クリステンさん

ルンビニーの華人宿での夕食は、青椒牛肉とご飯を注文。外の食堂よりもずっと高いのだが、やはりここの食事は本格中華なので大変美味しい。現在のネパールの状況を反映して、宿泊客は私を含めてふたりだけ。

もうひとりの宿泊客は年配のアジア系の女性旅行者。今朝がた一度顔を合わせているのだが、そのときはてっきりここの経営者家族のひとりかと思っていたが、夕食の際に同席して話をして、日系アメリカ人であることがわかった。

1950年代初頭にハワイで生まれた、クリステンという名前の彼女は、中国人、フィリピン人の血も引いているという。出自がどこであろうと、自由に恋愛して結婚もするのがハワイ流なのだと彼女は笑う。

もっともハワイで過ごした時間は決して長くなく、ほどなく本土に移住。ここで、第二次世界大戦中に日系人が受けた苦しみを知っている両親は、彼女を徹底的にアメリカ人化することを心に決めたのだとか。家庭の中では英語のみを用い、アジア系コミュニティとも距離を置いて、アメリカ式のライフスタイルを貫いたのだという。

「まだ戦時中の記憶が生々しくて、日系人への感情も悪かったの。私たちが、独自のカラーで生活していくことができるような雰囲気ではなかったから。」と彼女は言う。

おそらく本人も努力家であったためだろう。彼女はUCLAバークレー校に入学することで、両親の期待に応えた。当時のアメリカの有名大学では、アジア系はもちろんのこと、黒人系の人さえもほとんど見かけなかったとのことだ。

クリステンさんは、大学を卒業した後、アメリカと欧州で働き、しばらく前に仕事を引退して、悠々自適の暮らしをしているそうだが、今の時代のアメリカでは、出自が日本の人たちも中国その他の国々から渡ってきた人たちも、それぞれの背景にある言葉や文化をそれなりに守りながら生活していることについて、「いい時代になったものだ」とつくづく感じているとのこと。

「私の場合は、そういう時代だったから、両親の方針は正しかったと思うし、いい教育を受ける機会を与えてくれたことにとても感謝しているの。おかげで満足のいく暮らしをしてきたし、リタイアした今だって、こうして人生を楽しむことが出来ているわけよね。本当にありがたいことよ。だけども私は日系人だし、中華系でもあるし、フィリピンから来た先祖もあるのに、それらのどこの言葉にも文化にもまったく通じていないことは、やっぱり残念に思うのよねぇ。」

どこからやってきた人も、世代が違う人も「同じ旅人」。普段まったく接点がなく、旅先のこうした機会にたまたま居場所を同じくしたがゆえに、こうした話を本人から聞くことが出来るのも、自由気ままな一人旅の素敵なところだと私は常々思う。

窓の外のふんわりした景色を眺めながら、お茶やコーヒーでも楽しむのには、なかなかムードがあって良かったりする。普段の鮮やかな色彩が霧に包み隠されたモノクロームな風景。モワモワした中から、人影や自転車などがジワッと現れてはスッと消えていく様子は幻想的でさえある。

だが、そんな中で、土地の人たちはのんびり休んでいるわけではなく、慌ただしく仕事に出かけなければならなかったり、運転して移動しなくてはならなかったりする。
路上の往来といえば、大きな音を立てて走る馬車以外は、私たちが徒歩で進むのと同じ程度のヒューマンなペースであったころには、霧によって視界が遮られることについて、それほど大きな問題はなかったことだろう。

だが、今の時代は話が違う。霧の中から突然、自家用車やトラックが飛び出してきては、アッという間に姿を消していく。ごく手近にあるものさえも強いソフトフォーカスがかかり、5m先も見えないような日の路上は危険極まりない。外出している限りは、霧が晴れるまでの間、命に関わる一大事がずっと続くことになる。

濃い霧により、運転者たちは普段よりもかなり速度を抑えているとはいえ、道路では事故が多発する。鉄道のダイヤは乱れ、とりわけ長距離をカバーする列車は、遅れを蓄積しながらノロノロと進んでいく。視界不良から空の便も遅延や欠航が相次ぐ。同じ機体が便名と発着地を変えて全国を飛び回っているので、霧の出る北インド地域外にも、その影響が及んだりする。

この冬は暖冬とのことで、霧の出る日が例外的に少ないという。こういう天候であることが本当にその地域の環境として良いのか、そうではないのかはよくわからない。だが、旅行している身にとっては、交通の大きな乱れがないことはありがたい。同様にここで暮らす人々にとっても、あまりひどい寒さを感じることなく、霧で不便かつ危険な思いをすることが少ない冬というのは、そう悪いことではないだろう。

ラダック やけに訪問客が少ない2015年の夏

ラダックの中心地レーのメインバーザール

このところ4年続けて7月にラダックを訪れている。この時期はシーズン真っ盛りで、レーの中心部には各国からやってきた外国人観光客、国内各地からやってきたインド人観光客でごった返し、彼ら相手の仕事、土木工事、農繁期の作業のために来ているインド人出稼ぎ人やネパール人もまた大勢来ており、まったくもってどこの土地にいるのだか判らなくなりそうな多国籍空間・・・というのが例年のこの時期であったが、今年はだいぶ様相が違った。

