マッチャル・マール・エクスプレス

デリーでは蚊の発生時期にマラリアやデングを媒介する蚊を減らすため、2週間に1度、マッチャル・マール・エクスプレスを走らせている。

鉄路からホースによる液剤の散布の届く範囲に限られるため、どの程度の効果があるのかは疑問ではあるものの、蚊ならびにその幼虫の駆除を実施することにより、沿線住民への啓蒙を促すことの意味はあるし、まさにそこが狙いということなのだろう。

ひとりひとりの心がけなくしては、都市部において蚊が媒介する伝染病の防止はあり得ないので、これを含めた広範囲な対策が求められるところだ。

Northern Railway’s mosquito terminator on the prowl (NDTV)

Delhi’s Malaria Express (The Hindu) ※こちらは昨年の記事

バングラデシュの島 in 瀬戸内

瀬戸内国際芸術祭の夏会期が始まり「ベンガル島」島開きとなったのは7月下旬のこと・・・というのは、実は友人がFBにアップした画像をきっかけに知ることとなったのだが、瀬戸内のある島が、現在とても賑やかになっているらしい。

高松市の高松港では、バングラデシュから民俗芸能のアーティスト、様々な職人たち合わせて100名近くが集まり、古典音楽、舞踊、機織り、陶芸にリクシャーアートのペインティング等々を披露しているとのことで、大変興味深いものとなっていることが伝えられている。

瀬戸内国際芸術祭、夏会期始まる「ベンガル島」島開き (asahi.com)

瀬戸内芸術祭2013】ベンガル島 (Youtube)

芸術祭で触れることができるアートはもちろんのこと、こうした形で参加しているバングラデシュの人たちについてもちょっと興味を引かれるところだ。会期は91日まで。

ミャンマーの商都ヤンゴン 邦字タウン誌I LOVE YANGON 創刊

ミャンマーの商都ヤンゴンで日本語タウン誌創刊!

このところ経済面で急速に注目されるようになっているミャンマー。その流れを受けて、2012年10月にANAが成田・ヤンゴンの直行便を就航、他国からもヤンゴンへの新規乗り入れが増えている昨今だ。従前から就航していた近隣国の航空会社もフライトを増便したり、エア・アジアのようにヤンゴンだけでなくマンダレーへ乗り入れる(バンコク・マンダレー便)ようなっていることからもわかるとおり、まさにミャンマーは世界で一番ホットな国のひとつだ。

欧米諸国による経済制裁解除の動きの中で、外国からミャンマーへ、ミャンマーから外国への送金も自由化の道をたどるようになりつつあるとともに、今後はクレジットカードでの支払いやキャッシング、トラベラーズチェックの換金も出来るようになる方向にあり、これまでは訪問する際には米ドル現金からの換金のみが頼りであったミャンマーもようやく「普通の国」になりつつある。

そんな中、ついにヤンゴンでも、ついに日本語のフリータウン誌が創刊された。まだ日本では広く馴染みがないということ、在住日本人もあまり多くないということもあってのことだろう、初めてこの地を踏む人のための案内書といった具合に、国のあらまし、出入国、ヤンゴン市内の見どころとショッピング、ホテル案内、食事処、買い物におみやげ等々といった構成になっている。

おおかたの日本の人々にとっては「新しい国」であるミャンマーで創刊した初の日本語タウン誌。今後ますますの発展を期待したい。

magzterで読むインド

在米のインド系ビジネスマンが起業したmagzterが頑張っている。

いろいろな雑誌の取扱いが増えており、インド関係以外にも東南アジアやアメリカ等の国の雑誌類、中には日本のものもわずかながら含まれている。

magzterの利用により、インド国外からも雑誌類が購読できるのはいいことだろう。インドの主要都市に居ても普段は見かけない北東州のニュース雑誌の取り扱いもある。magzterの出現以前は、インド国外から雑誌類を購読しようとする場合、それを取り扱うサービスはあっても、手元に届くまで時間がかかったり、郵便事情等により欠配することもあったはずだ。紙媒体で流通しているものと同じ誌面で販売されていることはもちろん、オンタイムで購入できるのが有難い。

ただ欠点もある。年間購読するように誘導しているためであるが、単号で購入するのと半年ないしは1年間の契約にするかで、ずいぶん単価が異なることだ。前者だとかなり割高に感じられてしまう。

一度購入したものは、同じアカウントでサインインしている限り、他の端末でも閲覧できて便利だ。しかし、iPad、Android、Windows RT等々のタブレット用のmagzterアプリが用意されているのはいいのだが、タブレットのOSによって操作感がかなり異なることに少々戸惑ってしまうため、改善されることを望んでいる。

少々注意が必要な部分もある。定期購読の場合、少々注意が必要なのは、購読者側から解約手続きをしない限り、自動更新になってしまう。そのため契約月についてはしっかり覚えておかないといけない。

