「フェリーチェ・ベアトの東洋」 東京都写真美術館にて

19世紀を代表する偉大な写真家、フェリーチェ・ベアトーの作品群が日本に上陸する。

アメリカのロサンゼルスにあるJ.Paul Getty Museumによるフェリーチェ・ベアトー(1832-1909)の作品の国際巡回展の一環として、日本では東京都目黒区の東京都写真美術館での公開である。

2年ほど前に、『時代の目撃者 ベアトー』と題して、写真家ベアトーについて取り上げてみた。今の残されている幕末の江戸の風景の秀作の中には、彼の手による作品が多いことは、日本でよく知られているが、1853年に勃発したクリミア戦争、そして1857年に始まるインドのセポイの反乱を撮影したことにより、戦争写真家の先駆けでもある。

当時の交通事情はもちろんのこと、その時代の写真機材自体が後世のものとは大きく異なるため、彼が撮影したのは戦闘行為が終了した直後であるとはいえ、戦火の爪痕生々しい北インド各地の様子や処刑される反乱兵の姿などを伝えるとともに、当時の街中の様子なども活写しており、貴重な歴史画像を私たちに残してくれている。

ベアトーの生涯を概観する日本発の回顧展という位置付けがなされており、アジアの東西で多くの風景を撮影した彼の青年期から晩年までの軌跡をたどることができる。写真芸術としての高い価値はもちろんのことながら、歴史的な重要性も極めて高い。

今から180年前に生まれ、103年前にこの世を去ったベアトーが後世に残してくれた風景の中にじっくりと浸ることができる稀有な機会だ。

会期は、3月6日から5月6日までの2か月間。

フェリーチェ・ベアトの東洋 (J・ポール・ゲティ美術館コレクション) 東京都写真美術館

※チェラプンジー2は後日掲載します。

モノクロームの遠い過去

今年の7月に『古い写真の記憶』と題して取り上げてみたOld Indian Photosは、主に19世紀から20世紀前半にかけてのインドの古い写真が紹介されている。かなり頻繁に更新されているようで、しばらく見ない間に新たなクラシック写真が沢山掲載されている。

過去のアップロード分が月別になっているだけではなく、年代別、地域別、関係別になっているので参照しやすい。例えばIndustryの項をクリックすると、19世紀末の大規模な工場の作業現場の写真を見ることができるし、Railwaysからは、インドの鉄道草創期から発展してゆく過程、事故の画像、駅の賑わいや乗客の人々の姿を垣間見ることができる。当時はまだインドの都市だったカラーチーダーカー、同じくインドの一地域であったビルマはもとより、ブータンネパール等の周辺国の画像もある。

各地の藩王国の貴人たち、市中の人々、農民や部族民など、各地の様々な人々の姿が出てくるが、それらの人々の装いを眺めているだけでも興味深い。繊維産業のマスプロダクション化が進む前の時代なので、衣類に地域性が極めて高く、まさに格好そのものがそれを着ている人となりを表していたことが看て取れるだろう。着ているものが新しいとかヨレヨレとかいう話ではなく、衣服の様式やデザインといった意匠についてであることは言うまでもないだろう。

もちろん今のインドでもそういう部分はあるのだが、多くの人々が洋服を着るようになり、『インドの衣装』そのものが大資本によりマスプロ化され、地場の町工場の製品もそれに追随しているため、地域色は限りなく薄くなっている。

エンジンの付いた乗り物、スピーカーで電気的に増幅した大きな音が存在しなかった時代、都会の街中でもさぞ静かであったのではなかろうか。モスクから流れるアザーンの呼びかけがスピーカーを通して流れるようになったのはどの年代からだろうか。大きな通りも往来に気を配ることなく悠々と横断できたことだろう。

写真に姿を残している人々の姿を手掛かりに、往時の街中の雑踏の様子に想像を巡らせるのもまた楽しい。

コシナのマイクロフォーサーズ用レンズ フォクトレンダー NOKTON 25mm F0.95

ボディとレンズのコンパクトさと軽さから、このところ一眼カメラはマイクロフォーサーズを愛用している。どこにでも常時携帯できる気軽さがいい。

だが物足りなく思うのはレンズのバリエーションの少なさである。キャノンやニコンのAPS-Cサイズの一眼レフであれば、様々なタイプのものが用意されているし、メーカー純正以外にもシグマ、タムロンその他のサードパーティーからも個性的なレンズが沢山出ている。