とにかく外国人旅行者が少なく、同様にインド人訪問客も多くない。「天候の不順により雨が多いこともあるかと思うが、やはりネパールで4月と5月に発生した大地震の影響だろう、それ以外に考えられない」というのが地元で暮らす人たちの大方の意見だ。

ラダックのシーズンといえば、およそ6月から9月までの短い期間ということが、インドの他の観光地と大きく異なる。5月や10月あたりならばラダックへの陸路は開いているし、その他の時期でも飛行機で訪れることはできるのだが、ラダック地域でアクセス可能なエリアや楽しむことのできるアクティヴィティは限られるため、夏の季節の人気ぶりとは裏腹に閑散とした状態で商売にならないため、店や宿も閉めてしまうところが多い。ゆえに今シーズンの不振はとても痛いという話をよく耳にした。

観光業は水物だ。現地の状況は決して悪くなくても、政治や経済の動向、隣接する地域(ラダックからネパールまでは1,000kmほどあるのだが、外国から来る人たちにとっては「同じヒマラヤ山脈」ということになるのだろう)での災害などが、如実に影響を及ぼしてしまうという不安定さがある。

人気の宿はそれでも込み合っていたりはするものの、それ以外では閑古鳥が鳴いているし、とりわけ内外からのツアー客をまとめて受け入れていたような規模の大きな宿泊施設においては、例年の強気な料金設定とは打って変わって、かなり大胆なディスカウントを提供しているところも少なくないようであった。

トレッキングに出かけてみても、やはりトレッカーの少なさには驚かされた。おそらくヌブラやパンゴンレイクその他、クルマをチャーターして訪問するような場所でもそんな感じだろう。

インドにあっては西端にあたるラダックでさえもこのような有様なので、今年はヒマラヤ沿いの他の地域でもかなり厳しいものがあると思われる。

バンコクの爆弾テロに思うこと

バンコクで、8月17日と18日に発生した爆弾テロ。犯行声明が出ておらず、犯人像も推測の域を出ていないようだが、ウイグル人グループ犯行説に傾きつつあるようだ。
中国国内で苛烈に弾圧されている彼らの中には、パキスタンで保護を受けて拠点を置いたり訓練を実施したりしているグループもあるという。
中国は、パキスタンに対して伝統的に「敵国インド」というスタンスからくる共通の利益から様々な援助を与えてきた友好国だ。 近年になってからはアラビア海とインド洋進出の目的からパ国を含めた南アジアのインドを除いた諸国に積極的な働きかけをしている。

とかく親密な関係にある中パにとっての弱点はまさにこの部分。パ国内に匿われているウイグル人組織の存在。ウイグル人過激派が勢いを得て、中国の不興を買うことになれば、中パ関係に少なからずの影響を及ぼすことになる。

パキスタンの文民政権にとっても、自らの力の及ばないところで勝手な動きをすることが少なくない軍部とその指揮下にある統合情報部(ISI)には手を焼いていることだろう。また、そう簡単に手出しをすることの出来ない国内の過激な宗教組織やその息がかかった有力政党の存在もある。

そんな具合で、インドがテロの温床として名指しするパキスタンだが、あながち文民政府の意思とは言えない部分も存在する。パキスタン自身が国内の様々な過激派組織による爆弾テロ、誘拐事件等で振り回されている。そして政府本体と並立する権力としての軍の存在、軍が恣意的に利用する過激派組織。しかしながらも軍部そのものは原理主義とは相容れない組織であることから、軍と過激派が衝突することも多々あるという三つ巴の危うい構造。

国道上以外にパ国の法律が及ばず、地元の部族の掟が支配する北西部のFATAのようなエリアの存在は、パ国内的には歴史的経緯のある合理性を持つものであっても、国外から見れば外国にも脅威を及ぼしかねない危険な問題だ。

蛇足ながら、インドとパキスタンの分離は悲劇として形容されるが、この地域を含むアフガニスタン国境エリアを切り離すことが出来たのは結果としてインドにとって良いことであった、かのように見えてしまうのは何と皮肉なことか。

ウイグル組織犯行説はまだ憶測の域を出ないが、仮にそうであったとすれば、つまり庇護を求めて来タイしたウイグル人たちを中国に追い返した報復のための爆破であったとするならば、ウイグル人過激派に一定の庇護どころか拠点と軍事訓練まで与えているパキスタンをも巻き込んだ問題になっていきそうな気がしてならない。

Police hunt ‘foreigner’ in deadly bombing of Bangkok shrine (Associated Press)

※「Markha Valley Trek The Day 6」は後日掲載します。

危険な滑り台

インドで安全性に問題のある遊具は少なくないが、その中で滑り台もしばしば危険なものが散見される。

滑り下りた下が砂場になっているのはいいのだが、着地して前のめりになったところで頭をぶつけるように計算されたとしか思えない位置にコンクリートの枠組みがあったりすることはしばしば。

また、常識外れなまでに傾斜が急な、こんな滑り台もあった。

ほぼ真下に落下する設計・・・。

左右のガードもほとんど皆無といった具合に低く、まさに「エキスパート用」といった感じだが、幼い子供が使う滑り台に上級者も何もないだろう。

強い日差しに晒された滑り台はフライパンのように熱く、これで遊んでいる子供は皆無だったのは幸いであった。