ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: nature

  • チャウンター・ビーチ2

    チャウンター・ビーチ2

    ビーチ到着は午後1時。疲れて横になりたかったが、とりあえず昼食を取る。よく冷えたビールを飲み干して、ホッと一息。

    ボリューム感たっぷり!
    ビールをグイッと飲み干すと生き返った気分
    さきほどまで足元にジャレついていたネコが、気が付くと寝ていた。癒されます。

    ビーチに出てみると、どこまでも広がるベンガル湾の大海原に解放感!貸自転車屋があったので、ビーチの端から端まで走ってみることにした。想像していたよりも海岸で商う人々の数は多く、砂浜の裏には宿やレストランが散在しているが、まだまだのどかな雰囲気だ。訪れている人々の多くはミャンマーの人たち。ヤンゴンからハネムーンでやってきたという幸せそうな新婚カップルにも出会った。

    ベンガル湾を望む
    ミャンマーを代表するビーチのひとつとはいえ、まだ混雑している感じはない。

    砂浜の南端には、泳いでも渡れそうなほど近いところに島がある。うっそうと茂る深い森になっているが、ここもやがてはリゾートとして開発されてしまうのではないかと思う。このあたりは漁村だが、島に渡るボートを貸していたり、ここからモーターボートで観光客を案内したりする者もいる。

    漁村
    几帳面に並べてある

    彼らは漁民なのか、それとも外から来た人たちなのか傍目にはよくわからないが、漁村から浜に出入りしていること、海によく慣れているらしい様子からも、漁村の住民であると考えるのが妥当だろう。浜では魚を干しているが、ここうした風景もやがては過去のものとなってしまうかもしれない。当分の間、半分は漁業、半分は観光で収入を得るという具合になるのかもしれない。

    目下、経済面でブームになっているミャンマーだけに、このビーチも今後はメジャーな観光地として、ますますいろんなものが出来てくることだろう。それについて余所者である私がとやかく言う筋合いではないし、地元の人々にとっても収入を得る機会が増えることは悪いことではないし、観光をテコに地域社会の振興を図るのは当然のことだ。

    だが都市部から大資本がここにやってきて観光開発するとなるとどうだろうか。漁村がそのまま存続すると思えない。ある人はお客の案内や世話を請け負ったり、スタッフとして雇用されたり、またある者は他所に働きに出るといった具合になるのかもしれない。全国各地から投資機会や就労先を求めて、様々な人々がやってきて、それまでここに暮らしていた住民たちとすっかり入れ替わってしまうという現象は、他国でもよくあることだ。

    地域社会と隔絶したコスモポリタンかつ無秩序な空間が出来上がることとなり、観光公害と呼ばれる様々な社会問題が出現してくることにもつながる。あと5年、10年してから再訪してみる機会があれば、まったく別のところになってしまっているのかもしれない。

    午後の陽射しが眩しい

    <続く>

     

  • チェラプンジー2

    チェラプンジー2

    翌朝は朝6時に起床。雨と深い霧に包まれていた前日とは打って変わっての好天であった。雨上がりのため空気も澄んでいる。これが昨日であれば良かったのにと思ったが、多雨のチェラプンジーらしい体験が出来たと前向きに取るようにしよう。

    この宿で食事の注文と配膳、停電の際の蝋燭等々、宿泊客の世話をするチェートリーという老人はネパール系の男性。実直そうな感じの人だ。ネパールから来たわけではなく、ダージリンから来ているという。彼と宿の主人との会話はヒンディーだ。ナガランドでもそうであったが、こうした使用人等との言葉の関係もあるので、地元の人たちにとってヒンディーを理解することが必要となる面もあるようだ。仕事のため北東州に来ている他地域の人々で、土地の言葉をしっかり身に付ける者はあまりいないため、両者を結ぶ共通語としてのヒンディーの果たす役割は高いらしい。

    朝食を終えて、昨日予約しておいたタクシーでシローンに出発。チェラプンジーの村を通る斜面で、ひとつコーナーを曲がったらそこから先はまるで別世界のようであった。まるで昨日のように霧が深い。霧が出ているときは、場所によって視界の深さがまったく違い、霧に濃淡があるものだが、それにしてもこれほど極端なことも山の中ではしばしばある。

    霧が深いエリアを抜けると急に視界が広ける。眼下に果てしなく続く雲海の景色を楽しみながらクルマはひた走る。しばらくの間、狭い車内で運転手と二人きりになるため、相手の人柄でその行程の印象がかなり変わったりもする。見た目が地元の人ではないため、何気なく「あなたどこの人?」と尋ねたら、親の代にベンガルから移民してきた家族史を滔々と話す生真面目な感じの青年であった。彼の話を聞いているうち、あっという間にシローンに到着していた。

    シローンでは、ちょうど乗り合いのスモウ(大型四駆)が出発するところであった。車内で、叔父に連れられた4歳前後の女の子が、祖父と祖母の家があるシローンに戻りたいとワンワン泣いている。叔父は「グワーハーティーに行くのはやめて、シローンに帰ろう」となだめつつ、「おーい、運転手さん!シローンに戻ってくれ。」などと声をかけている。

    40歳前後の運転手は「よし、わかった。シローンに戻るぞ。」などと調子を合わせてやっている。運転は乱暴で、人相はあまり良くないし、声もダミ声だが人は悪くないようだ。

    だが女の子はそれでもきかないので、困った叔父はシローンに戻ることにしたようだ。シローン郊外にある人造湖のほとりで二人は降りていった。子供がグズると大変なのはどこの国も同じだ。ウチの下の子もちょうど同じ年頃なので、なんだか身につまされる思いがする。

