シュリーナガルの官営シルク工場

2014年9月の洪水
2014年9月の洪水
2014年9月の洪水

シュリーナガル周辺の緑と農産物豊かな盆地は、ジェラム河の賜物だ。しかし、2014年9月、まさにこのジェラム河の氾濫による発生した大規模な洪水は、大きなニュースになったので、記憶されている方は多いだろう。街中を歩いている分には、当時のダメージを感じさせるものが目に付くことはないとはいえ、人々に尋ねてみると、やはり自宅や店が浸水してしまい、「それはもう大変だった!」という話はよく耳にした。建物を指差して、「壁の色があそこから色が少し違うでしょ?あのラインまで浸水したのです。」というようなことも聞いた。

もとより可処分所得の多くないこの州だけに、当時の被害による負債が後を引いているという人たちは少なくないことだろう。また、短期滞在者として、外面だけ眺めている分には気が付くことはなくても、人々の暮らしの中に入っていく機会があれば、そうした影響はまだまだ顕著に残っているに違いない。

そんなことを思ったのは、シュリーナガル市内にある州政府系の絹織物工場を訪れたときのこと。シルク専門の工場としては規模が大きく、かつては「世界最大級の絹織物工場」とされた頃もあったそうだ。戦前、すなわちインド独立前の藩王国時代に藩営工場として創業開始。インド共和国成立後の経営は、州政府に引き継がれた。

正面の建物がシルク織物工場
シルク織物工場の壁にも当時の浸水の跡が見られる。

その工場について、先述の洪水の約半年前に書かれたこんな記事がある。

Once largest in world, Rajbagh Silk Factory ‘dying’ of official apathy (Greater Kashmir)

歴史的な工場だが、近年は生産性がはなはだ落ち込み、好ましくない状態にあったらしいが、そこに追い討ちをかけるように、2014年の洪水でひどいダメージが与えられたとのことだ。工場内には30前後のラインがあるのだが、動作していたのはわずか三つのみ。それ以外は泥を被ったままであるのが痛々しい。

敷地内には、私が見学させてもらった棟以外にも、いくつかの施設があり、絹織物工場としては相当大きなものであったことは容易に察しがつくだけに、なんとももったいない話である。

シュリーナガルの水上マーケット

午前5時あたりになると、外が次第に明るくなってきたので宿から外出してダル湖へ。すでにシカラの漕ぎ手たちは客待ちをしている。

彼らは、先端がハートのような形になっている木製のオール一本で漕ぐのだが、思いのほかスピード感があるのは静止した水の上を進むからだろう。屋根がついていて、座席も広いのでとても快適だ。漕ぎ手なしで一日借り切って、シカラ上でのんびり過ごせたらいいだろうな、などと想像してしまう。鏡のように静まり返った湖面に浮かぶハウスボートを横目に見ながら、細い水路へと入っていく。













時おり行き交う舟があり、それらに野菜を満載していたり、漕ぎ手が魚を捕っていたりする。水路には雑貨屋があったりするが、こういうところでは舟で来る人だけが買い物をするのだろう。よくわからないのは、ハンディクラフトや衣類の店のボートもあったりすることだ。こういうところにはシカラで連れて来られる観光客や付近のハウスボートに泊まっている客が差し向けられるくらいのものだろう。



湖に浮かぶ野菜畑。潅漑の必要がなく、養分を含んだ水分が湖から直接吸い上げられるので、作物の成育には良いことだろう。こうしたエリアは限られているようだが、水郷といった雰囲気がある。スリナガルはこうした湖と市内を流れるジェラム河の賜物だ。

やがて水上マーケットに到着。観光局のパンフレットには、「バンコクの水上マーケットに次ぐ規模」と書かれているのだが、そういう具合では全くなかった。何しろ、ここで商う舟は、ごく数えるほどしかない。宿のマネージャーが「2014年の洪水後はとても小さくなっているのでガッカリするよ」と言っていたが、まさにそのとおりであった。




それでも、早朝の静かな時間帯に、こうして湖面をゆったりと進んでいくのは大変心地よかった。

窓の外のふんわりした景色を眺めながら、お茶やコーヒーでも楽しむのには、なかなかムードがあって良かったりする。普段の鮮やかな色彩が霧に包み隠されたモノクロームな風景。モワモワした中から、人影や自転車などがジワッと現れてはスッと消えていく様子は幻想的でさえある。