マイクロフォーサーズの場合、構造上フランジバックが短いため、マウントアダプタを介してクラシックレンズを楽しむ目的で購入するマニアも一部いるものの、主に初級者向けに販売されているという事情があるため、いたしかたない。ゆえに余計な物欲に振り回されずに済むということは言えるかもしれない。

そんな中でも大変気になるマニュアルフォーカスの単焦点レンズがある。

フォクトレンダー ノクトン25mm F0.95 (コシナ)

フォクトレンダー ノクトン25mm F0.95はマイクロフォーサーズマウント用のフルマニュアルレンズ

F.0.95という、人の眼を超えた明るさの驚異的なレンズである。開放側では被写界深度が紙のように薄いことだろう。現在市販されているレンズとしては、ライカのノクティルックスM F.0.95 / 50mm ASPHと並び最も明るい。

こんな個性的なアイテムが、没個性なマイクロフォーサーズのレンズ群の中にあるのは面白い。このレンズを使いたいがゆえにマイクロフォーサーズ機を購入した人もいることだろう。

このレンズについてのレビューと実写画像は以下のサイトをご参照願いたい。

コシナ「フォクトレンダーNOKTON 25mm F0.95」(デジカメwatch)

コシナ NOKTON 25mm F0.95 実写レポート (GANREF)

ファインダー越しに広がる味わい深い世界をぜひ体験したみたいものだ。

チェルノブイリは今

今年の9月に、チェルノブイリの現状を写真と文章で綴った本が出ている。

ゴーストタウン チェルノブイリを走る

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ゴーストタウン チェルノブイリを走る

http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0608-n/

集英社新書ノンフィクション

ISBN-10: 4087206084

エレナ・ウラジーミロヴナ・フィラトワ 著

池田紫 訳

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1986年に起きた原発事故から四半世紀が経過したチェルノブイリにガイガーカウンターを持ち込んで、バイクで駆ける写真家エレナ・ウラジーミロヴナ・フィラトワがチェルノブイリの現状を伝えるウェブサイトを日本語訳した書籍だ。

汚染地域に今も残る街や村。すでに暮らす人もなく朽ち果てていく建造物。家屋の中にはそこに暮らした家族の写真、子供たちの玩具が散乱しており、役場等にはソヴィエト時代のプロパガンダの跡が残っている。

ソヴィエト時代、原発事故が発生する前のチェルノブイリは、中央から離れた周辺地であったが、それでも整然とした街並みや広い道路、広大な団地、病院その他公共施設、遊園地、映画館といった娯楽施設等々の写真からは、社会主義時代に築かれたそれなりに豊かであった暮らしぶりがうかがえる。

人々の営みが消えてから久しい現地では、それとも裏腹に豊かな自然が蘇り、もう人間を恐れる必要がなくなった動物たちが闊歩している様子も記録されている。

一見、のどかにも見える風景の中で、著者はそうした街や集落など各地で放射線量を図り、今なおその地が人間が暮らすことのできない危険極まりない汚染地であることを冷静に示している。

これらの写真や文章は、著者自身のウェブサイトで閲覧することができる。

elenafilatova.com

チェルノブイリに関して、上記の書籍で取り上げられていないコンテンツとともに、スターリン時代の強制収容所跡、第二次大戦期の戦跡等に関する写真や記述等も含まれている。

私たちにとって、チェルノブイリ原発事故といえば、今からずいぶん遠い過去に、遠く離れた土地で起きた惨事として記憶していた。事故後しばらくは、放射能が飛散した欧州の一部での乳製品や食肉などへの影響についていろいろ言われていた時期はあったものの、自分たちに対する身近な脅威という感覚はほとんどなかったように思う。まさに『対岸の火事』といったところだったのだろう。

今年3月11日に発生した地震と津波、それによる福島第一原発の事故が起きてからは、原発そして放射能の危険が、突然我が身のこととして認識されるようになる。実は突然降って沸いた天災と片付けることのできない、それまでの日本の産業政策のツケによるものである。曲がりなりにも民主主義体制の日本にあって、私たち自らが選んだ政府が推進してきた原子力発電事業とそれに依存する私たちの日々が、いかに大きなリスクをはらむものであったかを思い知らされることとなった。

順調な経済成長を続けているインドや中国その他の国々で、逼迫する電力需要への対応、とりわけ先行き不透明な原油価格、CO2排出量への対策等から、今後ますます原子力発電への依存度が高まることは、日本の福島第一原発事故後も変わらないようである。もちろん各国ともにそれぞれの国内事情があるのだが。