    スモウの運転手、人は悪くないようだが、かなりクセのある人間であるようだ。前方を走るクルマがあると無理に加速して乱暴な追い越しを繰り返し、かなり危ない気がするのだが、それでも前方に走るクルマがなくなると急に安全運転になり、スピードもやけに緩慢になる。

    シローンとグワーハーティーの間にはバスも走っているものの、本数がとても少ないようで、多くはシェアタクシーかシェアスモウということになるようだ。バスに比べてかなり割高なので、庶民の中でとりわけ頻繁にこのルートを行き来しなくてはならない人の場合、かなり大きな負担になるかもしれない。

    ところでグワーハーティーは、土地の人の言い方では「ゴーハーティー」と聞こえる。ローマ字の綴りでもGuwahatiではなくGauhatiやGawhatiといったものも目にする。

    中間点でチャーイと食事のための休憩。並びにいくつもある小さな店でアチャールを売っているが、北東インドならではのものを見つけた。竹の子のアチャールである。このあたりでは工芸品、家屋の建築その他で竹をよく使うが、食事でも竹の子をよく利用するため、こうしたものがある。

    店先に果物等とともに並ぶアチャールのビン
    食べていないが味は良さそう。

    途中、工事その他の理由で渋滞しているところがいくつかあったため、グワーハーティーまで4時間くらいかかった。グワーハーティーの鉄道駅南側にあるスモウス兼タクシースタンドに到着した。

    <完>

  • 2011年の地震の分布

    2011年の地震の分布

    2011年の世界の地震 分布図 (Youtube)

    本日、3月11日は東日本大震災からちょうど1周年ということになる。震災後、ずいぶん長く余震が続いた。ひところのような頻度ではないものの、今でも東日本を中心に頻発している地震は、やはり1年も前の大地震の余震なのか、それともあの日を境に地震の活動期に入ったためであるのか、様々なメディアを通じて流れる専門家たちの見解は様々である。

    日本は世界的に見ても地震が多い国のひとつであることは言うまでもないが、少なくとも2011年に限ってみれば、地震の頻発数ではどうやら世界一であったようだ。

    以下の動画は、昨年1年間に起きたマグニチュード4.5以上の地震の発生をまとめたものだ。2011年の元旦から大晦日までに、世界のどのあたりで地震が発生しているかを視覚的に把握することができるようになっている。

    2011年の世界の地震 分布図 World earthquakes 2011 (Youtube)

    3月11日の大地震発生とそれ以降の爆発的な激しい動きとともに、それ以降も大規模かつ非常に頻度の高い地震が繰り返されていることがよくわかる。

    ご存知のとおり、地震は特定の地域に集中して発生するものなので、日本、フィリピン、インドネシア、パプアニューギニアから南太平洋西部、そして南米のチリ周辺での発生が非常に多いこと、それらとは対照的にイタリア、ギリシアを除く欧州とアフリカの大半の地域では、地震が発生していないことが見て取れる。地震がほとんど発生しない地域に生まれ育った人たちは、年老いてこの世を去るまで滅多に『大地が揺れる』という経験をすることなく過ごすことになる。

    場所にもよるが、地震が比較的多く発生し、大地震による災害も周期的に起きる地域として認識されているインドは、昨年9月18日のスィッキムの震災とその後幾度か起きた北部での地震を除き、ほぼ平穏であったことがわかるだろう。

    上記リンク先の関連で、昨年1年間に日本国内で起きた地震の分布を示す動画もある。

    2011年の日本の地震 分布図 (Youtube)

    今年1月には、4年以内にマグニチュード7級の首都直下型地震が発生する可能性が70%というショッキングな報道があった。

    M7級首都直下地震、4年内70%…東大地震研 (YOMIURI ONLINE)

    たとえそれが従前に言われていたような30年以内という想定であったにしても、まさにいつ起きてもおかしくない地域であるだけに、残念ながら世界一の地震大国の人間としては、避けようのない危機に対してどう対処するかという大きな問題に直面しているわけである。

    日本の東北地方太平洋沿岸で起きた大震災の教訓を糧に・・・とは言ってみても、個人が出来ることは、せいぜい自宅に最低限の食料や水の備蓄をすること、ガラスの飛散や大きな家具類が倒れないような防止策を施すこと、家族との連絡手段の確認くらいしかないだろう。

    普段、都会では『大自然の脅威』などという言葉さえ忘れてしまいそうだが、ひとたび事が起きれば、その大自然の力の前で、私たちはあまりに無力である。

    ※チェラプンジー2は後日掲載します。

  • チェラプンジー1

    チェラプンジー1

    メガーラヤ州の州都シローンを朝6時に出てチェラプンジーに向かう。2007年にシローンに来たときに、州政府観光局が催行するバスツアーでチェラプンジーを含む同州の観光地を巡ったことがあるが、1時間半程度立ち寄ったチェラプンジーの景色がとても良かったので、今度は一泊してみることにした。

    チェラプンジーは、世界で最も多雨な場所として長らく知られてきたが、気候の変化のためか測定方法が変わったのか、近年は同じメガーラヤ州内の西寄りにあるマウスィンラムにその座を譲っている。どちらにしても、地形的にモンスーン期にベンガル湾から流れてくる大気がベンガルの平原部北側を弓型に囲む高地の最深部となるため、季節風に乗ってやってくる湿った空気がこのあたりに集まり、一気に多量の雨を降らせることは容易に理解できる。メガーラヤ州そのものも世界的に最も多雨なエリアのひとつということにもなる。

