ヒトもまた大地の子 2

現代のヒトは、野山で狩猟採集生活を送っているわけではないし、そうしたやりかたでは大地が養いきれないほど膨大な人口を抱えている。私たちがこうやって暮らしていくことができるのも、自らが造りだした文明のおかげだ。今後とも発展を続けていくことこそが、私たちの社会が存続していくことの前提なのだから、私たちの生産活動を否定するわけにはいかない。
古の彼方、ヒトという生き物が地上に現れたころ、命を維持するのに必要な水や食料の関係で、生活できる地域は限られていた。河、湖、池、泉といったものが必要で、すぐ近くの海、山、野原などから様々な産物等が容易に手に入ることが必須条件だった。
その後時代が下るにつれて、世界各地で耕作が始まり、ヒトが集住する規模が拡大し、富が蓄積されるようになってくる。やがてそれらの富を広域で動かして交換、つまり交易という活動が盛んになってくる。
文明の発展は同時にヒトの持つ様々な知識を向上させ、技術を進歩させていくことになる。ヒトが集住する地域では都市化が進み、交通や地理学的な知識の蓄積から、生活圏や経済圏は次第に拡大していく。長距離に及ぶ陸や海のルートが確立され、シルクロードに代表される長距離に及ぶ貿易が実現されるようになった。
その後、やがて欧州は大航海時代に入り、世界各地に進出して植民都市を建設していくことになる。様々な富を様々な形でそこから持ち出すことが、彼らの最も大きな目的のひとつであったとはいえ、鉄道敷設が始まる前に建設された市街地の多くは、海や河の岸辺から広がる形のものが多く、まだまだ人々が生活できる条件が揃う地域は限られていたといえる。
だが、いまや国や地域によってはなはだしい格差はあれども、各地に道路、水道、電気等々の生活インフラが行き渡り、蛇口をひねると水がほとばしり、スイッチを入れれば電気が使えて、調理や暖房などのためガスが利用できるようになっている。どこにでもエンジンのついた乗り物で、道路、空路、海路などで簡単に移動できるようになっている。かつては地理的、物理的にヒトの生活に適さなかった土地であっても、ちゃんと生活環境が整うのが今の時代だ。
そうした技術や交通手段の進歩により、都市も拡大している。鉄道、バス、メトロなどの発達により、それらが導入される以前よりも日常的に行動できる範囲が広がっている。これにより、都市の周辺に大きく広がる『郊外』を出現させ、その郊外はさらに近隣の町を呑み込んで市街地をさらに拡大させていく。こうした市街地に生まれ育ったおかげで、自然との関わりを、日々あまり意識できないのは私に限ったことではないだろう。
もちろんそうした技術の進歩や経済活動等の拡大により、産業革命以降、とりわけ20世紀以降はエネルギーの消費量が飛躍的に増えている。近年、先進諸国が停滞している中にあっても、いわゆる新興国の発展にともない各地で大規模な開発が進んでいる。これらにより、環境に与える負荷がますます大きくなっていることは言うまでもない。
生態系システムから大きく逸脱してしまったヒトの社会活動そのものが、大自然というシステムに対していかにリスクの大きなものであるかという認識が広まっている。日々の暮らしや生産活動等が環境に与える影響をなるべく小さくしようと、熱帯雨林保護、CO2排出量の規制、CNGを燃料とするエンジンやハイブリッドエンジンを動力にして走る自動車の導入、日本発の『クールビズ』の呼びかけ等々、世界各地でさまざまな取り組みがなされている。
だが、それらの試みは、これまでの間に失われた環境を取り戻すものではないことは言うまでもない。私たちが自然環境に対して与えるダメージを、今後なるべく小さくしていこうというものでしかない。そのため、われわれ人間が環境や自然に対して与える影響や圧力はどんどん蓄積していくいっぽうなのだ。
ヒトもまた、もともとは自然の生態系の中で育まれた生き物のひとつである。建物やクルマ、電化製品や通信機器といった多くの無機物に囲まれて暮らす私たちだが、大自然という大きなものに対する畏れと愛情を忘れてはいけないと思う。
私たちのこの大地は広大にして精緻なるもの。先述の緑の革命のように、近代的な技術により土地にもともと備わっていた条件を克服したかのように見えても、実は長期的にはその成功は不完全なものであり、背後には厄介な問題が控えていることが判ったりする。
私たちヒトが、母なる大自然への反逆者ではなく、大地の子として周囲と共存していくためには、私たちの存在が自然に対して及ぼす影響の本質について、今後もっと大きく踏み込んだ取り組みが必要であろう。

