異郷で汗して働く人々

 近代的なシンガポールの街並みの中、ちょっと路地裏に目を向けるとクルマのガレージ(?)のシャッターの奥にマットレスを敷いて寝泊りする労働者たちの姿がある。彼らインド亜大陸からやってきた出稼ぎ人たちは、今日もまた朝早くからトラックの荷台に乗せられて仕事場へと運ばれていく。隣国マレーシアでは主にバングラデシュからやってきて不法に就労する人々の取り締まりに頭を悩ませている。
 植民地時代のインド各地からかつての中国と同様に、多くの人々が新天地を求めて世界各地に散っていった。中には事業主としてあるいは役人として渡航した人たちもあったとはいえ、マジョリティを占めていたのはやはり故郷での貧困や人口圧力といった要因を背景にした貧しい移民たちである。
 今ではIT大国とまで呼ばれ、毎年高い経済成長を実現しているインド。1990年代には中産階級の規模も大幅に拡大し、自他ともに認める世界最大級の消費市場のひとつになったが、それでも往時さながらの人々の流れがある。
 従前の保護主義的政策のもとで競争力を蓄える機会から阻害され、政府による様々な制約に縛られていた企業家たちは、90年代以降はこのタガが外れることにより、「待ってました!」とばかりに大競争の海原に飛び出してきた。能力、財力、そして機知に富む人々が水を得た魚のように、力を大いに発揮できる機会が増大したといえる。
 80年代までは他の途上国同様に「頭脳流出」が社会問題のひとつであったが、今ではそうした人々の本国への回帰現象さえ続いているのだから、ずいぶん事情は変わったものである。
 生産・消費活動ともに非常に盛んになり、その水準も飛躍的に向上したとはいうものの、元気がいいのはやはりそれなりの背景を持つ人たちで、生産手段も技術や資格もない単純労働者や農民たちまでもがその恩恵を受けているとはいいがたいのが現状だ。
 現在も海外出稼ぎに出る人々には高い報酬と待遇のもとに海外での仕事がオファーされるエリート層があるとともに、地元の相場に比較して格安な労働力を提供するために出て行く人々の姿もある。 彼らもまた出稼ぎ先の産業を支え、送金によって故郷の家族を養い、母国の貴重な外貨獲得にも貢献しているのだが、経済力も社会的な発言力もない下働きの彼らは、雇用主側から見れば安価でいくらでも代わりのきく労働力でしかない。滞在先の国民ではなく、非合法な立場で就労していることも珍しくないため、法による庇護や福祉の恩恵にもあずかりにくい。
 母国での失業や低賃金等といった問題に対し、出稼ぎ先での高い報酬という魅力がある「限り、「新天地」を求める人々は列をなす。旧来から亜大陸との間に人々の行き来が多く、活発な求人・求職ネットワークがあるような地域ではなおさらのことだ。
 昨年夏にはイラクでインド人トラック運転手たちが武装組織に拉致されるという事件が起きた。それでもインドやネパールからの出稼ぎ志願者たちが後を絶たないというのは、これをより極端な形で投影したものであろう。
 出稼ぎのバックグラウンドやそのありかたは今も昔もそう変わらないのではないだろうか。
Migrants’ woes in Dubai worker camps
Migration: ‘A force of history’
Dubai airport accident kills five
Workers’ safety queried in Dubai
Dubai relaxes worker visa rules
(いずれもBBC NEWS South Asia)

