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カテゴリー: nature

  • パンカム村への道2

    パンカム村への道2

    シャン族の家
    村の「学校」

    点在する村の居住する少数民族がマジョリティとなる山の中では、ビルマ語はあまり通じなくなるらしい。いろいろな言語が散在するこの国らしいことではあるが、村で同じ民族で集住しているため、使う必要がないということもあるだろうし、学校教育の普及程度の関係もあるだろう。

    食料品類は基本的に自給自足の生活であるようだ。こうした形で少数民族が村単位で存続できた背景には、それで生活していけるだけの地味の豊かさがあったからに違いない。また周辺地域を統一しようとか、勢力を拡大しようという野望もなく、人々が平和に共存していくことができる状況が続いていたということにもなるのではなかろうか。

    もちろん少数民族といっても皆が村に住んでいるわけではなく、町に出て働いている人たちも少なくないはずなので、皆がそういう伝統的な環境で暮らしているということにはならないが。

    あれは仏教の寺だとWin氏が指差した先にあるのは、大きいながらも簡素な建物だ。門の上に翻る仏教旗がなければ、これがそうであるとはちょっと気が付かないだろう。規模が大きめな家屋ではないかと思うところだった。

    シャン族の寺

    通称、「シャントラック」と呼ばれる、中国製のクルマのシャーシーとエンジンと足回りを流用してトラックに仕上げた、創意工夫の賜物ともいえるトラックが大き目の農家の軒先にあったりする。近くを流れる川の水を有効に活用して、米、野菜、トウモロコシなどが栽培されている。このあたりでは様々な食用になる野草もふんだんにある。

    シャントラック
    トウモロコシの脱穀作業中
    旨そうなスイカ

    ガイドのウィン氏が指差した先には「マラリアに効く」という野草があった。当然、マラリア原虫を駆除する効力はないはずなので、こうした山間の村で医療施設もないようなところに住んでいる人たちにとって、最大の予防は疲労をためないこと、ひいては睡眠時間をたっぷり取ることしかないだろう。

    他にもデングのように同じく蚊が媒介する病気、赤痢やコレラといった他の伝染病も普通にあるはずなので、平和に暮らしていながらも人口があまり増えることがなかったということも、民族ごとの村落社会が長く継続できた理由かもしれない。川から汲んだ水を飲む村人たちの姿を見て、そんなことをふと思う。運不運もあろうが、地域の生活環境に適応できる丈夫な人たちが淘汰されて生き残っているわけである。

    山道は、もちろん舗装などされていないダートであるため、雨季の水の流れによって削られていくためであろう、平坦ではなく幾筋もの溝が続いているような具合だ。それでも上のほうから中国製のバイクで駆け下りてくる人たちが少なくない。

    ウィン氏によると、そうした人々の多くはパラウン族であるとのこと。元々は馬をよく利用していた人たちであるとのことだが、今の時代になると生身の馬から機械の馬へと乗り換えるようになっているということのようだ。同じような地域に暮らしていても、やはり民族性というのはあるようだ。

    シャン族とパラウン族とでは、居住するエリアもかなり違うようで、前者はなるべく平らなところ、そして川の流域に好んで居住するが、後者は山の上のほう、尾根のような見晴の良い場所に村を形成するのだという。また、野生のシカや鳥類などを求めて、よく狩猟をするとのことでもある。集落内の家屋を外から眺めると同じように見えるのだが、生活様式はかなり異なるのではないかと思われる。

    さらにどんどん上へと歩いていくと、やがて「ここからパラウン族の地域」とガイド氏は言う。住み分けの境界は少なくともこの地域でははっきりしているようだ。シャンとパラウンが混住する村は、町の近郊ではあるそうだが、それ以外では当混じって住むことはないという。シャンの村はシャン人だけ、パラウンの村はパラウン人だけという具合らしい。

    顔立ちは私たちからすると同じに見えるが、言葉や生活習慣も異なるため、また住んでいるエリアが異なるということもあるのだろう。異なる民族間での結婚というのも多くないという。ただそれが不可能というわけではなく、ときにはそういうケースもあるのだそうだ。同じ仏教徒であればそう難しいことではないとも。このあたりの少数民族コミュニティは父系社会なので、異民族と結婚した女性が男性側の村に嫁入りすることになるという。

    ただし相手の民族がどうあれ、宗教がクリスチャンであったり、ムスリムであったりということであれば、かなり困難であるそうだ。

    「インド出身のムスリムでありながらも、シャン族の仏教徒コミュニティの中に同化していった私の祖父はその中の例外です。」とウィン氏は穏やかに笑う。

    山道の上のほうから黒光りする銃器を持って駆け下りてくる男の姿があり、「山賊では?」とちょっと背筋が凍る思いがしたが、ウィン氏と顔見知りのパラウン族で、これから狩りに出かけるとのこと。背後からは彼の子供たちも続いて下りてきた。

    チークの木に巻き付くバニヤンの木があった。木は逃げることができない。これから何年か先には、チークの木はバニヤンに絞殺されて、バニヤン自体が大きな木に成長していることだろう。

    バニヤンに絞殺されつつあるチークの木

    パラウン族の村の地域に入ると山の斜面に茶の木を見かけるようになってくる。この民族の間では茶の木の栽培が盛んであるとのことだが、ダージリンその他のインドの茶のプランテーションでのたたずまいとかなり違う。通常、木は等間隔で密の植えられるものだが、ここではずいぶん間隔が空いているし、木の背も高くなってしまって伸び放題だ。こんなに背が高くなってしまっている茶の木はインドでは見ない。

    普通の木のようになってしまっている茶の木

    収穫された茶葉は、家内工業として粗く製茶されるようだ。「粗く製茶」と言っては失礼かもしれないが、素朴な味わいの中にお茶本来の旨みが感じられて悪くない。

    <続く>

  • パンカム村への道1

    パンカム村への道1

    ミャンマー北部、シャン州のスィーパウの町から一泊二日のトレッキングに出発する。行先はパラウン族の人々が暮らすパンカム村。同行するのはバンコク在住の日本人K氏。スィーパウでの宿泊先が一緒で知り合った。

    町から村までは徒歩で5、6時間とのことで、丘陵地なので起伏はあるものの、険しい地形ではなく歩きやすそうだ。だが途中で見かける眺めや村々、出会う人々のことが何もわからないというのでは惜しいので、現地のガイドを雇うことした。

