レーの町を散策

旧市街の旧王宮のふもとあたりはムスリム地区になっていて、彼らがタンドゥールで焼くパン屋が軒を連ねている。ナーンの類のパンや菓子類を買い求める人々で賑わう。そうした店の中には「サモーサー」を売る店もあり、三角ではなく細長いもので、中にはマトンが入っており、ジューシーで旨かった。同じような店が並んでいるが、店ごとに混雑の具合が違う。やはり人気店とそうでない店とがあるようだ。
パンを買い求める客
ラダック人たちの中で、ムスリムは少数派ではあるもの、レーをはじめとする市街地では存在感がある。その中で9割ほどはシーア派のムスリムたちである。本日の宿泊先は町の中心から外れた静かなロケーションにあるラダック人ムスリムの家族が経営する宿。娘さんと息子さんは州外の大学で学んでいるが、帰省中であった。
レーで宿泊した宿
書籍漁りも楽しい
宿には住み込みで働く二人のジャールカンド州からきた出稼ぎ人たちがいる。近くの他の宿やレストランといった観光客相手の場所でも働いているのはたいてい外から来た人たちだ。北インド各地やネパールなどから大勢の人々が仕事を求めてやってきている。
そうした中では、夏のシーズンだけラダックに来て稼いで、あとは故郷に帰ってなにがしかの仕事を得て暮らしているという人たちもあれば、夏はラダックで冬はゴア、その中間の切り替えの時期に少しだけ帰省することもある、といった具合の渡り鳥のような者も少なくない。
マニ車の間から旧王宮を望む
インドの他の地域からの出稼ぎといえば、観光客相手の仕事に限らない。道路や橋梁の建設現場で働く人々の大半はやはり外から来ている人たちだし、農家の畑で収穫作業に精を出している人たちの中にもまた出稼ぎ人たちの姿は多い。
ラダックは、インドの中で決して経済的に豊かな地域ではないが、人口が希薄であるため夏の繁忙期には人手が足りなくなり、外部からの労働力を必要としている。だがそれがゆえに本来の居住者たちだけではまかない切れないほどの仕事量をこなすことができ、地域の振興に貢献していると言えるだろう。
「12月とか1月とかに来てみなよ。このあたりを歩いても、ラダック人以外ほとんど目にしないんだよ。ヨソの人たちはシーズンが終わると帰ってしまうから。」
レーの中心部で商売を営む初老男性が言う。インド各地、そして世界各地からの旅行者はともかく、様々な業種で仕事に就いている地域外の人々が多い夏の時期のレーの町はまさにコスモポリタンといった具合だが、それは季節性のものであるということは、オフシーズンに訪れてみないとピンとこないことだろう。
カルズー池
カルズー池のところに出た。何という名前の植物か知らないが、池の中で無数の小さくて赤い花が咲いており、強い日差しの中で力強く輝いていた。

デリーからレーへのフライト

早朝5時前に、枕元でけたたましく鳴るアラーム音で目が覚めた。スマートフォンを使うようになって久しいが、これのおかげで不要となったものは多い。目覚まし時計、メモ帳、システム手帳、音楽プレーヤー等々。中には「カメラも要らなくなった」という人も少なくないかもしれないが、写真についてはいろいろこだわりがあるので、私はそこまで割り切ることはできない。
昨日予約しておいたタクシーで空港へ。日曜日早朝ということもあり、道路はガラガラで実に快適だ。飛行機はターミナル1Dから出る。数年前から操業している新しい空港ビルだが、それ以前の古いターミナルの時代の頃の混雑ぶりなどまるで遠い過去のこととなり、ゆったりとした気分で搭乗待ちできるのはいい。フードコートで注文したマサーラー・ドーサーをパクつきながら、空港でのヒマな時間は日記を書いたり、フェイスブックに投稿したりしながら過ごす。
インドでもスマートフォンの普及は著しい。少し前まではその類の携帯電話を持っているのは一見してエリート風の人たちであったが、今ではそうとは決して思えないような人もそんなので写真を撮ったりしている。一頃は圧倒的な人気だったブラックベリーはすっかり影を潜めてしまい、高級機といえばやはりアイフォーンかギャラクシーの上級機種のようだ。写真といえば、インドでも携帯電話やスマートフォン普及の関係で、日常的に写真撮影する機会が増えているのだろう。
フライトは定刻に出発した。雪山が連なる景色を見ることができることを期待して、窓側の席にしたのだが、そうではなかった。今年はモンスーンが派手に雨をヒマラヤ地域に降らせているためか、厚い雲に覆われている。それでも雲の切れ目から氷河の様子が伺えたりするのはさすが世界の屋根ヒマラヤだけのことはある。
雲が厚い
左下に見えるのは氷河
氷河の拡大写真
ようやくその雲が切れたかと思えば、まるで違う惑星のようなラダック地域に入っていた。どこまでも連なる水気のない、草木の存在感とは無縁の切り立った山々、水が流れて谷を形成したらしいにもかかわらず、水は流れていない。ごくわずかに水の流れが存在するところに緑があり、そこに人が生活していることがわかる。こうした景色はどこから始まり、どこで終わるのだろうか。
この山々の向こうはチベットか・・・?
荒涼とした景観の中でごくわずかに存在する緑。そこには水があり、人々の日々の営みがある証でもある。
こうした厳しい風景はヒマラヤ地域西部のムスリム居住地域にもあるが、寛容でゆったりとした自由闊達さが感じられるチベット仏教圏とは異なる。もしラダックがイスラーム化されていたら、人々の気質はかなり違うものとなっていたことだろう。もちろんラダック地域そのものがムスリム地域に隣接しているためもあり、居住しているムスリム人口は決して小さくはないのだが。
機体は次第に高度を下げて、空港近くに広がる軍のバラックの様子が目に入ってきた。

