インドでは留学生を含めたブータン人はたくさんいて身近なため、インド人がブータンやブータン人にファンタジーな幻想をいだくことはないようだが、「幸せの国」などといったブータン政府による官製プロパガンダが浸透している日本では、いろいろと誤解(良い方向に)されているようだ。
ブータンからの留学生が増えてきていることから、彼らと接触する機会も増えてくるはずだが、人数が急伸していくとともに、それにつれて超過滞在その他のトラブルの事例も増えていくのは不可避。やはり彼らも高額な借金を抱えて来日するため、ベトナムなど他国からやってくる学生たちの中に見られるような問題とは無縁ではいられないだろう。
良い関係を築けるよう期待したいが、現実はそればかりでもないように予想している
カテゴリー: greater india
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「幸せの国」から来日した留学生たち
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「幸せの国」から流出する難民
「幸せの国」とかいう官製プロパガンダや「世界初の禁煙国」とかなんとか、健康的なイメージで語られることが多いブータンだが、難民流出、麻薬の蔓延などなどいろいろ問題は多い。国内の少数民族への抑圧はかなり知られている割には、割と知らんぷりを決め込むメディアは少なくない。
この少数民族への圧迫だが、同じくヒマラヤの王国であったスィッキム王国の失策から学んだようだ。国内の近代化を推し進める中で、労働力不足からネパール系住民を大量に受け入れた。
その結果として、主要民族であったはずのブーティヤー族がマイノリティに転落。ネパール系住民による権利要求運動が高まり、国内は不安定化。王族は待遇の保証の条件と引き換えに自国をインドに併合。つまり国を売ってインドの庇護のもとに入った。このいきさつを中国は認めないためスィッキムをインド領と認めていない。
地理的にごくごく近い小王国であること、ブーティヤー族とブータン人は民族・文化的にもごく近いこともあり、決して対岸の火事ではなかったわけだ。同様に王国ではなくなったネパールについても大いに参考にしながら国家運営をしているようだ。
ヒマラヤの多民族居住環境で、民族衣装ゴ(男性)やキラ(女性)を日常的に着用したり、やたらと伝統的なものがフィーチャーされる国粋主義的な姿勢は、この国の防御的なスタンスを象徴するもので、そこにはこうした伝統を共有しないマイノリティへの高圧的な姿勢があることを忘れてはいけない。
・・・とはいえ、ヒマラヤ地域で特別な存在感、貴重な文化遺産や豊かな生活文化に満ちた国であり、大変興味深い地域であることは変わらない。ただ「私たちが忘れてしまったものがある」とか、GNHが高いとかいう、変な取り上げかたはやめて欲しいものだ。
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ロヒンギャー料理
下記リンク先動画はロヒンギャー料理を映したもの。
元々はベンガルの民で、移住・定着したのがアラカン地方を中心とする主にミャンマー南西部。出自といい居住地域といい、料理が美味しくないはずがない。
難民化して日々の糧にも困窮している人たちが多い現状だが、そうした人たちがこういう素敵な料理を安心して腹いっぱい食べられる日が、遠からずやって来ることを祈らずにはいられない。 -
難民の立場も背景次第
チベット、ブータン、アフガニスタン、スリランカなど、政治的に問題を抱える国々(「幸福の国」と自称するブータンもそのひとつ。決して少なからぬ数の難民を国外に流出させている)から難民を受け入れているインドだが、同じ難民の立場でも背景により扱いはずいぶん異なる。
中国によるチベット占領以来、現在に至るまでインドへ流入が続くチベットからの難民は、それなりの地位を保証され、ダラムサラには亡命政府まで存在している。
またデリーを中心とする「アフガン人コミュニティ」では、アフガニスタンの中流層以上から流出した人たちが多いため、彼らは活発な商業活動を展開している。1996年にカーブルを陥落させたターリバーン勢力に処刑されたムハンマド・ナジーブッラーの家族も当時デリーに避難しており、この出来事の一部始終をそこで知ることとなったように、アフガニスタンの富裕層にとって、インドは手近な訪問先であり、有事の際の避難先である。