    午前8時に、私たちを案内するシャン族のウィン氏がやってきた。肌色が濃くて顔立ちも彫りが深い感じだが、祖父がインドからやってきたムスリムであったとのこと。だが彼の家は今では仏教徒となっており、祖父の宗教を継承していない。スィーパウの町では、しばしばインド系の人々の姿を目にする。多くは同じくインド亜大陸出自のヒンドゥーないしはムスリムのコミュニティを形成しているが、地元のモンゴロイド系仏教徒の人々の大海の中に埋没していく例も少なからずあるらしい。

    小さな町なので、しばらく歩いくとすぐに郊外に出てしまう。マンダレーからラーショー方面へと向かう鉄路を越えると、そこから先は緑の濃い田園地帯が広がる。

    スィーパウ郊外の田園風景
    牧歌的な風景

    畦道を進んだ先にはムスリムの墓地があった。この地域でのムスリムといえば、ほとんどがインド亜大陸起源ということになるが、道路際から眺めた範囲では、墓標はどれもビルマ語で書かれている。古いものになるとウルドゥーで書かれた墓石もあるのではなかろうか。

    シャン高原に位置し、スィーパウのあたりでも海抜800m程度はあるので、朝晩は充分涼しくクーラーの必要はないのだが、やはり陽が高くなってくるとそれなりに暑くなってくる。リュックに付けた温度計に目をやると摂氏34℃。ムスリム墓地を過ぎたあたりからは、集落が点在する丘陵地となる。

    このあたりは、かつては深い森林地帯であったことだろう。今では伐採が進んで禿山になっていたり、さらに焼畑のため斜面にまったく何もなくなっていたりするところも多い。環境面からは好ましいことではない。

    禿山が続く

    昔から良質なチーク材の産地として知られてきた地域だけあり、それらは今でも少なからず残っている。こんないい材木がふんだんにあるということで、長らく伐採されてきたわけだが、植民地時代には多くの企業家たちにビジネスチャンスを、そして植民地政府にも大きな富を与えた。これらの輸出で富を蓄積していった企業家たちは数多いし、そうした出自ながらも、その後業種を変えて、またインド地元資本化して現在に至っている組織もある。

    1840年代に、イギリスからムンバイーに渡って貿易業を手掛けたウォレス兄弟が設立したボンベイ・バーマ・トレーディング・コーポレーションなどはその典型だろう。ミャンマーやタイにおけるチーク材の伐採と輸出により一世を風靡した企業で、ピンウールィンのヘリテージホテルとして知られるティリミャイン・ホテル (通称カンダクレイグ)は、この会社の施設であったが、今では政府系のホテルとして転用されている。

    現在のボンベイ・バーマ・トレーディング・コーポレーションは、パールスィー系のワーディヤー一族が運営する財閥、ワーディヤー・グループの傘下にある。もはや材木関係は扱っていないようだが、紅茶やコーヒーといったプランテーション作物の取り扱いがある。旧植民地企業のDNAが脈々と受け継がれているのかもしれない。

    スィーパウの町からしばらくの間はシャン族の集落が続く。家屋は素朴な造りだ。木の柱で骨組して壁には編んだ竹を使用して、トタン屋根を葺いている。付近を流れる小川では水車が回って製粉をしていたり、自家発電に利用されていたりもする。こうした発電により、数世帯の電球くらいは灯すことくらいはできるのだそうだ。

    このあたりの川はとてもよく澄んでいるのが東南アジアの他の地域と異なる。川沿いにはいくつも小さな堰があり、水車を利用しての水力発電がなされている。水車以外の方法でダイナモを回している装置も見かけた。政府が何もしてくれないがゆえの自力更生努力である。また太陽電池で電気を供給している家屋もときどき見かけるのには少々驚いた。

    民家の外壁にはよくヘチマが干してある。これで身体等を洗うタワシを作るというのは昔の日本と共通の発想だ。

    穀物の脱穀、そして発電と多用な水車
    ソーラーパネルが設置されている家があった。
    タワシとなるヘチマ

    発電装置やプラスチック類の存在、わずかな電化製品を除けば、燃料は今も薪のようだし、日本の江戸時代のころからこの地域の生活はあまり変化していないのではなかろうか。あとは民族衣装を着る人が少なくなっていることくらいか。やはり大量生産の安い衣類、とりわけ中国製のそうしたモノが多く入ってくるようになると、製造に手間がかかる民族衣装は着なくなるのが当然だ。それでも女性は年配者などで今も伝統的な恰好をしている人たちもわずかながらいるようだが、若い人たちの間では皆無なので、日常の衣類としては遠からず廃れてしまうことだろう。

