ボドガヤー 1

仏陀が悟りを開いた地、ボドガヤーを初めて訪れたのは1989年であった。外国の仏教教団がそれぞれのスタイルで建てた大きな寺院が沢山あり、さながら「世界仏教寺院博覧会」のような様相を呈していたことに驚いた記憶がある。

しかしながら地元の人々が暮らす地域は、まだ村であり、ボドガヤーを縦断する道路沿いに小さな食堂や簡素な宿が点在していた。各国が建てた大きな仏教寺院を除けば、特に視界を遮るものはほとんどなく、どこからでも周囲が広く見渡せる素朴な環境であった。

「素朴な」といっても、それは視覚的な部分だけで、やたらと日本語が巧くて、日本人旅行者をカモにしていると思しき輩は出没していたし、重要な仏跡であることを除けば何もない寒村に、世界各国から幾多の観光客が日々訪れるだけあって、私たち一時滞在の外国人が接することになる相手は、あまりのんびりしたムードの人たちではなかったようにも思う。

現在のボドガヤーは見違えるように建て込んでいて、かつて村であった面影はなくなり、すっかり町になっている。おそらく季節ものかと思うが、仮設の遊園地が出来ていることから、観光客ではなく、地元に暮らす人たちを相手にしても、それなりの商売が成り立つようになってきているようにも思われる。

2013年にオープンしたという新しいゲストハウスに宿泊。NGOが運営するもので、子供たちの学校も運営しているという。現在35人の面倒を見ており、その半数くらいはホームレスであるとのこと。ここのオーナーはまだ若い人だが、フランスの人たちからの援助も受けてのプロジェクトを進めており、手の届く範囲と規模でやっているそうだ。

ゴータマ・シッダールタが悟りを開いたとされる場所にあるマハーボディー寺院へ行く。入口手前にある履物預かり所に靴を置いてきたが、預けてある靴がずいぶん少ないことを不思議に思ったが、寺院のお堂の中に入るまでは土足でいいらしい。

裸足で進んでいくと、さすがにこの時間帯はずいぶん寒いし足元が冷たい。暑季には、足が焼けるほどに熱いことだろう。建物中までは靴を履いていてよいというのは、結局ここではチベット仏教の影響力が強いということがあるがゆえのことかもしれない。

参拝者の中にはインド在住のチベット仏教徒たちが多いが、その中にはブータン人たちの姿も多い。洋服を来ているとどこの人だかわからなかったりするのだが、聖地を訪れるということもあって、民族衣装で正装してくる人が多い。とりわけ男性のそれは実に凛々しくていい感じだ。

他にもベトナム人のグループが自国の僧侶とともにベトナム語の経典を読んでいたり、ミャンマーの仏教徒グループが自国の僧侶に率いられて訪れていたり、タイ仏教徒の集団も見かけた。また中国系の人たちの姿もある。ベトナムの訪問客はかなり多くなっているのか、町中でベトナム語で書かれた看板も見かけた。限られた時間の滞在の中で、案外見かけなかったのが日本人のそうした団体で、特にそれらしき人は見かけていない。円安のためもあるかもしれない。

ミャンマー人団体

ボダガヤーの町中で見かけたベトナム語の看板

境内の敷地内では、チベット仏教徒たちが五体投地の礼拝をしている。中央の本堂の外側では、チベット仏教のバターと小麦粉で作った細工物が飾られており美しい。ゴータマ・シッダールタが悟りを得たとされるボディー・ツリーの周辺では、とりわけ多くの人たちが読経をしている。この木はやはり大変なパワースポットのようで、身体の隅々にまで、そして鼓膜にまでビンビン感じるものがある。スピーカーを通した読経の声があまりに大きいため、そのくらいビンビンと響くのである。

五体投地して礼拝するチベット仏教徒たち

バターと小麦粉を練ったものから出来ている。

ゴータマ・シッダールタはこの菩提樹の下で悟りを得たとされる。

ゴータマ・シッダールタがここで悟りを得たとされる菩提樹のたもとで読経する人たち

様々な言葉による読経

様々な言葉による読経

様々な言葉による読経

様々な言葉による読経

インド式の塔からなる本堂に入ってみた。中に行くまで行列がずいぶん時間がかかるが、私の前にいる親子はムスタンから来た母子である。子供は大変利発そうな感じで、警備しているインド人女性警官といろいろ話をしている。ずいぶんヒンディーが上手いのだが、ムスタンから来たことがその会話の中からわかった。

後からハタと思ったのだが、ムスタンのような閉ざされた地域の人たち、しかも幼い子供がヒンディーを流暢に話すというのはおかしい。ネパール語さえおぼつかなくてもおかしくないような気がする。するとインド在住なのかもしれない。聞いておけば良かった。ムスタンは外国人の入域が厳しく制限されているが、もしかするとそれとは裏腹に、ムスタンの人たちは活発に外界と行き来しているかもしれない。ちょうどブータンの人々がそうであるように。なかなか普段接点のない人たちだが、案外デリーでそういうムスタンの人たちを見かけてはいるのかもしれない。ただ、こちらが彼らをムスタン人と認識できないだけなのだ。

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