ソーンマールグ2

ずいぶん早く出たのだが、まだ誰もいない時間帯に歩き回ることができ、テントで商っている人たちもまだ寝ている頃だった。早起きして出てきた甲斐があったというものだ。

しばらく歩きまわってから、スタートした地点に戻った頃、いくつものテントの食堂が店開きを始めていた。その中のひとつで、メギーのヌードルを注文。商っているのは、周辺地域の村々から来ている人たち。シーズン中はずっと滞在しているそうで、4月から9月あるいは10月まではこうしているとのこと。

彼らは、1年のうち半年ほどは、店となっているテントで寝泊まり。大変なことではあるのだが、やはり現金収入のために仕方ないのだろう。村で留守番をしている家族たちは、畑仕事にいそしんでいるとのこと。

氷河を後にして、来た道をクルマで下り始める。道路脇にはところどころ雪渓が残っている。真冬にはどんな景色になっていることだろうか。

本日同行したスウェーデン人のジャコーは、外国旅行といえば、いつもバードウォッチングが目的とのこと。川沿いに走る道路、途中で幾度か停車してはバードウォッチングを楽しむ。私にはヒバリの声にしか聞こえないようなものでも、彼には特定の鳥の姿が目に浮かぶのだという。冬はケララにいて夏になるとカシミールに移動する渡り鳥やカシミール地方のみに生息して世界中のどこにもいない珍しい鳥も少なくないとのこと。

少し大きな集落のあたりで、クルマを待たせてしばらく散策する。

集落を過ぎると土砂崩れの跡のようなものが見えるが、これは雪渓であった。

土砂崩れの跡かと思ったが、実は雪渓だった。

谷間の向こうに見える斜面を上ってみた。

その脇を進んでいくと小さな川の流れがある谷間に出る。そこから進んでいくと斜面があるのだが、なかなか急であった。斜面にへばりついて土地の中から出た岩をつかんで足元にあまり体重をかけないようにして、ともすれば崩れ落ちてしまう足元にひやひやしながら進んでいく。私の靴はタウンシューズなのでこれはちょっと無理だと観念して途中で引き返すことにした。靴が靴だけに、滑落しそうで怖い。

ジャコーはそのまま進んでいくのだが、やはり途中で観念したようで、私が集落まであと少しのところまで降りたあたりで振り返ると、ちょうど彼が下ってくる姿が遠目に見える。
上から降りてくると、土砂崩れに見えたものの正体がわかった。土砂崩れではなく雪渓である。表面が泥だらけになっているのだが実は雪。川の上に覆い被さっているため、冬季には相当の積雪があることがわかる。

雪渓のところどころから崩落しており、その下に川の流れが見える。
登るときにその上で何か作業している女性と子供たちがあり、ちょうど私たちが通るところで休憩していたので尋ねてみると、薪に使う木を採取しているとのこと。流されてきた木の破片や枝である。こうしたものを収集している人たちは山の斜面でもあったし、集めて頭上に載せて運ぶ人たちの姿もあった。

奇妙なのは、なかなか力仕事だと思うが、これは女性の仕事であるようで、こうした作業をしている人たちはどこでも全員女性たちばかりであった。

ここで見かけた女性は二十歳とのこと。子供は五歳。姉と弟かもしれないし、母親と息子なのかもしれないが、それは聞きそびれた。

私たちはクルマに戻り、あとは一路スリナガルへ戻る。

風光明媚なカシミール

ソーンマールグ1

前日の夕方に宿で会ったスウェーデン人のジャコーがソーンマールグ(ローマ字ではSonamargと書く。日本語のガイドブックでは「ソナマルグ」と表記している)に日帰りするとのことで合流させてもらう。ソーンマールグはシュリーナガルからカールギルに向かう途中にあるが、付近にはタージーワース氷河の先端があることで知られている。

出発は朝4時過ぎ。なかなか大変な時間帯だが、これがよかったことが後でわかることになる。夜明けのずいぶん前に彼が予約していたクルマがやってきた。運転手はバシールという若い男性だが、運手は丁寧なのがいい。

