アンベードカル・メモリアル

デリーメトロのヴィダーンサバー駅近くにあるアンベードカル・メモリアルを見学。インドの初代法務大臣で、ダリット(不可触民)出身のアンベードカル・博士にフォーカスした博物館だ。

BJP政権下ではダリット(不可触民)と先住民の地位向上に力を入れている。そういう意味でBJPのサフラン右翼は復古主義とは大きく異なる。大昔のヒンドゥー的な価値観とは違い、ヒンドゥー世界の全方位を包括する新しいものだ。そこにはカーストによる観念的な上下はないし、伝統的な被差別カーストへの蔑視もないリベラルなものだ。

僧院をイメージした建物といい、斬新なイメージの展示といい、この新しい博物館自体に大変力のこもったものを感じる。

しかしながら外来の宗教、イスラームとキリスト教に関係するコミュニティーに対しては、なぜとても冷淡かつ偏狭なのだろうか、とも思う。

 

首相博物館

今年4月に開館した首相博物館に行ってみた。旧館と新館があり、旧館は既視感があったので思い起こしてみると、確か以前はNehru Memorial Museum and Libraryであったところだ。

そこに新館を作って歴代の首相の功績を賛えるというもの。当然、時代が下ってからのBJPからの首相の扱いが大きく、さもありなんという感じ。

在任期間の長かったネルーについては独立前の活動から写真やパネル等で紹介されているが、予期していなかった中印紛争、起用した外務大臣の無策ぶり、領土を削り取られたままであることなどから、社会主義政策の推進とともに「晩節を汚した」感じで彼の展示は終わる。

首相ではないのに、サルダール”・ワッラブバーイー・パテールの展示が多かった。内務大臣として国内の統一(インドへの帰属を良しとしない旧藩王国に毅然たる態度で対処した。独立国としての道を探り、インド政府からの要求に対して国連に介入を求めた旧ハイデラバード藩王国に軍と警察を送り、戦わずして屈服させた話は有名。

この人がなぜか含まれるのは、ネルーだけではとうていなし得なかった独立後インドの統一を果たした剛腕政治家であったとともに、BJPのお気に入りの政治家であるため、その意向が働いたのだろう。グジャラート州のナルマダー県には、「Statue of Unity」という名前で建てられた彼の巨大な像が2018年に完成している。世界で最も大きな立像であるとのことだ。

ネルー急死後のナンダー首相代行を経てのラール・バハードゥル・シャストリーは1年半くらいしかその職になかった(タシケント街ゆう中に突然死)割には、原爆開発を推進したため扱いが大きい。

ラール・バハードゥル・シャストリー

再びナンダー代行を経てのインディラー・ガーンディーについては前半の社会主義政策のさらなる推進、非常事態宣言発令による民主主義政策、アッサムやパンジャーブ問題へのぎこちない対応と死といった負の面に焦点が当たった展示が特に目についた。

振動でブレブレだが、こちらも首相博物館での展示で「ポカランの原爆実験」画面にはラージャスターンのポカランでの実験映像が流れ、こちらの足元に原爆の振動がガタガタと来るというもの。体験している人たちは大喜びだが、複雑な気分。

ポカランの核実験(1974年)体感装置

第1次及び第2次インディラー内閣と第3次インディラー政権の間にあったモラルジー・デーサーイー、チャラン・スィンは非常事態宣言下で野党共闘でこれを跳ね返した快挙で、このときのジャナタ政権には、後にBJP政権で首相となるヴァジペイーが外務大臣として入閣していたためか、このふたつの政権合わせて3年間しかないのに、これまた扱いは大きい。

ラジーヴ・ガーンディー時代については、コンピュータ産業を推進した首相として紹介されていた

その後はV.P.スィン、チャンドラ・シェーカルといった短命左派政権の首相はほんの少しで、経済改革開放へと舵を切ったナラシマ・ラーオ首相関係で経済成長に関する展示がいろいろ。

V. P. スィン

時代が今と近くなってからは、会議派協力のもとでの左派短命政権や2期に渡るマンモーハン・スィン政権もあったが、事実上「ガーンディー家の番頭さん」であり、会議派総裁のソーニアー氏が、外国出身であることからくる非難を避けるため首相就任を避けて彼を指名したことから、事実上の「首相代行」。