原発事故後の日本では、食品や生活環境等様々な面で、暫定基準値を大幅に引き上げたうえで『基準値内なので安心』とする政府の元で、放射能汚染の実態が見えにくくなっている中で、今も収束にはほど遠く『現在進行形』の原発事故の危険性について、私たちは悪い意味で『慣れつつある』ように見えるのが怖い。

事故があった原発周辺地域の『風評被害』云々という言い方をよく耳にするが、実は風評などではなく実際に無視できないリスクを抱えているということについて、国民の目を塞ぎ、耳も塞いでしまおうとしている政府のやりかたについて、被災地支援の名の元に同調してしまっていいものなのだろうか。

これまで原子力発電を積極的に推進してきた日本の政策のツケが今になって回ってきているように、見て見ぬ振りをしていたり、『どうにもならぬ』と内心諦めてしまったりしている私たちのツケが、次の世代に押し付けられることのないように願いたい。

同様に、これから原子力発電への依存度を高めていこうとしている国々についても、将来もっと豊かな時代を迎えようかというところで、予期せぬ事故が発生して苦しむことにならないとも言えないだろう。今の時代に原発を推進していこうと旗を振っていた人たちは、そのころすでに第一線から退いているかもしれないし、この世にいないかもしれない。一体誰が責任を取るのか。

もっとも今回の原発事故で四苦八苦しており、原子力発電そのものを見直そうかという動きになっている日本だが、それでも他国への積極的な売り込みは続けており、すでに受注が内定しているベトナムでの事業に関するニュースも流れている。

チェルノブイリが残した反省、福島が私たちに突き付けている教訓が生かされる日は、果たしてやってくるのだろうか。

Mマウント専用機を手頃な価格で 『RICOH GXR + GXR MOUNT A12』 

ユニットを交換するという発想が面白い。まるで別のカメラになる。

本日取り上げてみるのは、リコーが2009年12月に発売したGXR。レンズ、イメージセンサー、画像処理エンジンを一体化したユニットを丸ごと差し替える『ユニット交換式』という風変わりなものだ。ユニットごとにセンサーのサイズがAPS-Cであったり、通常のコンパクトデジカメ並みに小さなものであったりする。一眼であれば、ボディを買い替えてもレンズは引き続き利用できる資産ということになるのだが、このユニットとは現行のGXR専用である。

なかなか良さそうだなと思いつつも、特に欲しいと思うまでには至らなかった。少なくとも今年8月に『GXR MOUNT A12』というユニットが発売されるまでは・・・。

GXRにGXR MOUNT A12を装着した状態

このユニットはMマウントの交換レンズに対応。Mマウントといえば、まず誰の頭にも浮かぶのはライカだが、言うまでもなくひとつの『世界標準』のマウントであるため、他にもフォクトレンダー、ツァイスといった名門どころのレンズも装着できる。またニコン、キャノンその他の日本メーカーもこのマウントのレンズを製造していた時期があった。

GXRGXR MOUNT A12と合わせて購入したりすると、こうしたレンズが次から次へと欲しくなって大変なのではないかと思うが、こうした古いレンズ資産がふんだんに活用できるというのは魅力的だ。たぶん、これまでGXRにあまり関心を持っていなかった人たちの中で、このGXR MOUNT A12が発売されてから、突然大マジメに購入を検討している人たちが大勢いるのではないかと思う。

刷新の速度が極端に早いデジタル製品なのに、古いアナログ時代のレンズがふんだんに活用できるユニットの開発とは、いいところに目を付けたものだと思う。

マイクロ・フォーサーズのカメラ用にMマウントを装着するためのマウント・アダプターが販売されているが、Mマウントのレンズをそのまま装着できるモデルといえば、これまでならばライカのM9 (700,000円前後)やエプソンのR-D1xG (200,000円前後)といった敷居が高く、価格的にも手が届かない超高級機であった。

だがGXR (25,000円前後)とGXR MOUNT A12 (59,000円前後)の組み合わせならば、ずいぶんリーズナブルに『Mマウント専用機』が手に入ることになるのが素晴らしい。発売から2年経過しようとしているGXRだが、Mマウント装着用のマウントが発売されたことにより、写真好きな人たちの間で俄然注目を集めることになった。今後もしばらく現行モデルでの販売が続くだろう。

GXRGXR MOUNT A12という組み合わせについては、ハイエンドなコンパクトデジカメといった括りが適当かどうかということもあるが、万人ウケするものではなく、むしろカメラ自体が使い手を選ぶような具合になってしまうのだが、高級コンパクト機のありかたについて、唯一無二の大変魅力的な提案である。

GXRが『Mマウント専用機』に変身!