    <続く>

  • ユクソムからタシディンへ ワンデイ・トレック

    ユクソムからタシディンへ ワンデイ・トレック

    ユクソムの宿で朝食を済ませてから、山道をタシディンに向けて出発。一日だけの山歩きを楽しむ。日中一杯で歩くことができる距離で行程も簡単なのだが、道は判りにくいところはいくつかあった。集落のないところ、人が通りかからないところで突然分かれ道になっていたり、それまで歩いてきた、あるかないかわからないような道自体が忽然と消えてしまっている箇所があるといった具合。
    シンプルで素朴なマニ車
    大きながけ崩れの跡。滑落しないよう注意。
    行程で特にこれといって大きな見どころはないのだが、やはりそこは尾根から眺めるスィッキムの山間の自然豊かな景色を眺めること、ひなびた集落の様子を目にすること自体が最大の見どころということになる。歩きながら目標となるのは、ルート上にあるお寺であったり村であったりする。お寺の類で最初に訪れたのはドゥーブリー・ゴンパー。
    お寺は大改装中
    お堂はふつうに見えたのだが・・・。
    2011年のスィッキム地震爪痕が今も生々しい
    壁画はかなりひどく損傷していた。
    復旧が完了するまで相当な時間と費用がかかることだろう。
    お寺は外装を大改装中。僧院に誰もいなかったが、中に入ってみると、その理由が判った。2011年9月に起きたスィッキム地震のためである。一階のお堂は比較的状態が良いとはいえ、壁画が剥がれ落ちている部分がある。おそらくこれでもかなり修復を施したのだろう。外壁もきれいになっている。しかし、上階のお堂はひどいものだった。壁の絵が広範囲に渡って崩落している箇所がいくつもあり、仏具や装飾等が無造作にゴロゴロ置かれているなど、修復の最中にあった。
    緑したたるスィッキムの山の景色
    途中の集落の子供たち
    登り坂でひと汗かいたら小休止
    本日の行程において、勾配がきつくて大変なのは、その次のホーングリー・ゴンパーまで。あとはところどころ登り坂はあるものの、基本的には下降していくルートである。逆に言えば、ユクソムからタシディンに向かうのではなく、その反対のルートであると、かなり上り基調で体力を消耗するということになる。
    正面から見ると何でもないようだが・・・
    向かって右側の壁はすっかり崩落していた。
    ホーングリー・ゴンパーも地震の影響を受けており僧侶は不在であったが、被害はこちらのほうが明らかに大きかった。正面から見て右側の壁がほぼ完全に崩落してしまっている。おそらくガントク近くのルムテクやペマヤンツェー等の寺院も被害を受けたのではないかと思うのだが、やはり復興のカギとなるのは資金力ということになるのだろう。
    グラーム・パンチャーヤトが運営するゲストハウス
    ホーングリー・ゴンパーの敷地脇には、地域のグラーム・パンチャーヤトが経営しているというゲストハウスの看板があった。そういうレベルで経営がなされている「公共の宿」が他にあるかどうか知らないが、かなり珍しい例ではないかと思う。
    ここからは下り基調である。向こうの山にタシディンの町が見える。直線距離では、渋谷から新宿、あるいは渋谷から池袋程度の距離のはずだが、複雑に絡み合う高度の異なる山々の稜線を越えてのことなので、実際に歩く道のりは見た目よりもはるかに長い。
    Hongri Gompaまでの登りがきつかったので、これからは下りと安心していると、今度は分かれ道でどう進めば良いのかわからないところがいくつもあった。またガレキで行き止まりになっているところもある。
    ふたりばかりの集落を過ぎて、Nessaの村に到着。ここでようやくジープ道に出る。未舗装だが四輪駆動は通ることができる道なので、一気に文明社会に出た気がする。ここでようやく小さな商店があり、コーラとビスケット購入して遅い昼食とする。午後2時半くらい。
    スィッキムでよく家屋等の屋根の上で翻っているのを見かける三色旗、赤、黄色と緑の旗は何なのか尋ねてみると、現在の州与党のSDF(Sikkim Democratic Front)の党旗だということ。ここからもうすぐ近くにタシディンの町が見える。タシディン行きのジープが出るところであったが、せっかくなのでそのまま歩くことにした。
    ひとつ集落を過ぎてSinon Gompaに着いた。扉が閉まっているので見学できなかったが、外壁にあちこちヒビが入っており、入口両側の壁画も割れている。外壁については修復したばかりのようで真新しくなっている。
    スィノーン・ゴンパー境内にはためくタルチョー
    ゴンパの裏に学校があり、その脇からタシディンに下ることになるのだが、近くに見えてもまだまだ遠かった。すでに日没は近いので急がなくてはならない。学校脇で大工仕事をしていた人が、しばらく下るとジープ道に出るというので、その小道を急ぐ。しばらくは階段で、そこからは先のトレッキングルート同様の岩石だらけの細い路となる。
    ようやくジープ道に出たものの、今度はどちらに行けばよいのかわからない。道の上に民家があったので、大声で誰かいないか呼んでみると、出てきたのは子供たち。これはアテにできない。ジープ道から直下に下るけもの道がタシディン行きだと言うのだが、すでに太陽は山の向こうに沈んでおり、ジャングルの中で真っ暗になったら大変困る。とりあえず向こうから来たクルマがあったので、タシディンの方角を確認。クルマが来た方角がタシディンであった。
    問題はどのくらい遠いかということ。向こうから来た女の子たちに尋ねてみると、12キロなどというとんでもないことを言っている。これは何かの間違いだろう。しかし、他に尋ねる相手もいない。仕方なくその方角に歩くが、ちょうどジープ道を横切る二人連れがいたので聞いてみると、「ここを通ると15分でメインロードに出る」とのことなので、付いていくことにした。彼らは集落の住民で、帰宅するところであった。分かれ道に来て、彼らが集落に行くところで、それとは違う側がメインロードに続く道だと教えられる。
    しはらく下るとジープ道に出た。つづら折れになっている道をショートカットしたことになるのだろう。もうかなり暗くなってきた。タシディンまでは、まだ5キロあることが道路脇の表示で判った。タシディンまでのシェアジープがあればぜひ乗りたいが、なくてもここを歩いていけば着くということ、けもの道ではないので懐中電灯を点ければ歩くことができて、やがて到着できるという安心感がある。しばらく進むと見晴らしの良いコーナーがあり、タシディンの夕暮れ風景を一望できる。景色は美しいのだが、早く着きたい。歩きくたびれたし空腹だ。
    眼下にはタシディンの町
    しばらく進むと後ろから二台の大型トラックが来るのが見えた。止めて尋ねるとタシディンの方向に向かうというので乗せてもらうことにした。
    タシディンの町に着き、小さなマーケットにある食堂で、ペリンから同行させてもらっているUさんと夕食。注文して出てきたモモもトゥクパも疲れた身体に染み入るように旨く感じられる。ビールも最高に気持ちよく胃の中に吸い込まれていく。
    タシディンでの夕食
  • ペリンから一日観光

