スィッキム州のパキョン空港 2014年末までに開業予定

いよいよスィッキム州にも空港がオープンすることになる。空路によるアクセスといえば、州都ガントクから120km以上離れている西ベンガル州のバグドグラ空港まで行き、そこからバスあるいはタクシーでスィッキムへという具合であった。

2014年末までに開業が予定されているパキョン空港は、ガントク南方30kmほどの場所である。下記リンク先の記事には、「The airport has a 180-metre long airstrip」などと書かれているが、滑走路が180mというのはあまりに短すぎるので、何かの間違いだろう。

Sikkim’s first airport to be ready by 2014 (ZEE NEWS)

山地での空港建設はかなり困難で手間がかかる様子は、こちらの資料から窺うことができる。

パキョン空港とダイレクトで繋がるのはどこの街だろうか。コールカーターとグワーハーティーは必須であるとして、デリー、ムンバイー、その他の大都市からも需要があるだろう。ただし観光シーズンとそれ以外のギャップは大きいはずなので、とりわけ季節性の高いダイヤが組まれることだろう。

観光は平和と安定の呼び水

中華人民共和国国家旅游局のインドにおける出先機関である中国駐新徳里旅游辦事処(China Tourism)をニューデリーのチャナキャプリに構えている。

インドにおける対中不信感は根強く、しかもそれを風化させないようにと中国側が努めているかのように、ときおりインド領内への中国軍の侵入があったり、その他両国間の領土問題に関する挑発的な発言や行為があったりする。

そんなこともあってか、中国の公の機関としての活動は控えめなのかもしれない。だが、やはり90年代以降、インドでとどまることなく高まり続ける旅行に対する意欲は、インドから多くの旅行者たちを国内各地はもちろん、国外にも送り出してきている。

こうした分野で集客を現場で牽引しているのは、インドにあっても中国にあっても民間の力である。インドからの年間に1,400万人ほどの出国者たちの中から、中国を訪問している人たちの規模はすでに60万人を突破している。これに対して、出国者の規模は8,000万人を超えている中国からインドを訪れる人たちは10万人強ということだ。

これらの数字には観光と業務を区別していないため、このうちどのくらいの人たちが観光目的なのかは判然としない。だが、かつてない規模で人々の行き来がある中、観光先でたまたま出会ったのがきっかけで知己となったり、仕事で協力関係にあったりなどといった具合に個人的な付き合いも増えていることだろう。中国からみたインドという国のイメージはもちろんのこと、インドにおける中国の印象も、個々のレベルではかなり異なったものとなっていくはずだ。

国家という往々にして傲慢かつ身勝手な組織が、自分たちの側と相手側との間に不信感や緊張感があるからといって、それぞれの国に所属する市民たちが自らの国家に迎合して相手側を適視する必要などない。高い文化や資質を持つ両国の人たちが、平和に共存することは、互いの安全保障上でこのうえなく大切なことであるとともに、その「平和」と「安定」の恩恵は東アジアのさらに東端にある私たちにも与えられることは言うまでもない。

「観光」の多くは物見遊山に終始することだろう。それでも体験と記憶はそれを経験した人の心の中に長く残るとともに、訪問地への「また訪れてみたいな」憧憬というポジティヴなイメージを形成する。また、観光がきっかけでその国に留学したり、仕事絡みで関わってみたりという形で、その土地への関与を深めていく人たちも少なくない。

観光とは、単に産業としてのみならず、安定と平和の呼び水という側面にも注目すべきであると私は考えている。

マッチャル・マール・エクスプレス

デリーでは蚊の発生時期にマラリアやデングを媒介する蚊を減らすため、2週間に1度、マッチャル・マール・エクスプレスを走らせている。

鉄路からホースによる液剤の散布の届く範囲に限られるため、どの程度の効果があるのかは疑問ではあるものの、蚊ならびにその幼虫の駆除を実施することにより、沿線住民への啓蒙を促すことの意味はあるし、まさにそこが狙いということなのだろう。

ひとりひとりの心がけなくしては、都市部において蚊が媒介する伝染病の防止はあり得ないので、これを含めた広範囲な対策が求められるところだ。

Northern Railway’s mosquito terminator on the prowl (NDTV)

Delhi’s Malaria Express (The Hindu) ※こちらは昨年の記事

ツォ・モリリへ 4

昨夜は10時くらいに寝てしまったので今朝は朝4時半過ぎに起床。まだ外は暗いが東の空が少し明るくなりつつあるのが見える。薄手のダウンを着て布団二枚をかぶっているのだが、これが厳冬期だったらどれほど寒いのか想像すると恐ろしくなる。