途中通過した集落のあたりである程度明るくなってきた。川沿いの静かで美しい村だ。早起きしたので、早起きといっても普通はないような時間に起きたので、まだ眠い。宿を出るときからフリースの上着とライトダウンを着ているがそれでも寒い。

ソーンマールグに行く途中の村で小休止
ソーンマールグに行く途中の村で小休止

タージーワース氷河入口に到着。クルマ止めのすぐ先には雪解け水が勢い良く流れる川がある。このあたりにはテントの食堂もいくつかあるが、私たちが着いた朝6時半頃は、まだどれも閉まっていた。

しばらく谷間を登っていくのだが、雪はカチカチに凍っているためツルツルよく滑るので怖い。トレッキングシューズであれば楽勝だろうが、せめてアウトドアシューズで来れば良かった。

スウェーデン人のジャコーは山道でバードウォッチンクするために、グリップの良い靴に履き替えている。彼の関心は氷河ではなくて鳥なので、上のほうに少し生えている木のところに鳥を探しに行くとのことで、午前9時頃にクルマのところで待ち合わせということでしばらく別れる。

そこから一気に奥のほうまで行こうと思ったが途中の雪解け水の流れを越えられるところがなかなかないこと、一度戻ってから反対側に出ると時間がかかってしまう。行けるところまでは行ってみたが、果たしてどこからが氷河なのかはよくわからないので、もうすでにここは氷河であるという理解にしておこう。

いかにも氷河地帯らしく、U字谷になっているのだが、とりわけ氷河上流に向かって右手の雪山の眺めが素晴らしい。

ラダックに比較すると、ずいぶん高度が低いところに雪山があるということになるが、ラダックの場合は乾燥地帯であるがゆえに、そういうことになるのだろう。

ところどころ雪がなくなって地面が見えているところではうっかり足を置くと、凍結しているので滑って危険だ。かえって氷の塊になっているところのほうがまだ表面が崩れやすい部分もあるので多少グリップしてくれる。

雪解け水の流れは細いのだが、下るにつれてどんどん水量が増えていく。これが下界の大河の水源となっているのだ。

〈続く〉

シュリーナガルの官営シルク工場

2014年9月の洪水
2014年9月の洪水
2014年9月の洪水

シュリーナガル周辺の緑と農産物豊かな盆地は、ジェラム河の賜物だ。しかし、2014年9月、まさにこのジェラム河の氾濫による発生した大規模な洪水は、大きなニュースになったので、記憶されている方は多いだろう。街中を歩いている分には、当時のダメージを感じさせるものが目に付くことはないとはいえ、人々に尋ねてみると、やはり自宅や店が浸水してしまい、「それはもう大変だった!」という話はよく耳にした。建物を指差して、「壁の色があそこから色が少し違うでしょ?あのラインまで浸水したのです。」というようなことも聞いた。

もとより可処分所得の多くないこの州だけに、当時の被害による負債が後を引いているという人たちは少なくないことだろう。また、短期滞在者として、外面だけ眺めている分には気が付くことはなくても、人々の暮らしの中に入っていく機会があれば、そうした影響はまだまだ顕著に残っているに違いない。

そんなことを思ったのは、シュリーナガル市内にある州政府系の絹織物工場を訪れたときのこと。シルク専門の工場としては規模が大きく、かつては「世界最大級の絹織物工場」とされた頃もあったそうだ。戦前、すなわちインド独立前の藩王国時代に藩営工場として創業開始。インド共和国成立後の経営は、州政府に引き継がれた。

正面の建物がシルク織物工場
シルク織物工場の壁にも当時の浸水の跡が見られる。

その工場について、先述の洪水の約半年前に書かれたこんな記事がある。

Once largest in world, Rajbagh Silk Factory ‘dying’ of official apathy (Greater Kashmir)

歴史的な工場だが、近年は生産性がはなはだ落ち込み、好ましくない状態にあったらしいが、そこに追い討ちをかけるように、2014年の洪水でひどいダメージが与えられたとのことだ。工場内には30前後のラインがあるのだが、動作していたのはわずか三つのみ。それ以外は泥を被ったままであるのが痛々しい。

