ソーンプル・メーラー

ソーンプル・メーラーを訪れた。ちなみにこの「ソーンプル」は、ローマ字では「SONEPUR」と綴るため、「ソーネープル」と読みたくなるかもしれないが、「ソーンプル」というのが正しい。メーラーの期間のみ直行する臨時バスも出ているらしいが、どこから発着しているのかよくわからなかったため、乗合オートでパトナーからハージープル、そこで乗り換えて再び乗合オートでソーンプルまで行くことにした。

ずいぶん昔からあるメーラーで、マウリヤ朝の王、チャンドラグプタがここで象を購入するのが習わしであったのだとか。つまり紀元前3世紀には、すでにこの祭りが行われていたことになる。気が遠くなるような話だ。現存するこうした催しの中では、世界最古の部類に入るだろう。特に大型の動物の売買がなされてきたことで有名だが、その伝統は今の時代にも引き継がれている。

往時は、ソーンプル近くのハージープルで開かれていたものが、ムガル朝でアウラングゼーブが帝位にあった時代に、開催地をソーンプルに移したとのこと。ハージープルは、パトナ―からソーンプルに移動する手前にあり、シェアオートで向かう場合に乗り換える町がそれだ。

現在のパトナ―もまた、古くからある街。紀元前5世紀ごろにマガダ王国か築いた拠点を中心に発展してパータリープトラという街になった。これが現在のバトナ―の前身。古い割には、あまり見るべきところが残ってはいないが。

メーラーでは、古くからの習わしどおりに、象や馬をはじめとする家畜の市が立つ。私が訪れた本日は、開催最終日まであと2日残すところ、つまり24日に終わるため、すでにこれらは撤収した後であった。だが例年ならば、11月中旬から12月上旬までのこのメーラーが、今年はヒンドゥーの暦の関係か、この時期まで開かれているため、見ることが出来ただけでもありがたい。

ソーンプルの小さな町から周辺部にまで広がる巨大なメーラーだが、普段はいろんな作業に使われたり、野菜等の物売りが路上で商っていたりすると思われるところまで、すべてメーラーのために徴用されている。星の数ほどありそうな仮説の露店の割り当てなども含めて、おそらく地元のヤクザが取り仕切っている部分もかなり多いのではないかと思ったりする。

こちらはサーカス小屋

巨大なテントの中では、夕方からステージが開催される。付近で商っている人によると「最高にセクシーなステージ」だとのことで、あるテントでそのリハーサルか何かが行われているときに、若者から中高年の男性までが、その隙間から覗いていた。中では色黒で小柄の女性が踊っているようであったが、そんなにいいものであるとは思えなかった。夕方の5時だか6時だかに始まるらしい。昨日、宿で働いている人が「昔はそんなでもなかったけど、今では子供連れて行けるようなものじゃありませんよ。ああいうのはどうもいけませんな」などと言うオジサンがいたが、このことを言っていたようだ。

こういうテントが沢山ある。

私が訪れたときには、最終日まであと2日を残すのみというタイミングであったため、象や馬を扱う市はすでに撤退していて見られなかったが、小鳥や犬、ガチョウや鶏、そして牛が売られている場所は見物できた。

メーラーの感想としては、田舎でよくあるメーラーがやたらと巨大になったものという印象。クルマやバイクが樽状の壁の中をぐるぐる駆け上がる出し物や遊園地的なものがいろいろあったりしたが、私たちが楽しいと思うようなものではないし、露店にしても他のところのメーラーと変わらない。安物が大量に販売されているマーケットである。期待したほどのことはなかったが、それでも前々から訪れてみたかったものなので、行くことができたこと自体で満足である。

メーラーの書入れ時に路上で商う露天商も多い。

ボドガヤーからパトナーへ

オートでガヤーまで移動する。ガヤーの鉄道駅に着いて尋ねてみると、パトナーに向かう次の列車が出るのは1時間半後とのことなので、バスを探してみると、ちょうど駅前から30分後に出発するとのことなので、これを利用することにした。

スマホの電波状況を確認すると、ボドガヤーでもそうだったが、LTE接続だか4G接続だかになっている。速くて実に快適だ。少し前までは、インドの田舎では3Gどころか2Gであったはずだが、こうした分野での変化の進展は凄まじい。もちろん高速通信網の普及がなければ、スマホの普及はあり得なかったので、さほど驚くに値するものでもないのかもしれないが。