    風景を楽しみに行くつもりであったが、州都シローンは前日の夜半から雨が降っており、当分止みそうな気配さえない。モンスーン期の激しい雨を体感してみるのならともかく、乾季の最中の季節外れの雨で霞んだ景色を眺めることになるのは気が進まないが、延期するだけの時間がないので仕方ない。そのままチェラプンジーに出発することにした。

    1時間半ほどでチェラプンジーに到着した。本日の宿泊先はConiferous Resortだ。クリスチャンのカースィー族の男性が家族とともに経営している。チェラプンジーの村の中か村の端あたりかと思ったが、案外遠かった。チェラプンジーへの訪問客はシローンから日帰りするケースが多いため宿泊施設は少ない。自家用車で訪れて宿泊する場合は村の外の風光明媚なスポットが好まれることから、自前の足を持たないとちょっと辛いものがある。急な坂道が多いためオートリクシャーはなく、村から外れると人口もまばらで公共交通機関もほとんどない。

    チェラプンジーの町のマーケットにて。労働人口のおよそ半分はキッチリ女性たちが占めているように見える。

    そのため、村に居住している人たちが出向く用事もない展望台、洞窟、滝等の観光スポットを訪れるにはタクシーを頼むしかない。この日利用したクルマはTATAのNANOである。最近はずいぶんあちこちで見かけるが、これまで実際に乗りこんだことはなかった。

    ボディは従来の小型車よりもずっと小さいが、外観から想像できないくらい車内スペースを広く感じる。スズキのマールティ800と全く同等という印象だ。エンジンスペースを節約するためだろう、バッテリーは運転席の下に収められており、小型化のため相当な努力がなされていることがわかる。この日、山道で路面の悪いところも走ったのだが、ボディが変にしなることはなく、ボディ剛性もそれなりに高いように思われる。乗り心地はまったく普通の小型車である。エンジン音も静かで良かった。

    NANOのタクシー

    このクルマの需要については、2008年にデリーで開催されたAuto Expoで発表された際、1,00,000 Rsの格安国民車 “NANO”と題して取り上げてみたが、そこに書いた以外にも、自家家用車としてだけではなく、タクシーとしての利用への潜在的な需要は相当高いであろうと予想していた。まず考えられるのは、これまでタクシーが普及してこなかった所得の低い地域や都市圏外での需要、そしてオートリクシャーの走行が困難な山地での需要である。そうした意味では、シローンやチェラプンジーはNANOのタクシーとしての普及にはもってこいのエリアであるといえる。

    本題に戻る。私がこの日訪れた場所は以下のとおり。

    Eco Park

    Maulsmai Cave

    Nohsugithieng Falls

    Thangkuarang Park

    Khow Kanihah

    Dawthlen

    Rama Krishna Mission

    Nohkalihai Falls

    土地の言葉であるカースィー語の地名なので、どれも馴染みがないため、どう読むのか良くわからない地名が多い。この中のいくつかは、シローンからのバスツアー参加したときに訪れているが、クルマをチャーターしているため、ゆっくりと見物することができた。

    だがやはり問題は天気であった。雨のため、景色の良い展望台に行っても霧でよく見えなかったり、後には霧が濃くなりすぎてまったく見えなかったりした。道路交通も良くなかった。霧が少し薄くなることもあったのだが、ひどいときにはわずか10メートル先さえもまったく見えないところも多かった。突然向こうからタクシーや大型車両が出てきてびっくりするし、あまりに霧が濃い場所では道路自体がどう走っているのか輪郭さえも見当さえつかなかったりして恐ろしかった。チェラプンジーとその周辺地域は、下界から見るとすっかり雲の中に入ってしまっているため、雨天 = 濃霧となってしまう。

    眼下に広がる平原部はバーングラーデーシュ。だが天気が悪くてよく見えなかった。
    鍾乳洞

    インド北東州は全面的に多雨の地域であり、観光面ではモンスーン期は概ねオフシーズンとなるのだが、世界最大級の多雨スポットとして有名なチェラプンジーだけは、『その雨を見に来る』人たちがかなり多いらしい。

    台地を流れてきた水は断崖絶壁へ
    雨季には数倍の水量になるのだとか。

    チェラプンジーは多雨な高地であるため、あちこちに滝がある。小さな複数の滝幾筋も流れていたり、大きな瀑布があったりもするのだが、どちらも断崖絶壁からはるか下へと水が落下している。平坦な台地で幅広い石畳状の川床を流れた水がそのまま断崖から下へと落下しているところもある。こういう極端な風景がチェラプンジーらしいところだ。雨季には、滝の水量が数倍になると言い、まさにそれを見たいがために不便や周囲の景観を楽しむことができないことを承知のうえで訪れるようだ。だが前述のとおり、雨のチェラプンジーの視界は最悪となるので、くれぐれも交通事故には気を付けていただきたい。

    深い霧で景色は楽しめず。

    <続く>

  • ポビットラ国立公園

    ポビットラ国立公園

    グワーハーティー市内からタクシーでポビットラ国立公園を訪れる。アッサム州の国立公園といえばサイが多く棲息しているカーズィランガー国立公園が有名だが、あまり時間がなかったので、州都郊外の国立公園を訪れることにした次第である。

    トタンでできた傾斜付きの屋根の家屋がどこまでも続く。左右に広がる農村風景が美しい街道沿いで、私たちのクルマの前をナンバープレート無しの車両が走っている。そういえば昨日もそういうクルマを見かけた。運転手は「ハハハ。このクルマだって最初の2か月はナンバー無しだったんです。だってなかなか発行されなかったんですもん。」と事も無げに言う。田舎州とはいえ、いい加減なものだ。

