ツォ・モリリへ 4

昨夜は10時くらいに寝てしまったので今朝は朝4時半過ぎに起床。まだ外は暗いが東の空が少し明るくなりつつあるのが見える。薄手のダウンを着て布団二枚をかぶっているのだが、これが厳冬期だったらどれほど寒いのか想像すると恐ろしくなる。

暖かい時期でこういう風なので、厳冬期の生活たるや、どんな具合なのだろうか。宿は伝統的な日干し煉瓦造りで、寒々としている。水道も蛇口から出ないので、共同バスルームにはバケツが置いてある。バスルームといってもシャワーや水浴びするようにできているわけではなく、ただのトイレである。階下に暮らす宿の主人家族もずっと風呂はおろか洗濯もしていない感じだし、昔のレーの宿はこんな感じのところがあったな、と思い出した。

起きだして少し日記をしたためていると、すぐに外は明るくなってきた。幸いなことに今日の天気は昨日ほど悪くないようだ。

昨日の展望台から撮影しようと思い、寺院裏手の階段を上って行き、チョルテンが並んでいるあたりまで行ったのだが、犬が十数匹いて互いに争っているため、ちょっと危険かと思い、寺院の屋上から撮影することにした。

そういえば昨夜もかなり犬の吠える声があちこちから聞こえていたし、窓の下で犬の吠える声に続いてロバの悲鳴が聞こえた。数匹の野犬たちがロバの脚に咬みついている。野良犬というのはまったくろくなことをしない。

その可愛そうなロバとは別のもののようだが、ロバが二匹まるで会話でもしながら歩いているかのようにして連れだって進んでいた。しばらくすると同じようにして戻ってきて、まるで人間が散歩しているみたいだ。

湖の風景をしばらく楽しんでから、宿で出してもらった簡単な朝食を済ませてツォ・モリリを出発する。湖のほとりの眺めの良いところで何か所か停車してもらって景色を堪能した。

_

コルゾクの村を出てすぐのところにあるスムドという集落には、チベット難民の子供たちを支援する組織TCV (Tibetan Children’s Villages)が運営する学校があった。つまりこの界隈に亡命チベット人居住区があるということになるが、このような気候条件の場所に定住するのはなかなか大変なことと思う。もちろんチベットにはもっと条件の悪い地域もあるのかもしれないが。

TCVが運営する学校

そこから昨日、ツォ・モリリと勘違いした小さな湖に向かう。ここでも少々ストップして撮影。昨日は真っ青に見えたのだが、今日は灰色。時間帯や日が差し込む角度次第なのだろう。

 

遊牧民の移動式住居


かなり進んでいくと遊牧民たちの姿があった。厳しい環境でこうした生活を送るというのは大変だが、中には町に定住する人たちもあるのだろうか。人々はボロボロの恰好で家畜の世話をしている。

ツォ・カル

その後、ツォ・カルという塩湖に行く。たくさんの塩が溜まっていて、白い岩のようになっている。少し先に行ったところにあるトゥクジェという集落にあるテントの食堂で昼食。あまり食欲の沸く環境ではないのでマギーにした。だがテント式の食堂の雰囲気はいい。明かり取りの穴が天井中央に開いていて、壁の部分には丸く腰掛けるスペースが配置されており、その上にはチベット風デザインのカーペットが敷いてある。

_

これほど毛足の長い犬は初めて見た。まるで羊かと思う。

そこから次第に高度を上げて、タグラン・ラという5260mの峠に向かう。ここまで高くなると、クルマで走っているというよりも、飛行機で飛んでいるような気さえしてくる。空気が薄いのかどうかは感じないが、おそらく走ったりするとすぐに息切れしてしまうのだろう。こんな峠で息を切らせながら越えて行くサイクリストもいるのだから恐れ入る。

タグラン・ラを越えて

場所によって地質がかなり異なるようで、山肌の色や質感がずいぶん違う。細い筋状に浸食されている岩肌もあれば、ゴツゴツとしたものもある。また砂状の斜面になっているところもある。