国会答弁その他の発言の場では、ソーニアー氏が常に影のように彼に寄り添い、常に耳打ちをしながら発言を進めさせていた。それはソーニアーが秘書的な立場にいたというのではなく、自分による発言を形式上は首相職にあるマンモーハン・スィンに喋らせていたことは周知の事実で、「表の首相と裏の首相」として一心同体というか、操り人形の首相であったことはよく知られている。

しかしそうであっても、マンモーハン・スィン政権の扱いがやけに軽いあたりにも、やはりBJPの意向が働いているよつにも思える。それと裏腹にヴァジペイー、モーディー首相の扱いがきらびやかになっているのだ。ヴァジペイー首相については、彼のメガネと公用車まで展示されていた。

ヴァジペイーのメガネ
ヴァジペイーの公用車

この時期の経済改革開放政策を象徴する展示がいくつかあり、「STD」「ISD」のブースが復元されていた。ついこの間までこういうところから電話していた気がするのだが、もはや博物館で見るものになってしまった。

STD・ISDブース

そもそも「首相博物館」というコンセプト自体が疑問ではある。日本もそうであるように総理大臣に米国大統領のそれのような大きな権限がフリーハンドで与えられているわけではない。これまでも連立政権時代、とりわけ短命に終わった左派政権については、連立でそれを支えた国民会議派を始めとする協力関係にある政党の意向が強く働き、迷走することが多かった。

そんなこんなでいろいろ思うところはあるが、やはりこの博物館の存在意義は、過去の歴史を踏まえた上での、現在のBJP政権に関する教宣活動という感じか。モヤモヤしたものを胸に抱えつつ、博物館を後にした。独立インドの初期の熱気とレガシーをノスタルジーの詰まった場所だったところが、今の政権与党の翼賛博物館に衣替えしてしまっている。BJP政権下の州で着々と実施されてきた地名改名同様に、歴史の書き換え作業の一環だろう。

大麻バブル

前回に続いて今回もしばしタイの話題を。

6月に大麻が解禁となったタイだが、街を歩いているといろんなものが目に入ってくる。コンビニの飲料類の棚にもカナビス入りドリンクとやらがあるし、カフェでもカナビス入りの飲み物、コーヒー自販機にも大麻入り、クッキーその他のお菓子にも「カナビス入ってます」etc.のバブル状態。

 

ブームみたいだけど、あまりに多いので早晩淘汰されていくことだろう。

不眠症その他の治療を謳うクリニックも大麻の効能にフォーカスしたものがあり、こうした健康関係での需要も高いのか、これから創出していく方向なのか知らないが。

また、観葉植物?として、こんなかわいい感じの鉢植えも売られている。

観光客の多いエリアの路上では乾燥大麻の露店もちらほら。これらはおそらく解禁以前はアンダーグラウンドであった人たちが「地上に出てきた」感じなのかなぁと思ったりもする。

 

新しいダリット政治家の時代

昨日、国民会議派にダリットの政治家マッリカールジュン・カルゲーが選出された。

7月に行われた大統領選ではBJP推薦のダリットのドロウパディー・ムルムーが勝利を収めて就任したように、インド政界では国民の統合と斬新かつ公正な政治の象徴としてダリットが登用される例が増えているようだ。

もちろんそれらは投票(国民会議派総裁は党員による投票、インド大統領は国会議員及び地方議会議員による投票)を得て決まるものであるだけに、それらを支える広範囲な支持が必要であることは言うまでもない。

これまでもダリット出身の政治家はいた。独立直後の初代法務大臣、アンベードカル博士がそうであったように。だが、当時は彼のような優れた法曹家がたまたまダリットでもあったというような具合で、風当たりも強かったため、彼は仏教徒に改宗。以降、ダリットの人々の間では同様に仏教徒に改宗する人々が増えるなど社会の分断の象徴でもあった。ゆえに現在のそれとは大きく異なる。

また90年代以降はUP州でダリットを主な支持基盤とする大衆社会党が躍進し、政権を担うこともあった。女性党首でやはりダリットのマヤワティーのカリスマ的な指導力と人気もあったが、やはり社会から広範囲な支持を得ることはなく、その後は同じく後進階級ではあっても支持層が異なる(ヤーダヴを中心とするOBCsその他後進諸階級)の社会党との争いが続き、やがては同州にもこれらふたつの後進階級の支持を集める政党による支配をよしとしない人々によるBJPへの人気が高まり、現在はBJP政権下にあるなど、やはり社会全体から支持を集めるものではなく、既存の政治に対するアンチテーゼとしてのダリット指導者であり、ダリット政党でもあった。