    グワーハーティーから1時間少々で国立公園に到着。管理事務所の人が出てきて、園内に乗り入れる専用ジープが500ルピー、車両乗り入れ料金が300ルピー、加えて入場料は20ルピー、カメラ持込料が50ルピー。総額で870ルピーになるという。クルマと乗り入れ料金はともかく、入場料等については今どきのインドの国立公園としては安いなぁと思った。係の男と一緒に事務所に入って手続きの最後でチケットを切る際に、「どこから来られましたか?」という問いに対して、日本からと答えてしまったのが失敗であった。

    「あ、外国人の場合は違う料金なんです」とこの係員。外国人は、車両乗入れ料金は同じだが、入場料は250ルピー、カメラ持込が500ルピーもするため、ジープ代も含めて1,550Rsにもなってしまう。だがチケットにはそう印刷してあるので、こればかりは仕方ない。カーズィランガー国立公園と同額になっているようだ。ここまで乗せてきてくれたタクシー運転手のチャンパクは、国立公園を見学したことがないというので、彼の分の入場料は免除してもらい同行させることにした。

    チャンパクはアッサム人とのことだが、見た目はもっと西のほうの人間に見えるし、見た目も物腰も中産階級みたいな雰囲気がある。黄色の営業ナンバーのクルマではなかったこともあり、国立公園の職員の人たちも、当初彼を運転手ではなく観光客だと思っていた。ジープには専門の運転手と銃を持ったレンジャー1名が同乗する。

    国立公園見物に出発!

    園内は思っていたよりも広かった。世界で最もサイの居住密度が高い国立公園とのことだ。2004年の調査によると、ここには84頭のサイが生息しているとのこと。サイが近くで見られるかと期待していたが、森の中で木のもっと向こうに大きなサイが一頭いた。もっと近づきたかったが、危険であるとのこと。

    木立の向こうに見えるサイのお尻

    サイたちがよく出没するという水場には鳥しかいなかった。深い草原をジープで走った4先にも小さな水場があるが、どこにもサイの姿はなかった。

    水場にサイの姿はなかった。

    最後に大平原と表現したくなる開けた場所に出ると、はるか彼方、一キロか2キロくらい先にゴマ粒程度に見えるサイらしき姿がある・・・といっても、私の眼にはよくわからない。ジープの運転手とレンジャーは相当な遠視のようだ。あそこに三頭、ここに一頭、あちらに二頭と彼らは言うが、こちらはコンパクトデジカメで撮影した画像を拡大して、ようやくそれらがサイであるらしいことを確認できる。そこここに体格の良い水牛の姿も多いのが紛らわしい。タクシー運転手のチャンパクも「肉眼だとあまりよくわからないですね。」と言う。

    はるか彼方に何頭かサイの姿が・・・。

    こういう場所では一眼レフと高倍率の望遠レンズが必要である。平原を過ぎて外に出る。高く盛り土をして造られた道路が国立公園と外の田畑が広がる地帯との境界になっており、この道路からも何頭かサイの姿が確認できた。やはりデジカメで撮影した画像を拡大しての話だが。

    言うまでもなく、国立公園での観察対象は野生動物であるため、至近距離で遭遇できるかどうかは運とタイミングによる。サイたちがよく出没するという水場がこの国立公園の最大のハイライトのようだ。そのチャンスを最大にするには、おそらく朝の早い時間帯に訪れてみるのが良いのではないかと思う。

    それでも人口80万人超を擁する北東インド随一の大都会グワーハーティー郊外に、こうした国立公園があるということ、同じく郊外にあるハジョーやスアルクシーといった見どころと合わせて一日で回ることができるということは魅力である。

  • マニプルへ3    ロークターク湖

    マニプルへ3 ロークターク湖

    アレンジしておいたクルマで郊外に足を伸ばす。朝から夕方まで一緒に過ごすことになる運転手なので感じの良い人だといいなと思っていたら、まだ若いがきちんとした男性であった。

    インパールから南へ45kmのモイランという町に向かう。実は昨日のフライトで上空から眺めると湖に妙な輪がいくつもあることに気が付いていたのだが、それが何という場所なのかわからなかった。

    本日、訪れることにしていたロークターク湖について、L君がGoogleの衛星写真で検索してみると、面白い景色が見えるという。画面を覗いてみると、それがまさに昨日の飛行機から見えた湖らしい。沢山の浮島があり、それが観光名所にもなっているということは知っていたが、こんな風に円状のものが、それこそ無数にあるとは想像さえしなかった。中には家屋のようなものが建てられている浮島もある。

    ロークターク湖全景 湖水上にポツポツと何かが広がっている様子が見て取れる。
    無数の輪がそこここに見られる。
    拡大するとこんな具合。家屋のようなものもある。

    ロークターク湖沿いにはいくつか集落があるが、ちょうどINA戦争博物館があるとのことであったので、モイランを選んだ次第であるが、この日が月曜日であること(インドでは通常月曜日は博物館の休館日)をうっかり失念していた。博物館の前まで行きながらも、その中を見ることなく退散。INAとは、第二次大戦末期にインパール作戦にて、旧日本軍とともにこの地に部隊を進めてきたスバーシュ・チャンドラー・ボース率いたインド国民軍のことである。

    INA戦争博物館

    近くにある湖を見渡すことのできる展望台があるという島に向かう。モイランと島はコーズウェイで繋がっている。 クルマの窓の外ではなにやら大きな作業が進行中であった。植物類の塊のようなものを沢山水揚げして岸に投げ出してある。多数の船や重機を動員しての大仕事だ。一体何が行われているのか、このときはよくわからなかったのだが。