クルマは次第に高度を下げて、やがてミルーの集落を越えたあたりでインダス河沿いに出る。ここまで来ると「低地に来た」という感じがする。飛行機でデリーからレーに入った際には、「高地に来た」と感じたのだが。要は比較の問題である。

レーの近くまで来た。ラダックで雲が山間に低くたれこめていたり、谷間が雲で覆われていたりするのは初めて見た。まるでモンスーン期のヒマーチャルにいるかのようである。荒々しい景色も雲がかかると優しい感じに見える。気温は普段よりも低くて、潤いのある空気になっている。これはこれで気持ちが良い。

同じラダック地域といっても景色や風土にずいぶん大きな差異があるし、同じ場所でも天候が違えばまったく異なった印象となる。時間さえ許せば、春夏秋冬、あらゆる季節に訪れて、そのシーズンごとの味わいを楽しんでみたいものだ。

〈完〉

ツォ・モリリへ 3

せっかくのツォ・モリリ到着だが天気には恵まれなかった。

道を更に進んで村の中心部に入る。ここまで来るといくつかのゲストハウスの看板が目に付く。結局、ゴンパのすぐ隣のゲストハウスに宿泊することにした。ちょうどこの日にダージリンからあるリンポチェがやってくるとのことで、出迎える人たちが集まっていた。この村の人々以外に、周囲の地域で遊牧をしている人たちも大勢来ているとのことで、ボロボロの恰好をした人たちも少なくない。外地から高僧がはるばる訪問するという特別なハレの日ということもあり、ラダックの伝統的な頭飾りと民族衣装をまとった女性たちの姿もある。

遠来のリンポチェの到着を待つ人々

しばらくするとリンポチェのお出まし。人々が急に列を成して出迎える。さきほど見かけた伝統衣装と頭飾りの女性たちが先導して、リンポチェのクルマがやってきた。この出迎えの儀式が終わると、みんなそそくさと帰っていく。

「いよいよお出まし」の知らせとともに道路脇に整列する人々
伝統衣装で着飾った女性たちがリンポチェの乗るクルマを先導

幸いなことに雨は止んだ。しばらく湖の風景をカメラに収める。そうこうしているうちに晴れ間が出てきて、ほんのわずかな時間ながらも深い青色湖の姿を眺めることができた。この時点で気温はわずか12℃。夜間には零下になることもあるのだとか。天空には晴れ、曇り、そして雨天が混在し、広大な大地に複雑な陰影を投げかけている。湖対岸の山々にかかる雲の低さに、ここは海抜4,500mであることをしみじみと感じる。

幸いなことに少し晴れ間が見えてきた
喜んだのも束の間、すぐに厚い雲に覆われてしまったりする。
負け惜しみみたいだが、大地に投げかけられる陰影が刻々と変化するのを眺めているのも楽しかった。
彼方に見えるこの山は中国なのだそうだ。
僧侶たち

同行のマイクとキムと斜面の展望台まで上ると、村の子供たちが集まってきた。好奇心旺盛な彼らは、ちょっと照れくさそうにしながらも、私たちにずんずん迫ってきていろいろな質問をしてくる。そうでありながらも、やはり行儀が良くて控えめなのはラダック人らしいところだ。

村の子供たち。みんなとても利発そうだ。
マイクとキム、そして村の子供たち

斜面を宿のあたりまで下り、ゴンパのお堂を拝観。ちょうど10日に一度のバスが到着したところのようで、正面の広場のところに停車している。

10日に1回、レーとの間を往復するバス。ツォ・モリリ湖畔の村、コルゾクに到着した翌朝、レーへ折り返す。

宿とゴンパの間のスペースに大きなテントを張って営業している食堂がある。ここはかなり繁盛していて、お客がひっきりなしに出入りしている。外国人の利用者も多いようだ。特にこれといった産業もなさそうなこの村で、手際よく、相当なハイペースで仕事を続けている姿を見ていると、おそらくここの女主人は稼いだお金でもっと立派な食堂を建てたり、旅行者相手の宿を開いたり、ということになるのかもしれない。