暖かい時期でこういう風なので、厳冬期の生活たるや、どんな具合なのだろうか。宿は伝統的な日干し煉瓦造りで、寒々としている。水道も蛇口から出ないので、共同バスルームにはバケツが置いてある。バスルームといってもシャワーや水浴びするようにできているわけではなく、ただのトイレである。階下に暮らす宿の主人家族もずっと風呂はおろか洗濯もしていない感じだし、昔のレーの宿はこんな感じのところがあったな、と思い出した。

起きだして少し日記をしたためていると、すぐに外は明るくなってきた。幸いなことに今日の天気は昨日ほど悪くないようだ。

昨日の展望台から撮影しようと思い、寺院裏手の階段を上って行き、チョルテンが並んでいるあたりまで行ったのだが、犬が十数匹いて互いに争っているため、ちょっと危険かと思い、寺院の屋上から撮影することにした。

そういえば昨夜もかなり犬の吠える声があちこちから聞こえていたし、窓の下で犬の吠える声に続いてロバの悲鳴が聞こえた。数匹の野犬たちがロバの脚に咬みついている。野良犬というのはまったくろくなことをしない。

その可愛そうなロバとは別のもののようだが、ロバが二匹まるで会話でもしながら歩いているかのようにして連れだって進んでいた。しばらくすると同じようにして戻ってきて、まるで人間が散歩しているみたいだ。

湖の風景をしばらく楽しんでから、宿で出してもらった簡単な朝食を済ませてツォ・モリリを出発する。湖のほとりの眺めの良いところで何か所か停車してもらって景色を堪能した。

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コルゾクの村を出てすぐのところにあるスムドという集落には、チベット難民の子供たちを支援する組織TCV (Tibetan Children’s Villages)が運営する学校があった。つまりこの界隈に亡命チベット人居住区があるということになるが、このような気候条件の場所に定住するのはなかなか大変なことと思う。もちろんチベットにはもっと条件の悪い地域もあるのかもしれないが。

TCVが運営する学校

そこから昨日、ツォ・モリリと勘違いした小さな湖に向かう。ここでも少々ストップして撮影。昨日は真っ青に見えたのだが、今日は灰色。時間帯や日が差し込む角度次第なのだろう。

 

遊牧民の移動式住居


かなり進んでいくと遊牧民たちの姿があった。厳しい環境でこうした生活を送るというのは大変だが、中には町に定住する人たちもあるのだろうか。人々はボロボロの恰好で家畜の世話をしている。

ツォ・カル

その後、ツォ・カルという塩湖に行く。たくさんの塩が溜まっていて、白い岩のようになっている。少し先に行ったところにあるトゥクジェという集落にあるテントの食堂で昼食。あまり食欲の沸く環境ではないのでマギーにした。だがテント式の食堂の雰囲気はいい。明かり取りの穴が天井中央に開いていて、壁の部分には丸く腰掛けるスペースが配置されており、その上にはチベット風デザインのカーペットが敷いてある。

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これほど毛足の長い犬は初めて見た。まるで羊かと思う。

そこから次第に高度を上げて、タグラン・ラという5260mの峠に向かう。ここまで高くなると、クルマで走っているというよりも、飛行機で飛んでいるような気さえしてくる。空気が薄いのかどうかは感じないが、おそらく走ったりするとすぐに息切れしてしまうのだろう。こんな峠で息を切らせながら越えて行くサイクリストもいるのだから恐れ入る。

タグラン・ラを越えて

場所によって地質がかなり異なるようで、山肌の色や質感がずいぶん違う。細い筋状に浸食されている岩肌もあれば、ゴツゴツとしたものもある。また砂状の斜面になっているところもある。

クルマは次第に高度を下げて、やがてミルーの集落を越えたあたりでインダス河沿いに出る。ここまで来ると「低地に来た」という感じがする。飛行機でデリーからレーに入った際には、「高地に来た」と感じたのだが。要は比較の問題である。

レーの近くまで来た。ラダックで雲が山間に低くたれこめていたり、谷間が雲で覆われていたりするのは初めて見た。まるでモンスーン期のヒマーチャルにいるかのようである。荒々しい景色も雲がかかると優しい感じに見える。気温は普段よりも低くて、潤いのある空気になっている。これはこれで気持ちが良い。

