Markha Valley Trek The Day 5

ハンカルの村のホームステイ先からカンヤツェ(中央の雪山)の眺め

昼食用の弁当を準備してくれるホームステイ先の女性たち

ホームステイ先を出発



午前6時起床。昨夜の雨はすっかり上がった。天気はいまひとつとはいえ、雨ではないのは幸いだ。7時半にハンカルの村を出発して、川沿いを歩いて次第に高度を上げていく。足元に生えている背の低い高山植物を眺めつつ、時にかなり急な勾配があったり、少々緩やかになったりする。マールカー村以降は基本的に登り基調なので、どんどん気温が低くなっていく。



キャンプを撤収する人たち















ホームステイ先を出たときにはカンヤツェを仰ぐことができたのだが。それでも谷間の眺めは素晴らしい。これで晴れていたならば、もっと素晴らしい眺めとなるのだろう。
ニマリンのキャンプサイトに到着

この日宿泊のテント






正午前にはニマリンのキャンピングサイトに到着。海抜4,800メートル。私にとって、これまでで最も高地での宿泊となる。テントと寝具は用意されているので、身ひとつで泊まることができる。ここには村はないため、ホームステイできる家はない。キャンピングサイトを運営するのは毎年違う村の人たちが輪番で行なっているとのことで、今年はハンカルの村の住民であるとのこと。

本日の宿泊先はここしかないため、早めに着いてテントを確保する必要があったのだが、途中の集落にあった茶屋で、ガイドのタシ君が彼のポケットマネーで買ったコーラのペットボトルを他のグループの女性ガイドに渡して何事か頼んでいる。

先に着いたらテントを確保しておいてね、と頼んだとのこと。翌日、コンマル・ラから下ってからのレーへのクルマに乗ったときもそうだが、タシは運転手と彼と一緒に来ていた娘らしい女の子にファンタを買って渡していた。何かとホームステイ先の子供に小さなお菓子を渡したりしてもいたが、マメな性格なのか、それともラダック人が全般的にそうなのかはよくわからない。

女性ガイドといえば、ユルツェのような宿泊客の多い家でのホームステイの際には、男性ガイドもいろいろと家の人たちの手伝いをしていたが、女性ガイドや女性ポーターはなおさらのこと、マメにいろいろと手伝いをしている。明るくて溌剌とした性格、大きな荷物を背負って、臆することなく川の急流をジャブジャブと渡っていく行動力と合わせて、お嫁さんにしたいと思う男性は多いのではないだろうか。私がまだ20代かつ未婚であったならば、きっとそう考えることだろう。

ガイドとしては、女性であるがゆえに月経という、避けては通ることのできない不利な面もある。昨夜のハンカルで同宿であったキューバ人とイタリア人のカップルのガイドは、そのために道中苦しんでいたそうだ。

午後1時から2時までテント内で昼寝。ぽかぽかと暖かくて気持ちが良かった。
午後2時過ぎからは、ガイドのタシ君とカンヤツェベースキャンプに行く。斜面を上る途中で雨が降り出したのだが、途中から雪となった。しばらく登ったあたりでは残雪もある。ニマリンから1時間強くらいは上っただろうか。ここだけのことではないが、場所によって足元が泥であったり、岩石の板状のものがゴロゴロしているガレ場だったりする。

斜面を登るとしばらく勾配が緩やかになったと思ったら、再び急坂になってくる。そんな状態で幾度も緩急を繰り返す斜面を登っていく。最初は遠くに見えていた、本日のキャンプ地がその段のためにやがて見えなくなってきた。




カンヤツェの氷河下端。山そのものの姿は雲で覆われて見えない。


カンヤツェを正面に見る下り斜面までやってきた。標高5,000メートルはあるため、息が切れる。ここにはかなり残雪があり、曇り空から降ってくるのは相変わらず雪だ。周囲の高山の上半分にも雲がかかっているので、同じように降雪が続いているのだろう。カンヤツェも下半分のみが見える。谷間を挟んだ正面には氷河の先端。


ベースキャンプといっても、現在これからアタックする準備をしている登山隊はないので、特にここには何もないし、誰もいない。それにしてもタシは普通に歩いているように見えても実はかなり速い。ラダック人全般に言えることだが、山道でゆっくり歩いているように見えても無駄のない歩き方?のためか、実際にはかなり速いので、ついていくのは容易ではなかったりする。とりわけ下りが速いようだ。同じようなことをかなり昔にボリビアでも感じたことがある。上るスピードはついていくことができても、下るときの速さは山の民ならではのものなのだろうか。

これまで村のホームステイだったり、キャンピングサイトに宿泊していたりした人たちは私たちと同じルート上を来ているため、しばしば追い越されたり、追い越したりといったときに顔合わせて話をするようになっている。こうした人々が本日は一堂に集まることになるため、賑やかに会話するようになる。食事のときにはトレッキングルート途中の茶屋に使われているような大テント内のテーブルに料理の大鍋が置かれてセルフサービス。マールカーのトレッキング最終日を目前にして、これまで同じルートを歩いてきた人たちとお別れパーティーみたいな具合だ。楽しさのあまり、うっかり失念していて、その際の写真を撮っていないことに後になってから気が付いた。

たまたま、ここにやってくるまで顔を合わせることがなかった人たちもいた。ベンガル人の3人連れで、国鉄マン、ソフトウェアエンジニア、民間の会社員の男性たち。彼らは写真仲間で、コールカーターで展覧会を開いたり、年に数回、こうした形で撮影旅行をしたりしているとのこと。撮影対象は自然であったり、祭りであったりと様々らしい。趣味でお金にはならないことに対して情熱を燃やし、費用手間をかけることを惜しまないのは、文化を愛好するベンガル人らしい。

夜は激しい雨となった。強い雨により、ひとつテントが浸水のためダメになったとのことで、午後9時頃からカヤーの村出身のガイドがひとり、私たちのテントにやってきた。この人はフランスの学生団体の案内をしている。元々は、学生時代にパートタイムでガイドをしていたとのことだが、現在では専業でやっているとのこと。オフシーズンの冬には、スノーレパードを観に行く人たちがいて、私たちが初日に通過したルムバクに行くことがあるとのこと。

テントを打つ雨音、テントが風でばたばたとはためく音などが煩くてなかなか寝られない。時計を見ると、12時、1時、2時、3時・・・。
ときおり雨が止んだと思うと、ロバがうるさく鳴き始める。雨をしのぐ屋根もなく、まるで寒さに耐えきれずに泣いているかのように思えたりして不憫である。翌朝起きてロバを見てみると、やはり寒いのには違いないのだろう。身体が震えていて気の毒になる。

夜中、トイレに行きたくなるが、雨は激しいし風も強い。しかもトイレはラダック式トイレのアウトドア版。この天候ではびしょびしょでもあり、想像するのもおぞましい場所である。ゆえに翌朝まで我慢することにした。ゆえになおさらのこと眠れない。
それに川の状態も心配である。歩いて渡れるのだろうか、と。

〈続く〉

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