テントの食堂の女主人は大変な働き者

マイクとキム、そして本日のレーからのバスで到着したという西洋人たちと楽しい会話をしながらの食事。こういう気楽な時間を持てることも旅行の楽しみのひとつである。

この村の野犬は毛足が長く、いかにも高地かつ寒冷地に適応したものであることがわかる。ロバも毛足が長めになっている。動物もやはりこうして環境に適応するようになっているのだろう。

テントの中に座っているのも少々寒くて辛くなってきた。私たちが宿に帰ると、テレビではクリケットの中継が放送されていた。マイクとキムはオーストラリア人らしくクリケットフリークのようで、宿の人や宿泊しているインド人旅行者とクリケット談義に興じていたが、こちらはこのスポーツについては関心がないのでついていけない。本来ならば、インドにおいてクリケットは必須科目であることは間違いないのだが。

天気さえ良ければ、灯の少ないコルゾクの村の夜には満天の星を楽しむことができたのだろうが、あいにく空模様はそういう具合ではない。それでも雲の切れ目から湖水に降り注ぐ月の光が美しかった。

雲の切れ目から月が覗く

〈続く〉

ツォ・モリリへ 2

午前11時ごろにチュマタンという温泉が出ていることで知られる集落。小さな浴場の小屋がひとつあるだけで、温泉そのものが有効に活用されているわけではない。地表から湯が湧き出ているという現象自体がひとつの観光名所となっていることから、ツォ・モリリに行くついでに立ち寄るマイナーなスポットとなっているだけのことである。

昨夜から天気は悪く、ときおり雨がぱらついている。晴れてくれないと、ツォ・モリリの湖の深い青さを堪能できないことになるので、ちょっと気がかりである。ここから先は少々険しい山道となり、雨脚も強くなってきた。道路にはところどころ水たまりもできている。こんな禿山ばかりのところで雨が降るとがけ崩れでも起きやしないかとちょっと気になったりもする。

遠くに湖が見えてきた。

しばらく走ると湖が見えてきた。これがツォ・モリリかと思ったので、想像していたよりもずいぶん小さくて拍子抜けした。だが周囲の開けた景色はなかなかいい感じだ。だが周囲に村や宿泊施設らしきものは見当たらず、果たして宿泊施設が湖からどのくらい遠いのかとも思った。私が同行のオーストラリア人カップル、マイクとキムと盛んに「ツォ・モリリ」について話しているのを耳にしたナワンが言う。「え?あの湖はツォ・モリリではありませんよ。」

だがこの湖はツォ・モリリではなかった・・・。
このあたりまで来ると行き交うクルマも極端に少なくなる。

途中の道で遊牧の人たちのテントも見かけたが、道路沿いでしばしば見かけるのは、道路作業の人たちのテント。インドの他の地域から来た人たちが工事のためにそこに住んでいる。岩を砕いてバラストを作っている人たちもいるが、夜は冷え込んで辛いことだろう。もちろん身体を洗うこともままならないはずだ。

道路工事の作業員のテント

「本物のツォ・モリリ」は、さらに荒野をひた走った先に見えてきた。平地では考えられないような低いところに立ち込めている雲の様子を目の当たりにすると、このあたりで海抜4,500mもあるというのも頷ける。

最後の橋を渡ってから左に進み、湖畔の道をどんどん進んでいく。天気もますます悪化していて、雨もさらに強くなってきた。どんよりとした灰色になってしまった湖は岸辺のあたりは不思議な青色をしている。湖の遠くの部分は晴れているようで、太陽の光が注いでいるのが見える。雨が降るようになると、それまで非常に視界が良かったラダックの景色が一変して、遠くが見えなくなってしまう。やはりラダックの眺望の良さは湿度が極端に低いためであることがよくわかる。

湖の沿岸を進んだ先には軍のチェックポストがあり、そこで追い返されることになった。そこから先、民間人はオフリミットとなっているそうだ。さきほど橋の左手を進んだのが間違いで、本来は右手に行くべきであったらしい。それでも湖畔を余計にドライブできたことは良かったと思う。午後3時くらいにツォ・モリリ湖畔の村、コルゾクに到着。