新参者のロヒンギャーについては、現在インドの中央政府がムスリムに対して冷淡なBJPということ、それを背景にしてこれまたムスリムの難民に対して関心の薄いものとなっている国内世論も非常に不利に作用している。
ロヒンギャーは、先祖がミャンマー移住する前はインドの一部を成すベンガル地方の民。同じインド系の人々で文化背景も大変繋がりの深い人たちであるのは何とも皮肉なことである。
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ミャンマー査証免除
2018年10月1日から日本及び韓国の国籍所持者に対して、ミャンマーへの観光目的で渡航する際の査証が免除となった。これにより30日以内の滞在が可能となる。入国地点は、ヤンゴン国際空港、マンダレー国際空港、ネーピードー国際空港、タイとの陸路国境のタチレク、ミャワディー、コータウン、ティーキー、そして入国地点として利用する機会はあまりないかもしれないがヤンゴン港でもこの措置を利用できる。
1年間の期限付きとなっているが、特に問題が生じない限りは、往々にしてさらに延長されるものだ。私たちとしてもこの措置を歓迎したい。 -

朝食と喫茶
アングロインディアンな朝食は、亜大陸どこに行っても普遍的で、それこそペーシャーワルだろうが、ダッカだろうが、デリーで食べるものと大差ない。
おまけに英領下ではなかった(とはいえ深い縁を持つこととなった)ネパールでも普通にあるし、まだ訪れたことはないがブータンでも同様だろう。加えて、英国が短期間ではあったが影響下に収めたアフガニスタンでもごく普通にブリティッシュな朝食はあるのだろう。少なくとも街なかでは。
それにしても朝食アイテムばかりが、やけに広く普及して現地化するというのは面白いが、喫茶の習慣とセットで捉えるべきかもしれない。立場、地位の異なる人が会食する習慣のなかったインドで、チャーイを入れる店先で様々な人々が集い、議論が生まれた。
英領末期のカルカッタでは、当時まだ珍しかったカフェで、紅茶カップを片手に人々が社会を語り、それはインド独立への大きなうねりを後押しするとともに、そうしたインテリ層の中からは後に貧農たちと手を携えて闘おうという左翼革命思想も台頭し、その流れのひとつがナクサライト(マオイスト)勢力となった。
喫茶の習慣は、階層間の対話と議論の場を提供し、インドを大きく変えた・・・と言っても大げさではないだろう。
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Son Beel
ソンビール。アジアで2番目に大きな湿地帯とのことだが、ごく浅い湖らしい。
しかし、季節によっても広さ、深さはまったく違うのだという。アジアでも最多雨な地帯のひとつ、アッサム州にあるだけのことはある。
渡り鳥がやってくる季節など、バードウォッチングにも良さそうだ。 -
PUMA COPA TOREROS 2018
3月30日から4/1にかけて、静岡県御殿場市にてPUMA COPA TOREROS 2018のU-12の大会が開催される。海外の強豪クラブやJリーグのジュニアのチームが多数参加するが、2016年から3年連続でネパールのU12代表がエントリーしている。
3月28日に東京都内で地元サッカーチームとの練習試合を実施する予定であったが、飛行機の関係で来日が遅れ、この日の午後に到着のため中止となっている。大会前に調整できるのは開幕前日の3月29日のみとなってしまったが、ネパールから遠路はるばるやってきたサッカー少年たちの健闘を祈りたい。 -
第19回カレーフェスティバル&バングラデシュ ボイシャキ メラ
2018年4月15日(日)に東京の池袋西口公園で、ジャパンバングラデシュソサエテイによる「カレーフェスティバル&バングラデシュ ボイシャキ メラ」が開催される。今年でもう19回目となるだけあり、この時期の池袋の風物詩としてすっかり定着している。
このイベントに出入りする人たちの半分くらいは在日のバングラデシュの人たちで、関東一円はもとより、東北や関西など遠くから同胞の集まりにやってくる人たちも少なくない。そんな具合なので、当日の開催時間だけ、池袋西口がさながら「リトルダッカ」といった様相になる。