公共の宿

独立以来、経済の分野で国家の主導する部分が非常に大きかったインド。90年代以降、思い切った改革路線への転換により、今では毎年高い成長率を記録するようになったインドだが、石油・天然ガス公社のONGCや肥料会社FCI、航空機を製造するHAL、戦車のBEM、レーダーや無線機などを造るBELといった軍事関連企業といった国の基幹を支える国営企業以外にも政府系企業はまだまだ多い。
政府が業務そのものに直接関与すべきものか疑問だが、観光部門でもそうした公営企業が目立つ。旅の終わりに中央政府や州政府経営のエンポリアムで買物をする人は少なくないだろう。品物の値段は全体的に高めでも、装身具に衣類、金属細工に木彫などひととおりのアイテムは揃っている。店員たちは無理に買わせようとプレッシャーをかけることもないし、お客は「ボラれているのではないか?」などと疑心暗鬼にかられることもなく安心だ。価格交渉などで貴重な時間を取られることもなく、とかく急ぎ足の人たちにはありがたい存在には違いない。
首都デリーには全国各州政府によるエンポリアムが出店しているが、自州の名産品を内外にアピールするのに格好の場所であろう。
また各州政府運営による観光開発公社があり、これらが主催するツアーや経営するホテルや付随するレストランも各地にある。クラスは中級から上といった具合で、概ね立地は良いし設備も整っていることから、民間のホテルと大いに競合してしまうようだ。
日本ではこういう政府系の施設は、「民業圧迫だ」ということになりそうだが、ここでは地域振興のきっかけの創出、民間に対する事業モデルの提示、行政による雇用確保が狙いとなっているのだと思う。
新しく注目されるようになったスポットに、いち早く宿泊施設やツアーのアレンジ等を行うエージェントを用意して地域経済をリードしていくのは大いに意味があることだろう。
だがこうしたホテルは建てたときがベストで、時間が経つとともに施設もサービスも劣化が進むという傾向はどこに行っても共通している。地域を訪れる観光客が少なく利用者の少ないホテルともなると荒れ放題で目も当てられない。
公営宿泊施設には活用されないムダなスペースが多く、設計時点からあまり真剣に取り組んでいないように思われるところが少なくない。もちろんこれは現場のみの責任というわけではなく、事業主体である公社やそれを監督する官庁の姿勢をも問われるべきものでもある。
堕落の結果として官業と民業がうまく共存していけるのかもしれないが、すると政府系のホテルは本当に必要なのかよくわからなくなる。こうした施設を本当に必要としているのは、「予算消化」と「実績」を必要とするお役所自身なのだろうか?という気がしないでもない。

ドアの無い村

 今でも日本の田舎では「カギをかける習慣がない」というところは珍しくないが、インド北部U.P.州のアヨーディヤ近くにあるスィーマヒ・カリラート村では「家屋にドアを付ける習慣がない」というのだからビックリしてしまう。
 プライバシーを守るためにカーテンをかけるのみというのは、数百年前にこの土地にいた聖者が「家を建てる際、最初にいくつかのレンガを寺に寄進すること、そして住まいにドアを作らないこと」を人々に命じたのがはじまりだという。
 インドの家といえば、ありとあらゆる窓に鉄格子がはまっており、家の中でもあらゆるところにカギ、といったイメージを抱く人は多いだろう。75軒しかない小さな村とはいえ、U.P.州は隣のビハール州とともに犯罪多発地域だ。コソ泥だけではなく盗賊も出没するのだから、あまりに無防備すぎるのではないかという気がする。極貧のため守るべき財産もない状態にあり、結果として扉さえ必要としないことはありえるかもしれないが、地域の不文律として敢えて家屋を開け放しておくとは恐れ入る。
 
 だが信じられないことに百年あまり犯罪が起きていないというのだ。警察にも1906年以来事件の記録さえないという。聖者のご加護かあるいは盗むものさえ見当たらない寒村なのかよくわからないが、一切を放棄するかのような家屋のありかた、そして「ドアを作らない」というしきたりの裏にある生活哲学のようなものが、犯罪を未然に防いでいるのかもしれない。ともあれ「ドア無し村」の存在がニュースで取り上げられることにより、ヨソからやってくる犯罪者たちに狙われるようなことがなければ良いのだが。
 ドアの無い生活には興味を引かれるが、私にはどうにも真似ることはできないだろう。防犯上の理由だけではなく、U.P.の夏はクーラー無しでは耐えられないほど暑く冬の寒さもまた厳しいからだ。
 場所によっては理不尽にも思えるこんな哲学めいたしきたりが残るインド。機会があればこのスィーマヒ・カリラート村を訪れて、人々の話を聞いてみたいものだ。だがこんなところにいきなりヨソ者が訪れたら、非常に警戒されてしまうのだろう。泥棒が少ないところはたいていヨソ者の出入りも非常に少ないものであるから。 
Doorless village has no crime (BBC NEWS)

国境線を誰が引く?