    ペリンから一日観光

    朝一番の眺めはいまひとつだった。
    ペリンといえば、この町からのカンチェンジュンガ峰の眺めで知られているが、夜が明ける前に起きだしてみたが、残念ながらちょうど峰の部分に雲がかかっていた。これはこれで奥ゆかしくていいかもしれないが。
    幸いなことに雲が移動して眺めが良くなった。
    本日のクルマ。フロントガラスのヒビ割れの補修がなかなかイカしてる。
    本日は日帰りでこの地域をクルマで観光するつもりにしていたが、明日にはユクソムに行くつもりであったので、本日の行程が終わったらユクソムで降ろしてもらうことにした。
    大きな吊り橋
    滝。珍しいものではないが・・・・。
    最初に大きな吊り橋と滝を訪れる。このあたりは水にも恵まれているため、緑は豊かだ。山あいに広がる段々畑、村落、日を浴びてのどかな村の風景を楽しむ。日向にいると陽射しはそれなりに暖かいのだが、日陰に入ると非常に寒い。自宅にあるダウンの中で最も厚いものを着てきて良かったと思う。
    晴れ渡った空に草木の色が映える。
    こんな感じの家屋が多い。
    蒸篭を日常的によく使うのだろう。
    日本の信州を思わせるような景色
    日陰はやけに寒い
    ケチョパリ湖に行く。ここには土産物屋を経営している日本人女性がいらっしゃるという情報はウェブで得ていた。
    すぐに判るだろうか?と入場チケット売り場から中に入ってすぐのところであった。小さな日の丸が店の壁に貼られているので人に尋ねなくてもそれと判り、お会いすることができた。だがここに立ち寄るインド人観光客たちは、まさか日本人がここで店を開いているとは想像もしないようである。
    湖自体は、ブーティヤー族仏教徒の聖地ということになっているらしいが、一般の観光客が多く、参道に列を成している状態だ。夏のシーズンには大混雑になっているのだろう。
    湖の手前にはチベット仏教寺院がある。ブータンやチベットから来た僧侶も滞在しているとのことで、山間の小さな集落にあるとはいえ、なかなか「国際的」なお寺でもあるようだ。
    仏教寺院
    ケチョパリ湖
    ビューポイントへの道
    湖の眺め
    山間の集落にも携帯電話のタワーが建っており電波がちゃんと届く。
    彼女に勧めていただいたビューポイントまで歩いてみることにした。湖のすぐ東側の斜面を登ったところにある。展望台脇にある店の主らしき男が、芝の上で昼寝をしている。日常は分刻みで仕事をしている身としては、時間がふんだんにあるという点について、少々羨ましくならないでもない。
    そこからもうひとつの滝に行く。ここは高低差が大きく、筋もみっつある。一番大きなものはかなりの水量で迫力がある。
    ふたたび滝
    本日はペリン周辺の景色を楽しむことができて良かった。午4後時半くらいにユクソム到着。のんびりした感じの集落だ。宿もなかなか新しくてキレイだ。ペリンから同行のUさんとビール飲みながらの夕食を楽しんだ。
    ユクソムでの宿
    夕食(の一部)
  • ガントクと周辺を見物1

    ガントクと周辺を見物1

    私の友人で、ガントクのカレッジで教鞭を取るA先生に連絡をとった。先生はコールカーター出身のベンガル人だが、スィッキム州で20年ほど暮らしている。

    この日は、先生があちこち案内してくださるとのことで、MGマールグで待ち合わせして久々に再会し、クルマでルムテク寺院へと向かう。ガントク市街地を出て西方向に向かってすぐのところのビューポイントからは、斜面に張り付く街並みを一望することができる。

    ガントクの街並み

    少し登った先にあるのがルムテク寺院。20年以上前に訪問している。寺院内部のたたずまいは覚えているがガントクからの道のりについてはまったく記憶がない。確か昔はお堂の中を撮影することができたが、今は禁止となっている。寺院に入る際にはかなり厳重なセキュリティチェックがある。

    ルムテク寺院
    ルムテク寺院にて

    これは外部からのテロに対する警戒ではなく、寺院内部での抗争が原因となっている。ルムテクは、カルマ・カギュー派の寺院だが、同時にカルマ・カギュー派を率いるカルマパ17世の正統性を巡る紛争の場でもある。現在、同派では二人のカルマパ17世が並立(泡沫候補的なスィッキム出身の自称カルマパ17世も加えると三人)しており、これを巡る派閥抗争で流血の惨事も発生するという、異常な事態となっている。治安当局が常駐して監視するという宗教施設内での対立としては非常に嘆かわしい状態だ。世俗を離れた僧院とはいえ、やはりそこは私たちの世界と地続きの「人の住む世」という気がする。

    続いて訪れたのは、1998年に完成したという新しいリングダム寺院。歴史はないが建物や内部の造りは見応えがある。ラダックの寺院とは違う気がするが、チベット仏教、チベット建築の知識があれば、具体的な違いが判るのだろうが、私にとってはどこか違う・・・としか感じられないのは残念だ。建材は日干しレンガではないのは、雨が多い地域だからだろう。

    リングダム寺院

    境内で記念写真を撮影しているチベット系のグループがあった。ひとり、ふたりでいるとそうとは判らなかったりするかもしれないが、大勢でいると地元のチベット系の人たちとは顔立ちがずいぶん異なることに気が付く。「ひょっとして?」と思って声をかけてみると、やはりラダックの人たちであった。

    リングダム寺院の境内でラダックから来た方々のグループと出会った。

    次の訪問先は山の中のバンジャークリー滝。おそらく雨季にはすさまじい水量になるのだろう。滝の周囲は整備された公園になっている。ここから再びガントクに戻り、エンチェイ寺院。ここでは着飾った女の子と家族が訪れていた。女の子はお調子者のようで、愛嬌たっぷりにポーズを取ってくれたので写真撮影。

    エンチェイ寺院
    いろんなポーズを取ってくれた女の子

    行く先々で、A先生の教え子、元教え子であった人たちと出会う。しばしば携帯電話にも教え子たちからの電話がかかってきて、人気者の先生であることがよくわかる。各所見学した後、MGマールグで食事をしてから先生のお宅にお邪魔させていただく。

    <続く>

  • タイガーヒルの日の出

    タイガーヒルの日の出

    朝3時半に起きて、宿のすぐ下のタクシースタンドでシェアタクシーをつかまえて、タイガーヒルへと向かう。ここで日の出を拝むのはダージリン観光の定番ではあるが、こういう変な時間帯であること、外気は非常に寒い(暖房がないので室内も同様に寒いのだが)こともあり、かなりキツイ。
    乗客の大半は平地からやってきたベンガル人たち。みんな一様に寝ぼけ眼で無口。タイガーヒルまでは30分くらいだろうか。展望台手前のチェックポストで入場料を払い、再度クルマに乗り込んで展望台へ。
    日の出見学後の帰途でクルマがわからなくなりそうだったので、念のためフロント部分を撮影しておいた。
    眼下に見えるダージリンの街はまだ深夜の雰囲気。夜明けまではかなり時間がある。寒さに震えながら日の出を待つ。やがて東の空が少し明るくなってくると、沢山集まった人々が写真撮影に格好のスポットをすでに占領しているが、彼らはより寒いところで我慢していたのだから仕方ない。
    寒風を避けて展望台の中で夜明けを待つ人々
    東の空が少し明るくなってきた。
    太陽が頭を出すまでもう一歩・・・。
    しばらくすると太陽の上端が少しのぞいてきて、やがてどんどん上がってきた。ダウンやフリースを沢山着込んでいるものの、あまりの寒さに手足がブルブル震えて、眺めを楽しむ気持ちの余裕があまりないものの、神々しく美しい日の出と、朝日に鮮やかに染まっていくカンチェンジュンガ峰を目の前にして、やはり旅行中の早起きは大いに得することを実感せずにはいられない。
    お見事な日の出!
    陽光を浴びて燦然と輝くカンチェンジュンガ峰
  • パンゴン・ツォへ

