バーングラーデーシュの2タカ硬貨は日本製

すでに1年ほど前の話になるが、日本の独立行政法人造幣局がバーングラーデーシュの2タカ硬貨を製造することとなっている。

バングラデシュ中央銀行から2タカ貨幣の製造を受注(独立行政法人造幣局)

バングラデシュ2タカ貨幣製造受注に関する契約調印式(独立行政法人造幣局)

他にもニュージーランド、スリランカ、カンボジアブルネイミャンマーオマーンなどの記念硬貨の製造を受注している。また、独立行政法人印刷局はインドネシア政府証券印刷造幣公社との間で技術協力等に関する覚書を交わしている。

独立行政法人国立印刷局とインドネシア政府証券印刷造幣公社との間で技術協力等に関する覚書を締結 (独立行政法人国立印刷局)

日本の紙幣の印刷に使われているのは株式会社小森コーポレーションの印刷機だが、インド中央銀行に紙幣製造一貫プラントを1996年に納入開始している。

日本の貨幣製造技術が国外でも高く評価されているがゆえのことであり、人々が日々手にするお金に日本の「技」が生きているということは喜ばしく思う。

ASUS TF103C

 

最近のAndroid環境は、スマホでやタブレットといったハード面でも、OSやアプリ等のソフト面でも、AppleのiPhone, iPadなどに較べて遜色なくなってきた。

タブレットも携帯性を重視した7インチという小さめのサイズ、主に自宅での利用を視野に入れた10.1インチの大型画面のモデル等、各々の使用目的に応じて、様々な価格帯から選択できるようになっている。先月はLenovoから13.3インチという、とりわけ大きな画面を持つタブレットも発売されている。タブレット端末も低価格化が進み、かなりハイスペックなものが手頃な価格で購入できるようになっているのも嬉しい。

これほど世間にタブレットが浸透している背景には、寝ているとき以外の時間帯にはネットに常時接続であるということが当たり前になっていること、様々な形態によるネット接続の普及、電子書籍の普及などもあるが、大きな画面サイズであるがゆえの「スマホではこなせない利用目的」や「パソコンではちょっと難しい用途」、つまりスマホとパソコンの間の隔たりを埋めるエリアへの需要が高いからだ。スマホ、タブレットとパソコンの利用目的は重なる部分はあるものの、守備範囲は大きく異なるがゆえに、三者三様の需要がある。

だがタブレットのサイズについては、ノートパソコンに近いものがあるため、このふたつを兼ねることができる、つまりタブレットとしてもノートパソコンとしても利用できるようなものがあると便利、というニーズも当然あるわけで、それに対応したのがウィンドウズOSで駆動する、あるいはAndroidで動くキーボード付きタブレットであるということになる。

両者ともに長所・短所があることについては否めない。前者はほとんどパソコンとして利用できる強みがあるが、それとは裏腹にスマホで馴染んでいるAndoroid環境とは異なることにストレスを感じたりすることもあるだろうし、Androidではごく当たり前のアプリがWindowsにはない、ということもよくある。

後者については、従来のスマホやタブレット環境と同じという点が利点であるとともに、Windowsではないためパソコン環境とかなり違うという不利な部分が表裏一体となっている。つまり「いつも使っているアプリ」をじゃんじゃん利用できるという便利さがあるものの、マウスを使えないこと、印刷や保存ファイルの取り回しから始まって、パソコンでいつも使用しているソフトを使うことができないなどといった制約がある。

だが最近ではAndroid 端末からの印刷が可能となっているプリンターは少なくないし、少なくともオフィス系のソフトならば、Microsoftの製品と互換性を持たせたものが出ている。そのため、タブレットとして利用しつつも、限りなくパソコンに近い使用さえも可能な製品も数多く出回るようになっている。

日本語文書を作成する際に、打鍵数が少なくて大量の文字を打つ場合に有利な「かな入力派」にとって、Android端末への物理キーボードからの日本語入力環境が基本的に「ローマジ入力」であったことすでの過去の話となり、現在ではnicoWnn IMEをインストールすることにより、「かな入力」環境がごく当たり前に用意することができるようになった。

キーボード付きタブレットといえば、やはりパソコン的な用途となることが多いためか、Windows RTあるいはWindows 8で動くモデルが多いようだ。しかしながら個人的にはスマホあるいは小ぶりなタブレットの延長線上にあるAndroidベースのものもなかなかいいと思う。先述のとおり、日本語入力環境が改善されていることもあるし、オフィス系のソフトもマイクロソフトと互換性の高いものが無料あるいは廉価で入手できるからだ。