    島のかなりの部分を軍施設が占めているようであったが、運転手はチェックポストで了解を得てクルマを坂道に乗り入れる。道の左右には軍人たちの住居が建ち並んでいた。小高くなったエリアで湖を見渡してみてわかったのだが、さきほどGoogleの画像で見たほど多くの浮島があるわけではなく、ここに来るときに目にした大掛かりな作業は、そうした浮島を除去するものであることがわかった。

    期待していたとおりの眺めが広がる方角もあったが・・・
    浮島がすっかり撤去されて『普通の湖』になっている部分も大きかった。

    そもそも、この湖の浮島は漁撈と耕作目的であるのだが、湖の保全という観点からはいろいろ問題があるようだ。水質の関係はもとより、こうした人造物が増えていくことにより、水深が浅くなってしまったり、悪くすると湖そのものが湿地化してしまったりする可能性等が挙げられる。

    そんなわけで、現在ではこうした目的で浮島を造ることは、特に定められたエリアを除き禁止されているとのことだが、これが守られないため当局が強制撤去に出たということのようだ。確かに湖の保全ということも大切なのだが、浮島による漁業と農業というのもまた他にあまり類をみない貴重な生活文化であることも間違いないので、ちょっと残念な気もする。

    正直なところ観光資源に乏しいこの地域にあって、ロークターク湖を見物に来る人たちの目的は、湖水に無数に浮く世にも稀な円状のこの浮島を見ることである。貴重な観光資源としても、地域の典型的な湖上での生業の保存という観点からも、これらをどこかに保存しておくことは意味のあることであるはずだ。

    <続く>

  • 地震後、スィッキムはどうなっているのか?

    今朝になってからスィッキムの知人の息子から連絡があり、無事であることがわかった。

    しかし、停電しており、固定電話、携帯電話ともにほとんど使えなくなっているとのこと。情報が限られていて、歩いて回れる範囲以外の地域がどうなっているかもわからないとのことだ。知人の息子は空軍に勤務しており、ビーカーネールの基地に配置されているのだが、ちょうど休暇か何かで親元に戻っていたところらしい。とりあえず少し安心した。

    メディアによれば、現在インド国内では昨夕の地震により死亡が確認された数は50名前後となっているようだが、震源地のスィッキム州自体が山岳地帯で、斜面に建設された細い道路で繋がれていること、これらの中で地震による崖崩れで不通となっているところは少なくないことを考え合わせれば、被害の全容がわかるまで時間がかかることは想像に難くない。同様に、山岳地であるがゆえ、救助作業等も難航することだろう。雨季には多雨で知られる地域でもあり、現地では断続的に降雨が続いていることも伝えられている。

    平地の内陸部であれば、周囲の四方から救助活動を展開することが可能だが、北は中国占領下のチベット、東はブータン、西はネパールといった外国に囲まれ、南は西ベンガル州とインド北東州をかろうじて陸路で接続している細い回廊地帯という非常に不利な条件下にある。先述の山岳地帯であり、季節柄仕方ないが天候が悪いということと合わせれば、如何に難しい状況にあるかということは明らかだ。

    中国占領下のチベットに向かって突き出す形で位置するスィッキムは、中国に対する軍事面での要衝である。加えてスィッキムのインドへの帰属を中国が認めていないといった事情もあることから、外国人の入域には形式的なパーミットが不可欠となっている。そのパーミットにより許可される訪問可能なエリアにも制限がある。また一度スィッキムを出てしまうと、再度パーミットを取得するまで3カ月経過しなくてはならない。そうした背景からもわかるとおり軍の施設も多い。内政面では特に問題はないので、安全かつ快適に過ごすことができるのだが。

    今回の地震で、本来ならば災害時には救助活動が期待できる軍への被害もかなり出ているようで、他州に駐屯している部隊等による活動が始まっているようだ。

    メディアによる今後の続報が大いに気になる。

  • 震源地スィッキム M6.8の地震

    ニュース番組आज तक (Aaj Tak)を見ていたら、突然地震の知らせが入ってきたので書いている次第である。地震の発生は午後6時11分、マグニチュード6.8、震源地はスィッキム州都ガントークからおよそ64kmのネパール国境地帯、震源の深さは約10kmと伝えられている。

    ビハール、西ベンガル、アッサムといった周辺州はもちろんのこと、チャッティースガル、U.P.、デリー、ラージャスターン東部でも揺れが観測されるなど、かなり広範囲に及んでいる。現時点ではアッサムの一部で建物にひびが入った程度の被害が伝えられているものの、負傷者等の情報はない。

    コールカーター、パトナーその他で、リポーターによる街の人々にインタヴューの様子がオンエアーされており、突然の揺れでとても驚いたことを各々が語っているが、彼らの話の内容からしても、このあたりではそう大きな被害が出るようなものではなかったことと思う。

    だが肝心の震源地域、スィッキムとネパール東端に及ぶ震源地周辺については、今のところ何の知らせも入っていないようだ。山間の地域ということもあり、どういう状況になっているのか懸念されるところだ。

    スィッキムへの電話が通じなくなっている(回線が停止しているのか、安否確認等の電話が殺到してパンクしているのかは不明)しているとのことだが、いくつかの大きな建物にもたらされた被害についての知らせも、おそらく非公式なルートから入ってきているようだ。州都ガントーク在住のベンガル人知人がいるので、気になって電話してみたが、携帯もランドラインも案の定通じなかった。目下、彼の無事を祈るしかない。