    パンゴン・ツォへ

    先日に引き続き、再びシェア・ジープにて、レーから東に向かったところにあるパンゴン・ツォという湖を見に行くことにした。2009年に公開されたボリウッド映画「3 Idiots」のラストシーンのロケで利用された景色であるがゆえに、作品がヒットしてから訪れるインド人客が急増したということだ。本当は一泊してみたかったのだが、あいにくそういうグループに空きがなかったため日帰りとなる。

    クルマを予約した旅行代理店の前に、指定された午前6時に出向く。しばらくすると乗客6人が乗ることのできる大型の四輪駆動の乗用車がやってきて停車した。運転手に確認すると、これが私の乗るクルマであった。

    レーから、チョグラムサル、ティクセー、シェイなどを経て、東に進む。チョグラムサルにはダライ・ラマが訪問される際の滞在先があるのだが、案外簡素な平屋建ての建物であった。インダス川沿いのこの道路脇には水路があり、背の高いポプラの並木が続き、中央アジアを思わせるような景観だ。

    すでに乗っている人たちが本日の私の同行者たちということになる。今回は外国人ではなく、カルナータカのマイソールからやってきたインド人の家族連れであった。ご主人は家具販売会社経営、奥さんは地場の銀行勤務、娘さんは大学生だ。

    最初のうち、家族同士はカンナダ語、私に話しかけるときだけ英語となっていたが、奥さんは金融機関勤務という割には英語が苦手なようで、こちらがヒンディーを理解することがわかると、車内でのほぼすべての会話がヒンディーとなった。このあたりの柔軟さはインド人らしいところだ。

    夫妻は同じ大学の同級生で、互いに仕事を始めてから結婚したとのことだ。ご主人はムスリムで奥さんはヒンドゥーであるため、両家の家族に打ち明けた際にはもちろんいい顔をされなかったものの、幸いふたりの実家は互いに旧知の仲で、元々双方足繁く行き来する関係であったこともあり、無事ゴールインできたとのことだ。

    峠へと高度を上げていく。眼下の集落の景色が遠ざかる。

    シェイを過ぎて少し行ったあたりで、山間の道に入っていく。ここから高度がどんどん上がり、シェイから1時間程度で海抜5,320mのチャン・ラという峠に達する。見た感じはカルドゥン・ラよりも広々とした印象を受ける。クルマを降りて道路向こうのトイレに行くだけで、かなり息が切れることから空気の薄さを実感する。

    不毛な景色が続く
    チャン・ラという峠に到着

    峠を越えたすぐ先には残雪

    ここからは下るいっぽうだ。過日のヌブラ行きに比べると、景色は比較的なだらかである。夫妻の娘、チャンドニーは写真が趣味とのことで、最近両親に買ってもらったというキヤノンのデジタル一眼で沢山写真を撮っている。最近はこういうカメラを持つインド人旅行者がとても多くなった。旅行先でいい写真を沢山撮って、いい思い出とともに帰宅してほしいものだ。

    ヤクの放牧
    ヤクのミルクを絞る女性

    荒涼とした山間を走っていくと、途中でヤクを飼育している人たちがいた。ミルクを絞ってもいる。販売するためではなく自家用だというが、彼らが切り盛りする簡素なカフェもあった。見渡す限りの荒野だが、川が流れているところにだけわずかに緑が見られる。

    雪解け水が流れる川沿いにのみ緑がある
    湖が見えてきた!

    レーを出てから5時間あまりで、目的地のパンゴン・ツォに到着。トルコ石のような鮮やかな青色の水を湛える湖だ。塩湖らしいが、魚は棲んでいるらしく、水鳥たちの姿がわずかながらある。靴を脱いで水に入ってみたが、とても冷たくてずっと足を浸けていられるものではなかった。

    海抜4,000mの高地なのに水鳥の姿がある

    幸い今日も好天だが、ときおり雲がかかると深みのある青色の湖水はただの灰色に変わってしまう。再び眩しい陽光が差してきたと思えば、また雲がかかる。そして陽射しが照りつけてくるといった具合の空模様によって、湖の色合いが次々に変わっていく。

    ちょっと雲がかかると灰色の退屈な色に変わる湖水
    湖畔で記念撮影 左から2番目は運転手

    ここまでやってくるのにかかる時間と空模様の風景は言うまでもなく、一般的にどこの風景であっても早朝と夕方が最も印象的であることが多いことを考え合わせれば、時間さえ許せば、ここで一泊したほうが良いだろう。正午前後の景色でさえもこんなに美しいのだから、朝夕の景観はどんなに素晴らしいことだろうか。満月の夜の湖の様子もさぞ見ごたえがあることだろう。この細長い湖の南東部は、中国の実効支配下にあるアクサイチン地区だ。

    湖畔の簡素な食堂で昼食を摂り、しばらく景色を楽しんだ後に一路レーへと引き返す。朝早かったためだろう、マイソールから来た家族連れは、走り出してからしばらくするとすっかり眠り込んでいた。この晩、深夜過ぎの夜行バスでマナーリーに向かうというから大変だ。ここからレーに戻ってもまだ午後6時あたりなので、ずいぶん時間がある。

    パンゴン・ツォに向かう際も通過したチャン・ラでは、転落したとみられるクルマが崖の途中に引っかかったままになっているのに気が付いた。「えぇ、たまに落ちるんですよねぇ」と運転手は涼しい顔だが。ここはぜひとも安全運転を心がけてもらいたい。

    帰途も雄大な景色を堪能

     

  • ヌブラ渓谷へ3

    ヌブラ渓谷へ3

    朝5時過ぎに目覚めると、雨がパラついていた。高い山々に囲まれているため、フンダルの空は狭いのだが、西のほうを見上げると、少し晴れ間が見えていた。

    フンダルの村の中では、ちょうどレー近くのストクの村がそうであるように、張り巡らされている水路が、家々や畑に豊かな水を供給している。総体としては、荒涼とした大地に見えるラダック地方だが、水を供給できれば瑞々しい緑豊富な緑地・農耕地とすることが可能であることから、決して痩せた土地というわけではないようだ。

    菜園の手前に家畜除けの柵

    村の中をしばらく散歩してみたが、まともに稼動できるのはほぼ6月から9月に限られるはずなのに、やたらと宿屋が多い。ほとんど季節限定ではあるものの、貴重な現金収入の機会なのだろう。先日も書いたとおり、このシーズンのために、ネパールのその他から出稼ぎに来る人々が多いことも特徴だ。仕事を求める側からすれば、ヌブラ渓谷のようにILPを取得して訪れる場所となると、レーその他のもっと開けた場所と比べて訪問者もかなり少なくなるため、総体的にみると稼ぎの面ではどうなのかな?という疑問も沸くのだが、どうなっているのだろう?