そうしたアンドロイドOSでキーボード付きのタブレットとしては、ASUSのTF103Cはとりわけ魅力的に感じられる。今年7月に発売されたが、すでに3万円以下で入手できるようになっている。スペックもハイエンドとは言わないまでも、必要にして充分以上の性能だ。コストパフォーマンスの観点から卓越したものがある。

タブレット本体の重量は550gだが、キーボードを付けると1.1kgとやや重くなってしまう反面、手にしてみるとなかなかしっかり感があって好ましく思える。取り外しができるキーボードだが、造りもしっかりしているし、合体時には実にしっかりと本体と結合するのも安心感があっていい。

SIMを差し込んでの3GやLTE通信は対応しておらず、ネット接続はWifiのみとなるが、Wifi環境のない場所では、スマホからBluetoothテザリングでネット接続するという前提が考えると、これまた安上がりでいいかもしれない。

単体でタブレットとして使ってもよし、キーボードを装着してノートパソコン的に利用してもよし。日常生活で、また旅行先でも大いに使い回すタブレット兼ノートパソコンとしての大いに活用できる1台ではないだろうか。

Asus Transformer Pad TF103C 2-in-1 Android tablet review (liliputing.com)

 

 

 

ラダックの氷の卒塔婆プロジェクト

NGOジュレーラダックのウェブサイトにて、この団体の現地パートナーであるSECMOL
の興味深いプロジェクトが紹介されている。

氷の卒塔婆プロジェクト基金(ジュレーラダック)

氷河が融解して水が流れ出す前の4月と5月、畑での耕作を開始する時期にあたるラダックの農家は水不足に直面するとのことで、地球温暖化により氷河そのものが後退している中、さらに困難な局面を迎えているのだという。

そうした中で、冬の間にも利用できる水をストゥーパのような形にして貯めておき、ここから融解する水を先述の季節に利用するというアイデアだ。ストゥーパの形にするというのは、体積に対して表面積を小さくすることにより、溶け出すまでの時間を稼ぐためである。

環境に負荷をかけることなく、すでに存在している水資源を有効に活用しようという、地元の人々が主体の自助努力であり、今後の進展が注目される。詳細や寄付金受付等については、上記のウェブサイトに記載してあるのでご参照願いたい。

自国内の「無国籍者」に他国籍を買うクウェート

インドとは関係のない話で恐縮であるが、こんなニュースが目に付いた。

無国籍住民に大量の外国籍を買うクウェートの真意 (ニューズウィーク)

クウェートにて、昔からその土地に住み着いていたベドウィンの子孫にコモロ連合の国籍を買い与えており、コモロ連合はすでにそうした人々に対してパスポートを発行しており、こうした措置に対して人権団体が反発しているとのこと。

確かに、記事中にあるとおり、無国籍であった人々の立場に公的な位置づけがなされることにより、それに応じた行政サービスを含めた措置が可能となるという面はあるのだろう。

しかしながらその結果として、彼らが代々居住してきた(国境のこちら側と外側とを行き来しながら暮らしていたにしても)土地の市民ではないということが明確となることにより、つまり「外国人」となることにより、クウェート国内で暮らしていくには、当局の発行する在留資格が与えられることにより可能となるわけである。

当然のことながら、クウェートで「自国民」と同じ権利を有することにはならず、様々な不利益が容易に想像できる。また、在留資格が延長できなかったり、失効するようなことがあったりすれば、「外国人」である以上、国外に退去しなくてはならなくなる。

そうした人々に対して、まず在留資格を与える時点で選別がなされるということも可能となり、無事に在留資格が与えられたにしても、個々に対して恣意的な対応や措置、つまり国外への退去強制という手段がなされるのであろうし、それを実行できるようにするというのがこうした政策の意図であろう、というのがこの記事の意味するところであるが、まさにそれ以外の目的は考えにくい。

そのコモロ連合とはどのような国かといえば、アフリカ東部のマダガスカル近くにある島嶼部から成る小国で、概要についてはこちらをご参照願いたい。

コモロ連合基礎データ(外務省)

海洋交易を通じてアラブ世界との交流が盛んであった地域だけに、住民の大半がイスラーム教徒であり、アラブ系住民も多い国ではある。

クウェートに居住しながらも、こうした国の籍を与えられた人々に対して、「本国」から必要な庇護が与えられるとは考えにくく、仮に住み慣れた国での在留が認められず、縁もゆかりもない「本国への送還」となった場合、大変な苦難が待ち受けていることは言うまでもない。