同じラダック地域といっても景色や風土にずいぶん大きな差異があるし、同じ場所でも天候が違えばまったく異なった印象となる。時間さえ許せば、春夏秋冬、あらゆる季節に訪れて、そのシーズンごとの味わいを楽しんでみたいものだ。

〈完〉

ツォ・モリリへ 3

せっかくのツォ・モリリ到着だが天気には恵まれなかった。

道を更に進んで村の中心部に入る。ここまで来るといくつかのゲストハウスの看板が目に付く。結局、ゴンパのすぐ隣のゲストハウスに宿泊することにした。ちょうどこの日にダージリンからあるリンポチェがやってくるとのことで、出迎える人たちが集まっていた。この村の人々以外に、周囲の地域で遊牧をしている人たちも大勢来ているとのことで、ボロボロの恰好をした人たちも少なくない。外地から高僧がはるばる訪問するという特別なハレの日ということもあり、ラダックの伝統的な頭飾りと民族衣装をまとった女性たちの姿もある。

遠来のリンポチェの到着を待つ人々

しばらくするとリンポチェのお出まし。人々が急に列を成して出迎える。さきほど見かけた伝統衣装と頭飾りの女性たちが先導して、リンポチェのクルマがやってきた。この出迎えの儀式が終わると、みんなそそくさと帰っていく。

「いよいよお出まし」の知らせとともに道路脇に整列する人々
伝統衣装で着飾った女性たちがリンポチェの乗るクルマを先導

幸いなことに雨は止んだ。しばらく湖の風景をカメラに収める。そうこうしているうちに晴れ間が出てきて、ほんのわずかな時間ながらも深い青色湖の姿を眺めることができた。この時点で気温はわずか12℃。夜間には零下になることもあるのだとか。天空には晴れ、曇り、そして雨天が混在し、広大な大地に複雑な陰影を投げかけている。湖対岸の山々にかかる雲の低さに、ここは海抜4,500mであることをしみじみと感じる。

幸いなことに少し晴れ間が見えてきた
喜んだのも束の間、すぐに厚い雲に覆われてしまったりする。
負け惜しみみたいだが、大地に投げかけられる陰影が刻々と変化するのを眺めているのも楽しかった。
彼方に見えるこの山は中国なのだそうだ。
僧侶たち

同行のマイクとキムと斜面の展望台まで上ると、村の子供たちが集まってきた。好奇心旺盛な彼らは、ちょっと照れくさそうにしながらも、私たちにずんずん迫ってきていろいろな質問をしてくる。そうでありながらも、やはり行儀が良くて控えめなのはラダック人らしいところだ。

村の子供たち。みんなとても利発そうだ。
マイクとキム、そして村の子供たち

斜面を宿のあたりまで下り、ゴンパのお堂を拝観。ちょうど10日に一度のバスが到着したところのようで、正面の広場のところに停車している。

10日に1回、レーとの間を往復するバス。ツォ・モリリ湖畔の村、コルゾクに到着した翌朝、レーへ折り返す。

宿とゴンパの間のスペースに大きなテントを張って営業している食堂がある。ここはかなり繁盛していて、お客がひっきりなしに出入りしている。外国人の利用者も多いようだ。特にこれといった産業もなさそうなこの村で、手際よく、相当なハイペースで仕事を続けている姿を見ていると、おそらくここの女主人は稼いだお金でもっと立派な食堂を建てたり、旅行者相手の宿を開いたり、ということになるのかもしれない。

テントの食堂の女主人は大変な働き者

マイクとキム、そして本日のレーからのバスで到着したという西洋人たちと楽しい会話をしながらの食事。こういう気楽な時間を持てることも旅行の楽しみのひとつである。

この村の野犬は毛足が長く、いかにも高地かつ寒冷地に適応したものであることがわかる。ロバも毛足が長めになっている。動物もやはりこうして環境に適応するようになっているのだろう。

テントの中に座っているのも少々寒くて辛くなってきた。私たちが宿に帰ると、テレビではクリケットの中継が放送されていた。マイクとキムはオーストラリア人らしくクリケットフリークのようで、宿の人や宿泊しているインド人旅行者とクリケット談義に興じていたが、こちらはこのスポーツについては関心がないのでついていけない。本来ならば、インドにおいてクリケットは必須科目であることは間違いないのだが。

天気さえ良ければ、灯の少ないコルゾクの村の夜には満天の星を楽しむことができたのだろうが、あいにく空模様はそういう具合ではない。それでも雲の切れ目から湖水に降り注ぐ月の光が美しかった。

雲の切れ目から月が覗く

〈続く〉