回を重ねるごとに、参加しているバングラデシュの人々の中に年配者の姿も増えてきている。これはバブルの頃に来日して定着した人たちの中で、そういう年齢を迎えた人もあれば、両親等を呼び寄せたといった要因もあるのだろう。
また、日本生まれの元気な子供たちの姿も少なくないのだが、昔はあまり見かけなかった在日のベンガル系中学生、高校生くらいの少年少女たちの姿も多くなった。やがて在日三世の姿も見られるようになるのだろう。
かつては20代から30代くらいの男性が大半であった在日バングラデシュ人の人口構成が、年齢層、性別ともに幅が広がっていることを垣間見ることができる。
今でも日本人女性と結婚するバングラデシュ男性は少なくないが、近年では故郷で親族が取り決めたお嫁さんを呼び寄せるケースが少なくないようで、日本における生活に安定した基盤がある人が多いことがその背景にありそうだ。
また、インドと同様に、日本で働くバングラデシュ人の中には理系人材がかなり多いのだが、多くのインド人と異なるのは、日本の永住権、さらには国籍を取得する人たちが少なくないことだ。
「ベンガル系日本人」という新たなアイデンティティを持った子供たちも、続々とこの世に生を受けているわけで、今後が楽しみである。
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小さなトリプラ州が分割される可能性
もともと小さなトリプラ州がさらに分割されることになるかもしれない。
州外からのベンガル系移民の流入が続いた結果、「ほぼベンガル化」された同州から、ベンガル化の度合いが低い地域が分離しようという動きが中央政府レベルでも検討されることになるようだ。
北東州への浸透を図ろうとする中央政府与党BJPは、トリプラ州では現地で旧来の住民の利益を代表する分離支持側の政党と共闘関係にあるということが強く作用している。
そんなわけでトリプラのベンガル系ヒンドゥーの人たちからの不興を買うことは当然予測されてはいるようだ。
Home Minister has agreed to form panel to look into Tipraland demand: Debbarma (THE ECONOMIC TIMES)
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「OUR MOON HAS BLOOD CLOTS」という本
Hello Bastarの著者、Rahul Panditaによるカシミールを題材にした一冊。彼自身が、カシミーリー・パンディットの出自で、少年時代に家族とともにシュリーナガルからジャンムーへの脱出を余儀なくされている。
「民主主義インドによって蹂躙されたカシミール」にて、「踏みにじられたムスリム市民が蹂躙したパンディット」というパラドックスが展開していく。
「学者、識者」を意味する「パンディット」という言葉で通称される「カシミーリー・ブラーフマン」は、イスラーム勢力進出後のカシミールの長い歴史の中で、イスラーム教への改宗者が増えていく中、「マイノリティのヒンドゥー教徒」ながらも、高い知性と学識により、独立以前の歴代のカシミールの王朝時代に主に官職で重用されることにより繁栄」したコミュニティ。
時代的にも「抑圧」により流出したわけではないが、インド国民会議派を率いて、インドを独立に導き、初代首相となったジャワーハルラール・ネルーを生んだのは、まさにこの「カシミーリー・ブラーフマン」コミュニティであった。
独立インドのカシミール地方においては、とりわけ1980年代中盤以降は、イスラーム民兵、テロリスト等による襲撃が急増したことから、パンディット・コミュニティの中の大半が自国内で難民化した。
国民会議派率いるUPA政権時代の2008年から、カシミールから流出したパンディットたちの再定住化が試みられているが、あまり芳しい効果出ていないようだ。
Our Moon Has Blood Clots: The Exodus of the Kashmiri Pandits
By Rahul Pandita
ISBN-10: 8184000871
ISBN-13: 978-8184000870