〈続く〉

下ラダックへ 3

ダーまで来ると、海抜はかなり下がるためか、少々暑苦しく感じる。それでも優に標高3,000mはあるはずなので、高地であることは間違いないのだが。

_

さて、今晩はどこに滞在しようかと思い、アーリア人の村、ダーも魅力的なのだが、ここに来る途中で眺めの美しさに心打たれたスクルブチャンに向かうことにした。村では夕方遅くなってからも収穫作業中で、人々は忙しく働いていた。ゲストハウスの類はないので、どこかホームステイできるところはないかと尋ねまわってみたが、受け入れているところは見つからず、そのままラマユルに向かうことにする。

スクルブチャンの村は収穫の時期

カルツェ方面にしばらく走り、インダス川の対岸に渡り、カールギル方面への道を進む。ラダックはどこもそうだが、水があり、人々が耕作している地域以外は乾燥しきった大地が続き、木々の姿もない山肌が続いている。

地層が垂直になっている巨大な岩盤

地面がむき出しであるがゆえに、地層の激しい褶曲を目の当たりにすることができるため、太古の時代には海の底であった現在のヒマラヤ地域は、インド亜大陸とユーラシア大陸が衝突して持ち上がった結果、形成させてきたものであることがよくわかるとともに、現在もさらに成長しているということも納得できるのである。同時に、山肌や大地の色合いからして、場所により地質が大きく異なることも観察できるようになっている。

おそらくラダックだけではなく、インドのヒマラヤ地域全域に共通することなのだろうが、他の地域では豊かな緑に覆われているため、そうとは気付かないものだ。

ラマユル近くの通称「ムーンランド」。ここの地質も特徴的だ。

ラマユルに到着すると、すっかり陽は暮れていた。ここはメジャーな観光地なので、ラマユル・ゴンパの周辺にはいくつもの宿が軒を連ねている。

宿泊したところの中庭には、バイクでツーリングしているグループが食事をしていた。デリーからヒマーチャル・プラデーシュのマナーリーを経てラダックまで走行してきたメンバーはスペイン人とフランス人で、そのリーダーはツアーの主催者であるスペイン人のパブロさん。恰幅の良い中年男性だ。

彼は、90年代にはデリーでラージャスターンの建築史を学ぶ学生であったという。その後、スペインで仕事に就いていたが、2年前から再びデリーにやってきて、旅行代理店を経営しているそうだ。彼の店はバイクによるツーリング専門で、お客がスペイン人、フランス人の場合は自分がツアーを率いて、それ以外の場合は雇っているインド人スタッフに任せていると言う。

10月にはブータン行きのツアーを予定しているそうだ。そのツアーは12日間で、デリーからバグドグラに飛び、そこからスタートしてジャイガオンからブータン入りするものだという。1日あたり2,500ドルもするそうだ。宿泊代は込みというがやはり飛び抜けて高い。かなり富裕な層の人たちが参加するのだろう。

自室に戻ってから、しばらく日記を書いていようかと思ったが、10時15分くらいで電気が消えてしまう。その後点灯することなく11時を回った。ノートPCのバーテリー駆動で日記を書いていたが、真っ暗な中ではとても目が疲れるのでやめて寝ることにした。

〈続く〉

ポプラと水路の風景

ちょっと奮発してチキンのシズラー

レーの市街地をしばらく散歩してから、ポプラの木立の中に席を並べているレストランで昼食。背の高い木のさらに限りなく上に広がる高い空。ラダックらしい風景だ。

こんな空を見上げるだけでいい気分になってくる。

ポプラといえば、レーから郊外に出ると水路と並んで走る道の両側がポプラ並木になっているところが多い。村の中でも道、水路、ポプラ並木がセットになった景色をよく見かける。

サワサワと流れていく水に心洗われるような気分

仏教寺院の存在や家屋のたたずまいを除けば、中央アジアにも通じる雰囲気がある。古の時代には中央アジアとインドを結ぶ交易路にあったラダックだが、今もそうした地域と陸続きであることを思い起こさせてくれる。

どこの国にいるのか判らなくなるような景色