    今後、地震の続報に留意したい。

  • インレー湖

    インレー湖

    宿で募っていたインレー湖のボートツアーに参加した。ノルウェー人男性、アメリカ人男性とその友人の日本人女性、そして私の計4人である。朝7時半に船頭が迎えに来た。

    インレー湖につながる水路

    ホテルを出て通りを左に直進したところにインレー湖につながる運河の船着場がある。両岸は土が崩れ落ちないように竹で護岸がなされている。ところどころで浚渫作業が進行中。放っておくと浅くなってしまい、船の往来に支障を来たすようになるのだろう。

    竹でできた護岸

    様々な船が行き交っている。野菜などの食料品その他の生活物資を載せたもの、建築資材を積んでいるもの等々。だがこの時間帯で最も多いのは、国内外からの観光客を乗せた船だろうか。

    船は速度を上げて進んでいく。やがて水路から湖に出て景色が一気に開ける。これまで写真等ではときどき目にすることのあった片足漕ぎの漁師たちの姿が見える。両手で作業しながらも船を進めることができるという利点があるが、傍で眺めていると何とも不自然な身体の使い方だ。

    インレー湖名物の片足漕ぎ
    インレー湖に出た

    船は、パウン・ドー・パヤーというお寺入口の船着場に着いた。本堂内中央には五体の仏像らしきものがあるが、いずれも大量に貼られた金箔のため、雪だるまのような有様になっている。

    パウン・ドー・パヤー
    大量の金箔で雪だるま状態

    隣にはマーケットもある。市場では食品や雑貨等いろいろ売り買いされている。規模もニャウンシュエよりもおよそ倍くらい大きい。マイノリティの人々も来ていて、民族色豊かでカラフルだ。

    マーケット

    そこから船は来たときとは異なる水路を進んで機織の村に行く。村といっても、水路沿いにある高床式の水上家屋がいくつか寄せ集まっているだけのことだが、周囲はどこもかしこも水で一杯なので、隣家に行くにも船が必要。どの家屋でも軒先には一隻以上の船を繋いである。近所で用を足すだけの自家用なのでほとんどは手漕ぎだ。

    そんな環境なので、このあたりでは小さい子供たちも上手に船を操っている。ごくわずかな陸地(?)のように見える部分は浮島になっており、季節の野菜類が栽培されている。どこの集落でも、いくばくかのこうした『耕作地』がある。

    水上家屋 水面上の緑色の部分は浮島状になっていて野菜等を植えてある。

    家の周りで自家消費に必要な魚類は簡単に調達できそうだが、耕作は容易ではないし、その他の生活物資の入手についても不便だろう。どうしてこういうところに人々は住み着いたのかわからないが、きっと何か合理的な理由があるに違いない。

    次にビルマ式の葉巻作りの作業場。大きな高床式建物の中で行われている。中には刻みタバコが詰めてあるが、外側の巻き材はイチジクの葉であるとのこと。女性たちが作る葉巻にはどこかのブランドの名前が付いていることから察するに、一定量の材料を手渡されて請負生産しているのだろう。ここは作業場とはいえ主にみやげ物を売ることを目的にした場所のようで、ビルマ漆器の大小様々なものが展示されている。

    次に訪れたのは銀細工の作業場。いろんな年齢層の職人たちがそれぞれ受け持っている異なった工程で作業を進めている。最初に訪れたお寺とマーケットからずっと、他グループの同じ顔ぶれの人たちと行く先々で出会う。どの船頭たちもほぼ同じコースを回っていることがわかる。

    銀細工作業場見学を終えてから近くにあるレストランで昼食を済ませた後、水上の耕作地に向かう。浮き草等の植物性の『土壌』から成る水上の畑だ。先述の浮島状の耕作地が大きくなったものである。季節により作物は変わるそうだが、この時期に栽培されているのはトマトである。本来は乾燥地に植える作物だが、ここで採れるトマトはどんな味がするのだろうか?

    水上のトマト畑

    そしてガー・ぺー・チャウンという、輪の中を飛び抜ける芸をするネコたちがいるお寺として知られているところ。複数の猫たちが係の(?)男に芸をさせられている。男が鈴を鳴らすと芸が始まる合図だ。猫を引き寄せて手にした輪で喉の下を数回擦る。すると猫が上向いて「やる気になった」らジャンプするというもの。

    ネコのジャンプ

    このお寺を最後に、船はニャウンシュエの船着場に戻る。本日同行した人たちと水路沿いにある飲み屋に繰り出して乾杯。付近には他にいくつか外国人が多く宿泊するホテル等がある中、界隈で唯一ジョッキの生ビールを出す店なので、けっこう賑わっている。

    目の前の水路を行き来する船を眺めているうちに、陽がとっぷり暮れてきた。

  • 日帰りトレック2

    日帰りトレック2

    最初はお互いよそよそしくても、行程が進むにつれていろいろ話したりしながら打ち解けてきた。時間の経過とともに、だんだん『ひとつのチーム』になってくる。昼食を取ったあたりから、誰もがよく話すようになってきて、ちょっとした小休止のときも車座になって話が弾む。

    鉄路

    鉄路に出た。まさにこの鉄道建設のために、19世紀末から20世紀はじめにかけて多くのインド人たちがこの地にやってきたのだ。そこからしばらくは線路上を歩き、次の村に到着する。ここでは鍛冶屋もある。農耕具を作っているのだそうだ。

    ちょうどガーリックを収穫して干しているところであった。もち米で作った煎餅状のものを干してある。これを焼いて食べるのだそうだ。日本の煎餅と同じようものができることだろう。

    焼き上げる前の煎餅

    そこから少し下るとカリフラワーと豆の畑と水田があった。水量豊かで新鮮な野菜が採れる里。一瞬、理想郷という言葉が脳裏をかすめるが、そこに暮らしている人たちはそれが理想であるとは思っていないかもしれないし、山村での暮らしは楽であるはずもない。