実際、その大衆社会党政権下にあった当時のUP州では、あたかも一種の「文化大革命」でも起きたかのような混乱であったと聞く。州政府幹部の首が多くすげ替えられ、ダリット層の人々が何か事件の犠牲になると現地にすぐマヤワティーを始めとする政権幹部が急行し、現地警察を糾弾。警察幹部ですらいとも簡単に左遷あるいはクビになるなど、戦々恐々とした感じであったのだとか。またその他のUP政府の各組織内人事にも政権等はさかんに介入するなど、なかなか大変なことになっていたらしい。

そんなわけで、「台頭するダリット指導者」の多くは、既存政治に対する「抵抗勢力」であり、既存の体制の中でマジョリティーの中の一員として活躍するというケースはあまり例がなかった。

インドにおける「マジョリティー」内に深く浸透したBJPは、近年においては少数民族、辺境など遠隔地、そしてダリットを含めて、以前は浸透の度合いが非常に薄かった部分での支持拡大に努めており、その一環としてダリットの大統領を候補に立てたわけだが、党中央の意向どおりにその他広範な層がダリットへ候補への圧倒的な支持を集めるほど、「機は熟していた」とも言える。

国民会議派総裁選における候補者としてのマッリカールジュン・カルゲー選出(かなり直前になってからガーンディー家から直々の出馬要請があった。しかしその段になってインドメディアで「マッリカールジュン・カルゲーって誰?」という記事が出回るなど、彼自身の支持基盤外ではほとんど無名の人物であったと言える。

そんな彼が当選した背景には、他の出馬者で野心溢れる海千山千の強者ボスたちにとって、彼らの中の誰かが当選することにより、自分の立場が弱体化するとか、党内パワーバランスが崩れることを危惧しての手打ちがあったのかもしれないし、有力候補でありながらも敗北したシャシー・タルールが選挙の公正さに疑問を呈すなど、何かガーンディー家の意を受けての操作があった可能性も否定できない。

そんなバックグラウンドがありつつも、ダリットが出馬したこと、ダリットが当選したことに対するネガティヴな動きなどもなく、ダリット政治家がマジョリティーの中で当然のこととして活躍する土壌がとっくに出来上がっていることが見て取れるなど、ダリット政治家にとっての新しい時代が到来したと言える。

もちろんこうしたダリット政治家に期待される役割としては、出身コミュニティーや地域に拘泥しないニュートラルな指導者としての立場であり、ある意味、米国や英国で台頭し、首相や大統領といったポストすら射程距離に入っているインド系政治家たちが、労働運動や民族的蔑視を糾弾するような政党、組織から出るのではなく、保守系政党の一員として活躍しているのと似ている部分がある。

Meet Mallikarjun Kharge, The Dalit Leader Who Became Congress President In Historic Win (Outlook)

インドは政治も面白い

インドには風刺漫画家として全国的な人気を博したR.K.ラクシュマンのような例もあるし、有力な政治家として台頭して右翼政党(シヴセーナー)を立ち上げた人物(バール・タークレー)もあった。

とにかくマンガによる政治風刺が盛んな風土がある。ニュース番組でも「アージタク」の報道の合間に挿入される風刺アニメ「So sorry」を始めとする秀逸かつときに大変強烈な批判を含んだものが評判になる。

こちらは現在進行中の「バーラト・ジョーロー・ヤートラー(インドを結ぼう、繋ごうキャンペーン。カニャクマリーからカシミールまで、会議派の指導者や活動家たちが交代しながら団結を呼びかけて徒歩行進していく)」への風刺アニメ。報道機関からではなくBJPから出たものだが、有力政治家の離脱やラージャスターン州その他会議派が与党の地方政府内のお家騒動なども含めて、とてもよく出来ている。

つまり「党内をまとめることすらできない会議派に国がまとめられるはずがないだろう」というものだ。

インド政治についてある程度把握をしていないとなかなかわからないかもしれないが、このように厳しい言葉だけではなく、ユーモアで市民へ呼びかける政治活動もある。

インドは政治も面白い。

Congress Jodo Yatra Animation