まもなくバスがやってきた。後ろの席では中年男性と若者の間で、こんなやりとりがなされている。
車内に乗り込んできた男性が、窓際席に座っている若者に言う。
「15番は私の席だよ。」
若者が返答する。
「何、子供みたいのことを。オレが子供の頃には、大人は子供に窓側席に座られたものだ。それをあんたは、自分が窓際がいいなんて。その年になっても窓際がいいのか?」
これですっかり喧々諤々のケンカが始まってしまった。かなり迷惑である。

バスはすぐに満席となり、定刻ちょうどくらいに発車した。有効なSIMが入ったスマホがあると、今どこを走っているのか、あとどのくらいなのかが一目でわかっていいものだ。沿道に何か気になるものを見つけて、あとから戻って見学したこともあるし、バスがターミナルに着く前に、利用しようとしている宿の近くを通過しようとしているのが判れば、そこでサッサと下車することもできる。ちょっと面白い人と知り合ったら、その場でメールアドレスを交換して、FB友達になって、その後も連絡取り合ったりできるのもいい。もっとも、こんなことは、子供の頃からネット環境に馴染んでいる若者たちにとっては当然のことなのだろうけれども、こうしたものがなかった時代から旅行している私みたいな世代にとっては、非常に画期的なことなのだ。

ヒマな車内で、家族や友人とのやりとりもあったりして、日本にいるのとさほど変わらない環境ともなる。だが遠くの人たちとしっかり繋がっていながらも、せっかく目の前にしている風景や人々と縁遠くなってしまうようなことがあってはいけないので、こういうモノの利用はほどほどにしなくてはいけないな、とも思う。

ボドガヤー 2

ナムギャル寺院
中国寺院
中国寺院

マハーボディー寺院を出てから、チベットの名刹のボドガヤーにおける別院であるナムギャル寺院、そして中国寺院等を訪れてから朝食取っていないことを思いだす。中国からインドに亡命してきたカルマパが建てさせたことで知られるテルガル寺院へオートで向かう。この寺院の境内には軽食を出す店があり、そこでインスタントラーメンのワイワイを頼む。出来上がってくると、これが想像以上に辛くて閉口した。

テルガル寺院
テルガル寺院のマニ車

テルガル寺院はなかなか立派だが、やはりレンガ積みとコンクリで建てて、外見だけをチベット風にした建物であるがゆえに、他国が出している寺院もそうだが、あまり慈しみを感じるものではないが、場所が場所だけに仕方ない。各国のお寺の見本市さながらの様子は見応えがあるし、いろいろ訪れてみるのは楽しい。

そこからさらにオートでブータン寺院に行く。入口のところにトラ柄に塗られた白い野犬がいた。奇妙で面白いといえばそうなのだが、なんだか気の毒でもある。お堂の中には前国王と現国王の写真も飾られていた。

ブータン寺院
ブータン寺院
トラ??

ブータン寺の隣は日本山妙法寺。日蓮系の教団だが、日本ではあまりその名前さえも聞かないのに、海外ではやたらと存在感がある。海外での活動は、どこも現地での自力更生型であるため、ここの僧侶たちには大きなビジネス感覚、政治感覚が求められる。物凄く仕事が出来るバリバリのデキる男たちの集団というイメージがある。境内は日本の飛び地のような雰囲気だが、プレスクールの施設が出来ていて、幼稚園くらいの子供たちが授業を受けている。先生や子供たちの声が聞こえてくる。このお寺の正面には何もない空間が広がっていたと記憶しているが、今はいろいろと建て込んでいる。

日本山妙法寺
日本山妙法寺境内の日本的な空間
日本山妙法寺が運営する学校

妙法寺の向かいには、太生山一心寺という教団が構えていた。中に入ってみると、岡山から来て11月から駐在しているという若い尼さんがいて、いろいろ話を聞くことが出来た。
この人はデリーとプネーに留学したことがあり、サンスクリットを専攻していたとのこと。※ネットでこの教団のホームページにアクセスしてみたが、ずいぶん小さな教団らしい。また尼寺らしく、代表者も女性のようだ。このお寺も日蓮系とのことだが、いわゆる新宗教に相当するような教団なのかもしれないがよくわからない。日本山妙法寺もそういう括りになるようだ。