ラダックで「海外用WIFIルーター」を使ってみた

以前、海外用WIFIルーターで取り上げてみたが、実際に使ってみた感想を述べることにする。

このルーターを利用することにしたのは、仕事等の関係で、ときどき重要な連絡が入る可能性があるため、可能な限り毎日朝と夕方にはメールをきちんとチェックしておきたいと思うこと、またそうした連絡に即座に対応できるよう、常時接続のネット環境が欲しかったためである。

通常、インドでSIMを購入すると、全国どこにいっても通話やインターネット等のネットワークサービスを利用できるので、こうした点では基本的に問題ない。少なくとも平地部とりわけ都市部では非常に安定して速度と接続性が確保されている。もちろん山間部等では電波の入りがかなり悪い場合もあるのだが。

だが問題は、ラダックのあるJ&K州では、州外で購入したプリペイドのSIMを使用できない(J&K州で購入したプリペイドSIMは、州外で使用できない)措置がなされており、またJ&K州内で外国人が現地のプリペイドSIMを購入するのも制度上かなり困難を伴う。

そのため何かいい方法はないかと思っていたら、レンタルの海外用WIFIルーターの広告が目に付いたので利用してみることにした次第である。1日当たりのレンタル料金が700円(キャンペーン利用で630円)と、インドでSIMを購入するよりもずいぶん高くついてしまうが、仕事の関係もありやむを得ないのでこれを利用してみることにした。現地で利用することになるネットワークはAirtel社の回線であるとのこと。

「レンタルのルーターの場合はポストペイドの扱いとなるため利用できる」というレンタル元の会社の回答を真に受けていた私だが、実際にデリーから飛行機でレーに到着してみると、州外発行のプリペイドSIMのJ&K州内のローミング規制という問題以外に、ラダックにおける通信環境上の問題があることにも気が付いた。

同地域ではまだ3Gによるサービスは開始されておらず、2G環境にあるとはいえ、これがまた実に貧弱な回線であることから、深夜と早朝にごくわずかに通信可能となることを除き、日中はまず使えることがない。機器のディスプレイ上の表示ではアンテナが立っていても、メールさえ開くことができない。その割にはフェイスブックの新着情報だけはときおり入ってくるのは不思議だったのだが。

規制がかかって通信できないのではなく、回線の容量があまりに貧弱であるがゆえに、ごく細々としか繋がらないという状況のようだ。ゆえに午前1時から午前5時くらいまでの時間帯だと、多少は接続できる可能性があったりする。インドで購入したAirtel社のポストペイド契約をしているSIMを持っていても同じ状況であることだろう。

そんなわけで、結局はWIFIのあるカフェ等で接続してメールをチェックするというのが賢明な方法であることが判った。しばしば回線がダウンしていたり、停電も多かったりするのですぐに接続できるとは限らないのだが。停電といえば、昨年のこの時期に訪れた際にはレーの町でも給電は午後7時から午後11時までであったが、現在では基本的に24時間体制となっているのには少々驚いた。