私自身は、ニュース雑誌を定期購読しているが、旅行関係ではNational
GeographicのTraveller Indiaというものがなかなか興味深いことに気が付いた。昨年7月のヒマラヤ特集は充実していたし、他の号でもなかなか興味深い記事が掲載されているのは、さすがNational Geographicである。

National Geographic Traveller India

 

ただし、他の版元から出ているインドの旅行関係雑誌については、インドの人々の間での旅行に関するトレンドを知るにはいいかもしれない、といった程度のことが多いため、あまり期待しないほうがいいだろう。

ともあれ、今後ますますの充実を期待したいところだ。雑誌のみならず、将来は電子書籍なども購入できるようになるとありがたい。

ミャンマー 民間の新聞復活

ミャンマーで、1962年に起きた軍部によるクーデター以降、約半世紀ぶりに民間の新聞が復活しているというニュースが流れたのは、ごく先日のことだ。

ミャンマー、民間日刊紙が半世紀ぶりに復活 (asahi.com)

この民間の新聞の中で、おそらくほとんどがビルマ語紙で、ひょっとしたら英字紙も含まれているのかもしれない。旧英領といっても、英語の通用度はインドと比較のしようもないほど低いミャンマーには、それなりの理由がある。

イギリスによる支配の歴史がインドに較べるとかなり短いこと、そして独立後のインドにおいて英語が果たしてきた大きな役割とは裏腹に、支配的な立場にあるビルマ族による「国粋化」により、日常の商取引や教育の場から英語が駆逐されたミャンマーとでは、英語の位置付けそのものが大きく異なる。インドにおいて、英語は(たとえそれを理解しない人が過半数を占めているとしても)インドの言葉の中でも重要な地位を占めているが、現在のミャンマーにおいては、英語は外国語にしか過ぎない。

英字紙はともかく、おそらく1962年のクーデター以前には、ヤンゴンその他の都市部では広く流通していた中国系住民のための華語紙、インド系住民を対象としたウルドゥー紙その他の外来の言語によるメディアの復活はありそうにはないようだ。

ミャンマーでは、新聞や雑誌等に対する事前検閲は廃止されたものの、発行後の事後検閲は継続している。管理に手間のかかる外国語によるメディアについてはなかなか許可が出にくいものであろうと想像される。また、1962年以前は都市部人口にかなり高い割合を占めていた中華系、インド系の人々が軍政の始まりとともに、大挙して国外に流失してしまったという事情もある。

話者人口の規模が縮小するとともに、世代交代が進むにつれて、自然と父祖の母語を理解する人々は減り、理解度という面においても水準は下がっていくのは当然のことだ。

ヤンゴンのあるヒンドゥー寺院では、地元のインド系住民の若年層を対象にした「ヒンディー語教室」が開かれている。そこで教えている男性に話を聞いたことがあるのだが、話者人口や世代交代だけではなく、インド系の言語によるメディアが廃止されたことによる言語面でのインパクトはかなり大きかったようだと語ってくれたことを思い出す。

「だって、あなた、読み書きする機会が減れば、語彙も乏しくなるでしょう。言葉が乏しくなれば不便になって、あまり使わなくなってしまいますよ。するとどんどん先細りになっていく。喋った先から消えて行ってしまう話し言葉だけじゃなくて、やっぱりきちんとした文章を日常的に読むということは大切ですから・・・」

20世紀初頭のヤンゴンでは、住民の半数以上がインド系の人々が占めていた時期もあり、非インド系の人々の間にもヒンディー/ウルドゥーが通じるというのがごく当たり前といった状況であったようだ。

ヤンゴンで、今のインド系住民の間で、インド系の言語による新聞が復活することはないだろう。それでも、ダウンタウンのインド人地区でモスクの中や周辺では、ウルドゥー語による会話が聞こえてくることはしばしばあるし、ヒンドゥー寺院に出入りする人々の会話にしばしばヒンディーによるやりとりが含まれることはよくあるようだ。

やはり言葉というものには、単に意思疎通の手段としての道具という以上に、民族のアイデンティティとしての意味合いも大きい。インドから移民して数世代経過している人々の間では、地元ビルマ語が母語になっているとはいえ、宗教施設での説法や人々の会話の中にそうした父祖の言葉による会話が挿入されることが多いのは当然のことなのだろう。

そんな環境の中で、曲がりなりにもヒンディー/ウルドゥーを理解するということに対する、インド系の人々の反応のポジティヴさには驚かされる。インドではずいぶん粗末に扱われている印象を拭えない言葉に対する人々の愛着には心動かされずにはいられない。

ミャンマーで、ヒンディーやウルドゥーの新聞や雑誌が復活することはないにしても、コストのかからないウェブ上でのニュースサイトが出てくることは、有り得ないことではないように思う。

報道や表現の自由度の拡大や経済発展へと向かう中、これにより本国とは遠く離れた環境下で細々と続いてきたインド系言語環境が利するところはあるのか、今のところはまだよく判らない。