窓の外のふんわりした景色を眺めながら、お茶やコーヒーでも楽しむのには、なかなかムードがあって良かったりする。普段の鮮やかな色彩が霧に包み隠されたモノクロームな風景。モワモワした中から、人影や自転車などがジワッと現れてはスッと消えていく様子は幻想的でさえある。

だが、そんな中で、土地の人たちはのんびり休んでいるわけではなく、慌ただしく仕事に出かけなければならなかったり、運転して移動しなくてはならなかったりする。
路上の往来といえば、大きな音を立てて走る馬車以外は、私たちが徒歩で進むのと同じ程度のヒューマンなペースであったころには、霧によって視界が遮られることについて、それほど大きな問題はなかったことだろう。

だが、今の時代は話が違う。霧の中から突然、自家用車やトラックが飛び出してきては、アッという間に姿を消していく。ごく手近にあるものさえも強いソフトフォーカスがかかり、5m先も見えないような日の路上は危険極まりない。外出している限りは、霧が晴れるまでの間、命に関わる一大事がずっと続くことになる。

濃い霧により、運転者たちは普段よりもかなり速度を抑えているとはいえ、道路では事故が多発する。鉄道のダイヤは乱れ、とりわけ長距離をカバーする列車は、遅れを蓄積しながらノロノロと進んでいく。視界不良から空の便も遅延や欠航が相次ぐ。同じ機体が便名と発着地を変えて全国を飛び回っているので、霧の出る北インド地域外にも、その影響が及んだりする。

この冬は暖冬とのことで、霧の出る日が例外的に少ないという。こういう天候であることが本当にその地域の環境として良いのか、そうではないのかはよくわからない。だが、旅行している身にとっては、交通の大きな乱れがないことはありがたい。同様にここで暮らす人々にとっても、あまりひどい寒さを感じることなく、霧で不便かつ危険な思いをすることが少ない冬というのは、そう悪いことではないだろう。

ターンセーン滞在1

こちらは、ターンセーンでの滞在先、マンモーハン・シュレスタ氏のCity View Homestay。外が明るくなってきたので、さっそく町歩きに出ることにする。

ターンセーンでの滞在先

昨日夕飯を食べた人気レストラン「Nanglo West」併設のベーカリーで買ったココナツたっぷりのビスケットとマフィンをかじりながら坂道を歩く。

左手の建物がNanglo West

Nanglo West併設のベーカリーで買ったココナツクッキー

ネパールに長くお住まいの日本の方によると、この町の出身で繊維業で財を成した一族の御曹司がアメリカ留学を経て、カトマンズ中心部にレストランとベーカリーをオープンさせたのが、このNangloというチェーン店の始まりであったとのこと。スマートで洗練されたサービス、豊富なメニューと上手な味付け等々、とにかく素晴らしい。飲食業以外にもリゾートも展開しているようだが、このターンセーンには、「Nanglo West」以外にも、「Palpali Chhen」という、このグループが経営するホテルとカフェがある。

Palpa Chhenのカフェ

ここで朝食を済ませて外に出ると、上階からカッコいいマウンテンバイクを下ろして来る若者たちのグループがあった。彼らに尋ねてみると、首都カトマンズからやってきたそうだが、本日この町からスタートするレースに参加するのだとのこと。ネパールでも中産階級のこうした年代の人たちは、様々なアクティヴィティーに活発なようである。その他、ネパールの首都圏から普通に観光旅行で来ている人たちも少なくない。

私が訪れるよりも前に開催されたものだが、こちらもマウンテンバイクによるレースだ。



どういう料理に使うのは知らないが、ずいぶんカラフルな麺が売られている。

こんな色合いの麺もあった。

インド国境からそれほど遠くはないとはいえ、山地に入ってしばらく進んだところにある斜面の町ターンセーンには、中世を思わせる沢山のネワール建築が良い状態で維持されている。町中がきれいに清掃されているのも良い。インド世界の延長線上にあるタライ地域とは別世界である。16世紀にはカトマンズ盆地を窺うほどの勢いの在地勢力の中心地であったというだけに、なかなか見どころは多そうである。だが、もしここがインドの一部になっていたならば、このあたりにもUPやビハールからの人々が多数移住して、すっかりインドになっていたのだろうか、などということも思ってしまう。