これはクウェート国内に居住する無国籍の人々に対する地位保証の措置ではなく、明らかに金満国家による棄民政策である。

Namaste Bollywood +42

Namaste Bollywoodの第41号について取り上げた際にも触れたみたとおり、同誌は第42号から有料版へと移行した。これにともない、全32ページで総カラーとなり、内容もさらに充実して、より読み応えのある内容となっている。発行回数は年3回とのこと。

インド国外でもユニバーサルな人気を誇るインドのヒンディー語映画だが、おそらくどこの国の映画においても多かれ少なかれ、その国や民族の文化、伝統、習慣といったものが反映されるものだ。ましてやディープで多層的な文化と豊かな民族的な幅を持つインドにおいては、ことさらそうした背景の知識を持つことが、作品のより深い理解へとつながる。

これについては、ハリウッドをはじめとする欧米の映画についても同様なのだが、そうした地域の予備知識的なものについては、多かれ少なかれ私たちはすでに馴染んでいるというある種の「インフラ」的なものが、日本の大衆文化の中にあるという点がインドの映画に対するものとは異なる。まさに同誌においては、インドの社会や文化についての考察と合わせた形で、これまでボリウッド映画の紹介がなされてきたわけであり、定期的に「ボリウッド講座」の開催も行なっていることは言うまでもないだろう。

2006年に創刊し、すでに9年目を迎えるNamaste Bollywood誌だが、ここ2年ほどの間に日本で劇場公開されるインドのヒンディー語映画が着実に増えていること、またそれらに対する日本の観客の評価が高いことなどを見ていると、ようやく今になって1990年代の日本における「インド映画ブーム」により、各メディアから恣意的に刷り込まれた妙な先入観の呪縛から解き放たれて、インドのヒンディー語映画の良作がすぐれた作品として迎えられる地盤が整ってきているという気がする。過去の「インド映画ブーム」でネガティヴな刷り込みが風化しただけではなく、当時を知らない若い世代の人たちが映画の観客のマーケットに大きな比重を占めるようになってきたという面もあるだろう。今後、都市部ではいつもどこかでヒンディー語映画が上映されているということが当たり前という時代が近づいて来ているのかもしれない。

こうした機運が高まりつつある中、この流れへと導いてきたさまざまな要素があるはずだが、その中においてNamaste Bollywood誌が果たしてきたもの、ボリウッド講座や各種イベントを通じて広く人々にアピールしてきたことなどによる貢献が占める割合も非常に高いものがあるに違いない。

近年、日本で劇場公開されたインドのこうした映画といえば、すでにインドで大ヒットしたり、評価が高かったりした映画が、かなりの時間差を経て上陸するという形であった。これが本国とほぼ時を同じくして公開されるような機運になってきたとき、インドのヒンディー語映画が日本にしっかりと定着したということになるのだと私は考えている。

公開する側にとって、本国でのリリース後の評判を見ずして、充分な集客が容易に期待でき、商業的なリスクのないものとなるには、インドのヒンディー語映画が日本の大衆娯楽の中にしっかりと根を下ろしていく必要がある。劇場公開される映画が観客にとって「評判いいらしいから来てみた。誰が監督しているのか、出演者が誰なのかよく知らないけれども、感動的な作品だった」という一過性の娯楽で終わるのではなく、監督をはじめとする製作者や出演する俳優・女優に対する関心も高まってくるかどうかが大きな分かれ目となる。これは、ハリウッド映画において、巨匠による作品や日本でも人気の高い俳優が出演する映画であれば、公開日が決まった時点から大きな話題となることからもよくわかるだろう。

Namaste Bollywood誌の執筆陣には、発行人のすぎたカズト氏、インド映画評論家の高倉
嘉男氏、インド宮廷舞踊家の佐藤雅子氏、インド学研究家の高橋明氏と豪華な顔ぶれを揃えており、非常に読み応えがある。また、「マダム・イン・ニューヨーク(ENGLISH VINGLISH)」のガウリー・シンデー監督、ミュージシャンで映画の音楽監督でもあるA.R. ラフマーンへの貴重なインタビュー記事なども見逃せない。こうした形でのインドのヒンディー語映画に関する、またその背景となるインドに関する知識の拡散と定着が、日本における劇場公開の定番化へとつながっていくことと信じている。

まずはぜひ、このNamaste Bollywood +42を手に取ってじっくりとお読みいただきたい。
入手方法については、同誌のウェブサイトに書かれているとおりだが、今号からは楽天市場ヤフー!ショッピングでの取扱いも始まったようである。