M7.9の強い地震発生 ネパール

本日4月25日、ネパールで現地時間午前11時41分にM7.9の強い地震が発生。震源地は首都カトマンズ北西81kmの地点であるとされる。すでに多数のメディアで報じられており、首都カトマンズでの建物の損壊等の様子が一部伝えられている。現在も余震が続いている模様。被害の全容が明らかになるにはまだ時間がかかるものと思われるが、今回の地震か甚大な被害を発生させていることが懸念される。
また、すでにシーズンが始まっているエベレスト近辺でも地震によるものと思われる大規模な雪崩が発生しているという情報もあり、登山方面での被害も同様に心配されるところだ。現在、日本のアルピニスト野口健氏が、いわゆる「エベレスト街道」を移動中の様子がFacebookに綴られているが、この時期にネパールのヒマラヤ地域に滞在している登山関係者は多数あることだろう。
今後の報道等に注目していきたい。

RECENT EARTHQUAKES IN NEPAL (Facebook)

Nepal Battered by 7.9 Earthquake, Tremors Across Northern India (NDTV)

Live Updates: Massive Earthquake in Nepal Causes Tremors Across India (NDTV)

Strong earthquake rocks Nepal, damages Kathmandu (BBC NEWS)

フライトの振替 250km先から出発

グジャラート州カッチ地方の中心地ブジの町に滞在していると、夕方以降の遅い時間によく飛行機の爆音が聞こえてくる。民間機が発着する時間ではないため、おそらく軍の飛行機なのだろう・・・などと思いながら、ウトウトしているうちに眠ってしまった昨夜。

今朝は早起きして出発準備。本日この朝7時半にチェックインとのことなので、6時50分に階下でチェックアウト。このホテルは空港までの送りをクルマでしてくれるとのことでタクシーを呼ぶ必要はない。午前7時でもまだまだ暗いのは、広大なインドの西端にいるがゆえのこと。

空港にはまだ人影は少ないが、早く到着する分には損はない。警備の人たちの立ち話から、昨日夕方のエアインディアの便がキャンセルとなったことが判り、何故かちょっと気になる。私が利用するのはジェットエアウェイズのムンバイー行きのフライトであるが。

預け荷物のXレイ検査機械の前で一番で待っていると次第に私の後に列が出来てくる。ジェットエアウェイズの人たちが次々に入ってきて、ようやくチェックインの始まりとなるようだ。

・・・と思っていたら「ロンドン行きの人は来てください」という案内があった。てっきりムンバイーからロンドンに向かう乗り継ぎ便がキャンセルとなった人たちがあるのかと思いきや、実は私が搭乗するはずのフライトがキャンセルになったとのこと。「ロンドン行きの人たち」を呼んだのは、国際線の乗る人たちを優先して振り分けようということだったようだ。

振り分け作業も遅々たるもので、ようやく私の番となり、どうなるのかと思えば、アーメダーバードからムンバイー行きのフライトに振り替えるとのこと。クルマで空港まで送るとは言うものの、7~8時間の道のりだ。本日午後のブジからムンバイーへのフライトについて聞くと、満席のためチャンスはないとのこと。他の乗客についてもブジからの午後便に振り替えられた者はないようで、カウンターでの喧々諤々のやりとりを耳にする限りでは、誰もが他の空港からのフライトをあてがわれているようだ。

「とにかく急ぐので」と頼むとラージコート行きのフライトとなった。これとて、ここから5~6時間くらいはかかるだろう。正午過ぎのフライトに間に合えばそれに乗れるし、それがダメだったら午後5時のものになるという。こればかりは仕方ない。ラージコート便への振替の他の乗客たちとともに、航空会社差し回しのクルマで出発する。

つい先日、ラージコートからブジに移動したが、まさかこうして再び同じ道をたどるとは想像もしなかった。ムンバイーからのフライトを予約したとき、カッチ地方のみを見て回るつもりであったのでブジ往復で予約したのだが、ブジに到着してから思いついて、サーサンやラージコート周辺も訪れることにした私である。ラージコートに着いた時点で、ブジからムンバイーに戻るフライトをキャンセルして、ラージコートからムンバイー行きを確保すれば良かったではないか、などとも思うが、今さら仕方のないことだ。

