精神文化

こちらは宿の部屋のテーブル。テーブルの脚が壊れたところで、いちいちお金と手間暇かけて直す必要はない。部屋の隅、角の部分に当てて使えばよいのだ。

あるものをあるがままの状態で工夫して使う、必要な範囲でなんとかしてやり過ごすという「ジュガール」な精神性はよく言われるところだが、完璧を求めない70点主義という部分も、私たち日本人は大いに手本とすべきだろう。

インドの精神文化とはかならずしも深遠かつ高尚なものとは限らず、「テキトーにやり過ごす」という面でも如何なく発揮されるものだ。

そこには「こんなことは生きていく中において大したことではない」という悟りもあるわけで、些細なことにこだわる理由など、本来はどこにもないのである。

行く手に野犬

ご覧のとおり、こちらは昼間のヤギの写真だが、もしこれが夜間で行く手に4頭くらいの野犬と思しきグループがいるとかなり緊張感がある。これがヤギだとわかったときには安堵するものだ。

ヤギはもちろん牛や水牛だって通行人に頓着しないものだが、犬だけはその限りではない。その犬にしてみたところで、通りかかるのがヤギ、牛、水牛であれば、普通は騒ぎ立てたりしないのに、相手が人間だと騒ぎ立てるのが腹立たしい。しかも土地に不慣れなヨソ者と見ると、カサにかかってワァワァと大騒ぎし、その声を耳にしてさらに他の犬たちの加勢がやってくる。野犬というのはホント厄介な存在だ。

ビエンナーレ

コーチンに来た目的は12月から3月までという長丁場で開催されるビエンナーレ(Kochi-Muziris Biennale)。フォートコーチンの東側海岸沿いに連なる歴史的な建物で展示等が行われ、インド内外様々なアーティストたちが参加している。

絵その他の創作物には、中庭の樹木を利用してのものや来場者たちが演奏できる楽器のような作品、映像や写真など多岐にわたる。かなり遠くから来ていると思われる家族連れやカップル等も多い。こういうビエンナーレが開催されるコーチンは、なんと文化的な街なのだろうか。

こうしたアートの展示を見学するためにどこかへ旅行する、というのは私の行動パターンにはなかったのだが、アーティストの友人からこの催しのことを聞いて、普段はしないことを目的に出かけてみようと思った次第。

インドを含めた世界の様々なアーティストの作品を直に観ることができて、とても新鮮な喜びであるとともに、歴史的な建物でこれが開催されるという器の部分もたいへん良かった。

さらには私たちが普段思い描くようなアートだけでなく、シリアからレバノンに逃れて作物の開発を行う団体での仕事に従事する難民の人たち、インドのナガランドの人々の暮らしを追った作品など、短編の社会派ドキュメンタリー作品も上映されているのもまた気に入った。

主に写真と文章(及び短い動画クリップ)になるが、インドの部族地域でのマオイストへの取材で描き起こした彼らの思想、それとは裏腹に屈託のない若者たちらしい日常(多くはマオイスト影響地域で「徴兵された」若年層)も描かれているなど、見応えがあった。

アートといっても扱う幅が広かったことも、私の興味関心と重なる部分が多くて良かったと思う。

偏西風

DICE+にお試し加入。「ガザの美容室」と「ラッカは静かに虐殺されていく」を観たかったため。無料期間の2週間のみ利用する予定。入会金はなく、月額費用だけなので、今後も興味を引かれる作品があれば、ひと月だけ入るかもしれない。

「ガザの美容室」は、パレスチナ人との結婚によりガザに移住し、アラビア語に堪能なロシア人女性が経営する店とそこに集う女性顧客たちの間でストーリーが展開していく。始めから終わりまで、店内(及び店の前の道路)のみで完結する話なのだが、店内で繰り広げられる女性たちの確執と外で始まる戦闘がシンクロしていき、緊張感とスピード感に溢れる力作。

キリスト教徒の店主、店内の10人の顧客たちのひとり、敬虔な女性を除けば、誰もヒジャーブを着用せずタンクトップやブラウスなどラフな洋装の女性のみの空間。ただ画面の姿のみ眺めていると、スペインやポルトガルなど、南欧のひとコマのようにも見える。パレスチナを含むレバント地方はかつてローマ帝国の領域。後にアラブ世界に飲み込まれたとはいえ、DNA的には南ヨーロッパとあまり変わらないため、造作の似た人たちがいるのは当然のこと。人種よりも文化や言語が世界を区分するのである。

「ラッカは静かに虐殺されていく」は、ISISの「イスラーム国」首都となってしまった故郷ラッカで抑圧される同胞を救おうと国外で反ISIS活動を進めるジャーナリストたちのグループを題材にした作品。重たいテーマだが、事実をベースにしているだけに大変見応えのある作品であった。

両方ともアラビア語による作品だが、mumkin(可能)、umr(年齢)、qabzaa(占有)、maut(死)、mushkil(困難)、bilkul(まったくもって)、galat(過ち)、kharaab(悪い)、jawaab(返事)、tasveer(写真)、hamla(攻撃)、aazaadee(自由)、khauf(恐怖)、qatl(殺人)、yaani(つまるところ)等々、ごく日常的な馴染み深い語彙がたくさん出てくる。ヒンディー語にはアラビア語から入った語が多いからだ。

これがアラビア語ではなく、アフガニスタンを舞台裏にしたダリー語(ペルシャ語)映画だったりすると、ペルシャ語起源のヒンディー語彙もまた膨大なのので、耳で音を追いながら字幕を見ていると、インドにおける西方からの影響はいかに巨大かつ圧倒的なものであったかをヒシヒシと感じる。

もちろん言葉だけではなく、ヒーナー(日本語ではよく「ヘンナ」と表記される)、パルダー(男女隔離)、履物を手にして相手を叩く(最大級の侮辱表現)等々の日常的な習慣などにもごく当たり前に西方から入ったものが生きており、それは食事や建築手法などでも同様。

またアラビア語ではなく、ペルシャ式の表現として、インドのニュースで凶悪犯に対する「Saza-e- Maut(死刑)」判決の報道、道を歩けばダーバーやレストランの名前で「Sher-e-Punjb」をよく目にする。

パキスタンからの越境テロが起きると、その背後に「Jaish-e-Mohammad」や「Lashkar-e-Toiba」といった原理主義武装組織の名前が挙がる。ペルシャ語式に接尾辞「e」を所有決定子として前後の語を繋ぐことは日常ないのだが、「e」で繋いだひとまとまりの語が外来語として用いられているのだろう。

中東方面の映画やドキュメンタリーなどを見ると、様々なものを西から東へと運んだ「偏西風」のようなものを強く感じる。

DICE+