    朝の勤行が終わったお寺

    宿のすぐ近くにお寺があり、僧侶がひとり読経している。手招きするので、すぐそばに座らせてもらう。朝6時くらいであったが、すでに朝のお勤めは終わっているようだ。寺院の朝は早い。静寂の中でしばし瞑想をしてみる。ひんやりとした空気と静謐な雰囲気が心地よい。

    家畜を連れた女性がマニ車を回していた

    お寺から出てしばらく歩いた先では、UKから始まるナンバーのクルマが停まっていた。運転手がいたので、尋ねてみるとウッタラーカンド州のデヘラドゥーンから来たのこと。フンダルには1年ほど滞在しているそうで、取り引きのお得意先である軍の基地に出入りしている業者さんであった。

    宿に戻り、庭でのんびりくつろいでいると、同じ宿に滞在しているムンバイーから来たインド人グループが部屋から出てくるところだった。その中のひとりは、フリーランスでやっている商業写真家とのことで、主に人物のポートレート製作を中心に活動しているとのこと。ラダックには仕事ではなく、余暇で来ているとのこと。だがそれでもかなり精力的に写真を撮影していることは、昨日の砂丘でも、今日の宿の庭に咲いている花などを撮影していることからもわかる。

    しばらくすると天気が回復してくると、空からジェット機の音が聞こえてくるようになった。民間機がこのあたりを飛ぶはずはないため、インド空軍機が巡回しているのだろう。

    軍といえば、もちろんこのあたりでは軍と地元の関係は良好なものであるようだ。軍は国境向こうの中国、そして西側のパーキスターンを警戒しているわけであり、地元の人たちを抑圧するためにいるわけではない。そこがインドの北東州とは大きく違う。またJ&K州内でも、カシミール側は、パーキスターンへの警戒とともに、地元の反政府勢力や過激派の鎮圧の任務もあるわけで、そういう点では北東州と大いに共通するものがある。

    午前8時に、ガビー、フランカ、パットと私の4人で2階のテーブルに集まって食べた。私以外はみんな女性で、とにかく皆さんおしゃべりなので朝から賑やかで楽しい。

    朝食のオムレツは全インド共通の味

    食事を終えてから、クルマでデスキットに出発。ここでは川沿いの斜面にそびえるデスキット寺院と道路を挟んで反対側にあるカラフルで巨大な弥勒菩薩像を見学。2010年出来たものだというから、まだ2年しか経っていないのだが、ここからの眺めもまた壮大でいい感じだ。

    デスキット寺院
    デスキット寺院遠景
    ロケーションを考えると、この菩薩像の建立は偉業・・・と思う。
    景色が開けているだけに、気象の変化がよく見えるのも興味深い。中央の菩薩の向こうは強い雨。
    かたや荒れ模様の地域と異なる方向にカメラを向けるとこんな具合。

    今回、見学するのはここが最後。あとは昨日来た道をひたすら走り、一路レーに戻るだけだ。往路と同じ道路を戻ることになるのは、他のルートがないようなので仕方ない。それでも景色は非常にダイナミックであるため、飽きることはない。

    カルサルを通過した直後に目にする牧歌的な風景

    昨日昼食を取ったカルサルを通過すると、次第に高度を上げていく。外の気温もどんどん下がっていく。カルドゥン・ラの手前の池、池の中にブッダの像があるところで、しばし休憩。天候はまずまずなのだが、雪がパラついてきた。それほど気温が低いのだ。陽射しは強いので、あまり寒さは感じないが。それでも池の向こう岸には残雪がある。ここの少し手前には先日触れた「世界で最も高いところにある集落のひとつ(?)」があり、アブラナの畑で黄色い花がまばゆく輝いている。

    「世界最高所の村?」付近で道路の補修工事が進行中。仕事は粗いものの場所が場所だけに仕方ない。

     

    カルドゥン・ラが近づいてくると道路両側に残雪が見られる。

    カルドゥン・ラが近づいてくると、道沿いに壁状になった残雪がところどころにある。外気はとても寒くなってきた。峠には道の両側にかなりの量の残雪がある。インド側での公称海抜5,600mの峠では、少し歩くだけ息が切れる。

    カルドゥン・ラにて最後の記念写真 ガビー、フランカ、パットの3人

    峠を越えてまもなく、レーの町が遠くに見えてきた。次第に気温も上がってきて快適になってくる。さすがにもうこのあたりまでくると酸素が薄いとはあまり感じなくなる。
    とても楽しい一泊二日の旅行を共にした彼女たちと別れるのが名残惜しい。

    <完>

  • ヌブラ渓谷へ2

    ヌブラ渓谷へ2

    カルドゥン・ラを越えた先でも・・・もちろん中国国境により近くなるわけなので当たり前ではあるが、ところどころで軍の駐屯地や施設を見かける。いつ何時攻撃を受けても反撃できるようにしてあるということだろう。だが中国側では装備等々、インドよりもかなり良いであろうということは想像に難くない。

    インド北西部にあるラダックとは反対側、北東側にあるアルナーチャル・プラデーシュ州やスィッキム州では、インドの他の山あいの土地と同様、片側一車線分のスペースがあるかないかといった具合の道路が地域を繋いでいるのに対して、国境向こう側の中国では、片側複数斜線の見事な道路が整備されており、有事の際には即座に大量輸送の体制を取ることができるようになっている、という記事をインドのニュース雑誌で読んだことがあるのを思い出す。

    それはともかく、ここから決して遠くない中国側でも同じように乾燥した荒々しい風景が広がっているのだろう。だがそちら側に点在するのは中国軍の基地であり、駐屯地であり、漢字の標識や看板ということになる。