それにしても、フライトがキャンセルとなって、乗客全員を250km先の(ラージコート)、や400km先の(アーメダーバード)まで振替を実施したジェットエアウェイズだが、これが国営のエアインディアであれば、そのような措置はおそらくなかったことと思われるので、やはりジェットエアウェイズにしておいて良かったと思った。

ブジを出てからしばらく経つと、クルマは大きな幹線道路に出た。カッチ地方とサウラーシュトラの境のあたりの広大な塩田と発電の巨大な風車がたくさんならんでいる景色を眺めつつ、クルマは進んでいく。ちょうどリトル・ラン・オブ・カッチのあたりである。

カッチ地方とサウラーシュトラでは少し景色が異なるようだ。後者のほうが緑がかなり多くて畑も多いように思われる。さきほどの風力発電や塩田のあたりを境に、どちらも平坦ながらも急に風景のイメージが変わるのが面白い。ブジからラージコートに行くときにそう感じて、ラージコートからブジに帰る際にその印象を再確認した。またこうしてふたたびラージコートに向かっていてもそうなので、やはりこれでまちがいないのだろう。

ブジを出てから4時間ほどでラージコートに到着。途中幾度も停車していくバスではなく乗用車なので、その分早かった。市街地の混雑した中をクルマが進んでいくと唐突に空港が現れた。人口規模130万人ほどの街だが、これほど中心部に近いところに滑走路があるというのは、他にあまり例がないことだろう。この時点で12時半。すでにフライトはドアを閉めたとのことで搭乗できなかった。よって午後5時のフライトとなった。

それまでしばらくの間、他の振替え客たちとの雑談や日記書きの時間となったのだが、時間というものはいつもあれよあれよという間に過ぎてしまうものだ。やがてチェックインの時間となった。

フライトは1時間ほどでムンバイーへ至る。広大なダーラーヴィーのスラムを眼下に見ながら着陸。こういうロケーションにあるスラムは、中国ならばとうの昔に取り壊していることだろうが、そうはならないのはインドらしいところである。

着いて荷物を待っていると、同じジェットエアウェイズの午後便は、こちらよりも少し早く到着していたようで、乗客たちは荷物をピックアップしている。どうせならこちらにしておけば良かったのだが、こればかりはその時にならないと分からない巡り合わせなので仕方ない。キャンセルとなるとわかっていて、そのフライトを予約するわけではないのだから。

サーサンギルの野生動物保護区へ4 

サーサンの町の夕暮れ

宿に戻ると、闇サファリを勧誘する男が来ていた。夜間閉鎖されている国立公園にバイクで乗り込み、徒歩でライオンに接近するのだという。基本料金が1,000ルピーで、ライオンに出会うことができたら、成功報酬として更に1,000ルピーだという。

彼が曰く、大声を上げたり、駆け出したりしなければ危険はないのだという。そんなバカなことがあるだろうか。町中の夜間、野犬集団に囲まれても大変危険であったりするのに、大型肉食獣のライオンがそんなにおとなしいはずがない。

「夜10時出発だがどうだ?」などと言う。

おそらく、彼は客引きで、国立公園内の集落の住民が手引きするのではないかと想像したりする。ともあれ、たとえ間近にライオンを目撃することが出来ても、彼らのエサになるのは御免なので、当然お断りである。

闇サファリの客引きを追い返して部屋に戻る

〈完〉

サーサンギルの野生動物保護区へ3 

サーサンでの宿

人の出入りが頻繁な休日であるため、宿の主のニティンさんの携帯はしょっちゅう鳴りっぱなしで、宿泊の人々の対応にも追われていた。家族経営なので仕方ないのだが、あまりに忙しそうである。言葉は悪いがかなりがさつな感じの人であるが、人柄は悪くないようだ。

同じ宿に泊まっている人たちが、「オンライン予約したのか?」と尋ねてくる。この家族連れもそうであったが、他にもネットで予約したという人たちが何人もいるようだ。こんな簡素な宿がそうしたことに対応しているとは知らなかったのだが、今はそういう時代なっているらしい。

ちょうど西洋人の二人連れがサファリにいくとのことで相乗りさせてもらうことになった。サファリの料金はジープ1台でいくらという設定になっていて決して安くないこと、外国人料金があることなどから、運が良かったと言える。

出発!