一心寺

一心寺はNGOのAMDAとボダガヤーで共同しているそうだ。宗教団体が海外で活動する際には、こうした民生型のNGOと協力して事業を進めていくことが多いと尼さんは言っていた。どちらも単体ではなかなか入っていくのが難しいことがあるが、布教と援助事業を掛け合わせるとうまく行くことが多いのだという。ボダガヤーではもう、新しい寺院の建築は出来ないことになっているとのことだ。政府が制限しているとのこと。

寺を辞して、大仏に行く途中で、仏心寺というお寺があった。こちらも日蓮系だそうだ。本堂でお参りさせていただく。ここには宿坊があり、こういうところに宿泊しても良かったなと思う。そこから大仏へ。バブルの頃に建築が始まり、円高の時代で日本経済も好調だったころだからこそ出来た事業だろう。今後はこうした規模での建築は日本の教団にはできないように思える。

大仏

そこからさらに先に進むと、中国系の寺院があったが、門が閉まっていて入ることはできなかった。その近くにはカンボジア寺院がある。実にいろいろな国がお寺を建立しているものだ。最後にカルマ寺院へ。ここではチベット仏教系の寺が実に多い。お堂は扉が閉まっていて、拝観することはできなかった。

中国系の寺院だが台湾の教団と思われる。
カルマ寺院

ここを最後に、ボドガヤーを出てパトナーに向かうことにした。

ボドガヤー 1

仏陀が悟りを開いた地、ボドガヤーを初めて訪れたのは1989年であった。外国の仏教教団がそれぞれのスタイルで建てた大きな寺院が沢山あり、さながら「世界仏教寺院博覧会」のような様相を呈していたことに驚いた記憶がある。

しかしながら地元の人々が暮らす地域は、まだ村であり、ボドガヤーを縦断する道路沿いに小さな食堂や簡素な宿が点在していた。各国が建てた大きな仏教寺院を除けば、特に視界を遮るものはほとんどなく、どこからでも周囲が広く見渡せる素朴な環境であった。

「素朴な」といっても、それは視覚的な部分だけで、やたらと日本語が巧くて、日本人旅行者をカモにしていると思しき輩は出没していたし、重要な仏跡であることを除けば何もない寒村に、世界各国から幾多の観光客が日々訪れるだけあって、私たち一時滞在の外国人が接することになる相手は、あまりのんびりしたムードの人たちではなかったようにも思う。

現在のボドガヤーは見違えるように建て込んでいて、かつて村であった面影はなくなり、すっかり町になっている。おそらく季節ものかと思うが、仮設の遊園地が出来ていることから、観光客ではなく、地元に暮らす人たちを相手にしても、それなりの商売が成り立つようになってきているようにも思われる。

2013年にオープンしたという新しいゲストハウスに宿泊。NGOが運営するもので、子供たちの学校も運営しているという。現在35人の面倒を見ており、その半数くらいはホームレスであるとのこと。ここのオーナーはまだ若い人だが、フランスの人たちからの援助も受けてのプロジェクトを進めており、手の届く範囲と規模でやっているそうだ。

ゴータマ・シッダールタが悟りを開いたとされる場所にあるマハーボディー寺院へ行く。入口手前にある履物預かり所に靴を置いてきたが、預けてある靴がずいぶん少ないことを不思議に思ったが、寺院のお堂の中に入るまでは土足でいいらしい。

裸足で進んでいくと、さすがにこの時間帯はずいぶん寒いし足元が冷たい。暑季には、足が焼けるほどに熱いことだろう。建物中までは靴を履いていてよいというのは、結局ここではチベット仏教の影響力が強いということがあるがゆえのことかもしれない。

参拝者の中にはインド在住のチベット仏教徒たちが多いが、その中にはブータン人たちの姿も多い。洋服を来ているとどこの人だかわからなかったりするのだが、聖地を訪れるということもあって、民族衣装で正装してくる人が多い。とりわけ男性のそれは実に凛々しくていい感じだ。