価格の割に高性能な中華スマホHuaweiはネパールでも人気が高いのだろう。

宿近くのお寺、ビームセン・マンディルはこじんまりしているが優美な姿。いかにもネパールらしい寺院だ。境内では女性たちが鳩に餌を与えていた。

ビームセン・マンディル


坂道を下ったところにあるやや大きな寺院、木造で三層になっているアマルナラヤン・マンディルも見応えがある。

アマルナラヤン・マンディル




パールパー・ダルバールはマオイストに破壊されたものを修復したとのことだが、この中には入ることはできない。全国各地で内戦を繰り広げたマオイストとの和解と政府への取り込みについては、人類のひとつの快挙と言ってもよいのではなかろうか。もっとも、その後のネパール政局の迷走ぶりは、広く知られているところではあるのだが。

パールパー・ダルバール敷地への入口

パールパー・ダルバール

パルパー・ダルバールの脇に警察署があり、門の前で歩哨に出ている女性警官が可愛らしかったので声をかけてみた。ヒンディーで話すと、にこやかな表情で、すべてネパール語で返事が返ってくる。こちらが尋ねていないことまでいろいろしゃべるので、なかなかおしゃべりらしい。ネパール語なので、ちょこっとだけわかるような、あまりわからないような・・・。

羽根飾りが素敵な女性警官

山あいに広がる斜面の町、暖かい陽射しを浴びながら、今日はのんびりと散歩を楽しむことにする。伝統的で落ち着いた佇まいの町並みが素晴らしい。





「ターンセーン・ダーント・ウプチャール・ケーンドル」という歯医者さん

Ansal Plaza

久しぶりにアンサル・プラザに出かけてみることにした。
開業したのは1999年。デリーで最初のショッピングモールであるとされる。当時、かなり素敵な店が多数入っていて、音楽関係にしても、衣類やアクセサリー類等にしても、実にセンスの良い品物が揃っていた。

それまでは街中のマーケットの中に、ポツポツと洒落た店が点在していても、こうした大きな空間の中すべてがこうした気の利いた店であるということについては、どこか異国的なものさえも感じたものだ。

その後、こうしたモールがデリー各地に林立するとともに、これらがひとつの地域に複数並ぶようになったり、少し郊外に出ると破格の規模の広大なモールが見られるようになったりした。同時に、北インドの中規模の都市においても、こうした施設を見かけることは珍しくなくなるなど、時代は変わったものである。

変わったのは時代だけではなく、このアンサル・プラザも然りである。2002年11月に、ディーワーリー直前の買い物客で混雑していたこの場所がテロの標的となるほどのものであったのだが、市内各地に新しいモールが次々に出来てくる中、次第にじり貧になってくる様子が感じられていた。入居している店舗のレベルが下がってくると、客足はもとより客層にも変化が生じてくる。

だいぶ時間が空いて、このたび訪れてみたのだが、今回の様子はまず外観からして異様だった。ずいぶん煤けて汚くなっており、こうした施設が与えてくれるワクワク度が感じられない。

敷地入口から入って左右対象のふたつのウイングの建物から構成されているのだが、向かって左側では、空いてしまったままのテナントも目立つことにショックを受けたが、右側では、空きになっているところのほうが大半であることに唖然とした。店舗が入居しているスペースにおいても、旅行業らしき看板は掲げているものの、中で数名がウダウダしていて、何の事務所かわからないようなところはあるし、ガラの悪い連中が出入りする酒屋などが入っていて、もう惨憺たる状態。

トレンドで売っていた施設は、その流れについていけなくなると、その役目を終える。もうこんなところに出店したいという業者はないだろう。そう遠からず廃墟となりそうだ。残念ながら、デリー最初のモールは息絶えつつある。

元旦からデリーで新しい交通規制

デリーでは、今年1月1日から新しい交通規制が敷かれている。原則として、奇数日にはナンバープレートが奇数番号のクルマ、偶数日には偶数番号のクルマのみが走行できることとなった。