 インドでもパキスタンでもそうだが、アメリカなど第三国で出版されたニュース雑誌等に両国北部国境地帯の地図が掲載されている場合、「当国政府の主張する国境線を示すものではない」といった意味の但し書きがスタンプで押されているのを目にすることがある。当局により、係争地帯に関する部分についてはかなり厳しいチェックが行われているようだ。
 係争地帯とは言うまでもなくカシミール地方のことであるが、インドとパキスタン双方が同地方への主権を主張しており、事実上統治の及ぶ限界となっているLOC(Line of Control)は両国の停戦ラインに過ぎない。つまりインドにはインドなりのカシミール地方の形と大きさがあり、パキスタンや中国にもまた彼らなりの同地方の描きかたがあることになる。
 そのためインドで出版された地図中には、中国へと通じるカラコルムハイウェイ沿いのギルギットやフンザといった世界に広く知られるパキスタンの観光名所が非現実的にも「インドの町」となってしまうのと同様、逆にパキスタンで刷られた地図によればスリナガルがパキスタン領というおかしな具合になってしまうのだ。インドのJ&K州には、もうひとつの隣国、中国との間にも係争地帯がある。つまり中印紛争(1959年〜1962年)以降、中国占領下にあるアクサイチンの存在だ。
 中国との間には他にも東部で国境問題を抱えているのだが、このJ&K州にかかわる表記の問題から、デリー高等裁判所は中国製の地球儀の玩具輸入禁止を命じることとなったのだろう。中国で印刷される南アジアの地図では、インドの国土は頭頂部のカシミール地方を削った形で描かれる。ここにはインドともパキスタンとも異なる着色をしたうえで、この地域をほぼ南北に分断するLOCを境に、「インド実効支配地域」「パキスタン実効支配地域」と表記されるのだ。単にオモチャとはいえど、インドの将来を担う子供たちに間違った地図を刷り込むわけにはいかないのだろう。
 しかし思えばデリーが、イスラマーバードが、あるいは北京が何を主張しようと、誰もが必要とするのは生活の安定と平和だ。関係国「中央」の強固な意志のもとで、住民たちの思いを無視した不毛な駆け引きが続くカシミール。辺境に住む人々にとって、「民主主義」とはただ絵に描いた餅に過ぎないのかもしれない。
デリー最高裁 中国製地球儀玩具輸入禁止を命じる(パキスタン・DAWN紙)

ヒマラヤの禁煙国

 本日11月17日、インドのご近所ヒマラヤの王国ブータンは世界初の「禁煙国家」となった。20ある行政区のうち18ですでに禁じられていたとのことだが、この日をもって全国に禁令が施行されることになったのである。タバコの販売はもちろん、屋外で吸うのもダメである。外国人が個人消費用に持ち込んだものを自室でたしなむ分には構わないようだが。
 ちかごろどこに行っても喫煙者は肩身が狭い。周囲に迷惑をかけないようマナーを守るのは当然のことだし、間違いなく健康に悪いのはわかっているが、庶民のささやかな楽しみを奪わなくたって・・・とスモーカーたちに肩入れしたくなるのは自分自身が元喫煙者だったからだ。2年ほど前に頑張ってやめたのだが誘惑にとても弱いタチなので、飲みにいったりして周囲で喫煙していると、いつの間にか自分もタバコを手にしていることもしばしば。非喫煙者と言うにはまだまだ半人前なのである。
 そんな調子なので、そばに喫煙者がいると迷惑というのはよく理解できるし、喫煙者の気持ちもよくわかる気がする。
 あまり産業らしいものがなく、インドからの物資が日々大量に流入しているブータン。「さあ今日から禁止です」なんて言われたって、喫煙者たちが「はい、わかりました」なんて従うはずもない。そうした品物に紛れて密輸されたゴールドフレークやフォースクエアみたいなインド製の短い安タバコを手にして、「禁制品になってからずいぶん値上がりしてねぇ」なんてボヤいてたりするのだろうか。
 それにしてもこのブータン、世界に先駆けて「完全禁煙化」とは、ずいぶん思い切ったことをするものである。もともと喫煙率は低かったそうだし、国内のタバコ産業がそれほど育っておらず、ほとんど輸入に頼っていたのではないか、つまり貴重な外貨の節約のためなのかな?と想像してみたりもするが、実際のところ禁煙化の背景にはどんな理由があっただろうか?
ブータンでタバコ販売禁止( BBC NEWS)