「OUR MOON HAS BLOOD CLOTS」という本

Hello Bastarの著者、Rahul Panditaによるカシミールを題材にした一冊。彼自身が、カシミーリー・パンディットの出自で、少年時代に家族とともにシュリーナガルからジャンムーへの脱出を余儀なくされている。

「民主主義インドによって蹂躙されたカシミール」にて、「踏みにじられたムスリム市民が蹂躙したパンディット」というパラドックスが展開していく。

「学者、識者」を意味する「パンディット」という言葉で通称される「カシミーリー・ブラーフマン」は、イスラーム勢力進出後のカシミールの長い歴史の中で、イスラーム教への改宗者が増えていく中、「マイノリティのヒンドゥー教徒」ながらも、高い知性と学識により、独立以前の歴代のカシミールの王朝時代に主に官職で重用されることにより繁栄」したコミュニティ。

時代的にも「抑圧」により流出したわけではないが、インド国民会議派を率いて、インドを独立に導き、初代首相となったジャワーハルラール・ネルーを生んだのは、まさにこの「カシミーリー・ブラーフマン」コミュニティであった。

独立インドのカシミール地方においては、とりわけ1980年代中盤以降は、イスラーム民兵、テロリスト等による襲撃が急増したことから、パンディット・コミュニティの中の大半が自国内で難民化した。

国民会議派率いるUPA政権時代の2008年から、カシミールから流出したパンディットたちの再定住化が試みられているが、あまり芳しい効果出ていないようだ。

Our Moon Has Blood Clots: The Exodus of the Kashmiri Pandits
By Rahul Pandita
ISBN-10: 8184000871
ISBN-13: 978-8184000870

山間部を行き来する運転手は大変

ヒマーチャル・プラデーシュ州、ウッタラーンチャル州、J&K州等々、山岳部の往来を担う運転手たちは大変だ。
映像は乾季で天候が安定している時期なので平穏無事だが、山中の狭い道路で、反対側から大型車両が来ると、互いに行き違うのは大変だし、更に夜中だと危険だし怖い。雨季の夜間という更に困難なシチュエーションも数えきれないほどあるだろう。
そう、雨季にもなると、道路が崖ごと崩落してしばらく通行止めになったりもするし、やっとこさ開通したかと思えば、崩落部分の崖をなんとか削り通して修復してあったり、それとは反対に崩落個所になんとかレンガを積んで盛り土した上に道路を修復なんていう心配な処置だったりする。そんな場所に差し掛かるたびに、「おぉ、うまく直してくれたねぇ」と安堵したり、「こりゃあマズイ!」と神に祈ったりしているのかもしれない。
山岳地の長距離バス路線で、大過なく無事に退職まで勤めあげた運転手に「ドライバー人生」について語ってもらったら、実に興味深いお話を拝聴できるのではないかと思う。

Off road bus driving | H.R.T.C |Dangerous road of himachal pradesh | shimla most dangerous road (YouTube)

インペリアル・シネマ

Imperial Cinema

デリーの宿泊先近くの映画館「インペリアル・シネマ」。もう何年も閉鎖されたままのようだ。

今どきのインドの都会では、洒落たシネプレックス化が進み、古いシネマホールが単館でやっていくのは大変難しくなっているのを象徴しているようだ。
それにしても都心で、こんなもまとまった箱モノが放置されたままというのはずいぶんもったいない気がする。

また、南デリーでは、記憶に間違いがなければ90年代前半に火災を起こして死者まで出したウパハール・シネマという映画館の建物が、今でも事故後そのままになっている。

地価がどんどん上がるデリー。どちらも大変引き合いがあるはずのロケーションで、こうした建物が処分されない背景には、建物か土地か、なにがしかの係争を抱えていると推測するのが妥当だが、実際のところどうなのかはよく知らない。

すでに廃止されていても、オートの運転手などに、その名を告げると、誰もが判るのだから、シネマホールとしての機能の一部(ランドマークとして)は残っていることにはなる。

ゴールカー

バンディープルからドゥムレーに出て、ゴールカー行きのバスに乗り換える。所用時間は前者が30分、後者が1時間半程度。ゴールカーまでの最後のバスで乗り会わせた若い男性は、ヒンディーを話す人で、なかなかおしゃべりであった。決して上手ではないし、言い回しの間違い等も私さえ判るくらいだが、インドに暮らしたことがないというのに、これだけ話せるとはたいしたものだ。

さすがに山のほうに入ってくると、とりわけ女性であまり裕福ではなさそうな層では、ヒンディーを理解する人は多くないようだ。しかしながらインド国内のタミルナードゥやケーララに比べると驚くほど広く通用するといえる。