もはや「北京よりもひどい」とまで言われるデリーの大気汚染の主要な原因のひとつとして、走行するクルマの排気ガスの占める割合が高い(30%以上)ことが指摘されていた。これに加えて、これまた深刻な交通渋滞への対処という狙いもある。

こうした施策がスムースに実行に移すことができた背景には、市民意識の高いデリーで、良識ある市民たちの高い支持を得て、デリー準州の政権に就いたAAP (Aam Aadmi Party:庶民党)による措置であること、同党を率いるアルヴィンド・ケージリーワル氏に対する期待の高さなどもあるのだろう。また公休日である1月1日、同2日、3日は土曜日、日曜日であったことも、スムースな導入に繋がることとなった。

この規制がなされる時間帯は、午前8時から午後8時まで。対象外となるのは、VIPや緊急車両の類はさておき、一般人の間では以下のようになる。
・女性が運転し、女性あるいは12歳以下の子供のみが乗車しているクルマ
・二輪車
・CNGあるいは電気によって動くクルマ
・障碍者が運転するクルマ
・救急診療のために病院に向かうクルマ

内容については今後必要に応じて変更を加える場合もあるとされ、実施から15日経過したときに検証を加えて判断することとなっている。

デリーにて1月1日と2日に道路の状況を眺めてみたが、さすがに祝日と土曜日であったため、市民は規制対象となるナンバーのクルマによる不要不急の外出を避けることは容易であったらしく、奇数日(1月1日)に偶数番号、あるいは偶数日(1月2日)に奇数番号のクルマが走行しているのを見かけることはほとんどなく、例外的に走っていても、それらは女性がひとりで運転しているか、小さな子供を乗せた母親が運転しているものであった。交通量も普段の週末よりもかなり少ないように感じられた。

もちろんとりわけ込み合う地域の合流点などでは、普段と変わらないように見える渋滞もあったが、総体的に交通の流れはかなりスムースであるように感じられた。

総体的に交通量は少なくなっても、やはり込み合う地点では渋滞する。

こうした規制により、人々がマイカーから公共交通へシフトするであろうことへの対応として、当局はバスやメトロの運行数を増加させるなどの処置を取ることなどが新聞等で報じられていた。

しかしながら冬のこの時期、気温が低くて空気が停滞気味であることなどから、大気の汚染レベルについては期待したほどの効果は上がっていないようだ。つまり汚れた空気がまだそのまま市街地に溜まっているということなのだろう。モーンスーン期のように天候が荒れる時期であれば、これらを一気に流し去ってくれるのかもしれないが。

インドではこの類の交通規制は初めてであることから、全国の都市部から注目が集まっているようだ。大気汚染と渋滞に苦慮する大都市は多く、デリーにおけるこの措置の結果次第で、他地域でも同様の措置が導入されることが予想される。

Odd-even day 6: Weather conditions keep pollution levels high (livemint)

ビカネール3 National Research Centre on Camels

食事を終えてから、オートでNational Research Center on Camelに向かう。市街地からかなり離れたところにある。午後2時から午後6時までという短い公開時間。うっかり午前中に出向いたらアウトである。着いたときにはまだ10分ほど早かったので少し待たされた。

広い敷地内は、大きく分けてみっつのエリア、事務棟、研究施設、飼育施設で構成されており、私たち外部の人間が見学することができるのは、事務棟の脇にある小さな博物館を除けば、当然のことながら飼育施設のみである。

小さな博物館、餌場、えさの時間以外に入れておく柵などがある。また餌置き場、そして餌のペレットの工場などもあるようだが、後者については公開されていない。博物館内の表示から、ラクダには4種類あることがわかるが、実物を眺めてもどれがどれなのかさっぱりわからない。

せっかく来たのだが、正直なところあまり面白くなかった。内容はさておき、農業省の関連施設なのに、外国人料金があるのも癪である。

入口
券バイカウンターの横でラクダミルク製品を販売
事務棟
研修施設
飼育施設

ラクダの診療所
ラクダの寄生虫に関する説明
この地域のラクダはどれも同じに見えるが、実はいろいろ種類があるらしい。