他にもベトナム人のグループが自国の僧侶とともにベトナム語の経典を読んでいたり、ミャンマーの仏教徒グループが自国の僧侶に率いられて訪れていたり、タイ仏教徒の集団も見かけた。また中国系の人たちの姿もある。ベトナムの訪問客はかなり多くなっているのか、町中でベトナム語で書かれた看板も見かけた。限られた時間の滞在の中で、案外見かけなかったのが日本人のそうした団体で、特にそれらしき人は見かけていない。円安のためもあるかもしれない。

ミャンマー人団体
ボダガヤーの町中で見かけたベトナム語の看板

境内の敷地内では、チベット仏教徒たちが五体投地の礼拝をしている。中央の本堂の外側では、チベット仏教のバターと小麦粉で作った細工物が飾られており美しい。ゴータマ・シッダールタが悟りを得たとされるボディー・ツリーの周辺では、とりわけ多くの人たちが読経をしている。この木はやはり大変なパワースポットのようで、身体の隅々にまで、そして鼓膜にまでビンビン感じるものがある。スピーカーを通した読経の声があまりに大きいため、そのくらいビンビンと響くのである。

五体投地して礼拝するチベット仏教徒たち
バターと小麦粉を練ったものから出来ている。
ゴータマ・シッダールタはこの菩提樹の下で悟りを得たとされる。
ゴータマ・シッダールタがここで悟りを得たとされる菩提樹のたもとで読経する人たち
様々な言葉による読経
様々な言葉による読経
様々な言葉による読経
様々な言葉による読経

インド式の塔からなる本堂に入ってみた。中に行くまで行列がずいぶん時間がかかるが、私の前にいる親子はムスタンから来た母子である。子供は大変利発そうな感じで、警備しているインド人女性警官といろいろ話をしている。ずいぶんヒンディーが上手いのだが、ムスタンから来たことがその会話の中からわかった。

後からハタと思ったのだが、ムスタンのような閉ざされた地域の人たち、しかも幼い子供がヒンディーを流暢に話すというのはおかしい。ネパール語さえおぼつかなくてもおかしくないような気がする。するとインド在住なのかもしれない。聞いておけば良かった。ムスタンは外国人の入域が厳しく制限されているが、もしかするとそれとは裏腹に、ムスタンの人たちは活発に外界と行き来しているかもしれない。ちょうどブータンの人々がそうであるように。なかなか普段接点のない人たちだが、案外デリーでそういうムスタンの人たちを見かけてはいるのかもしれない。ただ、こちらが彼らをムスタン人と認識できないだけなのだ。

Kindle版のLonely Planet India

今回の旅行にて、初めてKindle版のLonely Planetガイドブックを持参した。
根がアナログ派なので、これまではPDF版を購入して必要部分のみ印刷して持参していたが、Kindle版も慣れてみるとなかなかどうして使いやすい。コンテンツやレイアウトは、慣れ親しんだ製本版やPDF版と同一だ。

Kindleの書籍というと、一定方向に読み進んでいく分には、紙の書籍と変わらない使い心地だが、ガイドブックのように、しばしばいくつかの項の前後を行き来して参照するような使い方をするのには向いていないのではないかと予想したが、これはまったく杞憂であった。製本版のように、必要な部分に折り目を入れたりすることはできないが、豊富なブックマーク機能、電子書籍内に仕込んであるリンク等により、自由にガイドブック内を行き来することができるようになっているため、これまた慣れると製本版と使い勝手は変わらなくなる。

製本版だとかなりデカくて重たいし、PDFを印刷すると、すぐにビリビリになったり、暑季にリュックに放り込んでおくと、背中から流れた汗で、文字が滲んで読めなくなったりするので、目下のところはこのKindle版がとても気に入っている。最近、液晶画面が大ぶりなスマホも増えてきたので、電子書籍を読むのに目に負担が大きくなるようなこともないし、読物用に常時携帯しているKindle端末でも当然利用できるので、バッテリーの心配は無用。

製本版だと、しばしば余白に書き込みなどしたりするものだが、Kindle版においてもそれほど手軽ではないとはいえ、ちゃんとメモ機能はある。それが自分のアカウントの別の端末でも共有されるのはもちろんのことだ。私自身、もう今後は、ロンプラのガイドブックで、キンドル版以外を使うことはないと思う。