アルメニア人教会のクリスマスイブ

アルメニア教会

世界に散在するアルメニア教会では、クリスマスを1月6日に祝う。クリスマスイブに当たる1月5日の夕刻に、コールカーターのOld China Bazar Streetにあるアルメニア教会を訪れてみた。

ここは細い路地の両側には、主に紙製品等を扱う商店、卸問屋などがぎっしりと並び、路上でも荷解きや卸先への発送準備などをしており人通りも多い。真っすぐ進むこともままならない物凄い混雑だ。大変密度の濃い商業空間から、突然姿を覗かせるインドらしからぬいでたちの建物がアルメニア教会だ。

建物内部やミサの様子の写真を撮ることは許されないため、その様子を画像で紹介することは出来ない。だが荘厳な衣装を身にまといミサを執り行う司祭も正装して集う数十名の信者たちも欧州人にしか見えない風貌と肌の色をした人たちだ。カルカッタにいることをつい忘れてしまいそうだった。

インドにおけるアルメニア人居住の歴史は、7世紀あたりから始まるようだが、コールカーターにおいては、17世紀にイギリスによってこの街が築かれてからということになるため、外地からここへの移民史もそれ以降に始まったことになる。この街における彼らの伝統的な居住地は白人地区と隣接したエリアで、ちょうどユダヤ人や華人たちのそれと重なる。

ユダヤ人と同様、植民地を支配する英国の買弁としての商売に従事した人たちが多かったため、後ろ盾であり最大の顧客を失うことに繋がったインド独立に際して、大半がインドを去っている。

インド独立時のカラー映像

ネルー、サルダール・パテール、マウントバッテン総督など、当時の要人の姿をカラー映像で見るのは新鮮な思いがするが、動画半ばで出てくる印パ両国からの難民の姿に、カラーであるがゆえの強烈な現実感をおぼえる。
動画には出てこないけれども、独立のほぼひと月前に、当初の予定ではアッサム地方の一部としてインドに残るはずであったのに、かなり唐突に決まった住民投票で東パキスタン(現バングラデシュ)に帰属することになってしまったシレット(・・・と日本語で表記されるけど、本来はシルハトあるいはスィルハトとすべき)では、相当な混乱があったことと思う。
印パ分離の悲劇については、両国の人々の間で広く共有されている体験だが、英国統治の前に統一インドが存在したことは一度もなく、英国による統一がなければ、現在の形でひとつにまとまったインドが実現することは、おそらくなかったであろうという歴史の皮肉を思ったりもする。

1947 Indian Independence rare color video clip (Youtube)

シャクンタラー鉄道 インドに今も残る「私鉄」区間

インドで植民地時代に建設された鉄道網の中で、唯一現在も「私鉄」となっている区間がマハーラーシュトラ州にあるのだそうだ。

インド独立とともに、各地に存在した鉄道会社は国有化され、「インド国鉄」に統合されたが、なぜかこの区間だけは民間所有のままで残ってしまったらしい。

これは、シャクンタラー鉄道と呼ばれているメーターゲージの区間で、かつてはもっと長大な鉄道ネットワークを運営していたCPRC (Central Provinces Railway Company Ltd)という、1910年創業の歴史的な鉄道会社が現在も所有しており、この区間にインド国鉄が列車乗り入れて運行させているという具合らしい。よって、これを「私鉄」というのはどうか?という気がしないではないが、民間の路線に国有鉄道が乗り入れる形になっている点で、非常にユニークである。

Central Provincesとは、植民地後期のインドにおいて、周囲を複数の藩王国に囲まれたインド中央部の英領直轄地域のことで、このあたりで生産される綿花を輸出するため、この地域に鉄道を敷設したのがCPRCだが、その後まもなく旅客輸送も始めている。

なお、このCPRCはインド独立後は経営が現地化されており、「イギリス企業」という訳ではない。

The little known story about Shakuntala Railway (rediff BUSINESS)

シャクンタラー鉄道のルート

コールカーターのスフィヤー・レストランのネハーリー

コールカーターのナコーダー・マスジッド向かいにスーフィヤーというエコノミーな食堂がある。
いつだか夜が明ける少し前から散歩していたときに見つけたのだが、ネハーリーが非常に旨かったので、この街を訪れたら必ず行ってみることにしている。
ネットで記事をみかけたが、見かけはボロいものの、なかなかの有名店らしい。
開店時間は朝4時。ずいぶん早いが、マスジッドに参拝する人がついでに立ち寄ったりもしているのだろう。

Calcutta Winters – Breakfast With Nihari At Sufia (Sumit Surai)

ウルグアイのチベット仏教寺院

近年、欧州や北米で、チベット仏教界は盛んに活動している。ダライラマ猊下が積極的に続けてきた外遊による影響力、1989年に猊下がノーベル平和賞を受賞したことなどがその背景にあろうことは言うまでもない。

もはや欧米で仏教といえば、「Zen」よりも、チベット仏教系のほうがポピュラーになっているという話さえも耳にする。

さて、リンク先で取り上げられているのは、南米のウルグアイにあるニンマ派仏教寺院とは面白い。また、この寺院を切り盛りしているのは、ロシア系ウルグアイ人というのもまた異色だ。

ウルグアイの神秘的な寺は何を隠しているのか?(SPUTNIK)