    次の集落にたどりつく直前の坂道では、沢山のヒルがうようよしていた。今日も昨日以前のような調子でずっと雨が降っていたならば、きっと手足をひどくやられていたことだろう。

    本日最後に訪れたのはシャーマンの家。様々な生薬を配合した薬を作っているという。それで私たちはそれらを少しずつ味見する。たしかに生薬の味がする。それらが何か効果があるのかどうかは知らないが。

    シャーマン

    このシャーマンは代々長く継承されてきたものだというが、現在82才だというこの人物で途絶えることになりそうだという。彼の息子は複数いるが、誰一人として継がないのだという。

    その家のある集落を後にして再び線路の上に出る。そして他の7人とはお別れだ。さて、ここからはネパール人ガイドと二人でカローまで戻ることになる。予定では午後6時か7時には宿に帰着することになっていたが、ちょっと遅くなったようだ。

    もう陽がすっかり傾いている。じきに辺りは暗くなってしまうだろう。夕方の山の景色は美しかった。だが写真を撮る気にならないのはちょっと気が急いているからだ。治安の良好なミャンマーとはいえ、真っ暗になった山道を歩くのは決して誉められたものではない。

    人を襲うような獣が出てこなくても、足元に毒ヘビがいたところで、ボンヤリした懐中電灯の光では気が付かないかもしれない。本来ならまだ雨期入り前のはずだが、このところ雨が多いため田畑脇の道端などでヴァイパーの類の有毒ヘビをしばしば見かけたし、昼間の山道でもそうした毒蛇に遭遇した。そんなわけで夜道で一番気になったのがこれである。

    トレッキング中ではないが、町中で見かけた。雨が降ると乾いた場所を求めてニョロニョロ移動してたりする。

    ほとんどすれ違う人もなく、黙々と進む。ときおり反対側からやってくる帰宅途中の村人の姿がある。すでに真っ暗になっているのに牛を連れて帰る人たちもいた。すっかり周囲が見えなくなってから、私たちは懐中電灯を手にしているが、彼らは手ぶらだ。よく足元が見えるものだ。

    空は雲行きが怪しい。こんなところで真っ暗になってから大雨にやられたらたまらない。幸いにして宿に着くまで降らなかったが。

    しばらく進んで町に近くなってきたあたりに寺があり、そこにはネパール人がよく出入りするのだそうだ。サラスワティー寺院ということになっているが、ビルマ族、シャン族などは仏教の寺として参拝しているとのこと。

    カローの町はまだしばらく先であった。鉄路に出て枕木の上をしばらく歩く。枕木が等間隔で敷いてあればいいのだが、そうではないのでけっこう疲れる。細い川にかかる小さな鉄橋の上の線路を歩く。暗くて左右がどうなっているのかよく見えないためちょっと緊張する。水場に近いところでがチラチラと飛び回るホタルの灯が美しかった。

    ようやくカローの郊外に出た。カローホテルという政府経営のホテルの脇を通過する。20世紀初頭からの伝統を持ち、カローでもっとも古いホテルである。

    やがて裁判所等がある大きな通りに出て、モスクが見えてきた。ホテル到着は夜9時近かった。連れて帰ってくれたネパール系の道案内人に「外にメシでも食いに行かないか?おごるよ」と声をかけるが、彼は「もうおそいし、家がちょっと遠いので・・・」と夜道に消えていった。この人は宿の家族ではなく、必要に応じて呼ばれる日雇いの案内人である。

    デイパックを部屋に置き、近所のネパール食堂に行く。疲れた身体と空っぽになった胃に温かい食事が心地よい。ビールの酔いもまた最高だ。

    <完>

  • 日帰りトレック1

    日帰りトレック1

    この宿ではトレッキングのツアーをアレンジしている。カローから2泊3日でインレー湖に出るコースを勧められた。単に明日それで出発する他の人たちがいるからなのだが。しかしちょうど大きな低気圧が来ており、しばらく天候が非常に悪い。しばしば豪雨がやってきていたため日帰りにすることにした。他の人たちの行程の初日夕方で離脱する形である。

    この日のトレッキングに参加するのは、カナダ人4人、フランス人2人、ロシア人が1人、加えて日本人の私である。道案内は宿の女主人の息子と、手伝いのネパール系の男性。

    一行は出発する。町の西側に出てしばらく行くと竹で造った本尊のあるお寺。このあたりまではカローの町の郊外だが、そこから先は農村風景が広がる。さらに進むと、ところどころに少数民族の村が点在する山間の景色となってくる。

    この時期暑いばかりがミャンマーではない。見渡す限りの山岳風景の中で、あまり高度のある山は見受けられないが、オゾンをたっぷり含んだ空気と涼しい風が心地よい。途中幾度か驟雨に見舞われるが、そう長い時間続かないのは幸いであった。

    ちょっと小休止

    途中パラウン族、ダーヌー族といった少数民族の村々がある。ガイドブックにヴューポイントと記されているところの少し先にはネパール系の人が経営するトレッカー相手の簡単な食堂がある。

    本日のランチ

    南アジア系の人々の多くは町中で商業活動を営んでいたり、労働者として働いている人が多いようだが、このあたりの山中で耕作に従事しているネパール系の人々もけっこういるそうだ。この食堂の人たちも本業は農耕である。

    山間の耕作地では茶畑がいくつもあった。高原の冷涼な気候が栽培に適しているのだろう。そうした中にたまにごく少量のパイナップルが植えてあったりもするが、こちらは商業用ではなく自家消費目的なのだろう。