    スムルの村にあるサムタンリン・ゴンパ
    ゴンパの扉で見かけたカギはクラシックな感じで立派であった。

    カルドゥン・ラからは下るいっぽうだ。カルサルの集落で昼食を摂った後、この地を流れるシャヨク川東岸にあるスムルの村にあるゴンパを見物。そして来た道を戻り、ふたたび西岸へと橋を渡る。この走行した中では、この川にかかる橋はここしか見ていない。年間を通してこれほどの水量があるのかどうかはわからないが、少なくとも今のように豊かな水を湛えている状態では、川のこちら側と向こう側とでは別世界のようなものだろう。すぐそこに見えても、非常に遠回りして反対側の岸に着くことになるからだ。

    数年前までトラック運転手をしていたというドライバーにとっては自分の庭のようなもののようで知己が多い。今だに大きなクルマを駆っていたときの気分が抜けないようで、運転が荒いのはタマにキズ。

    今日の宿泊地であるフンダルが近づいてくると、こちら側の河岸に美しく連なる砂丘が見えてきた。こんな高地に風紋の刻まれた砂漠みたいな景観があるとは不思議なものだ。予想に反して、フンダルの村にはかなり沢山のゲストハウスがあり、その中のひとつ投宿することになった。庭にはアプリコットがたわわに実っている。

    フンダルの村での投宿先
    宿の庭

    経営者の家族はとても感じがいい。このあたりの人たちは、ラダッキーでも少しアーリア系の血が入っているように見える。ここからさらに進んでパーキスターンにまたがるバルティスターンの一部を成すトゥルトゥクまで行くと、人々はアーリア系のチベット仏教徒という、チベット文化圏の中では総体的に珍しい地域となるようだ。

    宿で食事関係からベッドメーキングまですべてをこなしている若い男性二人組みはネパールからの出稼ぎ人たち。こんなところまで仕事を求めて来なくてはならないとは大変だ。ラダックの観光地はどこでもネパール人や北インドのビハール州、U.P.州などから仕事を求めて来ている人たちが多いが、「シーズン・オフにはどうしているの?」と尋ねてみると、往々にして「ゴアで働く」という返事が返ってくる。

    ラダックは、6月から9月終わりまでのシーズン以外は、長いオフシーズンとなることを考えると、確かにモンスーン期はオフになるゴアとちょうどいい具合に相互補完する関係にあるのだろう。ラダックとゴアというどちらも観光業への依存度が高いながらも、一見何の繋がりも無さそうに見えるふたつの地域を渡り鳥のように往復する労働人口の移動について、彼らがこの地域を行き来する誘因、リクルートの形態等について調べてみると興味深いものが見えてくるかもしれない。

    同行のガビー、フランカ、パットと夕陽を背にして伸びる影で記念撮影

    すでに夕方近くになっているので、取り急ぎ荷物を部屋に放り込んでから、再びみんなでクルマに乗り込んで砂丘に出かける。ここには観光客用にフタコブラクダたちがいる。お客たちを乗せてしばらく歩き回るのである。ラクダ自体はこの地にもともと住んでいるわけではなく、運転手が言うにはモンゴルから連れてきたものだというのだが、実のところはよくわからない。中央アジアあたりから運んできたのかもしれない。

    フタコブラクダたち

    砂丘から望む川床はかなり広く、両側を壁のような乾ききった山々に囲まれており、息を呑むような絶景だ。音を立てて滔々と流れる手が切れるように冷たい水のせせらぎの音が心地よい。