だが、そんな中で、土地の人たちはのんびり休んでいるわけではなく、慌ただしく仕事に出かけなければならなかったり、運転して移動しなくてはならなかったりする。
路上の往来といえば、大きな音を立てて走る馬車以外は、私たちが徒歩で進むのと同じ程度のヒューマンなペースであったころには、霧によって視界が遮られることについて、それほど大きな問題はなかったことだろう。

だが、今の時代は話が違う。霧の中から突然、自家用車やトラックが飛び出してきては、アッという間に姿を消していく。ごく手近にあるものさえも強いソフトフォーカスがかかり、5m先も見えないような日の路上は危険極まりない。外出している限りは、霧が晴れるまでの間、命に関わる一大事がずっと続くことになる。

濃い霧により、運転者たちは普段よりもかなり速度を抑えているとはいえ、道路では事故が多発する。鉄道のダイヤは乱れ、とりわけ長距離をカバーする列車は、遅れを蓄積しながらノロノロと進んでいく。視界不良から空の便も遅延や欠航が相次ぐ。同じ機体が便名と発着地を変えて全国を飛び回っているので、霧の出る北インド地域外にも、その影響が及んだりする。

この冬は暖冬とのことで、霧の出る日が例外的に少ないという。こういう天候であることが本当にその地域の環境として良いのか、そうではないのかはよくわからない。だが、旅行している身にとっては、交通の大きな乱れがないことはありがたい。同様にここで暮らす人々にとっても、あまりひどい寒さを感じることなく、霧で不便かつ危険な思いをすることが少ない冬というのは、そう悪いことではないだろう。

ラダック やけに訪問客が少ない2015年の夏

ラダックの中心地レーのメインバーザール

このところ4年続けて7月にラダックを訪れている。この時期はシーズン真っ盛りで、レーの中心部には各国からやってきた外国人観光客、国内各地からやってきたインド人観光客でごった返し、彼ら相手の仕事、土木工事、農繁期の作業のために来ているインド人出稼ぎ人やネパール人もまた大勢来ており、まったくもってどこの土地にいるのだか判らなくなりそうな多国籍空間・・・というのが例年のこの時期であったが、今年はだいぶ様相が違った。

とにかく外国人旅行者が少なく、同様にインド人訪問客も多くない。「天候の不順により雨が多いこともあるかと思うが、やはりネパールで4月と5月に発生した大地震の影響だろう、それ以外に考えられない」というのが地元で暮らす人たちの大方の意見だ。

ラダックのシーズンといえば、およそ6月から9月までの短い期間ということが、インドの他の観光地と大きく異なる。5月や10月あたりならばラダックへの陸路は開いているし、その他の時期でも飛行機で訪れることはできるのだが、ラダック地域でアクセス可能なエリアや楽しむことのできるアクティヴィティは限られるため、夏の季節の人気ぶりとは裏腹に閑散とした状態で商売にならないため、店や宿も閉めてしまうところが多い。ゆえに今シーズンの不振はとても痛いという話をよく耳にした。

観光業は水物だ。現地の状況は決して悪くなくても、政治や経済の動向、隣接する地域(ラダックからネパールまでは1,000kmほどあるのだが、外国から来る人たちにとっては「同じヒマラヤ山脈」ということになるのだろう)での災害などが、如実に影響を及ぼしてしまうという不安定さがある。

人気の宿はそれでも込み合っていたりはするものの、それ以外では閑古鳥が鳴いているし、とりわけ内外からのツアー客をまとめて受け入れていたような規模の大きな宿泊施設においては、例年の強気な料金設定とは打って変わって、かなり大胆なディスカウントを提供しているところも少なくないようであった。

トレッキングに出かけてみても、やはりトレッカーの少なさには驚かされた。おそらくヌブラやパンゴンレイクその他、クルマをチャーターして訪問するような場所でもそんな感じだろう。

インドにあっては西端にあたるラダックでさえもこのような有様なので、今年はヒマラヤ沿いの他の地域でもかなり厳しいものがあると思われる。

Markha Valley Trek The Day 6

早朝のニマリン

カンヤツェ峰の頭の部分が覗いている。

この日はトレッキング最後の行程となる。

朝7時に朝食。ここに宿泊の人たちが一堂に集まることになるので壮観だ。当然全員は入りきれないため、時間ずらせて来る人たちも少なくない。ローティー、バターとジャム、チャーイ、ブラックティー以外にポリッジもあり、これがなかなか好評。