ヒトもまた大地の子 1

近年、インド各地で農民たちの自殺のニュースをよく目にする。緑の革命に成功したはずのパンジャーブでさえもそうした事例が多い。1961年の大飢饉以降、近代的な農業が導入され、記録的な増産を実現したものの、塩害の問題が取り沙汰されるようになっている。
インドの穀倉地帯、パンジャーブ州の農業の基盤となるのはもちろん広域にわたって張り巡らされた灌漑だが、これらの維持管理の不手際が指摘されている。また河川からの取水だけではなく、地下水も盛んに利用されているが、これは過剰揚水につながり、地下水位の下落につながっている。
また地下水中の含塩量の問題等が指摘されている。これらは国境をまたいだパーキスターン側でも同様であるとともに、はるか西のエジプトにおいても、塩害が深刻な問題になっているという。どの地域も大規模な灌漑に成功し、水利のコントロールと農作物の収穫増に大きな成果が上がったと自負していたはずの地域である。
都会の街中、しかも建物の中にいると、窓の外の気候の変化はまるでテレビの画面の中の出来事のようで、あまり現実感がないといっては言い過ぎだろうか。あるいは大きな建物に囲まれた中に身を置いていると、本来地上の生き物としてあるべき空間、外界とのつながりが希薄になってくる。
空気の乾湿、気温の高低以外に自然界の影響というものをほとんど感じなくさえなってくる。 都市生活の中で、『大自然の脅威』を感じるのは、それこそ大地震であるとか、予期せぬ規模の豪雨のため洪水といった大災害の発生時くらいのものではないだろうか。
ヒトとは、実に環境負荷の大きな生き物だ。地下に巣を掘ったり、樹木を立ち枯れさせるほどに旺盛な食欲を見せる動物たちはいるが、大自然の中に都市というヒト専用のコロニーを造って平野の景色を一変させたり、河を堰き止めて広大な湖を作ったり、ときには山を跡形もなく消失させてしまうなど、大地の有様さえも一変させてしまうほどの大きな力を行使する生き物は他にないだろう。地形だけではない。大気や水さえも汚濁させて、それまで生活していた動植物を駆逐させてしまうことも多々ある。
しかもヒトの生活圏において、動植物を含めたあらゆる有機物は、ヒトにとって有用であるものだけが存在することを許され、多くの場合は飼育・栽培といった形でその数量まで管理される。しかしながら有益でない、あるいは害があると判断された生物は、そこにいることさえ許されず、駆逐や駆除といった形で殲滅が図られるという厳しい掟がある。

牛のげっぷ問題

地球温暖化の懸念が高まる中、それを生じさせる原因を少しでも削減しようという試みがなされており、それ自体がビジネスにもなっている昨今。『悪役』をあぶり出す動きもまた盛んである。
温暖化の元凶とは、おおまかにいえば工業化と都市化に集約されるものとばかり思っていた私だが、生き物の活動による影響もかなりあるらしいことを知ったのは、次の記事を目にした本日のことだ。
牛のげっぷを9割削減 出光と北大、天然素材発見(asahi.com)
なんでも、げっぷに含まれるメタンの温室効果は二酸化炭素の21倍もあるのだという。大型動物がゆえに1頭あたりが発生させるメタンの量も多いために問題視されるのだろう。記事によれば、日本国内の牛440万頭から年間32万3000トンのメタンが発生しており、これは二酸化炭素換算で678万トンに相当するという。これは日本国内の温室効果ガス年間排出量の0.5%に相当するというからバカにならない。
牛1頭あたりの排出量1.54トンを、1億8千万頭いるとされるインドの牛たちに、体格は違えどもそのまま当てはめてみれば、2億8千万トン近い数字が出てくる。つまり先述の日本における温室効果ガス排出量二酸化炭素換算の値のおよそ2割!にまでなってしまう。インドの温室効果ガス排出量は日本よりも少なく11億トン弱程度のはずなので、この中に占める割合は25%にも及ぶことになる。でもよくよく考えてみるまでもなく、インドの温室効果ガス排出量の四分の一が牛のげっぷだなんて、これはきっと何かの間違いだと思うのだが・・・。
記事中にある『牛のゲップを9割抑える天然素材』として、カシューナッツの殻に含まれる成分と、ある酵母菌に含まれる界面活性剤が用いられるといい、2011年度には商品化することを目指しているとのことだ。
温暖化対策に有効とされるバイオ燃料の需要により、穀物をはじめとして様々な農産物とその加工品の値段がグンと上がったように、世界の『牛げっぷ対策』でインド特産のカシューナッツの価格が高騰することもあるかもしれない。すると、これを原料とする(ココナツから醸造するものもあるが)フェニーの小売価格が暴騰し、ゴアの庶民の手に届かなくなった・・・なんていう話も後日出てくるのだろうか。

