるのだろうけれども、ただでは済まない話。ここしばらくは、ボリウッド界随一のセレブ、カーン家のドラ息子の不祥事のニュースが日々続くことだろう。父親シャールクが気の毒になる。