宿で食事を済ませてからしばらくサファリの時間まで待つ。午後3時になってから出発だ。町の賑やかなところから少し外れたところに国立公園の入口があり、そこからジープに乗ってスタート。西洋人の二人連れとは、フランス人の還暦あたりの年齢の女性ふたり。フランス語を話すガイドが同乗しており、国から予約したツアーでインドを訪れているとのことだ。彼女たちのインド人ガイドはフランス語が流暢な人で、どこで学んだかといえば、ポンディチェリーで習ったとのこと。フランスに留学その他で住んでいたわけではないそうだ。

休日なので家族連れが多い

国立公園に入ってからしばらくは、ここに暮らしている人たちがあり、そうした人たちは自由に行き来できる部分となっている。そこからしばらく進むと左手には鉄道の線路が走っている。夜間は通行止めになっているとのことだが。おそらく国立公園が夜間は閉鎖されるからなのだろう。

かなりクルマの往来がある

サファリに参加してからわかったが、園内をジープがまるでコンボイを組んで走るような状態になってしまっている。これではライオンを見ることができなくても仕方ない。ここはピークの時期を外して訪れるべきだろう。ライオンを見ることができるかどうかが、最大の関心事であるが、あまりに多いジープの行き来を見て自信がなくなってくる。こんなに忙しい状態だとライオンは道になっているところの近くに出てくるだろうか。

うっそうとしたジャングル、少し開けた景色になっている部分、川の流れといったある程度変化のある景色の中を進んでいくと、川の部分にはクロコダイルがいることを示す看板がある。どういうところにライオンがいたりするのかわからないが、すぐそこから木が繁っていて見えないことから、ライオンのほうはこちらを眺めていたりしたのかもしれない。乾季の終わりの酷暑期には、しばしばライオンたちが水場に出てくるのを目撃することができるという。

だが雨季などはどうなのだろうか。雨が降るとダートは沼地のようになってしまうところがあることだろう。まさにそれがゆえに四駆のジープということになるのかもしれないが。

公園内には八つのルートがあり、そのときどきでライオンがいたという情報で、ルートを選択するのだという。かなり広い国立公園内で、道路から見えるところはごく限られている。また木が繁っているため、比較的近くにライオンがいても見えないこともあろうことは想像に難くない。

園内には警備の人たちが詰めているスポットがある。彼らはバイクで来ていて、ちゃんとした建物の詰所もなく、普通に道端に立っていたり、椅子に座っていたりする。危険はないのか、事故はないのかと少々気になるところである。

この野生動物簿国内の整備関係の仕事をする作業員とおぼしき人たちもその辺で倒木に腰かけていたりするし、彼らの子供あるいは保護区内の集落の子供と思われる幼児たちの姿もある。こんなで大丈夫なのだろうか?と思うとともに、それほどライオンに出会うチャンスは少ないのかも?と悲観的にもなったりする。

クジャクの背後に見えるのは集落の家屋

国立公園に入ってからすぐのところに集落があるのはまだいいとしても、一番奥のエリアにも小さな集落があり、四世帯が暮らしているというのにも驚いた。ライオンが近くに出没するところであるとのことだ。飼育している水牛の乳をとるのが生業で、町に売りに出て現金収入を得ているのだとか。かなり危険な生活環境のようだが、百獣の王と人間の不思議な共存である。