    周囲が荒涼としている割には、フンダルは非常に水に恵まれている。

    <続く>

  • ストクの村のホームステイ

    ストクの村のホームステイ

    伝統的古民家 にゃむしゃんの館
    レーからバスないしはタクシーで40分ほどのところにあるストクの村で、ホームステイを受け入れているお宅がある。ラダック人のご主人スタンジン・ワンボさん、奥さんの池田悦子さん、可愛い娘さんのかりんちゃんが、ここで暮らしている。庭には季節の野菜が青々と茂り、その一角には自家製の日干し煉瓦が積まれていた。
    この家屋は、かなり傷んだ状態にあったものだそうだが、ご夫妻が丁寧に修復して、昨年11月からホームステイを受け入れておられるとのこと。そこに至るまでの経緯は、ご夫妻のブログ NEO-LADAKH / ネォ・ラダックにて、ラダックでの近況とともに綴られている。
    近ごろは新しい建物が増えて、街並みも広がったレーとは異なり、ストクの村にはまだまだ伝統的な家屋が沢山残っている。川から引いた水路が村の中を流れ、サワサワと涼しげな音を立てながら、生活用水を各世帯や畑に供給している。村のあちこちで、洗濯や水汲みをしている女性たちの姿も目にする。
    村の中で家々の間を縫うように流れる水路
    豊かに咲き乱れるアブラナの花
    水に潤されている土地の鮮やかな緑と、そうでない場所の月面のような荒涼とした景色が実に対照的だ。そこに水があり、これを利する人々がいるがゆえに、日々の生活が営まれ、地域の文化が育まれていくということを実感する。冬季には川は凍結して水路も止まってしまい、ハンドポンプ式の井戸まで水を汲みに行くことになるというから、夏とはまったく異なる景色となるのだろう。厳しい冬の時期に備えて、夏のうちから干し野菜を作って準備しておくとのことだ。
    村の中の豊かな緑は、水を巧みに利用する人々の勤労の証。お見事です。
    ご夫妻のお宅の裏手にある大きなチョルテンは、13世紀くらいのものではないかとされる由緒あるものだそうで、中に入ってみると色彩鮮やかな壁画が描かれているのを目にすることができる。この村に人々が住み着いたのも相当古い時代まで遡ることができるに違いない。
    チョルテン内部の壁画
    ご夫妻のお宅からしばらく下ったところにある王宮
    日中、旧王宮を見物してみたり、川の上流のほうに歩いてみたりしたが、見どころや風景もさることながら、村の中にめぐらされた水路には非常に関心した。川から引いた水の流れを直角に曲げたり、盛り土をした上を流したり、石垣の上を流したりと、自由自在な創意工夫に富んでいる。まさに「水道」である。
    川は村の豊かな緑の源泉
    石垣の上を流れる水路
    直角に曲げてある水路
    夕方近くなってから夫妻のお宅に戻る。家屋の1階は家畜用スペース、2階が住居で3階が客室となっている。2階にあるキッチンの周辺は、ご夫妻と娘さんのくつろぎの空間であり、接客スペースともなっている。ここで奥さんの手作りの美味しい地元料理をいただき、ラダックやストックの村のことなどについて、様々な話を聞くことができて大変興味深い。
    歴史を感じさせる立派なかまど
    家の中では、子犬の「ユキト」と「ヤマト」が2匹飼われていて、かりんちゃんが子犬たちと時にはケンカしながらも、仲良く遊んでいる様子が微笑ましい。ときおりご主人の実家の方や近所の方も顔を出されるので、そこでまた会話をすることができるのもアットホームな感じで嬉しい。私は時間がなくて一泊しかできなかったのは残念に思う。
    夜遅くなってきた。午後11時で電気が止まってしまうので客室がある3階に上る。ユキトとヤマトもトコトコ付いてきて、「遊んで!」という表情でこちらを見つめている。しばらくテラスで2匹の相手をしながら夜空を見上げると、思わずハッと息を呑む。こぼれ落ちてくるのではないかと思うほど沢山の、色彩豊かな星々が天空いっぱいにきらめいているのだ。
    高度のためか、あるいは乾燥のためなのか、早朝や夕方に大空が紅に染まることなく、東の空から淡々と日が昇り、これまた西の彼方に淡々と日が沈んでいくのだが、それとは裏腹に、星空の眺めは低地の都会からは想像もつかないほど豪華絢爛なものであった。
    翌朝目覚めて部屋の外に出ると、子犬のユキトが待ち構えていてくれた。
    レーからストクまでは、朝8時に直行のバスが出ている。あるいは途中にあるチョグラムサルの町を通過するバスは頻繁に出ているのでこれを利用し、そこからはタクシーで向かってもいいだろう。ただし、ストックの村までと言うと、村の中の大きな集落になっている部分か古い王宮の前で降ろされてしまい、30分くらい上り坂を歩くことになるため、「トレッキングポイントまで行く」と伝えたほうがいい。
    トレッキングポイントとは、ストク・カングリー方面に向かうルートの出発地点であり、そのあたりにはいくつかの商店、レストラン、宿などがある。すぐ目の前を川が流れており、橋を渡ってしばらく坂を上ると、お二人が運営する「伝統的古民家 にゃむしゃんの館 (Nyamshan Old House)」に着く。宿泊の際には、前もって電話で予約をすること。
    ご夫妻は、NEO-LADAKH travel & livingという旅行会社も営んでおられる。次回、ラダックを訪れる際には、ぜひともトレッキングやジープでのツアーのアレンジなどもお願いしたいと思っている。
    部屋の扉を開けると、朝日が差し込んできて気持ちがいい。早起きは三文の得なり。
  • 慈悲深き父トラ

    インドで飛行機に搭乗した際の機内誌で興味深い記事をみかけた。

    ラージャスターンのランタンボール国立公園で、オスのトラが子育てにいそしんでいるのだとか。

    オスのトラの縄張りの範囲は極めて広く、その中に複数のメスのトラがそれぞれの境界を定めているとされるらしい。

    だが子上の父親が自らの子供たちの面倒を見ることはないどころか、幼いトラが母親以外の大人のトラと出会うこと自体が、即ち生命の危険に晒されることを意味する。

    もちろん彼らにとって厄介なのは、自らの父親を含めた成長したトラたちだけではなく、ヒョウ他の大型のネコ科の動物たちやハイエナ等の肉食獣も同様だ。トラとはいえ、子供たちにしてみると、生態系のはるか上位にある。

    そんな幼いトラを残して母親が脚のケガが元で死亡してしまった。もはや自分たちを守ってくれる存在を失ったことを悟った子トラたちは、荒野をさまようことになった。

    当初、国立公園の担当官たちは、彼らの行く末を案じて、国内のどこかの動物園に送ることを検討していたという。他の肉食獣による脅威はもとより、まだ獲物を捕らえる術も知らない彼らが自然界で生き抜くことはできないことをよく知っているからだ。

    子トラたちの姿を探しての大捜索が始まってまもなく、二匹の子トラたちが大柄なオスのトラと一緒に歩いているのが見つかり、絶体絶命の危機と関係者の背筋が凍りついたらしい。

    だがこのオスのトラ、幼子たちを攻撃することなどなく、彼らを保護している様子に非常に驚かされたということだ。本来ならば、トラという動物の習性からしてあり得ないことらしい。

    そのオスは、常に子供たちを帯同して野原を歩き、狩りのやりかたなども学ばせているとのこと。子トラがうっかり他のトラの縄張りに迷い込んで襲われそうになったときなど、どこからともなく救世主のように現れて子供たちを守っているというから大したものだ。

    「おそらく実の父では?」という憶測もあるようだが、真偽については誰もよくわからない。通常は、遺伝子上の父親であっても、自らのエリアに入ってきた自らの子を攻撃することはあっても、これを保護するといったことが観察されたのは世界初の例だという。

    目下、父親(?)の庇護のもとで、すくすくと成長している子トラたちだが、関係者はこのオスのトラに全幅の信頼を置いているわけではないともいうのも、頷ける話である。

    ネットで検索してみると、詳細ではないものの、このトラに関わる幾つかの記事が出てきたので、そのうちのひとつを以下のとおり記しておく。

    Tiger dad: A roaring success (The Times of India)

  • ジープ島

    インドと全く関係のない話題で恐縮なのだが、ミクロネシア連邦トラック環礁のジープ島という場所が気になっている。

    サンゴ礁のラグーンの上にポツンと存在する直径34m、外周110mというとても小さな島だが、人が定住(リゾートなのでスタッフが常駐)している島の中では最小の部類に入ることだろう。

    四方を海原に囲まれて、水平線から昇る太陽も、同じく海の向こうに沈む夕陽も眺めることができるという稀有なロケーション。

    海上のちっぽけな孤島であるため、陸地の生態系との関係はないようで、南海のビーチながらも蚊がいないという。

    島のオーナーは日本人であるとのこと。船で40分ほどのところにあるトラック本島にあるホテルBLRという宿泊施設もこの方の経営だそうだ。

    海に潜って大いに楽しみ、そして小さな陸地で地球の大きさを感じながら、昼寝をしながらのんびり過ごしてみたい。

    ぜひ、いつか訪れてみたいものだ。

    ジープ島紹介ビデオ (ジープ島)