敷地内には、私が見学させてもらった棟以外にも、いくつかの施設があり、絹織物工場としては相当大きなものであったことは容易に察しがつくだけに、なんとももったいない話である。

シュリーナガルの水上マーケット

午前5時あたりになると、外が次第に明るくなってきたので宿から外出してダル湖へ。すでにシカラの漕ぎ手たちは客待ちをしている。

彼らは、先端がハートのような形になっている木製のオール一本で漕ぐのだが、思いのほかスピード感があるのは静止した水の上を進むからだろう。屋根がついていて、座席も広いのでとても快適だ。漕ぎ手なしで一日借り切って、シカラ上でのんびり過ごせたらいいだろうな、などと想像してしまう。鏡のように静まり返った湖面に浮かぶハウスボートを横目に見ながら、細い水路へと入っていく。













時おり行き交う舟があり、それらに野菜を満載していたり、漕ぎ手が魚を捕っていたりする。水路には雑貨屋があったりするが、こういうところでは舟で来る人だけが買い物をするのだろう。よくわからないのは、ハンディクラフトや衣類の店のボートもあったりすることだ。こういうところにはシカラで連れて来られる観光客や付近のハウスボートに泊まっている客が差し向けられるくらいのものだろう。



湖に浮かぶ野菜畑。潅漑の必要がなく、養分を含んだ水分が湖から直接吸い上げられるので、作物の成育には良いことだろう。こうしたエリアは限られているようだが、水郷といった雰囲気がある。スリナガルはこうした湖と市内を流れるジェラム河の賜物だ。

やがて水上マーケットに到着。観光局のパンフレットには、「バンコクの水上マーケットに次ぐ規模」と書かれているのだが、そういう具合では全くなかった。何しろ、ここで商う舟は、ごく数えるほどしかない。宿のマネージャーが「2014年の洪水後はとても小さくなっているのでガッカリするよ」と言っていたが、まさにそのとおりであった。




それでも、早朝の静かな時間帯に、こうして湖面をゆったりと進んでいくのは大変心地よかった。

窓の外のふんわりした景色を眺めながら、お茶やコーヒーでも楽しむのには、なかなかムードがあって良かったりする。普段の鮮やかな色彩が霧に包み隠されたモノクロームな風景。モワモワした中から、人影や自転車などがジワッと現れてはスッと消えていく様子は幻想的でさえある。

だが、そんな中で、土地の人たちはのんびり休んでいるわけではなく、慌ただしく仕事に出かけなければならなかったり、運転して移動しなくてはならなかったりする。
路上の往来といえば、大きな音を立てて走る馬車以外は、私たちが徒歩で進むのと同じ程度のヒューマンなペースであったころには、霧によって視界が遮られることについて、それほど大きな問題はなかったことだろう。

だが、今の時代は話が違う。霧の中から突然、自家用車やトラックが飛び出してきては、アッという間に姿を消していく。ごく手近にあるものさえも強いソフトフォーカスがかかり、5m先も見えないような日の路上は危険極まりない。外出している限りは、霧が晴れるまでの間、命に関わる一大事がずっと続くことになる。

濃い霧により、運転者たちは普段よりもかなり速度を抑えているとはいえ、道路では事故が多発する。鉄道のダイヤは乱れ、とりわけ長距離をカバーする列車は、遅れを蓄積しながらノロノロと進んでいく。視界不良から空の便も遅延や欠航が相次ぐ。同じ機体が便名と発着地を変えて全国を飛び回っているので、霧の出る北インド地域外にも、その影響が及んだりする。

この冬は暖冬とのことで、霧の出る日が例外的に少ないという。こういう天候であることが本当にその地域の環境として良いのか、そうではないのかはよくわからない。だが、旅行している身にとっては、交通の大きな乱れがないことはありがたい。同様にここで暮らす人々にとっても、あまりひどい寒さを感じることなく、霧で不便かつ危険な思いをすることが少ない冬というのは、そう悪いことではないだろう。