Namaste Bollywood +42

Namaste Bollywoodの第41号について取り上げた際にも触れたみたとおり、同誌は第42号から有料版へと移行した。これにともない、全32ページで総カラーとなり、内容もさらに充実して、より読み応えのある内容となっている。発行回数は年3回とのこと。

インド国外でもユニバーサルな人気を誇るインドのヒンディー語映画だが、おそらくどこの国の映画においても多かれ少なかれ、その国や民族の文化、伝統、習慣といったものが反映されるものだ。ましてやディープで多層的な文化と豊かな民族的な幅を持つインドにおいては、ことさらそうした背景の知識を持つことが、作品のより深い理解へとつながる。

これについては、ハリウッドをはじめとする欧米の映画についても同様なのだが、そうした地域の予備知識的なものについては、多かれ少なかれ私たちはすでに馴染んでいるというある種の「インフラ」的なものが、日本の大衆文化の中にあるという点がインドの映画に対するものとは異なる。まさに同誌においては、インドの社会や文化についての考察と合わせた形で、これまでボリウッド映画の紹介がなされてきたわけであり、定期的に「ボリウッド講座」の開催も行なっていることは言うまでもないだろう。

2006年に創刊し、すでに9年目を迎えるNamaste Bollywood誌だが、ここ2年ほどの間に日本で劇場公開されるインドのヒンディー語映画が着実に増えていること、またそれらに対する日本の観客の評価が高いことなどを見ていると、ようやく今になって1990年代の日本における「インド映画ブーム」により、各メディアから恣意的に刷り込まれた妙な先入観の呪縛から解き放たれて、インドのヒンディー語映画の良作がすぐれた作品として迎えられる地盤が整ってきているという気がする。過去の「インド映画ブーム」でネガティヴな刷り込みが風化しただけではなく、当時を知らない若い世代の人たちが映画の観客のマーケットに大きな比重を占めるようになってきたという面もあるだろう。今後、都市部ではいつもどこかでヒンディー語映画が上映されているということが当たり前という時代が近づいて来ているのかもしれない。

こうした機運が高まりつつある中、この流れへと導いてきたさまざまな要素があるはずだが、その中においてNamaste Bollywood誌が果たしてきたもの、ボリウッド講座や各種イベントを通じて広く人々にアピールしてきたことなどによる貢献が占める割合も非常に高いものがあるに違いない。

近年、日本で劇場公開されたインドのこうした映画といえば、すでにインドで大ヒットしたり、評価が高かったりした映画が、かなりの時間差を経て上陸するという形であった。これが本国とほぼ時を同じくして公開されるような機運になってきたとき、インドのヒンディー語映画が日本にしっかりと定着したということになるのだと私は考えている。

公開する側にとって、本国でのリリース後の評判を見ずして、充分な集客が容易に期待でき、商業的なリスクのないものとなるには、インドのヒンディー語映画が日本の大衆娯楽の中にしっかりと根を下ろしていく必要がある。劇場公開される映画が観客にとって「評判いいらしいから来てみた。誰が監督しているのか、出演者が誰なのかよく知らないけれども、感動的な作品だった」という一過性の娯楽で終わるのではなく、監督をはじめとする製作者や出演する俳優・女優に対する関心も高まってくるかどうかが大きな分かれ目となる。これは、ハリウッド映画において、巨匠による作品や日本でも人気の高い俳優が出演する映画であれば、公開日が決まった時点から大きな話題となることからもよくわかるだろう。

Namaste Bollywood誌の執筆陣には、発行人のすぎたカズト氏、インド映画評論家の高倉
嘉男氏、インド宮廷舞踊家の佐藤雅子氏、インド学研究家の高橋明氏と豪華な顔ぶれを揃えており、非常に読み応えがある。また、「マダム・イン・ニューヨーク(ENGLISH VINGLISH)」のガウリー・シンデー監督、ミュージシャンで映画の音楽監督でもあるA.R. ラフマーンへの貴重なインタビュー記事なども見逃せない。こうした形でのインドのヒンディー語映画に関する、またその背景となるインドに関する知識の拡散と定着が、日本における劇場公開の定番化へとつながっていくことと信じている。

まずはぜひ、このNamaste Bollywood +42を手に取ってじっくりとお読みいただきたい。
入手方法については、同誌のウェブサイトに書かれているとおりだが、今号からは楽天市場ヤフー!ショッピングでの取扱いも始まったようである。

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