この日、結局のところライオンを見ることはできなかった。目にすることが出来たのはサルやシカ、ガゼルの類の草食動物たち、イーグル、フクロウ、クジャク等の鳥類である。ここまで来なくても田舎ではよく目にすることができる動物たち。明日の朝にもう一度トライしてみるのもいいかもしれないが、時間が限られているので諦めることにする。

足跡はライオンではなくヒョウのものなのだとか

せっかく近くまで来ておいて、サーサンギルを訪れなかった前回のグジャラート訪問時には残念な思いをしたのだが、今回はここまで足を伸ばしたのだからずいぶん気分は違う。こちらはライオンの存在に気が付かなくても、ライオンはこちらを見ていた、と思うことにする。

ライオンはどこかから私たちを眺めていたかも?

〈続く〉

カッチ地方西部4 〈ラクパト〉

港湾都市として栄えたラクパトを囲む城壁
ラクパトの入口のひとつ

コーテーシュワルから今度は北方向に向かう。このあたりまで来ると途中に集落は見かけない。しばらく走ると、40km位だろうか、やがて壮大な城壁のようなものが見えてきた。これがラクパトである。その威容に思わず息を飲む。長大な壁にしつらえられた門をくぐったところに小さなグルドワラーがあった。

ラクパトのグルドワラー。スィク教の開祖、グル・ナーナクが中東方面に赴く際に立ち寄り、このラクパトから船出をしたということに因んで建てられたもの。グルドワラーのランガルで温かい食事をいただく。どこから来た人でも、どんな信条の人でもウェルカムな姿勢がありがたい。

グルドワラーから少し西に向かうと小さな集落がある。今の時代にここで暮らしている人たちは、かつて繁栄したラクパトの時代から住んでいる子孫なのか、それとも衰退後に外から移住してきた人たちなのかはわからない。

グルドワラー
グルドワラー内部

ラクパトを囲む7kmに及ぶ要塞のような外壁と外に通じるこれまた巨大な門構えから、港湾都市として、この地域の交易の中心のひとつとして栄えた過去を思わせるに充分以上の貫禄がある。

スーフィーの聖者の墓
スーフィー聖者の祝福により様々な色に変わったとの伝承がある池

今では小さな村にわずかな住民たちが暮らしているだけだが、精緻な飾りが施されたモスクやスーフィーの聖人の墓やダルガーの存在から、ここに集積された富は相当なものであったはず。外壁に囲まれた内側だけではなく、外側にも人々の家や耕作地などが広がっていたことだろう。聖者の墓の前には小さな池があるが、その聖者の祝福により、池は様々な色に変わったという伝承があるとのこと。

こちらもイスラームの聖者を祀るダルガー

周期的にやってくるカッチ地方の巨大地震のひとつ、1819年に起きたそれは、ここを流れていたインダス河支流のコースを変えたことから、港湾都市としての機能を削いでしまうこととなり、急速に衰退へと向かう。えて当時、この地域の他の港町の台頭がそれに追い討ちをかけたという面もあるかと思う。

ラクパトの周囲を取り囲む城壁内部
Rann of KutchのKori Creekに面している。

城壁に上ると海水と淡水が混じる広大な湿原が見える。Rann of Kutchの中のKori Creekと呼ばれる部分である。はるか彼方は見えないが、パーキスターンなのである。印パ間の係争地帯でもあるKori Creekの無人地帯が緩衝地帯として機能しているのだろう。

ラクパトからは一路ブジへ。ラクパトへのパーミットはブジの町の警察署で取得したものの、行きも帰りもそれを提示するように求められることはなかった。しかしながらもし検問で引っかかったら困るので、やはり必ず取得すべきである。今回、私はクルマをチャーターしてナラヤン・サローワル、コーテーシュワル、ラクパトを訪れた。公共バスで行くと、本数と出発時間等の関係により、ナラヤン・サローワルとラクパトでそれぞれ一泊することになってしまう。

辺境にあたる地域とはいえ、今日通った道路は非常によかった。軍用の目的もあるのかもしれないし、ここが先進州であることの証かもしれない。

道路状況は良好

〈完〉