    茶の苗木が植えられている中にパイナップルもいくつかあった。

    ダーヌー族の村に行く。外国人たちの姿を見つけた子供たちが大勢駆け寄ってくる。家々では豚も買われている。立ち寄った村は地形によりふたつの部分に分かれている。

    子どもたちと案内人のR氏

    村の最初に訪れた部分では、茶の乾燥場があった。基壇部分の下では何か燃料、おそらく木を燃やしているはず。上の部分が熱くなっており、そこに広げている茶歯が乾燥されるようになっている。

    茶葉の乾燥場

    近年、村の暮らしぶりはよくなってきているとのことで、付近の川で簡単な水力発電が行なわれるようになったことから、ささやかながら電気が来るようになったとのこと。裸電球を灯すのがやっとで、他の電化製品を使用できるほどの規模のものではないそうだが。

    また付近で石灰岩が豊富に採れるという事情から、最近はコンクリート・ブロックで家屋を建てるケースが多くなっているとのことだ。

    一行は村長の家に向かう。伝統的な高床式の木造家屋である。どこからか年配女性たちがやってきて手工芸品を見せる。その中には嫁入り前の女性のみが着用する衣装がある。飾りのついた頭飾りがそれである。結婚してからはターバンをまとうことになっているそうだ。

    アレやコレやといろんな品々を見せてくるが、特にこちらが買う気がないことがわかると、彼女たち同士でのおしゃべりに興じている。もう孫がいるであろうと思われる年齢の女性は、嫁入り前のそうした衣装を付けてジッと鏡に見入っている。この人たちにも確かにそういう時代があったのである。

    花嫁姿?の元乙女たち

    高床式の家の中は風通しがよくて気持ちがいい。ちょっと磨き上げたら相当居心地の良い部屋になりそうだ。少なくともさきほど見たようなコンクリート・ブロックの家屋よりも健康的だと思われる。しかしコンクリート・ブロックであるがゆえに、その上に漆喰を塗り、さらにはペンキで仕上げて近代的な部屋にすることもできる。それにより長い年月維持できるだろう。どちらが良いのかなんともいえないが、少なくともこれを選択している人たちにとっては、それなりの合理的な理由があるに違いない。

    案内人パンジャービー系R氏と背後はネパール系のR氏

    そこからふたたびしばらく山道を歩く。ときおり芝生状にごく低い草が茂った開けた場所がある。周囲の山並みの眺めを楽しみながら歩く。

    <続く>

  • サートパダー 2

    サートパダー 2

    ホテルから湖をボートで回るOTDCのツアーに参加する。周囲に他のホテルはないため、ここの宿泊客だけを対象するものだと思っていたのだが、ちょっと勝手が違った。もちろん同じOTDCによるものだが、プリーからやってくる日帰りツアーグループに合流することになる。

    ツアーグループは、朝9時半にホテルに到着。まず最初に埠頭近くにあるビジター・センターでチリカー湖の成り立ちや生態系等についての基本的な説明を聞いたり、展示物を見たりする。

    埠頭からはふたつのボートに分乗して出発。この湖にはイラワディ・ドルフィンという種類のイルカが棲んでいる。もちろん船からは彼らの頭やフィンがときどき見られる程度だが。船頭たちはイルカがどのあたりに多くいるのか知っているので、彼らが多数出没する水域に向かう。

    イラワディ・ドルフィンの背中

    規則では50メートル以上接近してはいけないことになっているようだが、そんなことはお構いなしのようで、往々にして10メートル、しばしば数メートル先でイルカたちが回遊している様子を見ることができた。

    通りがかりの他の船。お客を満載で窮屈そうだ。

    次に向かうのは、ラージャンサーという60キロほどもある長い砂州である。これがベンガル湾とチリカー湖を仕切っている。もともと湖から海への出口はもっと北のほうにあったとのことだが、これが自然に堆積して閉鎖されてしまった。その結果、水質の劣化が著しくなり、今の出口になっている部分はその対策として近年になってから人工的に開けたものであるという。

    広大な砂州。左手はチリカー湖で右手奥はベンガル湾

    砂州といってもかなり幅が広く、優に一キロほどはある。小高い砂地の丘に登ると、ベンガル湾とチリカー湖が左右に見える。

    このエリアに定住している人はないが、観光客相手の「海の家」がいくつもある。それらではチャーイや簡単な食事を出している。特にチリカー湖特産の魚介類とりわけエビ、カニの料理が人気だ。

    旨そうなカニ料理
    こちらもまた食欲をそそるエビ料理

    それらを注文すると、裏手で薪を燃やして鍋をかけて炒めた料理を作ってくれる。いかにも『オヤジの手料理』といった感じだが、食欲をそそるいい匂いが漂ってくる。私は、数年前から甲殻類でアレルギーが出ることが多く、試してみることがためらわれるのが残念である。

    大きなたらいに入ったハマグリのような貝の殻を割り、中から真珠を取り出してみせている男たちがいる。真珠は白いものが大半だが、ときたま黒いものもある。面白いことに、たいていの貝にそうしたものが入っていた。何か仕掛けがあるのか、アコヤ貝ではないのだが、貝の幼少期に真珠が出来るように細工をしてあるのかもしれない。

    真珠?
    こうしたハマグリのような貝の中に『真珠』

    昼間に湖を行き来する船はかなり多い。漁師たちが仕事をする時間帯ではないため、通りかかる船はほぼすべて観光客用のものばかりである。多くはプリーに宿泊して日帰りでここを訪れている。チリカー湖のクルーズは楽しいが、サートパダーについては特に宿泊するメリットはなかったように思う。とても静かではあるものの、船に乗らなければ周囲に見るべきものはないし、とにかく蚊が多い場所である。

    <完>