簡単に朝食を済ませてから早々に出発。もし天気が悪かったら、ニマリンでの宿泊者たち全員まとまって行こうということを、各グループのガイドたちの間で相談していたそうだが、晴れ間も見えているまずまずの天気なので、その必要はなさそうだ。よって各自バラバラに出発していく。

キャンプ場の手前にある川の橋を越えてから上へ上へと斜面を登る。雲で朝日は見えないが、少し登ったあたりから残雪がところどころ見られる。あるいは昨日降った雨はここでは雪だったのかもしれない。最初の登りはけっこう急だが、しばらく登ると少し緩やかになる。そしてコンマル・ラへの最後の斜面はかなり勾配だ。

コンマル・ラまであと少し

あとひとガンバリで峠頂上というあたりまで来ると回りは雪だらけになる。今日はカンヤツェも頂上まで顔を出してくれている。天候としてはまずまずである。昨夜の雨がウソのようだ。このあたりはすでに海抜5,200メートル近いので。歩みが遅くなり息が上がる。さりとて苦しいとか大変というほどではないのだが。さきほどの斜面でフランス人の還暦夫婦を追い越したのだが、しばらく峠で写真などを撮影していると、やがて彼らもここにやってきた。

峠よりも低い周囲の山々からはまるで湯気が立ち上っているかのように雲がかかっている。峠の部分から東側には尾根が伸びていて、その部分はここよりも高くなっており、雪で覆われている。今日のハイライトであり、またこのトレッキングのハイライトでもあるコンマル・ラである。しばらく景色を楽しむ。

タシはここから携帯で電話をしている。ここまでの村では通じなかったし、昨夜のキャンプ地でも繋がらなかったそうだが、この峠にくると電波が届くらしい。レーに戻るためのクルマの迎えのために連絡している。

コンマル・ラからのカンヤツェ方面の景色も素晴らしく、心が洗われるようであった。

カンヤツェ峰

しばらく写真を撮ったりして過ごしてから、下りに入るが、かなり急な坂を進んでいくことになる。反対側からやってくるトレッカーたちがある。彼らはすべてがマールカーの全行程を行くのかどうかはわからないのだが、おそらくそうなのだろう。私たちが来たルートのほうが少しずつ高度を上げていくことになる分、体力的に楽なはずだ。また、コンマル・ラとニマリンあたりがこのルートのハイライトでもあるため、最初ににここを訪れてしまうと、後が少々退屈なものとなってしまうかもしれない。

あとはどんどん下るだけと思っていたが、実はこの最後の行程はあまり楽ではなかった。けっこう深い谷間になっている部分も多く、そうしたところでは流れの速い急流を渡渉しなければならないからである。それが連日の雨で増水しているため、膝よりも深かったりする。
後でレーに戻ってから再会したイギリス人とフィリピン人でキャンプ用品持参でトレックに来ていたカップルによると、彼らはもっと遅い時間帯に通過したようで、腰までの深さのところがあったり、フィリピン人女性のほうは、急流の中で転んでしまったりと、かなり大変だったようだ。

下りでの小休止
峠からの細い流れが周囲の湧き水等を集めて、やがて急流となっていく。

下りの途中、茶屋で休憩
村々に荷物を運ぶ馬たちもお疲れの様子

私自身もかなり緊張感を伴うものであった。またその渡渉の回数もこれまでで一番多かった。やっと渡ったと思ったら、またすぐに渡らなくてはならなかったりする。どんどん高度が下がるにつれて、川は周囲の湧き水を加えて大きく、深くなってくるため、さらに厄介になってくる。

シャン・スムドのあたりまで出た。このあたりは車道が通っているところに近くなるためか、家屋はこれまでよりも立派できれいな感じになる。クルマが入ってくることができるエリアになった。川の左右には広い川床が広がっている。さきほどのような両側を狭い谷に挟まれた中に流れる急流ではなくなるため、渡渉も楽になる。

このあたりまで下ると川の流れは緩やかになり、身を切るような冷たさではなくなる。

迎えに来たクルマに乗り込み、一路インダス河沿いの地域に出る。ここまで来るとると、まるですっかり低地に来たかのような気分。またずいぶん景色が開けたところという印象にもなる。これまで歩いて通過したのは、こじんまりした集落ばかりであったので、レーの町など素敵な都会に見えてしまう。

タシはレーの町の下の端にあたるガソリンスタンドとロータリーがあるエリアで下車。
これまでの6日間、どんなガイドと過ごすかによって、トレッキングの印象が異なってくるものだが、タシは実に好青年でよく気が付く人でもあり本当に良かった。心から感謝である。

〈完〉