こちらが言うことはある程度理解しているようで、返事がネパール語で返ってくることはよくある。すると、こちらは知っている言葉を拾って、推測で理解したような、そうでもないような気分になる。

部屋に荷物を置いてから、昼食は宿の階下の食堂にて済ませる。ここの主人の娘たちはふたりとも美人だ。

宿階下の食堂では、一日中、ヒンディーのエンターテインメント番組かニュース番組を流しているようだが、それでヒンディーが普通に通じるかといえば、そうでもない。とはいえ、やはりある程度は理解しているから観ているのであり、返ってくるのがネパール語まじりだったりするが、一応のコミュニケーションはとれる。

ゴールカー・ダルバールはけっこう離れているとは聞いていたが、長い石段を30分ほど登った先にある。途中の斜面からはゴールカーの町の眺めが素晴らしい。

ゴールカー・ダルバールへと続く石段

ゴールカー・ダルバール入口

ゴールカー・ダルバールは、少しかしいでいたり、壁が湾曲していたりする部分もある。2015年の地震による被害だ。現在は修復作業が進行していて、建物内部を見学することは出来なくなっている。

ゴールカー・ダルバール

ひどく崩壊している部分もあった。

先の大地震の震源地はここからすぐ近いところであったのだが、その割には町の様子からは被害の影響はほとんど見当たらない。

町中では、小さな寺をいくつか見物。そうこうしているうちに、午後4時を回ると、たいていの商店が扉を閉じる。どうやらこのあたりの「定時」は午後4時らしい。下のほうにあるバスの発着場では、もう少し遅くまで開いているのだろうか。最後のバスで乗り会わせた若い男性が言うには、午後3時までは、カトマンズに直行するバスが出ているとのことだ。

午後4時を回るとほとんどの商店が閉まってしまう。

本日、夕食をしているとスペイン人男女ふたりずつのグループが食堂に入ってきて、少し話をしたのだが、スペインからの旅行者たちは感じの良い人たちが多い。彼らはバルセロナから来たとのこと。

昔は、旅行中のスペイン人といえば、英語がほとんどわからないひとが多かったように思うのだが、現在はそうでもないように感じる。とりわけ若い人たちは流暢な英語を話す人が少なくない。英語、英会話は、かつてよりも更に広く普及していると言えるのかもしれない。

バクタプル

夜明けとともに、カトマンズ近隣にあるバクタプルへ。
確か、初めてカトマンズを訪れたときには、バクタプル行きの中国製トロリーバスが走っていた。その頃の中国でも同じようなものが活躍していたが、日本では『架線から電気を取って走る』バスなど見たこともなかったので仰天したことを覚えている。

当時、静かな田園風景の中を進んでいったように記憶しているが、今はまったくそんなことはなく、バス往来の激しい幹線道路を進んでいく。大袈裟に言えばバスは100メートルごとにお客を拾ったり、下ろしたりしながら進んで行くのだが、そうした乗客の出入り、沿道の人々の様子を眺めているのもなかなか楽しい。

カトマンズからバクタプル方面へのアラニコ・ハイウェイは、片側2車線の素晴らしい道路となっており、沢山のクルマが行き交っている。

アラニコ・ハイウェイ

バクタプルに到着して市街地に入ると、一見、昔と変わらないように見えるが、ところどころにつっかい棒で支えている建物があったり、無残にも壁が崩れ落ちたり、丸ごと崩壊していたりするものもある。























非常に建て込んだ市街地で、ぽっかり空いた空間にレンガが積んであるのは、倒壊した建物を再建するための作業に着手するところのようだ。壁が崩れ落ちたままになっているものが目に付くいっぽう、もうかなり再建完成近くなっている建物も見かける。崩壊著しいところでは、複数の建物がまとめて倒れたかのように思われるところもある。たまたまその部分の足元が脆弱だったのか、あるいは崩れた建物が倒れ掛かることにより、連鎖的に倒れたのかな?と想像したりもする。煉瓦造りの家屋が道沿いにぴったりと密着して建てられているため、そういうケースもあったのではないだろうか。



ダルバール・スクエアの歴史的建造物の中にも、大きな被害を受けたものは少なくなく、再建には、どのくらいの時間(と費用)がかかるのだろうか。このあたりについては、世界遺産指定されていることもあり、規模はともかく、内外から支援の手が差し伸べられることとは思うが、人々の住まいについては、崩壊した建造物の再建はオーナー自身がなんとか費用の手立てをしなくてはならないので大変だ。

同じく地震多発国に住む者として、大変心が痛む。

震災後もバクタプルの素焼き作りは盛ん