レーの周辺部を出ると、Airtelの電波は入らないこともあり、レンタルしたルーターはほとんど役に立たない。やはりこの地域ではまだ携帯電話もネットもBSNLの天下ということになるようだ。規制が多いことに加えて、マーケットも小さいため、民間の通信会社はこの地域への進出や事業拡大については消極的であるという話も耳にする。

もちろん飛行機でレーへの出発前のデリーでは、日本と同じ通信環境を確保できたが、これについてはわざわざ高いレンタル料金を支払って、日本出発時にレンタルするまでもなく、インドでプリペイドSIMを購入すれば、同じ環境が得られるためメリットはない。

この海外用WIFIルーターのラダックでの使用は、結論を言うとまったくダメであった。現在の通信環境が変わらない限り、ネット接続はレー市内やインダス河沿いの周辺地域ではWIFIのあるレストランあるいはネットカフェでの使用、それ以外のエリアでは諦めるというのが今のところ取り得る手段なのではないかと思う。

バングラデシュの島 in 瀬戸内

瀬戸内国際芸術祭の夏会期が始まり「ベンガル島」島開きとなったのは7月下旬のこと・・・というのは、実は友人がFBにアップした画像をきっかけに知ることとなったのだが、瀬戸内のある島が、現在とても賑やかになっているらしい。

高松市の高松港では、バングラデシュから民俗芸能のアーティスト、様々な職人たち合わせて100名近くが集まり、古典音楽、舞踊、機織り、陶芸にリクシャーアートのペインティング等々を披露しているとのことで、大変興味深いものとなっていることが伝えられている。

瀬戸内国際芸術祭、夏会期始まる「ベンガル島」島開き (asahi.com)

瀬戸内芸術祭2013】ベンガル島 (Youtube)

芸術祭で触れることができるアートはもちろんのこと、こうした形で参加しているバングラデシュの人たちについてもちょっと興味を引かれるところだ。会期は91日まで。

レストラン 「Nagaland’s Kitchen」

Nagaland's Kitchen

南デリーのグリーンパークの和食レストラン「たむら」の近くに、Nagaland’s Kitchenというナガ料理屋がある。

Nagaland’s Kitchen (zomato.com)

ナガランド料理づくしを期待していくと、メニューの半分以上が中華料理ないしはタイ料理が占めていることに面食らうに違いない。

また店内の雰囲気はなかなか洒落ているものの、洋楽が流れて大スクリーンでは欧州のサッカーが放映されているといった環境で、ナガランドの民族性をアピールするものといえば、室内で申し訳程度にあしらわれている槍やショールの類くらいだ。

でも、こうした控えめさと民族色の薄さといった具合もまたナガランドらしいと言えるかもしれない。

オーナーはナガ人。店内で働くスタッフたちは、アッサム他の人々であり、これまたニュートラルなところが良くも悪くもナガランドらしい。

もちろんそうした具合なので、ナガランド名物の犬料理、昆虫料理などを期待してはいけない。豚肉を使ったアイテムが多いのは、他の多くのインドの地域とは異なるところではあるが、そういうところにエキゾチシズムを感じる?インド人たちと違い、私たち日本人に目新しいものはない。

しかしながら普通のインド料理にはない「植物性か動物性かも判然としないが、何かを発酵された調味料」が使われていることは、私たち日本人の身体の一部となっている味覚や嗅覚で「これは旨い」とはっきり感じ取ることができる。もちろん日本人だけでなく、韓国や中国の人たちも同様の親近感を覚えることだろう。

ここに味覚の共通部分や深みを感じることができることに、ナガ料理をはじめとするインド北東州の料理の面白さがある。食文化圏の異なるインド人、西洋人にはたぶんわからない愉しみなのではないだろうか。

豚肉料理

すぐ真横に旧ウパハール・シネマがある。1997年の火災事故で多くの死傷者を出して閉館となったが、今でも当時の建物はそのまま残っている。この界隈に住んでいたこともあるため、幾度となく映画を観に足を運んだことはあるし、日本人女性、インド人女性とワクワクしながら鑑賞した思い出もある。

そんな映画館が火災でこのようなことになってしまった当時、ちょっと辛い気持ちがしたものの、今でも当時そのままの姿で姿を晒していることについては、昔々に書いたラブレターが、そっくりそのまま目の前に出てきたかのような、ちょっと気恥ずかしい思いさえする。

旧ウパハール・シネマ

店名:Nagaland’s Kitchen

所在地:S2, Uphaar Cinema Complex, Green Park
Extension Market, New Delhi