Sweet water in Mumbai

 ムンバイーで『海水が甘い!』と話題になっていることは数々のメディアで伝えられているところだが、実際のところどんな味がするのだろうか?今ちょうどその水際にいる方があれば、ぜひお話をうかがいたいと思う。本当に『甘い』のかそれとも海水なのに『塩気が感じられない』というのか?
 いずれにしてもこのウワサが本当だとすれば海の中で何が起きているのだろうか。こんな大きな話題になっている。このトピックを取り上げる地元マスコミ人たちは味見くらいしているのだろうか?
 アラビア海に面したチョウパッティ・ビーチを散策すると、しばしばコンコンと水が湧き出ている(?)様子が見られる。正体を確かめようと砂を掘り起こしてみたことがある。だが予想に反してそこには水道管だか下水管だかがあり、ここから派手に漏水していることがわかってガッカリした。同じ浜辺の別の地点でも波打ち際の砂地から滔々と湧き出る水流が出現している様子に気がついた小学生の息子に『ほら、足元に地下水脈があるんだ』と説明をしている父親の姿に思わず苦笑してしまった。
 でもひょっとするとムンバイーの沿岸の海底では本当に大水脈から真水が湧き出ているのだろうか?と思わせるような出来事だ。でも今になって急に水量が増えて『甘くなった』とするならば『ひょっとして近いうちに大きな地震でも?』と不安ならないでもない。それともやっぱり大型の配水管や下水管が破裂して海水の味を大きく変えてしまっているのか?大都会のミステリーの裏に隠された真実やいかに??
Hundreds drink ‘sweet seawater’ (BBC South Asia)

インドに生まれてホント良かった!?

dog
 昼間はゴロゴロしているかと思えば、日が傾くころには元気に動き出し、ときに独りでときに群れて町中を我が物顔に行き交う犬たち。ごくごくわずかな『飼い犬』を除けばみすぼらしい野良ばかり。あまり充分に食べている様子はないが、人々の無干渉のおかげでそれなりの繁栄を享受している。
 犬は都市型の動物といえるだろう。インド中どこに行っても人の住むところ犬あり。犬のいるところ人々の姿あり。
 さてこのところの中国南西部では、狂犬病の流行が問題になっている。すでに住民の間にも死者が出ているそうだ。そこで当局が乗り出したのが空前の規模の大がかりな『犬狩り』だ。
 当局の『犬を処分せよ!』という大号令のもと、警察犬や軍用犬を除いたあらゆる犬たち、多くは野犬ということになろうが個人がペットとして飼育している犬とて例外ではない。3日間で5万匹を超える大量の犬が殺されており、その中には狂犬病予防接種済みの4千匹が含まれているという。
 それにしてもこの狂犬病、ありとあらゆる哺乳類に感染することが知られており、犬を処分してみたところで、キャリアはコウモリ、ネコ、リス、ネズミ等々実に様々な動物に及ぶのだから、仮に犬を根絶やしにしてみたところで『これで安心』というわけではない。さしあたりは人間と直に接する機会が多く、また噛み付く危険の高い動物としては犬ということになるのだが。
 ともあれごくまれに捕獲の憂き目に遭ったり、断種させられるという不幸がおそうことはあっても、基本的には無限の自由を与えられているインドの犬たち。さほど邪魔者扱いされず、おとなしくしていれば特に干渉も受けずに(人々の食欲旺盛な胃袋の中に放り込まれることもなく!)貧しいながらも安穏と暮らしていけるという点は、同じく町中を徘徊する牛や猿といった他の動物たちにとっても同様だろう。
 そんな彼らにとって『インドに生まれてホント良かった!』のではないだろうか。
狂犬病殲滅作戦で受難の犬たち  (BBC NEWS Asia-Pacific)